父母の涙
父母の涙                室井宏太
 
 父母の涙 【一章】

 はじめて 母の涙を見たのは、昭和二十三年の春。僕がまだ四歳の時で、妹のまり子は、まだ生後半年あまりのオムツをしていて、はいはいしか出来ない乳飲み子だった。   
 宇都宮市花房町の竹藪に囲まれた栗の木や胡瓜トマトの畑のある、路地の突き当たりの家で、戦時中、陸軍五十九聯隊の兵隊として大連で戦争中の父が日本を離れているあいだ疎開先の母の実家である盛岡から、終戦をむかえて漸くここに居を構えたのである。  
 この家に越してきた当初は毎日が整理整頓、大掃除の連続で僕はそれを眺めているのが退屈で、ついに初めての真剣な父の体罰を受ける羽目になってしまった。
 玄関の左側の方にある客間の奥の四畳半ばかりの小部屋に一人でしょざいなく佇んでいた僕は、父母の注目を魅くためにではないのだが、今で言う曇りガラス風に、和紙の張ってあるガラス戸に悪戯をしてしまったのだ。僕としては偶然に思いついたに過ぎないのだが、結果的に偉いことになってしまったのだ。
 ガラス戸に張ってある和紙に、唾で濡らした指先を当てて擦ると、小さな蛆虫に似た突起物が出来た。その蛆虫を四、五十匹作ってから母を呼んだのだった。
 『おかあちゃん。こんなに虫がいるよ』母は悲鳴をあげながら父を呼んだ。
 父は笑いながら何か母に言って、僕の顔をのぞき込んだ。口の回りにも指先にも和紙の擦りかすが付いていたのを僕は全然気が付かなかった。母が震え、父が笑っているので僕も父に笑ってみせた。その時だった。父が張り手で僕の頬っぺたを叩き、僕を畳の上に叩き付けて、僕があまりの父の剣幕と頬の痛さに、ワアワア泣きじゃくっても許してくれず、
 『お父ちゃんもう勘弁してあげて。私が間違えて大げさな声をあげたのが…よく確かめもせずに、タカオ御免なさいと言うのよ、御免なさいって』
 母は畳にうつ伏せにひっくり返って、泣きじゃくりながら『御免なさい痛いよ御免なさいウワーン御免なさい』と足をバタバタして泣きじゃくる僕を抱き起こして、僕の顔を白い割烹着の裾で拭いてくれた。
 割烹着は味噌汁の匂いがしたが、やがて母の乳の匂いに変った。それは僕にとって何だか久しぶりのような気がして、僕は思わず『オッパイ』と口に出していた。そして母の胸に顔を埋めたまま何時の間にか寝てしまった。まだその時には妹のまり子は誕生していなかった。僕がようやく三歳に成ろうかと言う頃だから…。
 今にして思えば母の匂いはきっと天然の睡眠薬なのかも知れない。でなければ母はきっと観音菩薩かも知れない。そして観音菩薩の子である僕は無邪気だったに違いないから、何時でも、菩薩の懐に抱かれると、自然に帰依の心が働いてすやすやと眠りにつく。寝ている間は、つまり仏子である。邪心のない子供ならでわの自然回帰かも知れない…。
 僕は所謂、脳タリンを自称する愚か者だから、難しいことは苦手であるが、仏教の世界では生死一体の生命は無意識の内に毎日、何度も生と死を繰り返して、数にすれば何万遍も繰り返すのだと言う。はっきり言って僕なんか出家の経験はあっても、死ぬまで悟りの岸には辿り着くのは無理だと思ったから、逆に己が寺から破門して俗界に戻り煩悩の無限地獄に漂っている漂流者に過ぎないのだ。マザコンと一言で片づけてしまえば簡単だが、もしかすると本当に、体内時計が交感神経と副交感神経を交替させるように、彼岸と此岸を行き来しているのかしら?イヤ、冗談冗談、ほんの冗談だ。『おかあちゃーん』
 父は僕を溺愛していたようだ。怒ると恐いが普段は優しい近づくと煙草の匂いがする、そして、いろんなオモチャをよく買ってくれた。なかでも(ポンポン蒸気船)は僕のお気に入りのオモチャで、水を張ったタライに浮かべて焼玉の下の蝋燭に点火すると、ポンポンとリズミカルな音をたてて、勢い良くポンポン蒸気船はタライの中で波跡を残しながら前進するのだった。ジジーッという蝋燭の消える音と芯の燃えつきた時の匂い…
『続く』



 父母の涙【二章】

 総てにおいて劣る総領の甚六である僕の唯一、他に勝るものは何かと問われれば、何もないのだが、あえて挙げるとすれば(記憶力)しかない。
 二歳からの記憶は断片的にせよ色鮮やかに、事によっては匂いまで覚えている。最初の記憶は、まだハイハイをしていた時のことで、それは二歳前の事である。場所は定かでないが、初夏の出来事だった。僕はスッポンポンの身体に金太郎腹掛け一枚で、廊下をハイハイしていた。そして便所の扉の前でギャアと泣き出したのだ。正確にはこの時に僕は初めてこの世の人間としての存在感を記憶というかたちで認識したことになる。
 僕の泣き声に、まず母が飛んできて、次に父に何事か話しかけ、父が笑いながら母に言った言葉をはっきり覚えていて、それが僕の言葉の意味を知ることとなった第一号である。
 『こりゃあ大物になるぞ!今から皮が剥けて立派なオチンチンだ。』
 僕が廊下にオチンチン擦りながらハイハイしていて、何かの拍子に包皮が剥けて、ビックリして痛くもないのに無意識に『痛いよー』と泣き出したのだった。
 母も笑いながら『タカオはパンツ何処に脱ぎ捨てたのかしら?』と言いながら部屋の片隅に濡れた僕のパンツを発見して、父と談笑していた。
 『たいした大物だ。末が楽しみだ』父は僕のオチンチンの皮を元に戻してくれ、母は新しいパンツを履かしてくれながら、『タカオ、お父ちゃんがねタカオは大物になるって言ってるよ大物になるんだからね。わかった?』僕は全然、大物の意味など解からなかったが、『うん』と言って頷きながら、その後の記憶は覚えていない。次の記憶が初めての父の体罰だから、いずれにしても花房町に居を構えた当初の事には違いない。
 そして、タライに浮かべたポンポン蒸気船で遊ぶようになってからの事は、昨日の事のように鮮明にカラー匂い付きで覚えている。ただ、それだけの事である。
 断片的には、いつ、どこでという事を抜きにすれば、敗戦で復員兵姿の父のリュックサックの中から顔だけ出して、鈴生りの列車に乗り切れず、テンダーと言われていた蒸気機関車の石炭車の上や、最先端の連結器の上だとかに乗っていた事を覚えている。
 昭和二十二年の秋に妹のまり子が生まれた日は朝から大変だった。産婆さんがタライにお湯を用意して、僕が最初に父から体罰を受けた和紙の張ってあるガラス戸の四畳半で、あわただしく何事かがあるのを、子供心にも感じてはいたが、僕は襖の閉められたその中には入れなかった。『フンギャアーフンギャアー』と言う産声も、僕は猫が喧嘩しているものと思っていた。その日の夕方になって初めて僕は産着に包まれて母と一緒に蒲団に寝ている赤ん坊をみて驚いた。何も理解できず、どうして猿みたいなものが母に抱かれているのかも不思議だった。そして、その日を境に僕は当分の間、母と一緒に寝ることが出来なくなったのを覚えているのだ。何日か過ぎた日に僕は母の部屋に入っていった。
 『タカオはお兄ちゃんになったのよ。この赤ちゃんはタカオの妹でまり子という女の赤ちゃんよ。かわいいでしょう』
 僕は不思議なものでも見るように、顔を近づけてまじまじと生まれたばかりの赤ん坊をいつ迄も眺めていた。赤ん坊も何故か母と同じ乳の匂いがしていた。
 妹のまり子は丸々とした健康優良児で、盛岡の祖母が初めてまり子を見に来た時には、『まり子じゃなくて丸子だなんす』と言って家中、大笑いに包まれたものだった。
 実際にまり子は、よく縁側から庭先に転がって、その度に僕は母から叱られた。おんぶをしてもまり子は重かった。僕はそんな妹が、ハイハイしながら僕のそばにきて、『アバアバ』と乳臭いよだれを垂らしながら、まとわりつくのが当たり前の様な気がしてきて、
 漸く僕の妹なんだなと自然に思えるようになっていた。僕の記憶の中で、一番幸せだった四人家族が束の間だが確かにあった。その崩壊の兆しは或る日突然の出来事だった。
 朝食の後片づけをしていた白い割烹着の母が味噌汁の鍋を抱えたまま倒れた。
『続く』



 父母の涙【三章】

 母は倒れたきり全く動かなかった。僕は偶然に味噌汁の鍋を抱えて、台所に歩いていく母の姿を何時もの習慣で見詰めていた。常に母親の姿を見て安心する乳幼児の甘えん坊だった僕の目に、その時の母は殊更印象深く鮮明で、それは映画のスローモーションのように、静かに声も出さずゆっくりと崩れていった初めて見せる母の態度に他ならない。
 僕にはそれが何のことだか理解が出来ず、父が気づいてそばに駆け寄り、母に呼びかけても母は微動だにしなかった。それから先は記憶の映像は鮮明にあるが、言葉で説明できぬ程の、丁度ビデオの早送りでも見るような慌ただしい動きがあり、白衣の医師と看護婦が来て、思い出の和紙の張られたガラス戸の四畳半は、その日を境に病室となったのだ。
 母は脳溢血で倒れたのだった。僕は四歳にして(ノウイッケツ)の言葉を知る事となったが意味は不明で、只、普段の父や大人の会話に(ノウイッケツ)の言葉が多く聞かれるようになり、自然に覚えてしまったのだった。
 長い時間が過ぎて、あたりが真っ暗闇になり、静寂の夜半にまり子を背中におぶった僕は、父に促されて、病室となった母の枕元に入った。母は僕を見ると、たちまち目にいっぱいの涙を溜めて、唇を震わせ声にならないのに、かすれた息が漏れていて確かに僕は母が僕の名前を呼んでいるのが解かった。『タ、カ、オ…』母のかすれた息の音はそう聞こえて僕が『お母ちゃん』と言うと、僕を凝視するかのような母の目に溜まった涙は、堰を切ったように溢れて、目尻から枕に流れていった。傍らの父を見ると、父の目は真赤に濡れているのに、顔はにこにこ笑っているようで、その時の僕はまだ大人が作り笑いなどするとは思いも寄らなかったから、釣られて僕も笑いながら父に『お父ちゃん、何でお母ちゃん寝ているの?』と聞いてみた。
 『もう大丈夫だよ。さあ、お母ちゃんポンポン痛くて病気だからそつと休ませよう』
 その時だった、声にならない母の唇から『タカオ、タカオ』と二度、僕の名前を呼ぶ声がして、今度は父の耳にも届いたのか『まだ、しゃべっては駄目だ。大丈夫だよ、俺が必ず直して上げるから何も心配しないでゆっくり休め…』そう言う父の顔は笑ってはいたが、その頬に伝わる一筋の涙を見たとき、僕は又々釣られて今度は『お母ちゃんが、お母ちゃんが…』と言って泣き出した。僕の泣き声で背中のまり子も愚図りだし、結局、この日は家族全員の涙を僕はみた。けれども母の涙も、父の涙もこの日が初めてで、それでもまだどうして涙が出るのかは解からなかった。
 まり子はまだ生まれたばかりの赤ちゃんで泣くのが日課の一つであり、僕にしても父親に体罰を受けてはよく泣いた。だが、大人は絶対に泣かないものと思っていたので、この日の母の涙と、父の涙は不思議で仕方がなく、特に怒ると恐い父に、ひと滴の涙を見たときには、理解に苦しむ何だか一瞬、裏切られたような気持ちになったのを今でもはっきり覚えているのだ。でも僕は一晩寝て、翌朝目覚めたときには、もう前の日の事を思い出さない世間一般の子供世界の一人でしかなかった。
 父は相変わらず、普段は優しいのに、僕が悪戯な
どをしたときには容赦なく体罰のビンタが飛んだ。 (画像は工事中)
 寝たきりの母の看病と母のかわりに家事を手伝う
為に盛岡から、母の妹の絹子叔母さんが住むように
なって、僕は何だか解からないのに嬉しくなった。
 叔母と言ってもまだ十六才だから僕は絹子姉ちゃ
んと呼んでいたのだが、それはお母ちゃんが『絹子』
と呼び捨てにして用事を言いつけ、僕には『タカオ
のお姉ちゃんだよ』と言うから本当に姉だと思って
しまったのだ。五人家族で賑やかになった。
『続く』



 父母の涙【四章】

 半年ばかり寝たきりの闘病生活を余儀なくされた母は、それでも幸いに後遺症もなくゆっくりだが、元気に成っていくのが僕にも解かった。依然として病床から立ち上がる事は出来ないものの、身体を動かしたり、声は元どおりに成って、絹子姉ちゃんと口論したり、ふざけたり妹のまり子を蒲団の上であやしたりして、元の(お母ちゃん)みたく笑い顔もみせてくれた。只、前と違うのは僕が甘えて母の蒲団に入ろうとすると『タカオはもう、お兄ちゃんなんだからね』と言って入れてくれないのだ。そしてわざと触れるくらいに近づいても、味噌汁の匂いも乳の匂いもしなくて、消毒の匂いがするのだった。
 たった一度だけ僕は母のブリキの便器を持たされて、便所にウンチを捨てに行かされた事があった。それは何時も絹子姉ちゃんの役目なのに、絹子姉ちゃんに臭いとからかわれて、母は怒って『タカオに頼むからいいよ!』と言って『タカオお母ちゃんのウンチ便所に捨ててきて頂戴。タカオはお母ちゃんの味方だもんね』
 『うん』と頷いて僕は久しぶりに母から用事を頼まれたのが、なんだか嬉しくて、母から便器を受け取るとこぼれないように便所にゆっくり用心深く持っていった。その途中で『タカオ姉ちゃんによこしな』絹子姉ちゃんが近づいてくると、大きな母の声がした。
『タカオ渡しちゃ駄目よ』だから僕は殊更それを抱きかかえるようにして便所に持っていった。その為モワッと臭い匂いがして、僕は太くて長い二本の母のうんちをまざまざと眺めて、初めて母はこんなに太くて長くて臭いうんちをするのかと意外に思ったのだった。
 『タカオ捨ててくれたの、偉いわね。それ絹子に渡して手をよく洗うんだよ』僕は言われた通りに絹子姉ちゃんに空の便器を渡すと井戸端に行って手を洗ってから、母の病室に入ろうとして足を止めた。医師と看護婦が来たからだった。この頃の母は本当に元気に成って静かに立ったりする真似をして、今で言うリハビリに明け暮れる毎日で、まり子にしてもオムツはまだ取れないものの『うまうま』とか少しずつ言葉らしきものを喋るようになって、何時の間にか、よちよち歩きをするように成っていた。母のことは『まああ、まああ』母がママと呼ばせようとして教えるのだが、どうしても『まああ』しか言えないのだった。
 その代わり『まんま』はすぐ覚えた。ご飯もミルクも口に入るものは『まんま』だった。
 『キャーッ止めて』と言う叫び声がして、母が一番嫌がる脊髄の水抜きが始まったと解かった。『これを我慢して完全に治さないとね。もう少しだから頑張って』医師の声が僕の耳にも届いて、僕は幼心に母が可哀想になり、縁側から庭に出て、誰にも見られないように自然に溢れる涙を袖口で拭った。涙は鼻からも流れて僕の袖口は何時もテカテカで、絹子姉ちゃんが井戸端のタライで洗濯しながら『タカオはなんで、何回言ってもシャツで鼻を擦るんだろうね。お母ちゃんに言い付けないとね』僕の顔を睨むふりして呟きながら、洗濯板にごしごしと、その袖口を擦り付けていた。この時に僕は初めて(内緒)の意味が少し解かったような気がした。
 溺愛と厳格の渾然一体の父の僕に対する姿勢は生涯変わらず、乳児から幼児と僕が成長していく段階で、僕の父に対する感情が、その都度に変わっていったに過ぎない。そしてその頃は、普段はとってもやさしい暇さえあれば何処にでも遊びに連れていってくれたり、オモチャを買ってくれたりして、ひとたび怒れば容赦なく体罰のビンタが叱声と共に飛び、僕は終には必ず泣き出して『御免なさい。もうしませんから御免なさい』と許しを請うのである。すると父は『タカオは男の子なんだから、自分が悪いことをしてお父ちゃんに叱られても泣いてはいけない。痛くても罰なんだから我慢するんだ。それが男の子なんだ。すぐに泣くようじゃ兵隊には成れないぞ。解かったか』『うん、わかった』頷きながら僕は父に教わった敬礼の真似をして右手を頬につけるのだった。
 だから医師と看護婦が来て、僕が庭の竹藪で母の背中に太い注射器が刺され、母の激痛に耐えてる叫びに耳を塞ぎ、溢れる涙を袖口で擦っているのは(内緒)なのだ。
『続く』



 父母の涙【五章】

 漸く病室が片づけられて、元通りの割烹着姿の母が茶の間の主役に復帰したのは、更に半年あまり過ぎてからで、絹子姉ちゃんが母と額を寄せ合って、卓袱台の上で何かしながら談笑していた。僕はもう大人同士の会話には日常の事で殊更の興味は示さなかったが、この時は母と絹子姉ちゃんがけらけら笑いながら、面白そうにしているので眺めていた。
 『これなら絶対、解からないはずよ』絹子姉ちゃんは卓袱台の上に汽車の切符を置いて、安全かみそりの刃で切符のはじにスタンプされている数字の一字を慎重に削り、マッチを燃やして、暫くすると先が鉛筆の芯みたいになったマッチの軸木で切符の削られた数字のところに自分で数字を描いて、その切符を母に見せて又、二人でけらけら笑いだして僕は母のこんなに面白そうな素振りは、僕がまだハイハイしていた頃、例の便所の前でおチンチンの皮が剥けたあの(未来の大物。末が楽しみだ)以来で、その当時の僕にとっては、一年は途方もなく長く、だから遠い日以来の母が蘇ったみたいで、嬉しくもあり、不思議でもあった。五十年以上前の、幼稚園に入る以前の記憶は突如として途切れている。そして欠如の部分もあるようだ。この日の次の記憶はいきなり宇都宮駅のプラットホームで、汽車の窓から絹子姉ちゃんが顔を出して、『タカオお母ちゃんの言うことをよく聞くんだよ。そしたらお姉ちゃんタカオに会いに又来てあげるから、いい子にしていないと、もう来てあげないからね…それじゃツル姉さん。お兄さんに宜しく言っておいて』
 ボッボーッと汽笛が鳴って、ガチャッガツガツンガガガチーンと連結器のぶつかる音が前から後ろに流れて行き、絹子姉ちゃんを乗せた汽車が動きだし母が何か言いながら手を振っているので、僕も手を振って…そこで記憶は又、途切れている。
 そして遠い記憶は前後する。強烈な印象、忘れえぬ思い出がPCフロッピーに記録されているように、それは検索、保存、呼出と僕の記憶も自由自在であるが、唯一の欠点は僕が電脳ではなく、生身の生きている脳タリンである事で、(入力設定)が当然なされていない為に、挿入、後退、改行と起承転結を無視する訳ではないのだが、いきなり話は前後する。創作ならきちんと順序よくストーリーが組み立てられるのだろうが……。
 母が倒れるまでは、父は暇さえあれば僕を溺愛してオモチャを買ってくれたり、人力車で町中走り回ったり、東武電車に乗って浅草松屋まで行かないと乗れない屋内遊園地の、電気自動車を運転出来るようになるまで何度も連れてってくれて、終戦後にもかかわらず僕はハンチングに洋服で革靴を履いていた。大きな奴凧を買った帰りは人力車で家に帰る。
 宇都宮の繁華街の真中にある二荒山神社の参道に仲店があって、父はそこで若い衆を使って当時としては珍しいライター喫煙具の露店商をやっていて、たまに僕がひとりで三輪車に乗って遊びに行く三条町の従兄弟の登ちゃんの家は、更に若い衆の大勢いる吉沢興業社で、それは今で言うプロダクションで岡晴夫が専属歌手であった。だからか、登ちゃんのお母さんも漫才師だつた。登ちゃんが生まれるので引退したのだ。登ちゃんは僕より二才年上だったが、僕達は従兄弟なので仲が良かった。
 或るとき母が庭でナメクジを瓶に入れているので不思議に思って声も出さずに、じっと見ていると『タカオ三条町に行くからね』と言って、母と僕は歩いて登ちゃんの家に行った。母は揃いの濃紺の法被姿の若い衆がお辞儀する中をすたすたと、僕の手をひいて途方もなく長い廊下の奥にある僕が一度も入った事の無い和室の障子を開けた。
 そこには僕の父方の祖母が横たわっていた。『お母さん、今日のは立派なのよ。見て下さいな!』母はそう言いながら祖母を抱え起こしてナメクジの瓶を逆さまにして、祖母の差し出す手の平にナメクジをのせた。『おうおう、これはデカイな、よしよし』何と祖母は手の平のナメクジを口の中に飲み込んでしまった。僕はビックリして声もなく、返って祖母が『ツルちゃんタカオが驚いているよ。あっははは』と病人なのに笑っているのが、不思議だった。『ほら利くでしょう。元気がでたわね』母と祖母は上機嫌だった。
『続く』