

第168回 中東三十年戦争(2003/04/14)
アメリカ軍がバグダッドに星条旗を掲げて入っていく映像を見て、何か不思議な気分になった。クウェートならまだわかる。だが、バグダッドのど真ん中に星条旗を掲げた戦車が走る時代とは、どういう時代になるのだろうか。1970年代生まれの僕にとって、バグダッドとは、そしてバグダッドこそを過去の歴史の中で最も繁栄した都として抱えてきた中東とは、新大陸国家の国旗を自在に降らせるような土地ではなかったのだ。
湾岸戦争以来の十数年で、アメリカ軍がバグダッドを占拠した事実。もし、それを「歴史的な日」というなら、それはアメリカの戦勝という意味でもなく、イラクが解放されたという意味でもなく、星条旗がバグダッドに翻った日として意味を持つだろう。安易に文明論に与するつもりはないが、それでも、この出来事の持つ意味は大きいように思う。いったい、いまのわれわれにとって、中東とは何であるか。そのことを、自称historianのわたしが、自分の歳・三十に重ねて、三十年戦争として考えてみたい。
サダム・フセインが政権の座に着いたのは1979年のことだった。イラクで王政を打倒して政権を握った革命政党・バース党のなかで、ほとんどクーデタ今回の戦争でアメリカが「非人道的」として指摘したとおりである。
にもかかわらず、というべきか、そのフセイン政権を支援したのはアメリカだった。同じ1979年、隣国イランではイスラム革命が起こっていたのだ。シーア派の宗教指導者ホメイニ氏に率いられた革命勢力は西側が支援したパーレビー国王を追放し、テヘランのアメリカ大使館を包囲した。米軍は館員を救出するための秘密作戦が行われたが、活動員を運ぶヘリが墜落し作戦は惨めな失敗、ためにときのカーター大統領は大統領選挙に敗れることとなった。
アメリカにとっては、イランからイスラム革命の波が中東を襲うことを最も懸念していた。そもそも1970年代の中東情勢は大荒れで、四度目の中東戦争が勃発、中東産油国は一斉に原油価格を値上げし、イスラエルを支持する先進国経済に痛烈な打撃を与えたのだ。オイルショックは遠く離れた日本にも物価高を招き、そのころ僕はスーパーに並ぶ母の背中でわんわん泣いていたはずである。
そして、イスラエルとの戦争に完敗しシナイ半島を占領されていたエジプト・サダト大統領は、領土回復の交換としてイスラエルを国家として承認し、国交を樹立するというウルトラC的外交政策の転換に踏み切った。中東の盟主とされたエジプトの、それこそ革命的な方針転換は中東の価値観に衝撃を与え、結局サダトは1980年に軍部に暗殺される。
同時期、PLOが本部を置いていたベイルートでは悲惨なテロが多発していた。そもそものきっかけはCIAが教会に爆弾満載のトラックを突入させたことだったが、その報復としてアメリカ兵300が殺された。最後にはイスラエル軍がベイルートまでやってきて、中東のパリと呼ばれた美しい都は収拾のつかない混乱に陥っていた。サウジ・アラビアは石油という利権を武器に先進国と対等に渡り合おうとし、シリアやリビアは時折テロ攻撃を仕掛けつつ常にアメリカに噛み付いていた。統一的な勢力こそなかったものの、1980年代を通じて、中東はアメリカと張り合っていたのだ。
そんなさなかイラン・イスラム革命も起きた。アメリカが(イスラエルを守るという意味でも)革命の影響が広がることを恐れたのは当然のことだった。アメリカは、イランを抑えるために、さして強力ともいえないフセインのイラク軍に、膨大な金と武器を付与し続けた。同時にフセインは、NATOの忠実な構成員であるトルコの南下を抑えるという名目でソビエトからも支援を受けていた。
フセインは、したたかな男ではあった。が、したたかなだけで、国を強くするという意図はあまりなかったようだ。イラク軍は装備に劣るイラン軍に8年もの戦争を通じて終始押され続けた。時折毒ガスを撒いたりもしてみたが戦況を好転させることはなかった。子供心には、同じようにひげを生やした同じような顔つきの人たちが、飽くことなく戦っているという不思議な戦争の実態は、そんな情けないものだった。
80年代も終わりに近づき、不思議な戦争が終わるころには、米ソの対立もなくなっていた。やがて共産主義国そのものが崩壊したとき、湾岸戦争が起こった。最近の研究ではフセインは、アメリカがクウェート侵攻を黙認すると確信して戦争を始めたらしい。この説が本当なら、アメリカが仕掛けた情報戦にフセインはまんまとはまったことになる。
はまったのはイラクだけではなかった。1980年代を通じてアメリカに歯向かってきたイラン、シリア、リビアまでもが大人しくなった。アメリカは湾岸戦争によってサウジ・アラビアとクウェートに軍隊を常駐させる権利を手にした。イラン・イラク戦争の1970年代を通じて、石油供給の安定のためにホルムズ海峡等ペルシャ湾への軍備配置を望んできたアメリカにとって、これは、湾岸戦争の最大の果実だったといっていい。
欧米人の軍隊がアラビア湾に臨むのは、実に、トラヤヌス帝の頃のローマ帝国以来といってもよかった。結局、80年代を通じて暴れ続けた中東各国は、00年代にいたってアメリカの覇権を受け入れざるを得ないという敗北的な結果を招きつつある。この20年は、長期的に見れば、中東の明らかな敗北であった。
単にイラクという「悪の枢軸」がアメリカによって滅ぼされた、というだけでは、この戦争を意味を捉えることができないだろう。この30年、ひとつのジェネレーションを通してみれば、総体として、石油を武器に先進国の覇権に挑んだ中東の敗北であることは明らかだ。
ということは、戦争の余波がイラクだけにとどまるとは考えにくい。すでにアメリカとシリアの関係が微妙になっているし、イランもアメリカとの関係に慎重に気を配っている。何より、中東最大の問題であるパレスティナ問題がここ数年で解決から遠のいている上に、イラクに対するアメリカの勝利によってますます平穏な解決から遠のいてしまったことは確実だ。ヨーロッパはかつて三十年も続いた戦争の末に国際規約を生み出したが、中東にはその気配もない。
再びイスラエルに対するテロは起きるだろうし、そうなれば、あまり碌なものとはいえない君主独裁国家サウジアラビアや軍事独裁国家のリビア、パキスタン、そしてヨーロッパ半島を向きつつも中東情勢に埋没することを怖れるトルコまで巻き込むことになるだろう。国内経済がシビアなブッシュ政権は、中東危機の持続あるいは戦争の継続によって来年の大統領選挙を乗り切ろうとするだろうが、きっと二期目には、非常に困難な地殻変動が待ち構えている。