第103回 ロッカーが大先生になるまで(2002/06/09)
 

 いまどき、辻仁成さんについて、特にその文芸作品について語ることにおいて、何の意味があるだろう、と確かに思う。ここで書かんとすることは、文芸論ではない。ただ、特異な個性を持ったと思われる人間も、環境によって簡単に豹変してしまう、ということだけだ。

  まあかなりの気恥ずかしさとともに表明すれば、辻仁成さんはわたしの青春時代の確かに一部を彩っていた。当時彼は「ECHOES」というバンドのボーカリストだった。二年程前、菅野美穂さんが救い難い下手さ加減で彼らの一世を風靡した曲「ZOO」を歌っていたのでご存知の方も多いだろう。

 当時、彼は「オールナイトニッポン」月曜2部のパーソナリティだった。余談だが、僕の生まれ育った長崎県にはいまだに民放AMが一局しかなく、したがって、午前1時からオールナイトニッポン第1部が放送された後は午前3時から「歌うヘッドライト」というTBS系のトラック運ちゃん向け番組になってしまう。だから、午前3時になる都、僕はベランダへ出て、物干し竿に巻きつけた銅線アンテナを東北の方角へ向け、博多を出た後、佐賀と長崎の山々を越えてくるか細い福岡RKBの電波をつかまえて彼の番組を聞いていた。午前3時の澄んだ空気はかろうじて電波を通してくれたが、とはいえ、雨や曇りでは減衰率が高くまったく聞くことができなかった。

 さような苦労もあって、辻仁成さんには思い出と思い入れがある。もちろん、若き日ゆえの浪漫的な体験であって、エコーズの歌ごときに人生観を左右されたわけではない。

 

  そして、いつの間にやらロッカー辻仁成(つじ・じんせい)は、小説家辻仁成(つじ・ひとなり)に化けていた。
 
 彼のデビュー作といっていいものは、1989年の『ピアニシモ』である。現代社会の中での自分探しをテーマにした青春小説は、当時流行の村上春樹的構図を髣髴とさせるけれども、ぐっと現代社会に密着した描写は、新鮮であった。

 新鮮であったのは、小説そのものの力だけではない。もともと、ロッカーとしては異色で、音楽界のルールを拒否しく、物書きやナレーションなどさまざまな仕事に手を出していた彼はオールマイティ、つまり「何でも屋」でありたかったのだろう。かつてのフォークシンガーのように主体的に音楽界を否定しにかかるでなく、ジャーナリスティックな批判をぶつけるでなく、いろいろなことをやりながら自分のレゾン・デートルを分散させようというやり方は幼いといえば幼いが、しかし、スノビッシュである点で何がしかの有効性をもっている。きっと、それゆえに僕も共感したのだと思う。

 スノビッシュなライター、辻仁成は文芸の世界においてスノビッシュであった。「文壇」という、文芸界を支配する制度から距離を置いてなおかつものをかけたのは、かつてロッカーだったという名声の故である。彼の文章は文壇の常識から外れていた。だから、『そこに僕はいた』とか『グラスウールの城』のような、中学校の文芸クラブに載っていそうな驚くべき駄作を書くこともあるけれども、そして、文章としての甘さが目立つけれども、センスのよさを感じさせる作品もあった。

 そのいちばんよい例が、1997年の『白仏』である。遺骨を掘り起こして、その骨で仏を作るという想像的な構造も然ることながら、人物描写が魅力的である。この賞が、フランス・フェミナ賞を受賞したのは、おそらく、彼の作家人生の頂点であろう。フェミナ賞の受賞は、単にオリエンタルなものへの興味にとどまらず、その描写が外国人の共感を得たからに相違ない。

 でも、この1997年が頂点だったのだ。

 彼の作家人生を狂わせた(と僕が思う)のは、この年『海峡の光』で受賞した芥川賞である。授賞式で、辻仁成さんはこう言った。「日本語を守りたい」と。

 最も文壇から遠いはずの、そしてそのことが魅力だった作家が、まるで文壇に媚びるような受賞コメントを吐いたのだ。もしかしたらそれ以上に、自分が日本の文壇を背負って立つのだという自負心があるのかもしれない。でも残念ながら、彼には文壇を背負ってたつほどの構想力も想像力も今のところ見受けられない。

 文壇も、彼を取り込んだのだ。当初、彼のことを作家とすら認めていなかった文壇にとって、まずまずの文章を書き、かつ、かつて若者に人気のあったバンドのボーカリストという過去を持つ辻仁成さんの存在は、ひさびさの「売れる純文学小説家」だったのだ。とりわけ純文学の売り上げに悩む文壇と出版社にとって、彼を味方にすることは魅力だったろう。

 

 それ以後の彼のあり方は、スノビッシュな凡人が体制から権威を与えられるとどうなるか、という典型的な例になっている。

 彼が書く作品は、紋切り型の、トレンディーTVドラマのノベライゼーションのようなのっぺらなものに成り果てている。しかし、体制を上げて売ろうとしているから、売れるものは売れる。売れるから、ますます自信がついてしまう。アイドルに自曲を提供してプロデューサーも気取れるし、映画監督もできると思ってしまう。

 噂だが、自分の原稿を床に落とした某社の編集者を、会社に言って首にしたのだそうだ。井伏、川端クラスの大家を気取っているのだろうが、ここまで来れば「裸の王様」である。同じロッカーの物書きなら、町田康さんのほうが断然よい。こっちに賞を取らせてやりたいくらいだが、文壇は辻を受け入れ、町田を拒否する。それは売り上げの差であり、つまりは、過去ポピュラリティのある退屈なバンドをやっていたか、ポピュラリティはないがユニークなバンドをやっていたか、の差である。

 「裸の王様」に何が書けるだろう。しかし体制は今後も、彼を「裸の王様」に仕立てたまま体制を体制として維持していくだろうし、過信を得た王様はいつまでも王様たりつづけようとするだろう。もはやその後は、彼がその事実に気づかないように祈るばかりである。むろん、『白仏』がある以上、彼が物書きとして存在したという痕跡は残る。そのことが救いである。


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