
第117回 「田中角栄」幻影の真相・後編(2002/08/12)
(承前)
岸信介と田中角栄の対立は、簡単にいえば、官僚出身の岸と農民出身の田中、という差がそこにある。この差は大きい。田中の目からみれば、農民を搾取する「国家」の側と、それに抵抗しようという「反国家」の側なのである。官僚/反官僚と言い換えてもよい。お上/民衆と言い換えてもよい。ちょっと強引だけど、知性/反知性と言い換えてもよい。
それはその後の歴史をみればさらに明らかになる。
岸は1960年の安保改定をめぐる混乱の責任をとって首相を辞任した。跡を継いだのは池田勇人であり、彼も経済官僚だった。岸のインフラ整備は池田政権下で花開き、夢の「所得倍増」を達成した。池田は吉田以来の自民党保守本流を糾合し、「宏池会」という派閥を作る。
しかし都市の発展と裏腹に地方は貧窮化していた。地方の若者は「金の卵」と呼ばれ集団就職列車で都会へ運ばれ、工業国家日本を支える貴重な労働力となったが、地方の活力は失われた。公害は深刻となった。熊本大医学部が水俣病が報告し、その原因に工業排水に含まれる垂れ流し水銀の可能性を指摘したとき、「可能性があるというだけで私企業の生産活動を止めることは間違っている」と、経済活動を優先して防止措置を妨げた通産大臣は、誰あろう池田だった。池田の発言以後7年間にもわたって水銀は水俣湾に注ぎ続けたのだ。
1970年代に入ると、都市の発展と地方の疲弊の落差は絶望的なまでに広がっていた。そればかりか、都市生活でも上層と下層の落差が激しくなっていた。そんな1972年、岸の弟・佐藤栄作の長期政権を奪う形で田中角栄が総理大臣に就任する。
田中の基本的な政策は「列島改造」である。過疎と貧困に悩む地方に道路を引き、線路を引き、橋をかけよう。そうすればうまくいく。国家予算の多くが公共事業に振り分けられ、地方の労働者を介して、いや土建会社を介して国家のカネが地方に落ちて行った。
その象徴が、新幹線である。岸らは、東京〜大阪間以外に新幹線を作るつもりなどさらさらなかった。その後の計画でも、東京〜博多以外の新幹線は構想されていなかった。ところが田中の構想は、調査坑を掘り始めたばかりの青函連絡トンネルを経由した東京〜札幌間ばかりか、東京〜新潟、大阪〜松山などのほか、山陰・日本海を抜ける路線、あるいは名古屋〜富山、福島〜山形など山脈を貫く路線も含まれていた。この構想は、田中が建設大臣時代、大臣室に建設官僚がもってきた計画図に路線が少ないのを見て不満に思った田中が、「こういうのは景気よくなくちゃ」とボールペンでバッバッと書き加えて作ったのだという。
それは岸ら、官僚出身の政治家が理性やら知識やらを駆使して国家計画を運営する姿勢とは根本的に異なっていた。国家からカネを分捕り、決して国家としては有効とはいえない地域にも分配する。それまでの宏池会的な政策から見ればそれはほとんどファッショであり、夢想的な共同体主義に他ならない。たとえ宏池会的な政策が、スターリニズムやナチズムを範としたところから出発していたとしても、である。
だが田中はそれをやった。そしてそれは大衆の要求に合致した。自分たちの生活とは実感のないところに住む国家というものが、自分たちの生活からいろいろなものを奪い、自分たちの生活をコントロールするという言いようのない不安に暮らす大衆の要求に合致したのである。中卒でありながら裸一貫で首相の座にまで登りつめた「今太閤」田中はその要求を満たすに相応しい存在だった。そして彼は若手官僚たちを飲ませ、喰わせ、煽て、弱みを握り、情報を得て、ポストを用意して、官僚たちをも反国家的な体制の側に組み込んだ。
外交的にも、岸とその後継者がアメリカと強く結んでいたのに対して、田中はアメリカとの距離を置き、逆に中国・ソ連との折衝を試みた。アメリカが共和党ニクソン政権という親中政権だったこともあるが、この田中の姿勢は嫌中派の民主党陣営の反発を招き、彼らの主導でロッキード事件が引き起こされ、田中が退陣に追い込まれたのは周知の通りである。
その後、岸的政策の後裔である清和会の福田赳夫と田中角栄の間で死闘が繰り広げられることになる。田中退陣後、宏池会の後ろ盾で首相になった三木は田中を逮捕するという挙に出るが木曜会の猛反発を浴びて首相の座を追われる。次の総裁選では激戦の末福田が首相になり、やがて田中派との協定を結んだ宏池会の領袖大平正芳が首相に就任。ところが福田派の会期中の造反によって大平内閣は不信任案可決の憂き目に遭い、急遽行われた衆参同日選初日の街頭演説後、大平は体調を崩して急死。忌中休戦として宏池会を引き継いだ鈴木善幸が総理となったあと、次の総理には田中の後押しを得た中曽根康弘が首相に就任する、という流れになる。いわゆる「角福戦争」の系譜がこれだ。
その後、宏池会福田は宮沢喜一に派閥を譲る。宮沢も大蔵官僚出身で、宏池会の正統の系譜にあった。田中も中曽根政権の途中に病を患って倒れた。そして田中の病中に木曜会を奪ったのは同じく地方出身、たたき上げの政治家だった竹下登である。
竹下は首相在任中に「ふるさと創生資金」名目で各自治体に1億円を配ったが、これこそ、田中的農本主義的な発想の戯画化されたものだった。国から金を奪って、1億円ずつを配る。だがそれは、もはや反国家的な色彩というよりは、単にカネをばら撒くという色合いしか帯びていなかった。
一方宮沢はあくまで頭脳優秀なエリート官僚として、その施策が国家を繁栄に導くとの信念のもと、プラザ合意以降の円高を容認し、米英に協調してバブル経済を引き起こし、破綻させた。そして蔵相として再登板したときのその後始末すら失敗した。彼の施策はいかなる国家観にもつながらない、単に、彼自身の頭脳の優秀さを証明するための過程であったとしか思えない。
福田、田中の時代には、まだ敗戦の色濃い記憶、都市と地方の格差などの問題が、彼らの寄って立つ軸を自動的に明らかにしていたように思う。だが80年代以降、官僚も政府もすでに一体化し、問題が目に見えにくくなったときに、いったい政治家たちは国家の側にたっているのか、反国家の側に立っているのかすら、その目的すら覚束なくなっていった。ただ、宏池会的な官僚主導のエリート主義的政策と、木曜会的なカネの再分配政策という二つの方法論だけが残った。
そしてその方法論によって成立していたという情けない派閥も解体の方向に向かいつつある。木曜会出身者としては、唯一自分の出自に鋭敏で、なおかつそれを嫌って自民党を飛び出した小沢一郎氏だけが、その問題に気付いていたように思う。小沢の大反乱の後、派閥をまとめることに橋本龍太郎氏はどちらかといえば分配型政治を否定しようとしたため、派内の結束を失う結果となった。
宏池会はもっと悲惨だ。宮沢氏を継いで派閥を率いた加藤紘一氏(これも官僚出身)は、派閥としては同盟関係にあった森前首相に大甘な反乱を仕掛けて自滅し、会の有力者の離脱を招くことになった上、みずからも利権問題で辞職せざるを得なくなった。
いま、分配型政治にこだわりながら権力は持っている老人たちと、正論は吐くものの権力はない若手に二分化してしまっているのが、自民党の現実だ。
しかし現実は、国家がグローバルな資本という新たなパートナーと手を結びつつある。この状況の中では、国内産業資本と組んで政財一体となって施策を進めていく宏池会的な政策はもう不可能だ。また、大衆の暮らしは次第に厳しくなりつつあるが、国家=産業資本という敵を失った木曜会的な政策は、その大衆の「反国家」的な声を救い上げることができない。かくして大衆は窒息して声を出せなくなりつつある。
そんななかで登場したのが、田中真紀子氏だった。真紀子氏への熱烈な支持は、逼塞感を代弁・打破してくれる田中角栄への幻影を彼女に投射したものだったといえるだろう。そしてまた、真紀子氏は、その支持に応えるべく、国家官僚を必死になって見下そうとした。外務省との軋轢も然ることながら、議員立法に燃えた姿勢などはその証左である。(外務官僚と結託してカネの分配を計った鈴木宗男氏(木曜会出身)や、若手官僚とともに日本の外交政策を国際照準に変更しつつある福田康夫氏(宏池会系)らとは好対照である。)
だが、その田中氏のパフォーマンスは、時代遅れでもはや存在しないを相手に振舞っているのと同然だった。彼女の敗北は、父親の施策が反国家的であったことを知らなかったことに由来する。彼女は権力を欲した。官僚をコントロールする権力を欲した。むろん彼女にその実力がなかったことは確かとしても、しかし、彼女は国家の中枢たらんとして動いた。自分が首相になれば…という傲慢な言葉を吐いたこともある。
だが大衆が彼女に期待したのは、国家と戦い、国家を取り込み、国家のカネを分配する父親の反国家的な施策だった。政治をめぐる言論が、自民党若手のみならず老人にもひろまっていくとき、反国家装置として政治を利用しようとした田中角栄のしたたかな戦略は意味を持たなくなる。田中真紀子氏のやり方は、その意味で、あまりにスマートに過ぎたのだ。ちょっとした英語力を鼻にかける、そんな「知性」との同居を望んだ真紀子氏のスタイルは、賄賂あり、接待あり、袖の下を存分に活用した父親の泥臭いスタイルとはあまりにかけ離れたものだった。
今の時代には今の時代に相応しい戦略があるだろう。そのためには、大蔵・法務を中心とした官僚たちと戦わなければいけないが、それは知性に対して知性で応戦するのではなく反知性的な戦いでなければならない。そのことを悟らぬままに真紀子氏は政界を退場した。この逼塞感を打破する反国家的な大衆のシンボルとして息子が登場しうるのかどうか。小泉首相が反国家的なスタイルを背負えないとわかったいま、至難とも言えるしたたかたな戦いが息子には求められる。
(了)