第10回 オランダ・イタリア紀行 Vol.1

だいたいからして僕は計画性のない人間なので、いつも旅は突然思いつく。この旅にしても、前の仕事が2月の二十日過ぎに終わり、ああもう疲れた〜という気分のなかで突然思いついたのだ。そして例によって、H.I.Sに無謀な注文をする。

「あの〜、来週からオランダに行きたいのですが」
「へ?」

と言いつつ何とかしてしまうところがH.I.Sのすごいところである。土曜日にお願いして、次の週の火曜日には、その週の土曜日発のKLMオランダ航空のチケットをとってしまった。さすがだ。

 この時期、何と言うかもう、大変に辟易していた。ハワイ沖で愛媛県の水産高校の実習船がアメリカ海軍の潜水艦に体当たりを食らってあっという間に沈没、9名の方がいまだ行方不明だ。
 そのさなか、森首相(当時)はチョコレートを賭けてゴルフを楽しんでいた。しかもゴルフ場からは会員権の提供を受けていた。
 中学生は先生を刺し、食事に出かけた若夫婦は子どもをコインロッカーに入れ、車泥棒は後部座席にいた二人の子どもに驚いて、その二人をダムに突き落とした。そんな国の娯楽に供するための製品を作る仕事に、3ヶ月を費やした。

 なんてこった。とにかく疲れるぜ。勘弁してくれよ、こんな国。

という気分で、リフレッシュというよりはエスケープのために海外脱出を決心したのであった。

 

さて、なぜオランダなのか。なぜイタリアなのか。

 大学で国際関係論というところにいて、友人は帰国子女とか、帰国ではないがまあそれ並み、仕事もばりばりinternatinalという環境にいたせいか、海外体験が少ないことと英語ができないこと、英語以外の外国語にいたってはsurviveすることも難しいことは、オーストラリアの平原にそそり立つエアーズロックのように僕のなかでは巨大なコンプレックスである。

 最初の海外は意外に早く、小学校6年生だ。このときは上海と杭州に行った。小学生のときだから当然、漢詩の素養なぞないが、それでも蕭湘八景に数えられる西湖の美しさは忘れがたい。

 しかしその後徹底的にドメスティックな人生を送り、世の大学生たちが安い海外ツアーに現を抜かすときにもこの国から目をそらすことなく、次の海外は13年後、ロンドン、ケンブリッジ、カンタベリーなどイングランド南部地方とフランスはパリを旅したときである。当時ケンブリッジとパリに留学中の友人を訪ねての旅であった。

 パリの夕景、いろんな色の肌をした人たちが思い思いに歌って踊るトロカデロ広場から、今にも暮れなんとする空をバックにそそりたつエッフェル塔の美しさ、これもまた忘れがたい。シャイヨー宮に刻まれた、「私が墓になるか宝庫になるか、語るか沈黙するかは、行き過ぎるあなた次第です。友よ、欲することなく、ここに入ってはなりません」というヴァレリーの言葉もまた、忘れがたい。

 さらにその3年後、今度は初めての新大陸。ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンと、アメリカ東海岸を駆け抜ける旅をした。これについてはNY Diaryを参照のこと。

 新大陸を堪能した後は、またヨーロッパだ、と心に誓っていた。別にアジア蔑視のつもりはないが、僕は旅行の大半を美術館&博物館めぐりに使ってしまうという癖がある。田舎者で、人類の財産はテレビか写真でしか知ることができなかったから、どうしても本物があるところに憧れてしまうのだ。そういうわけで、ロンドンに行ったときは大英博物館で丸1日に費やし、ロゼッタストーンに触ってきた(<いけません)。ついでにシャーロックホームズの家でも半日を費やした。

 パリではルーヴルで三日間ぐらいつかいたかったのだけれども、ちょうどオルセーがお休みだったこともあって、丸一日を使うのみにとどまった。サモトラケのニケも見た。モナリザも見たし、ミロのヴィーナスも見た。大満足だ。これだけ見たら死んでもいいと思っていた。

 が、人間の欲望がそう簡単におさまるわけはなく、次のものが見たくなる。そこで、NYへ出かけてメトロポリタン美術館には都合三日足を運んだ。それでもまだ見たりない。ワシントンのナショナルギャラリーでもほとんど一日を費やしたが、全然見たりない。

 また行かなければ、という気持ちは強いが、僕の人生のモットーは「広く浅く」である。とりあえず、ざっとひととおり見ておかなければ気がすまない性質なのだ。次に行くとすれば、ローマの古代遺跡とヴァチカン美術館、そして、フェルメールを愛してやまない僕としてはオランダのアムステルダムとハーグで彼の名作の数々を見ておかなければならない、と思っていた。

 折りしも、オランダでは日蘭交流400周年の記念の年で、何かと面白いことがあるらしい。ハーグでは学生時代の友人が国際機関に勤務していて、彼女と久しぶりに会う、という楽しみもある。そして、嫌になるぐらい憂鬱だけどふだんは離れられないこの国から、しばらく離れるだけでも息が楽になるのではないか、という期待もある。考えが変わるかもしれない。そういうさまざまな過大な期待を抱いて、旅に出ることにした。


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