最後通牒

イラクとアメリカ

 

3月17日の時点

 

アメリカがとうとうサダム・フセインに最後通牒を突きつけた(平成15年3月

17日)が、サダム・フセインはそのことをまだ国民に知らせていないという。

つまり彼はイラクの国民を自分自身の盾に使っているということである。

彼は自分の国の国民・イラク国民を彼自身の盾に使って、アメリカが攻撃して、それでイラク国民が死傷したとき、「アメリカは罪もないイラク国民を虐殺した」と世界に向けてPRするつもりのようだ。

こんな馬鹿な話があっていいものだろうか。

自分の国の国民を盾にする統治者というものがあっていいものだろうか。

アメリカがサダム・フセインに「政権の座から下りよ」と要求することは確かに内政干渉である。

内政に干渉するために武力を行使しようとしているわけであるが、そうでもしなければサダム・フセインはクルド人の抑圧を止めず、大量破壊兵器を隠匿し続け、テロの輸出に手を貸すわけで、これを干渉せずに是正できれば、こういう事態にはならなかった筈である。

世界各地で起きているアメリカの武力行使に反対する運動というのは、あまりにも無責任な態度だと思う。

特に安保理の常任理事国であるフランスの態度というのは無責任極まりないと思う。

サダム・フセインに対しては、言葉による説得は今まで功を奏していないわけで、フランスのいう「査察にもっと長い時間をかければ良い」というのはアメリカに対するやっかみ以外のなにものでもないと思う。

こういうことが出来るのは今やアメリカ一国しかないわけで、アメリカが世界の警察官の顔をすることがフランスとしては面白く思っていないわけである。

フランスはどう逆立ちしても世界の警察官として振舞うには国力が無いわけで、それで拒否権というものをちらつかせて、アメリカと対等の立場に立とうとしたわけである。

アメリカとイラクが戦争してどちらが勝つかということは、誰でも解っているわけで、サダム・フセインもそんなことは十分承知であるが、それでも尚政権の座にとどまり、亡命もしないということは、「アメリカがイラクの国民を虐殺した」という実績を作らせようとしているわけである。

これを我々はどう考えたらいいのであろう。

アメリカに「戦争をやめよ」といってアメリカがその通りにしたら、サダム・フセインのクルド人虐殺は続き、大量破壊兵器は増産され、テロの温床となるわけで、これを我々はどう考えたらいいのであろう。

「戦争反対」と叫ぶことで事が解決するであろうか。

戦争反対をアメリカにいうならば、同じボリュウムでサダム・フセインに対しても言わなければならない。

 

3月18日の状況

 

翌日(18日)の新聞には最後通告の全文と日本の情勢およびイラクのサダム・フセインの動向が報じられていた。

その中でも特に小さな記事であったが、開戦になったらサダム・フセインは身を隠して、長男のウダイ氏が全面的な指揮をとるということが述べられていた。

これも我々の常識では考えられないことである。

イラクのサダム・フセインというのは彼自身と、彼の家族だけが、アメリカと戦ってイラク国民というのはまるで人間の盾としての存在でしかないではないか。

彼の頭の中にはイラクの国民を戦争の危害から救わねば、という発想が微塵も見当たらないではないか。

そして我々の国内では「国連の安保理の決議のないままの開戦は国際法に違反する」という論調がもっともらしく語られているが、国際法なるものは所詮「勝てば官軍」の論理で、大国次第で如何様にも曲げられるものであるという事を忘れた論議である。

仮に国連安保理の新しい決議があれば、アメリカがイラク国民を虐殺しても良いというのは、論理的におかしいと思う。

国連の安保理の新しい決議があろうがなかろうが、アメリカがイラク国民を殺傷して良いわけはない。

しかし、それを回避できるのはこの後に及んではサダム・フセインただ一人しかいないわけで、今となってはイラクの何の罪もない人々を殺傷するのはサダム・フセイン自身だということを知るべきである。

国際法違反という面からすれば、イラクも明らかに国際法に違反しているわけで、違反しているからこそアメリカがそれを正そうとしているわけである。

違反しているものを、違反した行為で正そうとしている以上、国際法そのものが存在しないも同然である。

つまり、それは時と場合によって、その時の都合によって、どういう風にも解釈可能ということである。

東西冷戦が終焉した今日において、国際法を名実共に実行あらしめる力、パワーというのはアメリカ一国にしかないわけで、アメリカが世界の警察官とならざるを得ない。

世界の警察官が間違った対処をしたとしても、それを是正させる力を持った主権国家というのはこの地球上には存在していないではないか。

冷戦華やかりし頃は、アメリカに対抗してソビエット連邦というものが毅然と屹立していたので、アメリカとしても世界の警察官ぶることは不可能であった。

ところがソビエットが崩壊した以降というものは、アメリカ一国のみが世界の警察官となってしまったわけで、その中で国連憲章・国連というものは存在意義が低下してしまったわけである。

我々は国連憲章、国連というものは正義を実践する場だと勘違いして、自国の防衛もそれに委ねて由としているところがノー天気なわけである。

国連の常任理事国、いわゆる米、英、仏、ソ、チャイナの5カ国が拒否権というものをもった特別な存在ということからして、21世紀の実情にあっていないわけである。

そして、ソビエット連邦が崩壊したという状況をなんら加味されることなく、第2次世界大戦が終焉した時点の、つまり58年前の状況下で出来上がったままで、国連改革も何度も叫ばれているにもかかわらず、それが一向に改善されないのも、それぞれの国益が絡んでいるからに他ならない。

国連の枠内でアメリカの独走がしばしば話題になっても、国連を代表してアメリカに制裁を加えれる主権国家が他にないではないか。

法というものがきちんと機能させるためには、それを実効あらしめる力が必要なわけで、法を犯したものは力でねじふせるという機能がないことには、法をきちんと遵守させるということは出来ないわけである。

その力が存在しないところでは、法など何の価値もないわけである。

主権国家内ではそれを警察が果たしているわけで、警察というのは国内向けの強制的な権力なわけである。

ところが国連というのには、そういう強力な実行力としての力を持っていないわけで、イラクに派遣されている査察団というのも各国から寄せ集めた寄り合い所帯である。

国連であろうと世界の警察官であろうと、相手が話を聞き入れない限りは、何の効果も期待できないわけで、これでは最後は力の行使しかないわけである。

アメリカは、その力を行使するについては一応世界に向けてその旨打診して、世界の賛意を得ようとしたわけであるが、フランスをはじめとする諸国はアメリカの考えていることに素直に賛意を表さなかったわけである。

そもそも国連の安全保障理事会の5カ国が拒否権を持つというのは時代遅れの発想であり、21世紀という現状にはマッチしていない。

58年前、第2次世界大戦が終わった時点での国際連合の体勢のままで今日まで来ているわけで、世界の情勢はそれから大きく変わったにもかかわらず、その時の大国といわれて国々が拒否権を持っているわけである。

そのことが今日の実情にマッチしていないことは誰の目にも明らかである。

にもかかわらず、それが一向に改善されないのは、それぞれに国益が絡んでいるからである。

この常任理事国に中国が入っているが、この中国というのは本来ならが台湾でなければならないはずである。

1945年の時点で、連合国の一員として入っていたのは中華民国であったわけで、その意味からすれば、今の台湾が常任理事国でなければならないし、ソビエット連邦というものが崩壊した以上、その席は欠員でなければならないと思う。

そのことを考えると国際連合、国連というものは大きな疑問を抱えた、矛盾に満ちた存在といわなければならない。

戦後の日本国民、特にその中でも進歩的と称せられている人々は、何かにつけて国連中心主義で、日本の防衛も国連の判断に委ね、自らが血を流してでも国土と国民を護るという事を遺棄する発想に陥っている。

こんな曖昧な組織を頼みにしていては亡国あるのみであるが、それに気が付こうとしていない。

今回のアメリカのイラク攻撃に小泉首相が支持を表明すると、それに反対する声が怒涛のように沸きあがっているが、そういう人々というのは日本が世界の中に置かれた位置というものを知っているのであろうか。

 

3月19日の状況

 

本日(平成15年3月19日)の中日新聞の報ずるところによると、日本は「米国日本州」だと揶揄する見出しが載っているが、そんなことに今頃気が付く方が認識不足である。

58年前の日本の敗戦の時点から我々はアメリカの第52番目?の州であったわけで、それだからこそ我々は生きて来れたではないか。

1951年、昭和26年、日本は独立を回復したではないかというかもしれない。

しかし、占領時代の憲法を引きずって、自分たちで自主憲法も作れない国が、主権国家として存在しうるであろうか。

自分たちで自分の国も護れない国が主権国家として存立しうるであろうか。

血を流してでも自分たちの祖国を守ろうとしない人々が、主権国家の国民といえるであろうか。

自分の国の防衛をアメリカにおんぶに抱っこ(日米安保条約)させておいて、「アメリカを支持するな!」という言い草はないと思う。

他にどういう選択肢があるというのであろう。

イラクの国民は最期の血の一滴までアメリカと戦うと言っているが、あれこそ主権国家の国民として普通の姿である。

自分たちの統治者が如何に間違っていようとも、自分がその国の国民である以上、自分たちの統治者を支持するというのが、普通の主権国家の国民として当たり前の姿のはずである。

世界の統治者の中には、反対意見を唱えるとその人を抹殺して意に介さないものもいるが、それでも国民はそういう統治者を支持せざるをえないのである。

第2次世界大戦に敗北した日本は、アメリカの属国になったわけで、アメリカの属国ならばこそ、我々は戦後生きて来れたわけである。

1951年の独立の回復というのは、アメリカの都合による、アメリカの国益のための見せかけの独立であったわけで、東西冷戦の申し子であったわけである。

アメリカはアジアが共産化しないように日本を共産化阻止の不沈空母として利用しようとし、表向きは自主独立させてようとしたが、肝心の日本人が完全なる独立達成を内側から拒んで、名ばかりの独立となり、それはとりもなおさずアメリカの属州となってしまったわけである。

自分たちで憲法一つ作れない民族では、名実共に被占領国民であり、エコノミック・アニマルであり、日本民族の中でも当時の日本のインテリーの中には、占領されたままのほうが良いと、時の為政者に楯突いたものがいたぐらいである。

「日本は今日世界でアメリカに次ぐ経済大国になったのだから、アジアでリーダーシップを発揮しなければならない」という論調が盛んであるが、これほど我々自身、日本民族の本質というものを知らない論調もない。

我々が本当の意味での自主独立を願うとしたら、我々は又世界を混乱の渦に巻き込んでしまうに違いない。

なんとなれば、日本の常識が世界の非常識であり、世界の常識が日本の非常識である限りにおいては、日本が自主的に頭角を伸ばせば、世界の常識に真っ向から対立するわけで、それはまたまた世界を大混乱に陥れるということになる。

世界の人々の目から見た日本は、豊ではあるが堕落して、自分の国を自分で守る気概もなく、少し脅せば金だけ差し出すひ弱な隠花植物のような存在であった欲しいわけである。

戦後の我々は、自分の国の防衛ということをアメリカと条約を結び、国連に依存して、日本に対して武力攻撃があった場合は一目散に逃げることを考え、初動段階ではアメリカに依拠し、その後は国連の裁量に委ねるということで、徹底抗戦という考え方は全く存在していない。

イラクのサダム・フセインの統治しているイラク国民のように、血の一滴までも戦い抜くという概念は全く存在していない。

日本の知識人は、我が国を武力攻撃するような国は存在しないと思っているが、確かに武力で攻撃しなくても一言恫喝するだけで素直に言うことを聞く国を、わざわざ武力攻撃して世界から顰蹙を買うような馬鹿なことをする国はない。

もしそういう場合には国連が何とかしてくれるであろう、という他人任せの発想しかないわけである。

ところが今回のように国連の中で意見が分かれるとなると、国連も頼りにならないことになる。

我々は国連というと何となく善意の人々の集団、理性的で理知的な判断で世界のために寄与する人々、正義を世界中に具現化する組織、というイメージで捉えがちであり、それが国益がしのぎを削って取引されているという面を見ようとしない。

国連は安全保障理事会だけが国連だと思いがちである。

国連加盟国の正確な数字は知らないが、190カ国もあるということは、吹けば飛ぶような国もあるわけで、それらがいくら議論をしたところで意見の一致ということはありえない。

我々は戦後、民主主義の下に命を全うしてきたが、その中で自分たちの統治者に対して物申すことが許される状況というのは非常に恵まれた環境におかれている、ということを心しなければならない。

サダム・フセインのイラク国内でこういうことがありうるであろうか。

イラクのサダム・フセインや、北朝鮮の金正日の治世で、こういう国民の自由というものが存在しうるであろうか。

これは非民主化の具体的な例であるが、国連加盟下の国々の中にも、そういう国が数多くあるわけで、これはある意味で政治というものが世界各国の間で均一ではないということである。

我々は戦後、自分たちの統治者に対して罵詈雑言を浴びせても、それで身柄を拘束されるということは全くない。

イラクでこういうことが許されているであろうか。

北朝鮮でこういうことが許されているであろうか。

中華人民共和国でこういうことが許されているであろうか。

かってのソビエット連邦のレーニンやスターリンやフルシチョフはこういう事を許していたであろうか。

他国の内政には干渉してはならない、ということは誰でも周知している。

内政不干渉は国際常識として定着している。

しかし、干渉しないでおれば、イラクのクルド人抑圧は何時まで経っても解決しないわけだし、北朝鮮の食糧事情は何時までたっても解消しないわけで、テロは際限なく他国に輸出され、抑圧や餓死が何時までも続くということになる。

190カ国もある主権国家の中には豊な国もあれば貧しい国もあるわけで、南北問題というのが知識人の頭を悩ましていることは承知しているが、これの是正ということはそうそう簡単なことではない。

アメリカの9・11テロが起きたとき、南北の貧富の差がこういうテロを引き起こすと言われていたが、ならばアメリカが爆弾の代わりにドル紙幣を空から撒けば、テロが撲滅できるかといえばそう簡単には事が運ばないと思う。

それで収まれば実に安いものだと思う。

アメリカのブッシュと、イラクのサダム・フセインの確執を見ても、我々は安易にアメリカに対して「戦争止めよ」と言っているが、サダム・フセインの側がアメリカのいうことを聞けば誰一人怪我をせずに済むにもかかわらず、サダム・フセインはそれをしようとしないわけである。

世界の人々が「アメリカがああいっているからお前さんも相手のいうことを聞いたらどうだ」と言っても、フセインは「嫌だ」と言っているわけである。

戦争になれば双方に怪我人、死傷者が出ることは明らかにもかかわらず、双方が譲らないわけで、勝ったアメリカは戦後きっと「意味のない戦争をした」「罪もない人々を虐殺した」と責められるに違いない。

フセインはそれを狙っているとしか思えない。

今の現状からして、イラクにはアメリカに勝つ見込みは全くないわけで、それでもフセインは何がなんでも、自国民、イラクの国民に怪我をさせ、殺させてまでもアメリカを戦争に引きずり込もうとしている。

アメリカを無理やり戦争の場に引きずり込んでおいて、後から「アメリカが罪もないイラク人を虐殺した」と言うに違い。

こういう点を我々はどう考えたらいいのであろう。

3月20日タイム・アウト当日

 

H15・3・20現在、イラクとアメリカが戦えば、1週間か、1か月か、3ヶ月か、6ヶ月でイラクが敗北することは歴然としている。

それでもなおイラクのサダム・フセインがアメリカに戦端を開かせようと試みているのは、「アメリカがイラク人を虐殺した」という実績としての罪科を、何が何でもアメリカに押し付ける魂胆とみなさなければならない。

ならばイラクは全く無抵抗かといえばそうではなく、イラクは大量破壊兵器を隠し持ち、化学兵器、生物兵器で世界中を大混乱に陥れると豪語しているわけで、これを我々はどう考えればいいのであろう。

Photo

この写真は20日の中日新聞一面に掲載されたものと同じであるが、インターネットから引用されていたわけである。

新聞社がインターネットの写真を掲載して紙面を作るということが許されるかどうか定かに知らないが、今はその問題に触れるゆとりはない。

この写真のコメントには、戦火を逃れようとクルド人自治区に避難するクルド人となっているが、こういう難民を作り出しているのがサダム・フセインなのかアメリカなのかということを考える必要がある。

我々は、こういう現実から遠くはなれた豊穣の地で、アメリカにだけ戦争反対と叫んでいるだけで、自分は良い事をしている気分になっているが果たして本当にそうであろうか。

我々が、アメリカにだけ非難の矛先を向けるということは一体どういうことなのであろう。

ロシア、ドイツ、フランスがアメリカに物申すのと、我々がアメリカに対して物申すことは全く同一ではないと思う。

日本の知識人は、当然、アメリカの武力攻撃を非難するであろうし、現にしているが、安易に非難しやすい相手を非難しているだけでいいのであろうか。

「イラクも悪いがアメリカも悪い、ならばアメリカの方が自重すべきだ」というのはどこか間違っているような気がしてならない。

罪もない人々を先に殺した方のアメリカが悪いというのは、あまりにも安直な判断ではないだろうか。

自分の国民を攻撃の盾にしたサダム・フセインを庇う、というのはどこかおかしいのではなかろうか。

サダム・フセインの戦争遂行のアイデアの中には、自分の子飼いの兵隊にアメリカ軍の服装をさせて、イラク国民やクルド人を虐殺させておいて、それをアメリカ軍がしたように見せようという作戦まである。

そういう統治者を庇っておいて、アメリカの行為を非難するというのは、どういう了見なのだろう。

アメリカの人殺しは悪いがイラクの人殺しは悪くない、という論理が一体何処からくるのであろう。

アメリカに対しては「戦争反対」、「人殺しを止めよ」ということが簡単に言えるが、イラクの国内で、イラクの統治者、つまりサダム・フセインに向かってこういうことがいえる状況だろうか。

イラクのサダム・フセインが100%の支持を得る状況というのはどこかおしいのではなかろうか。

自分の息子、ウダイ氏とオダイ氏を政府の要職につけるという政治体制が果たして民主的といえるであろうか。

しかし、これだけならばまだ内戦干渉の理由にはならないが、クルド人の抑圧と、大量破壊兵器の隠匿、そしてテロの輸出ということがあれば内政に干渉してでもそういう脅威を取り除かねばならないのは当然である。

こういう状況下でフランスがアメリカに反抗するというのはどういう了見なのであろう。

フランスはテロの攻撃というものは今のところ受けていないわけで、それを裏側から見れば、テロを受けるに値しないということでもあるわけである。

ドイツはドイツなりの論理があると思うが、それは他所の国の戦争に巻き込まれたくないというものだと思う。

しかし、フランスは国連安保理の常任理事国であり、NATOの一員でもあるわけで、それが国連という場を私物化しているとしかいいようがない。

フランスの主張というのは「査察をもっと継続すれば良い」というものであるが、これは奇麗事を並べたスタンドプレー以外のなにものでもない。

これを見ていると日本の野党の発想と瓜二つで、自らは全く力のないことが分かっているので、人のやる事に茶々を入れているという構図である。

フランスの行動は国連の安全保障理事会の中でわがままを言っているわけで、これは由々しき問題を内包していると思う。

フランスにとってはアメリカが世界の警察官として振舞うことが面白くないと映るのは致し方ない。

しかし、現実の国力、つまりあらゆるパワーがアメリカにはあってもフランスにはないわけで、その認識を見失って口先だけで奇麗事を並べて駄々をこねても、後で手痛いしっぺ返しが来ると思う。

これでNATOEUも折角出来た結束が雨散霧消してしまったものと思う。

 

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2003年03月20日(木)

 

米英軍、イラク攻撃 ブッシュ大統領が宣言

 ブッシュ米大統領は19日午後10時15分(日本時間20日午後0時15分)、ホワイトハウスからテレビ演説し、「イラク国民の解放を始めた」と述べ、米英軍を主体とするイラク戦争を開始したことを宣言した。周辺各国に展開する米軍のF117ステルス戦闘機や巡航ミサイルなどでイラク指導部の拠点を波状攻撃した模様だ。米軍などによるイラクへの大規模な武力行使は98年12月以来、約4年3カ月ぶり。

 ブッシュ大統領はテレビ演説で「米英軍はイラクに対する攻撃の初期段階に入った。広範で、統制された作戦だ」と述べた。「(作戦は)脅威を取り除くのが目的だ。無実の国民を救わなければならない。イラクを安定した国にしたい。我々はイラク国民と文明、宗教を尊重する」とし、「無法の政権を許さない」と非難した。

 大統領は米英軍の行動に対し「35カ国が協力を申し出た」と述べ、国際協力を得た作戦であるとの認識を示した。

 ロイター通信によると、バグダッドでは現地時間20日午前5時33分(日本時間午前11時33分)ごろ、最初の爆発音が聞こえた。市内には空襲警報が鳴り響き、夜明け前の薄明かりを帯びた空に、次々と対空砲火が上がった。同通信は、現地の情報として、爆発音は同市の南の郊外で聞こえると伝えている。

 フライシャー米大統領報道官は「フセイン大統領がまだ亡命していないとの情報を得て、これをブッシュ大統領に伝えた」と述べ、亡命拒否の判断によって攻撃開始を判断したことを示唆した。また、報道官は「今の段階では攻撃は限定的なものだ」と述べた。

 米CNNなどによると、攻撃には巡航ミサイルが使われた。イラク側は対空砲などで応戦した。バグダッド市内の指導部のいる施設を狙った攻撃で、約10分間にわたったという。

 クウェートとイラクの国境沿いの非武装地帯(DMZ)に展開している10万人規模の地上軍も近くイラク南部への侵攻を始めると見られる。

 今回の攻撃は、大量破壊兵器を持つとみる敵に対し、自国の自衛を理由に先制攻撃を正当化する昨年9月の「国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)に基づく初の攻撃となる。国連安保理を軸に多国間で紛争の解決を目指す第2次大戦後の国際社会の規範を根本的に書き換えようとする動きで、安保理の明確な支持を得ない武力行使には国際法上、正当性に疑念が生じる恐れもある。

 米国防総省によると、イラク周辺に展開しているのは米軍約24万人を中心とする米英軍主体の約30万人。軍事的支援または政治的な支持を表明した国は、日本、スペイン、豪州など計45カ国に上るとしている。湾岸戦争で28カ国の多国籍軍に参加したフランス、カナダ、イタリアなど西側同盟国とサウジアラビア、エジプト、シリアなどアラブ諸国は今回、参加していない。

 陸軍第101空挺(くうてい)師団や海兵隊の主力部隊など、クウェートに待機していた米地上軍は、戦車やヘリコプターで南部の都市バスラなどの拠点を確保しながら北上、首都バグダッドの陥落を目指す。地上軍のイラク投入は湾岸戦争以来初めてで、短期間の決着を目指している。

 フセイン政権による油田の自爆的な破壊や生物・化学兵器の使用を防ぐため、米特殊部隊は事前にイラク北部のクルド自治区などに展開しており、関連施設の制圧や反体制派の組織化を進めているとみられる。

 ブッシュ大統領は17日の演説で、イラク軍にフセイン大統領からの命令の不服従や投降を呼びかけており、「湾岸戦争時に比べ、戦力で半減した」(国防総省)とみられるイラク軍がどこまで本格的に抵抗するかが当面の焦点となる。

 

 

<イラク開戦>

「武装解除する初期段階の軍事行動」米大統領声明

 米英軍はバグダッド時間20日早朝(日本時間同日午前)、イラク攻撃を開始し、ブッシュ米大統領は攻撃開始後、「イラクを武装解除する初期段階の軍事作戦」を始めたと宣言した。紅海やペルシャ湾に展開する米海軍艦艇などが多数の巡航ミサイル・トマホークを発射したほか、レーダーに探知されにくいF117ステルス戦闘機などがフセイン大統領ら政権幹部を標的に、特殊貫通爆弾バンカーバスターなどを使った集中的な爆撃を敢行している模様だ。フセイン大統領ら政権幹部の生死は不明。大統領の長男ウダイ氏は「米国の侵略に対する聖戦」を宣言した。一方、英スカイニューズ・テレビはイラクの2個師団が投降の意向を示していると伝えた。それぞれ1万8000人から3万人規模という。一昨年9月の同時多発テロ以降、イラクとの敵対姿勢を強めてきた米政府はついにフセイン政権打倒を目指す軍事行動に踏み切ったが、国連安保理の容認決議を経ない先制攻撃が国際的な非難を呼び起こすのは必至だ。

 【ワシントン中島哲夫】ブッシュ米大統領は米東部時間19日午後10時15分(日本時間20日午後0時15分)から行ったテレビ演説で、「選ばれた目標」を対象とする「初期段階」の攻撃を命じたと明らかにした。米国は17日、フセイン大統領と2人の息子に48時間以内の亡命を求めたが、同大統領らがこれを拒否したため、期限切れ(米東部時間19日午後8時)に伴い攻撃に踏み切った。

 各種情報を総合すると、攻撃はバグダッド時間20日午前5時半(日本時間同日午前11時半)ごろ始まった。米軍は巡航ミサイル・トマホーク約40発をフセイン大統領の所在地と推定されたバグダッド地域の1カ所に集中的に撃ち込み、地中深く貫通するバンカーバスターも使用した。

 イラク南部でも同種の限定的、集中的な爆撃が行われているとの情報がある。ロイター通信によると、特定地域で米軍の空爆とイラク軍の対空砲火の激しい応酬があった。イラク・クウェート国境で砲撃音が響いているとの証言もある。英メディアによると、イラク部隊の一部は投降の意思を示しているが、確認されていない。

 米国とイラクとの敵対関係は湾岸危機にまでさかのぼる。90年8月にイラク軍が隣国クウェートに侵攻・占領したのが直接の引き金となった。米軍が主導する多国籍軍が91年1月、攻撃を開始、翌2月にイラク軍を撤退させた。クウェート侵攻後、イラクに対する国連経済制裁が発動され、12年以上たった現在も制裁は続いている。

 イラクは制裁の解除を目的にたびたび自ら危機を演出、米英軍は98年12月にもバグダッドを中心に大規模な空爆を行った。だが、その後4年は大量破壊兵器をめぐる国連のイラク査察が頓挫。国連安保理決議1441に基づき、査察が昨年11月下旬に再開された。米国はこの査察をイラクに対する「最後のチャンス」としていた。だが、フセイン政権はさまざまな条件を付けて協力せず、米英は「重大な違反」を主張。このため、同決議に言う「深刻な結果」すなわち軍事力による制裁を科す以外にないと判断した。

 米政府は当初、武力行使容認について、より明確な内容を盛り込んだ国連安保理新決議を望んだ。だが、フランス、ロシアなどの反対で採択の見通しがつかず、新決議なしで軍事的解決を急ぐことになった。

 米大統領演説骨子

 一、米国などの連合軍がイラクの武装解除と国民の解放のため、軍事作戦を展開している。

 一、私の命令で、連合軍がイラクへの選択的攻撃を開始した。

 一、35カ国以上が決定的な支援を行った。

 一、民間人の犠牲を防ぐため全力を尽くす。

 一、軍事作戦は、予想以上に長く、困難かもしれない。

 一、イラクが統一され、安定した自由な国となるまで継続した関与が必要だ。

 一、我々はイラクから脅威を取り除き、国を国民の手に戻す以外に野心はない。(毎日新聞)

 

 

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