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第75回 オランダ・イタリア紀行 Vol.27
マウリッツハウスを見た後は、もう夕方になっていた。ハーグの街をふらふら歩き、土産も何も買っていないことに気がついて、デルフト焼きの土産物を買った。最後の夜はハーグの友人とフランス料理屋に行った。というわけで、とにもかくにもうまい「オランダ料理」というものにめぐり合うことはできなかったわけだ。神の国発言やチョコレート賭博ゴルフ、それに教科書問題で揺れる、というよりそんなことで揺れなければならない国に帰るのは億劫だというような愚痴を、結構うまい料理を食べながら友人に話していたような気がする。
聞くほうとしては気のめいる話であっただろう。で、このディナーで僕のオランダ・イタリア旅行は無事に終了するはずだったのだけど、彼女との会話で、ひとつイベントが加わった。
ハーグにある旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の傍聴をしていくことになったのだ。大丈夫?と聞くと、ジャーナリストって言えば大丈夫よ、と彼女は言った。
ジャーナリストが優遇されている国は素敵だ。というわけで、次の日は早朝8時に宿を出た。宿主のフリックさんは最後までいい人であった。
午後2時半にはアムステルダムから飛行機が出てしまうので、朝一番の審理だけ見て、ある程度見たところで早々に退散しなければならないが、それでも見ておくことには価値があるだろう。旧ユーゴ国際刑事裁判所について。先日、この話をしたら「何それ?」と、お前の話はつまんないよとばかりに同じ会社の人に聞き返されてショックを受けたので(というか、酒の席でそういう話題を振る僕も僕だろうという意見も正しいと思うが)簡単に説明しておく。
ユーゴスラヴィアとは、もともと第一次世界大戦後に成立した人工的な国家である。バルカン半島には大まかに言うと、スラヴ系のセルビア人とゲルマン系のクロアチア人、スロヴェニア人、ギシリア系のマケドニア人やアルバニア人などのたくさんの人種がおり、宗教的にはロシア正教系、カトリック系、そしてオスマン帝国時代に流布したイスラム教があり、これらの人種と宗教がモザイク状に複雑に入り混じっていて、例えば国境線というようなものを引こうとすると必ず紛争が起こるようになっていた。
第一次世界大戦そのものも、カトリック系でゲルマン系のオーストリア帝国の支配に反対したセルビア人の青年が、皇太子を銃撃して死なせ、そこにドイツ、オーストリア、ロシア、オスマン帝国などがからんだたのが始まりであった。戦後、各国はこの「火薬庫」を強引にひとつの国にまとめあげた。それがユーゴスラヴィアの前身、セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国である。ナショナリティなんかとは無関係に、いかに強引に作られたかを示す名前だ。第二次世界大戦のとき、この国はナチスによって占領されたが、戦争の末期にパルチザンによって解放された。その指導者がチトーで、彼は戦後、ユーゴスラヴィア連邦の大統領となる。ユーゴスラヴィアはセルビア、クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア=ヘルツェゴヴィナの6つの共和国と2自治州からなり、名義上は社会主義圏に属しつつもソ連の介入を許さない独立路線をとっていた。チトーとその後継者の政策はおおむね成功し、1984年にはサラエボで冬季五輪を成功させた。
東西冷戦の中で、日本の社会主義者の中にはユーゴを理想のようにいう人も多かった。しかし、夢は東西冷戦とともにあっという間に崩壊した。東西冷戦が終わると、社会主義圏に所属する、という国をまとめる目的がなくなり、さっそく独立運動と戦争がはじまった。まずドイツに近く、歴史的にも文化的にもドイツ文化圏のクロアチアとスロヴェニアが激しい内戦の末共和国から離脱した。ギリシア系のマケドニアも離脱した。そして、ボスニア=ヘルツェゴヴィナも独立を宣言し、新ユーゴスラヴィアはかつてのセルビアとモンテネグロ、それにコソヴォ自治州から構成されることになった。
ところが、ボスニア共和国では他の共和国に比べてもより複雑に宗教と民族が入り組んで住んでいた。スーパーに買い物に行くのに、別の民族の居住地域を通っていかなければならない、という具合である。このため、宗教対立と民族対立が激しく高まると人々の生活は一気に苦しくなり、ボスニア国内のセルビア人はセルビアに、クロアチア人はクロアチアに、スロヴェニア人はスロヴェニアに救いを求めた。
そして各国の支援によってそれぞれの民族が戦い始めた。これが最初の「ユーゴ内戦」に続く、「ボスニア内戦」のステージである。セルビアは直接軍隊を進めた。何より、救いを求める国がないボスニアのムスリム系住民はもっとも悲惨だった。かつて五輪開催地だったサラエボの町は廃墟と化し、5年以上の戦いを経て内戦はようやく終わった。
しかしその後さらに、コソヴォ自治州のギリシア系アルバニア人が独立運動をはじめ、これをセルビア軍が弾圧するという内戦が再び起こった。これが「コソヴォ紛争」である。このときにはNATO軍が出動し、セルビアの首都ユーゴスラヴィアに爆撃を行うという国際紛争にまで発展した。
かれこれ10年以上、かつてのユーゴスラヴィアでは戦いが続いているのである。
その長い内戦の中で、ちょっと信じがたいほどの規模での戦争犯罪が行われていた。戦時国際法に明らかに違反した大量殺戮、やレイプなどである。特に民族浄化(ethnic cleasing)と呼ばれる、敵方の民族集団の殲滅を意図した殺戮・暴行行為は目に余るもので、その死者は最初のユーゴ内戦の段階で6000人を越えると言われていて、恐るべきことにこれは現在の国際社会で悪玉となっているセルビア側の行為のみの数字である。同様の行為はクロアチア、スロヴェニアでも行われているに違いなく、しかも戦いは10年も続いたから、総数を正確に把握することはおそらく困難だろう。
アメリカによるセルビア=悪、その他=善という発想がどうやらこの出来事を矮小化しているが、端的に言って、そんじょそこらの紛争などではなく、これはナチスのユダヤ人絶滅に匹敵する悪質な戦争犯罪なのである。その戦争犯罪の審理がハーグで行われている。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(International Court of Justice for the former Yugoslavia、略称ICYJ)友人はそこで勤めているわけだ。
開館時間の午前9時に合わせて建物に入ろうとする。当然、誰何される。×××という日本の放送局に勤めておる者だ、と主張するが、僕の英語が流暢でないこともあってなかなか許してくれない。それもしょうがない。この後、スキポール空港に直行しなければならない僕は巨大な旅行カバンをゴロゴロ引いているのだから、そんなやつが「俺はジャーナリストで審理を傍聴に来たのだ」と言っても信用しないほうがふつうだ。それでもまあ何とか入ることを許してもらえた。
もちろん、荷物はすべてX線で透過される。この裁判にかけられているのは現在の国際情勢上(ICYJがそういう意図のもとに審理をしているというわけではない)どうしてもセルビア軍の兵士、下士官、将校クラスが多めに裁かれているから、いつ何時それに反対するテロリストが爆弾を持ち込むかもしれない、という緊張感が日常になっている。
写真はもちろんのこと、携帯電話、モバイルパソコンの持ち込みはすべて不可。メモをとることは許されているが、傍聴席からダイレクトに外部と連絡をとることは許されていない。このあたりのものをすべて入り口に預け、なおかつ、飛行機に乗るときと同じように金属探知機の検査を受けてようやく中に入れるのだ。まあ当然の警戒といえばそうなのだが。検査が終わると、受付があり、今日はどのルームで誰の何回目の審理が行われているか、ということを教えてくれる。とはいえ、こちらはそれほど綿密に勉強してきたわけではなく昨日何となく来ることに決めたわけだから、どの審理を見るという意図はない。適当に選んで傍聴席へ入る。
選んだ審理は、1996年にボスニア共和国で発生した非戦闘員の大量虐殺に関する審理で、被告はセルビア軍の師団になるのだろうか、師団の副官だった。傍聴席と裁判席は分厚い防弾ガラスによって区切られている。なかの様子をモニターするためのラジオが傍聴者には手渡され、審理が英語・仏語・セルビア語(たぶん)の三ヶ国語に翻訳されているのでチャンネルによってそれを聞き分けられるようになっている。
僕の目を引いたのは、裁判席の多様さだ。みな西欧風の黒い司法服に身を包んではいるが、裁判長はアフリカ系の人だし、他の裁判官のひとりもおそらく韓国人であっただろう。弁護側には明らかにラテンアメリカ出身と思われる人がいたし、検察官側にはたぶん日本人の女性がいた。やがて、裁判所の事務官に同行された被告がやってきて、裁判長の正面に座る。異様な裁判である。
普遍的な意志が場の全体を包んでいる。いや、普遍的であろう、あらねばならない、という強い意志だ。そして、この裁判を失敗させてはならない、という強い緊張感だ。
もちろん人種や出身国で何かを区別しようというのではないが、これほどたくさんの国の出身者が構成している裁判所というのは、20世紀に生まれて近代国家ナショナリズムにどっぷりとつかり、のっぺりとした顔の黄色い肌の日本人だけが法廷にいるような裁判しか見たことがない僕にとってはすごく違和感がある。違和感があるだけでなく、「いいですか、その肌の色とか、人種とか、そういうものを注意してはいけませんよ。これは“普遍性”に基づいている裁判なんですからね」というオブセッションが、僕の中で内的にかつ自働的に働くところがなお緊張感を高めている。なぜそれほどの緊張感があるのか。それは国際関係というものがあやふやで不安定で、その状況の中でいわば「法の正義」を実行しようとしているからだ。
例えば僕が日本で犯罪を犯した場合、日本の警察によって逮捕され、日本の検察によって起訴され、日本の裁判所で裁かれる。そのプロセスはすべて日本の憲法と国内法(まれに国際条約)によって進められる。そして判決には従わなければならない。従わないときには、国家権力によって無理やり従わされる。これはすべて、(われわれ主権者によって構成された)国家が制定した「法の正義」が通用しているからである。
しかし、国際社会はそうではない。たとえば僕がアメリカで、アメリカの法律によって犯罪とされる行為をしてから日本に帰ってきた場合、アメリカの警察が日本にずかずかやってきて僕を逮捕することはできない。アメリカにできることは日本政府に僕の身柄の引渡しを要求することだけだ。日本政府には、僕の身柄をアメリカに引き渡して向こうの法律での裁判を行うか、引渡しを拒否して日本の国内法でも裁判を行うか、そもそも裁判なんかしないかという選択肢がある。(このケースで、僕がアメリカで逮捕された場合は通常、アメリカの警察に逮捕され裁判所で裁かれる。この権利すらないのが治外法権というやつだ。日本国内で各国の外交官や米兵が犯罪を犯した場合は治外法権がいまだに適用される。)日本とアメリカのような、友好的な「近代的」国家どうしであればこれをめぐってそれほどの軋轢が発生するとは思われない。しかし、日本と中国ではどうだろう?国内で犯罪を犯して帰国した中国人たちはほぼ野放図である。北朝鮮では?日本から拉致された人々はいまどうしているのか。まして戦争状態にある国どうしならば?
国際社会にはそうした、「法の正義」を実行する主体もないし、その法的な裏打ちもない。国連憲章ぐらいだがこれは対象が国家であって、決して個人ではない。国際的に個人を裁くためには、「国際自然法」とか「国際人道法」とか、「とりあえずいま生きている人々たちがおおむね同意しそうな人間的本性」とでもいったものを「普遍的である」とみなして、それに基づいた普遍的な裁判を行わなければならない。むろん、それを否定しているのではない。人種は平等に扱われるべきだ。男女は平等に扱われるべきだ。できれば戦争はないにこしたことはないけれども、よしんばやむにやまれぬ事情で戦争があったにせよ、長年の経験と犠牲から積み上げられた戦時国際法にのっとって行われるべきだし、ましてや、非戦闘員を「民族浄化」の名のもとに大量殺害するなんてことが許されるわけもない。よしんば、時間の経過が事実として無目的なものであっても、歴史がその過程のなかで多くの人の自由と尊厳を勝ち取ってきたことは尊重すべきだし、それは今後とも拡大していくべきだと僕は思っている。だからこのような、国家の枠を超えて非人道的な行為を裁くという試みには大きな意義があると思う。
そして、いまの近代国家というものは恣意的なものであることも事実だ。人間が生活する社会形態としていまの近代国家がある適合性を持っていることは確かだけれども、「これでなければならない」という必然性はない。ひょっとしたら国家なんてなくていいのかもしれない。たんに17世紀にヨーロッパに「近代国家」という社会システムがたまたま生まれ、その新奇な社会システム群が高い科学技術と大きな軍事力をたまたま持っただけのことなのだ。彼らは自分たちと同じシステムを持っていない世界中の多くの地域を「国ではない」とみなし、支配した。支配から脱しようとすれば、彼らと同じシステムを受け入れて「国」とみなしてもらうよりほかない。
かくして、国家主権と内政不干渉というシステムが世界中を覆うことになった。どこかの超大国が最近やったように、犯罪者を探すという目的のために他国にずかずかと踏み込んだり爆撃したりすることは許されないシステムである(もっとも、最近の超大国はアフガニスタンを「あれは“国”ではない、“無法者の集合体”に過ぎない」とすることによって行動を正当化したのである)。だから、さして根拠もないのに国際社会が一介のセルビア人を裁くというのは、「近代世界システム」(ちょっと用語の使い方が違うけれども、こういう言い方をします)においては、「正しくない」ことなのだ。しかし、「近代世界システム」なるものがせいぜい恣意的で、歴史的な偶然によって生まれたものであるならば、それを越える「普遍的」なものを想定することは間違いではない。
しかし「普遍的」であろうとすることはきわめて難しい。「普遍性」の論理を問えばカントとかフッサールとか引っ張り出してこないと論じ切れないのだが、たとえ論じきったとしてもそんな高尚な論理は現実には適応しがたいのは当然だ。そこで立ち止まっていてはいけない、というのが、国際裁判を行う人々の立場だ。しかし「普遍性」を貫くことはナショナリズムという名の「個別性」との戦いとともに、アメリカがよくやるような「普遍性」の名のもとに行われる犯罪的な行為との戦いも含まれる。ナショナリズムの側は、そうした横暴な「普遍性」を攻撃することで、普遍性の脆弱さを衝くであろうから。この裁判は困難を極めるだろう。まず、近代国際法の枠を越えてリーガルに戦わなければいけない。それ以上に、われわれ現代人がどっぷりとつかった心理的な問題、つまり前述したように、肌の色とか、人種とか、そういうものを、思想的に括弧に入れて「普遍的に考えるのだ」という強い意志が必要である。
まして事件の発生は5年前。目撃者はすべて殺害され、物証もきわめて少ない戦争犯罪行為を立件することの困難さたるや、である。傍聴しているときにも、女性検察官が被告に「命令を出したのか?」「あなたの権限は?」と執拗に迫るが、被告は「覚えてないね」「上官の命令に従っただけだよ」と責任を認めようとしない。途中、被告の名前を間違えた女性検察官をあざ笑うかのように被告がその間違いを指摘するシーンもあって、この裁判の困難さを強く印象付けられた。
だがそれと戦う人々の姿も強く印象に残った。ここで失敗してはいけないのだ。この裁判ですら、普遍的とは言い切れない側面を持っている。セルビアを悪者とする国際社会の世論を背景として進められているのであって、なかなかクロアチア、スロヴェニアには手が出ない。その裏にはいろんな大国の思惑が控えている。それを将来にわたって突破していくためにはここで失敗するわけには行かない。まして、国際世論に大きな影響を及ぼす超大国によって行われる犯罪行為に対して、この「普遍性」を貫いていくわけには。
ここは、国際社会の未来像を描こうとする人々による戦いの「最前線」である。約1時間半ほどの傍聴でそんなことを考えていた。
これから帰ろうとしている東洋の島国では、そんな緊張感も戦いもないままに「普遍性」が声高に唱えられている。異なる肌の色の人たちと組織を組み、異なる肌の色の人を裁くという行為にともなうシュールな緊張感や強い内的なコントロール作業などとは縁遠い人たちが、自分たちのことを「コスモポリタン」だと思っている。「大多数の純良な日本人」が戦争体験によって国家主義を乗り越えたとともに、その戦争体験を普遍的な高みへと昇華しえたと夢想している人々が、われこそはコスモポリタンだとばかりに世界平和を主唱する。テロが起きれば、「報復ではなく、法に基づく裁きを」と言う。
国際社会での「法の裁き」というのがどれだけ困難なものかを、対話がどれだけ困難なものかを想像できない貧困な思考。帰国する足取りも重くなるというものだ。
フライトは14時なので、2時間半前の11時半にハーグの国際刑事裁判所を出て、重い荷物を引きずってトラムへ乗り込む。最後のトラムで、噂の検札官に遭遇した。ガイドブックなどを読むとオランダの検札は厳しく、キセル乗車をすると旅行者だろうが何だろうが容赦なく60ギルダーの罰金を取られる、と書いてあったが、その検札官が乗り込んできた。
実はこの検札官、抜き打ちである。制服も何にも着ておらず、ふつーの市民の格好をして乗り込んでくる。乗り込んでいきなり身分証明書を見せ、「オランダ鉄道局のものです。キップを見せてください」という。さすがにこの時期になったらトラムの回数券(ストリッペンカールト)の使い道もわかっていたので何を逃れたが、同じトラムに乗っていた若者は罰金を取られていた。
南無阿弥陀仏。ハーグ中央駅に着いたが、ギリギリの列車に飛び乗る。車内で切符を買う(ちょっと割高)。40分後、スキポール空港駅着。無事にチェックインも済み、あとは乗るだけ。
帰りもジャンボ機だった。そして何より、ビジネスクラスだった。よかったよ。12時間半ビジネスクラスというのは、荷物ではなく人間扱いをしてもらっているという感じがしますからね。まして同乗してきた日本人の大半は、ツアーの卒業旅行に参加した馬鹿っぽい日本人学生ばかりだった。こんなのと隣になってベチャベチャした喋り方で馬鹿っぽい話を聴かされるのはたまらないからな。ひとりのビジネスクラスでよかった。飛行機に乗ってフライトを待っていると、「いまから給油しますので、40分後に出発します」というアナウンス。え?もうフライト時間は過ぎているのに、というのは世知辛い日本人の発想である。まして飛行機は東向きに飛ぶから、ジェット気流に乗れるので到着時間は変わらないのである。それにしても、オランダから日本に飛ぶために積み込むジェット燃料が12,000キロリットルなんだそうだ(そんなことまで機内放送していた)。
12時間半のフライトのほとんどは寝ていた。途中ワインを4本飲み、食事を二回して、日清のカップラーメンを一回食った。
そして3月12日午前9時30分、関西国際空港に無事到着。かくして長旅は終わったのである。
(完)