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 怒りの葡萄 (1939/米)
 監督 : ジョン・フォード
 出演 : ヘンリー・フォンダ / ジェーン・ダーウェル
 参考HP :怒りの葡萄 - goo 映画
       素晴らしき哉、クラシック映画!


 数年前、くだらないマンガを描かせたら日本で5本の指に入るだろう、上野顕太郎の初単行本『帽子男は眠れない』を読んだ。そこで描かれていたキャラに、本作のタイトルに沿った「猛々しい怒りに満ちた葡萄男」があり、とんでもなく爆笑したことを覚えている。

 その葡萄男が何に対して怒っているのか、読み手には全く見当がつかない。そして、彼が怒りのあまりにブチ切れたとたん、鼻血ブーよろしく上質のブドウジュースが次々と生成されるかと思うと、そのメルヘンさにしばらく酔ってしまいそうだ。

 本作は、資本主義の問題点をリアルに描き出す傑作という評価だ。だが、重く厳しいはずの内容に、メランコリックな主題曲がまるでそぐわっていない。このギャップはなにをもたらすのだろうかと考えてみたが、おそらく辛い現実をメルヘンとして気楽に捉えろという、ジョン・フォード監督の隠れメッセージかもしれない。つまりは、寓話性を強調したかったのだろう。

 巨大な資本が庶民を苦しめる例は、それこそ古今東西くさるほどある。農地を奪われた農民一家が夢を追ってロスへ移住し、そこでの惨めな現実にあえぐ本作の内容は、現在のデフレ社会に埋没する日本人の目からすると、いまさら感がかなり強かった。これをエロテイスト風にアレンジすると、ヘンリー塚本作品になってしまうくらいだ。

 ただ、この当時のアメリカは第二次世界大戦参戦前であり、強圧な資本家へ対抗すべくストライキや労働組合の概念を肯定的に描いていることが、とても興味ぶかい。これが、もし10年ほど遅れて公開されたならば、おそらく監督やプロデューサーらは赤狩りの洗礼を受けたことだろう。反ナチという名目でソ連と手を組んだことは、自然とプロレタリアート側へ力点を置いた内容を黙殺せねばならなかったと邪推する。

 だが、必ずしも共産主義バンザイということではなく、主人公はなかば暴力的な力をたぎらせた、ほとんどのアメリカ人の憧れ的存在なザ・マッチョの代表選手だ。堅苦しい理論などはすっ飛ばして、とにもかくにも「いつか、この腐った社会をオレが変えてやる」という根拠のない自信に、主人公のヘンリーフォンダは満ち溢れていた。

 「オレはいつでも母さんのそばにいるよ」という別れ言葉で主人公は一家から去り、あてどない移住生活をタフに乗り越えようとする一家の決意が、メランコリックな主題曲を背負って締めくくられる。繰りかえすが、やはり主題曲の印象から寓話性が強く、それは象徴としての決意表明にもなりえる。

 リアルな描写のみの内容だと、それは単なる個の事象であり、隣の新婚家庭の情事をのぞき見ることと同値だ。だが、寓話に仕立て上げられると、その情事が普遍性を帯びるように感じてしまう。「○○市△△町二丁目3番地の山田さんの奥さん」ではなく、単に「二丁目の山田さんの奥さん」とするほうが、山田姓の若妻にあてはまる数が全くことなり、受け手側の共通認識の幅が圧倒的に広がる。

 フォード監督独特の長回しなカットが、映画的な迫力を多分に損なわせる部分はあったが、それだけリアルな描写を追求したかったのだろう。最後まで肝心の葡萄を見る機会がなかったが、怒りという感情を我慢強く熟成させると、味わいぶかいワイン(人間)が出来あがるという暗喩なのかもしれない。ムキー!


 ※おそらくビデオキャプ物で、少し画質は暗め。コマ落ちは若干あるが気になる程度ではなく、音質や字幕の大きさは全く問題なし。こと字幕に関しては、DVDよりビデオ版の方が断然見やすいと思う。



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