
第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格
同じ資本の指揮のもとにおける比較的多い労働者総数は、協業一般の場合と同じように、マニュファクチュアの自然発生的な出発点をなす。またその逆に、マニュファクチュア的分業は、使用労働者数の増大を技術的必然性にまで発展させる。個々の資本家が使用しなければならない労働者の最低数は、彼にとっては今や、現存する分業によって指定されている。他方、より進んだ分業の利益は、労働者総数のいっそうの増加によって条件づけられるが、この増加は、もはや倍数的にのみ行われうる。しかし、資本の可変的構成部分と共に、不変的構成部分も増加しなければならない。すなわち、建物、炉などのような共同的生産諸条件の度合いのほかに、ことにまた原料が、労働者数よりもずっと速く増加しなければならない。与えられた時間内に、与えられた労働量によって消耗される原料の量は、分業によって労働の生産力が増大するのと同じ割合で増大する。したがって、個々の資本家の手における資本の最低の大きさの増加、または、社会的な生活諸手段および生産諸手段の資本への転化の増加は、マニュファクチュアの技術的性格から生じる一法則である(62)。
(62) 「手工業の細分に必要な資本」(そのために必要な生活諸手段および生産諸手段と言うべきである)「が、社会の中に現存しているというだけでは十分ではない。そのほかに、企業家たちが大規模な仕事をするのにたりる多量の資本が、彼らの手中に蓄積されていることが必要である。・・・・分業が進めば進むほど、同数の労働者をたえず就業させるためには、道具や原料などとしてますます多量の資本が必要とされる」(シュトルヒ『経済学講義』、パリ版、第一巻、二五〇、二五一ページ)。「生産諸用具の集中と分業とが相互に不可分であるのは、ちょうど政治の分野で社会的暴力の集中と私的利害の分割とが相互に不可分であるのと同じである」(カール・マルクス『哲学の貧困』、一三四ページ〔『全集』、第4巻、158ページ〕)。
単純協業におけるのと同様に、マニュファクチュアにおいても、機能している労働体は、資本の一存在形態である。多数の個別的部分労働者から構成された社会的生産機構は、資本家に所属する。それゆえ、諸労働の結合から生じる生産力は、資本の生産力として現れる。本来のマニュファクチュアは、以前の自立的労働者を資本の指揮と規律に従わせるのみでなく、なおその上に、労働者たちそのもののあいだの等級的編制をつくり出す。単純協業はだいたいにおいて、個々人の労働様式を変化させないが、マニュファクチュアは、それを徹底的に革命し、個別的労働力の根底を襲う。それは、もろもろの生産的な欲求と素質の一世界をなしている人間を抑圧することを通じ、労働者の細部的熟練を温室的に助長し、その結果労働者をゆがめて異常なものにしてしまう・・ちょうど、ラ・プラタ諸州〔南アメリカ〕において、皮や脂を取るために、動物をまるごと殺してしまうように。特殊的部分諸労働が、さまざまな個人のあいだに配分されるだけでなく、個人そのものが分割されて、一つの部分労働の自動装置に転化され(63)、人間を彼自身の身体の単なる一片であるとのべるメネニウス・アグリッパのばかげたたとえ話が現実化される(64)。労働者は本源的には、商品を生産するための物質的諸手段を持たないから自分の労働力を資本に売るのであるが、今や、彼の個別的労働力そのものは、それが資本に売られない限りは役に立たない。この個別的労働力は、今や、それが販売された後ではじめて存在する一つの関連の中で、すなわち資本家の作業場の中で、機能するにすぎない。マニュファクチュア労働者は、その自然的性状から自立的な物をつくることができなくされており、もはや資本家の作業場への付属物として生産活動を展開するにすぎない(65)。選ばれた民の額には、彼がエホバの所有物だということが書かれているのと同様に、分業はマニュファクチュア労働者に、彼が資本の所有物だということを示す刻印を押すのである。
(63) ドゥガルド・スチュアートは、マニュファクチュア労働者を、「部分労働に使用される・・・・生きた自動装置」と名づけている(『経済学講義』、三一八ページ)。
(64) サンゴの場合には、各個体が実際に全群のための胃袋を形成している。しかし各個体は、ローマの貴族のように全群から栄養分を奪い去るのではなく、全群に栄養分を供給しているのである。
(65) 「一つの手工業全体に習熟している労働者は、どこででも働いて生計の資を得ることができる。他の者」(マニュファクチュア労働者)「は今では一つの付属物にすぎないのであって、その作業仲間から引き離されると、何の能力も独立性をも持たず、そのため、彼に課されるのが至当と見なされるおきてを受け入れることをよぎなくされる」(シュトルヒ『経済学講義』、ペテルブルク版、一八一五年、第一巻、二〇四ページ)。
未開人が戦争のあらゆる技術を個人的策略として行うように、自立的な農民または手工業者がたとえ小規模にでも展開する知識、洞察、および意志は、今ではもはや、作業場全体にとって必要とされているにすぎない。生産上の精神的諸能力は、多くの面で消滅するからこそ、一つの面でその規模を拡大する。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本に集中される(66)。部分労働者たちに対して、物質的生産過程の精神的諸能力を、他人の所有物、そして彼らを支配する力として対立させることは、マニュファクチュア的分業の一産物である。この分離過程は、資本家が個々の労働者に対立して社会的労働体の統一と意志を代表する単純協業において始まる。この分離過程は、労働者を不具化して部分労働者にするマニュファクチュアにおいて発展する。この分離過程は、科学を自立的な生産能力として労働から分離して資本に奉仕させる大工業において完成する(67)。
(66) A・ファーガスン『市民社会史』、二八一ページ〔大道訳、河出文庫、下、一〇ページ〕。「一方が失ったものを、他方が得たのであろう」。
(67) 「知識のある人と生産的労働者とはたがいに遠く引き離されており、科学は、労働者の手の中において彼自身の生産諸力を彼自身のために増大するのではなく、ほとんどいたるところで彼に対立した。・・・・知識は、労働から分離されて労働に対立させられうる一用具となる」(W・トムスン『富の分配の諸原理の研究』、ロンドン、一八二四年、二七四ページ)。
マニュファクチュアにおいては、全体労働者の、したがって資本の、社会的生産力の富裕化は、労働者の個別的生産諸力の貧弱化を条件としている。
・「無知は、迷信の母であると同様に、勤勉の母である。反省と空想力は誤りにおちいりやすい。しかし、手足を動かす習慣は、このどれにも無関係である。したがって、マニュファクチュアが最も繁栄するのは、人々が最も精神力を奪われて、作業場が人間を部品とする一つの機械と見なされうるようになっているところである(68)」。実際、若干のマニュファクチュアは、一八世紀のなかばに、簡単ではあるが工場の秘密をなす特定の諸作業に、好んで半白痴者を使用した(69)。
A・スミスは、次のように言う・・「大多数の人間の精神は、必然的に彼らの日常の仕事によって、またそこにおいて、発達させられる。少数の単純な作業の遂行に全生涯を費やす人は、・・・・彼の理解力を働かす機会を持たない。・・・・彼は、およそ創造物としての人間が成り下がれる限り愚かで無知なものになる」と。
スミスは、部分労働者の愚鈍さを叙述した後、次のように続ける・・
「彼の停滞的な生活の千編一律さは、彼の勇敢な精神をも自然に腐敗させる。・・・・その千編一律さは、彼の肉体上のエネルギーをさえ破壊し、彼がこれまで仕こまれてきた細目作業のほかでは、精力的に忍耐強く自分の力を発揮できないようにする。このようにして、彼の特定の職業における彼の技能は、彼の知的、社会的、および軍事的な徳を犠牲にして獲得されるように思われる。ところで、あらゆる産業的文明社会では、これこそ労働貧民(the labouring poor)、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえない状態なのである(70)」。
分業から生じる人民大衆の完全な萎縮を防止するために、A・スミスは、慎重な同毒療法的服薬としてではあるが、国家による国民教育を推奨している。これに対して、スミスの著書のフランス語訳者で注釈者であるG・ガルニエ・・彼はフランスの第一次帝政のもとで当然ながら元老院議員に成り上がった・・は、徹底的に反対している。国民教育は、分業の第一諸法則に反しており、国民教育で、「われわれの全社会制度がぶちこわされる」と言うのである。
・「他のすべての分業と同じように」・・と彼は言う・・「手の労働と頭の労働の分業(71)も、社会」(彼は、この言葉を正しく、資本、土地所有、および彼らの国家をさすものとして用いている)「が富めば富むほど、ますます明瞭かつ決定的となる。他のあらゆる分業と同じく、この分業は過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。・・・・いったい政府は、この分業を妨害し、その自然的進行を制止してよいであろうか? 政府は、その分割と分離をめざしている二種の労働をもつれさせ混合させる試みのために、国家の収入の一部を費やしてよいであろうか?(72)」。(68) A・ファーガスン、前出、二八〇ページ〔大道訳、前出、下、九ページ〕。
(69) J・D・タケット『勤労人口の過去および現在の状態の歴史』、ロンドン、一八四六年、第一巻、一四八ページ。
(70) A・スミス『諸国民の富』、第五篇、第一章、〔第三節〕第二項〔大内・松川訳、岩波文庫、(四)、一五八〜一五九ページ〕。すでに分業の不利な諸結果を展開していたA・ファーガスンの弟子として、A・スミスは、この点についてははっきり知っていた。分業を“立場上”賛美する彼の著書の冒頭で、彼はただことのついでに、分業が社会的不平等の原因であると指示しているだけである。国家の収入に関する第五編で、はじめて彼はファーガスンの説を再生産している。私は『哲学の貧困』で、分業の批判におけるファーガスン、A・スミス、ルモンテおよびセーの歴史的関係について必要なことをのべ、またそこでまず第一に、マニュファクチュア的分業を資本主義的生産様式の独自な形態として叙述した(『哲学の貧困』、一二二ページ以下〔『全集』、第4巻、149〜152ページ〕)。
(71) ファーガスンは、すでに『市民社会史』の二八一ページ〔大道訳、前出、下、一〇ページ〕で、次のように言う・・「そして思考そのものも、この分業の時代においては特殊な職業になりうる」。
(72) G・ガルニエ『諸国民の富』の彼の訳書の第五篇、四〜五ページ。
ある種の精神上および肉体上の奇形化は、社会の全般的な分業からも切り離すことはできない。しかし、マニュファクチュア時代は、労働諸部門のこの社会的分割をさらにはるかに前進させ、また他面では、その固有な分業によってはじめて個人の生命の根源を襲うのであるから、それはまた、まず第一に産業病理学(73)に材料と刺激とを提供する。
「一人の人間を細分することは、もし彼が死罪に値する時には、彼を死刑に処することであり、もし彼がそれに値しない時には、彼を暗殺することである。労働の細分は、人民の暗殺である(74)」。
(73) パドヴァの臨床医学の教授ラマッツィーニは、一七一三年にその著『働く人々の病気について』〔松藤元訳、北海道大学図書刊行会〕を公けにしたが、これは、一七七七年にフランス語に翻訳され、また一八四一年に『医学百科辞典。第七講、古典的著述家篇』に再録された。大工業の時代は、ラマッツィーニの労働者病のカタログをもちろん非常に増大させた。とりわけ次の著述を見よ・・A・L・フォントレ博士の『一般に大都市および特にリヨン市における労働者の肉体的および精神的衛生』、パリ、一八五八年、および〔R・H・ロハッチ〕『さまざまな身分、年齢、および性に固有な疾病類』、全六巻、ウルム、一八四〇年。一八五四年に技芸協会は、産業病理に関する調査委員会を設けた。この委員会によって集められた文書のリストは、「トウィックナム経済博物館」の目録の中に見いだされる。政府の『公衆衛生に関する報告書』も、きわめて重要である。医学博士エードゥアルト・ライヒの『人類の退化について』、エルランゲン、一八六八年、をも見よ。
(74) "To subdivide a man is to execute him, if he deserves the sentence, to assassinate him, if he does not ... the subdivision of labour is the assassination of a people."(D・アーカート『常用語』、ロンドン、一八五五年、一一九ページ。)ヘーゲルは、分業についてきわめて異端的な見解を持っていた。「教養ある人間とは、まず第一に、他人のなすことは何でもすることができる人間と解されうる」と、彼は、その著『法の哲学』〔ベルリン、一八四〇年、第一八七節、追加。藤野・赤沢訳、『世界の名著』35、中央公論社、四二一ページ〕の中で言っている。
分業に基づく協業すなわちマニュファクチュアは、その発端では、自然発生的な形成物である。マニュファクチュアがいくらか堅実かつ広範に定在するようになるやいなや、それは資本主義的生産様式の意識的、計画的、かつ組織的な形態となる。本来のマニュファクチュアの歴史が示すところでは、それに固有な分業は、まず第一に、経験的に、いわば登場人物たちの背後で、適切な諸形態を獲得するのであるが、しかしやがて、同職組合的手工業と同じように、ひとたび見いだされた形態を伝統的に固守しようとし、そして個々の場合には幾世紀にもわたって固守する。この形態が変えられるとすれば、それは、副次的な場合をのぞけば、つねにただ労働諸用具の変革の結果である。近代的マニュファクチュア・・私はここでは機械設備に基づく大工業についてはのべない・・は、ある場合には、たとえば衣服マニュファクチュアのように、それが成立する大都市においてすでにできあがっている“詩人のばらばらな四肢 disjecta membra poetae ”を見つけだし、それをただ分散状態から集めさえすればよいのであり、あるいは、手工業的生産のさまざまな作業が(たとえば製本業の場合)単に特殊な諸労働者に専属させられるので、分業の原理は手に取るように明らかである。これらの場合には、それぞれの機能に必要な人手の比例数を見いだすのに、一週間の経験をも要しない(75)。
(75) 個々の資本家が分業において“先天的に a priori ”発明の天才を発揮するという気楽な信仰は、今ではドイツの教授たちのもとで見いだされるにすぎない・・たとえば、ロッシャー氏は、分業は資本家のジュピター〔ローマの最高神〕的頭脳からでき上がって飛び出てくるものと考え、資本家たちにその報酬として「さまざまな労賃」をささげている。分業の適用が多いか少ないかは、財布の大きさに依存するのであって、天才の大きさに依存するのではない。
マニュファクチュア的分業は、手工業的活動の分解、労働諸用具の専門化、部分労働者たちの形成、一つの全体機構の中における彼らの群分けと結合とによって、社会的生産諸過程の質的編制および量的比例性、すなわち社会的労働の一定の組織をつくり出し、それによって同時に労働の新しい社会的生産力を発展させる。マニュファクチュア的分業は、社会的生産過程の独自の資本主義的な形態としては・・そしてそれは、既存の基礎の上では資本主義的形態でのそれとして以外に発展しえなかったが・・相対的剰余価値を生み出すための、または資本・・社会的富とか「諸国民の富」とか呼ばれているもの・・の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための、一つの特殊な方法でしかない。マニュファクチュア的分業は、労働の社会的生産力を、労働者のためにではなく資本家のために、しかも個別的労働者を奇形にすることによって発展させる。マニュファクチュア的分業は、労働に対する資本の支配の新しい諸条件を生み出す。それゆえマニュファクチュア的分業は、一方では、社会の経済的形成過程における歴史的進歩および必然的発展契機として現れるとすれば、他方では、文明化され洗練された搾取の一手段として現れる。
マニュファクチュア時代にはじめて独自の科学として成立する経済学は、社会的分業一般を、もっぱらマニュファクチュア的分業の観点から(76)、すなわち同じ量の労働でより多くの商品を生産するための、したがって商品を安くし資本蓄積を速めるための、手段としてのみ考察する。量および交換価値のこの強調とは正反対に、古典古代の著述家たちは、もっぱら質および使用価値に固執する(77)。社会的生産部門の区分の結果として、諸商品はよりよいものがつくられ、人間のさまざまな衝動および才能は、それに適当する活動領域を選択するのであり(78)、そして、制限のない所ではどこでも、たいしたことをすることはできない(79)。すなわち生産物および生産者は、分業によって改善される。たとえたまたま生産物の総量の増大に言及することがあっても、それはただ、使用価値がよりいっそう豊富化することに関係してである。交換価値や商品の低廉化については、一言の考えものべられていない。使用価値というこの立場は、分業を諸身分の社会的区分けの基礎として取りあつかうプラトン(80)にあっても、また、その特徴的な市民的本能によってすでに作業場内の分業に接近しているクセノフォン(81)にあっても、支配的である。プラトンの国家は、その中で分業が国家の形成原理として展開される限りでは、エジプトの身分制度のアテネ人的理想化にすぎない・・エジプトが、プラトンと同時代の他の人々たとえばイソクラテス(82)にとっても、産業的模範国としての意義を持ち、ローマ帝政時代のギリシア人にとっても、なおこの意義を持ち続けたように(83)。
(76) ペティや『イギリスにとっての東インド貿易の諸利益』の匿名著者などのような、より以前の著述家たちのほうが、A・スミスよりもマニュファクチュア的分業の資本主義的性格をはっきり見ている。
(77) ベッカリーアとジェームズ・ハリスのような、分業に関してはほとんどただ古代人の口まねをしているにすぎない一八世紀の少数の著述家たちは、近代人のあいだでは例外をなしている。たとえばベッカリーアは、次のように言う・・「手と頭をつねに同じ種類の仕事と生産物に適用する場合には、各個人がその必要とする物を一人で生産する場合よりも、それらをより容易に、より豊富に、より見事に生産するということは、だれにでも自己の経験によって証明されている。・・・・このようにして、人間は、公共の利益のためおよび彼ら自身の利益のために、さまざまな階級および身分に分けられる」(チェーザレ・ベッカリーア『公経済原理』、クストーディ編、近代篇、第一一巻、〔ミラノ、一八〇四年〕、二八ページ)。ジェームズ・ハリス・・のちのマームズバリー伯、ペテルブルク駐在大使時代の『日記』で有名・・は、その著『幸福に関する対話』、ロンドン、一七四一年(のちに『三論文』、第三版、ロンドン、一七七二年に再録)への一つの注の中で、みずから次のように言っている・・「社会は自然的なものであるということ」(すなわち「諸業務の分割」によって)「の全証明は、プラトンの『国家』の第二巻から取ってきたものである」と。
(78) たとえば、〔ホメロス〕『オデュッセイア』、第一四書、第二二八行〔呉茂一訳、岩波文庫、下、四八ページ〕には、「結局、人みな、それぞれ好きな仕事をもつもの」とあり、また、アルキロコスは、セクストゥス・エンピリクスの著書の中で「心のはずむ仕事は、人それぞれに違うもの」と言っている。
(79) 「“多くの仕事のできる人は、何をしてもへたである ”」・・アテネ人は、商品生産者としてスパルタ人よりも優れていると自負していた。なぜなら、スパルタ人は、戦争では人間を使いこなすことはできても、貨幣を使いこなすことはできないからであって、たとえば、トゥキュディデスは、ペリクレスに、ペロポネソス戦争のためにアテネ人を激励する演説の中で、次のように言わせている・・「自給自足経済を営むものは、資金でよりもむしろ自分の肉体で戦おうとする」(トゥキュディデス『ペロポネソス戦史』、巻一、第一四一〔久保正彰訳、岩波文庫、上、一八六ページ〕)。けれども、彼らの理想は、物質的生産においても、分業に対立する“自給自足”であった。「というのは、分業のもとでは幸福があるが、自給自足のもとでは独立もあるからである」。この点については、三〇僣主の没落の当時でも、土地を所有していないアテネ人は五〇〇〇人とはいなかったということを、考慮しなければならない。
(80) プラトンは、共同体内部の分業を、諸個人の欲求の他面性と素質の一面性とから説明している。彼の主要観点は、労働者が仕事に自分を適合させなければならないのであって、仕事が労働者に・・労働者がさまざまな技能を同時に行い、したがってあれこれの技能を副業として行う場合には、不可避であるように・・適合させられてはならない、というのである。「というのは、仕事は、それをする人が暇になるのを待とうとはせず、それをする者のほうが、片手間にではなく、仕事に合わせなければならないからである・・そうでなければならない・・したがってそれからの結論は、一人の人が、その天賦の素質に応じて、正しい時機に、他の諸業務から解放されたただ一つのことだけをする場合に、すべての物をより多くまたより見事かつより容易に、つくれるということである」(『国家』、第一巻、巻二、バイデル、オレリ等編〔藤沢令夫訳、『プラトン全集』11、岩波書店、一三六ページ。同訳、岩波文庫、上、一三四ページ〕)。トゥキュディデス、前出、第一四二〔久保訳、前出、上、一八八ページ〕でも、同様なことが言われている・・すなわち「海事は、他のどんなことにもまして一つの技術であって、何かことある場合余技として営まれることはできず、またむしろ、他の何事も海事の余技として営まれることはできない」と。プラトンは言う・・仕事がそれをする人の暇になるのを待たなければならないとすれば、しばしば生産の決定的な時機が逸せられ、製品がだめにされ、「“仕事のための適期が失われる ”」〔藤沢訳、前出、一三五ページ。同訳、岩波文庫、一三四ページ〕と。すべての労働者のために一定の食事時間を確定している工場法の条項に反対する、イギリスの漂白工場主たちの抗議の中にも、これと同じプラトン的な考えが見いだされる。彼らの事業は労働者に順応することはできない、というのは、「毛焼き、洗浄、漂白、仕上げ、つや出し、および染色というさまざまな作業のいずれも、一定の瞬間に損害の危険なしに中止することはできないからである。・・・・すべての労働者のための同じ食事時間を強制することは、場合によっては、労働過程が完了されないことによって、貴重な財を危険にさらすことになる」と。“プラトン主義は、なおもどこに巣食おうというのか! Le platonisme ou va-t-il se nicher! ”
(81) クセノフォンは説明している・・ペルシア王の食卓から食物を受のは、名誉なことであるばかりでなく、この食物は、他の食物よりもはるかに美味でもある、と。「そして、これは、何ら驚くべきことではない。というのは、他の諸技術が大都市で特別に完成されているのと同様に、王の食物もまったく特別に調理されているからである。というわけは、小都市では、同じ人間が、寝台、扉、犂、机をつくり、しかもその上しばしば家をも建てるのであり、そして、こうして自分の生計を維持するのに十分な顧客さえあれば、満足であるからである。このようにさまざまなことをする一人の人間が、すべてのことをうまくやるのは、まったく不可能である。ところが大都市では、各個人に多くの購買者があるので、一人の人間が食っていくのには、一つの手工業でも十分である。それどころか、しばしば、そうするのに一つの手工業全体でさえも必要ではなく、ある人は男子用の靴をつくり、他の人は女子用の靴をつくる。時としては、ある人はただ靴を縫い、他の人は靴を裁断するだけで、生活する。また、ある人は衣類を裁断するだけであり、他の人はそれらの布片を縫いあわせるだけである。ところで、最も単純な仕事をする人は、また無条件にそれを最も上手にやるということは、必然である。料理術についても同じである」(クセノフォン『キュロパエディア』、第八巻、第二章)。クセノフォンは、分業の規模が市場の容量に依存することをすでに知っているが、ここでは、もっぱら、使用価値の所期の品質だけが問題にされている。
(82) 「彼」(ブシリス)「は、すべての人々を特殊な諸身分に区分し、・・・・同じ人はつねに同じ業務を営むように命じた。なぜなら、彼は、自分の仕事を替える人はどの業務にも精通しないが、たえず同じ仕事についている人々はそれぞれの仕事をきわめて立派に仕上げるということを、よく知っていたからである。実際われわれも見るであろうが、彼らは、技能および職業に関しては、名工が拙工にまさっている以上に、その競争者たちにまさっていたのであり、そして、君主制その他の国家制度を維持するのに設けている施設に関しても、きわめて優れているので、これらのことについて語ろうとする有名な哲学者たちが、エジプトの国家制度を他国のどれよりも称賛したほどである」(イソクラテス『ブシリス』、第八章)。
(83) ディオドロス・シクルス〔『歴史文庫』、第一巻、一八三一年〕を参照せよ。
本来のマニュファクチュアの時代、すなわち、マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配形態である時代のあいだ、マニュファクチュア独自の諸傾向の十分な展開は多方面の障害に突き当たる。マニュファクチュアは、すでにのべたように、労働者たちの等級的編制のほかに、熟練労働者と非熟練労働者とのあいだの単純な区分を作り出すけれども、熟練労働者の優勢な影響力によって、非熟練労働者の数はなおきわめて限られている。マニュファクチュアは、特殊諸作業を、その生きた労働諸器官のさまざまな程度の成熟、力、および発達に適合させ、したがって女性および児童たちの生産的搾取に突き進むけれども、この傾向はだいたいにおいて、慣習および男子労働者の反抗のために挫折する。手工業的活動の分解は、労働者の育成費したがって価値を低下させるけれども、比較的困難な細目労働にとっては、比較的長い修業期間がなお必要であり、またそれが不必要な場合でも、労働者たちによって断固として維持される。たとえばイギリスでは、七年間の修業期間を定めている“徒弟法 laws of apprenticeship ”がマニュファクチュア時代の終わりまで完全に有効であって、大工業によってはじめて廃棄された。手工業的熟練は、あい変わらずなおマニュファクチュアの基礎であり、マニュファクチュアの中で機能している全機構は、労働者そのものから独立した客観的骨格を保っていないので、資本は、たえず労働者たちの不従順と格闘する。
「人間性の弱点は」・・とわが友ユアは叫ぶ・・「きわめて大きいので、労働者は熟練すればするほど、ますますわがままで取りあつかいにくくなり、したがって彼のむらっ気な気まぐれによって、全機構に重大な損害を与える(84)」。
したがって、マニュファクチュア時代全体を通じて、労働者たちの規律不足に関する不平が聞かれる(85)。また、同時代の著述家たちの証言はなくても、次の単純な諸事実・・すなわち、一六世紀から大工業の時代にいたるまで、資本はマニュファクチュア労働者が自由に使用できる全労働時間を自分のものにすることに成功していないこと、またマニュファクチュアは短命であって、労働者の移出または移入につれてある地方から他の地方にその所在地を移すということ・・は、多数の書物に代わって語るであろう。「何とかして秩序を確立しなければならない」・・たびたび引用した『工業および商業に関する一論』の著者は、一七七〇年にこう叫んでいる。秩序、それは、六六年後にアンドルー・ユア博士の口を通じて、次のようにこだましてくる・・「秩序」は、「分業というスコラ的ドグマ」をもとにしているマニュファクチュアでは欠けていたのであって、「アークライトが秩序をつくりだした」と。
(84) ユア『工場の哲学』、二〇ページ。
(85) 本文で言ったことは、フランスよりもイギリスに対してはるかによく当てはまり、またオランダよりもフランスに対してよく当てはまる。
同時に、マニュファクチュアは、社会的生産をその全範囲においてとらえることもできず、またそれを深部において変革することもできなかった。マニュファクチュアは、都市手工業と農村家内工業との広範な基礎の上に、経済的作品としてそびえ立っていた。マニュファクチュア自身の狭い技術的基盤は、ある一定の発展度に達すると、それ自身によってつくり出された生産諸要求と矛盾するにいたった。
マニュファクチュアの最も完成された形成物の一つは、労働諸用具そのもの、およびことにまたすでに充用されていた複雑な機械的装置を生産するための作業場であった。
「このような作業場は」・・とユアは言う・・「さまざまな段階の分業を示していた。錐(キリ)やのみや旋盤は、それぞれ、熟練度に応じて等級的に編制された独自の労働者をもっていた」と。
マニュファクチュア的分業のこの生産物そのものが生み出した・・機械を。この機械は、社会的生産の規制的原理としての手工業的活動を廃棄する。こうして、一方では、一つの部分機能への労働者の終身的合体の技術的基礎が除去される。他方では、同じ原理が資本の支配に対してなお課していた諸制限がなくなる。