サンアントニオの概要


人口:935,900 標高:650ft

気候:一般的に天気が良く暖かい、7〜8月の日中の気温は華氏95〜98度と非常に暑い。
  冬は雨が多く、氷点下以下に下がることは滅多にない。

交通手段:San Antonio international airport 5miles north of downtown.
アメリカ及びメキシコの主要な都市に直接(乗り継ぎもあり)行くことができる。
 空港に着いたら車は必需品
空港レンタカー:Hertz (210)841-8800 or (800)654-3080

街の特色:スペイン統治時代の文化が残り、まさしくマルチカルチャーの街である。
ダウンタウンのほとんどのビル1930年前に建てられたため、高層ビルと18世紀の遺跡が妙に調和している。

歴史:
1718年、Coahuiltecanインディアンの村に年フランスの宣教師によって教会が建てられた。(今のアラモ)
1731年、この地方の維持を図るためスペイン政府は数十の植民団を派遣する。このときいくつかの他の教会も建設される。(今のダウンタウン)
その後この地域は繁栄するが、インディアン(アパッチ、コマンチ族)の攻撃によって教会は衰退する。1794年には伝教団の活動はなくなり教会はスペイン軍の駐屯地となった。
アメリカ人の最初の移住はスペインから土地を得たミズーリのムース・オースティンであった。
彼は成功する前に死んでしまうが、1821年彼の息子のステファンが300家族のアメリカ人を連れてくる。
このアメリカ人の存在はテキサスにおけるアメリカのプレゼンスの基礎となり、わずか14年でアメリカ人は4対1でメキシコ人の数を上回る。
1835年、メキシコの政治に不満をもった住民は、暫定政府を設立し、陸軍の指揮をヒューストン将軍が執った。サンアントニオをめぐってテキサス人とメキシコの争いが始まり、メキシコ軍がサンアントニオを攻撃した。
最初の攻撃は撃退したものの。メキシコの独裁者であったサンタ・アナ(Santa Anna)将軍は4000人の部隊を189人が守るアラモを攻撃させる。1936年2月23日、アラモはメキシコ軍に包囲され13日後の3月6日朝、メキシコ軍は北の壁を突破し、砦の中になだれ込んだ。
トラビス大佐、ジェームス・ボウイとデービークロケットを含む守備隊は全滅するが、これでヒューストン将軍が部隊を編成する時間を得ることになる。
アラモが陥落した46日後、「リメンバー・アラモ」と叫びながら、ヒューストンの部隊はサンジャセントにおいてサンタ・アナの部隊を攻撃する。18分の戦いでテキサス軍は勝利し、テキサス共和国が生まれる。
1845年、テキサスは28番目の州として合衆国に入り、サンアントニオはヨーロッパからの移住者(ドイツ人が多かった)を迎える。当時の街は標識に英語、ドイツ語、スペイン語が入り交じっていた。
サンアントニオは南北戦争の戦火は逃れたが、経済的に打撃を受ける。
しかし1877年、北部への鉄道が開通し、牛肉を北へ送ることによって経済の活気を取り戻した。
1876年、軍の伝統としてFort Sam Houston(陸軍基地)が建設され、1930年ブロックス、ケリー、ランドルフ空軍基地が建設される。またラックランド空軍基地が1942年生まれサンアントニオにとって軍の産業が経済の重要な要素となる。
街のシンボルでもある2.5マイルのリバーウォークは重要な遺産でもあるが、1921年、洪水によって50人の死者を出す。その後、川とダムの建設によって水を効果的にコントロールするようになった。



[PR]ベビー用品はたまひよ♪:子育てが楽しくなる便利アイテムいっぱい