

第189回 Say it ain't!(2003/06/04)
スポーツ専門チャンネル、ESPN(アメリカ)の今日の見出しは、“Say it ain't, Sosa!”というものであった。大リーグ屈指の本塁打者、リーグ史上初めて3シーズンにわたり60本塁打を記録したサミー・ソーサが内野ゴロを打った際、折れたバットのなかに、反発力を増すためのコルクが詰められていたことが発覚したというのだ。
ソーサは「練習用のバットを誤って試合で使ってしまった」と弁明しているが、ちょっと苦しい。いずれ内部調査が始まると思うが、大スキャンダルに発展する可能性がある。
もちろん、ESPNの見出しは、1920年、大リーグ史上最悪のスキャンダルといわれるブラックソックス事件(当時全盛だったシカゴ・ホワイトソックスが、八百長のためにワールドシリーズで敗退行為を行った)の際、裁判所から出てきたホワイトソックスの強打者“シューレス”ジョー・ジャクソンに向かって、ある少年がかけたとされる“Say it ain't, Joe!”(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)という言葉を踏まえている。
このエピソードは、後々、やや過剰に伝説化された。それまでやくざな男たちが芝生の外野席に、有閑中上流階級が内野スタンドに座る大人のエンタテインメントだったベースボールは、1900年代に入ってさらに客層を拡大した。
特に、劣悪なスラム生まれで子どもの頃は靴を買うお金もなく裸足で野球をやっていながら、スターダムに駆け上がり、人柄でも愛されたジョー・ジャクソンはその変化の代名詞であった。(このあたりは1989年のケビン・コスナー主演の“Fields of Dreams”で語られる。)
ジャクソンは、お金を受け取ったものの、八百長行為には加担していなかったとされるが、それでも球界を永久追放になった。そのジャクソンにかけられた少年の声は、もはやベースボールが、子どもたちのものでもあることを示していたのだ。そして地に落ちた大リーグの権威は、同じ1920年、ボストン・レッドソックスに入団したひとりの若者、ジョージ・ハーマン・ルースによって再び挙げられていく…。
というのが、「正統派」大リーグ史の語り口なのである。今回のソーサの一件が、ここまで大きな事件になるかどうかは今のところわからないが、少なくとも、その可能性がある。それは、ここ数年のあまりに急激なホームラン量産の謎を解く鍵になるかもしれないからだ。
MLBのホームページから、数字を拾い出してみよう。ベーブ・ルースことジョージ・ハーマン・ルースがNYヤンキースで60本塁打という、当時としては記録的な数字を打ち立てたのは1927年のことである。
この記録を塗り替えたのはロジャー・マリスで、1961年に61本塁打を放った。しかし、マリスは同僚のミッキー・マントルと比べても不人気なプレーヤーで、この記録も、ベーブのときよりも試合数が多いからという理由で「参考記録」とされた。これが公式記録として認められたのは四半世紀も後のことである。
このとき、試合数が増えたのには理由があった。チーム数が大幅に拡大したのだ。1960年前後、大リーグでは「エクスパンジョン」と呼ばれるチーム再編が行われた。伝統のブルックリン・ドジャースがロサンゼルスへ、ニューヨーク・ジャイアンツがサンフランシスコに移動したのを始め、新しいチームも増えた。テキサス・レンジャース(1961)、アナハイム・エンゼルス(1961)、ヒューストン・アストロズ(1962)、ニューヨーク・メッツ(1962)などである。
これがもたらした効果は、選手の不足である。しかも力ある選手が不足した。この時期、まだマイナーリーグが未整備でレベルが低かった。大リーグで始めての黒人選手、ジャッキー・ロビンソンは引退したばかりで、黒人選手もほとんどいなかった時代であった。
特に、ピッチングという特殊技術を持つ投手の不足は顕著で、エクスパンジョンがもたらした効果は投手力の「底」の低下と言ってもよかった。1962年創設のNYメッツの初代監督、ケーシー・ステンゲルは「どの投手にも先発ローテーションに入るチャンスがある。何といっても、いまこのチームには先発投手が6人必要だ」と語ったが、この台詞の通り、どのチームでも投手力が払底したのである。
もちろん、当時のサンディー・コーファックスなどのトップクラスの投手の力は変わらない。マリスは、あるいは15試合欠場しながら58本塁打を放ったマントルは、エクスパンジョンでインフレ気味に発生した大量の「ヘボ」な投手から本塁打を量産したのである。
時は四半世紀ほど下る。周知の通り、マリスの61本塁打の記録を塗り替えたのは、1998年のマーク・マグワイアの70本だった。さらに2001年、バリー・ボンズが73本塁打を放ち、いまのところこれがシーズン最高記録だ。そしてそれよりもすごいことかもしれないが、サミー・ソーサは3シーズンも60本塁打以上を記録した。
もちろん、この記録にもエクスパンジョンが絡んでいる。1994年にはコロラド・ロッキーズとフロリダ・マーリンズが、1998年からはタンパベイ・デビルレイズとアリゾナ・ダイヤモンドバックスがリーグに加入しており、これにより、リーグ全体の投手力の「底」が低下したことは否めない。
だが、それにしても、である。この大幅な記録更新には「それにしても…」という思いが残る。1960年当時と違うのは、まず、マイナーリーグのレベルが圧倒的に充実しており、新規にメジャーに昇格した選手も昔と比べればレベルが高いのではないか、ということだ。さらには、ドミニカ、キューバ、プエルトリコなどアメリカ近隣の国ばかりでなく、わが国の野茂英雄、韓国の朴賛浩ら太平洋を渡ってきたプレイヤーもいる。
また、かつてのエクスパンジョンでは軒並み有力打者が成績を伸ばしたのに対して、1980年代のエクスパンジョン前にはホームランダービーの常連だったケン・グリフィー・Jrらの成績がその後飛躍的に伸びているわけではない。このことを考えれば、1960年代に比べてリーグ全体の投手力の「底」の低下はそれほど大きくないはずなのだ。
それなのに大幅な記録更新が相次いだのには理由があるはずだ。ボールが飛ぶようになったか、バットの反発力が強まったか、特定の選手の能力が飛躍的に向上したか、である。
マグワイアに関して言えば、噂されている通り、筋肉増強剤の使用があったことだろう。バリー・ボンズの場合は昨年首位打者を獲ったことからわかるようにその技術が素晴らしいため、そのさきのことはわからない。
だが、何らかの技術的な方策が用いられて、ホームランの飛距離を伸ばす効果をもたらした可能性は高い。1997年の、選手会と経営側の果てしない年俸闘争に端を発したストライキは、バスケットボール(マイケル・ジョーダン全盛期)やアイスホッケー(同じくウェイン・グレツキー)へのファンの流出をもたらした。
その翌年に生まれたマグワイアとソーサの激しい本塁打競争、そして新記録更新は、ファンを回収するに格好の起爆剤であった。そこに起きている何事かに、責任ある人間が目をつぶっていた可能性は高いと思う。
そしてもうひとつ。ソーサのサクセス・ストーリーは、かつてのシューレス・ジョー・ジャクソンがそうであったようにアメリカン・ドリームの典型例のひとつだ。ドミニカ生まれのソーサは移民であり、バット一本でいまの地位を勝ち取り、収益の中からドミニカに多くの寄付をしている。学校に行けない子どもたちのために学校を建て、野球をできない子どもたちのためにボールとグラブとバットを与え、ハリケーンが来たとなれば復旧費用を捻出した。
1910年代から20年代にかけて、アメリカの人々は、素晴らしい記録を打ち立てたタイ・カップをその執拗な人柄ゆえに嫌い、素直な人柄のジョー・ジャクソンを愛した。現在でもまたサミー・ソーサは、その誠実な人柄ゆえに、露骨に性格の粗雑さを示すことのある品のないバリー・ボンズよりも遥かに愛されている。
そのソーサの「裏切り」を、アメリカ社会はどのように受け止めていくのだろうか。しかも、ジャクソンは下層階級とはいえ生粋のホワイトであったが、ソーサがドミニカ出身であるということは、この問題に、アメリカ社会に根深い人種問題を絡めてしまうことになる。単にベースボールの問題にとどまらず、その展開には注目する必要があるだろう。