第460回 三十路の大人の走り(2005/11/20)

 ぽや〜っと、東京国際女子マラソンを見ていた。取り立てて見ようと思っていたわけではない。「アタック25」を見ようと思ってチャンネルを回したら、高橋尚子さんが走っていた、というだけのことである。

 

 いい走りだった。

 マラソンという競技は実に面白い。人生にたとえられるほど、長い時間である。しかも、れっきとした陸上競技でありながら、タイムよりも勝負が優先される。スプリント競技は「世界記録」だが、マラソンは「世界最高記録」である。コースも、季節も、天気も、ことごとく条件が異なる。その中で勝つことの重み。

 実際、ベルリンやロンドン、あるいはロッテルダムといった、いいタイムを出すために整備されたマラソンよりは、起伏やカーブが相応に揃った都市マラソンのほうが断然面白い。そこでの勝負には、人生の一面が出る。今回も実に複雑な思いを込めてみていた。

 彼女はわずか8戦か9戦しかマラソンを走っていないが、負けた、というより優勝できなかったのはわずかにデビュー戦と2年前の東京国際だけである。驚異的な強さであることは云うまでもない。しかし、シドニー五輪で彼女が信じがたい(あの暑さの中で、2時間22分?)というタイムで完璧な勝利を飾り、ヒロインになっていたころにも、彼女の強さに一抹の脆さを覚えていたものである。

 

 それは、何というのかなあ・・・。無垢の強さというべきか。怖れを知らぬ人間が、よき庇護者を得て無闇に打ち込んで、しかし才覚はあるから見事に一本を取ってしまうという類の強さである。

 自分には強さも才覚もないのでどうという立場でもないのだが、そのことを真の強さに捉える向きがあったのが、どうも気に入らなかった。名伯楽は名伯楽としてあっていいのだが、弟子は伯楽の楽しみのためにあるのではない、という思いが抜けなかった。

 そこで生まれた、2年前、アテネ五輪選考を兼ねた東京国際の大失速。そして、世界記録保持者でありながらの代表落ち。

 小出監督の下を離れた高橋さんの決断を、何ともはっきりしない気持ちで見ていた。無垢の強さを持つ彼女が、指導者を離れて大丈夫なのか。しかしもう一段階伸びるためには、彼女は指導者の下を離れなければならない、という決断もわかる。

 いずれにしても、三十路を過ぎての大人の決断である。誰もがやらなければいけないが、そう簡単にできるものではない。世界の頂点を見極めた人のみができる決断かもしれないが。

 

 その後も、足の骨折があったり、市民マラソンに出たり、スポンサーを募ったがそこが撤退してしまったりと、いろいろ労苦も絶えなかった。独立すればそうなることはわかっていたことで、チームのメンバーの支えなくしてはできないことだったろう。

 マラソン常勝の彼女にとっては、今回の一勝もただの勝利に過ぎないが、しかし、これまでの走りとはまったく異なっていた。大人の強さ。名人の強さである。シドニー以上に、今回は楽勝だった。それでも、おそらく苦しい時間を分かち合ったチームのメンバーと抱き合う姿、そして、名伯楽が巣立ちしていった弟子に万感の拍手を送っていたのが印象的だ。

 決断は、決断した時点ではその重みがわからない。この勝ちっぷりは見事で、勝利によってその決断の重みがわれわれに伝わってきたのは確かだが、しかし、たとえこのレースに負けていたとしても、彼女自身にとっての決断の重みは変わらなかっただろう、それぐらい強い決断だったのだろう、と思った。また、巣立ってこそ、師弟の絆の評価も定まる。勝負という面において、彼女は確かに名人への一歩を踏み出した。

 レース後のインタビューで、マラソンとは関係ない多くの人に向けて彼女が語っていたのを、やや五月蝿く聞いた人もいるかもしれないが、それはそれ。三十路を過ぎての彼女の大人の決断に、敬意を表したい。

 


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