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第45回 オランダ・イタリア紀行 Vol.9
レンブラントは1606年、ライデンで生まれた。ちょうどオランダ東インド会社が結成されたのが1602年、そのオランダ人たちが平戸に姿を現すのが1609年。オランダ人たちが世界の海に漕ぎ出し、つかの間の「栄光の17世紀」を謳歌しようとしていたころである。
レンブラントは1631年、当時世界金融の中心地だったアムステルダムに移住していよいよ画家としての名声を高めるのだが、そのころのものと思われる自画像が、ここオランダ国立美術館にある。
ゴッホの有名な耳を切った自画像とともに図工の教科書などによく乗っていて、自画像を書かされる授業で「これをみて参考にしなさい」みたいなことを先生が言うのだが、これを参考に自画像がかける才能があるのだったら学校教育の図画なんて受ける必要もない。
それはさておき、この自画像は異様である。肝心の顔の部分を影に隠してしまっていて、それまでのいわゆる肖像画とは光と影が逆である。美学史では「キアロスクーロ効果」と呼ばれる陰影強調によるドラマ化の典型的な例だ。作者の強い自意識がにじみ出ていることはもちろんだが、しかし、正確に浮かび上がらされた壁の明るい部分も含めて、ここには強い客観性も存在している。
肖像画というよりも、むしろ写真芸術に近いものを感じさせる。この時代、オランダが輩出したもうひとりの画家、ヨハネス=フェルメールについても同じことが言える。
もっとも、フェルメールの場合、レンブラントほどの強い自意識があるわけではない。むしろ感じられるのは、遊び心だ。客観性という対象物を見出した主観の、遊び心である。
たとえばこの「ラヴ・レター」という作品で、この美術館に収められている。余談だが、かつてこの絵は、ある政治思想を持った青年の手で盗難に遭った。布地は額縁に沿って乱暴に切り取られ、犯人はあろうことかその絵を折りたたんで袋に入れ、自分の尻に敷いた状態でタクシーに乗ったのである。それが何もなかったかのように修復されているのだから、まったく、キュレーターたちの腕前というのは恐るべきものだ。贋作を作り出すぐらい何でもないだろう。
さて、この絵に戻る。「最後の晩餐」のように典型的ではないので気づきにくいが、この絵も入念な幾何学的な計算の上で、遠近法を使って描かれている。手前の空間の傾き、床の模様など、すべてが消失点に向かっていることがわかる。
また、ひかりも確実に一方向から当たっていて、揺るぎがない。ただそれでも、強い印象を与えないのは、レンブラントほど豪快な光と影の対比ではなく、ずっと静的に描かれている。レンブラントの光はスポットライトで「当てられている」のに対して、フェルメールの光は「当たっている」。
たとえば、フェルメールの「光の遍在」の代表例に使われる「レースを編む女」(ルーヴル美術館蔵)。絵全体に拡張された明るい中間色が光の遍在として捉えられる。それはそのとおりなのだが、われわれが注目すべきこととしては、それでも光が一方向から「当たっている」ことと、独特の視覚効果だ。
この絵は光と影の境界線はもちろん、主人公の女性の表情ですらややぼかされている。それも、たとえば印象派の絵画のようにぼかすことが目的なのではなくて、絵全体に焦点を作るためである。この絵で言えば、フォーカスは、レースを編む女性の両手に当たっている。そこだけがいっそう強く光を反射している。手元の針、青いレース、赤い糸がぼやかされているから、その印象は強くなる。
だが、レンブラントやフェルメールに見える、光のコントラストを使って絵に「フォーカス」を生み出すというテクニックは、おそらく、単に彼らの独創ではないのだ。そういうものを生み出す時代背景があったはずなのだが・・・。
そのことは、イタリアから帰ってきてからあらためて考えることにしよう。
適当に歩いて、疲れてきたところで館内のレストランで昼飯。
しかし、さすがオランダ。このレストランがバイキングなのだが、絶望的に不味い。野菜なんて、野菜の味がしない。草食っている感じだ。この国では、野菜を食べるという喜びはないのだろうか。
あまりに頭に来て美術館を退出し、外のカフェで昼食を頼む。オランダで唯一うまいといわれるニシンを食べようと思ったが、さすがにアムステルダムのど真ん中。ニシンはけっこうな額がする。そこで、やはり北海の名産シュリンプ(小海老)のサラダを食ったのだが、これが絶望的に不味い。野菜と海老と双方が絶望的に不味いから、ドレッシングを食べているような気分で食わざるを得なかった。
ところでこの国、コーヒーはうまい。さすがにインドネシアでプランテーションを作っていただけのことはある。街中にカフェがたくさんある。ついでにコーヒーショップもある。オランダでは、マリファナは合法ではないが、30gまでの所持で逮捕されることはないらしい。まあ黙認されているわけだ。そのマリファナを吸うための店が街で公然と営業していて「コーヒーショップ」といわれている。ちょっとのぞいてみたが、昼間っから暗い照明で、甘い香りの煙が充満していて、何より腕に刺青をした怖そうな兄ちゃん姉ちゃんたちがとろんとした目をしているので、恐れをなしてやめた。
そういえばアムステルダムは、あまり治安がよくないらしい。もっともロッテルダムほどではない、と付け加えることを、アムステルダムの人は忘れない。ついでに言うと、性風俗もアムステルダムはすさまじい。オランダでは売春が公認(こっちは合法)で、しかも下限は12歳!日本でいうところの「青少年保護条例」みたいなものはない。 アムステルダムには「飾り窓」地区という、その手の女性たちと店が集まっている一帯があるぐらいだ。あと、ゲイの人も多い。確かにアムスは、ヨーロッパのゲイ文化の中心だからな。
街に飾ってあるポスターとかも、ヘアヌード程度で騒いでいるわれわれ日本人からするとどぎつい。土産店では、局部のアップの写真とか、イエスとローマ法王が性交している合成写真とか、まあはっきり言って下劣な写真の「絵葉書」が売ってある。誰が買うんだ?
これだけ性風俗が自由なのも、個人主義なお国柄なのだろう。他の人が何をしていようと文句を言わないし、文句を言われることを拒絶する文化である。その代わり、きちんと清潔にはしてあるが。オランダの悪口ばかりになっているが、アムスも基本的には街はきれいである。特定の場所が汚いだけだ。
で、アムステルダムにもうまいものはある。これだ。
ビールである。ハーグの宿主だったフリックさんもビールをよく飲んでいた。
ラベルが見えるのは「アムステルビール」であるが、これは国内向けのブランド名で、同じ会社の国外向けブランドが「ハイネケン」である。ハイネケンの醸造所は何とアムステルダム市街のど真ん中にあり、その威容をトラムからでも見ることができる。
アムステルダムのショッピングセンターの近く。ま、街はこんな感じで、清潔というか殺風景というのか何とか。道を自転車が走っているが、オランダはどこでも自転車文化が盛んだ。マーストリヒトまで行かないと山がない、平地と干拓地の国だから自転車があれば便利だろうよ、と、坂の町長崎育ちの僕は思う。写真の、広い歩道のように見えるところが、歩道ではなくて自転車専用レーンなのである。
こんなふうに、自転車専用レーンのマークがある。ここを、大柄な男性女性が自転車に乗って、寒風を切ってビュンビュン飛ばす。歩いているこちらのほうが思わず身をよけるぐらいだ。
もうひとつ、オランダのこの時期の町の風景がこれ。
街中にこうした仮設のスケートリンクがあって、ちょっとした金を取って営業している。子どもたちを中心に、家族連れが娯楽として楽しんでいる。日本でいうところの、デパート屋上の遊園地といったところだろうか(ちょっと古いか。いまそんなもの見かけないものね)。
ところで、オランダは17世紀にスピードスケートが発祥した国である。1892年に国際スピードスケート連盟が組織されたが、翌年にはこのアムステルダムで第1回世界選手権が開かれているというから、よほど好きな国民なのである。もちろん現在でも、中・長距離(3000M、5000M、10000M)の世界ではオランダの実力は図抜けていて、世界でも圧勝し続けている。
というわけで、アムステルダムやハーグなど、オランダ北部でもっとも有名な日本人は、500Mの長野五輪ゴールドメダリストにして世界選手権王者、そして世界記録保持者の清水宏保である。この4日後、カルガリーで行われたワールドカップで清水は世界記録をたたき出して優勝したのだが、ハーグに帰ってきた僕に向かって宿主のフリックさんは「グッド・ニュースがあるよ。清水が世界記録を取り返した」とまず第一声に言ったのが面白かった。
また、「ユーロスポーツ」というスポーツ中継専門のテレビ局が一日中何かの中継をやっていることもあり、ウィンタースポーツ一般の人気は高い。スキージャンピングの原田、船木の名を知る人も多い。あれ?サッカーは?と思った皆さん。もちろんオランダはサッカーの強豪国で国内リーグも盛んだが、アムステルダムの雰囲気だと「あれは南でやってるスポーツ」という認識だ。アムステルダムにもアレナ・アヤックスという世界有数の名門クラブがあるではないか、と思う方も多いだろうが、「あれは貧乏人が見ているスポーツ」という認識である。
もっともこれはオランダのみならずヨーロッパ一般の認識である。以前会ったことのあるフランスのある官僚さんは、みんなが気を利かしてサッカーの話題をふると「あれは南の連中がやることだから」とにべもなかった。(確かにジダンはマルセイユ育ちのアルジェリア移民だ。)その代わり、ラグビーの話題をふるとのってきた。階級社会にあっては、愛好するスポーツも分化しているということだ。
むろん、オランダのサッカーの強さを否定するつもりはない。大昔のヨハン・クライフはさすがに記憶にないが、物心ついたころにはファンバステン、ライカールト、フリットの前3人が活躍していた時代であるし、現在でもクライファート、ゼンデン、フランク・デ・ブール、オーフェルマースと好選手をそろえている。北部では有名な日本人は清水だが、南に行けば当然、ロッテルダムを本拠にするフェイエノールトの小野伸二のほうが有名になっているだろう。
が、が、が。来年のワールドカップではオランダは日本に来ない。なんと予選で負けてしまったのだ・・・・。以上、アムステルダムの風情について。