第387回 日韓関係を朝鮮近代史から照らす(2005/03/19)

 

 日本や韓国、北朝鮮が、世界の政治の舞台でひとまず国や地域としての役割を保つようになったことは、ついこの150年のことに過ぎない。世界の歴史は4000年もあるのであって、その大半において半島と列島は大した役割を果たしてこなかった。

 このことは、日本、韓国、北朝鮮、それぞれのナショナリストたちが十分注意しておくべきことである。より大雑把だが的確にいえば、この近々150年を除いた長い時間、半島と列島の歴史というものは、中華帝国とその周縁民族による「シナ史」(また挑発的な言い方だが、この場合こうよりほか言いようがない)の、さらに周縁史に過ぎない。

 このうち、幸か不幸か日本は、ペリー来航以降急速に近代化して世界史の舞台に踊り出た。この躍り出る速度は驚くべきもので、それまでのアジアの主役だった中国を追い抜いた。そして、米英との戦争に負けたわけだが、一度は世界史の舞台で踊ったわけだ。

 しかし、この日本に植民地にされてしまった朝鮮半島は、日本の敗北後も事実上米ソに分割統治されたため、まだ一度も世界史の舞台で踊ったことがない。残念なことに独立戦争をまともに戦ったわけでもない。1945年8月15日、彼らにとっての光復の日、独立を叫ぶデモ隊のかたわら、日本の治安部隊は旧然どおり機能していた。おそらく日本はこのとき、満州や台湾を捨てることになっても朝鮮を放棄させられることにはならないだろうと思っていたぐらいだったのだ。

 在朝鮮日本軍の武装解除は、中国人によって行われた中国大陸とは違って、進駐してきた米ソ両軍によって行われた。ソ連軍に占領された半島北半の日本人は満州同様ひどい目に遭ったが、結局のところ、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も、日米戦争のおこぼれに預かって彼らの言う「独立」を果たしたに過ぎない。日本に戦争を仕掛けて、勝ったわけではないのだ。

 このコンプレックスが、過激な歴史観につながっている。そして過激な反日を訴えることで、そのコンプレックスを内的に克服しようとしているが、所詮は内面的な問題だから、解決しようもない。彼らは自民族のドラマのない歴史に向き合うたびに、反日を訴えて心の傷を頓服するよりほかないだろう。

 そのことを、いちばんよく理解していたのは、大韓民国初代大統領李承晩だったろう。李は、まだ上海の臨時政府の一員だったころ、こう言ったのだ。「敗北と忍従に埋め尽くされた我が民族の歴史を、根こそぎ燃やし尽くしてしまいたい。」

 

 「敗北と忍従」の朝鮮半島の歴史は、その地政学的条件に由来する。

 詳細に書いていると全朝鮮史を語ってしまうことになるので割愛するが、簡略に言うと、東アジア世界の要地・中華帝国の心臓部である華北平原に向かって大軍を移動できる、あるいは華北平原から大軍を移動できる朝鮮半島は、内陸帝国と海洋国家の利害がぶつかる場所なのである。

 したがって、朝鮮半島の情勢が東アジアの情勢を決める、といっても過言ではない。東アジア情勢が安定しているケースは過去の歴史上二つある。ひとつは、半島が、北側は大陸系国家、南側は海洋系国家に分断されて軍事的にも対峙している状況である。高句麗・新羅・百済の三国時代と、現在の南北分断状況がこれに当たる。緊張は伴いながらも、全体の情勢は安定する。

 もうひとつが、半島統一国家がほぼ非軍事化して、大陸にも海洋にも脅威でないことを示して攻撃されないようにしつつ、政治技術を駆使して大陸系国家と海洋系国家の緩衝地帯となることである。朝鮮の統一王朝は、新羅、高麗、李氏朝鮮と、主として中華帝国の、しかも北方系の王朝に全面的に臣従しつつ、このスタンスを保ってきた。そしてこの状況における安定の時期が長かった。

 ただし、大陸帝国が太平洋側へ張り出そうとした場合、また逆に海洋帝国が中国大陸へ進出しようとした場合、朝鮮半島は通り道になる。しかも上述の理由で、非軍事化していたため、通られたときは文字通り蹂躙されることになった。

 そのようなケースが過去何度かあった。7世紀半ば、大唐帝国が高句麗・百済を滅ぼし、新羅との激しい戦闘になった。13世紀には蒙古軍の攻略を受け、王朝だけは維持されたものの大半の住民まで惨殺された。16世紀末には、南蛮由来の新兵器で武装し、長年の内乱を経て極度に発達した軍事技術を持った当時世界最強ともいえる秀吉の日本陸軍が明討伐の軍を起こし、戦場となった朝鮮は悲惨な目に遭った。

 さらに20世紀初頭には、南下して太平洋へ進出しようするロシア帝国と、それを防御し大陸への足がかりを作ろうとした大日本帝国が争い、勝利した日本が半島全域を併合した。これほどの要地であれば、20世紀半ば、北朝鮮軍の猛烈な急襲を受けて崩壊寸前だった韓国軍をアメリカ主導の国連軍が救援したのも、また、鴨緑江に国連軍が迫ったときに共産中国が百万という大軍を投入する決断をしたのも、意味のあることなのである。放置しておけばそれぞれ、次は日本と台湾が、あるいは満州が、危うかったのだ。

 

 しかし、このような要地でありながら、常に朝鮮半島は「通り道」なのである。豊臣秀吉は、韓国・朝鮮では極悪日本人のひとりとなっており、それは相当の理由があることではある。しかし、秀吉自身は明帝国と戦う気はあったが、朝鮮王には「道案内」を命じただけであった。

 秀吉の誇大妄想を引き出すまでもなく、ロシアは太平洋進出の手段として朝鮮半島に色気を出したし、日本もまた中国本土へと展開する足がかりにしたのである。朝鮮は常に、舞台は提供しても、自分が演じることはなかった。

 そして、今もない。

 

 歴史を語る上で、以上だけではいささかフェアネスに欠ける。朝鮮民族が、何度蹂躙され、敗北と忍従の歴史を経てきたとはいえ単なるヘタレ民族であればこの世界からすでに消えているはずだ。

 そうでないのは、彼らが、蹂躙されても忍従してでも、実に粘り強く抵抗し、最終的には自民族国家を確保し、しかも、他国には攻め込まないという(わずかな例外はあるが)無意識の国是を守っているからである。日本のナショナリストも、白村江の敗北の後や元寇に際して、朝鮮人の根強い抵抗によって日本列島が中華帝国の侵略から免れたことは恩義に感じておいてよい。

 ただし、韓国も北朝鮮も、ヨーロッパ諸国が世界分割を始めるところでやってきた近代という歴史のなかでは、役柄を演じ切れていない。役柄を演じきれないのは朝鮮史を通じてそうだったのではあるが、近代は、役柄を演じる「主体性」を個人だけでなく国家にも要求する。

 ちなみにこの「主体性」とは客観的なものではなく、17〜19世紀のヨーロッパ各国では「ロマン主義」と呼ばれる時代につくられたものである。国民の歴史(!)が書かれたり、国民の文学ができたり、国民的英雄が生まれたり、ということだ。アーサー王物語が人口に膾炙したり、フランス国民会議が統一フランス語辞書の編纂を決定したり、グリム兄弟がドイツ中の民話を集めつつ自分たちもドイツ語で童話を書いたりとか、そういうことである。

 かくして、国ごとのロマンチックでドラマチックで、だから我々の国は偉いのだ、ということを納得させられるだけの歴史が創造されていく。しかし朝鮮半島にはその歴史が希薄なのだ。日本は幸か不幸か80年ほど主体性を持って活動した時期があり、その後はアメリカの脇役に成り下がっているわけだが、韓国や北朝鮮は近代が東アジアにやってきて以来、まず日本に、そしてアメリカとソ連に付き従うことを余儀なくされた。

 では「主体性」をどうやって創造するか。いささかでっち上げな、彼らの言う「正しい歴史」を作る以外にないのである。彼らの言う「正しい歴史」を例えば僕が否定などすれば、それは彼らの「主体性」を奪うことになるのだ。

 

 初代大統領李承晩は、そのことをよく理解していた。彼は日韓基本条約ではなく、講和条約を結びたがった。それは、韓国を日本に対する戦勝国として位置づけたかったわけだが、どういう国際法的枠組みを駆使しても、日本と韓国・北朝鮮は戦争をしていない。日本はアメリカ、イギリス、オランダ、中国などとは戦争をしているが、韓国・北朝鮮という国は国際法上存在していなかったのであり、戦争になりようがない。

 そのことが、植民地時代の統治にまつわる補償を否定することと直結するわけではないが、戦勝国としての権利を生じないばかりか、国内的にも「主体性」をもたらさないのである。

 その上、朝鮮半島の近代化のインフラ、すなわち、鉄道、道路、通信網、放送網、行政機構、教育システム、産業システム等々はすべて日本の「お下がり」である。

 誤解のないように言い添えておくが、これは、多くのナショナリストが言うように、「日本のおかげで朝鮮は近代化した」ということではない。日本が前近代の朝鮮半島を領有した以上、そこに近代化の投資をするのはむしろ責務というべきであり、それは日本統治の温情でもなんでもない。歴史の可能性としてそれがロシアであっても、中国であっても事情は同様である。単に日本が時間的に早く近代化した、というだけのことである。ロシアと日本のどちらの植民地支配が相対的にマシだったか、という比較はそれなりに興味を引くが、それ以上のことではない。ただし、日本によって朝鮮半島の最初の近代化が行われたという事実は消えない。

 そこで李承晩は、戦勝国の位置づけにつながるような、対日強硬路線を取った。国内的にはお得意の反日教育で自分たちが戦勝者であることを植え付けさせた。

 領土も欲しがった。何とかして対馬を韓国領に編入できないかと画策している。ご存知の通り、対馬藩主宗氏は、江戸時代を通じて往来した使節団である朝鮮通信使の取次ぎをする必要上、名義的には徳川幕府と李氏王朝の双方の臣下となっていた。これを根拠に対馬の領有を図ったのだが、アメリカに「いい加減にしろ」とばかりに止められている。

 その次が、現在の竹島だ。江戸時代まで遡れば、鬱陵島が朝鮮、竹島は日本に属することになっているは明らかだが、日本の植民地支配が終わって旧態に戻りましたというだけでは戦争に勝ったことにならない。どさくさにまぎれて占領したのが竹島であり、さらには日本では李承晩ラインと呼ばれる、一方的な漁業経済水域まで日本海に画定した。

 その日本海という呼称さえも「帝国主義的」として、自国の呼び名である「東海」に国際的に改めさせようとしているのはご承知の通りである。これは、帝国主義的諸課題の「最終的解決」らしいのだが、たかだかそんなことに「最終的解決」の意義を見出さなければならないほど、近代国家としての韓国・北朝鮮の根拠は脆弱だ。

 彼らは、これまで、常に日本を媒介してしか世界と対峙することができなかった。そのことが、自分たちが仮想の戦勝国であると認識させ、いわば駄々をこねるような政治姿勢を取り続けることを許容してきたのである。そうでもしなければ近代国家としての体面を保てないからではあるが、それは一種の甘えですらある。近代世界と血を以って向き合った経験が、彼らにはない。

 

 もちろん、他人のことばかり批評していてもいけない。日本だって、その地政学的・歴史的諸条件から自由なわけではない。イギリスが日英同盟で日本を使ってロシアの南下を食い止めさせようとしたように、 海洋国家側として、大陸からの防波堤の役割を背負わざるを得ない。ただし役者が変わった。戦前は、イギリスと組んでロシアを食い止めていたのだが、いまではアメリカと組んで中国を食い止めることになる。また、いまは敗戦国だという条件も加わる。

 この条件は、東アジア情勢が安定するためには、列島と半島がよき緩衝地帯でなければならない、ということでもある。つまり、半島が南北に分断されている現在では、北朝鮮はともかく海側の国である韓国とは、摩擦を経ながらも、うまくやっていかなければならない、ということだ。

 現在、竹島問題で過激な抗議運動が起きているが、状況はたとえば李承晩時代に比べれば遥かによくなっている。日本は今後、ラカン流にいうと鏡像段階において日本を鏡として近代国家たらんとしている韓国の、衝かれると痛い部分をあえて衝くことなく、両国の関係を取り結んでいく必要があるだろう。これは余裕を持て、ということと同時に、植民地支配や在日韓国・朝鮮人に対する施策の不備を是正して、理を理として通していくことでもある。

 そしてまた、北朝鮮はともかく韓国には、そろそろ一人前の国家として、日本への怨念的なコンプレックスを脱してもらいたい。以前、ワールドカップでの日韓問題をめぐってこんな文章を書いた。もちろんこれは相当戯画的に書いているので真に受けてもらってはちょっと困るのだが、通じるところもある。

 すなわち、ヨーロッパ白人諸国主導の近代世界において、日本は、仲間なのに受け入れてもらえないという緊張関係を欧米諸国に抱き、その解消にさまざまな手法を費やしてきた。一方韓国は、主として日本との緊張関係を使って主体性を作ってきた。しかしそろそろそれを卒業し、日本との媒介なしに近代世界と向き合うべき時期にきているのではないか。

 たとえば、国家が転覆したわけでもないのに一回結んだ国際条約を反故にしたい、など、まともな国際社会で受け入れられる話ではない。みずからを仮想戦勝国と認識している彼の国が、日本に難題を言うことでみずから戦勝国たらんとしている気持ちはわかる。しかし、一度結んだ国際条約を、民間契約並みに事情が変わったので反故にしたいなどと言っていたら、国際社会の笑いの種である。同じ要求をするにしても、もう少し、上手いやり方があるはずだ。

 そのあたり、日韓共にもう少し洗練されたかたちで、国際社会に出て行けるようになれば、と願っている。あやふやな韓流ブームで交流が進むのもまあけっこうだが、一度関係を締め直すという意味では、竹島問題が奇貨となってくれればよいが。

 


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