

第472回 金持ボンボンハ貧乏人ノ魂ヲ侵すベカラズ(2006/01/29)
小泉後を睨んだ政局の動きはなかなか慌しい。耐震偽装の処理からホリエモンの一件まで、僕としては小泉−竹中ラインと反小泉−竹中ラインの攻防戦と見ていたのだが、あちらこちらのブログでは小泉&竹中ももはや一枚岩ではない強いていえば西南戦争の終局で自刃前の西郷・片桐関係かという声もあり。
その一方では民主党の鳩山さんがホリエモンに絡んで自民党が金の動きをしていたとかなり自信満々に匂わせており、今後に注目。さすれば、沖縄のカプセルホテルで両手首と腹を掻っ捌きつつ血の海の中で非常ベルを鳴らすという謎の自殺を遂げた男のことも、明らかになるとは期待できないまでも多少は迫れるであろう。
そんなことより今日気になったのは、ポスト小泉の有力候補の一人である麻生外務大臣の発言。「祭られている英霊からすると、天皇陛下のために万歳と言ったのであって、首相のために万歳といったのはゼロだ。天皇陛下の参拝が一番だ」とのこと。麻生さん、確か首相の参拝には否定的だったが、陛下のご参拝にはゴーサインというわけである。
この、天皇陛下ご参拝というのはナショナリストとしては究極の目的のひとつである。何しろ靖国は天皇陛下の勅命によって創建された神社である。近代日本の中に反近代的要素を巧みに組み込んだこのシステムが、この前の戦争の責任を対外的にばかりか対内的にも隠蔽していると批判はしている僕ではあるものの、やはり、心のどこかでは陛下のご参拝を願わないわけではない。
ただし、である。麻生さんのキャラクターのせいもあるのかもしれないが、発言が軽い。陛下が靖国の境内に向かわれ、英霊幾万柱に頭を下げられる、ということは、一介の麻生何某が軽々に論じる話ではなかろう、と思うのである。(同様に陛下のご参拝を求めている石原何某にも同じ苛立ちを覚える。)
ごくかいつまんで云えば、先の戦時中、田舎の貧乏人の子弟が陛下の赤子として酷寒の北支、灼熱の南洋で戦っていたときにも内地でぬくぬくと暮らしていたブルジョワの子が、「英霊は天皇陛下万歳といって死んでいったのだ」と偉そうに語るという構図に苛立っているのである。
古代から現代に至るまでいつも前線で死ぬのは貧乏人の子たちである(アメリカ軍の兵士構成が人口比よりもはるかに黒人貧困層の子弟で占められていることからもそれは明らかだ)。現実としては、多くの貧乏人が金持ちの資産と権利を守るために戦うというのが近代国家の戦争である。でもそれだけと戦争にならないから、みんな大義に殉じて死んでいく。
それはそれで仕方のないこと(<語弊大有り)と思っている節も個人的にはあるが、しかし、多くの兵隊が戦場を駆け回っているときに政治家と姻戚関係を結んでセメント工業で大儲けしたり、小樽の料亭で派手に座敷を上げているような家の子に英霊が云々されたかない。繰り返して云うと、そうしたブルジョワ的な行為や構造というのはどういう形であれ必然でついてくるもので否定しても仕方がないのだが、貧乏人の魂にまで越境して来ないで欲しいね、ということなのだ。
かくして、プロレタリアートにしてナショナリストという心情右翼の立場が鮮明になるのである。右の人から見ればただのマルキストだし、左の人から見れば第一次大戦の折インターナショナルを裏切ったドイツのプロレタリアートみたいに見えるんだろうなあ。かくしてひとり宙吊りになるワタシ。