

第294回 終わらない戦い(2004/05/04)
日本社会が、人質騒動で盛り上がっている間、イラク情勢全般では大きな変化が起きていました。
開戦から一年を経た3月に入り、各地で戦闘が激化。アメリカは、「フセイン政権の残党が、自由で民主的なイラクの建設に反発しているものだ」として、イラク全般としては問題ないと評価してきましたが、さすがにこれが過小評価であることが明らかになりました。
もちろん、次のイラクの主導権を誰が握るのかという争いはあります。アメリカは、アフガニスタンにカルザイ大統領を据えたのと同様、イラクの次期政権に対しても強い影響力を及ぼしたい。アフガニスタンの経済のキモは麻薬ですが、イラクの経済は石油だから、この欲求はより切実です。
そこで、「統治評議会」なる組織を作り、アメリカに従順な亡命イラク人をトップに据えて、この組織を中核に次期政権を作ろうと目論んだ。アフガニスタンの場合、首都カブールにカルザイを据えても、各地ではそれぞれの軍閥が割拠する状態を容認しているアメリカですが、イラクでそんなことをしたら石油をはじめとする利権を確保することができない。だから、連邦制でも何でもいいから、統一イラクは必要条件なのです。
しかし、英米軍のもとでは、このあと少数派となるスンニ派をはじめ、各勢力を抑えて議論のテーブルに載せることができませんでした。スンニ派とはファルージャという町で事実上の戦闘状態に入り、多数派のシーア派とも一触即発の状態です。同じシーア派のイランに、仇敵に頭を下げて調停を依頼したものの、調停に入ろうとしたイラン人の役人は何もしないうちに殺害されました。いちばん危険なナジャフという街でシーア派との戦いが始まれば、今回のイラク戦争そのものが無に帰すでありましょう。
イラク暫定統治機構のアメリカ人たちも、各勢力のトップと面会すらできない状態に追い込まれ、ついに米英は国連に依頼をしました。アメリカが、国連に事実上頭を垂れるのは、実に久しぶりです。まずは、頭を垂れさせた国連のしたたかさ、なかんずくアナン事務総長のしたたかさについて。
話は15年前にさかのぼります。1989年、突如、ほんとうに突如東西の壁は壊れました。ヨーロッパの共産政権は雪崩を打って崩壊し、世界からイデオロギー対立は消滅した、と言われました。事実、国連の歴史上実質的には始めての安保理各国の同意に基づく国連軍が、イラクをクウェートから追い出したのは1991年のこと。
このとき、国連の事務総長はブトロス・ブトロス・ガリというエジプト人でした。ガリ事務総長は、国家間の対立が終焉し、民族対立や部族対立が相次ぐ1990年代の国際世相に対して、国連加盟各国が積極的に仲裁のために行動すべきだという「アジェンダ」を発表します。
これは、新たな国際平和のあり方を提示するという目的のほかに、国連の、国際社会における役割を大いに打ち出そう、できれば、アメリカやロシアといった超大国を抑えつつ国際政治を主導していこうというところまで見据えたものでした。
しかし、これに抵抗したのがアメリカです。アメリカは、1993年のソマリア内戦時、国連の要請に基づいて軍を派遣しますが、自国兵が殺害され遺体が市中を引き回されたことから、国連の要請を無視するようになります。そして、国連は所詮国家間の機関、国家に何かを命じる立場にはない、ということをはっきり言明するようになります。撤兵を批判するガリ事務総長に対して、当時のオルブライト国務長官は「事務総長は、誰が資金を出し、誰が人員を出しているのかよく知るべきだ」と冷たく言い放ち、国連主導世界の夢は早くも崩壊したのです。
これ以後、各国とも国連を軽視するようになります。1991年から95年にかけて悲惨な様相を呈した旧ユーゴスラヴィア、とりわけボスニア・ヘルツェゴヴィナでの、内戦と「民族浄化」という名の虐殺。アフリカ、ルワンダでの、部族対立に端を発した大量虐殺にも国連は何ら有効な手を打つことができませんでした。
そして、ガリ事務総長はアメリカの敵意を買ったがゆえに、わずか一期で事務総長職を下ろされます。後任は、ガーナ出身のコフィ・アナン。新事務総長は、大国に、つまり、アメリカに逆らってはいけない、というくびきを初めから背負わされての登場となったのです。
そのコフィ・アナン事務総長が、アメリカのかなり横暴な振る舞いにも耐え、ようやく、アメリカに頭を垂れさせる事態までを勝ち取りました。これはなかなか凄みのあることです。
東西対立のころは、国連は有名無実と言いながら、積極的に何かはできませんでしたが、何かを阻止することはできました。しかし、アナン事務総長のときはそうではなかった。それが1997年のNATO軍によるベオグラード爆撃です。
コソボでの紛争を制裁するという名目のもと、NATOは国連の了解を取ることなく国境を越えた軍事行動を行いました。ドイツ軍は敗戦以来始めての越境行動に祝杯を挙げたといい、ついでに意図的かどうか知りませんが米軍は中国大使館にミサイルを叩き込んだ。国連が死んだと、アメリカでは言われたようです。
そんな苦境の中、アナン事務総長は終始アメリカの機嫌を損ねないような言葉遣いをしながら、ぎりぎりのところでは譲らない、そんな交渉を続けてきました。
もちろん、去年のイラク開戦も、「有志連合」が国連の決議とはほぼ無関係に開始したわけですが、これも事務総長は言うべきことは言いつつ耐えた。イギリスによって盗聴されていたことは明らかですが、それを知らされたときにも「事実とすれば、遺憾なこと」と軽いコメントで対応していました。この人、したたかな、と心底思いました。
そのアナン事務総長が、行き詰まった米英に対して、とっておきの切り札を担ぎ出してきました。ブラヒミ特別顧問です。ブラヒミ氏は、アルジェリア出身で、当然フランス語の堪能な西洋にも通用する外交官かつ、アラブ世界にも顔の効く人物です。彼の最大の功績は、1982年に始まるレバノン内戦(当時、PLOが本拠地をおいていたベイルートを、モサドとレーガン政権下のCIAが襲撃し多数の死傷者を出したことから宗教対立を引き起こした)を最終的に解決に持っていった実力者。
このブラヒミさんの下で、国連主導でイラク新政府に権限を委譲するためのプロセスが再設計されたのが、3月です。おそらく、渋々でしょうが、ブッシュ大統領とブレア首相は記者会見でこれを是認しました。「国連から提出されたプロセスは、イラク人民に広く受け入れられるものだ」と。
しかし、戦いは終わったわけではありません。すでにプロセス発表の直前から、前イラク政権への国連からの援助の際に行われた汚職について指摘が挙がっています。
そんなもの、当然フセイン政権に手を貸している度合いから言えばアメリカのほうが圧倒的なのですが、どうやらこの汚職にアナン事務総長の息子さんが絡んでいることから、「刺し違えても十分こっちが得」と考えた、国連に主導権を持っていかれると面白くないところから流れてきた情報でしょう。
イラクのファルージャという街での市街戦も、アメリカが撤退するのしないので揉めています。これもおそらく、アメリカ政府の中で撤退すべきという勢力とそうでない勢力が争っている状態でしょう。
ここで撤退して停戦が成立し、国連主導のプロセスがスタートしてしまえば、アメリカが入り込む余地はなくなってしまう。それを避けるためには、混乱を意図的に生じせしめるしかない。やはり銃を持ったアメリカ兵がいなければ駄目なんだ、という状況を作り出すしかない。先日判明した虐待報道は、その作戦を大きく減退せしめることでしょうが、「アメリカ人が血を流したのだから、アメリカ人が儲けさせてもらわなければ理不尽だ」という世論は、大統領選挙を含めて再び盛り上がってくると思います。
「国連は死んだ」と思っていたアメリカ政府の一部は、歯噛みして抵抗を続けていくはずです。この抵抗は、イラク人の政府に主権委譲が行われた後でも、まだまだ続くでしょう。あちこちで戦乱が意図的に引き起こされたり、勢力の分断が図られたりすることと思います。
これからが、何としてもイラクに影響を及ぼしたいアメリカと、アナン事務総長をはじめとする国連の、死闘が展開されます。そしてこの戦いの結末は、意外と今後長く、国際情勢に影響を及ぼしそうな気が、個人的にはしているのです。