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第59回 アントニオ猪木というカリスマ(2001/12/17)

 

 今年の格闘技界は激動の一年だった。毎年そういうことをいっているような気もするが、しかし、今年は確実に、例年以上に激動の一年だった。去年もむろん、全日本プロレスの分裂という一大事件が発生したのだが、今年それがこういうかたちになるとは誰も予想しなかったに違いない。

 その激動の中心にいたのは、紛れもなく、アントニオ猪木である。馬場亡き後、力道山唯一の正統後継者である猪木の影響力があまりにも大きくなりすぎている。いまから十数年前、新日本プロレス東京ドーム大会の余興に過ぎなかった「1・2・3、ダーッ!」は、いまやプロレスの枠を超えて、掛け声として普遍的なポピュラリティを獲得しつつある(といいつつ夏に行われた自分の転勤送別会で「ダーッ!」をやってしまったのは僕だが)。

 

 今年の格闘技界を見る軸は、「格闘技」対「純プロレス」の対立軸である。今日はこのことを書きたい。なぜ、もう引退した猪木がこれほど格闘技の世界を振り回しているのか、ということについてである。これを読めば、あなたの周りで『週刊ゴング』や『紙のプロレス』を持って一喜一憂している隣人の話に、多少はついていけるようになるはずだ。

 

 だが、その前提として。
 「格闘技」と「プロレス」は何が違うのか、ということについて説明をしておく必要がある。

 一般的な解答として、「格闘技」は真剣勝負で「プロレス」は八百長だ、というのがある。最近ファン層を一気に拡大したPRIDE派はそう思っているだろう。この意見もまったく的を外れているわけではない。だが、あまりにも一面的な理解である。

 できればこういうふうに理解してほしい。「格闘技」は明らかに勝利至上主義なのだが、「プロレス」は鍛えた肉体と技術を双方が披露するパフォーマンスである、と。この、「双方が」という言葉に注意してほしい。「格闘技」の場合、単純に勝利が目的だから、相手の技を封じ込んでこちらの技で勝てばよい。相手に何もさせなくてよい。プロレスは違う。相手の技を「受ける」ということが重要な要素なのだ。かつての猪木がそうだった。猪木は、相手の技を全部受けてもフォールを許さず、相手がもう出す技がなくなったところから逆襲する、その過程で熱烈な「猪木信者」を生み出したのだ。

 「格闘技」であれば、差のあるレスラーの対戦は一瞬でけりがつく。佐竹雅明がどれだけ頑張っても小川直也には捻られる。負ける佐竹は惨めだ。しかしプロレスは、常人である観客にしてみれば想像もつかない肉体のぶつかり合いを堪能するためにある。
 以上を前提として、話をすすめる。

 

 ここ数年「格闘技」路線志向を強めていた猪木は、「格闘技」の代表的なイベントPRIDEのプロデューサーも務め、押しも押されぬ格闘技界の中心人物となっていた。その猪木が今年に入って、自分の出身母体である新日本プロレスに対して「プロレス的だ」という批判を強めたのだ。

 おりしも、新日本の内部にも「格闘技派」のレスラーと、「プロレス派」のレスラーがいる。なかでも「格闘技派」の筆頭である永田が、かつて新日本のエースだった橋本真也が主催する格闘技イベント「真撃」に出場したことが大きかった。ところがこれが、意外な展開を生んだ。

 開催まで危ぶまれた「真撃」には、「プロレス」に固執してそのレベルを高めている二人のレスラー、NOAHの三沢光晴と秋山準が参戦したのだ。「真撃」での橋本・永田×三沢・秋山戦は、所属する団体こそ変わったものの、紛れもなく長年プロレス界を引っ張り、かつ、馬場と猪木という相容れない巨頭のために交流を禁じられていた「全日本」と「新日本」の選手たちがはじめてそのタブーを破った試合だった。まずこれが第一の大事件である。

 一方で、NOAH勢の大量離脱に苦しむ全日本には天龍が帰ってきた。そして、スター不在に苦しむこの名門団体に飛び込んできたのが、「プロレス」の申し子のような選手、新日本の武藤敬司だった。武藤は演出過多のアメリカン・プロレスの要素を絶妙に取り入れて、「プロレス」の面白さに集中するタイプの選手で猪木からはそのスタイルを否定されているが、彼は堂々プロレススタイルを全日本に持ち込んだ。

 そしてまず、エースの川田利明を「全日本の聖地」武道館で見事な「プロレス的」試合の末破り、さらに王者天龍を破って至宝三冠ベルトを手にした。馬場が、鶴田が腰に巻いていた全日本の至宝を、新日本の選手が巻く。これが第二の大事件だった。

 武藤はさらに、全日本の太陽ケアと組んで、全日本の世界タッグのベルトも奪い、藤波・西村組を破って新日本のIWGPタッグベルトとの統一王者となり、プロレスの締めくくりイベントである冬の「世界最強タッグ決定リーグ」も制した。猪木との確執で、路線対立に揺れる新日本よりも、全日本のほうで存分にプロレスカラーを出し切った武藤の見事さが光った。

 一方、猪木は新日本に刺客として藤田和之を送り込んだ。藤田はPRIDEで、当時「霊長類最強」と呼ばれたマーク・ケアーを下馬評を覆してやぶったことから評価を得た「格闘技派」の代表選手である。藤田は当時の新日本IWGP王者ノートンの首を絞め落とすというきわめて「格闘技的な」勝ち方で新日本の至宝を奪った。猪木の勝ちである。

 

 もうここまでで一年分はありそうだが、まだ話が半分というところが今年のすごさだ。

 「真撃」で邂逅した秋山と永田はやがて盟友関係を築いた。永田はどちらかといえばPRIDEにも出る格闘技志向であり、秋山はかつて小川との対戦を「だってあいつはプロレスできないもん。俺はプロレスがやりたいんだよ」というほどのプロレス派なのだが、この二人が組んだ。そして10月の東京ドーム大会で、十年前のプロレス全盛期に一時代を築いた武藤・馳組と対戦したのである。

 この秋山・永田×武藤・馳の試合は、予想通り永田が馳を押さえるという結末まで含めて、実にプロレスの楽しさを堪能させてくれる試合だった。4人の役者による試合は絶賛に値する名勝負だったが、これは、この試合がただ4人の所属が違う選手が交わったという意味だけでなく、「純プロレス」の意義を格闘技志向の猪木に見せ付ける試合でもあった。事実猪木は、このカードがメインイベントであることが気に入らずに最後までメインカードの変更を執拗に要求していたのである。とりわけ、秋山と武藤の「プロレス派」の二人は、猪木という見えない敵とも戦っていた。

 

 一方、猪木軍も安泰ではなかった。
 まず猪木は、それまで弟子として扱っていた橋本真也を夏に切り捨てた。興行上の問題である。独歩せざるを得なくなった橋本にファンの歓声が飛ぶと見るや、自分の弟子の小川を橋本主催のイベントに送り込み、体面を保った。猪木に追随して橋本を捨てたバトラーツ勢がファンの罵声を浴びたのとは好対照である。

 さらに事件は続いた。10月に行われた立ち技格闘技のイベント「K−1」に、猪木は満を持してIWGP王者藤田を送り込んだ。相手はミルコ・クロコップ・フィリポヴィッチであり、K−1においてはいわば副将のひとり、というところだ。レスリングの大将と、キックボクシングの副将では誰がどう見ても猪木に分があった。タックルで倒してしまえばキックボクサーは何もできないのだから当然である。

 しかし、そうならなかったところがすごいのだ。
 藤田はファーストタックルに行ったところをミルコの膝で迎撃された。藤田はまだ試合ができたろうが、しかし、膝蹴りは藤田の額を白い骨がのぞくほどにぱっくりと割っており、ドクターストップでミルコの勝ちとなった。総合格闘技がただのキックボクサーに負けたのである。

 以上の課題をそれぞれに残したまま、大晦日、そして来年を迎えようとしている。だがあまりに今年の変化が大きかっただけに、この課題が来年どういうかたちで結末するのか、まったく想像もつかない。そして、猪木はどうしているのか。

 思うに猪木は、いつも何かの中心にいた。自分を中心に据えることが目的ではなかったか、と思うほどである。馬場との対立から自分の世界を作ってその中心に座った新日本の独立、新日本を割って新団体を作るかに見えたが、新団体が業界の中核になれないと見るや踵を返して多くの選手を裏切ったUWF創設事件。引退後、新日本という自分の世界を失った後は執拗にその新日本に口撃を仕掛け、いつのまにやら格闘技界のドンとして君臨しているその姿・・・。

 常に猪木は中心に座ろうとして苦闘してきたし、いまも見た目ほど安泰ではないのかもしれない。馬場が不動の太陽のように世界の中核にドンと座って動かなかったのと違い、猪木は常に連星を振り回すことで自分が中心にいるようなところがある。そのために、猪木は常時波風を立てなければならない宿命にあるとも言える。

 来年も、武藤・三沢を中心としたプロレス派、K−1軍団などとの執拗な戦いを通じて、猪木は自らのカリスマを維持しようとするだろう。しかしその手法にそろそろファンが気づき始めるころかもしれない、と思ったりもする。永久運動は不可能だということに、本人とファンが気づくのはいったいいつになるだろうか。


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