
![]()
![]()
![]()
第72回 オランダ・イタリア紀行 Vol.24
レンブラントの『夜警』については、すでに書いた。
この絵の力強さはその大きさと、光源の設定の微妙さによる。このキャンパスを前にして、僕は思わず天井を見上げ、構図の中心を照らす光の源を探したものだった。それほど巧妙にできている。
それはまた同時に、この絵を見る観察者を絵の世界に引きずりこむことでもある。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』が無限消失点に向かって展開していく幾何学的な遠近法を忠実にトレースすることで広い空間性を確保しているのと比べれば、この絵の遠近法などぞんざいなものである。しかし、光源の設定によって、この絵は絵の奥へと拡がるのではなく、むしろ観察者のほうへと展開する力を持っている。そのことによって、絵が単なる客体として存在するのではなく、ひとつの空間の中で、観察者は見ている主体である自分と、見られている客体である絵の双方を意識するという不思議な感覚を持たされる。このことが、宗教画しか存在しなかった中世絵画にはありえないことは了承してもらえるだろう。中世絵画においては、唯一の主体は描かれざる神であり、神の御前では主体も客体も存在しないのである。
逆にこの絵は、人間が主体としての強い意識を発揮し始めたことを物語っている。
それを物語る絵が、マウリッツハウス美術館にもある。
『ニコラス・テュルプ博士の解剖学講義』と題された絵だ。1632年の絵である。ちょうど、オランダ商館が出島に造られていたころである。
この絵もまた、レンブラント独特の禍々しいコントラストによって描かれている。光と影だけではない。画面右半分のテュルプ博士しかいない広い空間と、学生たちが込み合っている左側の狭い空間。全員に黒い服を着せ、遺体の青白さと対比を作っている。冷静な博士の表情と、学生たちの驚きの表情の差も鮮やかだ。それでいてこの絵は、動的な感覚を失わない。
光源が揺れているのではないかと思うほどに絶妙に描かれた中央の光だが、その中心には何も描かれていない。その一点を取り囲むように学生の顔、死体、博士の手が配置されていて、観察者の目は一点にとどまらせてもらえない。そのうえ、博士の手の動きが絶妙だ。「レンブラントの三角形」として有名だが、博士の両手と死体の左手が綺麗な正三角形をつくっている。この三角形は、左側の学生たちがつくるより大きな三角形との相似的な意味合いを持つ。しかもこの二つの三角形は安定しているそれではなく、むしろ渦を巻くように各方向への動きをともなっている。この三角形がいわばこの絵の「動力源」だ。
むろん、構図だけで絵はできない。これだけの構図的な要素をごく自然に取り込んでひとつの絵に結実させている、レンブラントの力量に感服するばかりだ。動的であること。観察者を巻き込み、観察者もまたひとつの同じ世界を共有していることを意識させながら、動的であること。これがレンブラントの絵の特徴だ。
宗教画の時代には、観察者が自分を意識することなどなかった。神によって作られた世界がそこにあり、その世界をただ眺めるだけだったのである。しかしこの絵では、観察者は自ら目を動かし、思考し、登場人物の表情と動きひとつひとつについていろいろと考えるより他ない。
自分を世界の中において、自己=主体と対象=客体を分離すること。主体が客体へのアプローチを意識するという意味で、主体の主体性を確保したものとなった。それが近代の始まりなのであるが、それにしてもなぜ、この時期のオランダでそれが可能だったのか。
この美術館には、レンブラントの絵がまだまだある。
宗教題材の作品で、ヘロデ王の手を逃れてエジプトにやってきたイエスとマリアを、シメオン祝福しているところである。見てもらえばわかるとおり、われわれがよく知っているスポットライトの効果だ。オペラ舞台のうちの一幕といわれれば納得できそうな構図である。ここでも、宗教画なら天井のドームの光源を描くところを、遥か彼方に追いやっている。そのことによって観察者の視線を誘導するとともに、観察者の意識を安定させず、絵の世界に取り込んでいる。
単純に言えば、光源の位置を隠すことによって、観察者に自分自身の意識の存在を意識させることがこれらの絵を通じてなされている、と絵を前にすると感じる。そのことははっきり、近代に通じているのは確かだ。しかしなぜ、それがレンブラントにおいて、あるいはこの時代のオランダにおいて可能だったのか。その問いは大変難しい。
もちろん、オランダ、なかんずくアムステルダムの商業的繁栄は解答のひとつである。農村共同体や宗教共同体は、神あるいは自然を紐帯とした結束あるいは束縛を要求し、多面的な価値観に消極的である。それに対して商業都市は、貨幣あるいは資本といった媒介を通じてそうした紐帯を切り離し、より孤立した個人の形成を促す。そこには当然、自由な気風と、多様な価値観への肯定が生まれる。このことは、いまから3000年も前に、フェニキア人がリディア貨幣を手に地中海を走っていたころより変わらない。しかし、果たしてそれだけなのだろうか。
そう考えているうちに、レンブラントの自画像と出会った。
![]()
レンブラント晩年の自画像。
青年期の自画像と比べてみてほしい。明暗を誇張するキアロスクーロ効果は、晩年の自画像でも使われてはいるものの、青年期のそれではない。青年期の自画像は、明らかに、技法の挑戦と表情を出すためのチャレンジとして描かれたものである。
だがこの絵はどうか。
ほとんど写実である。日本人は往々にしてこういう絵に老いの枯れを読み取りたがるが、たとえその要素があるとしても、そればかりに目を奪われていてはなるまい。問題はなぜ、彼が自画像を、しかも紹介した二点のみならず多くの自画像を書かなければならなかったのか、である。
Vol.26へ
オランダ・イタリア紀行トップへ