
第94回 私的社会党小史(2002/03/28)
僕が子どものころ、確か、いや間違いなく、日本社会党という政党が第二党だった。そして野党第一党だった。
その状況は、過ぎ去った時代として「55年体制」と呼ばれている。1955年、それまで保守の二大政党だった自由党と民主党が大合同して自由民主党となり押しも押されぬ第一党の座に着き、野党第一党として日本社会党が対抗する、という図式だった。この図式は1955年から続いていたのだ。子どものころの僕にとって、これが不変のものに思われたのはやむをえないことだった。
事実、社会党は野党第一党として頑張っていた。
もともと日本社会主義の講座派から出発した社会党は、共産主義への嫌悪感も相俟って戦後の一時期与党になったこともある。それは労働組合の厚い支持があったからだ。2・1ゼネストをGHQに制されたのは確かに痛かったけれども、地方の農民たちが自民党に票を投じるのに対して、都市のプロレタリアートたちは組合を組織し、選挙運動に取り組み、社会党に票を入れ続けた。
60年の安保運動の高まり、国会議事堂を取り囲んだ約5万人の群衆の姿は、最終的には敗北に終わったとはいえ、社会党の「戦う第一党」としての姿勢を示すに十分だった。委員長浅沼稲次郎が、弁士として登壇したときに右翼の青年に襲われて刺殺されたところがばっちり映像に撮られて全国に流されたのも大きかった。浅沼は、昭和の板垣退助だった。ただし板垣と違って死んでしまったが。
家のオヤジはノンポリだったが、組合に入っていたので毎選挙のたび社会党の選挙運動に駆り出されていた。今でもやっているのだろうけど、「ナントカ候補を支援します」という紙に十人分名前を書かされるとか、十件電話をかけさせられるとか、集会に呼び出されるとか、母親が炊き出しをやらされるとか、そういう類のことである。
僕が子どものころは中曽根長期政権の只中で、角栄さんの利権と結びついた「田中曽根内閣」と揶揄されたりとか、防衛費がGNP比1%を突破してしまったとか、レーガンさんと「ロン・ヤス」の仲になって防衛力増強、「日本を不沈空母にする」とか発言したりとか、中曽根さんのもとで急速に親米・右傾化(と言ってもいまから見ればたいそう柔な右傾化だったが)していたころだ。
だから、平和主義で、対ソ対中重視、しかも都市住民の支持を得る社会党は戦うことがいっぱいあった。現に戦っていた。自民党は約250、過半数議席に届くか届かないかの議席を維持し、社会党はその約半分の議席を衆議院に抱えていた。戦う力はあった。他の野党と協力する道もあったろう。が、しかし、その声はあまりに小さく自民党には届かなかった。
なぜか。大人になってわかったことだが、すでに社会党はこの時期、過去の、しかも「野党第一党」という名声に惰眠を貪る存在になっていたのだ。
中曽根政権の時代、社会党が自民党に反対し、論陣を張り、内閣不信任決議を突きつけるというのが国会の定番だった。一応、社会党は戦っていた。そぶりだけは。
でももう社会状況が変わっていた。高度成長の達成、一億総中流化のなかで組合は企業と戦うことをやめ、戦うことを選んだわずかな組合員は共産党に向かった。
そして何よりこのときの、金丸自民党国対委員長と田辺社会党国対委員長はツーカーの仲だったのだ。国会の式次第はこの二人の間で決められていた。おそらく、カネも動いていたことだろう。もはや社会党は戦っていなかった。この時点で、党としての存在の意義、目標を失っていたのだ。
石橋委員長下の総選挙大敗で100議席を切った社会党は、再生の切り札に土井たか子委員長を起用する。次の選挙で自民党は大敗、社会党は大勝し、土井委員長は「山が動いた」と勝利宣言をした。
しかし、山なんて動いていなかったのだ。弁護士出身で清廉潔白を重んじる土井さんは、おそらく、金丸−田辺時代から続く自民党との関係を断ち切ったはずだ。土井体制下で古株の田辺さんは党職を失い、金丸さんはやがてカネの絡みで追い込まれていく。その過程に土井社会党の執拗な追及があった。
だが、裏切った相手を決して許さないのが、中曽根後の自民党を率いた竹下元首相だった。竹下さんの自在さは恐るべきで、落選した民主党大内書記長の家を選挙の翌日に訪ね、次の選挙に使ってくれとばかりに札束を置いていった話は今となっては有名になってしまった。その竹下さんは裏切り者・社会党を敵視し、おそらく、社会党へと続く太い補給ルートが断たれてしまったことだろう。
平成に入り、小沢一郎さんが解党・大連合・連立政権という離れ業を演じて自民党を与党の座から引き摺り下ろしたときも、本来その役割を担うべき政党であると自負してきたはずの社会党はまったくなす術を知らなかった。しかも冷戦の終結と湾岸戦争が、かろうじて社会党を自民党に対抗せしめていたイデオロギー対立・平和主義的言説を無化した。
土井さんですら対応できないこの事態を、社会党はまた新顔を立てることで乗り切ろうとした。ただし新顔は、善人であること以外にあまり取り得のない村山さんだった。
小沢さんに大連立で政権を奪われた自民党は、社会党との連立というこれもまた離れ業で与党への復帰を図る。社会党は何も考えずに、これに乗った。首相が出せるということ以外に社会党にとってのメリットは何もなかったのに。
おかげで、安保も自衛隊も認めなければならなくなった。米の自由化にもYesと言うしかなかった。これまでのアイデンティティを放棄するばかりか、これまでのアイデンティティが空理空論に基づいていたものでしたすいません、と認めてしまったようなものだ。
こんな政党にいつまでも自民党が首相を託しているわけもなく、一度の選挙を経て村山さんは橋龍さんに首相の椅子を禅譲させられた。滅亡末期の王朝の皇帝が、実力ある将軍に無理やり皇位を譲らされるのに似ていなくもない。
この後の阪神大震災、薬害エイズ問題、オウム事件でも社会党は何ら目立った活動をすることができなかった。旧来の古びた左派的主張をまさに鸚鵡返しに叫び続けるだけだった。
そして最後に、薬害エイズで名をあげた菅さんが民主党を立ち上げ、世論と組合を連れて行ったときに、社会党は党大会で何と「発展的解党」と「議員全員の民主党への合流」を決定したのだ。自殺行為にもほどがある。大量の合流に民主党が当然の難色を示したとき、社会党の老いぼれ代議士たちは「排除の論理だ」と言って抗議したが、それは自助努力を怠った年寄りが若者に向かって「どうしてわしをつれていかない」と涙ながらに懇願しているようにしか見えなかった。
かくして、社会党をバラバラにする選別が行われた。かつて北海道知事時代、社会党のプリンスと言われた横路さんは民主党へ移籍した。社会党の名物代議士だった上田哲さん、岩堀さんらは、彼らが「古い」というだけで社会党を追われた。彼らほど社会党が目指すべきものに関心の深い代議士はいなかったのに。
結局、日本社会党は社会民主党と名前を変えた。それだけしかできなかった。
そして土井さんが党首に戻ってきた。
土井さんは優秀な人である。十年前と違って、いかにイメージで客をつかむかが政党にとって大事だということをよく認識していた。安定感と保証は自民党、若さと知性はすでに民主党が持っていた。その隙間を探して土井さんが選んだ道は「女性」であり、ジェンダーイメージとしての「清潔さ」だった。
社会でもまれ、カネに汚れた男ではない、女。社民党は女性の清廉潔白さで復活を図ろうとした。
55年体制のころに比べればその凋落は目を覆いたくなるばかりだが、それでも、土井さんの試みは成功したように見える。一時の凋落傾向は前回の選挙における「増員」で、底を打ったと言ってもいい。社民党の衆議院議員19人のうち10人、参議院7人のうち4人が女性である。他党に比べて圧倒的に多い比率だ。
しかも、社民党の男性国会議員の名と業績をあげられる人がいるだろうか。前沖縄県知事の太田昌秀さん以外の名前をあげられる人がいたら敬服する。それに比べて女性はどうだろう。土井党首、ピースボートのヒロイン辻元清美、田島教授、福島弁護士、テロのときにネットをだいぶ騒がせた史上最年少代議士原陽子…。
いかにこの政党が女性に頼っていることか。そして同時に、19人の代議士のうち小選挙区選出議員が4人という現実が、イメージだよりの社会党の脆弱さを浮かび上がらせる。
今回の辻元さんの辞職で、社民党は女性議員の中で、能力的にも将来的ももっとも期待された人材を失った。と同時に、社民党にとってあまりに大事な小選挙区選出の議席をひとつ失った。取り返すことは、残念ながら容易ではあるまい。それは女性、清潔というイメージ以上に党としての存在意義をもち得ない社民党の現状の故である。
土井さんとしては、村山時代の、党としての存在を否定したかのようなさまざまな決定をリセットしたい気分だろう。そして平和と福祉の党として再生したいことだろう。だが問題の根はもっと深い。かれこれ二十年以上、この政党は政党としての存在意義を持ってこなかったのだ。そのことで、自民党に寄りかかって生きてきた「野党第一党」なのである。土井さん一人で何とかなる問題ではない。
辻元さんは議員を辞職するが、社民党はやめないという。宗男&加藤と同列に見られたくないということもあろう。尊敬し恩義もある土井さんに恥をかかせたくないという気持ちもあるだろう。
しかし、意義なき社民党のなかに残って辻元さんが果たしたいこととはいったい何なのか。党を超えるやりたいことがあるのであれば、離党しても除名されてでも議員にとどまって徹底的に戦うべきではなかったかとさえ思う(もしそうしたら社民党ごと薄暗い水底に沈んでいただろうけど。それとて何もしないよりはましだ)。
政治家とは、政治の世界で何事かをなすべく働く人だとすれば、いったい彼女は何をしたくて社民党に残ったのか。義理のために残ることを僕は否定しないが、しかしそれだけではさびしすぎる。そして、それがさびしく思えるほど社民党は弱い。今度の辞職劇のドタバタ、彼女に助言も庇護も与えられなかったさまを見るにつけ、その凋落振りを改めて嘆かずにはおられないのである。