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第62回 オランダ・イタリア紀行 Vol.20
歴史探訪ばかりでは何なので、少しは観光名所も織り込んでおこう。共和国広場には地下鉄の駅があるから、そこから乗ろうとすると、困り果てた顔の少女が一名。「あの、英語がわかりますか?」と恐る恐る聞いてきた。「大丈夫だよ」というと、スペイン広場に行きたいのだけど、どの地下鉄に乗ってよいかわからない、という。
東京の複雑怪奇な地下鉄網ならともかく、ローマの数路線しかない簡単な地下鉄に乗れないでひとりでウロウロしている女の子(イギリス人)というのも大いに問題ありだと思ったが、どうせだから同行することにした。と書くと、読者の大半は話を面白くするための脚色だと思うだろう。脚色としてはもってこいのシチュエーションではあるが、実話である。そういうわけで、イギリス人の16歳の女の子とローマの街を歩くことになった。
スペイン広場は、僕が拠点としているテルミニ駅からも歩いていける。地図を持って歩けば、散策程度ですぐである。まったく便利な街だ。で、これがスペイン広場。
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さすが観光名所だけあって、ものすごい数の人、しかもほとんどは外国人だった。階段に座ってジェラート(アイスクリーム)を食っている人間のうち、およそ3分の1は卒業旅行の日本人学生と見た。いいよなあ、金のある学生は。俺、学生時代には金がなくて海外なんかいけなかったもんなあ。どうせたいした勉強もせずに遊びほうけて、英語の授業かなんかで見させられた「ローマの休日」をたまたま見ただけでローマ知り尽くしたような気になってスペイン広場にやってきたのだろうこの野郎、オレンジごと階段から落っこちやがれ、と悪態をついても始まらない。さっそく解説。
階段の上に建つ双塔の教会はトリニタ・デイ・モンティ教会という。形も変なら名前も変。それもそのはず、ルイ12世が命じて作ったフランスの教会で、名前はフランス語で「山上の三位一体」を意味する。前にもちょっと書いたが、フランス王室は代々ローマ教皇庁との関わりが深く、街のど真ん中に自前の教会を持っていたのである。
ただし手前の階段は最初なかった。そこで、太陽王ルイ14世は教会の前に壮麗な階段を作り、コンスタンティヌスあるいはシャルルマーニュよろしく自分の騎馬像を置こうとしたのだが、さすがに教皇はそこまで横暴なことは認めなかった。この件をめぐっての王室と教皇の真剣な話し合いの結果、騎馬像を作らないという条件で階段の設置が認められたのである。階段は写真でもわかるとおり踊り場で2度くびれながらだんだん狭くなり、いちばん上にはオベリスクに結ばれる。むろん計算づくである。人がだんだん狭くなる階段を上って、軽く息があがったところでいちばん上まで来て振り向くと、眼下にすばらしいローマの眺望が広がる、という按配になっている。いやはや見事。
余談だが、おのぼり観光客が多いだけにここには犯罪者が多い。1830年、この地を訪れたベルリオーズはスペイン階段で追いはぎに襲われて格闘したことを回想記に綴っているから、まあその昔からだね。僕もここで、ローマ名物のひとつ「ニセ警官」の尋問を受けた。いかにも芝居がかった無線で「不審者発見」みたいなことを言って僕の前に立ちふさがり、パスポートを見せろだの所持金はだのうるさいことこの上ない。しかし隣の女の子は西洋人ということで無罪放免。まったく許しがたい。もちろん、そのまま無視して立ち去ったらどうやら諦めてくれた。
スペイン広場から坂を下る道は、有名ブランドのブティックが並んでいる。目が飛び出るほどの桁数の値札が掲げられたものばかりだが、僕はブティックには用はなく、この界隈で古くから店をやっているという文具屋に入ってたいへん気持ちのよい革製の手帳を買った。
さらに坂を下り、初代皇帝アウグストゥスの墳墓までくるとローマの母なる川、テヴェレ川である。が、意外と汚い。まあしょうがないわね。大都会だもの。むろん、東京の神田川なんかよりは遥かに風情があるが、パリのセーヌ川と比べると圧倒的に落ちる。比べても仕方がないが。
さらに川からクネクネと細い路地を歩いていくと、また巨大な建物にぶつかった。パンテオンだ。正面のファサードは神殿風だが、この奥に円形の巨大かつ美しいドームがある。
パンテオンとは日本語では「万神殿」と訳される。意味はその通りで、もともとローマの神々を祭るための神殿として、紀元120年ごろ、ハドリアヌス帝の時代に建設された。
ドーム部は直径と高さが43.3mもある。さらに驚くべきことは、ドーム部の厚さ6mの壁を支える支柱がないのだ。これらの大理石は木組みの作業台に載せられ、そこでコンクリートによって相互に接着されているだけである。頂上部に向かうにしたがって壁の厚さを漸次薄くして屋根の総重量にアーチが耐えられるように作られている。その設計センスもさることながら、技術にも感嘆せざるを得ない。
頂上部に空けられた開口部から日光が差し込む。時間を追うごとに、また季節ごとに、差し込んだ光がいろんな神々の像を照らし出していくさまはたいそう幻想的で、ドラマ性に富んだ(とってもギリシア神話の焼き増しなのだが)ローマ神話の中心的な神殿にふさわしかったであろう。
ところで、この神殿は帝国の滅亡後609年、ビザンティン(東ローマ)帝国皇帝フォカスによってローマ教皇ボニファティウス4世に献上され、その名も「殉教者の聖母、マリア教会」というキリスト教会になった。当然異教の神々を祀ることはおろか、偶像崇拝すら認めていなかった時代のキリスト教であるからして、この神殿にあった神像やレリーフはことごとく引っぺがされたのである。神像が設置されていた壁龕は礼拝堂となった。その後、パンテオンは偉大な業績を残したものを讃える墓所となった。画家ラファエロ、初代イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世らもここに眠っている。
このあとも、バスと地下鉄、徒歩を組み合わせて街を歩いた。下の写真はご存知「真実の口」。これも「ローマの休日」で有名でいまや渋谷のゲーセンにもあるが、一応ご説明しておくと、写真のレリーフの口に手を突っ込むと正直者は問題ないが、嘘つきは手が抜けなくなる、という。ときに、映っているのは日本人の卒業旅行の女の子たち。これで記念写真をとっていた。僕?そんなこと恥ずかしくてできませんよ。
もうひとつ、長くなったがトレヴィの泉までご紹介。ローマ時代に端を発するこの噴水は、15世紀の教皇権全盛時代にポーリ宮という宮殿に付属して建てられた。長い坂道のさなかにあるたいそう狭い小道を抜けると目の前にわっと大きな噴水が広がる。しかも池の水は青いので、趣がある。
ここもそんなわけで、ひとだかり。右の写真のフォーカスになっているのは、海神トリトンの見事な像である。遥かな海の彼方から、あ〜あ〜♪
さっきからさんざんぱら「ローマの休日」を馬鹿にしてきたが、この泉を見るとやはり思い出してしまうのがフェリーニの『甘い生活』である。アニタ・エクバーグがたいそう艶っぽい身体と表情でこの泉の水を浴びるシーンは、いまみてもショッキングである。エクバーグの魅力も然りながら、この場へ来ると、場所の魅力をも存分に引き出してしまうフェリーニの映像が思い合わされた。
そんなわけで、僕もここでは、泉に背を向けてコインを一枚投げ入れてきた。はて、永遠の都を再び訪ねるときは、来るだろうか。