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第11回 オランダ・イタリア紀行 Vol.2

3月3日土曜日。雛祭りの日が、出発の日である。

 関西国際空港からアムステルダムへ向かうKLM便は、1日1便、朝10時50分発である。これに乗るためには、京都駅を6時45分に出る関空行きの特急に乗らなければならない。

 が、目が覚めたのとき、時計の針は5時50分だった。

 寝ぼけた頭はトラウマを拒否する鏡像段階の幼児の脳味噌と変わらない。これは朝なのか夕方なのか。俺は今いったいどういう状況にあるのか。寝過ごしたのか。ようやく自分が寝過ごした、ということを理解すると、こんどはこれがリカバリーできる状況なのかどうかを寝ぼけた頭で考える。あと55分でシャワーを浴び、着替えて、着るものを詰めて京都駅へたどり着けばよいわけだ。ということは、6時20分にタクシーに乗り込めばきっと何とかなる。残り時間は30分。

 実は前の日、酔っ払って帰ってきたのが午前2時だったので、汚い話だがシャワーも浴びずに寝ていた。もちろん荷造りなどするはずもない。長旅をフォローしてくれるはずのCDも選んでいなければ、本も揃えていない。僕の旅にあって、CDと本を選ぶのは重要な作業だ。いつもかなり多めの本と多めのCDを持ち込んで、旅先や道中でセレクションをしながら読み、聴くのがならわしなのである。だが、30分でそれを全部やるのはかなり難しい。

 結局何を捨てたかというと、荷造りの丁寧さを棄てた。いったい、洗濯が済んだものかどうかもいささか怪しい衣類を大量に詰め込み、2本あるバスタオルのうちの1本も詰め込み、そのタオルにこのパソコンと、買ったばかりのパチカメ式デジカムも包んでいよいよ出発。6時20分に予定通り部屋を出たはいいが、土曜日の早朝だけにタクシーがなかなか来ないので参った。5分近く待ったところでようやくやってきた空車をつかまえて、京都駅に到着。特急はるかの出発5分前に、車両に乗り込む。

 

京都駅からおよそ1時間半で、関西国際空港に到着する。不景気とはいいながら、週末ともなると空港は海外へ出るツアー観光客でごった返す。その大半は、おじさんおばさんたちで、サイパンとかプーケットとかそのあたりに行く人たちだ。3月というのに半そでのシャツを着て、これから南の島へ行きますよという非常にわかりやすい格好をしている。そのさなかにこちらは寒い国へ行こうとしているから、ちょっと違和感がある。

 H.I.Sのチケット受け取りカウンターにはすでに長蛇の列。みんなバカンスモード、それも連れがいるという状態で、行列にひとりで並ぶのは、それでどうだというわけではないが、こういうとき話し相手がいないのはさびしい。

 一人っ子だったせいもあって、ひとりでいることをそんなに苦痛に感じたりしないほうなのだが(そうじゃなきゃとっくの昔に結婚しているだろう)、ただ、今回のようにただでさえいろいろ考えることが多かろうという旅に出るときに、そのことを言語としてみずから理解しなおすプロセスを、誰かと互いに行うというのは大事なことだ。それができない寂しさはある。

 むろん、二人旅になって失うことも数多くある。しかし、グループ旅行になって得るものはほとんどない。そんなものは旅とは言わない。頭を振ったらカランカランと音がしそうな、脳味噌足りなさそうな女子大生たちがグループでけっこういた。卒業旅行のつもりだろう。願わくば、彼ら/彼女らと同類と見なされませんように。そのことを祈りながら、搭乗ゲートへ向かう。

 ちなみにチケットは、関空−アムステルダム−ローマ−アムステルダム−関空、アムステルダムのストップオーバー可で8万8000円。確かに格安だ。これが3月の終わりになって、チューリップが咲き出すとぐっと高くなる、とのこと。この値段であれば、学生たちが押し寄せるのも納得。話を聞いていると、みんなイタリアへ行くらしい。まったく。のんきなもんだ。KLMという会社は、ほとんどそのトランジットで生きているような会社らしい。国策会社だしね。僕の印象では、昔欽ちゃんがやっていた「家族対抗歌合戦」のスポンサーのときの印象が強いのですが。古いか。

 飛行機に乗る前に、ひととおりのものを買う。風邪薬。ちょっと体調が悪かったので、パブロンの箱。胃薬のサクロンも買う。あと、変換プラグ。向こうでもこのパソコンを使うためだ。ヨーロッパは当然220ボルトだが、変圧機能はこのコンセントが持っている。プラグの口をかうだけだ。

 搭乗ゲートに到着。学生たちがぺちゃくちゃ喋っている。この学生たちへの憎しみは旅を通して消えるどころか増幅する一方だった。こいつらとこの後12時間も同じ空間にいるのか嫌だなあと思いつつ飛行機に乗ったが、僕の座席10Bはどこにも見当たらない。

 10Bはどこですか?と客室乗務員の人に聞くと、あっちだよ、とカーテンの向こうの前方を指差す。え?でもあっちはビジネスクラスじゃないの?と聞いたら、いいんだよ、今日は空席があるから、ツアーじゃない一人旅の人にはビジネスクラスに座ってもらっているんだ、という。その後の僕の心の躍り具合をなんと表現したらよいのか、このあたりが田舎者の悲しい性である。ビジネスクラスに座れるというだけで心浮き浮きだ。

 いや、広いぞ。椅子もやわらかい。肘掛もでっかいのが両方についていて、隣の人と争うこともない。テーブルを出そうと思ったら、なにやら大きなものが。おお、液晶モニターだ。映画もテレビもこれで見るのか。リクライニングは海よりも深く倒れこみ、身体を横にしても大丈夫、これならぐっすり眠れそうだ。まだ離陸もしないうちにこれだけのことをやっているのは相当に変だったろうが、それでも田舎者だからやってしまう。

 隣はビジネスで日本にきていたというオランダ人の男性で、気さくに英語で話し掛けてきてくれた。英語を話す世界に入った、というのは大変楽だった。何より、これからしばらくあのうるさい学生どもと同じ言語を喋らなくてもよいのだ、というだけで気分が軽くなった。男性はロッテルダムの人で、来年のワールドカップでオランダが日本にやって来れるか心配だ、と語っていた。(オランダはむろん世界を代表する強豪だが、同じグループのライヴァル・ポルトガルに1分1敗と苦戦していて、予選を突破できるかは五分五分だ。)

 そんなわけで、日本時間午前10時50分、定刻どおり離陸。12時間の長いフライトが始まった。


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