第436回 『高校野球』を極めたらこうなる(2005/08/20)

 

 自分が歳をとって、単に野球を見る目が肥えてきたというだけの話なのかもしれない。しかし、そのことを差っ引いたとしても、高校生の野球のレベルは上がってきている。今大会はそれを強く感じた。こんなレベルの高い大会は見たことがない。

 もっとも分かりやすい例は、大阪桐蔭の平田選手の一試合3ホームランだった。レフト、センター、センターである。ライトへ飛んだフェンス直撃の二塁打も、風がなければスタンドインだ。「あの」清原に並んだ、という意味でもすごいが、20年前の夏の決勝での清原の3本塁打のうち、2本はラッキーゾーンだったことを考えれば、清原以上、といっても過言ではない。

 投手の辻内投手もすごかった。62奪三振は大会史上2位の記録である。1位はかの徳島商・板東英二投手の81奪三振だが、板東投手は延長18回引き分け再試合があり、実質上2試合分長く投げているという「スーパーひとしくん」的ボーナスがあってなおかつ決勝まで投げているので、クオリティとしては十分板東投手の記録に伍するといっていい。

 その辻内投手をけっこういろんなチームが打ち込み、平田選手を抑え、結局、桑田清原のPLにも匹敵するかという強豪チームが決勝まで残れなかった、ということが、今大会の面白さである。

 

 選手個々の技術が上がっていることはここ十年ほどの傾向である。もちろんそれは、いい手本を目にするようになったからだ。サッカーが、Jリーグが始まってプロの技術を間近に見られるようになり、さらには世界中のスーパープレーが見られるようになってから、中学生に至るまで技術が上がってきたように(何しろそれまでの最高の模範は大空翼だったのだから)、野球も、メジャーリーグが見られるようになって、日本のプロ野球の技術も、高校野球の技術も確実に上がってきている。

 そのことを、二つの点で今回強く感じた。ひとつは、バッテリーの配球が明らかに成長してきたことである。

 大昔、高校野球の投手でスライダーやフォークを投げる投手はほとんどいなかった。速いストレートと、どこへ行くかわからないが大きく曲がるカーブのコンビネーションが基本だった。その典型だった池田高・水野から本塁打を放ったPL学園・桑田が時代を変えた。アウトコースにきちんとコントロールされた変化球で相手を打ち取る、そのほうが確率が高くなったのだ。高校野球でも、アウトローの変化球全盛時代になったのだ。

 やがて打者の技術が上がり、少々のフォークやスライダーは捌けるようになったころ、剛速球の権威を復権させたのが横浜・松坂だった。ストレートと変化球のコンビネーションがなければ通用しない時代になったことを知らしめた。しかし誰もが松坂のような剛速球を持っているわけではない。あるいは、たとえ松坂でも持っていただけでは打たれる。

 そこで、キレのいいストレートをインコースへ、変化球をアウトコースへ、というコンビネーションが必要になったのだ。今回勝ち残ったチームは例外なく、このコンビネーションを持っていた。150キロを投げた辻内投手ですらそうだった。キレのいい真っ直ぐを懐へ攻め込めば、たとえ130キロ台の球でも滅多なことでは打てないのだ。宇部商・好永投手、長崎清峰・古川投手の両左腕はそんな好感を残す好投手だった。

 逆に失投は、かなりの確率で仕留められていた。センターへの大きな本塁打が多かったのは、攻めにきてインコースへ入りきれなかったボールを叩かれたのだ。それでも攻めなければ打たれる。勝負の分かれ目が以前よりも厳しくなってきたのは技術が上がった証拠である。

 

 もうひとつの成長は、チーム全体に試合を読む力がついていたことである。今大会は逆転の試合、しかもドラマティックな試合が多かったが、それは偶然ではなく、負けているチームが、意識的に攻めて逆転を狙った結果なのだ。この意識の高さは驚くべきもので、正直、NHKの解説者のスタンダードなセオリーの説明が時代遅れに聞こえるほどだった。

 たとえば5点負けている7回、先頭バッターが四球で出たとする。セオリーなら、動かずに、ランナーが溜まるまでじっとしているところだろう。だがそんなことをしても逆転が期待できるほど、今大会のレベルは甘くない。ならばどうするか。こちらから動くしかない。動いて、得点だけでなく、試合全体のモメンタムを自分の側に持ってこなければならない。

 きっかけはわずかでいい。相手のエラーなどは格好だが、相手投手の連続四球でもいい。今大会目立ったのは、それまで好投していたピッチャーがセンターに豪快な一発を叩き込まれて動揺して崩れる、というものだった。この程度のことでの崩れはこれまでではなかったことだ。その動揺を、セオリーに反してでももう一歩突っ込んで攻めて、試合の流れを手にしなければ逆転できない、そんな試合が多かった。

 2回戦屈指の試合だった済美−清峰戦は、済美がKOされたエースを剣ヶ峰でマウンドに戻し再び3ランを浴びたのだが、これは逆転をするために試合の流れを取り戻そうとした賭けであり、そのリスクは仕方がない。だが成功した試合も多かった。3回戦、エラーで出たランナーを無謀にも動かして6点差をひっくり返した京都外大西−関西戦、2点差を追う9回表無死一・二塁からバントを使わず強攻策で逆転を狙った宇部商−日大三戦、いずれも試合の「流れ」を手にするための果敢な攻めが実ったものだ。

 

 そんななかで、優勝した駒大苫小牧高校である。

 とにかく夏の連覇というのは57年振りである。1948年の小倉高校以来である。小倉高校と云えば、そのエース福島投手が1・2年生のときに選手権を連覇(九州の学校の初優勝だった)、2年生の時には5試合連続完封45イニング無失点という途方もない記録を作って以来である。

 この小倉高校、最初の優勝のときはまだ旧制中学だったというお伽噺のような昔である。全国各地に野球が普及し、レベルも上がっている現在では椿事と呼んで差し支えない。あの尾崎の浪商も、柴田の法政二高も、畠山・水野の池田も、桑田・清原のPLも果たせなかったことである。

 だから、これはもう手放しに絶賛されていい。それは、スーパースターがいたわけではなく、勝負を勝ち取る力が勝れていたのである。駒大苫小牧もまた、他の学校と同様、不利な試合を逆転するために果敢に攻める姿勢と力を持っていたが、何が違うかといえば、その力が、ベンチだけでなく選手自身にもあったことだ。これは駒苫にあって、他校にはなかったものだった。

 特に、一番打者で主将だった林選手のプレーは高校野球史に特筆されるに相応しいものである。常に試合の流れを読み、勝っているときには堅実な、勝負どころでは強気に賭けるプレーは見事だった。

 準々決勝、5点負けていた鳴門工戦の7回裏、先頭打者でライト前ヒットで二塁を狙ったのは、確率で云えば1対9で失敗する無謀なプレーだったが、この確率に賭けなければ2点差には迫れても逆転はできないという勝負に出たプレーだった。ここから鳴門工の田中投手も守備陣も崩れた。準決勝の大阪桐蔭戦、同点の10回表も、辻内投手の直球を一か八かで強気にひっぱたいて左中間を破り、最後は決勝のホームを踏んだ。決勝の京都外大西戦も、同点の7回裏、セーフティーバントで一塁に頭から突っ込んで出塁し、決勝のホームを踏んでいる。

 いずれも、セオリーではやっていけないプレーである。しかし、試合の流れをつかむという強い意志が働いたプレーが、チームを勝ちに導いているのである。その背景となるディフェンスも素晴らしかった。大会を通じて2失策しかなかったが、それ以上に、おそらく20本前後は通常ならヒットになっている打球を防いでいるのではないだろうか。

 昨年の遺産というべきだろう。秋には北海道の地区大会で初戦負け、選抜でも初戦敗退と苦しんだが、昨年培った実力をきっちりと今年発揮した。今年のメンバーにも多くの2年生が残っている。3連覇となると大正以来になるが、来年が楽しみである。

 

 これほどハイレベルになったとはいえ、地方の学校でも活路はある。守備を固め、バッテリーが剛速球はなくてもきちんと攻め、自力で押されていても試合の流れを読んで勝負をかける。

 そうした試合をしていけば、このレベルの高い戦いの中でもやっていけそうである。金に任せて有望中学生を集めてもあまり意味はなさそうだ、ということもわかってきたし、何よりこのような攻撃的な野球は、投げて打つという野球の基本的な楽しさを感じさせてくれる。高校野球を興行としてみているわけではないが、一介の野球好きとしても、これはまた目が離せなくなってきた。

 


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