15 [43] 錦町・野々市線| にしきまちののいち線 加賀白山バス
富光寺住宅/野々市車庫〜有松〜野町駅〜香林坊〜兼六園下〜小立野〜辰巳丘高校
99年3月改正で、小立野線(野々市車庫/富光寺〜有松〜小立野)と
結節路線とはいえ、旧系統そのまま、つまり富光寺/野々市〜小立野間、
旧・野町小立野線が野町駅での電車接続路線だった経緯もあり、
路線番号は錦町方向が15、野々市方向では[43]を掲示していますが、
担当は加賀白山バス野々市営業所です。
[▼]歴 史
・ [43]小立野線の歴史
市電廃止代替路線のひとつ、「野々市線」(小立野〜野々市車庫)が前身で、
当時は現在の野々市線がまだ存在せず、また、現在の錦町B線が「小立野線」でした。
富光寺系統については、上記とは別な出自を持っており、
この中島線が、昭和43年(68年)11月の改正より、
農業試験場への系統は、のちに上林へ延長され、
「末松口」は現在の県立大学前の位置でしょうか?
また、この形態の頃には、野々市車庫発・上林経由大学病院ゆきが
昭和59年(84年)には富光寺住宅への乗り入れを果たし、結果として、
90年1月からは、さらに明倫高校前経由も新設されています。
路線番号は、昭和50年(75年)の制定当初は、小立野方向が15、
なお、のちに15は野町小立野線の路線番号として復活しますが、
担当は野々市営業所、のちには南部営業所でした。
87年11月、野町駅ジャンクションターミナルの完成にあわせ、
担当は東部営業所で、初期には“爆音”RTも使用されていました。
98年3月より、錦町粟崎線とともに、香林坊〜出羽町間の経路を
これら2路線が99年3月改正で統合され、「錦町野々市線」となりました。
路線番号は、ほかの結節路線がそうであるように双方向で設定されましたが、
なお、路線統合時に、野町小立野線で採用されていた
担当は東部と南部の共管となり、東部のノンステップバスが走ることもありましたが、
現在は、新車の導入と中古車の活用により、年式は若返っています。
最近は合理化のもとに縮小も行われはじめており、
また、野々市町内のローカル路線的色彩の濃い富光寺系統も、
とくに土日祝の富光寺系統は、わずか二本しかない状態で、
なお、かつては小立野方向の場合、伝統的に片町(ラブロ前)を通過していましたが、
08年12月より、結節系統の平日の日中便の一部で大学病院への立ち寄りをやめ、
[▼]乗車のヒント
富光寺系統は、いまでは土日祝はほとんど走っておらず、
しかもこの富光寺系統はアレンジ系統が多様で、
このうち明倫経由は、朝に一本のみ存在。
問題は末松経由で、頒布時刻表には経由が記載すらされておらず、
このほか、レアな系統としては平日朝に富光寺住宅→香林坊ゆきの急行が存在します。
>これはもともと片町にあった大和の従業員寮が本太平寺付近にあるために走り始めたものです。
>その当時は片町が終点だったと聞いたような聞かなかったような。
(情報ご提供:上様)
途中通過となる野々市市街付近は国道経由だそうです。
なお、07年10月現在、平日朝の明倫・末松経由富光寺で出発すれば、
香林坊、小立野〜野々市車庫間の運賃は、310円です。
※この路線は金沢駅は通りません。
[▼]小ネタ
・ 末松廃寺
富光寺ゆきの一部が経由する「末松」。
これは末松近くにある史跡の名称なのですが、
+ + + + +
・ かつて存在した謎の短距離便
97年のポケット時刻表を繰ると、
なお、この便は前年の96年の時刻表では
[▼]停留所一覧
NISHIKIMACHI-NONOICHI LINE
最終修正:09.05.05
兼六坂上交差点をゆく野町駅ゆき。
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●電車連絡もこなす結節路線
野町小立野線(野町駅〜小立野〜錦町〜辰巳丘高校)を
統合して誕生した結節路線のひとつです。
野町駅〜辰巳丘高校間のみを運行する区間便が多く残っているのが特徴で、
とくに、意外にも朝はほとんどの便が野々市〜小立野のみの区間便となっています。
一部の便は野町駅へ乗り入れ、電車との連絡を行っています。
区間便は双方向で旧系統の番号を掲示しています。
小立野〜野町駅前間の市電3系統を代替し、昭和42年(67年)2月に開業しています。
この初代野々市線が小立野線と名をかえた時期は、明確には分かりませんが、
おそらく初代小立野線が錦町へと延長、錦町B線と改称した頃ではないでしょうか。
前身となるのは中島線(兼六園下〜有松〜野々市〜農業試験場)で、
こちらは昭和33年(58年)6月に運行を開始しています。
「農業試験場」は、現在の「野々市町スポーツランド前」です。
小立野〜香林坊〜有松〜押野〜野々市〜農業試験場という系統になり、
当時の「野々市線」に併合されたものと考えられます。
上林付近の末端部は中林を基点とするラケット循環方式で
運行されました。ラケット部分は、当時の路線図(昭和58年)では
以下のように示されていますが、どちら先廻りかは図からは不明です。
至
・
太――○―○農業試験場(現:スポーツランド前)
平 藤 |
寺 平 |中林
┌○┐
末松口○ ◎上林
|\|
末松○―○西上林
(中林二丁目付近の可能性もありますが…)
末松は経由するものとしないものがあったようですが、
当時どちらのパターンがメインだったのかは分かりません。
存在したようです。つまり、上林のラケットへ行ったり来たり廻ってから、
一転してそのまま金沢方面へ向かっていたわけですが、通しで乗れたのか
どうかは疑問です。乗れたとすれば運賃体系はどのようになっていたのでしょう…。
上林経由と末松(農業短大=県立大学)経由の2系統に分かれることになりました。
野々市、上林方向が[43]と、双方向に番号を持っていましたが、
昭和59年(84年)11月の路線番号改編時に、[43]に統一されました。
その野町小立野線と合併し、結節路線として再び双方向番号が
復活することになるとは、誰が想像したことでしょうか。
・ 15野町小立野線の歴史
電車接続バスとして、小立野、錦町方面への「野町小立野線」が開業しました。
90年1月には辰巳丘高校、96年2月からは東部車庫へも乗り入れ、石川線沿線から
各高校への通学路線としても賑わいを見せることになりました。
成巽閣前経由に変更し、これが野町小立野線としての最終形態となりました。
・ 15 [43]錦町野々市線の歴史
この15と[43]という路線番号の組み合わせは、元々かつての小立野線が
方向別に路線番号を持っていた頃の組み合わせと同じです。
成巽閣前経由は兼六園下経由に統一されたようです。
00年からの加賀白山バスへの管理委託を経て、01年3月改正で正式に同社へと移管。
加賀白山バスの単独路線となったため、車輌の運用もガラリと変化し、
かなり旧態とした車輌が多くを占めることになりました。
07年4月には東部車庫発着便が消滅し、小立野以遠へ走るものは、
辰巳丘高校もしくは錦町発着に統一されました。
野々市町のコミュニティバス「のっティ」の開業もあって、
近年になって、かなり衰退してきています。
以前はあった小立野以遠からの乗り入れも、現在は消滅しています。
03年7月からは片町にも停車するようになり、この点では使い勝手が向上しています。
大通り上の小立野のみ停車することにより、速達性が向上しました。
なお小立野発着系統は現在も大学病院終点を維持しています。
参考文献:「北陸鉄道50年史」「ほくてつ各号」「北國新聞」
平日も5本程度がまばらに走るのみと、衰退しています。
なかなか奥が深く、完乗を難しいものにしています。
土日祝にも同じダイヤで運行があります。
どの便が該当か分からなくなっています。実際には朝の富光寺ゆきと、
夕方の小立野ゆきの朝夕一本ずつの運行で、末松というよりは、
県立大学への通学に対応しての運行かと思われます。
これは富光寺〜太平寺間は各停ながら、それ以降は片町まで無停車という
非常に変則的なもので、特定の需要に特化した系統として伝統的に走っています。
>全盛期には運転士から羨まれる「華の交番」として大和の女性職員を満載していたようですが
>今となっては寂しいものであります。
その折返しがこの急行便(上林・本太平寺経由)となり、
富光寺系統はひとまず大方は乗り終えることができます。
※運行ダイヤは北陸鉄道の公式サイトをご参照下さい。
→直リンク (ご乗車になる“曜日”にご注意下さい。)
香林坊、小立野〜富光寺住宅間の運賃は、480円です。
野町駅〜辰巳丘高校間の運賃は、370円です。
野々市車庫〜辰巳丘高校間の運賃は、540円です。
ここはなぜか音声放送では「すえまつはいじ」と
コールされます。「末松廃寺」ということのようです。
なぜそれを、よくある「○○へお越しの方は…、」等でなく、
(これはCMでなくとも、兼六園、狼煙の灯台等で例あり)
停留所名としてコールするのかは謎に包まれています。
野町小立野線のページに「兼六園下発香林坊ゆき」
という恐ろしく短距離な便を見つけることができます。
15:38に兼六園下を出て、15:45には香林坊終着。
土曜・学期休み運休となっています。
いったいどういう便だったのでしょうか…。
出羽町発香林坊ゆきという系統になっています。
| ↓ 錦町野々市線 ↓ | ||||||
| 辰 巳 丘 高 校 | たつみがおかこうこう | ※起終点 | ||||
| 舘 山 町 | たちやままち | |||||
| 土 清 水 南 | つちしみずみなみ | |||||
| 土 清 水 | つちしみず | |||||
| 土 清 水 口 | つちしみずぐち | |||||
| 錦 町 | にしきまち | |||||
| 小 立 野 一 丁 目 | こだつの1ちょうめ | |||||
| 崎 浦 公 民 館 | さきうらこうみんかん | ※07年4月「工学部前」より改称。 | ||||
| 小 立 野 三 丁 目 | こだつの3ちょうめ | |||||
| 天 徳 院 前 | てんとくいんまえ | |||||
| 小 立 野 | こだつの | |||||
| 大 学 病 院 前 | だいがくびょういんまえ | ※起終点・通過便あり | ||||
| 石 引 町 | いしびきちょう | |||||
| 出 羽 町 | でわまち | |||||
| 兼 六 園 下 | けんろくえんした | |||||
| 広 坂 | ひろさか | |||||
| 香 林 坊 | こうりんぼう | |||||
| 片 町 | かたまち | ※窓口 | ||||
| 広 小 路 | ひろこうじ | |||||
| 野 町 駅 | のまちえき | ※起終点・鉄道駅。寄らない便あり | ||||
| 野 町 | のまち | |||||
| 泉 一 丁 目 | いずみ1ちょうめ | |||||
| 泉 二 丁 目 | いずみ2ちょうめ | |||||
| 有 松 | ありまつ | |||||
| 二 万 堂 | にまんどう | |||||
| 伏 見 橋 | ふしみばし | |||||
| 押 野 | おしの | |||||
| 東 野 々 市 | ひがしののいち | |||||
| 野々市本町三丁目 | ののいちほんまち3ちょうめ | |||||
| 西 野 々 市 | にしののいち | |||||
| 野 々 市 車 庫 | ののいちしゃこ | ※起終点・車庫・窓口 | ||||
| ↓ 小立野方向の経路 ↓ | ||||||
| (押 野) | おしの | |||||
| 押 野 丸 木 | おしのまるき | |||||
| 伏 見 橋 | ふしみばし | ※2箇所停車。 | ||||
| (伏 見 橋) | ふしみばし | |||||
| ↓ 富光寺系統(フリーバス区間:下林〜富光寺住宅) ↓ | ||||||
| (西 野 々 市) | にしののいち | |||||
| 太 平 寺 | たへいじ | |||||
| 本 太 平 寺 | ほんたへいじ | |||||
| 位 川 | くらいかわ | |||||
| 下 林 | しもばやし | |||||
| 藤 平 | ふじひら | |||||
| ののいちまちスポーツランドまえ | ※06年「町民研修センター前」より改称。 | |||||
| 中 林 | なかばやし | |||||
| 上 林 | かんばやし | |||||
| 西 上 林 | にしかんばやし | |||||
| 百 々 鶴 荘 前 | ももづるそうまえ | |||||
| 富 光 寺 住 宅 | とみこうじじゅうたく | ※起終点 | ||||
| ↓ 富光寺系統(明倫経由) ↓ | ||||||
| (太 平 寺) | たへいじ | |||||
| 稲 荷 | いなり | |||||
| 明 倫 高 校 前 | めいりんこうこうまえ | |||||
| (下 林) | しもばやし | |||||
| ↓ 富光寺系統(末松経由) ↓ | ||||||
| (中 林) | なかばやし | |||||
| 県 立 大 学 前 | けんりつだいがくまえ | |||||
| 末 松 | すえまつはいじ | |||||
| (西 上 林) | にしかんばやし | |||||