
第2節 生産物の比率的諸部分での生産物価値の表現
さて、われわれは、資本家がどのようにして貨幣を資本にするかを示した例にたち戻ろう。〔第5章、第2節「価値増殖過程」、参照〕。彼が雇う紡績工の必要労働は六時間、剰余労働も同じく六時間、したがって労働力の搾取度は一〇〇%であった。
一二時間の労働日の生産物は、三〇シリングの価値を持つ二〇ポンドの糸である。この糸価値の8/10(二四シリング)だけは、単に再現するにすぎない消耗された生産諸手段の価値(二〇シリングの価値の二〇ポンドの綿花、四シリングの価値の紡錘など)によって形成されており、すなわち不変資本からなっている。残りの2/10は、紡績過程中に生じた六シリングの新価値であり、そのうちの半分は前貸しされた労働力の日価値すなわち可変資本を補填し、他の半分は三シリングの剰余価値を形成する。したがって、二〇ポンドの糸の総価値は次のような構成になっている。
30シリングの糸価値=24シリング(c)+(3シリング(v)+3シリング(m))
この総価値は二〇ポンドの糸という総生産物において表現されているのであるから、さまざまな価値要素もまた当然、生産物の比率的諸部分で表現できるはずである。
三〇シリングの糸価値が二〇ポンドの糸の中に存在するならば、この価値の8/10すなわち二四シリングの不変的部分は、生産物の8/10すなわち一六ポンドの糸の中に存在する。そのうちの一三1/3ポンドは、二〇シリングの原料の価値すなわち紡がれた綿花の価値を表現し、二2/3ポンドは、四シリングの消耗された補助諸材料および労働諸手段・・紡錘など・・の価値を表現する。
したがって、一三1/3ポンドの糸は、二〇ポンドの糸という総生産物に紡がれたすべての綿花を、すなわち総生産物の原料を表わしているが、それ以上のものは何も表わしてはいない。たしかに、この一三1/3ポンドの糸の中には、一三1/3シリングの価値を持つ一三1/3ポンドの綿花が潜んでいるだけであるが、しかし、六2/3シリングというそれの付加的価値が、残りの六2/3ポンドの糸に紡がれた綿花の等価物を形成するのである。それは、まるでこの残りの六2/3ポンドの糸から綿花が引き抜かれて、総生産物中の綿花が一三1/3ポンドの糸に詰めこまれでもしているかのようである。これに反して、この一三1/3ポンドの糸は、今や、消費された補助諸材料および労働諸手段の価値の一原子をも、紡績過程で創造された新価値の一原子をも、含んではいない。
それと同じように、不変資本の残り(=4シリング)が潜んでいる他の二2/3ポンドの糸は、二〇ポンドの糸という総生産物の中に消耗された補助諸材料および労働手段の価値以外のものは何も表現しない。
したがって、生産物の8/10、すなわち一六ポンドの糸は、肉体的には、すなわち使用価値として糸として考察すれば、残りの生産物部分とまったく同じように紡績労働の形成物であるにもかかわらず、この関連では何らの紡績労働を、紡績過程そのもののあいだに吸収された労働を、含んではいない。それは、まるで紡ぐことなしに糸に転化でもしたかのようであり、糸といううその姿態は純粋のごまかしででもあるかのようである。実際、資本家がそれを二四シリングで販売し、それで彼の生産諸手段を買い戻す場合には、一六ポンドの糸は、綿花、紡錘、石炭などの変装したものにすぎないことが明らかになる。
それとは逆に、後に残っている生産物の2/10すなわち四ポンドの糸は、今や、一二時間の紡績過程で生産された六シリングの新価値以外のものは何も表現しない。消耗された諸原料と労働諸手段との価値のうち、この四ポンドの糸の中に潜んでいるものは、すでに抜き出されて最初の一六ポンドの糸に合体された。二〇ポンドの糸に体現された紡績労働は、生産物の2/10に集中されている。それは、まるで紡績工が四ポンドの糸を空気で紡いだか、さもなければ、人間労働の関与なしに天然に現存し、生産物には何らの価値をもつけ加えない綿花と紡錘とをもって紡ぎでもしたかのようである。
こうして、日々の紡績過程の全価値生産物は四ポンドの糸のうちに存在するのであるが、この四ポンドの糸のうち、半分はただ消費された労働力の補填価値を、したがって三シリングの可変資本を表現するのみであり、他の二ポンドの糸は三シリングの剰余価値を表現するのみである。
紡績工の一二労働時間は六シリングに対象化されているのであるから、三〇シリングの糸価値には六〇労働時間が対象化されている。その六〇労働時間は二〇ポンドの糸のうちに存在するのであるが、この二〇ポンドの糸の8/10すなわち一六ポンドは、紡績過程以前にすぎ去った四八労働時間の体現物、すなわち糸の生産諸手段に対象化された労働の体現物であり、これに反して、2/10すなわち四ポンドは、紡績過程そのものにおいて支出された一二労働時間の体現物である。
さきにのべたように、糸価値は、糸の生産において生みだされた新価値と、すでに糸の生産諸手段の中に前もって存在する諸価値の合計に等しい。今や、生産物価値の機能的または概念的に相異なる諸構成部分が、生産物そのものの比率的諸部分で表現されるということが明らかになった。
生産物・・生産過程の結果・・が、生産諸手段に含まれている労働または不変資本部分だけを表現するある量の生産物と、生産過程でつけ加えられた必要労働または可変資本部分だけを表現するもう一つの量の生産物と、同じ過程でつけ加えられた剰余労働または剰余価値だけを表現する最後の量の生産物とに分解することは、後にこれを、錯綜した、なお未解決な諸問題に応用する時に示されるように、重要なことであると共に単純なことである。
今までに、われわれは、総生産物を一二時間の労働日の完成した結果として考察した。しかし、われわれは、総生産物の生成過程をたどり、しかもなお、部分諸生産物を機能的に異なる生産物諸部分として表現することもできる。
紡績工は、一二時間で二〇ポンドの糸を生産するのであるから、一時間で一2/3ポンドの糸を生産し、八時間には一三1/3ポンドの糸、すなわち全労働日中に紡がれる綿花の総価値に相当する部分生産物を、生産する。同じやり方で、次の一時間三六分の部分生産物は二2/3ポンドの糸であり、したがって一二労働時間中に消耗された労働諸手段の価値を表現する。同様にして、紡績工は、次の一時間一二分には 2ポンドの糸=3シリング を、すなわち彼が必要労働の六時間中に創造する価値生産物全部に等しい生産物価値を、生産する。最後に、彼は最終の6/5時間でやはり二ポンドの糸を生産するのであるが、それの価値は彼の半日の剰余労働によって生みだされた剰余価値に等しい。この計算の仕方は、イギリスの工場主の常用のものになっており、たとえば彼は、労働日の最初の八時間、すなわち2/3で綿花を回収し、云々と言うであろう。この定式は正しいのであって、実際、はじめの定式を、生産物の諸部分が完成してならべられている空間から、それらが相ついでたどる時間に翻訳したものにすぎないことがわかる。しかし、この定式はまた、きわめて無知な観念をともなうことがありえるのであって、実践的には価値増殖過程に関与〔interessiert〕していると共に、理論的にはこの過程を曲解することに利益〔Interesse〕を持つ人々の頭脳にあっては、ことにそうである。そこで次のように思いこまれることがありえる。すなわち、わが紡績工は、たとえば彼の労働日の最初の八時間には綿花の価値を、次の一時間三六分には消耗された労働諸手段の価値を、次の一時間一二分には労賃の価値を、生産または補填するのであり、そしてかの有名な「最後の一時間」だけを工場主に、すなわち剰余価値の生産にささげるのである、と。こうして紡績工には、綿花、紡錘、蒸気機関、石炭、油などをもって糸を紡ぎながら、それと同じ瞬間にこれらのものを生産し、そして、与えられた強度を持つ一労働日をそのような五労働日にするという、二重の奇跡が背負わされる。というのは、われわれの事例では、原料および労働諸手段の生産が24/6すなわち四日分の一二時間労働日を必要とし、それらのものを糸に転化するのにさらに一日分の一二時間労働日を必要とするからである。強欲がこのようなもろもろの奇跡を信じており、また、それらの奇跡を証明する空論的追従者に決してこと欠かないということについては、これから、歴史的に有名な一つの例でこれを示そう。