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第47回 オランダ・イタリア紀行 Vol.10
アムステルダムの町の風情、いましばらく続く。
クラシック音楽フリークの僕としては、どうしても拝んでいかなければならない場所がある。アムステルダム・コンセルトヘボーだ。コンセルトヘボー(concertgebouw)は、オランダ語で「コンサートホール」の意味である。
ここを本拠地にしているのが「王立アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団」だ。初めて聴く人にとっては変な名前だろうが、1888年以来活動し、ヨーロッパの管弦楽団の中でも屈指の歴史と伝統を誇る。弦楽のアンサンブルの美しさと、ホールの響きのよさが有名で、かのグスタフ・マーラーは何度もここで指揮棒を振っていて、バーンスタインはマーラー全集のうち何曲かをこのオケで録音したはずだ。リヒャルト・シュトラウスは『英雄の生涯』をこのオーケストラに対して献じているのである。
僕がクラシック音楽にはまり始めたころ、カラヤンがベルリン・フィルを振り、ショルティがシカゴ響を振っていた。ここのオーケストラはハイティンクという、カラヤンやバーンスタインに比べれば冴えない禿頭のおっさんが指揮者だったのだが、実に堅実な演奏で、カラヤン=ベルリンフィルのような重戦車的な演奏とは一線を画していた。おかげで僕の頭の中には、この建物の外観とともに、コンセルトヘボウ=伝統的、という図式が出来上がってしまっている。(ベルリンのホールは戦争で壊れたものだから、大変近代的だ。)
幸い、その後、リカルド・シャイーが変わらぬ弦の響きを作ってくれている。コンセルトヘボーの向かいにあるいかにも古そうなCDショップに入ってみると、メンゲルベルク(1930年代〜40年代のコンセルトヘボーの指揮者)時代のLPがずらっとそろえてあって、なかなか壮観だった。
最近N響の演奏会のCDが日本でも売り出され始めているけれども、その埃臭さと伝統の厚みは比較しようもない。渋谷でN響の名演を、同じ感慨を持って見るためには、あと何十年必要なのだろうか。
アムステルダムにはもうひとつ、日本人が集まる美術館がある。ゴッホ美術館である。
「炎の人」という謎の冠詞を日本では与えられてるフィンセント・ゴッホは、1853年オランダ生まれである。フランスの印象が強いのは、彼がパリで過ごした時間が長いからであろう。有名な、彼がゴーギャンとけんかをした後自己嫌悪に陥り自分の耳を切り落とした事件は1888年、アルルでの出来事だった。ピストルでこめかみを撃ち抜き自ら命を絶ったのも1890年7月27日、パリ近郊のことであった。(下は所蔵のゴッホ自画像)
この美術館ができたのは1973年と比較的新しい。が、オランダの熱意なのだろうか、コレクションは非常に充実している。ゴッホの絵画については、語りうるほど精通しているわけではないのだが、それでもやはり印象に残る名作はあるのであって、羅列気味であるがざっと書いておきたい。
「ジャガイモを食べる人々」は、ゴッホの実質的なデビュー作なのだが、描かれたのは1885年のことである。何と27歳のときで、5年後には死んでしまっている。遅咲きといえば聞こえはいいが、それまで何をしていたかといえば画商、フランス語の教師、神学生、ベルギーの炭鉱での伝道師など、職を転々としていたらしい。
とにかくこの絵から伝わってくるのは、ふつうなら何らかの形で目をそらそうとするペシミスティックな現実を、宗教的な情熱をもって描き出していることだ。しかもそれが、激しい筆のタッチで描かれているから余計に強調される。
これはまだ、彼がオランダにいるころの作品だが、このあと彼はパリに移住する。
パリの軒並み、とでも訳すのだろうか。英語のタイトルはroofs in Parisという絵だ。彼の目に映ったパリはこんなんであった。何と陰鬱な。印象派が栄華を誇っていた時代のパリとは思えない。彼は弟のテオとともに画商をもやっていたのだが、彼の絵は当然売れなかった。で、南仏アルルへ移住することになる。
そこで彼は、南仏の陽光に照らされたような色彩感覚豊かな絵を多産することになるのだ。これは『収穫』とタイトルがついている、僕がゴッホの中では大変好きな風景画である。写生に近いところにありながら、筆遣いはおとなしくなっていないので、全体に躍動感があるところがいい。彼はこの後も、農作業や畑の絵をたくさん描いた。
しかし晩年には、その写生的な側面が失われ、彼の精神の揺らぎがそのまま表出してくるようになる。上の絵は、1890年の『カラスのいる麦畑』として知られる作品で、麦のうねりも空の色も、そしてカラスの不吉な飛翔もすべてが悪い方向を暗示している。これだけ強い色を使いながら、よくも不吉なイメージを出せるものだ。
一説に拠ればこの絵は彼の最後の作品で、彼はこの絵を完成させた二日後に自殺した、という。あれ?「ひまわり」はどうした?『夜のカフェ』は?『糸杉』は?広重の絵を真似たやつは?とお思いの皆さん。先ほども申し上げましたように、この美術館は1973年開設なので、まだ全部を集めるというわけにはいかないのですよ。
むしろ、帝国主義時代のように先進国の豪商が札束で買い叩ける時代ならともかく、誰もが美術品に価値があると思っている20世紀も終わり4分の1からスタートしてここまで集めたのは美術館、とりわけゴッホ財団の努力は敬服しますね。また、この美術館には、ゴッホが弟テオに宛てた膨大な量の書簡が保存されている。彼はテオのことを心底信頼していたようで、何と700通を超える手紙を送っている。そのほとんどはこのゴッホ美術館に所蔵されていて、彼を研究する人にとっては宝の山だ。僕自身はオランダ語も読めないしゴッホ研究に生涯をささげるつもりもないのでざっとみただけだったが、館内には図書館も設置されていて、キュレーターと思しき人々が丹念に作業をしていた。いやはや、伝統の美術館、おそるべしである。
やはりこれだけの質量の美術館を一日で二ヶ所回ると、ひざも痛くなるし、なにぶん頭のほうがボーっとしてくる。
ほんとならもっとゆっくり見ていきたいところではあるが、そんなに自由な時間を使えるわけではないし、またたびたびやってこられるわけでもなさそうなので、「しっかりと」「つまみ食いをする」という相反する二つの作業をこなさなければならないところが、遠方の島国からやってきた人間にとってはつらいところだ。
緯度が高いので日の翳りは遅いが、とはいえ夕方になった。再びアムステルダム中央駅からオランダ国鉄に乗り、ハーグの宿に向かう。昨日のマーストリヒトといい、今日のアムステルダムといい大変寒かったこともあって、身体は疲れきっている。今日は早く帰って寝るべし。旅はまだ路半ばだ。