第4節 剰余生産物
生産物のうち剰余価値を表わしている部分(第2節の例では二〇ポンドの糸の1/10すなわち二ポンドの糸)を、われわれは、剰余生産物(surplus produce, produit net)と名づける。剰余価値率が、資本の総額に対する剰余価値の比率によってではなく、資本の可変的構成部分に対する剰余価値の比率によって規定されるのと同じように、剰余生産物の水準も、総生産物の残部に対する剰余生産物の比率によってではなく、必要労働を表わしている生産物部分に対する剰余生産物の比率によって規定される。剰余価値の生産が資本主義的生産の規定的目的であるのと同じように、富の高さの程度をはかるのは、生産物の絶対的大きさではなく、剰余生産物の相対的な大きさである(34)。
(34) 「二万ポンド・スターリングの資本を持ち、その利潤が年間二〇〇〇ポンド・スターリングとなる個人にとっては、彼の利潤がどんな場合にも二〇〇〇ポンド・スターリング以下に減少しないとすれば、彼の資本が一〇〇人を雇おうと一〇〇〇人を雇おうと、また生産された商品が一万ポンド・スターリングで売れようと二万ポンド・スターリングで売れようと、まったくどうでもよいことであろう。一国民の真実の利益もこれと同様ではあるまいか? その真実の純利得、すなわちその地代と利潤とが同じであるとすれば、その国民が一〇〇〇万人の住民からなっていようと一二〇〇万人からなっていようと、少しも重要ではない」(リカード『経済学および課税の原理』、四一六ページ〔堀経夫訳、『リカード全集』I、三九九ページ〕)。リカードよりずっと前に、剰余生産物の狂信者であるアーサー・ヤング・・彼は、とにかくおしゃべりで無批判的な著作家で、その名声はその功績に逆比例しているのではあるが・・は、とりわけ次のように言った。「現代の王国においては、一つの州全体が、古ローマ流に小独立農民によってどんなによく耕作されていたところで、何の役に立つであろうか? 人間を繁殖させるというたった一つの目的(the mere purpose of breeding men)、このこと自体まったく無目的なもの(is a most useless purpose)であるが、それ以外に何の目的があるだろうか?」と(アーサー・ヤング『政治算術』、ロンドン、一七七四年、四七ページ)。
注34への〔第2版での〕追加。奇妙なのは、「剰余の富を労働者階級にとって有利であると主張する強い傾向」があることである。「しかし、たとえそれがそういう作用をするとしても、それが剰余の富であるからでないことは明かである。」(トマス・ホプキンズ『地代・・・・について』、ロンドン、一八二八年、一二六ページ)。
必要労働と剰余労働との合計、すなわち労働者が彼の労働力の補填価値を生産する時間と剰余価値を生産する時間との合計は、彼の労働時間の絶対的大きさ・・労働日(working day)を形成する。