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大谷A線| おおたにA線  北鉄奥能登バス
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曽々木口〜真浦〜仁江〜大谷〜宇都山〜飯田高校下〜飯田港
最終修正:09.10.16

 岩に風穴が開いています。
曽々木窓岩を横目に走る奥能登バス。
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●能登の親不知をゆく路線

曽々木窓岩や時国家で有名な曽々木から珠洲へと向かう路線で、
八太郎峠廻りの飯田線に対して、大谷峠廻りと呼ばれています。

海食による奇岩、絶壁が続く曽々木海岸は、
かつて能登の親不知とも呼ばれたそうです。

現在はいくつもの小トンネルで抜けていきますが、
車窓から臨まれる岩礁は荒々しく、海へそのまま落ち込む崖が
最果ての近いことを知らせ、奥能登の旅が深まります。

能登半島の背骨を切り抜ける大谷峠は急カーブの続く難所でしたが、
ここも道路改修が進み、トンネルでショートカットすることになりました。 


[▼]歴 史

大谷峠を越える路線は、昭和6年「坂下自動車」により開かれました。

経営者の坂下廉次氏は、郷土の発展のために自ずから道路を開拓して、
珠洲近郊に幾多のバス路線を開設した偉人といってよい人物で、
大谷峠をバスの運行に適した道路に改良したのも、この坂下氏です。

いまはトンネルの闇に消えてしまった大谷峠ですが、
この古い峠は氏の遺した産業遺産といって良いのではないでしょうか。

なお、坂下自動車の社屋だった建物は、なんと現在も残っています。
能登飯田のバス停(飯田今町交差点)から北へ歩くと、旧市街地に入り、
道がクランク状に曲がっているところがありますが、ちょうどそこにある
すし屋さんの重厚な建物が、坂下自動車の社屋および車庫だったといいます。

このあたりは珠洲でも古い街並みが残っており、なんとも良い雰囲気です。
能登の地にバスを拓いた偉人、坂下廉次氏の足跡をたどるのもよいでしょう。

戦時下に実施された北陸鉄道への統合後は、戦中戦後の物資不足により、
いったん休止となりましたが、昭和23年6月には復活、
飯田〜大谷峠経由〜大谷間の「大谷線」として発足しました。

昭和31年(56年)6月には大谷から仁江と高屋へT字式に延長、
同33年(58年)4月に仁江〜真浦間を延長していきます。

その後、真浦〜曽々木口間も延長され、
現在の飯田〜大谷〜曽々木口という区間が全通し、
かわって高屋方面が大谷B線に分離されることになりますが、
これらが実施された年月は資料不足のため、不明です。
情報をお持ちの方からご教示いただければ、ありがたいです。

珠洲方の起点は長らく能登飯田(国鉄バス駅とは別の位置)でしたが、
昭和50年(75年)4月、飯田港への乗り入れを開始しました。

これは名鉄傍系の「日本海観光フェリー」が、
飯田〜佐渡小木間の航路を開業したことによるものでしたが、
同航路が廃止になったあとも、引き続き飯田港を発着点としました。

運行は北陸鉄道輪島営業所曽々木支所(のちに分所)によりましたが、
98年に一旦能登中央バスへ移管され、翌99年にはさらに奥能登観光開発に移管されました。

奥能登観光開発はレストランの経営や土産物の販売を営む子会社でしたが、
これに乗合免許を取得させ、バス運行会社として衣替えさせたものです。
(よく、ホテルニューまうらの経営にあたっていた会社であるとの
 情報が出回っていますが、同ホテルを経営していたのは、
 真浦観光センターという別の北鉄グループ会社です。)

07年4月25日に発生した能登半島地震では、
この路線の経由する「八世の洞門」が通行止となり、
大谷B、大谷特急の両線とともに区間運休が続いていましたが、
同年7月に至って、ようやく復旧をみることができました。

08年4月、能登地区の北鉄グループバス会社合併により、
奥能登観光開発は能登中央バスと合併し、北鉄奥能登バスが誕生。
大谷A線も、この北鉄奥能登バスへと継承されています。

 坂下自動車社屋だった建物。


参考文献:「奥能登乗合自動車発祥記(古川 修・著)」「能登半島今昔写真帖」
      「北陸鉄道のあゆみ」「能登の飯田郷土史」「ほくてつ 創立15周年記念号」


[▼]旧道のはなし

坂下氏がバス路線開拓のために私財を投げ打って
切り開いた大谷峠も、01年頃からはトンネルの闇のなか。
さらに04年春頃には集落をまたぐ五郎丸大橋が架橋し、
宇都山〜通伝間が新道へ付け替えとなったため、
放牧場前停留所が廃止となってしまいました。

至 大谷   
・―○┬――――――
曽  └――┐
々     ○からす川
木     └――┐
口       ┌┘
        └―┐ ←旧道残存区間
       ┌――┘ (ただし新道工事中)
       └―――┐
       ┌―――┘
     則貞○
       |
       ├
       ‖└┐
     ┌―――┘
     └┐‖
    ┌―┘‖←大谷
      ‖ トンネル
    └┐ ‖
(旧)通伝×―┤
       ○通伝
       ├―┐
       | 
       | ×放牧場前
       | └┐
    宇都山○――┘
       |
      至・飯田
現在、大谷側の末端区間である則貞〜からす川間が、
旧来の大谷峠の姿を残す最後の区間となっており、
急坂やヘアピンの連続がかつての風景をほうふつとさせますが、
ここにもすでに工事の手は入っており、全区間が新道付け替え
完了となる日も、もう遠くはないように思えます。

 ぽんさんご提供。
写真ご提供:ぽんさん (※転載はご遠慮願います)


[▼]乗車のヒント

幹線系の路線とはいえ、奥能登ともなると全線通しの便はわずかしかありません。
乗り継ぎ旅行の方は、飯田線の利用も視野に入れておくといいと思います。


※運行ダイヤは北陸鉄道の公式サイトをご参照下さい。
→直リンク(B線と共通です)
 (ご乗車になる“曜日”にご注意下さい。)

曽々木口〜飯田港間の運賃は、860円です。

 手書きバス停。


[▼]飯田車庫前のりば案内

大谷A線に飯田車庫前から乗車する際は注意が必要です。

飯田車庫前は交差点を挟んで4ヵ所の乗り場があり、
曽々木口ゆきの乗り場は森林組合の前にあるのですが、
ここには時刻欄が掲示されておらず、曽々木口ゆきは、
なぜか反対側のポールに飯田港方向と一括して掲示されています。

つまり、ポールがあるのに“片ポール”扱いとなっているわけです。
飯田車庫前は車庫側の乗り場も片ポールになっており、
はっきり云って、地元の方以外は迷うこと必至です。

ちなみに木ノ浦ゆきも、同じく森林組合前の
時刻表のない乗り場からの乗車となります。

なお、どうしても不安な場合は、昭和橋(旧珠洲駅)か、
少し歩いて始発の飯田港から乗車しても良いと思います。

    至・飯田栄町北
 ┃飯田┃||
 ┃支所┃||         :::
 ┗━━┛||         :若:
  大屋||         :山:
 兼六園下││ 実際の     :川:
    等|| 曽々木口ゆき  :::
     ||  乗車位置   :::
(交差点)││(時刻表なし)  :::
  珠洲駅││   ↓     :::
   西口││        ___ 至
 至―――┘└―――――――――――――・
 ・―――┐┌―――――――――――――昭
 珠   ||         ̄ ̄ ̄ 和
 洲   ||   ↑     ::: 橋
 市   || 時刻はここに  :::
 役   || 掲示されている :::
 所   ||         :::
     ||         :::
    至・吾妻橋
      飯田港
 時刻表のない停留所。


[▼]停留所一覧

↓ 大谷A線 ↓
曽 々 木 口そそぎぐち ※起終点・車庫・窓口
曽  々  木そそぎ  
曽 々 木 本 町そそぎほんまち  
垂   水たるみ  
真  浦  口まうらぐち ※「ホテルニューまうら」より改称
真   浦まうら  
仁   江にえ  
清   水しみず  
JA清水支所前ジェイエーしみずししょまえ  
片   岩かたいわ  
赤   島あかじま  
長   橋ながはし  
大   谷おおたに ※起終点
か ら す 川からすかわ  
則   貞のりさだ  
通   伝つうでん  
宇  都  山うつやま  
延   武のぶたけ  
火   宮ひみや  
古   蔵ふるくら  
中  田  口なかだぐち  
経   念きょうねん  
鈴  内  口すずないぐち  
出   田すった  
出 田 川 辺すったかわべり  
飯 田 栄 町 北いいださかえまちきた ※「珠洲病院前」より改称
飯 田 高 校 下いいだこうこうした ※起終点※05年4月、新設。
珠洲市総合病院前すずしそうごうびょういんまえ  
昭  和  橋しょうわばし ※05年4月「珠洲駅前」より改称。
飯 田 車 庫 前いいだしゃこまえ  
吾  妻  橋あづまばし ※05年4月、新設。
飯  田  港いいだこう ※起終点

 


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