第292回 自称ナショナリストの緊急アピール(2004/04/26)

 

 イラクについてのこともいろいろ書かなければなりません。特に、「自己責任」なるものをめぐって。

 今日も、福田官房長官が、極論だという前置きをしたうえでですが、「行くんだったら死ぬ覚悟で」という発言がありました。どうして一国の高官が、極論をしなければいけないのか。政府は、自国民の保護に全力を尽くすが、常時100%というわけではない、特にイラクのような危険な状況の地域においては、と言えないのか。

 もちろん、イラクが危険な地域であることを認めるわけにはいかないからです。危険な地域には自衛隊を派遣するわけにはいきませんからね。というわけで、「勧告」にとどまる。勧告を無視した人間はこっぴどくとっちめる。

 

 そんなことにいちいちいらだっていても、仕方がない。だいたい自己責任論なんて、もしも人質解放に失敗し犠牲者が出てしまったときに、内閣支持率への影響をできる限り小さくしようという意図で、閣僚たちが突如大合唱し始めたものだから。

 それにしても、勘のいいところをついたのは認めざるを得ない。多くの人々が、心の底では「この国にいれば身を危険にさらすこともなく生きていけるのに、何をわざわざ物好きにイラクなんかまで行くんだ」と考えているのにうまく乗っかったというべきです。

 しかし、こういう安易な乗っかりは危険な展開をもたらしかねません。

 今日も、国政においてはさして名もなき自民党の参院議員が、予算委員会でこんなことを言っています。

 自民党の柏村武昭参院議員(60)が26日の参院決算委員会で、イラクで人質にされた日本人について「自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。もし仮にそうだとしたら、同じ日本国民であってもそんな反政府、反日的分子のために数十億円もの血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と述べた。

 また中国人による犯罪の対策や刑務所の処遇をめぐり「中国なんかはろくな裁判もないし、刑務所の中にも外にも、人権なんてものは恐らくないんでしょ」と語った。

 柏村議員は質問後、「日本のやり方に反しているのだから反日的分子。(不適切だと)思う人はいるかもしれない。ぼくの考えだから」と議員会館の事務所で報道陣に説明し、発言を撤回する考えのないことを示した。(時事通信)

これはちょっと、ナショナリストとしても看過できない。こんなことに、自称ナショナリストが「そうだ、そうだ」と手を打っているようでは、いずれ自分の首を絞めることになります。ですので、基本的なことをナショナリストとしてのアピールとして書いておきます。

 

 ところでこの方は、ナショナリストを気取っておいでなのでしょうか。「分子」なんていう時代錯誤な言葉を使うことにも笑えますが、何より「分子」なんてのは脳みそ単細胞、いい本とは思えませんが養老先生がのたまわれるところの「バカの壁」な連中が使うべき言葉です。「反革命分子」とか言いますね。ソ連でシベリアに送られて強制労働させられたり、中国で白くて長い筒の帽子かぶらされて通行人から唾吐き掛けられたりする人たちです。つまり、ある主義主張に反抗する蛆虫どもに浴びせかけられる言葉です。

 しかし、この議員さんの言っていることは何が違うかわかりますか?イラクで捕まった上に「自衛隊反対」を叫んだ人たちは、確かに、言葉の使い方はまずいとしても「反政府」分子ではありました。しかしそれが同時に「反日」分子である理由はどこにもありません。

 おわかりでしょうか。この人の最大の勘違いは、国家と政府を同一視していることです。僕は、ナショナリストで、国家の一員でありますが、政府の一員ではありません。その意味で言えば、自分の血税を、国家のために使わないことには憤りを覚えますが、政府のために使わないことには理さえあれば別にかまいません。

 従いまして、「政府のやり方に反しているのだから反政府分子」ではありますが、「日本のやり方に反しているのだから反日的分子」というのは当たらない。自分が国家である、と錯誤している政府構成員の傲慢であります。この傲慢の最たるものが、現官房長官であります。

 

 国家と政府を同一視する考え方は、結局、政府の考えに馴染まない国民を排除していくことにつながるよりほかありません。そのときは、「反日分子」なんていう左翼用語ではなくて、「非国民」という右翼言葉が復活することでしょう。共同体から排除された人間に、国民たる資格はない(うーん、微妙な表現だ、機会があったらもっと詳しく)ということになります。

 これはもう、平時に戦時の論理を持ち込むに等しい。上意下達は当然の理となり、絶対服従が求められる。それどころか、敗戦間際の日本軍が各方面軍に玉砕を命じ、沖縄を切り捨て、多くの特攻隊員を散華させたごとく、国家の本体たる政府を守るために、「価値の低いもの」を切り捨てていく、という排除の論理につながります。

 僕を知る人は、僕が筋金入りのナショナリストであることを是認していただけると思いますが、そんな僕が靖国公式参拝を肯んじえないのは、この、劣悪な排除の論理を靖国が隠蔽しているからです。これを解決しない限り、すっきりと靖国に詣でる気にはなれない。そしてまた首相の靖国参拝は困ったことに、この、隠蔽された戦前の排除の論理と、構造改革によって現在進行形で進みつつあるいわゆるネオ・リベ的な排除の論理をつなげている象徴的な行為になってしまっています。

 ここがミソです。ネオ・リベ的自由主義、裏を返せば排除の論理と安易に手を組む、あるいは手を組んでいることにすら無意識な程度の腐ったナショナリズムを僕は到底容認できない。今日の議員さんの言葉は、文字通り、腐った国家主義でしかありません。行き着く先は管理国家でしょう。中国を笑っている場合ではありません。あの国には、少なくとも、「お上の目をいかに逃れるか」という三千年にわたるノウハウが庶民のほうにもありますが、日本がそれをやった場合、管理する側にもされる側にも手練手管のない、明け透けなものになりそうです。

 

 結局、ナショナリストとは、「日本のやり方」に対して忠実である、ということです。日本として、日本人として、いかにあるべきか、あるいは外国とどう向き合うか、ということに忠実な人間をこそ、国家主義者、ナショナリストと呼ぶべきです。

 したがって、僕は、日本人はすべからく日本人であるべき、といったナショナリズムを強制するやり方は好みません。ナショナリズムとはほとんど志の問題ですし、それは、自分一個の人生をどうにか全うさせるという、多くの人間にとっての課題について、手段ではあれ、目的ではありません。

 また志ということで言えば、語義矛盾でもなんでもなく、天皇を否定するナショナリストや赤化ナショナリストというのもありえるのです。大逆事件で死んだ幸徳秋水なんかは、反天皇制でしたし、クリスチャンでしたが、非常にナショナルな意識の強い明治人でした。彼が戦ったのは、政府であって、日本ではない。もちろん、僕が当時の明治政府の役人であれば、彼を絞首刑に処したかもしれませんが、それは彼が政府に対して戦ったことに対して、であります。

 今回の、イラクの人質事件の方々に、もしも「イラクにおいて行動しても、ひとりの普遍的個としての自分の純情は理解される」という甘えがあったとすれば、それは難じられるべきかもしれない。しかし一方で、彼ら(あるいは彼らのような人々)の長年の行動が、イラクにおける「日本人観」を高め、派遣された自衛隊ですら多かれ少なかれその土台に乗っかって活動していることを忘れてはなりません。

 その意味で、国の名を上げることにつながるような行動をする国民を、たとえ彼/彼らが反政府的な思想の持ち主であろうとも、反国家分子だの非国民だのと難じてはいけない。詳細には論じませんが、そもそも、普通の国家とは、見事な統一体を示すというよりは、常にある種の対立関係を内包しているものです。

 それを否定することは、国家そのものの否定につながる。これは、原理的な問題であるとともに、すぐれて現代的な問題でもあります。

 アメリカの経済的な側面を中心として世界を席巻するネオ・リベラリズムの強風の前に、国家としての一体性を維持するという最低限の状態すら破棄されようとしている。軟弱な左翼は、その状況を、国家の重石が取れ自由な個人が発露するチャンスと見間違え、多くの人を切り捨てつつわずかな人々の諸権利を守ろうとしています。

 しかし一方で右翼も、ネオ・リベラリズムに対抗しているかのようなナショナリズムの素振りをしながら、実は、「日本人を守る」ことをまず放棄し、「日本を守る」ことを「政府を守る」あるいは「エスタブリッシュを守る」ことに挿げ替える作業に大いに手を貸してしまっています。

 イラク人質事件における「自己責任」の大合唱に、その響きを感じます。実は、正念場かもしれません。もはや、メディアと記録者はエスタブリッシュに占拠されてしまっているので、後年、ここが正念場だったということすら忘れられてしまっているかもしれませんが。

 


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