
―血脈否定を厳しく弾劾していた池田指導―
(『慧妙』H20.6.16)
創価学会が日蓮正宗から破門されて、はや15年の年月が流れました。その間、学会では、機関紙誌や怪文書、会合や口コミ等を使って、67世日顕上人の悪口中傷を流し続けてきました。あげく、"日顕上人は血脈相承を受けていない"などと、まるで見てきたような嘘まで言い、はては"68世日如上人はニセ法主2世だ"などと言いだすしまつでした。
なぜ、学会がそんな恐ろしいことを宣伝したか、といえば、狙いはただ1つ、学会員の心を、日蓮正宗なかんずく総本山に向けさせないためです。つまり、創価学会が池田大作を絶対者とする集団として存続していくためには、日蓮大聖人の仏法を正統に継承する総本山や御法主上人の存在が邪魔でしょうがなかった、ということです。
学会による「嘘も百遍言えば、本当になる」(池田大作氏の言)式の宣伝は、全国津々浦々の学会員をみごとに洗脳しました。そして今、多くの学会員が、内心では「学会はだんだんおかしくなっている」と気づきながら、それでもなお、悪宣伝によって植え付けられた御法主上人批判が脳裏に焼き付いているために、総本山に戻れないでいるのです。あなたも、その1人ではありませんか。
しかし、冷静に考えてみてください。日顕上人に日達上人からの御相承がなかったなら、どうして、日蓮正宗の信徒団体だった頃に、創価学会は日顕上人御書写の御本尊を拝んでいたのでしょうか。どうして、それで功徳をいただいてきたのでしょうか。
そもそも、日顕上人への御相承については、池田さん自身も、
◆大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第2祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、令法久住されることに無量の辛労をつくされた。以来、法灯連綿と730年の間、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである(『広布と人生を語る』第3巻297頁)
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等と、随処で明言していました。それを、今になって、「じつは相承を受けていない」等と平気で言ってのけ、悪口罵倒し続けているのですから、無節操極まりないではありませんか。
しかも、以前の池田さんは、血脈否定の輩について、
◆現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の「遣使還告」であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである(同第1巻230頁)
◆日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい(同第3巻143頁)
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と、まるで現在の学会の所業を破するかような指摘をしていたのです。
池田さんは、「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです」(『巻頭言・講義集』第3巻184頁)と知っていたからこそ、「命を賭して猊下をお護り申し上げる」と述べたのではありませんか。それを今では悪口のかぎりを並べているのですから、まさに、「言語道断」ですね。
このような二枚舌男のいうことに振り回されて、自らも血脈誹謗の大重罪を犯していては、本当に取り返しがつきません。さあ、今すぐ脱会して、正法正師のもとに帰伏しましょう。

歴代上人誹謗
1●僧の恩をいはば、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず(『四恩抄』御書268、全集938頁)
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仏滅後、仏法を正しく伝えるのは僧の役目であり、僧宝と言われる所以である。僧宝が日興上人御一人に限られるのであれば、日興上人以降、仏法が断絶したことになってしまう。
<上行菩薩への別付嘱=歴代上人への相承>
●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付嘱し給う(中略)秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外すべからず(『御義口伝』全集783頁)
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「唯受一人の相承なり」と仰せである。つまり、結要付嘱が、別して上行菩薩への唯我一人の付嘱だからこそ、わざわざ「口外すべからず」と日興上人御一人へ御指南されたのである。
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)
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もし、結要付属に総別がないのであれば、大聖人は日興上人御一人を付弟とし、「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべき」とは仰せにならなかったであろう。また「血脈の次第」とは、この血脈に順序・次第があるということである。もし、血脈に総別がないのであれば、大聖人滅後も含めて全ての門下が平等に血脈を受けられるのだから順序・次第が存在するはずがないし、日興上人への付嘱をわざわざ文書によって証明する必要もない。唯授一人の血脈だからこそ順序・次第が存在するのである。
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっている。
★地涌の菩薩への結要付嘱に総別がある。別付嘱とは上行菩薩1人への付嘱であり、これが末法においては唯授一人の血脈相承である。
<相承の文証なくとも厳然>
●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)
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歴代上人の相承について、一々授与者の証明(文証)が存在する訳ではない。それでも、何の混乱もなく相承は行われてきたのである。
●(※第26世日寛上人から第28世日詳上人への御相承について)晨朝(しんちょう)密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺杔す(第48世日量上人『続家中抄』/『富士宗学要集』第5巻278頁)
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「密かに」とあることからも、相承の儀が公開されなかったことが明らかである。これはまさに、第66世日達上人から第67世日顕上人への御相承と同じである。すなわち、相承の儀が公開されなくても、何の混乱もなく相承はなされ、日詳上人がその後の宗門を貫首として統率されたのである。もし、この時代に学会がいたなら、さぞかし、日詳上人も"詐称法主"の汚名を着せられていたことであろう。
2●但し直授結要付嘱は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付嘱せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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第59日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。後加文だといって無視する学会だが、少なくとも日亨上人の御指南であると考えるべきである。
学会による歴代相承否定の根拠は、多くは『富士宗学要集』を初めとする日亨上人の著作に求められている。しかしながら、当の日亨上人が、ご自身の見解と合致するとして明確に「異論無く尽未来際に至るまで」「日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき」と仰せなのである。著者・編者の意図を曲解した我田引水の批判は厳に慎むべきである。
★学会の"法論オタク"達の中には、歴代上人相承の文証が不明確なことをもって、血脈が断絶しているかのように疑難する者がいる。しかしながら、宗内において唯授一人の血脈相承の存在と重要性が徹底されて以降は、一々師が弟子への相承を第三者に証明する必要はない。付弟一人が貫首となり、一宗を統率されている姿そのものが、唯授一人の血脈相承がなされた何よりの証拠である。だからこそ、宗門700年以上の歴史の中にあって、付弟が御登座されたその時点で、血脈相承に疑義を唱えた者は1人としていなかったのである。血脈に疑義を唱える者達は、決まって、御登座から何年何十年も経過したあとで、自己の立場を正当化するために疑義を唱えるのである。そのような者は、仮に師による直筆の証明があったとしても、偽書であるといって血脈を否定したであろう。五老僧の門流がそのよい例である。
仏滅後の仏法は僧宝によって伝持される(1●)のであるが、大聖人の仏法は日興上人以来の唯授一人の血脈によって相伝されているのである。この唯授一人の血脈相伝が断絶したと主張する創価学会は、大聖人の仏法が断絶したと主張しているのと同じである。つまり、学会は、これ以上ない仏法破壊の大謗法を犯しているのである。
<日淳上人の御指南について>
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淳師「相承とは相ひ承けるといふことで師の道をその通り承け継ぐことであります。それでこれを師資相承と申します。既に師の道を承け継ぐのでありますから必ず師の証明がなければなりません。弟子が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのです。」
日顕が勝手に承継したといってもそれは相承ではないのです、わかりる? (wt:4920)
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相変わらず、学会"法論オタク"は、文証の出所を明示しません。これでは、切り文であっても分かりません。しかしながら、「師資相承」について御指南された上記御文は、却って学会の主張する「大聖人直結」を明確に破折されていることは明らかである。このことに、この学会員は気づいているのでしょうか(笑)。自分達を破折している御文を臆面もなく、宗門破折に持ち出す学会は、主張の整合性などおかまいなしなのです。とにかくその場さえ勝てばよい、という形振り構わない実に哀れな団体になってしまったようです。
尚、上記「師の証明」とは、受者たる付弟への証明であって、必ずしも、第三者への証明ではない。学会のように、師に無断で、あるいは師を捨てて(捨てられて?)「勝手に」大聖人から「承継した」と誇称することを誡められたのであろう。↓
●此の師弟の相対的の関係に於て、仏法を拝するといふのが仏法の極意であります(中略)若し此れ等のことを考へずに仏法を論ずるならば、最早仏法ではないと言ふべきであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1153頁)
当該御文の出所が不明なので、さらに日淳上人の同様の御指南を引用して説明しましょう。
●仏法は伝法相承のことを重んずるが此れは能伝の人正しからざれば所伝の法又正しからざるによるが故である。(中略)教法を尋ねずとも伝法相承の跡を尋ぬれば法の帰趣を察することができる。他山諸門を見るに此の伝法相承の跡が甚だ曖昧である。或は後代の凡師の己義己見によって建つるところにより或は我情によつて誇称するの類を出でない。此れその法の濁り乱るる因由である。黄河の水は常に濁ると聞くが水は自ら濁るものでなく流れに沿ふて濁る。清浄なる法器を求めて法を付する所以も実に此にある。蓋(けだ)しいづれの世にも天魔が聖を装ふて法を破ることが多い。相承の大儀が公明正大厳密に行はるるは此れが為である。(中略)(※塔中相承、『身延相承書』、『池上相承書』を挙げた後)此れ聖祖付法の大儀を重んぜられ此れによって天魔の法を破る隙なからしめ給はんとせられたのである。三世の諸仏の施化は始終整備して毫末も欠くるところなく炳焉(へいえん)として具足している。 此くの如き厳然たる証明があって御滅後の衆生少しも付法の師に迷うところがない筈である。他山門徒諸士他はさてをいても此の御相承の御跡を尋ね此れに帰一して正法を立てなければならぬ。(第65世日淳上人『大日蓮』S6.4/『日淳上人全集』4頁〜)
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・「仏法は伝法相承のことを重んずる」これこそ、相承を否定して"大聖人直結"を主張する学会が謗法である文証である。
・「他山諸門を見るに此の伝法相承の跡が甚だ曖昧である」とし、塔中相承、『身延相承書』、『池上相承書』を挙げている。このことからも分かるように、日蓮正宗に伝わる唯授一人の血脈の正当性を示した御指南である。
・「此の御相承の御跡を尋ね此れに帰一して正法を立てなければならぬ」とあるから、大聖人→日興上人→と続く血脈相承は、少なくとも当該記事の書かれた昭和6年までは、不断に存続していたことになる。しかしながら、それ以前においても、相承についての「厳然たる証明」のない場合はたくさんある。とくに、直接の授与者による書付などは、残っていない場合が多い。そのことは、当然、日淳上人も御存知だったはずである。このことからも分かるように、上記御文は、他宗他門に対して日興上人→日目上人→と続く門流こそが、正統であることを示したものである。
・「聖祖付法の大儀を重んぜられ」とあるように、「公明正大厳密に行は」れた「相承の大儀」とは『身延相承書』、『池上相承書』に示された大聖人から日興上人への相承である。
・「聖祖付法の大儀を重んぜられ」た理由は「天魔の法を破る隙なからしめ給はんとせられた」からである。すなわち、大聖人から続く血脈について、"相承はなかった"と主張する学会はまさに「法を破る」「天魔」である。
<日亨上人の御指南について>************************************************************
日亨上人はかつて、相承の権威は「実人」にあるのか、「型式」にあるのかという問題提起をされた。そして、実際に相承を受けて猊座に登った体験の上から、相承の形式よりも、実人にこそ権威があるというのが日亨上人の答えだったと拝察する。そして、その「実人」たることの究極の要件は「信心」である。それは、日亨上人の次の言葉に明らかであろう。
「口決相承等というものは信仰の賜じゃよ。信仰もなく学も行もない貫首がいったい、何を伝授するというのか」「口伝なるものは完器にして始めて可能なんじゃ。破器・汚器の者であれば、猊下と雖も何にもならん」「猊下というものは、法の取継に過ぎんのじゃよ。嘘をつく者、如才ない者は論外だよ」
実にうなずける一言一言である。(斉藤克司・創価学会教学部長)
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日亨上人が相承の「形式」・「実人」等について考察されたのは、後にも先にも御登座前の大正12年4月に『大日蓮』に発表された論文『血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙』の1度だけであり、相承を受けて猊座に登った体験≠語った、などというのは全くもって虚言・欺瞞である。このように恥も外聞もなく、子供だましの嘘を平気で言う者が「創価学会教学部長」なのだ。御法主日顕上人に対し、かかる駄文を送りつけ邪難するとは、まさに笑止千万である。身の程を知れと呵しておく。
さらに、その他にも貴殿は、日亨上人が述べられたとするいくつかの出所不明の言葉なるものを挙げている。貴殿らのように卑怯・虚言をお家芸とする者共の引用の言葉≠ヘ、怪しいものである。これらの言葉≠ェ本当にあったというのなら、その言葉≠フ出所を明らかにすべきである。おそらく日亨上人は、「血脈相承の根本は信である」ということは述べられたかもしれないが、これほど貴殿らに都合のよい言葉≠述べられるわけがないのだ。(『大白法』H16.6.16)
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日亨上人が昭和26年に身近にいた僧侶に「柱師が知っておられるほどの相承は、ワシはすでに知っておる。何も3千円で相承をわざわざ買う必要などない、だから3千円の相承はワシには必要ないと突っぱねた」と発言された(離脱僧著『法主詐称』)
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〈八木〉 謹厳な日亨上人が、そのような不謹慎極まる発言をされるはずはないね。この連中は日亨上人が御存命でないのをいいことに何でも言いたい放題だね。もし日亨上人が言われたとすれば、「宗門として3千円を日柱上人に差し上げる件は、あくまで御隠居料としてであって、御相承に対する対価などではない」という意味ではなかったのかな。
〈司会〉 そう思います。大正15年3月8日の日柱上人から日亨上人への御相承の儀式は、大石寺客殿において厳粛に執り行われたことが記録にも明らかです。(『大白法』H16.3.1)
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>日柱上人は堀上人に伝えるべきものは何もなかった(離脱僧『法主詐称』)
>昭和26年の冬に、日亨上人が日柱上人を「信仰もなく学も行もない、親分・子分の関係を強いているヤクザの貫首」と批判した(同)
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この発言もまったく日亨上人の御言葉とは考えられないね。それというのは、日亨上人は昭和2年11月20日に宗内僧俗に対し、管長辞職の経緯につき告白されているが、その中で、日柱上人については、「大正4年に日柱師を学頭に推挙するの主動者となりてより同12年に58世の猊座に上らるまで直接に間接に力めて障碍なからしむるやうにした」と述べられているからだよ。この御言葉は日亨上人の日柱上人に対する信頼と評価を示していることは当然だよ。もし日柱上人が本当に「信仰もなく学も行もない、親分・子分の関係を強いているヤクザの貫首」のような方であったのならば、日亨上人ほどの正義感の強いお方が、自ら中心となって日柱上人を学頭に推挙されたり、さらにそれだけではなく、種々助力なさるはずなどないではないか。(菅野日龍御尊能化『大白法』H16.3.1)
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>日亨上人が51世日英上人の言葉を引き合いに出して、「嘘つきの法主は論外」と語った(離脱僧『法主詐称』)
>日亨上人が「いずれそのうち、平僧や信徒を迫害しぬく猊下も出てくることだろうよ」と仰せられた(同)
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これもいい加減な伝聞に過ぎないわけだ。悪意でねじ曲げた内容だから、仮に日亨上人に何らかの発言がおありだったにせよ、最早、日亨上人の仰せとは到底言えるものではないと思うよ。まして日亨上人が「いずれそのうち、平僧や信徒を迫害しぬく猊下も出てくることだろうよ」と仰せられたなどということは、前の例と同じで絶対に有り得ないね。堀上人にかこつけて、まさに創価学会が言いそうなことだよ。(早瀬日如御尊能化『大白法』H16.3.1)
<大御本尊受持が血脈相承の証拠>
―法体相承とは大御本尊相承―
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり(全集1600頁)
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御本仏大聖人の血脈とは、「日蓮一期の弘法」である。 しかして、この「日蓮一期の弘法」を何と拝するか。禿人および創価学会の言い分では、これを「御相承箱」と言い張らねば理が通るまい。しかしながら、そんなことはない。
3●応に知るべし、「日蓮一期の弘法」とは、即ち是れ本門の本尊なり(第26世日寛上人『依義判文抄』)
●日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す(『日興跡条々事』)
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元弘2年(1332年)11月10日、日興上人が87歳の時(『新版仏教哲学大辞典』初版1360頁)
―大御本尊受持の方こそ金口相承の方―
●依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり(日興上人筆座替大本尊/『富士宗学要集』第5巻336頁)
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「日興より日目嫡々相承」とあるように、この座替御本尊こそが、金口相承の証拠である。正応3(1290)年、日目上人31歳のことである。上記『日興跡条々事』で大御本尊を相伝されたのが元弘2(1332)年であるから、それよりも40年以上前のこと。このことからも、唯授一人の血脈相承に法体(大御本尊)相承と法門(金口=法水)相承のあることが分かる。
●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)
●而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(第26世日寛上人『文底秘沈抄』/『富士宗学要集』第3巻94頁)
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「三大秘法」とは大御本尊のことである(3●)。一方「金口の相承」「清浄の法水」とあるように唯授一人の血脈相承には法門(法水)相承が存在するのである。
●唯授一人嫡々血脈相承にも別付、総付の二箇あり。その別付とは則ち法体相承にして、総付とは法門相承なり。而して法体別付を受けたまいたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云うべし(中略)而して別付の法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(第56世日応上人『弁惑観心抄』211頁/『大白法』H15.12.1)
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本門戒壇の大御本尊が厳然と総本山大石寺にましまし、これを歴代代上人が格護されてきた現実こそ、歴代上人が大聖人以来の唯授一人血脈相承を御所持あそばした、最たる証拠である。
★唯授一人の血脈相承には法体(大御本尊)の相承と法門(金口=法水)の相承がある。だから大御本尊が相伝されたこと自体が、法門(金口=法水)相承の証拠である。
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<「神秘的相承」?>(<清流山荘>WS)
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唯授一人の血脈に就いて。学会員は唯授一人の血脈相承というような神秘的に高僧から高僧へと続く相承など信用出来ない。
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抑も、仏法の相伝というものは唯仏与仏の境界であり、凡夫の知り得ぬ内証である。凡夫のいとも簡単に理解出来るのであれば仏法では無く、凡夫法ではないか。
●終ニ不(下)自言(二)我眞ノ阿羅漢(一)。泄(二)(※モラス) 佛ノ密因(一)輕言(中)末學(上)。唯除(三)命終陰有(二)遺付。(『注法華経』法蔵館蔵版・上巻・400頁)
【通釈】=終(つい)に自(みずか)ら我れ眞の菩薩、眞の阿羅漢と言ひて佛の密因(みついん)を泄(もら)して 軽々しく末学のものに言わず、唯(ただ)命終の時陰(ひそ)かに遺付(いふ)するあるを除く
●『摩訶止観』には、付法蔵の24人を挙げ、この相伝は金口の唯授一人であることを述べられている。(『国訳一切経』諸宗部3・14頁)
●問ふて云はく、法華宗の法門は天台・妙楽・伝教等の釈をば御用ひ候か如何。答へて云はく、最も此の御釈共を明鏡の助証として立て申す法門にて候。(『諸宗問答抄』御書30頁、全集375頁)
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釈尊・天台に倣い、仏教の伝統として令法久住の化儀として、唯授一人の付法蔵である日興上人に血脈相承をされたのである。
●恵果和尚は大日如来よりは七代になり給ふ。人はかはれども法門はおなじ。譬へば瓶の水を猶瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩捶・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法との瓶は異なれども、所伝の智水は同じ真言なり。(『本尊問答抄』御書1276頁、全集367頁)
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以上は真言を例に取っているが法水写瓶の思想が明確に出ている御書である。
●器は我等が心身を表はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは、仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆い、或は口に唱へじと吐き出だしぬ。譬へば器を覆するが如し。(『秋元御書』御書1447頁、全集1071頁)
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衆生の一心を器に譬えられているのである。
以上の如く結論として、日蓮正宗で立てる唯授一人の血脈相承とは、釈尊・天台智者大師の前例に見られるごとく、日蓮大聖人から日興上人に相伝された、一器の水を一器に写瓶するように相伝された仏教の伝統であり、正法を正しく相続する為の化儀なのである。
<稚児貫主>
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宗門の『富士年表』によれば、12世の日鎮上人は14歳、13世の日院上人に至っては10歳で登座している。10歳といえば、小学校4年生。そんな子どもにも、大聖人の法魂が宿っていたというのか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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結論から言えば「しかり」。
慣用句にも「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」とあるように、大成する人は、若年であっても、すでにその才気を漂(ただよ)わせているものである。
また、仏法でも「生智の妙悟」と説かれるように、若年で猊座に登られた方々は、しかるべき御命と因縁を持ってお生まれになり、若年期においても、将来の宗門を背負って立たれる才気に満ちた、まさに大聖人の法魂を継がれるにふさわしい方々であったに違いない。(『慧妙』H18.11.1)
―第12世日鎮上人―
◆12世日鎮上人は、幼い年齢で血脈相承を受けました。血脈相承を受けた年齢については3説があります。「4才」「10才」「16才」です。(<nbのページ>WS)
●第12代日鎮上人は、文明4年、16歳で血脈相承をうけられているので、日有上人が御入滅の時は、ちょうど26歳であった。(第66世日達上人著『(略解)有師化儀抄』22頁)
●日鎮上人は14歳で日有上人から御相承を受けられたわけだが、法体の御相承については、年齢のお若いことは何も問題ではないし、御法門についても、よく少年の神童ぶりがニュースの紙面を賑わす例もあるように、優れた知性と能力をお持ちであられたことを否定はできない。まして当時は南条日住等の補佐役もいたことだし、何よりも日鎮上人はその後45年もの長きに亘り、宗門を董(とう)されたことが、お若い頃から御法主上人とされての優れた器の御方であられたことを雄弁に証明していると思うね。(八木日照御尊能化『大白法』H16.2.1)
―第13世日院上人―
◆日院上人が日鎮上人から血脈相承を受けた年齢については、諸説があります。「13才」「20才」「32才」などです。堀上人は苦労して会通をつけられ「32才説」にこぎつけられています。そして「決してバカにされるような稚児貫主じゃない」と言われています(<nbのページ>WS)
●良王殿(※後の日院上人)の事幼少の御方に御座候、然(しか)りと雖(いえど)も信心御志候て勢仁(成人か)致され候はゞ当時の世間仏法とも御渡し本末の僧俗ども仰ぎ申さるべく候、仍(よっ)て後日の為め件(くだん)の如し(『富士宗学要集』第8巻35頁)
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12世日鎮上人は、日院上人に相承される約1年前に、後の日院上人を指して、「●」と、幼少ではあっても、信心の志(こころざし)の深い良王殿(日院上人)こそが、大石寺を背負っていくべき御方であることを、大石寺に有縁の人々や檀信徒に向け、宣せられているのである。
しかして、これを受けた当時の僧俗も、若年の日院上人をしっかりとお支えし、介添え申し上げ、本宗の唯授一人の血脈は絶えることなく護持されて、御当代・68世日如上人まで連綿と伝わってきているのである。その厳然たる事実の前には、『新報』編集子の邪難など、何の意味もなしておらない。(『慧妙』H18.11.1)
◆[日院上人]=当時、良王童といわれ幼少であったが、信心強盛であったことが、日鎮上人附弟状に記されている(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1320頁)
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第13世日院上人に法を附属されたのが第12世日鎮上人。アメリカなどでは、十代前半にして大学に合格してしまう天才もいる。そこまででなくとも、幼少にして利発な方もいたであろう。まして、仏法は以信代慧である。純粋に御本尊を信じている者であれば、幼少であっても立派な法器というべきである。
●請う、妄弁者よ、もし我が山に、万に一にも要山(要法寺)または某山のごとく、唯授一人・金口嫡々の相承なかりせば、(中略)底師(第11世日底上人)は若年の鎮師(12世日鎮上人)に伝うるの必要あらんや。(中略)これ一時の衰退を徴するに似たりといえども、かえって唯授一人・金口嫡々相承の現存せる一つの実証とするにたるべし(第56世日応上人/『慧妙』H9.11.16)
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若年の御法主を選定しなければならなかったということは、当時の御宗門が衰退して人少であったことを窺わせるが、かえって、そのような状況下にあっても、どうしても後世に伝えなければならない法体相承が、厳然として富士大石寺に存在することを証明している、といえるのである。
★法体相承が大御本尊の伝持だけであるならば、わざわざ、若年の御法主を選定する必要などない。
●「児」とはちごとよむ童子にして寺院の召使なり、当時一般の寺院に童体の弟子あり、召し使はれながら修学を励みて後に剃髪出家す、中には十七八歳まで児姿なるあり、此の児の中に俗性高貴なるは・非常に喜ばれ殊に容色学才あるは・一山の珍重する所にして・此が争奪の為に干才を交へたる事珍しからず(第59世日亨上人著『有師化儀抄注解』/『富士宗学要集』第1巻122頁)
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大石寺派の僧侶というのは、頭脳明晰であることは当然であり、容姿も勝れ、顔立ちも良い方が尊ばれたものである。天下の師範たる資格であるのだ(<清流山荘>WS)。
●法華経では、竜女は8歳で即身成仏しているのである(同)。
―第67世日顕上人御指南/H4.8.28全国教師講習会―
「9世日有上人(18歳)、12世日鎮上人(14歳)、13世日院上人(10歳)、14世日主上人(19歳)が、いずれも年少で付嘱をうけていること」
と、問題にしているわけです。特に、10歳という年齢では何も判りはしないではないかという考えがあるのでしよう。
これは、先程も申し上げたように、金口から金口ヘ嫡々相対の上に直接、話をし、その場において信解が得られなければ相承ではないというように短絡的に考えるから、このような質問が出てくるのです。本来ならば、御相承ということに関して、他の人は漏れ聞くこともできないのでありますから、この質問がもっともだと思う人こそ誤りであって、基本的には、やはり未来永劫にわたる御仏意の貫きということを考えていただきたいと思います。
さらに申し上げれば、時代背景として稚児貫首ということが行われた時代があるのです。老僧、あるいは分別のある僧侶はいくらでもいたのでありますが、わざわざ稚児を選んで次の貫首に定めるという、そのような宗門伝承の在り方が存した時代があるのです。
したがって、宗門の集団全体がそのような考えでいるわけですから、その稚児貫首が、「汝こそ法主となるのだぞ」との始めにおける上人の言を根本として成長する過程において、法門の学習とともに、法主たる自覚のもとに先師の金口の言辞を元に金紙を拝しつつ、この場合は相承の内容において金口が金紙に代わる意味も一部、存するわけで、また、古来の法に詳しい老僧からの話を聞きつつ、真に法を正しく伝えていくという、このような介添え人をも含めての相承の在り方も存したわけです。
しかし、そこには金口を元とする金紙が厳然として存し、その金紙の内容にまた、金口の意義における厳然たる伝承が存するという上からの稚児貫首という在り方であったのです。それを宗門の僧団全体が考え、支え、血脈を伝持していくという時代状勢であったわけです。
ですから、そのような時代背景、状況、慣習等を全く無視して、まして僧侶でもない、また、信心で拝することもできないような創価学会の在家の人間の考えで、唯授一人の血脈相承の内容について、「これは10歳だから、相承が伝わるというのはおかしいではないか」と質問してくるのは、信を見失った全くの見当違いであり、謗法なのです。その辺のところを皆さん方もしっかりと信解していただきたい。必ず血脈は伝持されているのであります。
<第8世日影上人への付嘱>
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4●(※日影上人が)会津実成寺に住居すの時 日時上人御遷化なり、之によって日阿代官として当山大坊に居住して日影上人を請す、然るに会津雪国にして翌年応永十四年四月御登山なり、日阿代官老衰病に遭い応永十四年三月十日遷化なり、此に於いて天台御相承等柚野の浄蓮に伝えて日影上人に授与す (第31日因上人『有師物語聴聞抄佳跡』/『富士宗学要集』第1巻222頁)
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第6世日時上人が御遷化の時、第8世日影上人は会津に居られた。だから、第7世日阿上人が代官された。御遷化前に血脈相承が内付されていたことを否定するものではない。その証拠に、柚野某が仲立ちしたという相承は「天台御相承」であって、文底下種仏法の血脈ではないのである。
●1404(応永11)5.1 日時 日影に法を内付し本尊を授与(8−193・宮城上行寺蔵本尊脇書・聖744)(『富士年表』)
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御遷化のとき、師のもとにいなくても、それ以前に相承を受けていたのである。
●釈の日影、俗姓は南条なり、日時に随順して法華を習修し又御書を聴聞す故に当家に於いて精(くわ)しきなり、殊に道心益深くして昼夜誦経、四威儀に題目を唱ふ(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻255頁)
<第9世日有上人への付嘱>
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●影公大衆に語って云く血脈を伝ふべき機なき是我が悲嘆なり、終に応永二十六年己亥病気の時油(柚)野浄蓮に血脈を授けて云く、下山三位阿闍梨日順は血脈を大妙に伝ふ其の例なきに非ず、公白衣たりと雖も信心甚だ深き故に之を授く伝燈を絶えざらしめよと教示して、八月四日没したまふ。(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻255頁)
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「油(柚)野浄蓮に血脈を授け」とあるが、日精上人は「血脈」という語を広い意味で捉えており、必ずしも唯授一人の金口相承ではない。実際、当時、歴代上人への相承には、金口相承以外にも種々の相伝書があったようであり、その一部が現在、複数の相伝書(『御本尊七箇相承』など)として公開されているのであろう。(<『家中抄』と血脈>参照)
また、日精上人の著書には俗説をそのまま書き残したものが多く、そのまま信用することはできない。日精上人御自身も、その点は認められている(下記6●)。また、第31世日因上人は上記記述について、「恐くは時人の口伝を記するものか」(下記5●)と疑問視されている。第59世日亨上人も「惑説」と一蹴されている。↓
●柚野浄連の事本師何に拠りて此惑説を為すか(第59世日亨上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻255頁)
●油野浄蓮という人は日有上人に関係の深い人であった。ですけれどもね、その年代が、日有上人の晩年に、油野浄蓮がいたんですからね。ですから、その浄蓮に影師が血脈を伝えるとなると年代があわない。(第59世日亨上人『大白蓮華』S31.11/青年僧侶邪義破折班H17.6.7)
5●精師家中抄日影伝記には(乃至)血脈を伝うべき器なき故に柚野の浄蓮に血脈を授く、下山日順血脈を大妙に伝うるに例す、此則白衣なりと雖深信の故に之を授け御弟子日有をして御成人の時を待たしむるか(乃至)今私に之を案するに初説を実義となすべきか精師の記恐くは時人の口伝を記するものか(第31日因上人『有師物語聴聞抄佳跡』/『富士宗学要集』第1巻222頁)
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「初説を実義となすべき」という「初説」とは、上記4●のことである。
●応永27(1420)年4.15 日有、黒須野妙法寺本尊(宗祖本尊模刻)造立(8−194・同寺蔵)(『富士年表』H2)
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日影上人が御遷化あそばされた応永26年8月のわずか8ヵ月後に日有上人が脇書きをなさった御本尊が存するのだから、日影上人から日有上人へ御相承があったとみて差し支えない。日亨上人もその御本尊の脇書きに「大伴浄蓮」なる名が見えることにより、後世に「柚野浄蓮へ相承」云々の伝説となったのであろうと推測されている。(『大白法』H16.2.1)
●釈の日有、俗姓は南条、日影の弟子なり、幼少にして出家し師の訓育を受け法華を習学し又御書を聴聞す。(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻256頁)
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(柚野浄連の事が事実だとしても)日影上人は「切紙」などの「血脈」を柚野浄連に預けた前後に、金口相承を直接日有上人に授けたと考えるべきである。(<『家中抄』と血脈>参照)
6●然るに祖師の伝文不同なきには非ず、日順の血脈抄極略にして未だ窺ひ測りやすからず、日時(※日道)三師の伝はわずかに一二の行業をあげて未だ詳審ならず、日辰祖師伝は多くは西山の説を記して御筆に違する事あり亦富士五所の所伝にすこし差会あり。
是れに
(よ)って予寛永庚辰の春、日瑶中陰のうち別に報謝の儀なく此の三伝を集めて一巻として報恩謝徳の一分に擬したてまつりき、其の後御筆本尊并びに遺弟の書籍記文等を拝見するに諸伝相違の事甚だ多く亦諸書に載せざる行相幾許(いくばく)ぞや、爰を以て今御筆を先として遺弟の記文取るべきものは之を録し諸伝の善説には之に順し、善ならざるは頗るために改め易へ次第前後をたゞす、猶恨むらくは御筆記文は多く天下の大乱に散失し或は国々門徒へ持参し所伝の法門は住侶闕減に習ひ失ひ唯見聞の及ぶ所、纔(わずか)に之を記録して未だ精密ならざるなり、豈
(むなし)く興師の道を尽すにたらんや、庶幾(こいねがわく)は所所散失の御筆並びに本尊・記文等見聞にしたがって之れを記して其の欠を補い給わば是れ吾がねがう所なり(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻180頁)
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「遺弟の記文取るべきものは之を録し諸伝の善説には之に順し、善ならざるは頗るために改め易へ次第前後をただす」とあることから、『家中抄』の編集態度は、引用であってもある程度は日精上人の本意が表れていることが分かる。しかしながら、「唯見聞の及ぶ所、纔(わずか)に之を記録して未だ精密ならざるなり」「欠を補い給わば是れ吾がねがう所なり」とあるように未だ正確ではなく、後世の補正を求められている。
「此の三伝」とは「日順の血脈抄」「日時(※日道)三師の伝」「日辰祖師伝」のことか。当該御文は日興上人伝の末文であり『家中抄上』の末文である。「然るに祖師の伝文不同なきには非ず」から始まる文である。このことから、日興上人の伝に関する記述であることは明らかである。従って狭義には『家中抄上』=日興上人伝、の編集態度である。
しかしながら、「御筆本尊并びに遺弟の書籍記文等を拝見するに諸伝相違の事甚だ多く亦諸書に載せざる行相幾許(いくばく)ぞや」という状況は他師に関する資料についても同様のはずである。そのことは、日目上人や日尊師などについて書かれた「日辰祖師伝は多くは西山の説を記して御筆に違する事あり」とあることからも容易に推測できる。であればこそ、日亨上人も上記跋文が『家中抄』全体に及ぶものであるとの考えから、「本師の跋文に合ふもの」として『家中抄』全巻に亘って天註を加えられたのである。↓
●天註に批訂する所あり、先師に対して恐れありと云へども却って是れ本師の跋文に合ふものにして、地下の冥諾を受けんこと必せり、但し中下巻には此事を贅せず(第59世日亨上人/『富士宗学要集』第5巻180頁〜)
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56世日応上人がこれに関して、在家相承でも何ら問題ないとしている。(『法主詐称』)
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これは万々が一、柚野浄蓮への御相承ということが仮にあったとしても、それで本宗の血脈相承が途絶えたことにはならないということを強調されたものと拝すべきだね。特に創価学会が鬼の首でも取ったかのように「日応上人が血脈は在家に相承してもよいと言った」と言うのけまったくの誤解だよ。たしかに相承すべき相手がなければ、俗男俗女であってもよいと述べられ、柚野浄蓮は白衣(在家)であったとされている。それは何としても日蓮正宗の血脈法水を絶やしてはならぬが故の仰せだが、ただし、もし在家の浄蓮が本当に相承を受けるとすれば、それは当然出家した後でなければならぬとの意味を、「浄蓮の新発意」とのお言葉で示されているんだよ。要するに緊急やむを得ぬ場合は、信心のある者を出家せしめてでも、血脈相承を継がせなければならないとの意味であり、絶対に日蓮正宗の血脈法水が途絶えることはないことを仰せられた御指南と拝すべきことは言うまでもないね。(早瀬日如御尊能化『大白法』H16.2.1)
<第15世日昌上人への付嘱>
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日主上人から日昌上人への御相承について、代官の寂日坊への「死活相承」の話があった。(『法主詐称』)
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●これは取るに足りないまったくの誤伝です。日昌上人のお筆による、日主上人から日昌上人への御相承が厳然と行われたことを証明する確実な史料が、現に小金井蓮行寺に存在していることを日亨上人が仰せられているね。(藤本総監『大白法』H16.2.1)
<第16世日就上人への付嘱>
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●慶長十二年昌公病気の時付嘱を定めんと欲し書状を日就に賜ふ、師匠の日賙(しゅう=「貝」+「周」)の云く師弟合して本末相承を継く冥慮に相叶ふ者か、即日賙領承して返札を賜ふ、堅約以後猶昌公在位なり、元和年中終焉の後、同年四月二十三日入院し理境坊日義に随ひ相承を継ぐ(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻260頁)
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この資料を見る限り、第16世日就上人は、第15世日昌上人御遷化後に御登座されたことになる。しかしながら、血脈相承に対して疑義を差し挟む者は当時からいなかったようである。
「昌公病気の時付嘱を定めんと欲し書状を日就に賜ふ」とあるから、御病気になる以前から日昌上人は日就上人と面識があられたのであろう。さらに「堅約以後猶昌公在位なり」とあるから、付弟が日就上人に定まってからも、日昌上人は御健在であられたのである。以上のことから推察するに、御登座は師の滅後であっても、内付という形で相承が行われていたのである。だからこそ、当時、血脈に疑義を差し挟む者はいなかったのである。
ところが、学会の"法論オタク"は、400年近くも後になって、この相承を疑難しているのだから呆れてしまう(溜息)。尚、この時の相承は、師の滅後に付弟が御登座したこと、相承が内付という形で行われたこと、という点において第66世日達上人から第67世日顕上人への御相承と同じである。
「理境坊日義に随ひ相承を継ぐ」の記述であるが、日精上人のいう「血脈相承」とは文書化されたものであり、必ずしも唯授一人金口相承のことではない。(<『家中抄』と血脈>参照)
●法を日道に付す所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はゞ内用(証)外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝えず(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻216頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「金口の智識なり」とあるように、これこそ日寛上人仰せの金口相承である。金口相承については「其の器に非ずんば伝えず」と断言されている以上、理境坊日義が継いだという「相承」と金口相承は別物であると考えるべきである。
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堀上人は「理鏡坊日義相承預りの事実」として、18世日盈上人が書き残した「寂日坊日義が血脈相承を預かり相伝をした」という文書を紹介して、15世日昌師の臨終に日就師が間に合わずに、理鏡坊日義が相承預かりをした事実について、「この点において血脈断絶法水壅塞の形ありといわばいえるが、相承の内容に立入りて見るとき、御相承は、殊に金口嫡々のは授受の型式作法に権威ありや、御当人に権威ありやという問題が起こるべきであろう。しかして法式と実人とは何れが主なりやということを決定してかかる時、若し実人に適確の権威あらば授受の作法はこれを結成するの型式に過ぎざるから、就師のやうな場合でも、血脈断絶法水壅塞の不都合は無いわけである。若し然らずして作法のみ大権威存在して実人は何人でも宜いということならば、この場合の如きは血脈断絶の悲事となるわけである。また作法にも実人にも相互に権威あり法人映発して法主の大器を作るという事ならば、この場合は少なくも法水一次枯渇の状を呈する不祥事となるであろう。」(血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び辨蒙)と述べられています。(sf:1719)
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これは、第15世日昌上人が御遷化された際、第16世日就上人への御相承を理境坊日義師が預かったとの説があることについて、日亨上人(※御登座前)が、
●血脈断絶法水雍塞の形ありと云はゞ云へるが、相承の内容に立入りて見るとき、御相承は殊に金口嫡々のは授受の型式作法に権威ありや、御当人に権威ありやと云ふ問題が起るべきであらう、而して法式と実人とは何れが主なりやと云ふ事を決定してかゝる時、若し実人に適確の権威あらば授受の作法は此を結成するのに型式に過ぎざるから就師のやうな場合でも、血脈断絶法水雍塞の不都合は無い訳である。若し然らずして作法にのみ大権威存在して実人は何人でも宜いと云ふ事ならば、此場合の如きは血脈断絶の悲事となる訳である。又作法にも実人にも相互に権威あり法人映発して法主の大器を作ると云ふ事ならば、此場合は少くも法水一時枯渇の状を呈する不祥事となるであらう。(第59世日亨上人「史的考察及び弁蒙」『大日蓮』大正12年4月号16頁)
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と述べられた中にある。このお言葉の前提として、日昌上人は御遷化の15年も前に日就上人に法を内付されているのであり、日昌上人と日就上人の間に血脈断絶などということはありえない。その上でちなみに、御相承に関して、法式(授受の形式作法)と実人(御当人)のどちらが主であるかという、議論をなされたのである。つまり日亨上人が御相承において「実人に権威がある」と仰せられたのは、たとえ御相承の儀式が無い場合でも、内付によって御相承を受けられる方の境界に実人としての適確の権威が具わっており、血脈断絶などということはない、という意である。(『大白法』H16.6.16)
●私の未決定の史論を盲信して濫りに此から割出した御議論を為さらぬやうに願ひたい(第59世日亨上人「史的考察及び弁蒙」『大日蓮』大正12年4月号10頁)
●此は局外者の抽象的の議論である。直に宗門教権の大事を批判すべき標準にはせぬが宜い。(同16頁)
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つまり信仰的次元においては、御相承の「形式」が大事か「実人」が大事かなどということは、全く議論の余地はない。
―第67世日顕上人御指南/H4.8.28全国教師講習会―
このお言葉の底意は、「形としてはそういう形式・作法の在り方があるから、そういう在り方が存在する例を考えるならば、そのような形式として存在することは結構である。しかし、それがなければ血脈が伝わらないとか、断絶したというようなことではない」という意味を、敢えて反問の形で言われるところにあるのです。しかし、そこのところを、「相承は御仏意の上に、形式の有無にかかわらず伝承されている」と、もっとはっきりと仰せになっていただければ、疑問を持つ者も、より少なかったと思います。
それから、「御当人に権威ありや」。これは、権威といってはおかしいかも知れないがその承けたところの意義において、おのずから当人の命のなかに生ずるものがあるのです。
小乗に無表色という語があります。小乗仏教の倶舎七十五法の十八界のうちの色・声・香・味・触・法の六境中、法境のなかの部分的内容としての無表色であります。この無表色において、ある善や悪の表業を受ければ受けただけの地水火風の色法が未来から来たって、その善、あるいは悪、あるいは無記の内容として身内に成するということがあります。まして、大乗仏教の真実・最高の教えの血脈をお承けするという上から考えれば、尊い業による結果が身に当たって生ずることも、当然といえば当然であります。要するに、「日蓮 日興」の御相伝を拝しても、本当の意味の唯我与我、また、さらに言うならば、授受感応における深いお心というものがあるのです。
特に、重大な意味を持つ代々上人の血脈を譲るというような場合には、幼いから疑わしいとか、最後にお会いになっていないから変だとか、あるいはこの形式がないから違うなどというような、凡眼凡智で量れるものでは絶対にないという次第であります。
私の時にも、血脈相承の儀式がなかったなどと言う者もありましたけれども、今、けっしてそのことを弁護するつもりはないのです。ただ、形だけのところを見て、「あれがあった、これがなかったと言う、その短絡的な考え方は、本宗の法脈伝持に関しては間違っておるということ、大聖人様からの御仏意による御指南、御相承というものは厳然と伝わるのであるということを、特に血脈という問題が色々と誤って喧伝されておる今だからこそ、皆さんに申し上げておきたいのであります。(『大日蓮』平成4年10月号39頁)
<要法寺出身御法主>
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当時の大石寺の人材不足の状況については、おそらく現在と同様なレベルだったのでしょう。他山から法主をスカウトせざるを得なかった訳ですから。邪宗門も人材枯渇が著しいですね(sf)
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成人した方が要法寺から大石寺に登られたのは、第15世日昌上人と第16世日就上人の2人だけである。あとの方は幼少期から大石寺に登り、大石寺が人材育成された方。「人材不足」が原因でなかったことは明らかである。むしろ、大石寺側としては要法寺を教導して宗勢を拡大しようという意図もあったのではないか。そのように考えられる背景としては、当時の要法寺が大石寺を「本寺」と仰いでいたことが挙げられる。そのことは『富士門家中見聞』という名の書に、要法寺の高僧の名が列せられていることからも分かる。
現に日精上人の時代には、信教の自由が十分認められていなかったにも拘わらず、多くの寺院が帰伏している。そのために還って、法詔寺のように、化儀を理解していない檀那との間に軋轢が生じた、という負の部分もあったようである。この辺の複雑な状況を理解せずに、残された僅かな史料の文面のみに捕われると、学会のように、多くの疑問や矛盾(学会の主張に反する疑問点や矛盾点)を棚上げしたまま、日精上人や大石寺を短絡的に誹謗することになる。
●それから9代。9代ですけれども、それは始めのうちはね、要法寺で、相當でき上つた人がきたです。後にはね精師以後はですな、精師そのものも、でき上つてきたんじやないのです。若いとき、きたのです。そして大石寺にきて、江戸へ出て、そして、偉くなつた。精師以前の人はですね、大石寺にきて大きくなるんでなくて、むこうから大きくなつた成人した人がきたんです。 精師以後の人は、みんな、大石寺にきて大きくなつた。所化できたのが多いですね。ですから要法寺からきたといつても、たゞその、身體をもらつただけです。(第59世日亨上人『大白蓮華』S31.11/『地涌』第125号)
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9代の間は要法寺から来られた方が大石寺の法主となられた。しかし、最初のお二方(第15世日昌上人と第16世日就上人)以外は、幼少にして大石寺に登られ、大石寺において修行されたのである。そうであれば、出身は要法寺であっても実質は"大石寺が生み育てた法主"である。
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<『家中抄』と血脈>
7●(※日行上人は)日道の付嘱を受く其の時本尊を日行に授与す其の端書に云く「暦応二大才巳卯年六月十五日、日道在判日行に之を授与す一が中の一弟子なり」(已上此の本尊当山に在なり)、
8●又興目両師に従って血脈を禀承する等を日行に伝授す(相伝切紙等其外相伝書籍等手取引様示給書物等森殿に之を預け置く趣行公自筆状に見たり往見)、
9●行公此の付嘱を受け大石寺に住持し・・・(第17世日精上人『家中抄下』/『富士宗学要集』第5巻250頁)
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「日道の付嘱を受く」とは金口の相承である。「又興目両師に従って血脈を禀承する」という「血脈」の内容とは「相伝切紙等其外相伝書籍等」「手取引様示給書物等」である。この「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍等」「手取引様示給書物等」を「森殿に之を預け置く」とある。「行公此の付嘱を受け大石寺に住持」とあるのは、「切紙」などの相伝書を森殿より受け取った後に御登座されたということであろう。いずれにせよ、8●では「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍」等であり、金口の相承ではない。このことは、この切紙について日精上人御自身が、「当宗嫡々法門相承」ではない、と仰せになっていることから明らか(下記13●)。しかも、この「血脈」は、第三者に預けても不都合がないことが分かる。
★日精上人は唯授一人金口の相承以外の相伝書を「血脈」と称し(8●)、さらに相伝書の授受を「付嘱」と仰せである(9●)。
10●此の日産湯相承を記録す、同十日には本尊七箇相決并に教化弘教七箇の決を記し給ふ、十一日に本因妙抄を日興に付与し給ふ、其の文に曰く又日文字の口伝産湯口決の二箇は両大師の玄旨にあり、本尊七箇口伝は七面決を表す、教化弘教七箇伝は弘通する者の大要なり、又此の血脈并びに本尊大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人血脈なり、相構へ相構へ秘す可し伝ふ可し云云。誠に日興は多聞の士、自然に仏法の深義を解了せる故に仏法の大海水、興師の心中に流入するにより斯の如き甚深の血脈を禀承し給ふ(第17世日精上人『家中抄上』/『富士宗学要集』第5巻154頁〜)
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「産湯相承」「本尊七箇相決」「教化弘教七箇の決」「本因妙抄」=伝法の書=甚深の血脈であることが分かる。「秘す可し伝ふ可し」とはあるものの、後に徐々に公開されたものである。しかし、唯授一人の血脈相承は、これら相伝書のみではなく、金口相承こそが根幹なのである(下記14●〜16●)。
11●亦天王鎮守の神(たましい)と申すは祖師御相伝の秘書当家代々の秘書なり、日興日目相続して房州妙本寺に之れ有るなり。常随給仕の功と云ひ問答第一と云ひ旁々の勲功により甚深の血脈禀承したまふ(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻185頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「秘書」とあるように文書である。金口相承ではない。第59世日亨上人は、「今無し」(頭注)と仰せである。
12●大聖より禀承の一紙血脈を以って日目に授く其文に云く。(中略)右二通の御血脈等とは日蓮、日興、日目御相承にして御正筆房州妙本寺に之れ有り(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻186頁)
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ここでいう「相承」とは文書のことであり金口相承ではない。また、下記13●の「切紙」とも違うようである。日亨上人は「此の文今無し」(頭注)と仰せである。
13●当宗嫡々法門相承どもを日道に付嘱す、其の外高開両師よりの相伝の切紙等目録を以て日道に示す、其の目録に云く。(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻213頁)
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「当宗嫡々法門相承」こそが唯授一人金口の血脈相承であり、「其の外高開両師よりの相伝の切紙等」とあるように、「高開両師よりの相伝の切紙等」と唯授一人の金口相承とは別個のものである。
●当家甚深の相承の事。全く余仁の一言半句も申し聞く事之れ無く、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(中略)又本尊相伝、唯授一人の相承なるが故に、代々一人の外、書写すること之れ無し。(第17世日精上人『歴全』第2巻314頁/『大白法』H16.6.16)
14●法を日道に付す所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はゞ内用(証)外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝えず(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻216頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「金口の智識なり」とあるように、これこそ日寛上人仰せの金口相承であり、上記「血脈」=「相伝切紙等其外相伝書籍等」(上記9●)とは別物である。
★日精上人のいう「血脈」とは文書化されたものを含んでおり、必ずしも唯授一人金口相承のことではない。この文書化された血脈を第5世日行上人は、森殿(在家信徒?)を経由して受け取られたのである。油(柚)野浄蓮が第8世日影上人または第9世日有上人に伝えたという「血脈」「相承」もまた金口の相承ではない、と考えるべきである。
★日精上人自身、金口相承の他に相伝書(上記13●)のあることを認められている。しかも金口相承については「其の器に非ずんば伝えず」(14●)と断言されている。このような日精上人が、金口相承が在家等に伝えられたり、途中で断絶したという意味の記録を掲載されるはずがない。
15●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)
16●仮令(たとい)、広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず(第56世日応上人・『弁惑観心抄』212頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』212頁)
<昔の学会指導>
◆法主位の継承、したがって法門深々の御相承はもったいなくも御本仏宗祖日蓮大聖人より御開山日興上人にたまわられて以来、清浄の法水連綿として現在64代に及び、この大事あるがゆえに、末法の一切衆生は本因下種仏法の大利益を受けることができるのであって、いつ、いかなるお方が御登座あられようとも、それはすべて御仏意によるゆえに、信徒たる者は、ひたすらけいけんなる信心をもってこれに従い、これをお迎え申し上げるのが当然なのである。(中略) 法位継承は手続きがいかにあろうと御仏意である以上は、信徒たる者は、これくらいの心構えをもって法を護るのが当然ではなかろうか(『聖教新聞』S31.1.29社説/『慧妙』H15.12.16)
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当時、御当職であられた64世日昇上人の御隠退の報に接した戸田会長の談話を受けて、『聖教新聞』が社説として報道した記事である。ここにも、日蓮正宗の血脈法水によって、本因下種仏法の大利益を受けることができること、また信徒として御相承をどのように拝するのか、という正しい姿勢が示されている。

―新興宗教・創価学会 めざすは会長絶対化―
―血脈誹謗 重ねる数多の大謗法―
―御法主上人猊下の御心知らぬ哀れな学会員―
(『大白法』H16.2.1)
昨年3回にわたり掲載してきた座談会では、総監・藤本日潤御尊能化をはじめ御出席の御僧侶方に、池田創価学会及びその走狗・憂宗護法同盟が悪書『法主詐称』や「創価新報」などで行っている、御法主日顕上人猊下の血脈相承への誹謗、本門戒壇の大御本尊への誹謗等に対して完膚無きまでに破折していただき掲載しました。
引き続き今回は、御歴代上人への誹謗等に対して、徹底的に破折していただきました。
座 談 会 出 席 者
日蓮正宗総監・常泉寺住職 藤本日潤御尊能化
宗務院庶務部長・法道院主管 早瀬日如御尊能化
大石寺主任理事・妙泉坊住職 八木日照御尊能化
大宣寺住職 菅野日龍御尊能化
宗務院庶務部副部長・妙國寺住職 阿部信彰御尊師
<「法主絶対論の大嘘」こそ邪説>
〈司会〉 『法主詐称』で創価学会や憂宗護法同盟は、「法主絶対論の大嘘」とか、「狂的な『法主賛美論』」などと、日蓮正宗の血脈法水を口を極めて誹謗していますが、日蓮正宗の教義は今も昔もまったく変わりはないですね。
〈阿部〉 もちろんです。彼らが「法主絶対論」だなどとして、『法主詐称』中に取り上げている宗門側の発言とは次のような文章です。
「日蓮大聖人の仏法は、唯授一人法体別付の血脈相承をもって、現御法主上人が御所持あそばされることは周知のことであります。したがって、御法主上人御一人が、本門戒壇の大御本尊の御内証をお写しあそばされる権能をお持ちになるのであります」(大日蓮 562号)
「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります」(『能化文書』平成3年9月)
〈早瀬〉 このような内容について、「日顕(上人)本仏論」だとか、「狂った坊主の戯言」などと誹謗するとは、とんでもないことを言う連中だ。ここで述べられている法門が「日顕(上人)本仏論」などでないことは当然だよ。それよりも日顕上人猊下の御登座当時、池田大作は本宗の血脈法水についていろいろと尊崇する旨の発言をしていたね。
〈八木〉 そう。血脈相承を尊重した池田大作の発言は枚挙に暇がないが、例えば昭和57年7月24日には(第1回関東会研修)、
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(乃至)広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(「広布と人生を語る」第3巻256頁)
と、唯授一人の血脈こそ本宗の信仰の根幹であると述べている。その同じ日蓮正宗の血脈を、現在は「狂った坊主の戯言」というわけだから、自語相違、支離滅裂もいいところだね。彼らの言葉を借りれば、自らが狂うと、正当な法門が狂って見えるのだな。
〈藤本〉 というより、御本尊の御書写が血脈相承の上の唯授一人の権能にましますことは、この池田大作の発言からも、池田自身や創価学会、憂宗護法同盟の者たちは当然熟知しているわけだね。その御本尊に関する相承書の『御本尊七箇相承』には、御法主上人の御内証について、「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典379頁)と定められていることを彼らが知らぬはずはない。とすれば大聖人の仏法の根幹である血脈相承の意義を判りきった上での悪質卑劣な誹謗と言うよりほかはないね。
〈阿部〉 その通りですね。彼らが日蓮正宗の血脈相承には外用と内証のあることを充分に承知していたことを証明する池田大作の発言があります。次に掲げる、昭和54年5月3日の第40回創価学会本部総会の折の講演です。
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」(聖教新聞 昭和54年5月4日付)
と述べています、
〈菅野〉 そうだったね。この時は御先師日達上人が御出席なされた最後の総会だった。日達上人が御臨席あそばされた創価学会本部総会という公式な場においての発言だけに、この池田大作の言葉には決定的な重い意味があるね。それは池田大作も、昭和52年路線の謗法を反省して、きちんと本宗の下種仏法の本義に基づき、これを尊重していくことを日達上人猊下にお誓い申し上げた言葉だったからだよ。
〈藤本〉 この折の池田講演により、池田大作と創価学会は本宗の正しい法義を遵守することを日達上人にお誓いしたわけだが、正にこの発言の通りだね。「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至って」いるわけであり、今になって創価学会が御歴代の日精上人や日恭上人を誹謗することは本当に無慙(むざん)であり恥じ知らずと言うよりほかはないよ。日精上人や日恭上人がおられたからこそ、唯授一人の血脈が今日まで流れ通っていることを、かつては池田大作も正しく信解していたわけだからね。
〈八木〉 そうなんですね。法体相承の上からは、『御本尊七箇相承』の御文のように、御法主上人猊下の御内証を大聖人と拝すべきことは当然だし、そのことは池田大作もよく判っていたわけだ。
〈早瀬〉 ただし、宗門の甚深の法門の上からはただその一面だけではない。御法主日顕上人猊下も三宝の意義を正しく拝することが大切と御指南あそばされているように、本宗の下種三宝には、法体と住持、外用と内証など重々の意義がある。内証の上からは三宝は一体だが、外用の上からは御歴代上人はあくまでも住持の僧宝の御立場であられると拝することが正しい法門の道筋だね。
〈菅野〉 そして御歴代上人のお立場は、御本尊の御書写以外は、通常は外用の住持の、僧宝の御立場において大衆を導かれるわけだね。当然のことだが、歴代上人のお立場におかれては、敢えて御内証の面を強調される必要はないからね。
〈司会〉 『法主詐称』では、今回、宗門側は創価学会を破門した頃から、突如、内証の法門を強調しだしたと誹謗していますが。
〈藤本〉 そんなことはまったくないね。先ほどの池田大作の「御法主上人ご内証」という言葉もある通り、宗内僧俗の折々の発言や著述等において、血脈内証の法門が述べられることも珍しくはない。ただし、あの平成3年当時のように、『能化文書』をはじめとして、御法主上人猊下の御内証の面を宗門がこぞって強調した場合、それがいかなる目的であり、いかなる時であったかを正しく認識せしめる必要はあるよ。まさに今日の創価学会のような三宝破壊の仏敵が現れた時にこそ、下種三宝を厳護し奉り、もってその仏敵第六天の魔王の悪謀を断破する目的のために御法主上人の御内証が強調されるわけだからね。
〈阿部〉 彼らは、このような御法主上人の御内証に関する法門は、教学部の水島副部長や原田主任が画策したように書いていますが、御歴代上人についての外用と内証の法門なら、わざわざ教学部に依頼せずとも、少なくとも本宗教師なら誰でも領解していることですね。
〈八木〉 まったくだ。『法主詐称』では、御法主日顕上人猊下に対して、「低俗な邪教の教祖を連想させるような"日顕(上人)生き仏論"」だとか、「新興宗教の教祖」や「オカルト」だとか、まさに愚かな僻見のオンパレードだが、すべて的はずれの悪辣な誹謗に過ぎないことが明白だね。
<所化対象の講義への非常識な悪口>
〈司会〉 次に彼らは福田毅道師の行学講習会での講義中における、『百六箇抄』の「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」の御文の解釈について、宗祖日蓮大聖人、第2祖日興上人等を迹とし、当代の日顕法主を本とする「顕本仏迹論」だったなどと誹謗していますが。
〈藤本〉 まったく曲げに曲げ、柄のないところに柄をすげだ解釈というほかはない。当然だが福田君か『百六箇抄』の本迹勝劣について、「日顕上人が本で日蓮大聖人が迹」などと言うはずはないね。
〈阿部〉 その通りてす。宗門として行学講習生に対して行っだ調査では、「そのような発言はなかった」ことや、授業の結果として、本迹に関して、講習生は「そのような認識は持たなかった」との回答を得ています。
〈早瀬〉 それと、この件に関しては福田君本人からも宗務院へ報告書が提出されているはずだが。
〈阿部〉 はい。福田師が教学部へ提出した報告書において同師は、創価学会が言うような内容の講義をしたことはないと次のように明確に否定しています。
「私は『大聖人が迹仏である』と講習生に向かって話した覚えはありません(中略)三宝と血脈について説明したとき、『我々の信心の上から、御歴代の御法主上人猊下は内証においては大聖人と一体不二と拝すべき』(中略)ということは言いました。そして、百六箇抄の『立つ浪・吹く風・・・』の文はそのことを示唆していると私は思いますと言いました」(要点抜書)
〈司会〉 『法主詐称』では、かつて池田大作も述べている御内証の法門を福田毅道師が述べたことに対し、「顕本仏迹論」などと誹謗するわけですが、それこそ彼らが本宗の信仰を失った証拠ですね。
〈藤本〉 たしかに、「立つ浪・吹く風」が現在の瞬間を本としている意義は当然のことだね。なぜなら、今のこの瞬間にこそ、御本仏日蓮大聖人の御法魂は、人法一箇の本門戒壇の大御本尊としてましますわけなのだからね。
〈八木〉 福田君はそのことは無論、自明の理とした上で、三宝一体の御内証の上から、御当代日顕上人猊下の仰せは大聖人様のお心を拝して御指南せられていることを述べたわけだ。「顕本仏迹論」などでないことは明白だね。
〈阿部〉 その通りです。福田師の発言は『百六箇抄』を講義することが目的ではなく、当該の文を用いて三宝一体を説明することにあったわけです。ただ福田師は、この授業の折の、総別の言葉の使い方に関しては、誤解を与える点があったと訂正しています。
〈菅野〉 そういう意味では、講義中に多少の誤りがあったのかもしれないが、所化の高校3年生らを対象とした行学講習会の講義において少しの誤りがあったとしても、本人も釈明し訂正すべきは訂正していることだし、福田師の講義をおおげさに「宗門公認の教説」だなどとする創価学会の言い分は、まったく噴飯ものの言いがかりにすぎないね。
〈司会〉 次に本門戒壇の大御本尊と血脈法水を信仰の根幹とする本宗の教義に対して、彼らは幼稚な権威主義、形式主義であり、あの水戸黄門ばりの「印籠教学」などと誹謗しておりますが。
〈藤本〉 何が「印籠教学」だ。本門戒壇の大御本尊と血脈法水は日蓮正宗の信仰の根幹です。その根幹に対して信仰を失い、卑劣な誹謗を繰り返しているのが彼らの情けない姿だね。
〈早瀬〉 宗教は理論や理屈ではなく信仰が根本でなければならないと思うが。我利我利の利己主義で信仰を失くした彼らの言い分が、極めて低次元の誹謗中傷になっていることは当然とは言いながら、浅ましい限りだよ。
<理不尽極まる宗規改正への邪難>
〈司会〉 また『法主詐称』では、日蓮正宗の宗規改正に対して、御法主日頭上人猊下の代に多いのは法主の権威の絶対化だとし、恐怖政治だの時代錯誤の独裁体制などと、これでもかと誹謗しておりますが。
〈藤本〉 宗規の改正は日蓮正宗が大聖人様の御法を末代まで正しく伝え、弘宣していくために、必要に応じて改正が行われるわけです。宗門全教師から選出された宗会議員による、厳正な審議を経て決定されるものであって、これを時代錯誤の独裁体制などと非難することは、まさに日蓮正宗宗会議員への冒涜(ぼうとく)と言うほかはないね。
〈阿部〉 宗制宗規の改正を改悪というのは、彼らが自分に不利だからというだけの勝手な理屈でしょうね。
〈早瀬〉 平成2年以後の宗規改正は、結果的には創価学会の宗門に対する不当な介入と干渉を防ぐことになったが、要は宗規改正の目的は大聖人様の御法をお護りするため以外にはないのだからね。
〈菅野〉 それにより、自らの宗門支配の野望が砕かれたことが、彼らにとって、悔しくて仕方がないための悪書だろうな。
<天台教学を曲げた筋違いな讒言(ざんげん)>
〈司会〉 次に『法主詐称』では、日蓮正宗が「法主絶対」だとし、その「絶対」の語を取り上げて、天台教義中の「絶待(ぜったい)」と関連づけて誹謗しているようですが。
〈藤本〉 まず「法主絶対」なんていうことは宗門では一切言っていない。だから、彼らの言い分はまったく意味のない言いがかりにすぎないね。
〈八木〉 そうですね。『法主詐称』では、妙楽の『釈籤(しゃくせん)』中の絶待開会の文として、「相待を以て示すべからず、絶待を以て示すべからず」等を挙げて、徹底した否定の後の「大肯定」が「仏法の『絶待観』の基本」だなどと述べている。
〈早瀬〉 そしてそれに対して、自己否定もせず、他の一切を否定する日蓮正宗の「法主絶対」は独善であり、無窮(むきゅう)に流浪し戯論(けろん)に堕すものと誹謗するわけだ。
〈菅野〉 ここで彼らの言う「大肯定」とは、邪宗との協調路線を歩む最近の創価学会の立場を擁護しているつもりだろうね。しかし、大聖人様は、法華経の絶待開会とは、一切の諸法をただ妙法一味に開く意味であり、開会の意味を取り違えて、念仏や真言の受持を許した天台宗の開会を悪として厳しく指弾あそばされているはずだね。
〈藤本〉 そう。末法においては人法一箇の本門戒壇の大御本尊と血脈法水、すなわち下種三宝のところに真の絶待妙が存するわけで、その日蓮正宗の教義の上から他の一切の宗派を謗法と断ずることは、独善でも戯論でもないよ。真実の絶待妙の上からの謗法破折となるわけだね。
〈阿部〉 要するに創価学会のような謗法容認のあり方は先程の天台宗の悪開会と同じで、大聖人様が厳しく破折されるところと言うべきですね。
一同 その通りだね。
〈司会〉 また続けて彼らは、御法主日顕上人猊下が平成3年1月に、
「給句は一人になて日本国に流浪すべきみ(身)にて候」(御書730頁)
の御文を述べられた折のことにつき、「敗北の絶句」だなどと誹謗しておりますが。
〈藤本〉 あの折は正月の初登山で私も同席していましたが、「敗北の絶句」なんてとんでもない。長い年月、広宣流布をめざして折伏に励んできた多くの日蓮正宗信徒が、創価学会の虜(とりこ)になって不幸の道を歩むことを憐(あわ)れまれ、また身延を離山あそばされた日興上人の無念のお心を偲ばれてのお気持ちと拝したね。
〈阿部〉 『法主詐称』では、御法主上人猊下が腹心の部下に、「宗史から抹殺されるかもしれぬ」と語ったとか、その恐怖を払いのけるために予防線を張っているなどと虚言を弄して誹謗していますが、不自惜身命に徹された猊下ですから、仏法のためであれば、たとえ我が身がどうなろうと、そんなことに、くよくよ気苦労されるお方では決してありません。
〈早瀬〉 御法主上人猊下の深い覚悟のお言葉に対して、「日顕の落涙こそ・・・敗北の絶句」とは、彼らの境界の低さを物語って余りあるね。
〈八木〉 あの御法主上人のお言葉で宗内の皆がどれほど奮い立ったか。その後のわずかな離脱僧の裏切りを除き、僧俗が一丸となり、平成2年の3万総会から平成14年の宗旨建立750年・法華講30万総登山へと大発展した姿を見れば明らかだね。
〈菅野〉 『法主詐称』では、「宗門内で企図した『法主絶対化』の路線」などと言っているが、まったくのまやかしだな。日蓮正宗は「法主絶対化」ではなく、創価学会の押しつけの「会長絶対化」による「僧侶不用路線」を廃止して、僧侶と法華講員による真の僧俗一致の広宣流布に向けて前進を開始したわけだ。本当に有り難いことだね。
<日精上人への不知恩な誹謗>
〈司会〉 次に『法主詐称』ては、宗門の宗史書である『家中抄』や『続家中抄』を取り上げて、種々誹謗していますが。
〈八木〉 その第一が、総本山17世日精上人に対する誹謗だね。たしか、日精上人が敬台院との確執により、大石寺から江戸へ移り、下谷に常在寺を再建して住んだため、大石寺が無住になったとの批判だったかな。
〈早瀬〉 しかし、この『法主詐称』の批判には確実な根拠があるわけではないね。おそらく根拠は『続家中抄』の「日舜上人伝」あたりだと思われるが、『家中抄』や『続家中抄』は、当時の記録がたとえ不完全不正確であったとしても、それらを参考史料として用いざるを得ない状況の中で著されたと思われるからね。
〈阿部〉 『法主詐称』における創価学会側の批判は、その辺をよく調べないで、両伝記を受け売りしたに過ぎないわけですね。
〈藤本〉 そうだね、『法主詐称』では、日精上人が寛永14年の御登座後、遠からずして敬台院との間に確執を生み、大石寺を逃れて江戸に移り、常在寺を再建したと書いているが、精師の常在寺再建はそんな理由ではないと思うね。
〈菅野〉 そうですね。精師が常在寺を再建されたのは御登座翌年の寛永15年だが、この寛永15年には、大石寺は敬台院から七百数十両という多額の金子の御供養を受けており、またこの年の精師の江戸城への年賀には、敬台院の推挙で、輿(こし)による登城も許されている。常在寺は両者のそういう良好な関係の年に再建されたわけだから、敬台院と仲違(たが)いして、大石寺を逃げ出して建てたなどということは有り得ないね。
〈八木〉 日精上人は常在寺の建立により江戸の弘教を志されたものと思う。常在寺を拠点とする折伏弘教により、この頃、常泉寺本末を改宗せしめられたこともあるし、そういう点から考えれば、関東方面の弘教のために総本山をある程度留守にされたことはあったかもしれないが、少なくとも敬台院との不仲による大石寺退出が常在寺建立の動機だというのはたしかに違うと思うね。
〈阿部〉 また後年の常在寺での日精上人の御説法を聴聞して26世日寛上人も、出家得度をされました。その点を考えれば、日精上人の常在寺再建と江戸弘教がなければ、伊藤市之進であられた日寛上人に、自らの菩提寺である常在寺を紹介したある旗本の門番佐兵衛の日蓮正宗入信もなく、また伊藤市之進自身の得度もなかったことになります。ですから、日寛上人にとって日精上人は仏法上の師であり、かつ恩人なわけです。後代の私たちも、寛尊の恩を報ずべきことは当然ですが、同時に、日精上人の恩も当然報ずべきではないでしょうか。日精上人おられてこその日寛上人なのですから。それを日寛上人だけを讃えて、日精上人を徹底して誹謗する創価学会の考えは、かえって日寛上人のお心を無視し愚弄するものであり、また仏法の因縁も無視した恩知らずの外道の考えと言うべきですね。
〈早瀬〉 それはたしかにそうだね。日寛上人は『三宝抄』で、日興上人を下種の僧宝と仰せられた後に、爾来日目日道代々咸(ことごと)く是れ僧宝なり」と仰せだ。「代々咸く」の中には当然、17世の日精上人や、要法寺から登られた御法主上人も含まれている。創価学会のように日精上人を歴代から除けなどとは、どこにも仰せではないからね。
〈菅野〉 堀上人にも精師の事跡について、批判的な記述はおありになるが、創価学会のように除歴しろなどという不知恩なことは一切仰せではない。それどころか当然日精上人を御歴代上人と拝しておられるからね。
〈藤本〉 要するに創価学会が日精上人を誹謗することは越権もいいところであり、一体、何様のつもりだということになるね。
一同 まったくですね。
<血脈相承への卑劣な悪言>
〈司会〉 次に『法主詐称』では、12世の日鎮上人に対して、14歳で御登座の若年法主だと誹謗していますが。
〈藤本〉 これも『久保川論文の妄説を破す』の中で既に破折してあることだね。
〈八木〉 そうですね。日鎮上人は14歳で日有上人から御相承を受けられたわけだが、法体の御相承については、年齢のお若いことは何も問題ではないし、御法門についても、よく少年の神童ぶりがニュースの紙面を賑わす例もあるように、優れた知性と能力をお持ちであられたことを否定はできない。まして当時は南条日住等の補佐役もいたことだし、何よりも日鎮上人はその後45年もの長きに亘り、宗門を董(とう)されたことが、お若い頃から御法主上人とされての優れた器の御方であられたことを雄弁に証明していると思うね。
〈司会〉 さらに『法主詐称』は日主上人から日昌上人への御相承について、代官の寂日坊への「死活相承」の話があったとして、本宗の血脈相承を馬鹿にしていますが。
〈藤本〉 これは取るに足りないまったくの誤伝です。日昌上人のお筆による、日主上人から日昌上人への御相承が厳然と行われたことを証明する確実な史料が、現に小金井蓮行寺に存在していることを日亨上人が仰せられているね。
〈阿部〉 そんな重要なことは、創価学会や憂宗護法同盟側も判りきっているはずですね。それなのにわざわざ「死活相承」などと取り上げて誹謗に使用するとは、まったく卑劣極まりないですね。
〈司会〉 また『法主詐称』では、御当代日顕上人猊下のお話を「夢相承」などと言って誹謗していますが。
〈八木〉 これなどもまったくの言いがかりに過きません。なぜなら御先師日達上人は夢の中で御相承されたわけではない。昭和53年4月15日、厳然と総本山で御当代日顕上人に法を内付あそばされたわけだからね。
〈早瀬〉 日顕上人がなせ夢の話をなされたかと言うと、法界には不思議な御仏智の用きがあることの一例として、教学部長の任命をお受けになられた折の不思議な夢についてお述べになられただけで、とりわけ問題とすべきことなど何もないね。
〈阿部〉 夢の話をすることがいけないなら、創価学会は『産湯相承事』の霊夢も否定するんでしょうか。法界の不思議を否定するとは、『法主詐称』執筆者たちの考えは、当然ながら信仰者のものではなく、唯物論者そのものですね。
<日亨上人を愚弄する創価学会の言い分>
〈司会〉 次に『法主詐称』では、8世の日影上人が御遷化に際して適当な人物がいないため、在家の柚野浄蓮なる者に相承したとし、さらに56世日応上人がこれに関して、在家相承でも何ら問題ないとしているなどと誹謗していますが。
〈八木〉 まず日影上人から日有上人への御相承だが、記録が存在しないとはいえ、日影上人が御遷化あそばされた応永26年8月のわずか8ヵ月後、翌27年4月に日有上人が脇書きをなさった御本尊が存するのだから、日影上人から日有上人へ御相承があったとみて差し支えないと思うが。
〈菅野〉 その通りで、日亨上人もその御本尊の脇書きに「大伴浄蓮」なる名が見えることにより、後世に「柚野浄蓮へ相承」云々の伝説となったのであろうと推測されているね。
〈阿部〉 創価学会や憂宗護法同盟は、それが判りきっていて誹謗に用いるとは、日亨上人を愚弄していると言うほかないですね。
〈早瀬〉 また日応上人の御指南についても、これは万々が一、柚野浄蓮への御相承ということが仮にあったとしても、それで本宗の血脈相承が途絶えたことにはならないということを強調されたものと拝すべきだね。特に創価学会が鬼の首でも取ったかのように「日応上人が血脈は在家に相承してもよいと言った」と言うのけまったくの誤解だよ。たしかに相承すべき相手がなければ、俗男俗女であってもよいと述べられ、柚野浄蓮は白衣(在家)であったとされている。それは何としても日蓮正宗の血脈法水を絶やしてはならぬが故の仰せだが、ただし、もし在家の浄蓮が本当に相承を受けるとすれば、それは当然出家した後でなければならぬとの意味を、「浄蓮の新発意」とのお言葉で示されているんだよ。要するに緊急やむを得ぬ場合は、信心のある者を出家せしめてでも、血脈相承を継がせなければならないとの意味であり、絶対に日蓮正宗の血脈法水が途絶えることはないことを仰せられた御指南と拝すべきことは言うまでもないね。
〈司会〉 次に『法主詐称』は、52世日霑上人の3度の御登座について、大石寺に権力争いがあった証拠などと繰り返し誹謗していますが。
〈藤本〉 まったく邪推もいいところだと思うね。権力争いの中にいる人間は、世の中のすべてが権力争いのように見えるのだろう。日蓮正宗の御歴代上人は代々順序乱れずに血脈を承継あそばされることが理想だが、御歴代上人と雖も生身のお身体であられるし、さらに様々な事情もあられるのだから、止むを得ない緊急の場合には、御先師に再度、再々度御登座をいただくことも当然あるわけだよ。
〈菅野〉 その通りですね。日蓮正宗にとって何よりも大切なことは、血脈不断と広宣流布へ向けての宗勢の興隆にあるわけだから、その上から、御隠尊御当代了解のもとに、宗内の願いを受け再住、乃至再々住なされることがあっても何も不思議ではないね。
〈阿部〉 御高徳な日霑上人が、仏法興隆のため、宗内の求めに応じてやむを得ず再登座あそばされたことを、権力争いなどと、まったく許せぬ誹謗です。
<近世の御法主上人に対する無慙(むざん)な悪口雑言>
〈司会〉 『法主詐称』では、58世日柱上人の御退座に関して、60世日開上人、61世日隆上人を悪し様に誹謗しておりますが。
〈藤本〉 日柱上人の御退座の件は、これまでも創価学会や離脱僧らが、さんざん宗門に対する誹謗の材料として取り上げてきたことです。しかしこの件の真実は、日蓮正宗の血脈相承が清浄であることを証明しているのであって、彼らの悪口は上辺の姿だけを取り上げ、それを曲げて誹謗したものと言うべきだね。
〈早瀬〉 その通りですね。当時のことについては御法主日顕上人猊下より、平成4年の「全国教師講習会」において、
「衆義が色々と出て、それを日柱上人が深くお考えあそばされた上で、ここは私が退いたほうが御法のためになるとの、自らの深い御思慮の上からの決断であったと拝するのであります」(大日蓮 560号)
と御教示賜っているように、血脈御所持の御立場として、御自らの御判断をもって御隠尊あそばされたのだから、けっして本宗の血脈の尊厳が損なわれたわけではないね。
〈阿部〉 歴史の進歩の上から見ますと、当時の日本は近代民主主義の濫觴(らんしょう)期で、未だ未熟な面があり、それが不消化を起こした不幸な例が宗門における日柱上人の御退座問題ではなかったかと思いますが。
〈八木〉 世法的にはそう見えるかもしれないね。しかし仏法から言えば、日興上人が御遺誡あそばされる「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」の意義の上からも、先ほどの御法主日顕上人猊下の御指南の通り、日柱上人は衆義の内容をよくよく思惟あそばされた上で、大聖人様の御法に照らし、また宗門のために、最善の方途としてその衆義を用いられたというべきではないかな。
〈菅野〉 そしてその結果、御退座を決意あそばされた上から、日柱上人は57世日正上人からお受けした血脈を、粛然と日亨上人に対して相承あそばされたわけです。その柱師のお心を拝すると、本当に有り難い。結局は日柱上人の御仏智を深く拝された大きなお心により尊い血脈法水が護られたわけだね。
〈司会〉 それに対し、『法主詐称』では、その日柱上人をはじめ、当時の宗門の大部分の僧侶の代表として60世日開上人を黒幕などと悪し様に誹謗しておりますが。
〈藤本〉 要するに彼らは日蓮正宗の血脈法水を破壊することが目的だから、そのためにはすべてを誹謗するわけです。日柱上人に対しても「評判の悪い法主」などと悪口の言い放題だね。しかし、上人は宗学においても他の学問においても傑出しておられたと伝えられており、宗内の皆が、今日まで日柱上人の尊いお心をけっして忘れていないことは、剛直な上人のお書きものが現在も歴史のある本宗の寺院に珍重されていることからも判るね。
〈早瀬〉 また日開上人が日柱上人御退座の策謀の黒幕だったなどとはまったくでたらめだね。たしかそんな策謀を本宗に反逆したある僧侶が目論んだことがあったとは聞いているが、日開上人がそんな策謀をなさるお方でないことは宗内に周知の事実だよ。
〈八木〉 そう。御先師日達上人も日開上人を「上人は資性篤実で、謹厳至誠の方」と追憶しておられるし、また日達上人が監修あそばされた日蓮正宗布教会編の『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中にも、「日開上人は性来非常に謙譲な御方であって、むしろ謙譲過ぎられると一般から言われていた方である」との記述があるね。創価学会が「天魔」などと口を極めて誹謗するのは、日開上人が御当代日顕上人猊下の実父であられること以外に何も理由はない。日顕上人への憎悪が日開上人へも向けられているわけだね。本当に許されないことだ。
〈司会〉 次に『法主詐称』では61世の日隆上人に対してもひどい悪口を並べていますが。
〈阿部〉 この日隆上人への悪口もまた、本当に許せない誹謗ですね。御当代日顕上人猊下には創価学会や自称正信会、顕正会などの日蓮正宗に反逆した異流義の者共から事実無根の誹謗を限りなく受けておられますが、日隆上人の場合も同様な状況にあったのでしょうか。
〈菅野〉 そうだね。日隆上人というお方は、かなり闊達な御性格であられ、56世日応上人の御信頼を受けて種々宗務行政にも携わられ、辣腕を振るわれたと聞くから、かなりの毀誉褒貶(きよほうへん)を受けられたようだ。
〈藤本〉 相手を貶(おとし)めるにはスキャンダルをでっちあげることが一番効果的なわけだからね。御当代日顕上人猊下に対する異流義の者たちの誹謗もまったく同様だが、要するに正法に敵対する者共は、卑劣な手段を用いて日蓮正宗にダメージを与えようと画策するわけだ。日隆上人も新聞記事などでそのような卑怯なスキャンダル攻撃をお受けになられたのだね。
〈八木〉 先に掲げた『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中には、この日隆上人誹謗記事の件についても、まさに隆師を葬るための誹毀讒謗を受けられたものであり、やがてそれが判明するであろうと述べられています。
〈司会〉 これらのことが判っていながら、御歴代上人を悪し様に罵る創価学会や憂宗護法同盟の者たちは、まさしく悪逆忘恩の徒輩と言うほかありませんね。

―創価学会・憂宗護法同盟を破折する―
―御相承の本義をねじ曲げる創価学会―
―不遜極まる血脈軽視の大謗法発言―
(『大白法』H16.3.1)
昨年の本紙10月1日(630)号を皮切りに、これまで4回にわたって掲載してきた当座談会では、総監・藤本日潤御尊能化をはじめとする御僧侶方に御出席をいただき、創価学会・憂宗護法同盟による血脈相承への疑難・誹謗等に対して徹底的に破折していただきました。
そして第5回の今回も引き続き、最終回として彼らの悪書『法主詐称』等における邪難を、完膚無きまでに徹底的に破折していただきましたので掲載いたします。
座 談 会 出 席 者
日蓮正宗総監・常泉寺住職 藤本日潤御尊能化
宗務院庶務部長・法道院主管 早瀬日如御尊能化
大石寺主任理事・妙泉坊住職 八木日照御尊能化
大宣寺住職 菅野日龍御尊能化
宗務院庶務部副部長・妙國寺住職 阿部信彰御尊師
<唯授一人の血脈相承への妄言>
〈司会〉 『法主詐称』では「唯授一人の血脈は、それを継承する法主一人の力、働きで維持厳護されてきたものではない」とか、「法主と当時の大衆(僧俗)が、ある時はせめぎ合い、ある時は補い合い、共同の連関作業として『唯授一人の血脈』を成立させてきた」などと述べておりますが。
〈八木〉 そのようなことは改めて言うまでもない、当然のことです。「せめぎ合い」などという彼らの言葉は誤りだが、仏法には師資という言葉がある通り、資には広く門下の大衆も含まれる。弟子である僧俗が、師の御法主上人をお資け申し上げ、僧俗異体同心して広宣流布・令法久住をめざすことが宗門本来の在り方なのだからね。
〈藤本〉 その通りだが、だからといって、創価学会一味のように、師の立場にあられる御法主上人と弟子の僧俗との関係を対等のように考えるのは不遜極まりないよ。日興上人が「血脈の次第 日蓮日興」の御相伝の上から、後代の門家一同に「極理を師伝し」と御遺誡せられる通り、大聖人の仏法の極理を師伝あそばされるお方はあくまでも唯授一人の御法主上人にあらせられるわけだからね。
〈阿部〉 特に彼らが現宗門に対して、「あらゆる時代を通じて実在した無数の相互の力関係を見捨て、切り捨ててしまった」などと、まるで宗門が過去の大衆(僧俗)を無慈悲にも見捨てたように非難することは、まったく道理にも史実にも合わない、でまかせの妄言ですね。
〈早瀬〉 その通りだよ。宗門は御法主日顕上人猊下の御指南のもと、大石寺開創700年から12年間の僧俗一致の精進により、宗旨建立750年法華講30万総登山を見事に達成することができたが、この広宣流布大前進の功績は、悠久750年の歴史を築いてきた日蓮正宗僧俗全員に帰することは言うまでもないね。むしろ宗門は過去の僧俗の功績を最大に顕彰していることになるわけだよ。彼らの恨みがましい「切り捨てた」との文言が、自分たち創価学会が破門されたことを指すのなら、これは日興上人の身延離山の御精神からも切り捨てられて当然だ。謗法厳誡正法護持に、末法万年の一切衆生の成仏がかかっているわけだからね。
〈菅野〉 それに関連することだけれども、戦後の宗門において、第2代会長・戸田城聖氏の指揮のもとに、創価学会が広宣流布に大きく貢献したことは否定できないが、その戸田会長は岡山妙霑寺の入仏落慶法要の折、総本山65世日淳上人に対して、「将来、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」と申し上げている。この戸田会長の言からすれば、あの昭和52年度路線の謗法逸脱についての御先師日達上人に対するお詫びを無慙にも反故にし、その上、あろうことか御当代日顕上人猊下への血脈相承を否定して、下種三宝を破壊せんとした池田創価学会は自ら解散すべきであり、解散しないのだから破門されて当然だね。
〈八木〉 それと、宗門には創価学会が誹謗するような法主絶対などということはないし、御当代日顕上人猊下を現人神のように敬っているとか、宗内の僧侶が御法主上人の威圧を恐れ、盲目的に恭順の姿を装っているなどという批判も彼らが創作した大嘘だね。宗門は御法主上人猊下の御指南のもと僧俗一致、勇気凛々と「『立正安国論』正義顕揚750年」の佳節をめざして大前進していることが、顛倒した彼らには見えないのか、あるいは見えても悔しくて見えないふりをしているんだろうな。
〈阿部〉 次に『法主詐称』では、堀日亨上人が「血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙」(大正12年)の中で、「『信仰の対象』と『尊厳の対象』とを明確に区別されている」として、現在の宗門があたかもこれを混同しているかのように誹謗し、「『仏法と御本尊に対する信仰』と、『法主に対する尊厳』、この2つは混同してはならない」などと述べています。日亨上人の御文にはそのような文言は見当たりませんけれども、与えて論じても、宗門にそのような混同などありませんね。
〈藤本〉 言うまでもないね。前にも取り上げたが、池田大作の「あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」(『聖教新聞』昭和54年5月4日付)との言葉の通りだよ。御歴代上人を単に「尊厳の対象」とするのは、歴代の御法主上人の僧宝としての外用のお立場を意味するものだな。それに対して、御本尊の法体の血脈相承を受けられた上での御法主上人の御内証の辺は三宝一体であり「信仰の対象」に含まれることは当然だよ。その辺の法門の立て分けが理解できないんだな。不信心の彼らには。
〈八木〉 御法主日顕上人猊下を「狂乱」などと、とことん罵詈讒謗する悩乱した連中ですから、その辺の甚深の法門を領解することは土台無理でしょうね。彼らは宗門が御法主上人の御指南のもと、一糸乱れず僧俗一致、広宣流布に邁進している状況が、悔しくて悔しくて仕方がないんだろうな。自業自得とはいえ哀れな者たちだよ。
〈司会〉 次に彼らは「血脈相承の本義」などと掲げて、日亨上人が血脈相承について何か問題を提起されたように述べていますが。
〈早瀬〉 彼らが言う日亨上人の御指南とは、先程話に出た「血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙」のことだね。しかし、日亨上人は決して血脈相承について問題があるなどとはされていない。むしろ逆にいろいろな考え方ができると挙げられた上で、それらは局外者の抽象的な議論であり、宗門教権の大事を批判すべき基準にしてはならないと制御されていたと思うよ。
〈菅野〉 たしかに日亨上人はその御指南の中で、15世日昌上人から16世日就上人への御相承についての例を考察されています。これは就師は昌師の御臨終に間に合わず、御相承の儀式は行われなかったが、昌師から就師への御相承は既に20年以上前の慶長12年に決められたことであり、以後就師は何度も大石寺へ登ったとされ、かかる法の内付の意義の上から、日亨上人は就師を「適確の権威」ある「実人」と呼ばれたものだね。そして次に御相承の儀式を法式と呼ばれ、法式は単なる形式に過ぎないのだから、昌師から就師への内付による御相承は、相承の儀式はなかったとはいえ血脈断絶にはならないとされているね。
〈八木〉 そう。日亨上人は、そこまで周到に血脈相承の意義を論証なされた上で、「作法にのみ大権威存在して実人は何人でも宜いと云ふ事ならば」と述べられ、御相承の儀式にのみ権威があるとするのなら昌師から就師への場合は血脈断絶になるとされ、そしてまた、血脈相承が、「適格の権威ある実人」と「御相承の儀式」の両方を不可欠とするものなら、昌師から就師への場合は法水が一時枯渇したことになるとも言われる。そして、その上で、このように考えること自体、局外者の議論、すなわち信仰のない外部の者の議論であり、宗門の教義の根本に対する批判に用いてはならぬとされているわけだね。
〈阿部〉 ということは、日亨上人は、本宗の血脈相承の根本的な要件は「適格の権威ある実人」にある、すなわち御先師からの実質的な付法こそが血脈相承の真義であると考えておられたことが明白ですね。
〈藤本〉 『法主詐称』では「嘘をついて登座した日顕は、その出発点からして『嘘人』である」などとし、信・行・学を怠れば、法主といえども「実人」から「嘘人」に転落するなどとして、御法主日顕上人猊下を誹毀讒謗しているようだが、御先師日達上人による御当代日顕上人への法の内付が厳然たる事実であることは、御法主上人の御指南はもとより、これまでに様々な立場の宗門の僧侶が証明しているし、さらには創価学会池田大作の御法主日顕上人に対しての10年間に及ぶ無数の尊重讃歎・信伏随従の言葉もこれを裏付けているね。したがって、日顕上人はまさに日亨上人仰せの「適格の権威ある実人」であられるわけだし、信・行・学の観点からも、彼らの言う「嘘人」などではなく、宗内随一の「実人」であられることは言うまでもないね。
<日亨上人の血脈観への冒涜>
〈司会〉 『法主詐称』ではさらに、日亨上人が昭和26年に身近にいた僧侶に「柱師が知っておられるほどの相承は、ワシはすでに知っておる。何も3千円で相承をわざわざ買う必要などない、だから3千円の相承はワシには必要ないと突っぱねた」と発言されたなどとしていますが。
〈八木〉 謹厳な日亨上人が、そのような不謹慎極まる発言をされるはずはないね。この連中は日亨上人が御存命でないのをいいことに何でも言いたい放題だね。もし日亨上人が言われたとすれば、「宗門として3千円を日柱上人に差し上げる件は、あくまで御隠居料としてであって、御相承に対する対価などではない」という意味ではなかったのかな。
〈司会〉 そう思います。大正15年3月8日の日柱上人から日亨上人への御相承の儀式は、大石寺客殿において厳粛に執り行われたことが記録にも明らかです。
〈阿部〉 さらに『法主詐称』では、日蓮正宗の血脈相承を誹謗して、日柱上人は堀上人に伝えるべきものは何もなかったとか、同じく昭和26年の冬に、日亨上人が日柱上人を「信仰もなく学も行もない、親分・子分の関係を強いているヤクザの貫首」と批判したとか述べていますが。
〈菅野〉 この発言もまったく日亨上人の御言葉とは考えられないね。それというのは、日亨上人は昭和2年11月20日に宗内僧俗に対し、管長辞職の経緯につき告白されているが、その中で、日柱上人については、「大正4年に日柱師を学頭に推挙するの主動者となりてより同12年に58世の猊座に上らるまで直接に間接に力めて障碍なからしむるやうにした」と述べられているからだよ。この御言葉は日亨上人の日柱上人に対する信頼と評価を示していることは当然だよ。もし日柱上人が本当に「信仰もなく学も行もない、親分・子分の関係を強いているヤクザの貫首」のような方であったのならば、日亨上人ほどの正義感の強いお方が、自ら中心となって日柱上人を学頭に推挙されたり、さらにそれだけではなく、種々助力なさるはずなどないではないか。
〈阿部〉 『法主詐称』で創価学会側が述べている日柱上人に対する日亨上人の激烈な悪口が、まったく事実と異なるでっち上げであることがよく判りました。両上人に対して本当に恥知らずな無慙なことを平気で行う連中ですね。
〈司会〉 『法主詐称』はさらに日亨上人が51世日英上人の言葉を引き合いに出して、「嘘つきの法主は論外」と語ったとして、御法主日顕上人猊下を誹謗する根拠としていますが。
〈早瀬〉 これもいい加減な伝聞に過ぎないわけだ。悪意でねじ曲げた内容だから、仮に日亨上人に何らかの発言がおありだったにせよ、最早、日亨上人の仰せとは到底言えるものではないと思うよ。まして日亨上人が「いずれそのうち、平僧や信徒を迫害しぬく猊下も出てくることだろうよ」と仰せられたなどということは、前の例と同じで絶対に有り得ないね。堀上人にかこつけて、まさに創価学会が言いそうなことだよ。
〈阿部〉 次に『法主詐称』で創価学会側は、先に出た日亨上人の「血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙」の冒頭に、「吾宗本山代々貫首の血脈相承と云ふ事が頗る高潮せられたり、又大に冷評せらる事があるやうである」と書かれていることにつき、これが堀上人の血脈についての見方の基本だとして、御法主日顕上人猊下を「破器」だの「汚器」だのとする誹謗に結びつけていますね。
〈八木〉 しかし彼らが御法主日顕上人が述べたとする「学や徳がなくても、相承を受けた者はみな生身の釈迦日蓮になる」などという御指南をお聞きしたことはないね。これは『続家中抄』の書状中の文言だよ。まったくいい加減なことを言う者たちだ。宗門の者なら誰でも『御本尊七箇相承』の「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(日蓮正宗聖典379頁)の御相伝は領解奉っているし、それは御内証として拝すべきことも充分に領解している。過去の池田大作の発言の通りだよ。御法主上人が血脈相承につき御指南せられたとすれば、その御内証の意義を述べられたものであることは言うまでもないね。
〈阿部〉 また彼らは『法主詐称』で、日亨上人が、「口伝なるものは完器にして始めて可能」と述べたなどとして、京都・要法寺出身の御法主が9代、100年間続いたことを破器・汚器になぞらえて暗にその間は口伝がなかったように論じ、その後にお出ましになった日寛上人を完器とするのが日亨上人の見解であるとしておりますが。
〈藤本〉 それもまったくの誤りだよ。日亨上人は彼の「血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙」の中で、京都・要法寺から大石寺御歴代に登られた第16世日就上人について、「若し実人に適格の権威あらば授受の作法は此を結成するの型式に過ぎざるから就師のような場合でも、血脈断絶法水壅塞の不都合はない訳である」と述べられているね。すなわち日就上人について「適格の権威ある実人」と見なされているわけだ。もし破器や汚器だと思っておられれば、実人と仰せになるはずがないんだよ。
<御法主上人猊下を管理人とする邪論>
〈司会〉 次に『法主詐称』では二箇相承を挙げて、この2つの相承が日蓮大聖人の御相承の原点だとした後に、「法主は『一閻浮提総与』の御本尊の管理者」であるとして、御法主上人猊下を単なる大御本尊の管理人にすぎないように述べていますが。
〈菅野〉 二箇相承はたしかに日蓮大聖人の仏法を総括的に日興上人へ御付嘱あそばされた重要な相承書だが、『御本尊七箇相承』など、法体法義の重要な相承書は他にも存するわけで、二箇相承以外は御相承書としての意義を認めないという態度は誤りだね。
〈早瀬〉 また彼らはここで、日蓮正宗の御法主上人猊下を国宝を所蔵する博物館の館長と同列に見なして、「貫首とは、あくまで大法の流布を宗祖から預託された管領者に過ぎない」とか、「『弘通の大リーダー』であることが日蓮大聖人からの『相承』の原則」などとしている。要するに御法主上人猊下の僧宝としての外用のお立場のほかは認めないということだよ。「弘通の大リーダー」はまだしも、御法主上人を博物館の管理者のように言うのはまったく摧尊入卑だ。いったい、博物館の館長に国宝とまったく同じ価値を有する作品を作る能力があるのかと言いたいね。
〈藤本〉 その通りだよ。たしかに僧宝としての御歴代上人の重大な使命が令法久住にあられることは言うまでもないが、『御本尊七箇相承』に記される通り、御法主上人猊下の御内証の辺は日蓮大聖人と拝すべきことは当然のことです。だからこそ、本門戒壇の大御本尊の仏力法力を余すところなく具え給う御本尊を御書写あそばされるわけだからね。ただの管理人がそのような力を具えるはずはないね。
〈司会〉 次に『法主詐称』では、御法主日顕上人猊下に対して、「廃嫡処分」だ、「錯乱した嫡子」だなどと狂乱としか思えない暴言を吐いておりますが。
〈八木〉 彼らは「血脈の次第 日蓮日興」の『身延相承書』や、『原殿書』などを引いて、唯授一人の血脈の本義は「聖人の御義」であり、「本師の正義、本懐」であるとし、それに対して、宗門では「大聖人の仏法の化儀化法の一切の決定権は時の法主一人にある」とするのは、根本とすべき「聖人の御義」に反する法主絶対化だと批判するわけだね。
〈菅野〉 その彼らの考え方には大きな誤りがあると思う。それは根本の「聖人の御義」は一体誰が伝えたのかということだよ。いかに「聖人の御義」が尊くとも、邪宗身延派の五老僧やその大衆が預かれば、「謗法の汚泥にまみれた邪義」と化してしまったことは言うまでもないからね。
〈早瀬〉 そこに日興上人以来の宗門の血脈相承の尊さがあるわけだ。たしかに『日興跡条々事』に、
「一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布
を待つべきなり」(御書1883頁)
と仰せのように、日目上人以下、御歴代上人のお立場は、宗門を統率し、総本山を管領して、広宣流布の時を待つという住持の僧宝のお立場を面とすることは当然だが、その一辺しか見ることができないのは不信心による痴煩悩というほかないよ。再往、大聖人の下種仏法における法体法義の一切を御相承あそばされる唯授一人の御内証から、御本尊を御書写あそばされるわけだし、また様々な時代における様々な事態に対応して、教義を裁定し、大衆を教導あそばされるところに血脈付法の御法主上人の尊いお役目がおありになるのだから、その全体的なお立場を拝することができず、これを法主絶対化などと誹謗するのは、創価学会が身延同然邪宗となった証明だね。
<我田引水の御書解釈>
〈阿部〉 次に彼らは『観心本尊抄』の、
「当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(御書661頁)
との御文を挙げて、地涌の菩薩の働きとして、折伏は賢王の立場が主体となり、摂受は僧の立場が主体であるから、賢王と僧の二者は同格であるとし、むしろ折伏をして広布を推進する主体は在家なのだから、僧に含まれる唯授一人の血脈といえども在家と対等だと論じていますが、この御文についてこのような解釈をするとは、本当に莫迦につける薬はないと言うべきではないでしょうか。
〈菅野〉 というよりも、まったくの我田引水だね。彼らはすべて自分たちに都合のよいように御書を解釈するわけだよ。たしかこの御文について日寛上人は、『観心本尊抄文段』に「化儀の折伏」と定義され、涅槃経の仙予国王等の文を引かれて、未来に順縁広布を迎え、賢王が刀剣弓箭鉾槊等の武力をもって愚王を誡責する時のことを判じられた御文かと解釈なされていたね。
〈早瀬〉 その意義からすれば、未だ順縁広布の大闘諍の時とも言えない現在の段階で、この『観心本尊抄』の御文を勝手に解釈して、賢王は在家を意味するから信徒が中心となって折伏を行い、僧は出家のことだから摂受を行ぜよなどと単純に定義することは誤りだね。有徳王が悪王と戦い身命を捨てて覚徳比丘を守ったような賢王による折伏は未来のことなのだから、それまでは、いたずらにこの御文にとらわれることなく、僧俗ともに折伏に精進すべきだと思う。
〈藤本〉 その通りだね。大聖人様は『如説修行抄』に、
「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひ無し」(御書673頁)
と仰せだ。この「誰人にても坐せ」の中には、僧侶も信徒も含まれることは当然だよ。折伏についての御指南は他にもたくさんある。忘れてならないのは、大聖人様は僧俗弟子檀那に対して、大聖人様と同様に三類の強敵を呼び起こすほどの強折を行うように、「折伏して御覧ぜよ」と仰せられていることだね。
〈阿部〉 そしてその僧俗一同が行うべき折伏を、『観心本尊抄』では賢王による未来順縁広布の時に望んで、敢えて「摂受」と呼ばれているわけですね。とすれば、自分たちが賢王であるかのように論ずる創価学会一味の御書解釈は何ともいい加減で杜撰極まりないものです。もっとも彼らが何と自慢しようと、有徳王なら必ず護るべき覚徳比丘の宗門を、護るどころか反対に壊滅させよと叫んでいるのだから、創価学会は永遠に賢王にも有徳王にもなれないことは当然ですね。
〈八木〉 御法主上人猊下は去る昭和62年の『観心本尊抄』の御講義において、
「正法を受持する者はすべて地涌の眷属でありますから、一人ひとりが『此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す』という御文を拝して、深く自他に対する正見をもって進むべきだと思うのであります」(『大日蓮』530号)
と御指南なされている。四菩薩の命は我々一人ひとりにも具すわけだから、我らは折伏弘通に際しては常に折伏と摂受の両面を心がけて前進すべきだと思うね。
<血脈相承に対する摧尊入卑>
〈司会〉 その通りだと思います。ところで彼らは、『日興跡条々事』に目師を「嫡子分」と表現していることを根拠に、血脈相承を家督相続に当てはめて述べていますが。
〈菅野〉 血脈相承を、嫡子が家督を相続することに準えるのは一見正しいように思えるが、やはり間違いだね。というのは、家督相続の要件は長男であるとか、財産管理能力であるとかいろいろあったと思うが、血脈相承はそうではない。大聖人が五老僧に相承なされなかったのは単なる世間的能力の問題ではなく、下種仏法に対する師弟相対の唯我与我の領解によるわけだ。血脈相承をもって付嘱される法体の伝持が、単なる世法的な財産の相続とはまったく違うところは、末法万年にわたり、ちょうど今回の創価学会問題のようなことがあっても、決して濁らせることなく清浄に伝えなければならないことだね。
〈早瀬〉 彼らは続いて、家財を浪費し、疲弊させ、崩壊の危機を招くようなら、嫡子であっても廃嫡されるように、創価学会を破門した御法主日顕上人は廃嫡されるべきなどと述べているね。しかし、かつての昭和52年度路線の折の反省懺悔と日達上人へのお詫びを無慙にも反故にして、再び反逆忘恩の徒となり、宗門への誹毀讒謗を繰り返して三宝壊滅を狙う創価学会が、破門処分を受けたのは当然のこととするのが日蓮正宗僧俗の一致した揺るがぬ見解だよ。
〈八木〉 彼らは愚かにも、怨嫉と憎悪に狂い、堕地獄の道を歩んでいるが、それに対し、宗門は「『立正安国論』正義顕揚750年」をめざして真の僧俗一致をはかり、奉安堂を建立して総本山を荘厳し奉り、広宣流布への道を隆々と大前進している。たしかに創価学会自体は永遠に宗門に戻れないが、一人ひとりの学会員は、当然だがいつでも日蓮正宗へ戻れるわけだ。創価学会の邪義を捨てる勇気さえあれば、法華講に入講して、晴れて総本山大石寺へ参詣し、本門戒壇の大御本尊に御目通りも叶うのだよ。元日蓮正宗信徒として広布に励んだ方々が、一日も早く正信に目覚めることを祈るばかりだね。
〈阿部〉 創価学会員や離脱僧たちは、御法主上人猊下へのくだらぬ悪口などいい加減にやめて、自分の足元をよく見た方がいいですね。そのうちぱっくり大きな口が開くだろうから。それが恐ろしければ、早く懺悔して、血脈付法の御法主日顕上人猊下に信伏随従し奉り、法華講員として一から清々しく仏道に精進すべきですね。
<「宗祖の血脈観」なるものの誑惑>
〈司会〉 『法主詐称』のねじ曲がった言い分もだんだん終わりに近づいてきましたが、ここで彼らは「宗派の血脈観」を徹底して解体し、「宗祖の血脈観」を回復するなどと壮語していますが。
〈八木〉 ここでの彼らの言い分は「正信会」久保川法章の「血脈二管説」と、「顕正会」浅井昭衛の「正統貫首再生論」を取り上げ、それぞれの要旨を紹介して、血脈が器用に2管に分かれたり、相承がいったん途切れても、正統な貫首が再生すれば血脈が再び蘇るなどという発想は、「相承」に宗教的絶対性を認める旧来の血脈観の域を一歩も出ていないと批判し、血脈と法財を分離させた創価学会側の血脈観こそ宗祖の血脈観だとするものだね。
〈阿部〉 要するに、目くそ鼻くそを嗤(わら)うの類ですね。「正信会」や「顕正会」の血脈観と「創価学会」の血脈観にどれだけの差があるというのでしょうか。我が儘勝手な邪信論者たちの言なのだから、それぞれ趣旨は違っても邪説に変わりはないと思いますね。
〈菅野〉 彼らの血脈観と称するものは、結局は先程の博物館の国宝と一緒で、大聖人の御法を法財と呼び、相承とはその法財の「申し送り・継承のあり方」に過ぎないとするものだね。すなわち宗祖の法財とは「仏の側」に属し、申し送りの在り方は「衆生の側」に属するとし、申し送りに不手際、ギクシャクが起きても、宗祖の法財そのものには何らの損減を与えるものではないと言うわけだ。
〈早瀬〉 しかし、そういう考え方は唯物主義に近いし、結論的には謗法になるな。なぜなら、もしそのように考えるとすれば、身延や池上にある法財、すなわち宗祖の真筆御本尊を拝んでもいいことになるからだよ。衆生の側に何があろうが、法財そのものには何の損傷もないと考えるわけだからね。
〈阿部〉 はい。たしかに彼らは、「血脈が切れた・切れてないなどの議論に血道を挙げるのは、実に愚かで、不毛の議論だ。相承の断不断は宗祖の法財とは無縁のものだ」と誹謗し、これが「宗祖の血脈観」だと誑惑しています。
〈八木〉 創価学会の者たちは長い間本宗の信心につきながら、いったい何を学んできたのか。信心の根本がまったく判ってないね。『三大秘法抄』には、
「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家(もんけ)の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間貴辺に対し書き遺し候」(御書1595頁)
と仰せだが、これは三大秘法の法門を書き残しておかなければ、門家の遺弟等が必ず無慈悲の讒言を加えるであろうとの御文だね。では誰に讒言を加えるのか。言うまでもなく、大聖人滅後に血脈付法の日興上人がお立てになるところの三大秘法の法門に対する讒言であることは当然だよ。そう考えれば、「血脈の次第 日蓮日興」の唯授一人の御相承の甚深の意義が明らかに拝されるね。大聖人がどれほど日興上人への付嘱を重大にお考えあそばされたか。
〈藤本〉 その通りだね。大聖人の御法は万一誰も正しく受け継ぐものがおらず血脈が途絶えれば、この世から跡形もなく消え失せる危険も存したわけだよ。大聖人様が「其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存する間」と仰せの通りだね。それを「相承の断不断は宗祖の法財とは無縁」などと、それこそとんでもない無慙極まる誑惑だね。
〈阿部〉 彼らの言う「宗祖の血脈観」などというものがいかに口からでまかせのいい加減なものであり、宗祖のお心を踏みにじる大謗法であるかが明確となりました。要するに彼らは、骨の髄まで利用信心、利用教学だということですね。
一同 まったくだね。
〈司会〉 藤本総監様をはじめ各御尊能化、御尊師には、御多忙のなか、昨秋以来、長期にわたり、邪教創価学会とその走狗憂宗護法同盟の邪義を徹底して破折する貴重な座談会をいただきまして、たいへんにありがとうございました。
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『法主詐称』では、最後に御法主日顕上人猊下に対する悪口誹謗を羅列しておりますので、編集室として、これに対して、まことに恐れ多いことながら御法主日顕上人猊下讃歎の辞を作らせていただきましたので掲載させていただきます。
<御法主日顕上人猊下讃歎の辞>
@宗旨建立750年法華講30万総登山達成・奉安堂建立による「広宣流布」の法礎建立
A六壺・客殿建立を始めとする総本山の荘厳整備
B創価学会の大謗法の徹底した破折と、その残滓の払拭
C全国寺院の法華講支部結成を始めとする日蓮正宗の機構充実
D血脈相承の御法主上人猊下を中心とした僧俗異体同心の確立
E富士学林に大学科の創設等、興学布教の充実
F世界広布の進展
僣越ながら、こうした点を讃歎申し上げ、「『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節における「地涌の友の倍増乃至、それ以上の輩出と大結集」を達成するために、御法主日顕上人猊下に信伏随従し奉り、僧俗一致の精進をお誓いするものであります。

$要法寺の出身の僧が次々と猊座についた(仮題)
第3章 法 脈 濁 乱
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/03/125.html ------------------------------------------------------------ 第125号
------------------------------------------------------------ 1991年5月5日
邪義を立てていた要法寺の出身の僧が次々と猊座についた
9代100年続いたこの史実を法主絶対論者はどう見るか
------------------------------------------------------------ 日蓮正宗の猊座に、他宗派であった要法寺出身の僧が連続9代にもわたって登座されたことは、今日の日蓮正宗の僧俗が刮目しなければならない歴史的事実である。
前号で述べたように、要法寺系9代の最初の猊下となられた第15世日昌上人は要法寺より大石寺に来てわずか2年で猊座に登られている。
この日昌上人が登座された1596年より、8代後の第23世日啓上人が遷座された1692年までの約100年間、京都・要法寺出身の僧が日蓮正宗の猊座に登られているのである。安土桃山時代に始まり、江戸時代までの長きにわたった。
京都・要法寺はもともと、第3世日目上人の弟子である日尊が開いた上行院に始まる。日目上人は国家諫暁のために京都に向かわれる途上、美濃(岐阜県)の垂井で御遷化されたが、お供をしていた日尊は日目上人の遺志を継いでそのまま京に上り、天奏した。その後、日尊は京に留まり、上行院をつくる。
ところが日尊は、その上行院に釈迦立像を安置し脇士として十大弟子を立てるなどして、日蓮大聖人の仏法に背いたのであった。
この京都の上行院と、同じ京都の住本寺を合併して作られたのが要法寺である。この合併をおこなったのは広蔵院日辰で、『造仏論義』1巻、『読誦論議』1巻を著した。『造仏論議』には釈尊の仏像をもって本尊とすべきだと書かれている。また、『読誦論議』には、富士門流(日蓮正宗)が方便・寿量の2品を助行として読むことのみを許しているのに対して、法華経のすべての読誦もさしつかえないとの邪義を説いている。
この広蔵院日辰の邪義こそ要法寺の教学の根幹となっているのだ。この邪義は『造読論』とも略称されている。
広蔵院日辰は、『造仏論義』を著した1558年に、大石寺の第13世法主であった日院上人に対し、日興上人の流れを汲む各派の交流を申し込んだが、日院上人はこれを断られた。
ところが、その次の第14世日主上人の代より、要法寺との交流が始まり、同寺より招かれた日昌上人は、大石寺に来てわずか2年で猊座に登られたのである。
このことについて近代随一の碩学である堀日亨上人が、昭和31年11月号の『大白蓮華』誌上でインタビューに答え、次のように述べられている。
「この大石寺の日主上人と、むこうの要法寺の、當時の貫首との關係が結ばつた。その關係を結んだ人はですね、粟田口の清という人が關係を結んだ。つまり粟田口の清という豪族が取りもつてですね、要法寺から入ることになつた」
つまり日院上人が要法寺との交流を断わったにもかかわらず、次の日主上人は、粟田口の清という豪族の仲介で、要法寺から次の法主とした日昌上人を迎え入れたということである。
「――それから、つづいてしばらく要法寺の人が……。
堀上人 ええ、それから9代。9代ですけれども、それは始めのうちはね、要法寺で、相當でき上つた人がきたです。後にはね精師以後はですな、精師そのものも、でき上つてきたんじやないのです。若いとき、きたのです。そして大石寺にきて、江戸へ出て、そして、偉くなつた。精師以前の人はですね、大石寺にきて大きくなるんでなくて、むこうから大きくなつた成人した人がきたんです。
精師以後の人は、みんな、大石寺にきて大きくなつた。所化できたのが多いですね。ですから要法寺からきたといつても、たゞその、身體をもらつただけです。
――ははあ、實際には、かせがなかつたわけですね。
堀上人 ええ。それですから、學問なんかでもですね。一々要法寺流をもつてきたわけじやないですね。えゝでも、いくらか要法寺の弊害は残つたですね。それをすつかり改めたのが同じ要法寺出の日俊上人、あの人が要法寺から出ていながら要法寺の弊害をキレイに大石寺から洗つた人です。
――この日俊上人が、そういう佛像なんかを壊された。
堀上人 ええ、佛像なんかをとつちやつた」
注目されるのは日亨上人が、富士大石寺の流れに「要法寺の弊害は残つた」と明言されていることだ。
要法寺出身の法主は、第15世の日昌上人に始まり、第16世日就上人(登座1607年)、第17世日精上人(登座1632年)、第18世日盈上人(登座1633年)、第19世日舜上人(登座1645年)、第20世日典上人(登座1652年)、第21世日忍上人(登座1673年)、第22世日俊上人(登座1680年)、第23世日啓上人(登座1682年)まで続く。
当初の日昌上人、日就上人は、高僧をいわばスカウトしたもの、第17世日精上人以降は、所化の頃に富士大石寺に移り修行し登座されたものである。ただしその頃にはすでに、法主を含めた能化の者たちが要法寺系によって占められているのだから、邪義である要法寺の教学の影響はかなりのものだったと思われる。
実際、所化の頃、要法寺より大石寺に移った第17世日精上人は、要法寺の広蔵院日辰の影響により、釈迦像の造立をおこなっている。法主自身が邪義を実践したのであった。
いま創価学会を解体しようとする僧俗の輩は、法主絶対、法主無謬の論を立て、法主に「信伏随従」しないものは、日蓮大聖人の仏法に違背するとしている。
たとえば理境坊(住職・小川只道)の法華講組織である妙観講から刊行されている『暁鐘』(1991年3月号)に、「大御本尊と血脈相承」という文が掲載されているが、その中に次のようなくだりがある。
「時の御法主上人猊下が、大聖人御内証の法体の上から法門の御指南をされる」
この表現は、要法寺系の法主が邪義をおこなった史実に相反する。ここに言われるような「大聖人御内証の法体」が法主にそのままあるならば、邪義を宣揚することなどあるはずがない。このような観念的な法主絶対論は、法主生仏論につながる幼稚な謬見である。法主がこの文のごとく尊極であって欲しいと思う願望と、現実とは違うのだ。
まして同文中の、「日蓮大聖人を仏と仰ぎながら、その御内証の法体を相承された御法主上人の御身を見て云々するのは、大聖人の仏法がわかっておりません」、あるいは「されば、御法主上人の凡夫の御身を見て、これを軽んずる念を起こし、心底からの信伏随従ができない者は、じつに、示同凡夫の大聖人に対しても誹謗の者であると知らねばなりません」などといった記述は、現実ばなれした権威主義の最たるもので、日蓮大聖人の仏法が持つ、生命解放への躍動する力をも権威主義に取り込もうとするものである。
それはともかく、先に引用した日亨上人のインタビューへの回答を読むにつけ、血脈の付嘱を受けられた当の日亨上人が、血脈にかかわる信徒の質問に平気で答えられていることに驚く。日亨上人の血脈観・法主観が、このような話を公にしてもさしさわりのないものだったことがうかがえる。
同時に、いまの日顕上人らの権威主義は、本来の血脈観・法主観とはまったく無縁のものであることもよくわかる。しかも、かつては法主と信徒が血脈や相承について話せる気風が、日蓮正宗にもあったのである。果していまはどうであろうか。
最後に、幻想たる観念的な血脈観に依るべきではないと指摘しておく。かかる幻想的な血脈観に依拠した法主絶対論をふりまわす前に、日蓮大聖人御在世より700年を経た今日、創価学会が出現し、戒壇の大御本尊様のもと、歴代会長を総大将とし地涌の菩薩が陸続と集いよっている現実に注目すべきである。
700年の時のへだたりを超え、広宣流布を現実のものにするため、地涌の菩薩が仏法史上未曾有の折伏戦を展開している。これこそなによりの不思議である。ここに日蓮大聖人の大慈悲、仏法の偉大さを見るものである。

$血脈相承について(抜粋)
http://nakanihon.net/nb/ketumyaku.html *6世日時上人と7世日阿上人の間、及び、7世日阿上人と8世日影上人の間 この3上人は、室町時代を生きました。
実のところ、日阿上人の事歴は不明であり、歴代への晋山年月日もはっきりはしておりません。しかし日有上人の筆になる「御歴代忌日表」という書物に「日阿上人三月十日」と記録されていますから、歴代に間違いはないようです。
江戸時代初期頃の貫主であった17世日精上人が「富士門家中見聞」(通称家中抄)という書物を残されています。この書物は、日興上人を始めとして、上代の諸上人、及び大石寺18世日盈上人までの歴代上人の事歴を記録したものです。内容自体は虚実入り混じっていて、取るべき内容、捨てるべき内容があります。近年の学匠である59世日亨上人(以下、堀上人と呼ぶ)などは、辛辣にこの書物の内容を批判しています。が、それでも歴代の事歴を記した古書であるという点から資料的価値があり、捨てがたいのも確かです。
この家中抄には、日阿上人について次のように述べています。
「伝説によると、日阿上人は貫主の代官であって、正式な貫主ではないとのことだが、私(日精)には正式な貫主であったようにも思われる」と。
江戸時代中期頃の貫主に31世日因上人がいます。この日因上人が「日有上人物語佳跡聴聞」(通称 物語抄・佳跡)という書物を著しています。この書物には、日阿上人について次のように述べています。
「六世日時上人が血脈相承をされずに遷化された。そこで日阿さんが血脈相承をあづかり代官となって日影上人を招こうとした。が、日影上人が到着する前に日阿さんも遷化した。日阿さんは遷化前に柚野浄蓮という在家に血脈相承をあづけた。
この柚野浄蓮が日影上人に血脈相承を渡した」
と。
が、堀上人はこの説を一蹴されています。かといって真相はどうなのかという点については『阿師代官説も事実であろうけれども、有師の歴代記に載せてあれば法脈を受けた人に相違なしと見るべきである』というのみです。
日阿上人が正式な貫主であったのか、それとも代官であったのか。日阿上人はいつどうやって日時上人から血脈相承を受けたのか。日阿上人はいつどうやって日影上人に血脈相承を授けたのか。この点については不明のままです。
そうした真相問題以上に注目すべきは、17世日精上人にしても、31世日因上人にしても、あまりにもあっけらかんと血脈相承の断絶を語られているという点です。大石寺貫主自らが自門の不利を語っているのです。こうした態度は、阿部宗門にとっては驚天動地の思いでしょう。しかし、我々は、この点において、現阿部宗門教学とは大いに相違して、先師方の血脈相承観は、もっと大らかな認識であった事を知るのです。且つ、血脈相承の形式的断絶があっても、我が門流の血脈にはいささかの断絶もあり得ないと確信されていたことを知るのです。
*8世日影上人と9世日有上人の間 この両上人は、室町末期から戦国時代を生きました。戦国の到来を告げた「応仁の乱」は日有上人の時代の出来事です。日有上人は長命で81才まで生きられました。宗門が発行している「富士年表」によりますと、日有上人が血脈相承を受けた年齢は20才前後となります。血脈相承を受けてから約60年間生きられたわけです。
前出の家中抄には、日影上人から日有上人の血脈相承について次のように述べています。
「日影上人が遷化する時、血脈相承を伝えるべき適当な人物がいないと日影上人は歎かれた。そして、柚野浄蓮という在家に血脈相承を授けた」と。
つまり、この説に従うならば、日有上人は柚野浄蓮から血脈相承を受けたということになります。
これについて、堀上人は、「日有上人はきっと日影上人から直接に血脈相承を受けられたに違いない。柚野浄蓮という人が日影上人と親密であって、若い日有上人をも補佐していたのだろう、そんな事情からこうした伝説が生じたのであろう。それを確認もしないで日精上人が漫然と筆にした」と、この説を退けられて、日精上人の軽率を責められています。
しかし、かといって、堀上人は自説を立証できる文献を何も出されてはいません。要するに真相はヤブの中というところでしょう。日影上人と日有上人の間は不明というのが本当のところですが、日有上人が血脈相承を受けられたことに間違いはありません。
*9世日有上人と10世日乗上人・11世日底上人の間、及び日鎮上人の間 これら上人方は戦国時代のまっただ中を生きられました。
日乗上人と日底上人の事歴は全く不明です。家中抄には『伝を失った』とあります。ただ大石寺過去帳に両上人ともに「文明四年(1472)遷化」と資料が残っているだけです。
日有上人の遷化年代には諸説がありますが、堀上人の説に従いますと「文明十四(1482)遷化」です。富士年表もこの説をとっています。
そうしてみると、9世日有上人が血脈相承した10世日乗上人と、その日乗上人が血脈相承した11世日底上人は、日有上人より前に遷化されたことになります。12世日鎮上人を決定したのが、11世日底上人であったのか、それとも隠居の日有上人であったのかは定かではありません。
10世、11世の歴代が遷化したのち、血脈相承を授ける適当な人物がいなかったのでしょうか、
12世日鎮上人は、幼い年齢で血脈相承を受けました。血脈相承を受けた年齢については3説があります。「4才」「10才」「16才」です。いづれの説をとるにせよ幼年であることに変わりはありません。ですから他門は「稚児貫主」といってバカにします。幼年の日鎮上人を後見役として支えた人に南条日住がいます。この人は僧侶だったのか在家だったのかわかりません。この南条日住が日有上人の常々の仰せを記録して、指南書として日鎮上人にさしあげたのが「化儀抄」です。してみると、この化儀抄は相伝書の性格を持っています。
幼年の日鎮上人が血脈相承を受けた時点で、血脈