第131回 文化財から見る近代(上)(2003/01/08)

 

 オランダ・ハーグにある国際司法裁判所(International Court of Justice, ICJ)に勤めている友人が帰国していて、面白い話を聞いた。今年後半に審理が始まるあるケース(案件)のひとつに、以下のようなものがあるというのだ。リヒテンシュタイン公国が、ドイツに対して、ある絵画の返還を求めるというのだ。その絵は、17世紀にリヒテンシュタインからドイツに渡ったもので、もともとの所有権はリヒテンシュタインにある、というのが、ドイツを訴えたリヒテンシュタインの主張である。

 

 文化財を今持っている国と、もともと所有していた国。どちらに所有権があるのか。なかなか難しい問題である。もちろん、一枚の絵をめぐってのリヒテンシュタインとドイツの諍いだけであれば、こちらもビールでも飲みながら気持ちよく見物できる。

 だが、この裁判の面白いところは、裁判の結果がおそらくそれだけにはとどまらないだろう、ということだ。目下火急の事態としては、イギリスとギリシアが同じ問題をめぐって激しい駆け引きを続けているのである。

 

 時は1821年にまで遡る。当時ギリシアはヨーロッパと対等の国家であったオスマン・トルコ帝国の支配下にあった。ヨーロッパがナポレオン戦争のごたごたを解決するために結んだウィーン条約でも、オスマン帝国の支配領域は確定されていた。

 ところが(このサイトで何度か触れているように)、ナポレオン戦争というのは単に英雄の栄光と没落の物語ではなく、ヨーロッパ中に「ナショナリズム」の種を撒き散らしたのである。わが国がいかに崇高な歴史を持ち、栄えある文化を創造してきたかを主張して、新たに生まれた「国民国家」をアピールすることに各国が躍起になったのだ。ナポレオンはローマに進軍すると直ちにフォロ・ロマーノの発掘を命じた。エジプト遠征の際、ピラミッドを前にして兵士に語りかけた「諸君、三千年の歴史が君たちを見ている」というあまりに有名な台詞。ナポレオン以降、近代的な「歴史」の概念が始めて注目されたのである。

 このような考え方がヨーロッパで支配的になった19世紀の初頭、突然、本当に突然、熱狂的な意味でのギリシア文化崇拝が起こったのである。そしてその崇拝は「我らの歴史の故郷・ギリシアを異教徒から取り戻そう」という文化的な意味での十字軍の色彩を帯びてきた。

 そんな1821年にギリシアの独立戦争が始まった。最初はウィーン体制を堅持するため、有力国はこれを傍観していた。しかし、イギリスの詩人バイロンがギリシア文明を讃える詩を書いてみずから独立軍に参戦(バイロンは従軍中に病死)、フランスの画家ドラクロワは絵を描いて、独立軍を鎮圧するトルコ軍の極悪非道を訴えるに及んで世論が沸騰したのである。我らが文明の源泉、ギリシアを取り戻せ、と。

 結局、イギリス・フランス・ロシアが独立軍を支援してトルコ軍を撃破し、1830年にギリシアの独立は正式に認められた。だが、この戦争中、ひとつの事件が起こる。

 イギリス軍を指揮していたエルギン伯爵は、上陸したアテネ・アクロポリスの丘に立つパルテノン神殿の美しさに目を奪われた。中でも伯爵が耽溺したのは、白亜の神殿の破風を彩る大理石で作られた人物像のレリーフであった。その美しさを讃えるあまり、伯爵はレリーフを引っぺがし、ロンドンに持って帰ってしまったのである。

 これが、大英博物館が保持する人類の至宝「エルギン・マーブル」である。そしていま、ギリシア政府は、2004年のアテネオリンピック開催を前に、このエルギン・マーブルの返還をイギリスに対して強く要求している。

 

 もし、もともとの国に文化財の所有権があるとすれば、大英博物館のミイラ群やロゼッタ・ストーンはエジプトに、ルーヴルにある二つの有名なお宝、ミロのヴィーナスはギリシアへ、モナリザはイタリアへ返還しなければならなくなる。後に残るのは、18世紀以降の絵画だけで、そんなルーヴルは想像したところで建物だけが豪華なスカスカな美術館、としか形容しようがない。

 さきに、エルギン・マーブルに対して「人類の至宝」と大袈裟な表現をしたのはほかでもない、この訴えに対する大英博物館側の見解をそのまま示したものであり、それが西欧の博物館のロジックだ。われわれは、君たちが言うような偏狭なナショナリズムの次元でものを考えているのではない、われわれは普遍的な「人類の至宝」を保護・保存しているのだ、と。同様の見解は、パリのルーヴルからも、ベルリンからも出ている。

 むろん、日本から見れば対岸の火事に過ぎない。だが、いま一歩考えを進めてみよう。ここから得られる問題は何か。ひとつは、上述したように、近代的な「国民国家」にとって近代的な「歴史」が不可欠なものであるということ。そしてもうひとつは、その裏返しなのだが、われわれが住む国民国家の歴史は遥か紀元前にその淵源を求めつつ、実は、近代/前近代という切れ目に大きな断絶を作っている、ということである。

 

 例として、話をリヒテンシュタインとドイツの争いに戻そう。リヒテンシュタインが問題の絵画をドイツに奪われた、と主張しているのは17世紀である。

 しかし17世紀に、ドイツという「国家」は存在していないのだ。この時点では、「ドイツ」とは、ドイツ語を話す人々がすむ地域、北はケーニヒスベルク(カリーニングラード)から南は北部イタリアまでの中欧(Mitteleuropa)の総称というべきで、この地域にはプロイセン王国、オーストリア帝国、バイエルン王国、ハノーヴァー公国、など大小300の国々が存在したのだ。

 そのうちのどの国がリヒテンシュタインから絵を分捕ったかは知らない。しかしその責任が、1871年にプロイセンを中心として成立したドイツ帝国(これをもって近代ドイツの誕生と見なすべきである)に引き継がれているかどうかはかなりあやしい。

 少なくとも、その責任を追及する作業は困難を極めるだろうし、追及しきれなければ、前国家の遺産を継承しただけ、ということで免責になるだろう。つまり近代ドイツが、「前」近代の「ドイツ」と呼ばれていた領域での出来事について責任を持っているという主張は、その責任が「近代国際法」に基づいて発生するものであるかぎり、自己矛盾をきたしてしまうのである。

 いささかポリティカリー・インコレクトであるが、身近ゆえにわかりやすい極端な例を引いておこう。日本は、朝鮮半島で行われた植民地政策での非人道的な行為、あるいは中国大陸で行われた侵略行為に対して責任があると僕は思っているし、その責任を問われるのは仕方がないと思っているが、それは「大日本帝国」が近代国家だから、である。

 もちろん歴史を遡ればいくらでも逆のケースがある。だが、韓国が、豊臣秀吉の朝鮮出兵の賠償を日本に要求するとか、日本が元寇の際の壱岐・対馬で殺戮された住民の補償金を中国あるいはモンゴルに要求するとか、日本が刀伊の入寇のときの賠償を北朝鮮に要求するとか、いずれも冗談にしかなっていない。近代国家が前近代の出来事に対して他国に責任を求めるのは滑稽でしかないのだ。

 しかし、冗談にならないケースもあるのだ。

次回へ続く


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