第191回 二度目は喜劇?(2003/06/06)

 

 一昨日の深夜に、パレスティナ和平案に合意という超ビッグニュースが飛び込んできた。ヨルダンのアカバという、「アラビアのロレンス」の舞台になった保養地でのアメリカ、イスラエル、パレスティナ政府との会談のことだ。

 これまで、自分の側からパレスティナゲリラにテロを起こさせることすら辞さず、パレスティナ人居住地へのユダヤ人の入植を肯定してきたイスラエルのシャロン首相が、「パレスティナ人によるパレスティナ人の政府が統治することが望ましい」とこれまでの姿勢を180度転換した上、入植地からユダヤ人を引き上げさせるということまで言明した。

 ほんとうに驚くべきことだ。入植地のユダヤ人たちは高台に家を築き、武装し、水道と電気を独占的に利用して、パレスティナ人たちは自分たちの土地であるにもかかわらず戦車についてやってきたユダヤ人から「お裾分け」をもらわなければならない状況にある。それをやめる、と首相が言ったのだ。あの強硬派のシャロン首相が、である。

 

 改めてであるが、一応書いておこう。地中海東岸のパレスティナ一帯は、『旧約聖書』によればユダヤ人たちが神に約束され、モーゼに導かれてエジプトからやってきた地であり、かつてここにはソロモン、ダビデ両王で栄えた古代王国があった。まだ世界帝国が生まれる前の話だ。

 ユダヤ人たちはやがてこの地を占領した新バビロニア王国によってバビロン(現バグダッド)へと強制連行される。新バビロニアがアケメネス王朝のペルシア帝国に滅ぼされて彼らは故郷に帰ることを許されるまでにおよそ200年かかった。この後、宗教的な権威を有する律法学者が権威を持つが、それを批判して紀元前後に出たのがイエスである。

 ユダヤの民はローマ総督にイエスの処刑をゆだねたが、そのローマ帝国によって70年ごろに勢力を根絶された。さらにはイスラム帝国が7世紀にこの地に押し寄せると、ユダヤ人は離散の民となった。主に商業に従事したことで妬まれ、また、イエスを十字架に追いやった者として、ヨーロッパ社会では激しい迫害を受け、共同体からは疎外された。そのあまりに変形された、しかし衝撃的なものが、ナチスによるユダヤ人の絶滅計画であった。

 一方で、ユダヤ人の資本は世界を動かしてきた。特に18世紀以降のイギリスは、フランスやスペインなどの旧教国が宗教的理由からユダヤ人に寛容になれないのに対し、積極的にユダヤ資本を取り入れて世界に進出した。フランスが手放しかかったスエズ運河の株式を買い占める金を工面するため、時の首相ディズレイリはロスチャイルドを訪ね、「担保は我が大英帝国である」と言って彼から資金を調達したエピソードも残っている。

 ユダヤとイギリスはそのような関係を保っていたが、第一次世界大戦に際して、当時オスマン帝国の支配下だったパレスティナにユダヤ人国家を復興させることを認めることを、イギリス政府がユダヤ勢力に対して約束したのである(バルフォア宣言)。しかし一方でイギリスは、オスマン帝国を崩壊させるためにパレスティナ在住のイスラム教徒に、独立国家の創設を認める約束もしていた(フサイン=マクマホン協定)。

 この二枚舌が、衝突を招いた。それでも大戦間はイギリスが委任統治を行って何とか暴発を防いでいたが、第二次大戦後の1948年、イスラエルの独立が正式に認められるに及んで対立は激化した。イスラエルとアラブ諸国は四度にわたり戦闘を繰り広げ、いずれもイスラエルが勝った。また故郷を追われたパレスティナ人たちはテロに走り、この余波でレバノン、シリア、エジプトでも衝突が起きた。

 イギリスが第二次大戦で完全に疲弊した後、イスラエルに独立の後ろ盾を与えたのはもちろんアメリカだった。その背後には、ロックフェラー家を筆頭とする、イギリス以上に密接な関係を持つユダヤ資本が絡んでいる。

 

 ほとんど忘れられているが、1993年、イスラエルのラヴィン首相とパレスティナ自治政府のアラファト議長が、ノルウェーの仲介ではあったがもちろんクリントン米大統領立会いの下で、和平協定に調印したことがある。これは、1948年以来初めて両当事者が直接に話し合い和平をもたらしたもので、歴史的な出来事と考えられた。二人には、ノーベル平和賞が授与されたほどであった。

 しかしその後、ラヴィン首相は遊説中にシオニズム(ユダヤ中心的な考え方)を信奉する男に射殺された。あとを継いだのはラヴィンを継承しつつ世論に配慮して強気な姿勢をとるネタニエフ首相だったが、これも世論をまとめることができず、ついに最右翼リクード党からシャロン首相が出た。シャロン首相は、アラファトの不実を責め、自爆テロが起こるたびにパレスティナ人居住区へ戦車を進め、弾丸を撒き散らし、ユダヤ人の植民地を広げると同時にパレスティナ人を追い込んで行った。

 そのシャロンの、突然の方針転換である。当然、自分たちが神の選民であることを根拠に土地を支配してきた入植者の間からは、シャロンがテロに屈した「屈辱的会談」と反発が起こっている。リクードの間からも不満と同時に、心変わりしたシャロン首相への疑念が生まれている。

 

 というわけで、今後の事情についてはまったく楽観できない。パレスティナ人側のゲリラ組織「ハマス」は相変わらず武装闘争を続けていくことを宣言した。そもそも、彼らの戦いの目標は、状態をイスラエル建国前の1948年に戻すこと、つまりパレスティナの地をすべてパレスティナ人に返すことであって、イスラエルが存在する限り彼らは戦いをやめようとしない。

 イスラエルの側も、パレスティナの側も、内部に大きな不満を抱えたままの和平スタートとなった。しかし、何より不安なのはこの仲介を果たしたアメリカ政府の姿勢がどこまで一貫しているか、ということのほうである。

 先日のイラク戦争を、いわば「タカ派」主導で終えた勢いで、イスラエル主導の下、中東和平の実現を目指したはずである。それは、中東のイスラム諸国を「いつでも叩ける、いつでも暗部を曝せる」というアメリカの実力によって黙らせ、パレスティナ側への支援を断とうというものであった。

 ところが、政権内の「中道派」が巻き返して、より穏健で国際的な理解(つまりは国連で承認されやすそうな)「ロード・マップ」を提示した。アラファトもシャロンも激しくこれに抵抗し、イスラエルに至ってはわざわざテロを起こさせてそんな暢気な解決策は絶対に不可能だ、ということを示して見せようとしたのだが、アメリカがそれを許さなかった。

 比喩的に言えば、今回の合意は、イラク戦争のときに面子を潰されたパウエル国務長官の顔を、ブッシュ大統領が慮ったということもできる。しかしこれもいつひっくり返るかわからない。いささか宗教じみた信念を持つという大統領が、宗教系のユダヤロビイから動かされない保障はどこにもないからだ。

 信用できないのは、これが二度目だからかもしれない。1993年、オスロ合意は確かに希望があった。ラヴィン首相はパレスティナ人の声に耳を傾けていたし、闘士アラファトも代表政府の長という地位を得て、双方ともいい加減平和を求めていた。その希望が世界にあったからこそ、二人にノーベル平和賞が贈られた。

 しかしその後、ラヴィンは殺され、アラファトは監禁されて、オスロ合意の結末はサイードが言うとおり、イスラエル側に占領のための時間を稼がれただけになってしまった。今回はそのオスロのときほどに楽観的になれない。マルクスが言うように、一度目は悲劇、二度目は喜劇である匂いがぷんぷんしている。サミットを中座してまで出かけ、慌しく仲介役を演じて見せたブッシュ大統領の滑稽な姿が余計にその匂いを強くしている。

(補足はこちら


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