第446回 ニッポンの、リベラル?(2005/10/25)

 

 出張中であまり時間もなかったが、それでも、幸いにしてホテルが高速回線だったので、世間とはかろうじて繋がっていた。

 いちばん面白かったのは、例の「虚偽メモ記事」問題で、朝日新聞の偉い人が田中ヤスヲ長野県知事にご説明に上がった話だった。詳細は長野県のホームページで公開されている(何と音声まで!そこまでせんでもいいかなと思うが)から見てもらったらいいと思う。

 どちらの主張にお味方されるかは読む人の自由だが、僕は、やっぱり朝日ってすごいなあ、と思う。検証をするのに、当事者の声を聞かないというある種の慇懃無礼さである。自己検証をすればそれで検証は終わり、というのがほんとうにすごい。内部検証をした上で、相手方の当事者にも確認をするというのが筋道のような気がするが、そのことを朝日の人は真っ向否定している。天下の朝日新聞が自己検証をしたんだから、それ以上のことはない、とでも云わんばかりである。

 これだけ世の中、政府政権によってメディア報道がコントロールされてしまう状態にあって、これは非常に危険な考え方だと思うのは僕だけだろうか。もし僕が新聞社によって誤報に遭ってしまい、その被害回復を求めたときに、新聞社は自己検証だけで僕の意見を聞かずに幕引きしてしまう、というのである。えー。おっかない世の中だよねえ。

 しかも、県知事の公式の発言はその肩書きの重みからして検証の必要もないんだそうだ。町長さんはあるらしいけど。すると総理大臣はどうなるんだろう。そのうち大本営みたいになるんじゃないか、という危惧さえ抱かせる。

 日本のリベラルって、こんなにだらしないものだったのか。いやそうだとはわかっていたが、こうもあからさまに見せ付けられる日が来るとは。

 

 もうひとつ、ヤスヲ知事は大事なことを指摘している。今回朝日さんは、今回のこの幕引きに、誤報を犯した記者の「自己責任」を追及し、その管理者の「自己責任」を問うただけで終わっている。しかしまあ、日本の良心的リベラルを代表する新聞がそれはないんじゃないの、ということだ。

 この場合の「リベラル」とは、非常に日本的な意味での社会主義的なリベラルだけど、人の行動は個人の責任でもあるけれど、程度の問題はあるにせよ社会構造の産物だ、という意味である。

 つまり、(以下は非常に問題のある発言だがあえて極端な例として挙げる)在日外国人が横暴な犯罪に走ったり、プアな若者や浮浪者が暴動に走ったりしたとき、朝日新聞ならこう云うはずなのである。彼らの行動は確かによくないが、しかし、その行動の元にある差別や貧困を無くさないかぎり、問題の解決にはならない、と。

 僕個人としてはこの主張は尤もだと思うし、書いた記者が自分はソファにふんぞり返って庶民に思想善導よろしく御説を垂れている、という状況への腹立ちを除けば、どんどん主張してもらっていいと思う。なにしろ昨年来自己責任ムーブメントが続き、どこかでこういうことを云う拠点を残さないことには社会そのものが存亡の危機、という状況でもある。

 

 であればこそ、である。身内の事件にもその態度を貫いてほしいわけだ。

 こういうご時世だから、ミスを咎められて一発で解雇される社員がいろんな会社で出てくるだろう。しかし人間誰しもミスはあるし、何よりミスは常に権力的に弱い者のミスとして立ち現れてくるから、上司はトカゲの尻尾切り的に部下を解雇して己の身を守ろうとする。そのことは、貧富の差を拡大し、社会問題の解決をさらに困難にしていく。

 それを追求すべき朝日が、身内の構造的問題には触れずに社員の自己責任を問うただけで終わると、きっともう取材する資格を無くしちゃうよ。それは僕としても、いささか困った事態な訳なのだ。

 そのことが、この朝日のお偉方さんに分かってもらっていないのか、分かってもらっている上であえて発言しないのか。大事なところなんだけど、かなり寂しい。

 

 にしても、ヤスヲちゃんに期待するよりほかないというのも困ったものである。自分は保守だけど、リベラルに期待したいが、期待する先は信州か。そのヤスヲちゃんも小泉さんには通用しなかったことが、ますます気分を暗澹とさせる。

 


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