最近の読書メモ 表紙ヘ戻る 表組は見やすいのだけれど重いし、書き込みがめんどくさい。とりあえず、読書日記式にだらだらと書いておいて、詳しい書評みたいなのは、そこにリンクさせるというスタイルを思いついた。とりあえず、それでいってみる。とはいうものの、それでさえなかなか書き込めない。ひとことだけ、短評を付けてみる。
2005/03/
『』()
2005/03/06(日)
畑村洋太郎『直感でわかる数学』(岩波書店)
面白かった。目からうろこが落ちる本である。三角関数、行列式、指数・対数、虚数・複素数、微分積分、微分方程式、確率と、数学から落っこちてしまった人たちむけに、たぶん落ちてしまった原因になっていたはずの概念がやさしく具体的に書いてある。教科書ではさまざまな理由から(怠慢とか、思い込みだけでなくいろいろ事情があるのだな)、説明が省略されていたりしたものが、この本を読むとすっきりと理解できた気になるのだ。もちろん、それは入口の部分が理解できただけで、中に入って自在に操れるかというとそれはまったく別な話で、たぶん畑村版数学2Bとか、そういう本が必要なんだろう。だが、この本を読むことで高校生のときに頭の中にできたよくわからないもつれが解消したようだ。ちょうど上手なマッサージ師にかかって体が軽くなったような気持ちである。さて、現役の高校生諸君がこの本を読んだら、どんな効果があるか、知りたいものである。
2005/02/25(金)
リチャード・スターク/木村二郎『悪党パーカー/電子の要塞』(ハヤカワ文庫HM)
悪党パーカーのシリーズは読み出すと止まらない。巻頭いきなりの殺人シーンですでに書店で手に取った時点で止まらなくなってしまった。電子の要塞、というのはたしかスーパーマンの映画のタイトルで、ハイテクメカで守られたどこかを襲撃する話かと思ったが、そう単純な話ではなかった。話は二転三転し、プロット造りの技が冴える。ラスト1行が妙にさわやかである。
松田博公『鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす―』(岩波新書)
面白かった。鍼灸ジャーナリストが全国各地の名医を追い、鍼灸の謎に迫る。読んでいて、びっくりしたり、感心したりだったが、中でも幻肢の話は短編小説みたいだった。この本については別項で詳しく紹介したい。
マンリイ・ウェイド・ウェルマン/野村芳夫『ルネサンスへ飛んだ男』(扶桑社ミステリー)
1940年、SFがまだ若かったころに書かれたタイムトラベル小説。サクサク読める。
山本博文『江戸時代を探検する』(新潮文庫)
江戸という時代は、現在とはまったく違った仕組みで動いていたということがよく分かる本。もちろん、共通点は多いのだけれども。時代小説を読んで、江戸時代とは現代とよく似ていると思ってしまうと大間違いなんだね。でもこの違った江戸は魅力的だ。
五十嵐大介『リトル・フォレスト』(ワイドKCアフタヌーン)
若い女性が田舎で一人暮しをしている。その暮らしぶりを主に食生活を中心に描いたマンガ。うまそうな物が多くて、読みながらわくわくする。ゴマ入りの炊き込みごはんとか。
2005/02/10(木)
藤田宜永『愛の領分』『愛さずにいられない』『樹下の想い』『邪恋』
急にこの作家のインタビューをすることになって、困ったのが実は読んでいないこと。不勉強ではあるが文芸関係のライターではないので、言い訳がないわけではない。で、あわててネット検索をして、読んでおきたい本をリストアップし、図書館に置いてあるものを中心に借りてきた。やはり人気作家で、文庫はほとんど貸し出し中。単行本の中から上の4冊を借りてきて、目を通した。面白かったのが『愛さずにいられない』。ただ、インタビューのテーマが恋愛論なので本人の自伝的な小説であるこの作品をいちばん集中して読んだためかもしれない。『邪恋』も本人を彷彿とさせる人物(いちおう義肢装具士という職業の人物なのだが、ものの見方があまりにも小説家風である)のアヴァンチュールを描いているので、エピソードのこまごまとした描写にいちいち目が行く。女と出会って、酒に誘う。そのときに会話をかわしながら、どんな風に視線を合せ、指先で触り、意識下の会話を掘り下げていくのか、といった部分がいかにもで面白い。私小説のようなエピソードが完全なるフィクションのプロットの中に盛り込まれているわけで、そこに違和感がないわけではない。でもその違和感が小説を楽しむ上で邪魔になったかというとそうではなかった。
2005/01/27(木)
あずまきよひこ『よつばと!』(電撃コミックス1〜3)
小岩井よつばという牛乳のような名前の女の子(6才ぐらい?)の日常を描く。物語がはじまったとたんに明日から夏休み、という設定。そこへどこからか引っ越してきた小岩井家の父と子、ジャンボという大きな友人が引っ越しの手伝いに来ている。お隣さんは女3姉妹と母と影の薄い父。この一家との交流あたりから物語が流れていく。事件らしい事件は起きないのだが、たいていのことが初体験というよつばの反応を丁寧に描くことで、ちょっとしたことが目新しく不思議な事件に感じられていく。あとテンポの設定と間の良さがある。じょうずな落語家は、文字で読んでもぜんぜんおかしくない話を抱腹絶倒の高座にするが、それと良く似ている。
タイトルは、それぞれのエピソードが『よつば、と、○○』(○の中にはたとえば花火などが入る)というスタイルで付けられているところから、まとめてこうなったのだろうな、と、思う。
ジョン・ダニング/宮脇孝雄『失われし書庫』(ハヤカワ文庫HM)
元刑事の古本屋探偵のシリーズ、三作目。日本では千夜一夜物語の紹介で知られるリチャード・バートンにまつわる歴史ミステリに古書がからまり、殺人があり、アクションがあり、主人公の恋愛模様が絡まる。こう書いていくとけっこう盛りだくさんだが、長さもあって、わりとゆったりしたペースで物語が進んでいく。ミステリとしてはあれだが、トータルとしては面白かった。歴史ミステリの部分はバートンについて教えられた部分があって面白かったし、バートンという人物はこんな感じだったんだろうなと思わせる説得力があったし、長期間の友情という人間関係の物語としてみるとそういう関係が何とおりも描かれている工夫があって、それも面白かった。主人公の恋愛模様の部分は、ハードボイルドの伝統を受け継いでいるのか、しゃれたセリフがいろいろ出てきて楽しめる。というわけで、お買得の一品だったと思う。
2005/01/18(火)
大脳の本を読むのが好きで、田中冨久子『脳の進化学』中公新書ラクレを読んだのも、好きな分野だから、というそれだけのことだった。
面白いことに、この本はわりと手に入りやすい一般向けの本を多く引用してあって、読者は参考文献を読んでさらに興味の赴くままに知識を深めていくことができるようになっている。これはなかなか面白い試みだと思う。
それはさておき、この本の中で『サルの現在』(1996、文藝春秋)の中の伊澤紘生の研究について触れていた。これはどう考えても『サル学の現在』のことだと思うのだが、要するに野生の群れではボス猿は存在しない、というのである。
「サル社会は上から下まで順位制によってつらぬかれており、その頂点にたつボスザルは群れを導き、敵にあえば先頭にたってこれと闘い、群れの内部でいざこざがもちあがれば、これを仲裁するなど、人間社会のボスに近い行動をとるものとされていた。……
ところがたいへんおどろくことに、生態学・人類学者、伊澤紘生によると、このような順位制に支配された競争社会は、餌づけされたサルの群れでのことで、野生群ではまったくこのようなことはないのだ」
サルだけでなく、野生の群れでは順位制がないのに、オリの中では、順位制を伴う、競争関係を構築する動物があるという。
えーと、これは読んだはずだがどうだったっけな、と、それから『サル学の現在』を手にするまでに時間がずいぶん経ってしまった。
結局、田中冨久子の引用、要約したものが全てであった。
野生状態では、餌は広範囲に散らばっているため、競争よりも縄張りを伴うすみわけ関係になることのほうが普通なのだという。おりに閉じ込められ、一定の量の餌を与えられる状態は、いわばパイをわけあう関係になり、そこでは個の力の優位性が大きく意味を持ってくる。そこに競争が生まれ、順位や主従などの関係が育つのだという。
ヒトの社会は典型的な餌づけ社会なのである。たしかにひとつのパイを分けあう関係は我々の社会ではごくあたりまえである。激しいシェア争いが行われ、第一線の営業マンはリベートだ、接待だ、あるいは談合だと必死になる。ところがこれは餌づけ社会での典型的な行動であって、野生ではほかのテリトリーに出かけていくので競争は起こらないのだという。現代社会でそんな残されたテリトリーなどないよ、と考えるのが普通だろうが、たまたまふたつほどの例を思い出すことができる。ひとつはアップル社のアイポッド。ウインドウズとのOSのシェア争いに負け、影がうすい存在になっていたアップル社だが、この携帯音楽機器と音楽配信業で息を吹き返した。パイを争うのではなく、別なところにパイを見つけたのである。サッポロビールの豆が原料の発泡酒も同じ類であると考えられる。
われわれが生物固有のものと考え、進化の動因であるととらえてきた生存競争も実は特殊ケースであるといえるかもしれない。2005/01/12
高橋伸夫『虚妄の成果主義』日経BP2004年1月に発売され、ベストセラーになった話題の本である。
この本は経営学の本で、成果主義の安易な導入に警鐘をならし、年功制のほうがむしろ良い結果を招いていると述べている。あわせて日本の経営学者が海外の説を無批判に輸入し、その結果、発言内容が二転三転した様子を紹介し、年功制批判も同じ体質から生まれたものであると指摘している。
このへんの自己批判を含めた、日本経営学の右顧左眄ぶりがわかりやすく解説されていて、とても面白かった。しかし読みながら思わず座り直したのが、第4章の最終章だった。
ここに、従業員の労働意欲の動機付けはどこから生まれるのかを論じた部分があり、これがまことに示唆的だったのである。
そもそも人間は働きたがらないもので、それを給料やきれいな部屋、逆に処罰を与えるといういわゆるアメとムチの世界観である。これが成果に応じて多額のボーナスやストックオプションなどを支払う、アメリカンスタイルの成果主義である。ところが、少なくとも日本人は、給与などの報酬ではなく、将来の見通しが動機づけとして強く働くということをデータで示しているのである。そのデータは2群の質問で調べられた。
最初が、
1 21世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している。
2 日々の仕事を消化するだけになっている。
3 上司から仕事の目標をはっきり示されている。
4 長期的展望にたった仕事というより、短期的な数字合せになりがちである。
5 この会社にいて、自分の10年後の未来の姿にある程度期待がもてる。
上記の質問の1、3、5に対してイエス、2、4にノーと答えた場合、1点、逆の場合0点とし、合計点を『見通し指数』とした。
さらに次の質問群について答えてもらう。
A 現在の職務に満足感を感じる。
B チャンスがあれば転職または独立したいと思う。
それぞれ、満足比率、退出願望比率とする。すると、見通し指数が高い人ほど、退出願望比率は減る強い相関関係があることがわかった。同時に満足比率とも相関が有るのだが、3者の相関をみると、見通し指数が高いほど、退出願望比率は減る。また、満足比率も上がるが上がる割合は大きくない。
『将来への見通しがはっきりとしていれば、現状に満足していなくても、退出願望比率は上がらない』という結果が読み取れる。
つまり、労働意欲を支えるのは、給与などの外的条件ではなく、将来の見通し、ビジョンであることが示されたのである。これは面白い結果だが、以上の質問は会社だけではなく、家計や家庭の将来についても当てはまるのではないだろうか。
つまり、家庭の幸福は、現在の物質的条件が恵まれているかどうかではなく、将来の見通しがどうか、で決まるのではないか。
家計もその意味で、10年先のビジョンを決めて、それに向けて、考えていく必要があるのではないか。
だが目標を立てる場合、たとえば年間200万円の貯金、とかの目標をかかげるのは良いが、その達成率などを問題にすると、成果主義におちいって、破綻するそうである。この本の中に、面白いエピソードが紹介されていた。
吹雪のアルプス山脈で軍事演習をしていた部隊が立ち往生したが、たまたま隊員のポケットから出てきた地図を見て、テントの中で耐えぬき、3日目に下山に成功した。ところが地図をよく見るとピレネー山脈の地図だった。
つまり、まちがっていても、将来の見通しがあれば、勇気づけられる。混乱しているときは、どんな指針であっても、指針であるというだけで効果があるそうだ。2004/2/25
水谷三公『江戸は夢か』ちくま学芸文庫冒頭、福沢諭吉の文章が引かれている。諭吉のいうところをまとめると、「江戸の社会は貧富の差も少なく家族のようであった。しかし列強に抗して日本という国の独立をたもつには、江戸の夢のような制度は続けるわけにはいかない」、とこういうことになるだろうか。
で、この本は、その夢のような江戸という社会がどんなものだったのか、同時代のイギリスと比較しながら、解説している。たいへん分かりやすくて面白い本だった。
中で、一揆について述べた部分、思わず電車の中で読みながら噴き出してしまったのだが、我々がイメージする一揆とは大分様相が異なっているのであった。まず、一揆はご法度であり、首謀者は死罪であり、と、我々は時代劇やらマンガやらで教わってきたのだが、たしかに法律的にはまさにその通りなのだが、そういう法律がその通りに運用されたかというとそうでもなかった。ある一揆首謀者の日記が残されていて、それが紹介されている。これが嘘だろう、というくらいおもしろい。
一揆の相手方というのは、代官なのだが、この代官方と馴れ合いで一揆をやるのである。一揆のやり方を代官の手の者が教えるのだ。籠訴というのがあって、これは江戸城に登城する老中の籠の前に、訴状を差し出して、直接、訴えるという一揆ではよくある手法なのだそうだ。これをいつ、こうしてやるといい、と教えられるのである。でもって、いよいよ籠訴を決行する。で、その後どうしたかというと、代官の手の者と連れだって、あろうことか芝居見物に行くのである。
籠訴なんぞをやったら、さっそく取り押さえられて、牢に放り込まれ、すぐさま打ち首、というイメージだったが、実際はそんなものでは全然なかった。
別の本を読めば、江戸という都市には女性が少なくて、独身男ばかり住んでいたこととか、梅毒が流行っていて、5人に1人はかかっていたこと、とか、夢のようなとばかり言ってはいられないことも知ってはいるけれども、それでも、江戸は夢のような時代であった。しかし、諭吉という人は世界が見えている人だったのだなあ。2004/2/16
白川静『常用字解』平凡社常用漢字に絞って、漢字の紀元を解説した辞典で、2,800円。ちょっと厚い単行本の値段ですが、高くない。たぶん学割の値付けなんだと思います。序文を読むと、中高生に読んでもらいたい、日本語の次代を担う彼らのために作った本であるということがひしひしと伝わってくるからです。
『字統』という同じ系列の本があり、こっちは常用漢字に加えて、人名漢字や難読漢字を網羅しているので、おトクな気もしますが6600円だったかします。しかも説明を読み比べてみると、『常用字解』のほうが丁寧でわかりやすい。一日に数ページをぽつぽつ読んでいますが、ちょっとしたファンタジーのような楽しさがあります。
文字というのは、古代中国の精神文化を今に伝えているのですね。
たとえば、言うという字は、もともと辛という字と口の組み合わせで、口というのは祝詞というか神様へ聞きたいことを書いたものをおさめる器を表わす字だそうです。辛というのは、罪人に入れ墨をするときに使うとってのある針だそうで、悪いことに使ったら刺されても構いませんという覚悟を示すものだったとか。
こうして、器の上に針をおいて、神様のいるところ(日本だったら神棚ですが)におさめると、夜になると微かな音がする。それが神様のやってきた印です。それを表わす字は、口の字に横棒を引いたもの。先ほどの言の元の字、辛+口に、横棒が加わったもの、つまり辛+曰は、音の古い字体だそうです。音とは、神の訪れを示す字だったのです。
神のおわすところを表わす字が、門で、門+口で、問。門+音で闇になるのは、神が訪れるのは夜の闇に紛れてだからです。
もうひとつ、例を上げると、唯という字。これも口の字がありますが、これは作りに隹(ふるとり)があることからわかるように、鳥占いの結果がよろしいという意味だそうです。占いで良い結果が出たら、文句なしだと思うのですが、その占いに悪霊が邪魔をしていたら、果たして唯々諾々と従って良いものやらわかりません。それを表わすのが雖(いえども)という字で、口の下に虫(悪霊)がついています。
ファンタジーのような楽しさ、と書きましたが、一種、魔法書のようでもあります。ル・グィンのゲド戦記の魔法世界と通じるものがあり、真の文字をあやつる魔法使いなら、この字解を使って簡単な魔法がかけられるのではないでしょうか。
常用漢字だけでなく、22万語だったかを網羅した集大成とも言えるものが『字通』で、これは2万2千円ぐらい。CD−ROM版のほうが安かったはずだけれど、うーん、欲しいなあ。2004/1/27
島 泰三『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』中公新書面白い! アイアイ(マダガスカルにいるサルの仲間。歌になっている)の手の指、歯の形状が、ある食物を効率よく食べるためであることを説く。最終的には、ヒトの手と歯の形から、源初の人類は、ある食物を食べる形に進化したのだと説明していく。実際、アイアイの前肢の指の形はおそろしく奇妙である。http://members.at.infoseek.co.jp/kawa3104/aiai.html
体長40cmと猫ぐらいの大きさにも関わらず、その指は巨大ともいえる。なぜ、こんな指になったのか。
かのブリア・サヴァランの言うごとく、「君がどんな食べ物を食べてきたかいってみたまえ。君がどんな人物か当ててみせよう」である。
もしカニを食べるように適応したら、その指はカニ用のスプーンのような形になったのだろうか。
あるアブラっこい食べ物を食べるようになって、ヒトは直立し、ホモ・サピエンスへと進化していった。そこで思い出すのが、ホロビンの下の著書である。
デイビッド・ホロビン/金沢泰子『天才と分裂病の進化論』新潮社によれば、ヒトの脳は脂質を食べるようになってから、巨大になりはじめたという。つまり大脳の巨大化には、ヒトの食の変化が根底にあったという。ホロビンはそれを15万年前というが、島のこの本を読んだ後では、これはちょっと最近すぎるような気がする。2004/1/25
ジョージ.R.R.マーティン/岡部宏之『氷と炎の歌1 七王国の玉座』早川書房掲示板に次のように書いた。
『読了。
ものすごい大河小説の第一巻。架空の王国の架空の王族たちの、いろいろなうらみつらみ、離合集散が語られ、布石は終わった(のかなあ)、いよいよ、開幕! といったところで、終わり。次の巻がぜんぜん出ません。
次の巻が出てから読もうと、固い決意だったんだが、昨日、四日市に出張だったので、行き帰りに読んでしまった。
架空の世界の歴史小説、といったかんじのもので、ファンタジーに分類されるのだろうがまだ魔法は少なめ。ものすごく多人数の、複雑な性格の登場人物たちが、複雑にからみあう大ロマン。発表された巻はすべて受賞するという、打席に立てばホームランという感じの大ヒットシリーズで、さすがの面白さ。
セックス描写もあり、大人向けの小説を狙っている様子。ただ、よいセックスはまったく書かれていなくて、ほとんどがレイプや売春や近親相姦など、ネガティブなものばかり。作者はセックスについてうらみでもあるのだろうか』これはこれで一面の真実ではあるのだが、もう少し、丁寧な紹介をしておいた。
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