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第73回 オランダ・イタリア紀行 Vol.26
突然だが、今世紀初頭に『複製技術』について卓越した議論を残したベンヤミンは、肖像画についてこのように書いている。
どうしても沈黙させることのできない何かがあって、それはあそこで生きていた女、ここでもまだ現実の存在であり、決して完全に「芸術」の領域に入ってしまおうとしないあの女の名前を、あくまで要求してやまない。
いわば、肖像画は固有名に関わる、ということである。だが、レンブラントの晩年の肖像画はそれだけではない。固有名の記録のためではなく、また神あるいは誰かによっての恣意性でもなく、観察者と絵との交流がある。それを保証しているのはある客観性だ。
同じことを言い換える。たとえば王侯貴族の肖像画は彼らの存在と、栄光を記録にとどめるためにある。そこに写実的な要素はない。しかし写実性を高め、客観性を高めた肖像画は、われわれが写真に見るようなある「欠落」(ベンヤミン)を生じる。その欠落によって絵と観察者との関係は不安定になり、働きかけが起きる。問題は、いつどのようにしてこの客観性が獲得されたのかということである。多くの人は、『最後の晩餐』の無限消失点を用いた遠近法にその萌芽を見ている。それはもちろん確かだが、しかし遠近法を用いていないレンブラントの肖像画にもそれがある。ある意味での複製技術と、その技術がもたらした否定しようのない客観性がその要因となっている。
ときに、柄谷行人氏は、近著『トランスクリティーク』のカント論の中で、他者の眼差しについて、レヴィナスが言うような絶対的なそれではなく、むしろ写真に見られるような視差(パララックス)である、ということを書いていた。
われわれはいまどき、自分の写真を見て驚いたりしない。明治の昔、日本人の間に「写真に撮られると魂を抜かれる」という俗信があったことを笑うが、しかしそれはおそらく単なる俗信ではないだろう。写真という否定しようのない客観性を持ったメディアがもたらす視差と、それによって生じる違和感が問題なのだ。柄谷氏はたとえば、テープレコーダーで自分の声を聞いたときの違和感にそれは似ていると言っている。
その違和感が、「あの女の名前を、あくまで要求してやまない」のである。そうした新たな概念をもたらしたメディアがカメラであったことは想像に難くない。
もちろん、われわれが知る「焼付け」式のカメラが登場するのは19世紀であって、レンブラントの時代よりも100年ほど後である。それはまもなく日本にもやってきて、岩倉具視や島津久光の初期の写真が残っている。
ここでいうのはそうしたカメラではなくて、その原型である「カメラ・オブスキュラ」である。暗箱に小さなピンホールを開けてそこからのみ光を取り入れると、ピンホールの反対側の鏡に写像が反転して映る仕組みだ。それを上側にあるのぞき穴から見ることができる。端的にいっておもちゃのような代物だが、これがヨーロッパでは数世紀にわたって大ブームを巻き起こした。レオナルド・ダ・ヴィンチが写生に利用した痕跡がある。レンブラントはこれを使っていたという記録はないが、当時ヨーロッパ最大の商業都市であるアムステルダムにおいてそれを知らなかった、ということはあるまい。
おもちゃがそれほどのブームを巻き起こしたのは、そこにある否定しようのない客観性だった。宗教画の時代には、観察者が自分を意識することなどなかった。神によって作られた世界がそこにあり、その世界をただ眺めるだけだったのである。しかしこの絵では、観察者は自ら目を動かし、思考し、登場人物の表情と動きひとつひとつについていろいろと考えるより他ない。
自分を世界の中において、自己=主体と対象=客体を分離すること。主体が客体へのアプローチを意識するという意味で、主体の主体性を確保したものとなった。それが近代の始まりなのであるが、なぜこの時期のオランダでそれが可能だったのかはいささか問いが大きいが、レンブラントの絵にはそれが垣間見える。それはもうひとりの偉大な作家、フェルメールについても言えることである。
アムステルダムで工房を開き多数の弟子を抱え、名声をほしいままにしたレンブラントに引き換え、フェルメールの人生は派手さがまったくない。焼き物で有名なオランダの田舎町・デルフトに生まれ育ち、そこでパン屋をやっていた。生前はまったく無名で、彼の絵画については地元の年代記と、たまたまデルフトを訪れたフランス貴族の日記しかない。43歳で亡くなったあとは結構な借金を残していたらしいところを見れば、本業よりは余技に情熱をかけていたのか。
生涯に残した作品は、現在真作とわかっているものだけで三十数点しかない。その価値が理解されたのは19世紀も後半になってからである。フェルメールについては、彼がおそらくカメラ・オブスキュラを使って遊んでいたことはほぼ間違いない。彼の得意な構図は例えばアムステルダム国立美術館にある『恋文』などに典型的に現れている。
床のモザイク模様を見ていただければわかるが、ダ・ヴィンチと同じように無限消失点を用いた遠近法で全体の構図は描かれている。フェルメールの真骨頂は『光の画家』と呼ばれるとおり、この等質な矩形の暗室(部屋)のなかに、一方向から自然光を導入する手法で描かれている。これは、暗箱にひとつの穴を空けて、そこから光を導くカメラ・オブスキュラの仕組みと同じである。
重要なのは、カメラ・オブスキュラにおいては、光によって浮かび上がる像は「客観性」を持った忠実な写像である。フェルメールがおそらく、その写像を描くようにして絵を描いていたに違いない。
デカルト主義的な近代像、すなわち、主体が観察によって客観的な外界の像を把握することができるという概念がカメラ・オブスキュラの構造と相通じるものがあれとすれば、フェルメールの絵はまさにその表象である。さらにフェルメールは、箱の外から描くのみならず、自ら箱の中にも飛び込んだ。それがこの美術館の宝、『青いターバンの少女』である。
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昨年日本にやってきて東京と大阪でも公開されたので、ご覧になった方もいるだろう。
もちろん絵画的に言えば、ターバンの鮮やかな青と、不自然で新鮮で強烈な唇のルージュの対比が印象的だ。しかしそれだけではない。レンブラントのように意図的で人々を不安にさせる光の使い方ではない、ごく自然な灯りでありながら、この灯りがもたらす効果は見る人に不安を与える。目の前にいる、ごく自然な少女を見ているだけなのに、である。近代というのは、最初からそうした矛盾を抱えている。
近代という時代は紛れもなく、客観性を確保し、「科学的」あるいは「論理的」という手法によって意志の疎通を可能にし、それによって世界中に文明が拡大した時代であった。
だけどわれわれは客観的なものを目の前にしたときに何らかの不安を覚える。そのことによって逆に思想が、中世の宗教的な停滞ではなくて、不安をいわばエネルギーにして弁証法的に発展させていくことができたのではないかと思うのだ。
そうしたものの本質が、この17世紀オランダ、世界ではじめて資本主義的な経済的繁栄を享受した国に生まれた二人の画家によって実現されたことは偶然ではあるまい。
同じく、マウリッツハイスの至宝というべき『デルフトの眺望』である。フェルメールがふるさとを描いた絵だ。
いったいこれが寓意画なのか、写生画なのか難しいところだが、絵そのものは大変写実的だ。建物の影が水面に映るところまで写生したかのようである。しかし画面の過半を空が占める構図、空の黒雲と白雲のバランス、手前の人物たち、とりわけ中央寄りの黒服の二人の存在感は強い。
客観的なようでいて、しかし客観性とは安心できるものでもなく、意図的なものでもない。たとえば21世紀のわれわれがテレビや新聞などのメディア、あるいは他の価値観を持った文化とぶつかったときの感触を、近代のスタート地点にいたレンブラントやフェルメールがすでに知っていて、なおかつそれを遊んでいたかのようにも思える。
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