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1972年、神戸市に生まれる。
向井の幼少時代を知る者は、皆が口を揃えて「地味で大人しく無口な子供だった」と答える。学生時代は、優等生だったと本人がそう語る以上は信憑性に欠けるが、そんな事はともかくとして、彼は本を読む事が好きで時間を見つけては、図書館へ足を運ぶといった日々を送る。
高校へ進学後、彼の興味の対象は、60年代音楽を代表するローリング・ストーンズとドアーズへと変わってくる。ロックバンドを結成しようとエレキギターを購入するが、Fのコードでつまずいたらしい。そして、面白い事実としては80年代TVドラマ全盛期のシナリオを愛読していた事だった。彼はドアーズのジ・エンドを聴く一方で日本を代表するシナリオ作家の倉本 聰氏や山田 太一氏の脚本を深夜をかけて分析していたそうだ。また、当時彼はプロ野球選手の落合 博満氏を人生の師として仰いでいたみたいである。何だか良く分からない生活背景ではあるが、それが礎?となったのか、彼は高校卒業と同時にオートバイで北海道へと旅立つのであった。
道内を放浪した後、彼はサラブレットの産地として有名である新冠で、サラブレッドの育成の仕事に就く。そして一年間、牧歌的な日々を過ごすが、自分の肌には馴染まないと考え直して、再び神戸へと舞い戻ってくる。神戸に戻っても、将来の方向性は定まらず無気力な暮らしを続ける。パチンコ玉を打ながら、店内モニターで流れている競馬中継で勝ち馬を確認する、映画とは無縁なそんな日々を過ごす。そして、23歳の春、思いつきで映像の専門学校に入学する。それは、映画を作りたいといった熱い思いからではなく、何か楽しそうな仕事に就きたいという安易な思いからであったみたいだ。
94年 4月、ビジュアルアーツ専門学校 大阪(放送・映画学科)に入学。
同年5月、10万人に1人の確率で発病するといわれているギランバレー症候群と診断され緊急入院をする。
同年9月、両手指機能の著しい障害、両下肢機能障害の為、 障害者認定を受ける。
95年 3月、身体障害者施設へ入所する。当時彼の担当医は、「どこまで身体の機能が回復するかは神のみぞ知る」と言っていたそうだが、厳しいリハビリの成果もあって日常生活には支障のない程度に回復する。
現在では、手ぶれ防止に一脚を使用すればビデオカメラのハンディ撮影も出来るくらいに回復した。
96年4月、ビジュアルアーツ専門学校に復学。2年間の学生生活で『大阪インディアン』を始め数本の習作を監督する。
98年3月、同校卒業後、『大阪インディアン#2』を自主制作する。
99年4月、初の長編映画『アルビノの海』の自主制作を開始する。それと同時に、Indian Movie Labelを主催し活動を開始する。
00年12月、映画『アルビノの海』完成。
00年3月、ビジュアルアーツ専門学校 時代の恩師であるとしおかたかお氏の主催する自主映画上映グループ『tyokyo movie jack』に参加し、関西で数回『アルビノの海』を自主上映をする。
01年4月、映画『アメリカ』の制作を開始。02年12月完成。
03年4月、東京へ単身上京。
現在、東京都国立市に在住し、シナリオ作家の芦沢俊郎氏
のもとシナリオを学びながら、新作映画の構想を練っている。


   

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