第474回 民主党から発する、いや〜な匂い(2006/02/18)

 

 先週末から、民主党の永田議員が追及している、武部幹事長とホリエモンの関係を示すメールで世間は盛り上がっているが、その後の展開がなくて困っている。個人的な感想をいえば、というか、多くの人がそう思っているだろうけれども、メールはちょっとできすぎている。発信日時といい、内容といいである。いくらホリエモンがバカだ、と想定しても、まさか堂々と「選挙コンサルタント資金」などと記録に残るメールに書き付けるほど緩んではいなかったろう、と考えるのが常識的というもの。

 そういうメールだから、首相も「ガセネタ」と強気に出ているし、その一方で民主党側はまったく新しい証拠を出せていない。引っ張って引っ張って、首相や自民党側が調子に乗ったところで二の矢、という振りだったらいいんだけど、ここまでの民主党を見ていてそういう芸当ができるとは思えないところが危ない。

 個人的に、最も危うい、と思っているのが、この爆弾発言が永田さんから出ていることだ。民主党には逸材も少なくない。耐震偽装で頑張っている馬淵さんや長妻さん、佐賀の原口さんに飲兵衛キャラの河村さんとなかなか揃っているのだが、永田さんのタイプがいちばん危ない。危ないというのは、いちばん民主党的な匂いがするのである。その匂いとは、「俺は賢くて行動もできてこんなにきちんと考え説明もしてやっているのに、ついてこられない連中がバカだ」という匂いである。もちろん、僕は党首にもそれを感じている。

 

 永田さんは東大から大蔵省のいわゆるエリートなのだが、およそ政治家とは思えないことを口走ることがある。去年の国会論戦でも、いろいろな局面でスキャンダラスに切り込み善戦していたのだが、いざ採決で完敗した結果を見せられると、「世間がついてきませんでしたから」と簡単に言ってのける人なのだ。

 世間がついてこなかったから、ではない。ついて来させられなかったあなたがイカンのである。もし「世間がついてこない」と言い捨てるセンスしかないのであれば、安穏と財務官僚をやっておればよかったのである。しかし政治家である。政治家とは、もちろん、権力中枢に近づくことでもあるが、第一義的には、わがままで面倒でしょっちゅう利害が対立している国民たちの調整をし、意見をまとめることにある。それが嫌ならおりてもらったほうが、国民としてはよっぽど幸福なわけである。

 で、センスがあるかというと、そうでもない。残念ながら、馬渕さんや長妻さんと比べると遥かに落ちる。この人はいつもスキャンダルで切り込む。スキャンダル、というのは、本題と少しずれた、という意味だ。耐震偽装なら馬淵さんあたりだと、みんなの答弁を引き出しつつ、「で、結局誰に責任があるの?」というふうに問い詰めていくところ、永田さんは「あなたは首謀者の何某と関係があった!だから責任があるはずだ!」と突っかけていくタイプである。その突っ掛けのきっかけとしては、スキャンダルしかない。

 そういうわけで、今回も、フリーの記者が持ってきたというネタに飛びついた危険性はある(もちろんまだ憶測だが)。このやり方も危うい。もし相手が真正の記者なら、ふつう、週刊誌か何かに流すところだ。小泉政権のメディアコントロールも週刊誌にまでは及ばず、特に、耐震偽装等の問題での週刊文春の健闘は目を見張るものがあるがそれはさておき、フリーの記者が、金になる雑誌掲載の前に議員に持ちかけるというのはどうも合点がいかないのである。

 その上、こういうやり方は、当然、永田さん側、すなわち民主党側が、最後まで詰め切る自信がないと出せるものではない。永田さんは、「立証できなければあなたが危ういよ」という自民党の声に、「言論封殺だ、100%の証拠がなければ嫌疑をあげることもできないのか」と反論しているが、ここは自民党に理がある。

 これは裁判ではない。裁判であれば、ある程度の証拠があれば嫌疑があるからと提訴することもでき、それに反論することもできるが、これは政治なのだ。小泉さんがいみじくも、「私は被告ではないし、永田さんも検察ではないでしょう」と述べたとおり、国会論戦は別のロジックで動いている。この疑惑を詰め切れなければ(たとえば明らかな証拠を出す、証言を引き出す、検察が動くまでの嫌疑に持っていくことだが)、永田さんの政治的、言論的「負け」なのだ。立証責任とかいった法理論的な議論はここでは正直通用しないと考えたほうがいい。

 なのに、自分から大博打を打っておきながら裁判紛いのロジックに固執する永田さんの姿は正直カッコいいとは言い難い。博打を打つのなら予めメールの存在を週刊誌にリークして状況をよくするとか、そういった手を打つべきだったにもかかわらずそれをせず、逆襲されて「何を以ってすれば信用に足る証拠といえるのか、総理の側から示すべきだ」などというロジックともいえぬ子どもじみたことを言っていては、私ならずとも「大丈夫か民主党?」と思わざるを得ない。

 

 今回のことがどういう顛末になるかはわからないが、教訓は引き出しておくべきだろう。これは政治の舞台での話しだ。同じことを司法でやられたら困る。国が、地方自治体が何か暴挙に走るとする(沖合いにおよそ成功の見込みのない空港を利権のために作ったり、イベントを誘致するための資金が書かれた書類を焼き捨てたり)。

 これを僕が「公共の利益に反している」と訴えるとする。現行法制では訴えることができる。まったく証拠がなければ棄却されて終わりであるが、100%でなくてもある程度の証拠があれば訴えを起こすことができ、司法の場で立証過程に入ることもできる。少なくとも、「お前絶対立証できるのか、できるんだな」と脅されて泣くことはない。アメリカなどでは、BSEの危険性を指摘した記者が、100%の立証がないという理由で業界団体と裁判所に叩き潰されたりすることがあり、そうしたことが牛肉輸入問題につながっているわけだが、幸い日本ではまだ状況はそこまでひどくない。

 だが政治では違う。論理的にやらねばならないところは同じだが、依拠する論理が少し違う。司法の場の論理が相手を論破することにあるとすれば、政治の場の論理は、ロジックを立て相手を論破しつつも、相手を社会から排除できない以上現実的な解決策を模索することにあり、そのためには一見妥協と思われることも腹芸も十分ありうるわけだ。勢いは作らなければいけないし、といいつつ、勢いだけで相手を潰すのも難しい。今回、永田さんも、おそらくは前原党首も、小泉自民党がここ数年で始めて見せた劣勢という勢いに、この正義の爆弾を叩きつければ成功する、と踏んだのだろう。しかし世の中はそんなに甘くない。

 喩えとして適切かはわからないが、ちょうど一年前の朝日新聞とNHKの戦いを思い起こせばいい。あのとき、NHKは不祥事以降の受信料収入の激減で非常に弱っていた。その流れに、「NHKは政治家から圧力を受け従軍慰安婦の番組を改変した」という爆弾をぶつければ、勢いもあって叩き潰せる、と朝日新聞は踏み、ややリスクの高い記事をぶち上げたのだろう。事実関係としては、NHK幹部が政治家から「何らかのかたちの」圧力を受け、他律的にか自主的にかわからないが最後の最後で編集に手を入れたことは間違いないだろう。

 ただし、そこをきちんと取材できず「おそらくそうに違いないと“信じるに足る状況があった”」段階で、世論の勢いもあるし何とかなるや、と爆弾を爆発させてしまった。だが結果は逆だった。よりダメージを受けたのは朝日新聞のほうで、それどころか、本質的には最も重要だった「圧力による番組改変があったのか」という問いそのものをも稀薄にさせた。事実関係についてNHKが免罪されたわけではないが、この一連の動きについての朝日新聞の罪は重い。それは世間、政治でものを考えられなかった幼さというべきだ。

 

 今回の永田さんの爆弾にも、同じようなものを感じる。確かに勝ちの流れのなかで、正義の大爆弾を爆発させたはずなのに、民主党が思っている以上に世間がついてこない。その焦りのようなものも週末には見えているが、焦れば焦るほど本来民主党がなすべき本質の議論は遠のいていってしまうだろう。そのかぎりでは、上手に本質から争点をずらした小泉さんを、民主党が裏側から助けてしまっているという皮肉な構図になっているのである。

 僕としてはこれで自民党がどうなろうと、民主党がどうなろうと半ばどうでもいいといえばいいのだが、ただ、自分が生きていくうえでの社会として、そういう本質から常に外れていくような論理構造が蔓延するのは困るな、とは思う。尤も、もはや知らぬ間に僕の骨の髄までも滲み込んでいるのかも知れないが。

 


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