第478回 トゥーランドット荒川は命じた。「誰も寝てはならぬ」(2006/02/24)

 

 早々に目が覚めて、眠い目をこすりながら女子フィギュアスケートの決勝を見ることができた。安藤美姫はともかく、荒川、村主両選手の滑りは素晴らしかった。今回のオリンピックなぞどうでもいい、と思っていたのだがやはり魅了された。美しいものはいいものだ、ということを改めて実感させられた。荒川選手は金メダルで村主選手はメダルに届かなかったが、あのイリーナ・スルツカヤが、不調とはいえこの二人の演技に明らかに気圧されていた。

 

 取り立ててオリンピック・イヤーでなくともスポーツは始終見ている僕としては、本音のところではスルツカヤに勝って欲しかったのだ。とっととプロへ転向していく選手が多いなか、ミシェル・クワンとイリーナ・スルツカヤの二人がフィギュアの真髄とでもいうべきものを見せてきてくれていた。クワンは故障で今大会出場できず、スルツカヤに勝って欲しかったのだが、そんな気持ちを素っ飛ばすほどの快演だった。

 好き嫌いはあるだろうが、JCでNHKの刈屋アナウンサーと元世界王者佐藤さんの実況でよかった。フジの塩原さんと八木沼純子さんではこういう感慨はもてなかっただろう。刈屋さんは、日本ではなく「アジアで初めてのオリンピックチャンピオン」と云ったし、佐藤さんは感慨深げに「君が代が聞けるんですね…」と呟いた。ともに長くフィギュアに関わり、この世界を知り尽くした人のコメントである。

 この二つのコメントは、オリンピック、特に冬季オリンピックというものの本質を示唆してあまりある。もともとが冬季競技というのは金がかかって道具も必要な金持ちの遊びであり、なかんずく、欧州貴族の遊びだった。裸一貫速く走れば何とかなる夏とは違い、いまだ冬季オリンピックで黒人が活躍できないのは、その障壁ゆえだ。

 なかでも、「美学」が要求されるフィギュアではその要素が強かった。ドガの絵ではないが、金持ち貴族が美しい小娘の踊りを見て楽しむという残酷な匂いがまだフィギュアスケートには漂っている。伊藤みどりは、残念ながら美人とはいえずスタイルも抜群とは云いがたかったが、それでも、その卓越した技術で「美学」の世界に斬り込んだ。そして初めて世界選手権のタイトルを取ったが、オリンピックには届かなかった。

 だが時代は変わった。日本人が、いやアジアの選手が、欧米の選手たちよりも、明らかにフィギュアとしてすぐれた演技をしつつある。村主選手はもはや外国人選手よりも「美学」に忠実な演技をし、圧倒的な表現力を身につけた。本来3回転であるべきところ2回転に判定され、ジャンプがひとつ点数としてカウントされなかったなどといった次元を遥かに越えた、フィギュアの真髄に迫りつつある。新採点法に振り回されて不振に陥った荒川選手は、自分の納得する表現と技術という原点に立ち返って他を圧倒した。長丁場となった新しい舞台で、スルツカヤをはじめとする欧米の選手がスタミナを失い、足に疲労を溜めて疲れていくなかで、荒川・村主が別世界のオーラを放っていた。

 繰り返すが、時代は変わったのだ。それも、欧米貴族の遊びの場であるオリンピックの舞台で。Fumie Suguri、Shizuka Arakawaという聞き慣れぬ音を持った東洋からの来客は、かつてのように技術だけを持って猿真似をするのではない、欧州が磨いてきた美学の本質に迫った。そして日の丸は君が代とともに、中央にあがる。メダルばかりが五輪ではないが、これはただの五輪ではない、ひとつの、歴史的な一ページだ。

 冷徹かつ端整な容貌で、妖艶な雰囲気まで醸し出して舞った荒川選手の姿。その姿を、プッチーニの異国趣味が虚像として描き出した紫禁城内奥に棲む美しい皇女トゥーランドットに重ねた、イタリア人をはじめとする観客は少なくなかったはずだ。皇女は命じる。「今夜は誰も寝てはなりませぬ。」人々は高らかに称えよう、鮮やかな演技で誰も寝かせてくれなかった、時代を画する誇らしげなオリンピックチャンピオンを。

 


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