

第381回 民主党、この体たらくに怒り(2005/03/02)
地味なニュースだが、新年度予算がいつの間にか成立していた。
予算の内容そのものにかんしては、小泉内閣相変わらずだ。社会保障費はまた減らされた。緊縮財政のため防衛費も何もかもあらかた減らされているが、個人的に気になるのは社会保障費と教育費の削減である。
けっこう重要なことだと思うのだが、あっさりと通った。定番茶番とはいえ、予算成立が年度末まで行くかどうかということが通常国会の焦点なのに、なのである。
この、物分りのよさが、民主党のいう「責任ある態度」なんだろうか。
今回は、とにかく、民主党の体たらくに対して憤りを覚えた。何が政権準備党だ。
代表質問中に議場を総員退席と、見栄を切ってみたのはまあよい。確かに、ここ数年の小泉首相は、もはやまともなロジックで話をすることを拒否している。それはホリエモンを含めた昨今の「勝ち組」の風潮ともいえる。すなわち自分のビジョンは説明しないで「何でなんですかねえ?具体的に説明して欲しいですよねえ?」と相手のビジョンのスキを質問責めにし、自分が具体的な質問をされると「余計なお世話ですよ」あるいは「人生いろいろ」とキレてみせる風情ですね。
それに対して、抵抗の意思を示して見せるというのはまあいい。
しかし、その後。自民党に渦巻いている政治献金をめぐっての不透明な動きをついに追及することができなかった。ここは自民党の作戦勝ちで、開き直って答弁ができる小泉さんに翻弄させている間に(いささかでもまともなロジックを語ろうという心根が残っている議員さんなら、ああはできない)ほぼ逃げ切ることに成功した。誰の目から見てもあからさまに村岡前議員ひとりに責任をおっ被せようとした旧橋本派の疑惑についても、小泉さん以外を攻めればよかったのに、しなかった。
論戦を参議院に移しての年金改革をめぐっては、首相に「岡田さん、あなた幹事長のときにこの三党合意に署名したんですよ」と逆に攻められる始末。無論、ちょっと昔のことを覚えている人なら知っているだろうが、菅前代表が「責任ある政党の態度」として自民、公明と並んで同意したものである。
結局これがきっかけになり、さらに年金未納問題が重なって菅さんは辞任に追い込まれるわけであるが、最大野党でありながら鳩山→菅→岡田、と三人の党首が変わっても、自民党と比してすら一貫した政策ビジョンがまったく示せなかったことを小泉首相におちょくられたのである。
腹が立つのは、この、おちょくられた政党が、おちょくられている間何をやっていたかといえば、「自分たちは野党ではない、“政権準備政党”である」などという無意味な自己規定をこの忙しいはずの会期中にやっていたのである。
言い方はどうでもよい。そもそも、往年の社会党が「影の内閣」を組織し「影の大臣」を任命した。それが横文字の「シャドー・キャビネット」になり、さらに「ネクスト・キャビネット」に化け、さらに「ネクスト内閣」で「ネクスト大臣」を任命した挙句、横文字に飽きたのか「政権準備政党」と幹事に戻ってきたわけである。もちろん、どれひとつ、政権をとったことはない。
これだけでも愚の骨頂であるが、問題は本当は根深い。皆さんお気づきかもしれないが、彼らが「政権準備政党」になっていくほどに、彼らは「責任ある態度」を重要視する。「責任ある態度」とは、結局、多数の「勝ち組」(と、現実はともかく自分を意識している人たち)の支持に応えるということである。すなわち、強者に寄り添っていくわけで、彼らの政策は必然的に、現在の強者弱者双方の論理を取り込んでいる自民党へ、しかも強者側へ寄り添っていくことになる。
かくして、民主党はいつまで経っても議論の主役になれないままなのである。現在の国会の論戦が、自民党と民主党の対決ではなく、郵政民営化という、労組と族議員と特定団体を考慮に入れてもさほど解決が困難とも思えない課題を中心に回っていることがその証左である。この論戦は自民党の中の「改革派」と「保守派」の戦いであって民主党の出る幕はない。それ以外の、本来戦うべき年金や社会保障政策をめぐっては、やすやすと与党との話し合いのテーブルについているのである。
その理由を、「TVタックル」などのテレビを見ていると民主党は小泉さんの逃げ口上に求めているが、それだけではない。彼らが言う「責任ある態度」というのは、僕が何度も使っている「知性」という言葉に対応している。民主党が好き好んで使う「市民」という言葉にもすでにそのことは含意されている。
だが「市民」とは、現在ある意味では、自分が「知性」を持っており、社会が崩壊するといういざというときには「勝ち組」として逃げられるという自己確信を持つための言葉に過ぎない。社会のあり方についてのイデオロギーを得々と語る「市民」は多いが、社会を崩壊させないための方策を練っている「市民」は少ない。何より、「市民」の自己規定そのものが、「非市民」の創出の契機を、すなわち排除の論理を孕んでいる。一見平等に見える社会の中で、そうした「市民」の「責任ある態度」は、結果的に、勝ち組擁護の論理を打ち立てていく方向に進まざるをえない。
保守対革新や階級格差、地域格差といった議論の軸を「古臭い」すなわち「知性的に見えない」という理由で放棄していく民主党に、残念ながら、現在進行中の社会の崩壊を食い止める力は無い。せいぜい「政権準備党」などというくだらない言葉を開発することに時間を浪費していくだけだろう。そしてまた、万が一の僥倖で政権を取れたところで、ひょっとしたら今の自民党政権以上にひどい社会にしてしまうかもしれない。
そのことは、イオングループ総帥の御曹司には一生かけてもわからないことかもしれない。好きかどうかといわれれば微妙だが、小沢一郎さんだけは、そのことを理解しているような気がする。それもこれも、自民党代議士だった経験があるからなのだが。
「知性」のない人々を無視していく彼らの姿勢を象徴するコメントがあった。杉浦官房副長官の経理を突破口に、自民党の政治資金問題を突こうと頑張っていた若手の永田さんの質問には好感を持ったが、今日のニュースを見ていたらその永田さんが「思ったより世論がついてこなかった」と言っていたのである。
輿論のせいかい!怒るよほんとに。輿論を喚起できなかった民主党の皆さんは何だったのでしょうか?
民主党の体たらくは本当はどうでもいいのだが、何もかも危険な方向に進んでいるように感じる。