| kairan-60 |
講師は31会久野勝弥さんほか
18年11月3日 於:県立歴史館(水戸市)
(画像をクリックしてください)
| 福井県池田町善徳寺 に残る水戸浪士の生き墓 |
降伏の場所、新保の 陣屋跡に立つ説明文 |
知道会(本部)広報委員会・東京知道会会報委員会の共催で下記により開催されます。
(東京知道会ホームページもご覧ください。http://home.cilas.net/~megu3/)
初回の歴史講演会は、平成15年12月、東京築地の建設業会館において、31会からの参加者15名を含む65名の参加者で実施しました。テーマは「天狗党はなぜ西に向かったのか」と題し、当時の水戸藩内情勢を久野さんに、また、水戸浪士たちが通過した伊那谷で先祖が実際に9名もの浪士たちをお世話をした長野県箕輪町の郷土史家矢澤喬治氏をお迎えし好評を博しました。
今回はその続編として、慶応元年(1865年3月)敦賀の地で斬首されるまでの水戸浪士一行の足跡を実際に辿り集めた各地に残されている資料を開示し、時代背景を久野先生に解説していただく予定です。
昨年5月、有志7名と金沢を起点に天狗党終焉の地敦賀まで、一行の辿った越前,若狭路を歩いてみました。金沢市石引の棟岳寺には、加賀藩の天狗党追討軍司令永原甚七郎の墓があります。万策尽きて幕軍に降服した天狗党一行を親身になって面倒を見てくれたのは加賀藩でした。総帥耕雲斎をして「死して泉下に赴きましてもこのご恩は決して忘れません」と言わしめた追討軍の司令官がこの人でした。
降伏の3日ほど前の元治元年(1864年)12月8日、浪士たちが宿をとったのは、現在の福井県今立郡池田町の東俣地区でした。一行は、庄屋の飯田家や谷口村の善徳寺などに分宿しました。
ここには水戸浪士通過の数多の資料が残されていました。
驚いたのは町の教育委員会で水戸浪士通過の記録を残していたことでした。PowerPointo できれいにまとめられた水戸浪士通過の状況や宿泊先一覧、庄屋飯田家で語り継がれている当時の状況を、子孫である当主に語らせたビデオテープなどが入手できました。
善徳寺には、あの出来事から140年が経過した今でも、水戸浪士の「生き墓」が本人たちの髻(もとどり)とともに丁寧に祀られ、保存されていたのには驚きと大きな感動を覚えました。
講師の話に耳を傾け、水戸藩で実際に起こった「夜明け前」の出来事を思い起こしてみるのも意義深いことではないでしょうか。
記
主催 知道会広報委員会 東京知道会会報委員会
日時 平成18年11月3日 午後2時より 5時まで
場所 茨城県立歴史館 (旧水戸農業高校)講堂 入館料 150円
水戸市緑町2−1−15 п@029-225-4425
水戸駅北口バス乗り場4番 偕楽園入口下車、自家用車駐車場あり
講師 久野勝弥先生(昭和31年卒)他
参加費 一人当たり千円 定員100名
その他 講演会終了後 場所を移して懇親会を予定しております。
懇親会参加費 5千円程度を予定しています。
講演会出席と懇親会出席につきましては、事前に下記メールで
出席の連絡(卒年:氏名:住所:電話番号:懇親会の出欠)をお願い
いたします。 tokyo-chidokai@hotmail.co.jp
*31会の皆様には増尾宛ご連絡いただければ代わりに申し込みをいたします。
申し込み締め切り 10月20日(定員になり次第締め切りさせていただきます。)
連絡先 高野宏彦 〒114-0016 北区上中里2-20-5-201