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第42回 オランダ・イタリア紀行 Vol.7
マーストリヒト・聖セルファース教会の地下迷宮を脱出したあたりで、お昼時。
お昼は、コロッケバーガーである。侮るなかれ、オランダではコロッケ文化が栄えているのだ。
そもそもコロッケというのが、オランダ語のクロケット、から来たものらしい。旨いものが皆目存在しないこの国にあって、コロッケは旨いと同時に、人々に親しまれている。翌日行くことになるアムステルダムではコロッケの自動販売機があったぐらいだ。ちょっとしたファーストフードショップでは必ず置いてある。
さてこのオランダコロッケ、形は俵型だが、縦横高さ比でいうと、普通の米俵の倍ぐらい細長い代物である。一般的なのは、日本でいうところのクリームコロッケに牛肉をいれたものらしいのだが、僕が旅をしていたこの時期は、ひと海越えたイギリスで口蹄疫が大流行していたころなので、牛肉は置いていなかった。で、鶏肉がポテトの中に入っているコロッケを食することに。ま、大変馴染みのある味だった。さらに町を行く。中世の石畳の上を濡れそぼりながら、友人と二人してとぼとぼと歩く。街を歩いていると、また古くて大きなカトリック教会にぶつかった。
マリア教会、と書いてあったが、日本語のガイドブックでは聖母教会となっていた。この教会はだいぶ新しい、とはいっても13世紀だそうだ。ゴシック様式よりもひとつ手前の、典型的なロマネスク、バシリカ聖堂である。壁にほとんど窓がないのも面白い。ちょうどミサが行われていて、ちょっとのぞいてみると、狭い内陣に入れ替わり立ち代り信者が訪れ、蝋燭を献じていた。奥に安置されているマリア像は嬰児を抱えた姿で王冠を被った黄金像である。黄金像、というところが、中世的でよい。
13世紀は、このマーストリヒトが中世都市として成熟していた時期である。そのことを感じさせるのは、駅からマース川を渡り、南へ南へと向かっていったところだ。
左側の写真のような城壁がけっこういい状態で保存されている。ちなみにこの城壁の下は水門になっていて、マース川から城内に水を引き入れるところだ。12世紀から16世紀にかけて、何度かこうした城壁が作られ、補修された。甲冑に身を固めた騎士団たちが戦ったわけだ。幸いその後大砲の時代になってからは攻撃を受けずにすんでいるので、街は雰囲気をとどめている。
この城壁を守る側も攻める側もしょっちゅう入れ替わり、何でもこの町の被占領歴は20回に及ぶという。アウグストゥスからナポレオンにいたるまでいろんな軍隊がここにやってきた。コスモポリタン的な、オランダナショナリズムとはちょっと違った気分が醸成されるのも理由なしとしない。
右側の写真は、大通り(これで大通りなのだ!)の向こう側に城壁が見えて、一風変わった門がある。
これもまた中世的雰囲気の漂う門だ。オランダ語でHelpoort、「地獄の門」という意味である。
昔、城内にペスト患者が出ると、この門を通ってすぐ外側にある隔離病棟(この建物も残っていた)に運んだのだそうだ。もちろん当時のペストだから、ほとんど生きて帰ってくることはない。だからこの名前がついたのだ、という。
ペスト大流行もヨーロッパ中世の大事件だった。何でも、当時のヨーロッパ人口の3分の1、3000万人の命が失われたという。いつのことかって?14世紀、ノストラダムスがいたころです。ペスト大流行によって中世は終わりを告げたのだ、と村上陽一郎先生が本を書いていましたが、そうだとするならば、この門は、そのときから時間をとめた、いわば当時の生き証人、ということになりますね。城の内外は緑の美しい公園になっていて、市民が憩いの場として佇んでいる、といいたいところなのだが、なにせ冷たい雨である。
このマース川の写真から寒々しさを想像していただきたい。城内外の公園をひととおり散歩した後、このマース側沿いのペイヴメントを歩いて駅方向へ戻る。 ![]()
プラプラ歩いているうちに早くも夕方。あまりに寒かったので、街のスーパーマーケットでマフラーを買って首に巻く。スーパーでは、イースターが近いのでキャンディーやらクッキーやらの量り売りが行われていて、見ているだけでも楽しそうな感じだった。ちなみにスーパーも、相当古い石造りの建物を改装して作られていた。いい時間になっていたので夕食をとろうかという話になり、歩いて、マーストリヒトでも評判のフランス料理店にたどり着いた。この店も石造りの家の改装で、カーブに沿った美しい石垣の向こうに路地が続き、その奥に建物があるという具合で大変いい感じだったのだが、まだ開店時間ではなかった。19時から開店、ということだったが、そこまで粘っていたらハーグに帰るのが真夜中になってしまう。残念ながらこの店はあきらめてマーストリヒトの駅に戻り、駅でサンドイッチを買って車内で食した。えらい差である。
18時ごろにマーストリヒトを出て、ハーグに帰り着いたのが20時過ぎ。大変寒かったのが身体にこたえて疲労感は大きかった。そのまま、ベッドにもぐりこんで寝た。寝ようとしたときに、家主のフリックさんの黒猫が部屋に忍び込んできて、見慣れぬ東洋人の顔を不思議そうに見ていたが、追い出すのも面倒だったのでそのままベッドに入れて眠ってしまった。
あとからいろいろ聞いたところなのだが、マーストリヒトは自分たちのことを「オランダ人」だとは思っていないし、大半のオランダ人も彼らを純同胞とは思っていない、ということだった。マーストリヒトで就職した人は、「アムステルダムに転勤だ、出世だ、栄転だ!」と言われてもこの町を出て行くのを非常に億劫がるのだという。
これはただにマーストリヒトだけにはとどまらない。たとえばデルフトとか、アイントホーフェンとか、マーストリヒトからハーグに戻る帰途立ち寄った駅でも、賑やかではないけれども地方都市が地方都市としてしっかりとやっているなあという感じを持った。たくさんの商業都市が連合体を形成した上でできた国家だからそうなのだ、と言ってしまえばそれまでだけれども、中央に依存しなくても街としてやっていける、という気概がある。そういう気概というのが、日本の地方都市に必要なのではないか、と思うのだ。
いま、日本の地方都市も元気がない。じいさまとばあさましかいない。仕事は土木工事しかない。だから、卑しい顔をしたおっさんたちが国会議員に取り入って、公共事業として中央から金をもらって食っていこうとする。それを批判すると、「地方を切り捨てるのか!」と凄む。構造的な問題だが、地方に魅力がない、ということが大きな問題なのではなかろうか。地方の魅力といっても難しいことではない。伝統的な産業があり、歴史があり、セルファースのような町の歴史(国史に劣る「郷土史」、ではない)を語る上でのヒーローがいて、自分が応援するサッカーチームがあるとか、そういうことである。オランダだって、マーストリヒトだって、中央から金をもらってはいるだろう。でもそのことで卑屈になっていない。あるいは、オランダの国としてのスケールが、そういう差が卑屈にならずにすむほどのちょうどよい大きさなのかもしれない。
だったら、我が国の地方分権も、道州制に似た、適度なスケールを探しながらやっていけばよいのだ。いますぐ、たとえば東京都や高知県が自己主張をはじめてもうまくいかない(きっかけとしては重要だが)。もっと、中世以来の大きな持続の感覚で持って、おらが町、を讃える感覚を養っていけないものか。
マーストリヒトへの慌しい日帰り旅行で、そんなことを考えた。