
第22回 司馬遼太郎的言説の限界(2001/8/26) ※2000年2月12日の再掲
今日2月12日は作家司馬遼太郎さんの命日、誰が名づけたか「菜の花忌」である。もう4年にもなる。各誌とも各紙とも、こぞってこの国民的作家の偉業を称えている。
ただ僕が不満なのは、称えるばかりで批判的な言説がほとんど聞かれないことだ。これは4年間まったく変わっていないといっていい。断っておくが、僕は相当の司馬フリークだ。彼の書いたものは小説は全編読んだし、エッセーも含めて9割は読んでいるはずだ。
司馬遼太郎は、僕の世代の歴史少年が必ずたどる道である。だからこそ、思うのである。賛美一辺倒の論説に対して、そんな評論が本当に司馬遼太郎を読んだことになるのか?
しかも司馬遼太郎はその晩年、現代日本に対する(老境のふりはしていたが)痛烈な批判を繰り返した。彼は「あがり」の世代だったからまだいいにしても、まさにその現代に生きる人間までが司馬の批判に無責任にも追随して、今のこの日本に起こっている出来事に他人事のようなそぶりをしているのが許せない。
その上、彼の言説はうまい具合にだらしない右翼に拾い上げられ、現在の右派ブームの一翼を担っているのだ。司馬は「あがり」の世代だからこそあのような批判が可能なのであって、われわれは老小説家の文人趣味的戯言にきちんと対応していく必要があるはずなのだ。
唯一、人斬り以蔵のような佐高信だけが、あたかも自分を坂本竜馬や大久保利通であるかのように会社員に錯覚させ、現代の会社組織の保持に貢献したという批判を司馬に対してしてたが、今日はそういう意味での「批判」ではなく、司馬遼太郎的言説にある根源的な問題に光を当ててみたい。
司馬の現代日本批判の構造は、明治以降の日本近代史に対する認識に根ざしている。簡単に言うと、明治時代はそれまで日本人が持っていた美質を受け継ぎ、明治維新、日清日露戦争を勝ち抜いて近代国家として生き残った。これは日本人として誇るべき歴史である。ところが、それ以降、なぜか馬鹿な人間が日本指導者層に増え、軍国主義の道を歩み、ノモンハンに象徴的なように現実主義を失い、やがて破滅した、なんと馬鹿馬鹿しい、ということになる。
だが、われわれがここでやるべきことは、この論調に「そうだそうだ」とうなずくのではなく、司馬が言う馬鹿な人間が増えたその「なぜか」を追求していくことである。司馬自身は、この「なぜか」を解明することなく逝った。
僕の感覚で言えば、「なぜか」の答えは、大衆社会の到来にある。明治維新から日露戦争にいたる苦難の時期を日本が生き残ったとき、その指導者層は旧大藩のエリート士族だった。日露戦争の陸軍のうち、元帥、参謀総長、4軍のそれぞれの軍団長、海軍の大臣、総司令官、みな薩長出身である。庶民の子が国家運営にかかわるチャンスなど、皆無だった。
ところが、日露戦争に勝利し国家が成熟してくるにつれて、庶民の子にもチャンスを与えよという動きが出てくる。チャンスはどういうかたちで表現されるかと言えば、選抜試験である。事実、大正時代になると、原に代表されるように帝大出身の庶民宰相が出てくるし、軍人にも士官学校を優秀な成績で卒業した人間が出てくる。
さらに昭和に入ると、地方では飢饉などの暗黒の側面があるにせよ、都市では充実した社会が成熟しはじめる。なかでも岩波「円本」の登場は、そこいらの労働者が新聞や本を読み、世界情勢について考える機会を作った。したがって知的に庶民を指導する人間は不要になり、日本におけるプロレタリア運動は壊滅する。
マスメディアが急速に発達し、社会の速度が早まっていくなかで人々はさらに平等を求め、選抜基準の明確な指導者を求め、その指導者が日本を破滅へと導いた。このプロセスを民主主義の発展と見るのか、衆愚政治の典型と見るのか。断じきれない論者は、卑怯である。
さて司馬遼太郎の場合、彼の小説が読まれるプロセスは、戦後上記の構造をすっかり踏襲しているところが皮肉なのである。高度成長によって人々の所得が増え、大量の文庫本を買えるようになった。経済的余裕に支えたれた高度な教育は、それまでの吉川英治や海音寺潮五郎、山岡荘八のような単なる娯楽歴史小説と違う、論文・思想的な司馬の歴史小説を理解することができる読者を大量に生産した。
その結果、前回の過程とは比較にならない巨大な規模で天下国家を論じる知識人的大衆を生産している(むろん僕もまたそのひとりだが)。
司馬遼太郎が、明治のエリート主義を賞賛するとすれば、現代にもノブレス・オブリージを持ったエリート主義を再興しなければならない。しかしそれを阻んでいるのはほかならぬ、司馬量太郎の言説が大量に流布するような社会状況なのだ。
この決定的なパラドクスに、司馬が気づいていたのかどうか。僕はおそらく気づいていたと思う。彼がノモンハン事件についての小説を書こうと構想して書かなかったのは、意識的にか無意識的にかこのパラドクスに気づいたからではないだろうか。そして彼は気づかない「ふり」を選んだのではないかと思うのだ。
もしそうだとすれば、残ったわれわれだけが、司馬遼太郎の巧みな身振りに振り回されている道化師、ということになる。司馬ファンとしてこんなことは言いたくないが、彼こそが現代日本の猿回しになってしまう(われわれが猿だが)危険性だってあるのだ。そうならないためには、もっと司馬遼太郎に対する認識を鋭敏に磨く必要があり、それは今こそ求められている。