

第461回 考えすぎかもしれないが(2005/11/29)
民主党の西村真悟議員が逮捕された。
そうだった、彼は民主党だったねえ、と改めて思い返す。いささか浮世離れしたナショナリスティックな言動が重なっていた人だったから、その印象がある。
北朝鮮による拉致問題では、自民党の平沼さんとともに議員連盟の幹部で、平沼さんが小泉さんに誘われて運動から足を洗った後は主役を演じていた。尖閣諸島に日の丸を掲げにいったことも印象深い。いかにも自民党のタカ派っぽかったんだけど。
もちろん、弁護士の名義貸しというのは、この法治国家においては微罪と云うにはちょっと大きな罪であることは事実であるが、それにしても、何もかも規定路線のようにあっけなく逮捕されたなあ、という印象が残る。
心中比べているのは、鈴木宗男代議士のときのことだ。変な言い方だが、あのときにはドラマがあった。自民党を離党する涙の会見といい、逮捕されるときの盛り上がり方といい、北海道のオヤジの涙は善かれ悪しかれ政治への人々の関心を引いたものだ。まだあの時は、ムネヲ逮捕でこの国が得るものと、失うものを比較衡量する気力があった。
どうも、それがない。何となく逮捕され、何となく消えていく政治家たち。政治への関心を、つまり、政治を通じて話し合いを行い、自分の権益や権利を主張するという、民主主義の基本的な手続きを行うことへの関心を上手に消滅させたところに、現今の与党の状況がある。
こうした「政治」は汚いという。当たり前だ。人間が、分配をめぐって争う姿はいつでも穢らわしいもので、そこに本当に絶望した人が出家遁世するのだ。多くの人は、この娑婆に留まることを決め、あるいは文句を云いつつも留まらざるを得ない。
そんな人にとっては、民主主義的政治過程は非常にまともな制度のはずなのである。それがいやなら、力関係剥き出しの社会に戻るしかない。そして、上手に民主主義の衣をまといつつ、金と権力の階級意識に染まっていることにも無自覚なオバサンたちが、「あたくしがみなさんの代表ですのよお」と代議士面しているわけである。
面、っていうか、代議士なんだけどね。それはそれとして、紛うことなき民主的政治プロセスを経て選ばれているからそうそう文句も言えないのだが、しかし、何のための民主的政治プロセスだったのだろう?どんな価値観のための?
それを紐解くには歴史を省みるしかないし、それは長くなるのでやめておく。かの大目玉村上ファンドさんが云う「コンプライアンスがちがち」というのとは違う。法に定められたプロセスを守ることがいま「コンプライアンス」と呼ばれているが、本来は、法によって定められ、プロセスによって守られている価値観に従うことが大事なのではなかろうか。
その価値観を創造するための、司法であり、政治であったはずなのだ。しかし政治を無意味化することで、そのことが我々の手から遥かに遠のいてしまう。
非弁活動に一枚噛んでいた、というのは確かに罪だが、しかし、現政権の幹部も絡んだ一億円の現金収受のことを思い出す人は少ない。これでいいのだろうか?