第2章 交換過程〔*〕

〔* 第1版では、「諸商品の交換過程」、フランス語版では「諸交換について」となっている。〕

諸商品は、自分で市場におもむくこともできず、自分で自分たちを交換することもできない。したがってわれわれは、商品の保護者、すなわち商品所有者たちを探さなければならない。商品は物であり、したがって人間に対して無抵抗である。もしも商品が言うことを聞かなければ、人間は暴力を用いることができる。言いかえれば、商品を持っていくことができる(37)。これらの物を商品としてたがいに関係させるためには、商品の保護者たちは、自分たちの意志をこれらの物に宿す諸人格としてたがいに関係しあわなければならない。それゆえ、一方は他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらも両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を譲渡することによって他人の商品を自分のものにする。だから、彼らはたがいに相手を私的所有者として認めあわなければならない。契約をその形式とするこの法的関係は、法律的に発展していてもいなくても経済的関係がそこに反映する意志関係である。この法的関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている(38)。諸人格は、ここではただ、たがいに商品の代表者としてのみ、したがってまた商品所有者としてのみ、存在する。われわれは、展開が進むにつれて、諸人格の経済的扮装はただ経済的諸関係の人格化にほかならず、諸人格はこの経済的諸関係の担い手としてたがいに相対するということを、総じて見いだすであろう。

(37) その敬けんさで聞こえた一二世紀にも、これらの商品のうちに、しばしば、はなはだか弱いものが出現する。たとえば、当時のフランスの一詩人は、ランディ〔パリ近郊の町〕の市場に見られた商品のうちに、服地、靴、なめし革、農具、皮革類などと共に、「“みだらな遊び女 femmes folles de leur corps ”」をあげている。

(38) プルードンは、まず正義、“永遠の正義 justice eternelle ”という彼の理想を商品生産に照応する法的諸関係からくみ取る。ついでに言っておけば、このことによって、商品生産の形態は正義と同じように永遠であるというすべての素町人にとってはなはだ好ましい証明が与えられるというわけである。彼は、今度は反対に、現実の商品生産とこれに照応する現実の法をこの理想に従って改造しようとする。もしも物質代謝の現実的諸法則を研究してこれらの法則に基づいて一定の課題を解決するのではなく、「“自然状態 naturalite ”」や「“親和力 affinite ”」という「永遠の理念」によって物質代謝を改造しようとする化学者がいたとしたら、この化学者を何と考えたらよいであろうか? 「高利」は「“永遠の正義”」や「“永遠の公正 equite eternelle ”」や「“永遠の相互扶助 mutualite eternelle ”」やその他の「“永遠の真理 verites eternelles ”」と矛盾すると言う時、人が「高利」なるものについて知るところは、教父たちが高利は「“永遠の恩寵 grace eternelle ”」、「“永遠の信仰 foi eternelle ”」、「“神の永遠の意志 volonte eternelle de dieu ”」と矛盾すると言う時に彼らが高利について知っていたものよりも、はたしてより多いであろうか?

商品所有者を特に商品から区別するものは、商品にとっては他のどの商品体もただ自分の価値の現象形態としての意味しかもたないという事情である。だから、生まれながらの水平派であり犬儒学派である商品は、他のどの商品とも、たとえそれがマリトルネスよりまずい容姿をしていても、魂だけでなく体までも取り替えようとたえず待ちかまえている。商品所有者は、こうした、商品には欠けている、商品体の具体性に対する感覚を、彼自身の五感およびそれ以上の感覚でもって補う。彼の商品は彼にとっては何らの直接的使用価値をも持たない。さもなければ、彼はそれを市場に持っていきはしなかっただろう。それがもっているのは他人にとっての使用価値である。彼にとってそれは、直接的には、ただ交換価値の担い手であり、したがって交換手段であるという使用価値をもっているだけである(39)。だからこそ、この商品を彼は自分を満足させる使用価値をもつ商品と引きかえに譲渡しようとするのである。すべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとっては使用価値である。したがって、これらの商品は、全面的に持ち手を交換しなければならない。そして、この持ち手の交換が諸商品の交換なのであって、またそれらの交換が諸商品を価値としてたがいに関係させ、諸商品を価値として実現する。したがって、諸商品は、みずからを使用価値として実現しうるまえに、価値として実現しなければならない。

(39) 「なぜなら、どの物の用途も二通りあるからである。・・一方は物としての物に固有であり、他方はそうではない。たとえば、靴には、靴としてはくという用途と交換されうるという用途とがある。両方とも靴の使用価値である。なぜなら、靴を、自分にないもの、たとえば食物と交換する人でも、やはり靴を靴として用いているからである。もっとも、これは靴の本来の用法ではない。なぜなら、靴は交換のために存在しているのではないからである」(アリストテレス『政治学』、第一巻、第九章〔山本光雄訳、『アリストテレス全集』15、岩波書店、二三ページ。同訳、岩波文庫、五一〜五二ページ〕)。

他面では、諸商品は、自分を価値として実現しうる前に、自分が使用価値であることを実証しなければならない。というのは、諸商品に支出された人間労働が、それとして認められるのは、この労働が他人にとって有用な形態で支出された場合に限られるからである。ところが、その労働が他人にとって有用であるかどうか、したがってその生産物が他人の欲求を満足させるかどうかは、ただ諸商品の交換だけが証明できることである。

どの商品所有者も、自分の欲求を満たす使用価値をもつ別の商品と引きかえにでなければ自分の商品を譲渡しようとはしない。その限りでは、交換は彼にとって個人的な過程でしかない。他方では、彼は自分の商品を価値として実現しようとする。すなわち、彼自身の商品が他の商品の所有者にとって使用価値を持つか持たないかにはかかわりなく、自分の気にいった、同じ価値をもつ他のどの商品ででも価値として実現しようとする。その限りでは、交換は彼にとって一般的社会的過程である。だが、同じ過程が、すべての商品所有者にとって同時にもっぱら個人的であると共にもっぱら一般的社会的であるということはありえない。

立ちいってみてみると、どの商品所有者にとっても、他人の商品はどれも自分の商品の特別な等価として意義をもち、したがって、自分の商品は他のすべての商品の一般的等価として意義をもつ。しかし、すべての商品所有者が同じことを行うのだから、どの商品も一般的等価ではなく、したがってまた、諸商品は、それらが自己を価値として等置し、価値の大きさとして比較しあうための一般的相対的価値形態をもってはいない。だから、諸商品はおよそ商品として相対しているのではなく、ただ生産物または使用価値として相対しているにすぎないのである。

わが商品所有者たちは、当惑してファウストのように考えこむ。はじめに行動ありき。したがって、彼らは考える前にすでに行動していたのである。商品の性質の諸法則は、商品所有者の自然本能において確認されたのである。彼らは、彼らの商品を一般的等価としての他の何らかの商品に対立的に関係させることによってしか、彼らの商品を価値として、商品として、たがいに関係させることができない。このことは、商品の分析が明らかにした。だが、もっぱら社会的行為だけが、ある特定の商品を一般的等価にすることができる。だから、他のすべての商品の社会的行動がある特定の商品を排除し、この排除された商品によって他のすべての商品はそれらの価値を全面的に表示するのである。これによって、この排除された商品の現物形態が社会的に通用する等価形態となる。一般的等価であるということは、社会的過程によって、この排除された商品の特有な社会的機能となる。こうして、この商品は・・貨幣となる。

「“この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣(ケモノ)にゆだねる。この刻印のあるものでなければ、だれも物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名を表す数字である Illi unum consilium habent et virtutem et potestatem suam bestiae tradunt. Et ne quis possit emere aut vendere, nisi qui habet characterem aut nomen bestiae, aut numerum nominis ejus. ”」(ヨハネ黙示録)。

貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際にたがいに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。交換の歴史的な拡大と深化は、商品の性質のうちに眠っている使用価値と価値との対立を発展させる。交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立した形態が最終的に達成されるまでとどまるところを知らない。したがって、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合で、商品の貨幣への転化が生じるのである(40)。

(40) これによって、小ブルジョア社会主義の小ずるさを判断されたい。それは、商品生産を永遠化し、しかも同時に「貨幣と商品との対立」を、したがって、貨幣そのものを・・というのは、貨幣はこの対立においてのみ存在するのだから・・廃止しようとするのである。それができるなら、教皇を廃止して、しかもなおカトリック教会を存続させることもできるであろう。これについての詳細は、私の著作『経済学批判』の61ページ以下〔『全集』、第13巻、66ページ以下〕。

直接的な生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。あの形態は、x量の商品A=y量の商品B であった。直接的な生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B である(41)。AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品となる。ある使用対象が可能性からみて交換価値である最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える量の使用価値としての、その定在である。諸物はそれ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって譲渡されうるものである。この譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、黙って、その譲渡されうる諸物の私的所有者として、またまさにそうすることによって相互に独立の人格として、相対しさえすればよい。しかし、このようにたがいに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては・・その共同体が、家父長制的家族の形態をとっていようと、古インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと・・存在しない。商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸成員と接触する点で、始まる。しかし、諸物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になる。諸物の量的交換比率は、さし当りはまったく偶然的である。それらの物が交換されうるものであるのは、それらをたがいに譲渡し合おうとする所有者たちの意志行為によってである。しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってくる。交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換めあてに生産されざるをえなくなる。この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性とのあいだの分離が確定する。諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離する。他面では、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになる。慣習はそれらの物を価値の大きさとして固定させる。

(41) 二つの異なった使用対象がまだ交換されず、未開人のあいだにしばしば見られるように、混沌とした諸物のひとかたまりがある第三の物の等価として提供される限りでは、直接的な生産物交換そのものはやっとその入口に立ったばかりである。

直接的な生産物交換においては、どの商品もその所有者にとっては直接的に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物である・・もっとも、その商品がその非所有者にとって使用価値である限りでのことであるが。したがって、交換品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態をまだ受け取ってはいない。この形態の必然性は、交換過程に入りこむ商品の数と多様性との増大と共に発展する。課題はその解決の手段と同時に生じる。商品所有者が彼ら自身の物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者のさまざまな商品がその交易の内部で同一の第三の種類の商品と交換され、価値として比較されることなしには、決して生じない。このような第三の商品は、他のさまざまな商品にとっての等価となることによって、直接的に・・たとえ狭い限界内においてにせよ・・一般的または社会的な等価形態を受け取る。この一般的商品形態は、それを生み出す一時的な社会的接触と共に発生し、それと共に消滅する。この形態は、あれこれの商品に、かわるがわる、かつ一時的に帰属する。しかし、それは、商品交換の発展につれて、排他的に特殊な種類の商品に固着する。すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどのような種類の商品に固着するかは、さしあたり偶然的である。しかし、一般的には、二つの事情が決定的である。貨幣形態が固着するのは、外部から入ってくる最も重要な交易品・・これは、事実上、内部の諸生産物がもつ交換価値の自然発生的な現象形態である・・か、さもなければ、内部の譲渡されうる所有物の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものである。遊牧諸民族が最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が動かしうる、したがって直接的に譲渡されうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式が彼らをたえず他の諸共同体と接触させ、したがって、生産物交換へと誘いこむからである。人間はしばしば人間そのものを奴隷の姿態で原初的な貨幣材料としてきたが、土地〔Grund und Boden〕をそうしたことはかつてなかった。このような観念は、すでに発展をとげたブルジョア社会においてのみ出現しえた。その始まりは一七世紀の最後の三分の一期のことであり、その実施が国民的規模でこころみられるのは、それからやっと一世紀後、フランスのブルジョア革命の中においてであった。

商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、したがって商品価値が人間労働一般の物質化にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。

ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示している(43)。しかし、われわれは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知らない。すなわち、商品価値の現象形態として、または商品の価値の大きさが社会的に表現される材料として、役立つという機能だけである。価値の適切な現象形態、または抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるのは、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質だけである。他面、価値の大きさの区別は純粋に量的なものであるから、貨幣商品は純粋に量的な区別ができるもの、したがって任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できるものでなければならない。ところが、金銀は生まれながらにしてこの属性をそなえている。

(42) カール・マルクス『経済学批判』、135ページ〔『全集』、第13巻、132ページ〕。「これらの金属は・・・・生まれながらにして、貨幣である」(ガリアーニ『貨幣について』、所収、クストーディ編、前出叢書、近代篇、第三巻、一三七ページ)。

(43) これについての詳細は、前出の私の著作の中の「貴金属」の節。

貨幣商品の使用価値は二重化する。貨幣商品は、たとえば金が虫歯の充填(ジュウテン)、奢侈品(シャシヒン)の原材料などに役立つというような、商品としてのその特殊な使用価値のほかに、その独特な社会的機能から生じる一つの形式的な使用価値を受け取る。

他のすべての商品は貨幣の特別な等価にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的等価であるから、これらの商品は、一般的商品としての貨幣(44)に対して特別な商品としてふるまう。

(44) 「貨幣は一般的商品である」(ヴェッリ『経済学に関する諸考察』、〔前出叢書〕一六ページ)。

すでに見たように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係の反射が、一つの商品に固着したものにほかならない。したがって、貨幣は商品である(45)ということは、貨幣の完成した姿態から出発して後から分析する者にとっての一つの発見であるにすぎない。交換過程は、それが貨幣に転化させる商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのである。この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考えを生み出した(46)。貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生じた。他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。この意味では、どの商品も一つの章標であろう。なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)。しかし、一定の生産様式の基礎上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するならば、そのことによって同時に、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明することになる。これこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿態から少なくともさしあたり奇異の外観をはぎ取ろうとして、一八世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であった。

(45) 「われわれが貴金属という一般的名称で呼ぶことのできる銀や金そのものは・・・・価値が・・・・上がったり下がったりする・・・・商品である。・・・・そこで、そのより小さい重量でもってその国の生産物または製造品のより大きい量が買われるのならば、貴金属の価値は高くなったものとみなされる」(〔S・クレマント〕『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念に関する一考察。一商人著』、ロンドン、一六九五年、七ページ)。「銀や金は、鋳造されていてもいなくても、他のすべての物の尺度として用いられるけれども、ワイン、油、タバコ、布や織物と同じく一つの商品である」(〔J・チャイルド〕『商業、ことに東インド貿易に関する考察』、ロンドン、一六八九年、二ページ)。「厳密に言えば、王国の資産と富を貨幣に限定するのは適切でないし、金や銀を商品ではないとすべきではない」(〔Th・パピロン〕『東インド貿易は最も有利な貿易である』、ロンドン、一六七七年、四ページ)。

(46) 「金銀は、それが貨幣である前に、金属として価値をもっている」(ガリアーニ、前出〔七二ページ〕)。ロックは言う。「人々の一般的合意は、銀を貨幣として適切にさせたその性質のゆえに、銀に想像的な価値を与えた」〔ジョン・ロック『利子引き下げおよび・・・・その結果の若干の考察』、一六九一年、所収、『著作集』、一七七七年版、第二巻、一五ページ。田中・竹本訳『利子・貨幣論』、東京大学出版会、三一ページ〕。これに対してローは言う。「どのようにしてさまざまな国民は何らかの物に想像的な価値を与えることができようか?・・・・あるいは、どのようにしてこの想像的な価値は維持されうるだろうか?」と。もっとも、彼自身いかにわずかしか問題を理解していなかったかは、次の通りである。「銀は、それがもっていた使用価値に従って、それゆえその現実的価値に従って交換された。銀は、貨幣としてのその規定を通して追加価値(une valeur additionelle)を受け取った」(ジョン・ロー『貨幣と交易に関する考察』〔エディンバラ、一七〇五年〕、所収、E・デール編『一八世紀の財政経済学者たち』〔パリ、一八四三年〕、四六九、四七〇ページ〔吉田啓一訳『貨幣と商業』、所収『ジョン・ローの研究』、泉文堂、二〇九、二一〇ページ〕)。

(47) 「貨幣は、それらの」(諸商品の)「章標である」(V・ド・フォルボネ『商業に関する基本原理』、新版、ライデン、一七六六年、第二巻、一四三ページ)。「章標としてそれは諸商品に引きつけられる」(同前、一五五ページ)。「貨幣は物の章標であり、それを代表する」(モンテスキュー『法の精神』、著作集、第二巻、ロンドン、一七六七年、三ページ〔根岸国孝訳、『世界の大思想』16、河出書房新社、三二一ページ〕)。「貨幣は単なる章標ではない。なぜなら、それ自身が富だからである。それは価値を代理するのではない。それは価値の等価物なのである」(ル・トローヌ『社会的利益について』、九一〇ページ)。「価値の概念が考察される時には、物そのものは章標としてのみ見られ、それ自身としてではなく、それが値するところのものとして通用する」(ヘーゲル『法の哲学』、一〇〇ページ〔藤野・赤沢訳『世界の名著』35、中央公論社、二六二ページ〕)。経済学者たちよりずっとまえに、法学者たちは、王様に媚びへつらって、貨幣は単なる章標であり、貴金属の価値はひとえに想像的なものだという考え方を振りかざし、王の鋳貨変造権を、中世全体を通して、ローマ帝国の伝統とパンデクテン〔ローマ法典〕の貨幣概念に基づいて支持した。彼らののみ込みのよい弟子であるヴァロワのフィリップ〔ヴァロワ朝を創設したフランスのフィリップ六世〕は、一三四六年の勅令の中で次のように言っている。「貨幣鋳造の業務、すなわち製造、形状、発行高、および鋳貨をわが意のままに、意のままの価格で流通させるための鋳貨にかかわるすべての法令が・・・・ひとりわれおよびわが王位のみに属するということは、だれも疑いえず、また疑うべからざることである」。皇帝が貨幣価値を法令で定めるということは、ローマの法的教義であった。貨幣を商品として取りあつかうことは明文で禁止されていた。「しかし、貨幣を買うことは、だれにも許されるべきことではない。なぜなら、貨幣は、一般的使用のためにつくられたのであって、商品であってはならないからである」。この点についてよく説明しているのは、G・F・パンニーニ『諸物の公正な価格に関する試論』、一七五一年、所収、クストーディ編、近代篇、第二巻である。ことに、この著述の第二篇において、パンニーニは法学者諸君に論争をしかけている。

先に指摘したように、一商品の等価形態はその商品の価値の大きさの量的規定を含んではいない。金が貨幣であり、したがって他のすべての商品と直接的に交換されうるものであることを知っても、それだからといって、たとえば一〇ポンドの金の価値がどれだけであるかはわからない。どの商品もそうであるように、貨幣〔*〕はそれ自身の価値の大きさを、ただ相対的に、他の諸商品によってのみ、表現することができる。貨幣〔*〕自身の価値は、その生産のために必要とされる労働時間によって規定され、等量の労働時間が凝固した、他の各商品の量で表現される(48)。貨幣〔*〕の相対的価値の大きさのこうした確定はその産源地での直接的交換取引の中で行われる。それが貨幣として流通に入る時には、その価値はすでに与えられている。すでに一七世紀の最後の数十年間には、貨幣分析のずっと踏み越えた端緒がなされていて、貨幣が商品であるということが知られていたけれども、それはやはり端緒にすぎなかった。困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある(49)。

〔* カウツキー版、ロシア語版では「金」となっている〕

(48) 「もしある人が一ブッシェルの穀物の生産に要するのと同じ時間で、一オンスの銀をペルーの地中からロンドンまで持ってくることができるのならば、一方は他方の自然価格である。今、もし彼が、新しい、より豊かな鉱山のおかげで、かつて一オンスを獲得したのと同じ容易さで二オンスの銀を獲得することができるのならば、穀物は、一ブッシェルあたり一〇シリングの価格であっても・・“他の事情が同じであれば”・・以前に五シリングの価格であった場合と同じ安さであろう」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、一六六七年、三一ページ〔大内・松川訳、岩波文庫、八九〜九〇ページ〕)。

(49) 教授ロッシャー氏は、われわれに教えて、「貨幣の誤った定義は二つの群に大別できる。すなわち、貨幣を商品以上のものとみなす定義と、商品以下のものとみなす定義とである」と言い、ついで貨幣なるものに関する著作の種々雑多な目録をあげるが、そこには貨幣理論の現実的歴史についての洞察の片鱗さえも見られない。ついで次の教訓だ。「大部分の近ごろの国民経済学者が、貨幣を他の商品から区別する特異性」(では、商品以上なのか、以下なのか?)「を十分に眼中においていないということは、とにかく否定できない。・・・・その限りでは、ガニルなどのなかば重商主義的な反動もまったく無根拠ではない」(ヴィルヘルム・ロッシャー『国民経済学原理』、第三版、一八五八年、二〇七〜二一〇ページ)。以上・・以下・・十分に・・・・いない・・その限りでは・・まったく・・・・ではない! 何という概念規定だ! そして、このような折衷的な大学教授的むだ話を、ロッシャー氏は、控え目に、経済学の「解剖学的生理学的方法」〔同前、四二ページ〕と命名するのだ! もっとも、一つの発見は彼に負うところである。すなわち、貨幣は「人を引きつける商品」〔同前、二〇六ページ〕である、と。

われわれが見たように、すでに最も単純な価値表現、x量の商品A=y量の商品B においても、他の一つの物の価値の大きさがそれによって表される物は、その等価形態を、この関係から独立に社会的な自然属性として持っているかのようにみえる。われわれはこの虚偽の外観の確立を追求した。一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の現物形態に癒着した時、あるいは貨幣形態に結晶した時、この外観は完成する。一商品は、他の諸商品がその価値をこの一商品によって全面的に表示するので、はじめて貨幣になるのだ、とは見えないで、むしろ逆に、この一商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの一商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える。媒介する運動は、運動それ自身の結果では消失して、何の痕跡も残してはいない。諸商品は、みずから関与することなく、自分たち自身の価値姿態が、自分たちの外に自分たちとならんで存在する一商品体として完成されているのを見いだす。金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的化身なのである。ここから、貨幣の魔術が生じる。人間の社会的生産過程における人間の単なる原子的なふるまいは、したがってまた人間の管理や人間の意識的な個人的行為から独立した彼ら自身の生産諸関係の物的姿態は、さしあたり、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるという点に現れる。だから、貨幣物神の謎は、目に見えるようになった、人目をくらますようになった商品物神の謎にほかならない。

 


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