第88回 宗男・真紀子・3分間(2002/03/03)

 

 政治というものは権力と離れがたく、また権力と離れがたい以上は腐敗とは言わないまでも後ろめたいところは何かしらある。まったく後ろめたくない代議士なんてものは、故田中六助さんとか桜内さんみたいな立法府の良心を象徴するような人か、政権とはまったく縁もゆかりもない外様野党の人だけであって、そのうちいまや前者のほうはほとんど絶滅種状態だからあとは役に立たない人ばかりだ。

 世界史上に残る大政治家でもそう。フランクリン・ルーズベルトは植民地企業とたっぷりつるんでいたし、ウィンストン・チャーチルは造船業界からごまんとリベートをもらっていてあやうく首を切られそうになっている。だいたいが政治なんてそういうものである。清濁併せ持つのが政治家の条件だ。

 

 しかし鈴木さんは、いささか露骨だった。清濁のうち、清がなかった。国後島の施設建設について、根室管内の業者を使うように要請したという。どう見たって地元への利益誘導である。宗男さんは、「根室管内には旧島民がたくさん住んでいる」ことを理由に浪花節的理屈で逃げ切ろうとしているけれども、官僚やらNGOやらを恫喝したりしたこともほぼ証明されそうだ。証人喚問ではいろんな疑惑を「秘書がやったこと」で逃げ切ろうとするだろうけど、国会答弁だけはエスケープできても世論の反発をしのぐにはいささか厳しいだろう。

 なんだか結局は、真紀子さんの勝ちである。
 真紀子さんがどっちらけにしなければ、川口さんがやっている外務省の人事異動もまったくできなかっただろう。そして世論はふたたび田中真紀子へ。

 

 しかしいやになるな。真紀子さんに清なんてあったのか。

 田中真紀子さんは、自民党の体質であるそういう利権と絡んだ政治を断じて見せる。清廉潔白な自分を否定する小泉首相はもはや抵抗勢力だと断じて見せる。わかりやすい。だが、彼女がそういうものと無縁でいられるのは、偉大なる父親が築いた財産の故なのだが、むろんそういうところには触れない。自分に都合の悪いことに触れられるとご機嫌斜めなのである。しかも「あなたたちが聞き違えるからいけないのよ」と記者団に噛み付く。聞き違えられないように話す努力をしなくていいとは、たいそうなお嬢さんだ。

 まして一国の外相が予算審議の山場で、野党第一党の幹事長とつるんで口裏を合わせメモを偽造し、そのメモの内容の乱れを官邸で説明できなかったらしいのだから、いいとか悪いとかではなくて内閣としてはやっていられなかっただろう。中曽根さんが言うように、外相というのはすべての時間を使ってもこなし得るかどうかという重職で、それを主婦感覚でやろうというのがそもそも狂っている、というのはそのとおりだ。

 アーミテージさんに会うのを拒否しようが、指輪をなくしてイラン大使との会談に遅れようが、それをきちんと説明して逃げ切れれば文句は言わない。実力ある政治家たるものそういう言い逃れをしなければいけない濁の部分をもっているものだ。それができないではただのガキンチョである。

 だが世論はガキンチョを支持し、浪花節を拒否する。「わかりやすさ」という弊害。主婦感覚というならば、全国民の脳味噌がオバタリアン痴呆化しているということだろう。
 これは宗男さん支持派でも同様だ。最近、その代表格となりつつあるちーさまこと松山千春さんは、 田中真紀子さんには「是非その政治理念を聞きたい。自分のもっている土地を県に売り、利ざやを稼ぐような『主婦』の政治理念を」と至極当然のことを言っている。一方で、同じ足寄町出身の鈴木宗男さんにはこれだけ疑惑が出てきても、「要望を利権というのか」などと擁護に回っている。友達だ。友達は信じてこそ、である。たとえ猛烈な抗議を受けようとも、友達のことは信じるのだ、俺は。

 これもわかりやすさの弊害である。カリスマ的なこと。理論的ではなく、気分的であること。その気分的な部分を、マスコミの世論調査が支えている。真紀子さん更迭で支持率が下がったということは、それが「支持率」なんかじゃなくて単なる「人気投票」にすぎないということだ。

 そしてその「わかりやすさ」を、わずか3分のニュースコーナーが助長している。3分の間に世論調査の結果を披露して「国民の良識」としてかつぐのは犯罪的ですらある。むしろ3分だからわかりやすくなっているのかもしれない。たった3分なら、僕が上に書いた真紀子さんの背景すら言うことができないのだ。

 

 政治的なものなんて簡単にわかるわけがない。まして政治家への人気投票ではありえない。宗男さんはことあるごとに「地元の市長さんが…してほしいと、わたしのところに言ってくるんです」というが、選挙は決して政治家への全権委任状ではない。

 それを全権委任にしないためには、3分のコーナーではなく時間をかけて理論的な思考をすることが必要なのだ。難しいことをしようというのではない。理由と予測される結果を含めたオプションを提示すればよいのだ。ほんとにちょっと立ち止まるだけである。しかし、宗男さんと真紀子さんをめぐる議論は、有権者をそこからさらに遠く遠く遠ざけている。


たとえば、今度の議論で日本外交はどうなるか。真紀子さんは、彼女自身に明確な外交ポリシーがあるとは思えないけれども、大陸中国寄りだった。ただその言動がいささか過ぎることに対しては僕も文句がある。「台湾も香港のように」などがそれだ。これは北京をつけあがらせている。靖国問題のときもそうだったし、唐家旋外相は真紀子さんに「中国に骨休めにいらっしゃい」とまで(しかも日本語で!)言っていた。国民的人気を持つ真紀子さんを、対米追従しがちな日本政府の中で楔として利用する気ありありである。
 一方宗男さんは周知のとおり、ロシアへのパイプが太かった。そのパイプに問題があったとはいえ、外務省ですら持たないパイプを自身が持っていたのだ。したたかクレムリンがどう考えていたのかは知らないが、領土交渉が進まないなかでいいように資金投入させられていた可能性が高い。

 今回の一件でこの二つのルートがよかれ悪しかれ切れることは間違いない。ある意味ではこの二人は外交上のバランサーとしての重心を持っていたわけで、これがなくなれば対米追従一辺倒がさらに強まる危険性がある。


 もちろん、アメリカは心優しき庇護者ではない。折りしも、先に中国のEEZ内で沈没した不審船の調査が終わり、さあ引き上げようかどうしようかというタイミングで、アメリカは「うちの衛星写真にねえ、同じ型の船が中国領に入港している写真が写っているんだけど」と囁いてきた。日本と中国といいように遊ばせておいて、おいしいものは持っていこうというハラありありである。けしてこのようなものに翻弄されてはなるまいぞ。


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