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第58回 オランダ・イタリア紀行 Vol.17
面白い逸話がある。ローマに1514年から16年まで住んでいたレオナルド・ダ・ヴィンチが、ローマに「最後の審判」を描く構想を抱いていたというのだ。
ダ・ヴィンチとミケランジェロには接点がある。ミケランジェロ青年期の傑作、大理石の裸体のダヴィデ像の設置場所を決定する委員会に、ダ・ヴィンチは名を連ねているのだ。ことさらに二人のライヴァル関係を強調してみると、この時期、ダ・ヴィンチが著した『絵画論』は、詩・音楽・彫刻といったあらゆる芸術分野のなかで絵画こそがもっとも優れていることを論じたものだが、この時期、彫刻家として名をなしていたミケランジェロを意識したものであることは確かだ。
それに対してミケランジェロは、レオナルドの絵を評してこう言ったという。「あのくらいのものなら、私の下男でも描けたでしょう。」さすがにこれは人口に膾炙するだけあって作られた逸話の印象を否めないが、しかし、ミケランジェロが絵画よりも彫刻に執心していたこと、そして、ダ・ヴィンチ風の理知が勝った構図よりはより人間性を前面に出した、情熱的な構図を求めていたことは事実だろう。ミケランジェロがローマに帰ってきたとき、すでにダ・ヴィンチはこの世にない。だが、礼拝堂の祭壇画をしかもフレスコ画で書くに当たって、ミラノに描かれたダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をことさらに意識したことだろう。
気まぐれな金持ち教皇の望みに対して、ミケランジェロは傍から見れば老害に近い強引な要求を重ねた。まず、礼拝堂壁面の窓を塗りこめた。そこに下地を引いた。引いたついでに、先達ベルジーノが描いていたキリスト受難の絵を塗りつぶした。そこには、礼拝堂全体の調和を意識するようなダ・ヴィンチ的な理性はかけらもなく、ただただ眼前の壁面だけに集中する彼の眼が見えるようである。そうして、1541年、この大壁画が姿をあらわした。
中央上部のキリストが、人々に最後の審判を下している。イエスが降臨し、生前の行いによって天国へ入る人と地獄へ落ちる人(この場合地獄とは、ダンテが『神曲』のなかで見てきた地獄である)に分けている。もはや尋常とは思えない人々の動的な動き、過激な表情。ふつうならば内的に働く制限をいちいち取り払って描く執念が見える。簡単にいえば、「狂気」だ。ここには、たとえば「天地創造」に見られたように、懊悩や苦悶のなかにも救世主の到来を期待する希望は見られない。ましてや、「ピエタ」に浮かび上がった人間性への眼差しなど。
生皮を持って審判を問う聖バーソロミュー、足をつかまれ地獄へ引きずりこまれそうになって恐怖を顔に浮かべた男。静謐かつ端正な、法則性を重んじたルネサンス美術の面影はもうまったくない。渦巻くような不安定な構図、ねじれた人体、強烈な明暗の対比。この絵から肉体美が感じられるだろうか。
ローマの掠奪があった直後、人々にとって地獄のイメージは現実と近しいものであっただろう。『最後の審判』のテーマを、ヴァチカンの奥の院とも言うべきシスティナ礼拝堂に掲げることは、カトリック教会の正義であった。掠奪以降スペイン人がイタリア半島を跋扈するようになり、ミケランジェロが愛した故郷フィレンツェ共和国もスペイン軍とともにやってきたメディチ家に再占領された。
そうした社会的な不安、個人的な不安、老齢、すべての心境が何の遠慮もなしに壁面に叩き込まれたのである。老芸術家の境地は、すでにカトリック教会の正義すら乗り越えてしまっていた。事実、裸体が多すぎると怒った保守派の教皇ピオ4世によって、後にすべての人物の腰に布が当てられたのである。この絵を描きあげたあと、ミケランジェロはサン・ピエトロ大聖堂建設の仕上げをやり、ローマを後にした。
僕は実は、ミケランジェロについてはそれほど関心がなかったのだが、今回のローマの旅ですっかりはまってしまった。システィナ礼拝堂を見たその日に、ミケランジェロについて書かれた本を買い、ホテルに寝転がって読んでいた。日本ではダ・ヴィンチのほうが人気があるが、ミケランジェロも堂々、ダ・ヴィンチと渡り合うだけのルネサンスを作り上げていたのだ。僕が絵画よりは彫刻派だということも、関係しているのかもしれない。ただ、その全体像が大きすぎるがために、見えにくくなっているのだ。
しかし、ミケランジェロの作品の力を讃えるだけでは物足りない。やはり、それを生み出させるだけのローマという場所の力があるように思う。というよりも、キリスト教という、聖書という「物語」の力がこの街の根底にとうとうと流れている。言ってみれば、物語の強靭さとでも言うべきものだ。
その強靭さは、あたかもサン・ピエトロ大聖堂のドームを支える肋骨と支柱のようでもある。多くの芸術家がその強靭さの範疇のなかでしか作品を生み出すことが出来なかった。
ミケランジェロだけがそうではなかったのだろう。彼は教皇も、キリスト教も、聖書も恐れずに作品を作った。いや、怖れ図にというよりも、むしろそれと戦いながら製作していたのであろう。
それは、ローマでの最初の記念すべき作品が「ピエタ」という、カトリックの本流とは言いがたい、北欧という周辺地域での民間信仰的な題材を扱いながらそれを一気に総本山の膝元で美しい主題に昇華させたことにも現れている。それまでの宗教画の約束事を破り、ルネサンスを象徴する、リアリティと均整さという命題を実現しながら、決してカトリック教会とも妥協することがなかった。そのことはミケランジェロの才能と、自信と、度胸との証左になるだろう。しかしながら、聖書という「物語」にそれに対応するだけの強靭さがなければ、彼の才能や情熱を昇華させることができない。言っては悪いが、日本に伝わるいくつかの「物語」を作品化しようという試みがことごとく失敗に帰しているのは、単に日本に才能ある芸術家が出ないというだけではなく、「物語」の強靭さが不足しているのではないか。あるいは「物語」という名の鉄を鍛えることを、歴史的に怠ってきたのではないか。
キリスト教世界は、神々の彫像から「スターウォーズ」にいたるまで、「物語」の鍛錬を怠ってこなかった。東洋にその可能性を見出すとすれば仏典なのかもしれないが、いずれにせよ、世界にはそれに対抗できるだけの強靭な「物語」が存在していないのだ。
そうしてみると、ミケランジェロの才能をも鍛錬の過程のなかで、自らの「物語」に取り込んでいったカトリック教会の力に畏怖すべきなのかもしれない。ミケランジェロがその後の歴史を見たとしたら、そして自分の絵がどう捉えられているかを見たとしたら、何を思うだろうか。
彼の挑戦的な意志は、勝利したのか、敗北したのか。もし生とか、人間性のことを問うのであれば、そのことを思わねばならないような気がした。
ミケランジェロ狂いのついでに。
彼は80歳になんなんとする最晩年、サン・ピエトロ大聖堂に置かれているものを含めて3度目のピエタ像を制作している。もちろん、ローマに置かれているわけではないので、宿に帰ったローマの夜長、テレビでサッカー中継なぞ付けっぱなしにしながら読んでいた本に載っていたものである。第15回に載ったピエタの写真と比べてほしい。
もはや余計な造形を極力省いている。もはや表情も意味はない。聖母マリアがイエスを抱きかかえているのか、イエスがマリアをおぶるようにして支えているのかすら定かではない。そこにある本質だけを、痛々しいほどに抉り出した像だ。
この像を、日本人好みの禅の境地、無我の境地で捉えることも不可能ではないが、そうではないだろう。この像もまた、ミケランジェロによるある挑戦のひとつだったことは間違いない。
だが、彼はそれに勝利したのかどうか。最後の精魂を込めて、彼が表現の可能性に託した挑戦だったようにも思えるが、ローマでの彼の作品がもつ圧倒的な力と、それに拮抗あるいは上回るかのようなキリスト教が持つ強靭な物語を目の前にした後には、ミケランジェロが何かに挑み続けてついに勝利を得ず、精魂を使い果たした残骸のようにも見える。
どちらに見えるかは、見る人が、「人間」という近代が生み出したものを、どれだけ信じていられるかによるのであろう。
ミケランジェロは、その鑿と筆で「人間」を抉り出した。そして時代を縦になぐった。なぐったシーンを生々しく見ることで、僕が生きる近代というものが、少しだけ垣間見えてきたようにも思う。
※システィナ礼拝堂の「天地創造」「最後の審判」はこちらのページで見ることができます。画像は重いが大変きれいです。ただし英語。