
第55回 晴聴雨読(Snobist的偏愛論)
L.バーンスタイン『マーラー交響曲第9番』(1979)僕の敬愛する歴史家、エリック・ホブスボームは20世紀を『極端な時代』と形容した。言い得て妙である。確かに、20世紀を象徴するのは、大量殺戮や民族殲滅と科学技術の目覚しい発展、先進国の圧倒的な経済発展と第三世界の貧困、などの、あまりに鮮烈なコントラストであり、いずれも「極端な時代」と呼ぶにふさわしかった。
そして、レナード・バーンスタインは、その「極端な時代」を象徴するために、神に選ばれたかのような音楽家だった。
彼は1918年、アメリカに生まれた。しかし血筋は革命前夜のロシア帝国、しかもリトアニアから新大陸に逃れてきたロシア系だった。リトアニアはかつてはバルト海沿岸に覇権を唱えたこともある国で、ドイツ文化圏に属していた。彼もまた名前からわかるように、その血を受け継いでいる。そして何より、ユダヤ人であった。帝国が弱小国を呑み込み、ユダヤ人が迫害されるという20世紀の要素を、彼はことごとく背負ってこの世に生を受けた。
フルトヴェングラーがナチス支配下の、つまりメンデルスゾーン、マーラー、マイアベーアの音楽が、彼らがユダヤ系であるという理由で演奏を禁じられていたベルリンでシンフォニーを振っていたとき彼は、進行しつつある「極端な時代」の悲劇を、自らの身体に存在するアイデンティティとの関係を測りつつ、音楽の勉強をしていたのではないか。そうでなければ、彼があの若さで、あれだけマーラーにのめりこむとは思えないのである。
戦後、東西対立のなかで、バーンスタインはアメリカを具現化するような音楽を書いた。ミュージカル「West Side Story」である。この作品で名声を確かにしたバーンスタインは、自分が指揮するニューヨークフィル(NYP)においても、それまでのヨーロッパ的なしがらみから解き放たれた自由なオーケストラ音楽を作り出し高い評価を得ていた。この時期、NYPとともに最初のマーラー全集を録音している。旧来の伝統にとらわれない彼の斬新な演奏を、人は「普遍的」あるいは「コスモポリタン」と形容した。
だが彼の音楽活動が、救いがたいほど強いアイデンティティへ、そしてそのアイデンティティが被ってきた極端な苦痛への認識に根ざしていることは言うまでもない。彼は徹頭徹尾ユダヤ人であり、亡命者であった。歯車がひとつ違えば、彼がアウシュビッツのガス室にいたかもしれないという想像力が、アイデンティティへの敏感さとなって現れる。
彼が旧約聖書に基づいた交響楽を書き、それをイスラエル・フィルとともにテルアビブで演奏するという行為を、どうして簡単に「アイデンティティを突き抜けたコスモポリタニズム」などと言えるだろう。彼のユダヤへの共感は、極端な時代がユダヤに与えてきた苦痛とともに増幅され、彼はその増幅をマーラーという、やはりユダヤであることによって多く苦しめられた偉大な作曲家への共感というかたちで昇華せざるを得なかったように思う。そして彼にとって演奏という行為は、ある意味で、聴衆とともに行うその浄化であっただろう。
この時代にコスモポリタンとしてあることは、悲しくもつらいことである。
ところでそのころ、海の向こうの欧州では、伝統の上に立つひとりの指揮者が立ちつつあった。ヘルベルト・フォン・カラヤンである。
1960年代にベルリン・フィルの常任指揮者に就任したカラヤンは、紛れもなくヨーロッパ、ドイツ音楽の正統な後継者であった。にもかかわらず、彼はそのサウンドを近代化した。黄昏の維納を響かせるような奏者を全員首にし、己の信念に忠実な構成員を確保し、存分な音量と技術をコントロールしてどんな曲にも対応できるオーケストラに変化させたのだ。それはある意味ではファッショだった。ギリシア系と思われる端正な顔だちは、ヒトラーが賛美したアーリア人種の優越を思わせた。彼自身もナチズムとの関係を疑われ、その嫌疑は生涯晴れることがなかった。肘を思い切り張らせて弦をこすり挙げる彼のオーケストラの力強い演奏は、重戦車とともに押し寄せるドイツの強権を思わせた。彼が指揮するベートーヴェンの映像を見ても、そこに見られるのは、神につかえる神官かと思うばかりのまじめ腐った彼の表情と、彼の権力が隅々まで行き渡っていることを伝えるオーケストラの演奏だけである。だが、神官が振ればどんな曲でも演奏してしまうそのスタイルもまた、「普遍的」と呼ばれたことを忘れてはならない。
バーンスタインはときにうなり声を上げて指揮しつつ、聴衆と一体化したライヴ感覚に固執した。晩年はライヴ以外にレコーディングを許可しなかったほどだ。一方カラヤンは、録音から観客を排除し、静謐のなかから音が生まれてくるようなナチスばりの統率力を誇示した。大西洋を挟んだ二人の巨匠の価値観は相容れるはずもなかったが、一度だけ、邂逅があった。バーンスタインがただ一度ベルリンに乗り込み、カラヤンの手兵ベルリンフィルを振って、マーラーの大作・交響曲第9番を指揮したのである。この一瞬にあまりに多くのストーリーが交錯していた。1979年10月のことである。
このライヴには、いろんな逸話が伝えられている。バーンスタインが客演にやってくる前に、カラヤンが演奏方法についてオーケストラに細かく指示をしたこと。バーンスタインの要求に対して、弦セクションがサボタージュを起こしたこと。バーンスタインがプローベばかりか本番でも、シュナプスを口に含みながら指揮をしていたこと・・・・。どれが本当でどれが嘘かは今となってはわからないが、バーンスタインが「素面」ではやっていられないほどオーケストラが非協力的な態度であったことは事実のようだ。このCDが、演奏から13年も経った1992年になるまで発売されなかったのも、そのあたりの深い行きがかりを想像させる。
おそらく、孤独な「コスモポリタン」として振舞うことで己を保ってきたバーンスタインにとって、ベルリン・フィルのような機能的な普遍性と戦うことはつらかったに違いない。いきおい、その結末は極端なものとならざるを得なかった。演奏は第一楽章から、バーンスタインの勢いとベルリン・フィルの統率された音楽が衝突する。振りについてこないオーケストラに指揮者がいらだっているのがよくわかる。オーケストラのほうも、むろんサボタージュといっても怠けているわけではない。そんな演奏をしたら、ベルリン・フィルの名に傷がつく。したたかに、正確に演奏しつつ、指揮者が求めているものには応えない。極端なダイナミックレンジに、アゴーギグをつけてバーンスタインはオケと聴衆に求めていく。自分が生きている、体現している、この時代の人間がぶつけられた「極端」さを。
オーケストラが最後までそのことを理解できなくとも、バーンスタインはそれを求め続けた。彼の指揮はうなり声を伴い、次第に悲壮感を帯びてくる。「普遍性」という名のもとにつつうわべを変えようとする者たちに、己の実感として、極端な時代の悲壮感をぶつけていくかのようである。あまりに静かで、美しい最終楽章。オケにはついに指揮者の悲壮が理解できず、指揮者はオケに「極端な時代」がもたらしたいかがわしいペルソナを感じ取っていただろうか。フィーネは、孤独なコスモポリタンの自己表現の舞台が終わったことのみを告げるようであった。東西対立の中で讃えられた彼のコスモポリタニズムの、現実的には何と悲しいことか。
このあと、バーンスタインはベルリンのフィルハーモニーホールに戻ることはなかった。1980年代、バーンスタインはウィーンやアムステルダムといったヨーロッパの伝統的オーケストラに招かれ並ぶもののない名声を得た。NYを合わせた3つのオーケストラで3度目のマーラー全集を録音したのはこのころだが、この時期になるとかつての切れが彼の音楽からは消えていた。尋常ではない肥満体を抱えた晩年の彼の身体のように、音楽もあまりに極端な姿へと肥大化していった。それを人類愛と讃える論評も少なくなかったが、僕にはそうは思えなかった。彼の愛情はわかるが、それは自制心を失った老人の、いささかみっともないそれでしかなかった。東西対立が意味を無くし始めた1980年代後半、彼の音楽も実質的に終わってしまったのだ。
バーンスタインがもう一度だけベルリンフィルを振ったことがある。1989年、ベルリンの壁崩壊を祝う式典で、ブランデンブルク門傍の野外ステージでの演奏会だった。もちろんカラヤンはベルリンを終われたあと鬼籍に入っていて、もうバーンスタインを邪魔する者はなかった。
彼はここで、ドイツ統一の前祝にベートーヴェンの第9番を振ったのだ。もちろん、お祝いイベントに過ぎない演奏会に過剰な要求をするつもりはないが、それにしてもあまりにも無味乾燥で、毒にも薬にもならない退屈な演奏だった。そして演奏が終わった翌年、バーンスタインはこの世を去った。
そう言えば、ホブスボームは「短い20世紀」という言い方をしている。1914年まで続いた「長い19世紀」に対して、20世紀は、1917年のロシア革命に始まり、1989年のベルリンの壁崩壊に終わった。「極端な時代」の本質は、その70年余に集約されている。してみれば、バーンスタインはロシア革命の翌年に生まれ、壁崩壊という「極端な時代」の終わりに際してご祝儀の演奏までして世を去ったのだ。あのベルリンでのマーラーの第9は、文字通り「極端な時代」を生きたバーンスタインが、時代を象徴するものと、双方の本質を剥き出しにしつつ一瞬激突した熱い記録としていつまでも聴くに耐える。
ところで後に残ったのは、ロマン派気取りのクラウディオ・アバドによる時代錯誤的な演奏や、機能主義派とでもいう小沢征而の退屈な演奏である(もちろん、期待に耐える若手もたくさんいる)。いまわれわれは、「人類愛」などという言葉が「極端な時代」にこそふさわしい言葉であったと実感している。いまのところ21世紀は、意味のない言葉が流言蜚語のように世界中を飛び交い、戦争すらTVゲームのように娯楽に供される退屈さが支配している。
こんな時代にいったいどんな音楽が聴かれうるというのだろう。レニー、自分ばかり都合よく逝かないで、何か教えてくれよ。
上記のとおり、このCDはカラヤンもバーンスタインも死んだ1992年に発売された。バーンスタインには他にマーラーの第9を録音したものが、1960年代のNYフィルとの演奏、1970年代のNYフィルとの演奏、80年代のアムステルダム・コンセルトヘボウとの演奏と3種類ある(いずれも全集の一環として録音)。まだまだ売れ筋らしく、簡単に手に入る。なお、マーラーの第9について言えばカラヤンにもベルリン・フィルとの演奏があり、後期カラヤンとしては出色の出来なので、聴き比べてみるのも一興。