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◆これまで(池田)先生に対するこうした世界からの顕彰や、創価学会・SGIの平和・文化・人権・教育の運動について国内のマスコミでは、なかなか報道されませんでした。それが21世紀の開幕とともに、『大阪新聞』、『富山新聞』、『千葉日報』をはじめとする、全国40を超える地方紙が、先生の名誉称号の受賞やアメリカ創価大学の開学などについて、全面カラーで特集記事を掲載するなど、大きな変化が起こっております。(略)新聞だけでなく、テレビでも、先生の写真展やアニメによる童話を放映する番組の数が、各地で増えてきています。時代は大きく変わりつつあります。学会の正義が、あらゆる分野で理解されつつあります(秋谷栄之助・創価学会会長01年5月22日の本部幹部会/『週刊新潮』H15.11.13)
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『聖教新聞』等の印刷委託で“特別の関係”をつくる学会戦略はかねてから有名でした。公明党の政権参加(99年)ころから目立つのは、定期的な巨大広告や池田礼賛記事の増加。「池田大作先生の講演要旨を来年(03年)1月より2年間特集掲載します!」(『神奈川新聞』販売所)とキャンペーンする地方紙も出ています。こうした記事について「一種の記事広告的扱いで、業務局が担当」(『千葉日報』)と、実態として広告収入目当てであることを認める新聞社もあります。(『しんぶん赤旗』H14.12.18)
【創価学会礼賛の一般紙】
―『岐阜新聞』―(『週刊現代』H17.11.28)
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池田氏を露骨に持ち上げる地方紙も現れた。11月10日付の『岐阜新聞』は、同新聞の杉山幹夫会長が前日の9日、東京・信濃町にある創価学会本部を訪れて、池田氏に対し「感謝状」を贈呈したことを記事にしている。記事では贈呈の理由として、「世界平和と活字文化復興のためのたゆまぬ努力、本紙への寄稿、特別番組放映などへの尽力をたたえる」としている。
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―『下野新聞』―(『週刊現代』H17.11.28)
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7月12日付の『下野新聞』の文化欄に、創価学会名誉会長である池田大作氏の寄稿が掲載されたのだ。
<国際交流こそ「平和の道」>と題された寄稿は、池田氏の小学校時代の恩師が栃木県出身というエピソードに触れ、下野新聞および池田氏自身の国際交流の実践について賞賛する内容だった。下野新聞関係者が話す。
「7月1日、池田氏の寄稿掲載について編集局内で編集幹部と現場記者との間に話し合いが持たれました。現場の記者の大半が、『特定の宗教団体の布教活動に利用されかねない』などの理由で掲載に反対しましたが、経営側は掲載に踏み切った。あのとき経営側は、現場の判断は信用できないと烙印を押したわけです。互いに信頼関係のないまま、経営側はいまも現場に新聞を作らせているのだから、皮肉としかいいようがない」
団体交渉の席での経営陣が描いたシナリオは、次のようなものであった。
[印刷部門の別会社化を軌道に乗せるため、『聖教新聞』など創価学会関連紙の印刷を確実に受注したい]⇒[組合側に、池田大作=創価学会の活動は素晴らしく、寄稿を掲載してもなんら問題は生じないと説明する]
現に経営側の答弁は、この流れに沿ったものだった。だが、創価学会がもたらしてくれる利益への色気は隠そうとしても隠しきれるものではなかった。早乙女哲専務は、こう言い放った。
「(寄稿掲載と『聖教新聞』の印刷を受注することとは)まったく関係ないとは言えないが、寄稿を掲載することで受注印刷が担保されるようなものではない」
「(販売における)読売新聞との戦いの中で、(『聖教新聞』を)刷れるものなら刷りたい」
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―『神奈川新聞』―(『週刊新潮』H15.11.13)
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10年ほど前から創価学会との関係が組合でも問題視されてきた。具体的には、『神奈川新聞』の紙面に「ニュースファイル」という単発ものを扱う欄があるが、9月には2週間のうちに創価学会関係の記事が6回も掲載された。余りに多い回数だけでなくその内容がまた問題で、「鎌倉で池田大作写真展」というのはまだ許容範囲としても、「九州の熊本で池田大作写真展開催」とか、さらに「池田大作にベネズエラ○○大学から名誉博士号」とか「パナマ○○大学から名誉博士号」など聞いたこともなく(神奈川県の読者とは)何の関わりもない大学の「名誉博士号」の記事がどんどん掲載される。
印刷で大きな収入を得ているため、社員はおかしいと思っても学会との関係に触れるのはタブーのようになっている(神奈川新聞労組の報告内容/日本新聞労働組合連合作成・H13.7)
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神奈川県民となんの関係もない池田大作氏のイベントや勲章の記事が堂々と新聞紙面を飾る不思議。もちろん、池田氏以外のほかの大教団トップの同様な記事は一切出ない。神奈川新聞の労組員でなくても首を傾げたくなる話である。
そして、この神奈川新聞労組の報告は、広告スポンサーとしての存在だけでなく、『聖教新聞』の印刷という二重の意味で、学会が地方紙を"影響下"に置いている事実を炙り出している。
[画像]:「2年間連続掲載」で拡張キャンペーンをする『神奈川新聞』販売店のチラシと千葉県の創価学会が配った池田氏署名記事の新聞買い取り申込書
―『埼玉新聞』―(『週刊新潮』H15.11.13)
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経営が厳しく広告に頼っているので、広告のあり方について文句が言いにくい。8月から池田大作の本から抜粋する形で1ぺージの「記事」が掲載されている。その下に数段の広告が合わせて掲載されているが、広告費はゼロという。しかし、創価学会が掲載日の新聞を数万部購入し、その販売収入は1ページ分の広告費に匹敵するという。月1回か数ヵ月に1回程度掲載していくようだ。
読者からは、「お前のところはどうなっているんだ」「なんだこれは、がっかりした」などの批判の声が届いている。
また、記事においても「池田大作が名誉市民に」とか「創価学会○○支部が誕生」などという記事が頻繋に出るようになっていて、大量部数購入との関連だと思う。「広告がらみではないか」と言われるが、経営が苦しいのであいまいな答えしかできず、編集のみならず全体の士気が下がっている(埼玉新聞労組の報告内容・日本新聞労働組合連合作成・H13.7)
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公明党が政権に参加して以来、創価学会やいわゆる池田大作本の1ぺージ広告が全国各地の地方紙に出現し、これをテコに池田氏の動静や学会関連記事が目立つようになった。学会側は最初は「広告」で金を出し、「記事」を載せてもらう、ギブ・アンド・テイクだったようだが、最近では池田本の中から抜粋する形で1ぺージ分の記事を載せるよう要求し、その記事が掲載されている間は、何千部かを特別に買い取るなどのシステムも編み出しているようである。(川崎泰資=椙山女学園大学教授『フォーラム21』H14.9.15)
―『茨城新聞』―(『週刊新潮』H15.11.13)
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11月には茨城新聞社の編集局長自らが創価学会の記事を書き、「ぜひもの」(優先的に掲載すべきもの)として整理部に記事を出稿してきた。掲載されたその記事は「創価学会2001年の活動方針決める」というものだった。後日判明したところでは、編集局長は地元の創価学会担当者とつながりがあるらしく、日常的なマスコミ懐柔がこうした「成果」を生んでいるようだ(茨城新聞労組の報告・日本新聞労働組合連合作成・H13.7)
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―『東奥日報』―(『テーミス』H14.12)
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>今年(※02年)5月10日から14日の朝刊に、池田氏の「日中国交正常化30周年に寄せて」と題する特別寄稿を5回にわたり連載した。初回の10日付1面には、特別寄稿の告知記事も掲載している。これを「唐突な経過と、特定の宗教・政党の取り組みに対する破格の取り扱い」と受け止めた労組側は、連載初日の10日、労務部長に対し、説明を求めた。
>販売部数が伸び悩み、広告収入も落ち込む中で、業界全体が生き残りをかけた戦いの中にある。「危機感を持て」という。新聞にとって最大の危機とは、言論機関として読者の信頼を失うことである。仮に、経営の危機の前にあっても、権力や特定の企業・団体におもねるような紙面作りはしないと私たちは頑なに信じている。今回、その唯一最大の共通理解が揺らいだ場面であった。それこそ「新聞の危機」というものを真剣に考えずにはいられない(東奥新聞労組「池田創価学会名誉会長寄稿連載について考える」H14.9)
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―『千葉日報』―(『しんぶん赤旗』H14.12.18)
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千葉県の創価学会組織部は、記事掲載の『千葉日報』買い取り申込用紙を作成、「友好対策、学会理解の拡大に活用」するよう、県下の学会組織に指示しています(「友好」は選挙での集票準備でもある)。昨年12月の学会本部幹部会で正木正明東京長は「先生の記事が掲載されるたびに…『聖教』啓蒙(拡張のこと)、折伏・弘教の快進撃につながった」(『聖教新聞』H13.12.15)と、このメディア戦略が布教活動に直結していることを明らかにしています。
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[画像]:「2年間連続掲載」で拡張キャンペーンをする『神奈川新聞』販売店のチラシと千葉県の創価学会が配った池田氏署名記事の新聞買い取り申込書
―大新聞―
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・『朝日新聞』―「私の視点」への池田氏の寄稿(01年5月23日)。
・『読売新聞』―政治部長による池田氏へのインタビュー記事掲載(01年7月4日)。
・『産経新聞』―論説副委員長による池田氏へのインタビュー記事掲載(01年9月17〜20日)。
・『毎日新聞』―主筆とのインタビュー(01年9月25日)。「発言席」への池田氏の寄稿(02年8月19日)。
(『週刊新潮』H15.11.13)
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これらの記事の特徴は池田氏のご高説拝聴の姿擦で一貫し、池田氏の勝手な言い分を無比判に伝えていることだ。特に『産経新聞』では、同時多発テロ、言論出版妨害事件、日中国交回復などを取り上げたが、テロ問題で池田氏に「憎悪と暴力の連鎖を断ち切らなければ」と常識論を語らせながら、質問者は公明党が平和主義を捨てテロ対策特別法や自衛隊の海外派兵にいち早く賛成した理由や根拠を問おうとしない。創価学会公明党の引き起こした言論出版妨害事件については加害者として30年前に謝罪しながら、この記事では今は亡き『創価学会を斬る』の著者、藤原弘達氏を誹謗し創価学会があたかも被害者であるかのようにすり替えた言辞を弄する。これは明らかに創価学会にとって不利な歴史の改竄をはかるものだ。(川崎泰資=椙山女学園大学教授『フォーラム21』H14.9.15)
―ブロック紙―(『週刊新潮』H15.11.13)
・『西日本新聞』―編集局長と池田氏の対談を掲載(01年12月3、4日)。
・『中国新聞』―寄稿「広島の心と平和教育」(02年1月3日)。
【一般紙"侵食"の背景に広告と賃刷り】
創価学会の機関紙、『聖教新聞』の発行部数は約550万部。しかし、不思議なことに自前の印刷所は持っていない。他社の印刷所に委託しているのだ。『聖教新聞』の印刷を請け負うことで多額のカネを稼ぐ新聞社に、はたして創価学会を批判することはできるのか?
具体的には、創価学会系新聞をもっとも多く印刷しているのが、毎日新聞系の中核印刷会社、東日印刷(東京都江東区)、『公明新聞』の印刷費が2番目に多いのが、朝日新聞グループの日刊オフセット(大阪府豊中市)、『聖教新聞』を印刷している東京メディア制作(東京都府中市)と南大阪オール(大阪府高石市)は読売新聞グループ……などと紹介、両紙を合計すると年間で45億円余が「創価学会側から新聞社や系列の印刷所に流れている。(『週刊文春』H14.9.19/『しんぶん赤旗』H14.9.15)
『神奈川新聞』は25万部の部数を毎日印刷しているが、じつはそのほか、『聖教新聞』を30万部、公明新聞を4万部、それぞれ日刊で刷っている。つまり、ウチの部数より多い部数を受注しているわけだ。経営的にかなりのウエートを占める。(神奈川新聞労組の報告内容/日本新聞労働組合連合作成・H13.7/『週刊新潮』H15.11.13)
●『聖教』紙の全面広告、学会系出版杜の書籍広告。これらは、新聞社の収入として無視することはできないでしょう。聖教新聞社は法人でなく、創価学会に含まれている組織なのだから、広告は宗教団体の宣伝にあたるはずです。しかしそこにも言い訳があって、「あくまで書籍の広告なのだ」という理屈で、これを許している。社内で、この間題に議論が起こらないこと自体が不思議です(『朝日新聞』の中堅幹部/『週刊新潮』H15.11.13)
●やはり、新聞と学会の関係には、賃刷りの問題があります。創価学会は自前の印刷会社を持たず、『聖教新聞』の印刷を新聞杜に依頼してきた歴史がいまも続いているわけです。そして、90年代以降、学会は広告に分野を広げてきました。新聞社にとっては広告も重要なウエートを占めていますから、これも危惧される材料です。さらには記事。もはやクライアントですから、名誉会長の動静などを記事として取り上げる。新聞社として頭は一応正常だけれども、胃袋をつかまれてしまっている状況とでもいうのでしょうか。背に腹は代えられないのです(片岡伸行=新聞労連争議弾圧対策部長/『週刊新潮』H15.11.13)
●今や新聞社の幹部にシンパは多いですからね。池田大作の"広宣流布は言論活動だ"の声のもと、昭和40年代前半から創価学会は言論部という機関を設け、気に食わないメディアヘ手紙や電話などの抗議をするようになりました。しかし、言論弾圧事件が起こり組織的な妨害が問題視されると、言論部は消滅。代わりに、力を入れたのが、広報室の強化です。全国に広報委員を置いて、記者たちにシンパを増やすことを熱心にやりました。地方支局にいる若手記者の時代から積極的にアプローチし、気脈を通じるようにしておく。いざとなった時になにかと頼みやすく、少なくとも反学会の記事を書くようなことのないように味方にしておくんです。そうやって獲得してきた記者が出世していく。いろいろな頼みごとはもちろん、そうやって学会批判を封じることができるようにしているんです(小川頼宣=元創価学会広報部副部長/『週刊新潮』H15.11.13)
―政治資金収支報告書でも―(『しんぶん赤旗』H14.9.15)
先日公表された公明党の2001年分の政治資金収支報告書によると、たしかに『公明新聞』の印刷代の支払い先として、毎日新聞社北海道支社、岩手日日新聞社、福島民報社、静岡新聞社、中国新聞社、四国新聞社、長崎新聞社、鹿児島新報社など、新聞社名がズラリと並んでいます。
もっとも多く支払われていたのは、東日印刷で、約3億800万円。2番目は、日刊オフセットの約1億3千400万円。このほか、新聞社系印刷会社は、かなしんオフセット、神戸新聞総合印刷、名古屋タイムズ印刷、西日本新聞印刷、南日本新聞オフセット輪転など。縮刷版の印刷含め、計17社での印刷費の総額は約12億円になります。
12億円の原資が国民の思想信条の自由に反する憲法違反の政党助成金かどうかの真偽もさることながら、政権与党である公明党の機関紙や政教一体関係にある創価学会の機関紙を、一般新聞が恒常的に大量に印刷、“胃袋”を抑えられているがために、学会や公明党に対する批判的な記事を抑制していると書かれる事態があるとしたら日本の民主主義にとっても由々しきこと。一般新聞側の見解を含め大いなる議論を煮詰めてもらいたいところです。
[資料]=『聖教新聞』印刷工場リスト(『週刊現代』H17.11.28)
【地方民放―礼讃番組が次々と・・・】(『週刊新潮』H15.11.13)
●今から4年ほど前、99年の夏のことでした。ちょうど自民党の総裁選挙を控え、公明党の連立政権入りが取り沙汰されていた最中でしたが、そこにタイミングを合わせるように創価学会が全国各地の民放にいっせいに自分達の礼讃番組を売り込んで来たんです。『平和への道〜人間池田大作』というタイトルのドキュメンタリー風番組で、時間は30分もの。内容は全て池田大作をこれでもかと賞賛するPR番組です。通販番組などがそうですが、放送局側が内容にタッチしない"ハコモノ"(完全パッケージ)の状態で持ち込まれました。最終的には全国で14局が放映を決め、同年の8月下旬頃から随時放映されていきました(民放労連関係者)
純粋に考えれば、特定の個人や団体をただひたすら賞賛するような内容は、放送の不偏不党を定める放送法第1条などに違反している疑いがある。しかし、実際には、そんな議論も起らず、番組は放映されている。『母に贈る詩』と題する池田大作氏の詩の朗読をおこなう30分番組、『自然との対話―池田大作写真展』『平和への対話―池田大作 世界と語る』『教育は子どもの幸福のために―牧口常三郎が目指したもの』『インドからのメッセージ SGI会長の平和行動に注目』等の番組が地方局で次々に放映されるようになった。
もちろんラジオ番組でも、文化放送をキー局に、『新・人間革命』の朗読番組が流されたり、気がつけば、知らず知らずに創価学会の宣伝番組がお茶の間に進出しているのである。
大阪毎日放送(ラジオ局)は、全国で唯一、学会提供番組を流さない局といわれる。しかし、ここにも昨年夏、『新・人間革命』の放送依頼が電通から舞い込む。事情通の証言である。
「依頼を受けた毎日放送は、一貫して『社内の議論が尽くされてから放送する』という態度を取り続けました。結局、番組を持ち込んだ電通側には、議論が尽くせず、全社的な意思統一が図れなかった、つまり時間切れでダメになってしまったという理由で放送できないと伝えたのです」
しかし電通は、ナイター中継のスポンサーを引き受けてもらうなど、決してソデには出来ぬ相手。この番組も「ハコモノ」で持ち込まれ、早朝で低聴取率しか得られぬ時間帯に、月500万という破格のスポンサー料が提示されていたという。
かろうじて同局は反対派がもちこたえ、その後も別番組の放送依頼を断り続けているが、「人事異動でこれ以上賛成派が増えればどうなるか」
との危惧は社内から消えていない。
【完成したメディア支配】
あらゆる人脈を通じて編集・営業を問わず、その会社の幹部に接近し、丹念に自分たちの意向を浸透させる創価学会のやり方は、ほかの宗教団体ではとても太刀打ちできないものだ。
そして、一方で批判記事を名誉毀損として裁判に訴え、司法を巻き込んでメディアを押さえつけようという動きも、創価学会の大きな特徴だ。(中略)
創価学会に対する批判・検証記事が激減していく中で、それに反比例して増えていったのが、やはり創価学会の礼讃記事だ。特に、大手出版社ではなく、資本基盤の弱い小部数の雑誌にその傾向は顕著だ。(『週刊新潮』H15.11.13)
●全国的に創価学会による新聞メディアへのアプローチが活発化しています。新聞各社の印刷工場の分散化、別会社化の流れの中で、創価学会の機関紙である『聖教新聞』の印刷を各紙の工場に受注させるケースが増加してきました。そのターゲットは、地方紙にも向いてきています。一宗教団体が大口の顧客として新聞、特に地方紙に入り込んだときに、創価学会の要望をはねのけて編集権を守りきれるのか。新聞全体の問題として、危機感を抱いています(美浦克教=日本新聞労働組合連合中央執行委員長『週刊現代』H17.11.28)
●実は、学会擁護の記事というのは、編集部マターではなく、一見記事のように見せかけた創価学会からの広告なんです。編集部で作るのではなく、版下でそのまま入ってくるものですから、編集部では一字一句手が出せない。入ってくる時には写真も原稿も完壁に揃って釆るのです。予算はもちろん学会本部。これが入るようになったのは、うちの広告スポンサーである大手ゼネコンの紹介からです。このゼネコンは学会の会館建設を請け負っていて、そこから"学会の幹部と会ってやってくれ"と言ってきた。通常の広告料から考えると破格の額で、記事が載るようになりました(ある経済誌〈月刊誌〉の編集幹部『週刊新潮』H15.11.13)
●創価学会を含む宗教団体の広告は、一般企業の広告とは異なる特質を持ちます。もし、宗教団体の広告を扱うことで、それに対する自由な取材・報遣が損なわれるようなことがあるとすれば、民主的な社会にとって大変な問題だということを、メディア側は再認識すべきでしょう。宗教団体の広告は、"布教活動の一環"という見方もあります。広告を受け容れるメディア側はこういう声にも耳を傾けて、宗教団体との付き合いを合理的な範囲に留める必要があるのではないでしょうか。メディアは、いかなる宗教団体であれタブーとすることなく、自由闊達に批判し、議論できる条件を確保しておくことが肝要です。広告を受け容れるとか、印刷を引き受けるという商行為上の関係から、自由な批判や議論ができなくなってしまうとすれば、許されないことです。メディアやジャーナリズムの根幹が問われる事態だと思いますね(田島泰彦=上智大学文学部教授『週刊新潮』H15.11.13)
●1999年は、歴史の曲がり仲であったのかも知れない。日本の政治は創価学会・公明党の政権への擦り寄りによって、盗聴法や国歌・国旗法案が成立し、翌年には政権入りした公明党が自民党と結託して参院選の比例区を非拘束名簿方式とする党利党略を実現させた。その後、地域振興策という名の商品券バラマキや、財源を無視した児童手当のバラマキも公明党の強い要求に自民党が屈した結果、実現したものだ。自民、公明、保守の現在の3党連立政権は公明党が生殺与奪の権を握り、その背後に創価学会の池田大作名誉会長が控える二重権力構造になっている。この事がいかに政治を不正常なものにしているかは大部分の政治家やメディアも十分に承知しているが、選挙での票欲しさや創価学会関係の広告欲しさで見てみぬ振りをする。 メディアがジャーナリズム精神を喪失し、営業優先のため創価学会批判を避け無気力化したことが「学会汚染」を広める結果につながっている。(川崎泰資=椙山女学園大学教授『フォーラム21』H14.9.15)
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●マスコミの堕落は目に余る。私が予算委で質問しても、ろくな報道をしなかった。大新聞社が学会の機関紙を印刷させてもらうとか広告を出してもらうとかで遠慮している。学会のことはタブーといわれる。この問題は日本の民主政治にとって看過できない(国会議員・石井一『週刊ダイヤモンド』H20.6.7)
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昨年10月、民主党の石井一氏が参院予算委員会で福本潤一前参院議員の問題を取り上げて「福本・池田両氏の参考人招致」を要求したが、いまだに実っていない。(『週刊ダイヤモンド』H20.6.7)

(ジャーナリスト・古川利明『フォーラム21』H18.4.15)
『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社発行)04年8月7日号が特集した「創価学会の経済力」の記事を巡り、同会副会長である最高幹部の1人、宮川清彦が同社と週刊ダイヤモンド編集長を相手取り、謝罪広告と1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、この3月10日、東京地裁民事第39部であり、藤下健裁判長は原告の請求をすべて棄却するという、「原告全面敗訴」の判決を言い渡した。
そして、その3日後の13日には同じ東京地裁で、『聖教新聞』の例の中傷座談会において、名指しで誹謗、中傷された日蓮正宗寺院の住職が、宗教法人・創価学会と同会長・秋谷栄之助、同理事長・青木亨ら最高幹部6人を相手取って起こした訴訟でも、名誉毀損に基づく不法行為責任が認定され、被告側に80万円の賠償金の支払いを命じる判決が出ている。
自らに対する批判には、民事提訴、刑事告訴を乱発することで、そういった記事がマスメディアには出ないように意図した、「池田大作=創価学会」の言論封殺を挫く意味で、いずれの判決も画期的であると高く評価したい。こうした視点から、なぜ、このような極めてまっとうな司法判断が出てきたのかを考えてみたい。
【「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦】
週刊ダイヤモンド訴訟は、「マスメディア支配/全国紙・地方紙に聖教新聞の委託印刷が拡大、月刊誌『選択』にも触手」という見出しで、「創価学会のM副会長が会員制情報誌『選択』を発行する選択出版の湯浅正巳社長に10億円の資金提供を持ちかけた」との旨、記事中で指摘したことに対し、「M副会長は私」と名乗り出た宮川清彦が、「記事は事実無根で、名誉を傷つけられた」として、04年12月末、提訴していたものである。
事実認定に関しては、判決では原告側の主張をほとんど退けており、その判断に筆者も全く異論はないが、そもそも記事では、誰か特定されないよう、わざわざ「M副会長」と匿名(=イニシャル)で報じたものである。それを敢えて宮川本人が「M副会長は私」とカミングアウトして、裁判に持っていったあたりからして、極めて異例というか、はっきり言ってマンガであった(もっとも訴訟の提起自体、池田大作の指示であろう)。
裁判の中で、被告側も「M副会長は宮川氏であると特定しうる」という部分に関しては争っていなかったが、公称約17万部の同誌の中心読者層は、30代から50代の男性で、高学歴の中間管理職以上のビジネスマンである。99年体制以降、日本の政権中枢に居座り続けている「創価学会・公明党=池田大作」に対し、こうした読者層がそれなりに強い関心を持っていること自体は容易に推測されるが、ただ、この記事を読んだだけで、よほどの「通」でなければ、「M副会長」が即、「宮川清彦」であるとわかるのは、まずいない。
恥ずかしながら、実は筆者もこの記事を最初に読んだとき、「M副会長」が宮川であるとピンと来なかった。
確かに、「東大在学中に池田大作の3人の息子の家庭教師を務めた」とのくだりはあるが、「信濃町で石を投げれば副会長に当たる」と揶揄されるほど、現在では300人を越えるほどの夥しい数を誇る副会長で、おそらく東大卒は宮川だけではないだろう。ひょっとしたら、宮川以外にも池田の息子の家庭教師をやった人物がいるかもしれない。
それと、宮川が「信越長(本人が法廷で主張したところによれば、正確には「信越総合長」)として長野県内の財務を全国トップに押し上げた」という“実績”を、本当に恥ずかしながら、筆者は知らなかった。もし、このことを知っていれば、「東大在学中に池田大作の息子たちの家庭教師をやっていた」との情報とリンクさせることで、「M副会長は宮川清彦である」とすぐに特定できただろう。だが、それがわかるのは、少なくとも学会員でも、選挙になればちゃんとF票を取ってくる活動家クラス以上だが、しかし、それでもそこまでドンピシャリと特定できるのは、相当の中枢にいる人間に絞られてくる。
むしろ、週刊ダイヤモンドが匿名にしたのは、記事の中で原島嵩・元創価学会教学部長が「Mが動いたということは、池田氏の指示に間違いない」とコメントを寄せているように、あくまでこの『選択』への資金提供問題は「池田大作案件」であり、池田の指示で動く人物であれば、要は誰でもよかったわけである。であるなら、敢えてここで実名を提示する必要もなかったと編集部は判断したのではないか、と推測するのである。
【言論封殺を意図した実質的な原告は池田大作か】
このように、この週刊ダイヤモンド訴訟の原告は宮川であるが、実質的には池田大作であるといってもよい。である以上、そこには当然、「池田大作の意思」がダイレクトに働いている。その「意思」とは、自らを批判する言論は徹底的に封殺することである。
公明党(=創価学会・池田大作)が与党入りした99年以降、彼らが最も力を入れてきたものが、「名誉毀損訴訟の賠償金高額化」「個人情報保護法」「人権擁護法」という“言論弾圧3点セット”の実現だった。
詳しくは拙著『デジタル・ヘル――サイバー化監視社会の闇』(第三書館)の「第4章 『個人情報保護法』はいかにして歪められていったか」を参照して頂きたいが、こうした方向に「公明党=創価学会・池田大作」がカジを切る決定打となったのが、『週刊新潮』の96年2月22日号が「私は池田大作にレイプされた」との信平信子・元創価学会北海道婦人部幹部の手記を掲載したことである。ここから、「公明党=創価学会」に対する批判はもちろんだが、それ以上に、“現代の生き仏”である池田大作の批判を絶対に封じ込めるための施策が必要と考え、それには何としてでも政権与党に入らざるを得ない、との判断を池田自らが行ったからである。
確かに、世論の強い反対から人権擁護法は成立せず、また、個人情報保護法も再提出された改正案では、「言論出版妨害」に関わる部分については相当、マイルドなものに改善はされた。が、99年以降の「自自公―自公保―自公」体制で、「本当は全体主義が理想の形態だ」とうそぶく人物(=池田大作)が事実上の「ウラの総理大臣」として君臨し続けたことで、マスメディアも司法も、そして、社会全体が池田大作(=公明党・創価学会)に対して萎縮し、ダンマリを決め込んできた。
例えば、こうした流れの中で、01年にはゲリラ的なスクープを飛ばしてきた『週刊宝石』と『フォーカス』が相次いで休刊に追い込まれ、02年3月の『噂の真相』の名誉毀損事件に対する1審東京地裁での有罪判決を機に、岡留安則編集長は最終的に雑誌の休刊を決断した。大手週刊誌でも「公明党・創価学会=池田大作」問題を取り上げるのは、事実上、『週刊新潮』の1誌のみという、極めてお寒い状況が続く最中、04年3月には、『週刊文春』が報じた田中真紀子の長女の離婚記事を巡り、同じ東京地裁が版元に対して出版差し止めを命じる仮処分決定を下すという、トンデモない事態も起こったのである。
こうした流れが変わる分水嶺となったのが、04年秋、東京地検特捜部が例のNTTドコモ携帯電話不正アクセス事件の摘発で、本誌発行人でもある乙骨正生氏の被害をも立件したあたりからである。そこから年が明けて05年に入り、創価学会かたり融資詐欺やセクハラ全国男子部長解任騒動などの不祥事が噴出したことで、『新潮』以外の大手週刊誌にも学会批判の記事がようやく出始めていた。で、その矢先、小泉の突然の“発狂解散”による昨年9月の総選挙において、自民党が300議席の大台に迫る圧勝だったのに対し、公明党は現有より3議席も落とす惨敗を喫したことで、政権中枢への影響力がそれまでより大きく低下した。
裁判所もこうした世論や、政権中枢におけるパワーバランスには極めて敏感である。今回の週刊ダイヤモンド訴訟も含め、東京地裁で相次いで画期的な判決が出された背景には、こうした状況の変化もあったといえる。
本来、「言論の自由」とは、天賦のものとして付与された大事な権利である。しかし、現実には、権力の側によって不当に貶められ、弾圧されてきた。残念ながら、それが人間の歴史である。とりわけ、「公明党=創価学会・池田大作」という、極めて全体主義的な体質を持つ政治勢力が政権中枢に入り込んだ「99年体制」以降においては、非常に厳しい状態が続いていた。
しかし、こうした権利は、戦う(=書く)こと以外に勝ち取ることはできない。
それゆえ、戦うことを止めれば、それは自動的に消え去る運命にある。なぜなら、この現実社会は、権利を与えまいとする側と、それを奪う側との絶えざる拮抗関係にあるからだ。言い換えるなら、「言論の自由」とは、書き続ける行為の中に存在する。それゆえ、「水に落ちた犬」はさらにもっと厳しく叩かねばならない。(文中・一部敬称略)
古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』(いずれも第三書館刊)など。

(『週刊現代』H17.11.28/<創価学会ウォッチ>WS)
議席を増やした自民党が公明党離れを画策し、非創価学会系の宗教団体との関係を模索し始めた。だが、日本最大の宗教団体のトップは慌てていない。権力の中枢に居座り続けるため、カネに転んだメディアを支配下に置いているのだ。
【自らの国際交流を絶賛】
栃木県の地方紙『下野新聞』でいま、労使間の対立が激化している。
下野新聞は印刷部門を別会社化して新たに「下野新聞印刷センター」(仮称)を設立し、印刷部門の社員を新会社に移籍させる方針を明らかにした。
印刷部門の社員は転籍、そして賃金カットを余儀なくされる。このリストラに反対する全下野新聞労働組合(以下、下野労組)は11月8日、新会社設立などの差し止めを求める仮処分を宇都宮地裁に申請した。
この労使対立が特異なのは、社員の地位や賃金の確保だけを争点にしていない点にある。新聞の言論を守りきれるのかという点で、労使が衝突を繰り返しているのだ。
交渉の場で下野労組は経営側に、印刷を別会社化するうえで『下野新聞』以外の媒体の印刷を受注できる目算があるのか尋ねた。いや、はっきりとこう聞いたのだ。
「聖教新聞から、すでに受注する約束ができているのではないか」
創価学会の機関紙である『聖教新聞』は公称で550万部を超えると言われる。上西朗夫(かみにしあきお)社長は色をなして、反論した。
「そんなに簡単に受注が取れるもんじゃないんだ!いま『聖教新聞』は東日印刷が刷ってるんだから。それを引っぱってこなきゃならないんだから、簡単なことじゃない!」
東日印刷は毎日新聞の連結子会社。212頁の表(※下記)をごらんいただければお分かりの通り、『聖教新聞』を印刷している。
上西氏は毎日新聞出身で、政治部長、常務取締役を歴任し、’00年に毎日新聞が51%の株式を所有している下野新聞に社長として“天下り”した。
創価学会が東日印刷、つまり毎日新聞にもたらした利益について、熟知していると見て間違いないだろう。
下野新聞の労使間の対立の中で、創価学会の存在がクローズアップされる伏線はあった。
7月12日付の『下野新聞』の文化欄に、創価学会名誉会長である池田大作氏の寄稿が掲載されたのだ。
<国際交流こそ「平和の道」>と題された寄稿は、池田氏の小学校時代の恩師が栃木県出身というエピソードに触れ、下野新聞および池田氏自身の国際交流の実践について賞賛する内容だった。下野新聞関係者が話す。
「7月1日、池田氏の寄稿掲載について編集局内で編集幹部と現場記者との間に話し合いが持たれました。現場の記者の大半が、『特定の宗教団体の布教活動に利用されかねない』などの理由で掲載に反対しましたが、経営側は掲載に踏み切った。あのとき経営側は、現場の判断は信用できないと烙印を押したわけです。互いに信頼関係のないまま、経営側はいまも現場に新聞を作らせているのだから、皮肉としかいいようがない」
団体交渉の席での経営陣が描いたシナリオは、次のようなものであった。
[印刷部門の別会社化を軌道に乗せるため、『聖教新聞』など創価学会関連紙の印刷を確実に受注したい]⇒[組合側に、池田大作=創価学会の活動は素晴らしく、寄稿を掲載してもなんら問題は生じないと説明する]
現に経営側の答弁は、この流れに沿ったものだった。だが、創価学会がもたらしてくれる利益への色気は隠そうとしても隠しきれるものではなかった。早乙女哲専務は、こう言い放った。
「(寄稿掲載と『聖教新聞』の印刷を受注することとは)まったく関係ないとは言えないが、寄稿を掲載することで受注印刷が担保されるようなものではない」
「(販売における)読売新聞との戦いの中で、(『聖教新聞』を)刷れるものなら刷りたい」
(表)【『聖教新聞』印刷工場リスト】
<全国紙>
朝日新聞:日刊オフセット豊中工場*別
毎日新聞:北関東コア、北海道センター北広島工場、東日オフセット、東日印刷、高速オフセット堺工場*別
読売新聞:府中別館工場*子、茨城西工場*委、高石工場*子
<地方紙>
北海道新聞社旭川工場
十勝毎日新聞社
岩手日日新聞社
河北新報印刷センター
福島民報印刷センター
神奈川新聞綾瀬センター
信濃毎日新聞長野製作センター
新潟日報社印刷センター
ショセキ金沢工場
静岡新聞社製作センター
名古屋タイムズ印刷*委
京都新聞社
神戸新聞阪神製作センター
中国印刷
山陰中央新報ひかわ製作センター
四国新聞ニュースフロー
愛媛新聞印刷センター
高知新聞東雲センター
西日本新聞社製作センター
長崎新聞社
熊本日日新聞社・熊日1号館
南日本新聞オフセット輪転
注*子:100%出資の子会社
別:他者と共同出資による別会社
委:他社に委託印刷
【「全国の新聞がやっている」】
水沼富美雄常務に至っては、創価学会の“意見広告”を記事として掲載することが、何の問題もないかのような発言を繰り返した。
「(創価学会側から)8〜9年前から『下野』に寄稿したいという申し出があり、当時は『しばらく様子を見させてくれ』と言ってきたが、海外に活動を広げるなど、しっかりした団体に成長してきたいま、掲載することがなぜダメなのか」
「平和についての池田氏の考えを県民、読者に評価してもらうことは、わが社のジャーナリズムを阻害することにならないはずだ」
「他がやっているからいいというわけではないが、全国各紙が(池田大作氏を)受け入れている」
水沼常務の発言どおり、いまや全国紙、地方紙を問わず、創価学会は新聞に浸透している。『下野新聞』に池田氏の寄稿が掲載された2日後の7月14日付の『聖教新聞』には、<新聞が活字文化の黄金柱に!>なる見出しで、毎日新聞の北村任社長と池田氏の対談記事が掲載された。
池田氏はその中で、創価学会の牧口常三郎初代会長が小学校の校長をしていた当時、児童を連れて毎日新聞(当時は東京日日新聞)を見学したエピソードを紹介し、親近感をアピールしている。
’01年5月に『朝日新聞』が「私の視点」欄で池田氏の署名記事を載せたのをはじめ、同年7月には『読売新聞』が弘中喜通政治部長によるインタビュー記事を掲載している。このとき『毎日新聞』の主筆として米国の同時多発テロと宗教の問題などについて聞いたのが、前出の北村社長だ。
創価学会は全国紙では朝日、毎日、読売に『聖教新聞』の印刷を受注させている(表参照)。
また、過去の報道によると、朝日、毎日の両紙に関連した印刷会社が、公明党の機関紙である『公明新聞』(公称・約200万部)の印刷を受注していたという。
下野新聞の話に戻ろう。経営側が言葉を重ねるほど論点がズレていくのを感じた下野労組は、「特定の宗教団体の代表の意見をそのまま掲載して、紙面の公平性が保てるのか」と質問を繰り返した。水沼常務は答えに窮したのか、こう言い出す始末だった。
「連合は民主党の支持母体だ。(公明党の支持母体である)創価学会はなぜダメなのか」
公称800万世帯超を擁する日本最大の宗教団体・創価学会。与党・公明党と表裏一体の宗教団体は、その支持基盤として政権運営に絶大な影響を及ぼすまでになった。そんな宗教団体と労働組合を同列に並べて言い逃れようとする態度は、およそジャーナリズムを標榜する新聞社の幹部のものとは思えない。
一連のやり取りを見ると、下野新聞の経営側は、聖教新聞との利益関係をハッキリとは否定していないように見える。経営側は話し合いを打ち切ったほうが賢明と踏んだだろう、業を煮やした上西社長は激高して声を荒げた。
「30年前の議論だ。全国の新聞がやっている。魂を売るような、そんなヤワなことはしない。バカバカしい議論だ!」
【言論妨害した過去を忘れない】
創価学会と蜜月関係を結ぶことで手に入る利益を知り尽くした上西氏だからこそ、ジャーナリズムの建前より、経営上の利益を優先したのだろう。お蔭で7月12日の『下野新聞』は、1万部近くが余計に売れたという。
本誌の取材に対し、下野新聞の早乙女専務は、
「言論の多様性の観点から、編集責任者、編集幹部で協議の上、池田氏の寄稿の掲載を決めた。新印刷工場は、『聖教新聞』だけでなく、『下野新聞』以外の受注印刷を前提にした収支計画は立てていない。7月12日の本紙については創価学会からの注文は1部だけで、会員が販売店やコンビニで買ったために、結果として1万部近く売れたと思われる」
と回答した。
創価学会の地方紙浸透が明らかになった例は、『下野新聞』への寄稿問題にとどまらない。
東北地方のブロック紙である『河北新報』にも池田氏は登場していた。今年から10年間を国連が「持続可能な開発のための教育10年」と宣言したことをテーマに取り上げた連載の第3回目(5月18日付)で、池田氏は「『環境』をまもることは『平和』をまもること」と持論を展開している。
ちなみに河北新報印刷センターは、『聖教新聞』を印刷している。河北新報労働組合の関係者が、経緯を説明する。
「河北新報は昨年4月から『聖教新聞』の印刷を受注していますが、その際に紙面に創価学会の影響が及ばないよう、労使間で協定を結びました。今回の寄稿にあたり、協定に基づき、池田氏を発言者として選んだ経緯について説明を求めましたが、会社側は『決して聖教新聞を印刷しているから取り上げたわけではない』の一点張りでした」
創価学会を長年にわたって監視しているジャーナリストによれば、創価学会のメディアに対する出資は『聖教新聞』の印刷発注だけに止まらず、広告出稿や紙面の買い取り、新聞購読など、少なく見積もっても数十億円に上るという。
このカネが各メディアの経営を潤す一方で、金縛りの原因ともなる。ある全国紙社会部記者が語る。
「創価学会の幹部を取材しましたが、池田氏は常々『新聞を刷る輪転機を買うのは簡単だが、買わない方がいい』と言っていたそうです。メディアに貸しをつくるほうが効果的であることを知っていたからです。当初の目的は、創価学会に対する批判を封じ込めるためでした」
池田氏はメディアを敵に回すことの恐ろしさを、身をもって体験している。池田氏=創価学会とメディアの関係を考える上で、忘れてはならない事件があるのだ。
’60年代後半、池田氏率いる創価学会と公明党は、言論・出版妨害事件を引き起こした。当時、政治学者・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』など、創価学会にたいして批判的な内容の出版を阻止しようと、創価学会と公明党は買収や脅迫などで言論を封じ込めようとしたのだ。
公明党は、竹入義勝委員長(当時)を介して自民党幹事長だった田中角栄元首相に頼み、藤原氏の説得を頼んだ。
田中氏は料亭に藤原氏を招き、出版中止を求め「出版を思いとどまるか、全部買い取らせるかで了解してもらえないか」と申し出たという。
創価学会サイドは当初、事実無根だと否定していたが、結局、’70年5月になって池田氏が、「言論妨害と受取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」と、言論・出版妨害の事実を認めたのだった。前出の全国紙社会部記者は続ける。
「公明党が与党として安定した存在感を誇るようになり、新聞が自らの批判をおおっぴらにできないと踏んでいるのでしょう。いま、地方紙にまで触手をのばしてカネをばらまくのは、“池田大作礼賛記事”を書かせるためです」
【創価学会PR番組を流すTV】
池田氏を露骨に持ち上げる地方紙も現れた。11月10日付の『岐阜新聞』は、同新聞の杉山幹夫会長が前日の9日、東京・信濃町にある創価学会本部を訪れて、池田氏に対し「感謝状」を贈呈したことを記事にしている。記事では贈呈の理由として、「世界平和と活字文化復興のためのたゆまぬ努力、本紙への寄稿、特別番組放映などへの尽力をたたえる」としている。
言論・出版妨害という、民主主義の根幹を揺るがした宗教団体であった事実を踏まえた上での「感謝状」だったのかを杉山会長に問うと、岐阜新聞・岐阜放送総務局は、
「出版・言論妨害が現在行われているとすれば報道するのは当然だが、その事実を確認していない」
と回答した。
日本新聞労働組合連合の美浦克教・中央執行委員長は、いまの新聞を取り巻くある状況について、深く憂慮した。
「全国的に創価学会による新聞メディアへのアプローチが活発化しています。新聞各社の印刷工場の分散化、別会社化の流れの中で、創価学会の機関紙である『聖教新聞』の印刷を各紙の工場に受注させるケースが増加してきました。そのターゲットは、地方紙にも向いてきています。一宗教団体が大口の顧客として新聞、特に地方紙に入り込んだときに、創価学会の要望をはねのけて編集権を守りきれるのか。新聞全体の問題として、危機感を抱いています」
もはや間に合わないかもしれない。いまや、池田氏=創価学会のメディア支配は、新聞という媒体に止まらない。
元NHK甲府放送局長で、昌山女学園大学客員教授の川崎泰資氏は、こう警告する。
「すでに新聞だけではなく、テレビの分野にも影響を及ぼそうと動いています。『平和への道―人間・池田大作』というタイトルの30分のPR番組を、完全にパッケージした(完成した)状態でテレビ局に持ち込んでいるのです。番組制作費がタダなうえ、番組提供料、CM料金まで支払われるのだから、地方の放送局はたまらない。現に、単なる創価学会のPR番組を放送した局もあるのです。広告費の減収に悩むテレビ界にあって、今後、内容は二の次で、池田氏の布教の片棒を担ぐ局が増えたとしても不思議ではありません」
新聞・テレビが「権力の監視役」たりえないことは政治家への迎合ぶりや、記事の捏造など、いまだ問題が噴出していることからも明らかだ。
ただでさえ信頼をおとした大マスコミが、創価学会の広告塔としての役割まで担わされているとしたら、読者・視聴者の不信は決定的なものとなろう。

―「新『創価学会』を斬る(第1回)」より―
―「異様な中傷キャンペーン」が思い出させる狂気の「言論弾圧事件」―
(山田直樹『週刊新潮』H15.11.6抜粋)
新潮社の反人権とねつ造の歴史
"ウソ八百"山崎正友の厚顔無恥
この1冊で週刊誌報道のウソがすべてわかる
『週刊新潮』による創価学会報道のウソ
ガセネタ屋「乙骨正生」にまたも司法の断罪!
破廉恥な竹入義勝の経歴詐称
……連日、創価学会系出版物による異様とも言えるキャンペーンが続いているのをご存じだろうか([画像])。
新聞や雑誌の広告欄で、そして電車の中吊り広告で、それは今年に入って目もくらむような巨額の資金が投入されて行われている。
彼らがターゲットにするのは、週刊新潮や新潮社そのもの、あるいは学会に批判的なジャーナリスト、そして学会を脱会した元幹部、元公明党幹部らである。
彼らに対して憎悪に満ちたタイトルで、これでもか、と罵声を浴びせかけている。(中略)
別表([画像])をご覧いただきたい。
これは03年7月から遡る2年間、新聞や中吊りなどへ学会関連出版社がどのような広告出稿を行ったか、広告業界の内部資料に基づき段数(面積)と金額(正価換算)を集計し、グラフにしたものである。
『潮』(潮出版社刊)や『第三文明』(第三文明社刊)は、いずれも創価学会系版元の月刊誌だ。これに加え『パンプキン』(女性誌・潮出版社刊)、『灯台』(主婦向け子育て誌・第三文明社刊)などの中吊り広告、新聞広告に毎号"定番"で登場するタイトル(コピー)がある。
ひとつは、池田大作創価学会名誉会長称賛、宣揚であり、いまひとつが、学会に批判的なメディアや人物への攻撃だ。
とりわけ後者はすさまじく、冒頭に挙げた例はごく一部に過ぎない。
辛口のコラムニストとして知られる徳岡孝夫氏は、こんな感想を抱いている。
「(電車の)中吊り広告というのは、サラリーマンが通勤途中に、半分眠りながら見るものですよね。熟読するのではなく、必ずしも実際に雑誌を買うわけでもない人たちが、ごく短いキャッチフレーズによって、天下の形勢を窺う。吊り広告というのは本来そういう性質のものです。
ところが、最近の『第三文明』や『潮』の広告を見ていると、それとは違う。なんだかグロテスクだなと思いますよ。これまでの創価学会のこと、例えば言論出版抑圧事件などを思い出して、ああいう胡散臭い団体が、またグロテスクな作戦を始めたなと思います。程度の差こそあれ、宗教というのは他者への寛容、トレランスを持っていないといけないと思うんです。それがないために、世界ではいろいろな問題が起こっている。ああいう広告は、自分の気に食わないメディアを名指しで糾弾して、電車の中で絞首刑にしているわけで、週刊新潮は手始めかな?不愉快に思いますね」(中略)
<15倍になった中吊り広告>
この大キャンぺーンのために投下されている広告出稿量について検証してみよう。
例えば、『第三文明』。03年1月〜2月の変化は注目に値する。例えば中吊り出稿量では、一挙に15倍強という異様な増加を示している。『潮』も同様で、同期で中吊りが7.5倍の急増ぶりだ。
学会系出版物のうち、月刊誌だけを抽出しても、その広告出稿金額(新聞、中吊りなど。正規料金で計算)総体では、2年間で3.5倍の伸びを示している。出版・広告不況の折も折、まさに稀有なメディアと言える。(中略)
別の広告関係者の分析では、
「このような急激な増加は、通常ではあり得ない。そして、その通常ではあり得ない増え方をしている広告に、ある特定のメディアを攻撃する文言がいつも載っていることはまったく異常で、何か別の意図、出版物から利益を出そうとすること以外の何かがあると推測されても仕方ない。それほど、不思議なことなのです」(中略)
では以上のような手段を駆使して、新潮社(経営者や担当記者を名指しで槍玉に挙げている)や学会批判者へ仕掛ける攻撃の本当の目的は何なのだろうか。
<今も続く妨害と嫌がらせ>
日本を代表する大手企業などのいわゆる「広告スポンサー」に、こんな手紙が送りつけられている。
総務ご担当者様 週刊新潮に掲載されている広告について
との前置きに続く文面(一部略・表記は原文通り)は、
先日週刊新潮を読む機会があり、貴社の広告を拝見いたしました。
この雑誌は過去において名誉毀損・虚偽の記載で他紙を圧倒する件数の裁判を被害者から起こされ、その多くで敗北を喫し、損害賠償の支払い命令が出ております。実に失礼ながら、御社の様な名のある企業様が週刊新潮に出稿広告を掲載されているのは意外に感じました。僭越ですが今後のご参考になればと思いお手紙させて項きました
「参考」として、手紙では11件の敗訴の事例と賠償額が添えられているが、要は『週刊新潮』に広告を出すなと言うのである。
週刊新潮が裁判で勝訴した数や事例を一切伏せたまま、敗訴した事例だけを掲げて、あたかも敗訴だけ続いているかのように思わせる巧妙な学会系メディアの報道をそのまま踏襲した手口である。
千葉県松戸市以下、実名で書かれた場所に住む手紙の送り主の男性は、やはり学会員だった。聞けば、男子部の幹部だという。
母親によれば、
「ええ、夫婦ともに熱心な学会員ですよ。今日も朝から学会の集会で出て行きました。帰りは夜の12時を過ぎることもあります。ほとんど毎日、いろんなところで集会はやっていますからね。ええ?週刊新潮?悪い雑誌だって言ってましたよ、息子は。はい、ご苦労様です」
気に食わないメディアはどこまでも許さないというこの宗教団体の特異な思考形態は末端まで染み渡っているらしい。(中略)
出版事業そのものへの直接的妨害も続いている。
99年秋、『システムとしての創価学会=公明党』(古川利明著、第三書館)発行に際して、かつての出版妨害事件を思い出させるような事態が起きている。
著者の実家には、「お宅の息子が死んだ」という匿名のニセ電語が舞い込み、出版社には「罰があたる」と書かれたファックスが山のように送付された。
書籍広告を打とうとした毎日新聞からは、掲載前日、一方的に「聖教新聞の広告が入ったので(広告を)外す」と通告される。毎日新聞への書籍広告出稿では、ジャーナリストの乙骨正生氏と版元のかもがわ出版もまた、自著の掲載を断られている。
拉致問題で名を上げた平沢勝栄代議士も『警察官僚がみた「日本の警察」』出版の折、本が印刷段階にあるのに「地獄に墜ちる」などという脅迫電話やファックス攻撃に見舞われた。
古川氏や平沢代議士の例は犯人が不明だが、目的はハッキリしている。いずれも著作に記された学会や池田氏への批判に対する妨害や嫌がらせである。
昭和44年から45年にかけて、国会を揺るがし、国民注視の中、池田大作・創価学会会長(当時)が、政教分離を宣言して謝罪する事態となった「言論出版妨害事件」。それを彷彿させる出来事が今、次々と起こっているのだ。

―「『小泉=池田大作』弾圧政権を監視せよ」より―
(『週刊ポスト』H15.11.28抜粋)
この総選挙で最も異彩を放っていた人物が公明党の神崎武法代表だった。
普段は口数が少なく、かつて新進党時代、小沢一郎氏は神崎氏のことを、
「メモばかりとっている男」
そう評した。他の党首のように持論を展開して政策や主張を切り結ぶという印象は薄く、母体が強固な創価学会だけに、おとなしいソフトな党首というイメージが強かった。
ところが、選挙中の神崎氏は絶叫型の小泉純一郎首相がかすむほどに、鬼面の迫力で民主党を攻撃し、まるで政権を一身に背負って民主党と争っている趣さえあった。おそらく国民も初めて見る神崎氏に驚いたに違いない。
公明党幹事長の冬柴鉄三氏もいつになく激しかった。選挙結果については小泉首相でさえ、民主党を「善戦した」と評価したのにひきかえ、冬柴氏は開票日の深夜、
「政権交代を掲げて実現できなかったのだから、(菅直人代表は)責任を取るべきだ」
そう突きつけ、取材陣にも、「それをあなた方はなぜいわないのか」―と、のしかかるような言い方をした。
政権党としての自信がそういわせているのだとしたら、この党に内在するある種の危険性を封じ込めてきたタガが外れつつあることを如実に物語る光景ではなかったか。
遊説や会見だけにとどまらない。公明党の母体の創価学会は、『週刊新潮』に対し、学会系出版物を総動員して異常なまでの批判キャンペーンを繰り広げている。それが一般紙や電車内の吊り広告などで宣伝され、今や"反週刊新潮"の社会現象を呈してさえいる。学会が強く出ると、公明党まで強くなる。まして政権を持っているのだ。
公明党はテレビ朝日に襲いかかった。総選挙終盤、同局の看板番組『ニュースステーション』では、民主党が発表した"菅内閣"の閣僚発表記者会見を30分近くの時間を割いて報道した。公明党はそれに「民主党と戦っている与党に不公平だ」といって猛然と抗議し、ついには自民党とともに同局の開票番組への幹部の出演を拒否するという、これまた異常事態を現出させた。放送免許の許認可権行使に影響力を持つ政権与党側がそうした意思表示をしたらどういう結果をもたらすかを考えていないとすれば、そっちの方がよほど恐ろしい。
もし、公平性をいうなら、例えば、小泉政権側が10月5日の民主党と自由党の合併大会に合わせて藤井治芳(はるほ)・日本道路公団総裁の更迭劇を仕組んだり、安倍晋三・自民党幹事長の誕生をメディアがまるで芸能ヒーロー登場の如く、朝な昼な夕なにたれ流し、政権人気をあおったことをどう思うのか。
11月4日の午後9時から行なわれた菅内閣の閣僚発表会見にしても、『ニュースステーション』の報道ぶりより、むしろ国営放送のNHKが9時のニュース番組で全く報じなかったことこそ公平性を強<問われてしかるべきだった。およそ欧米のメディアでは、選挙報道は政権党と野党を時間的に同等に扱い、必ず反論の時間も与える。メディアのあり方はメディア間の相互批判と国民の評価によって正されていくのが原則だ。
それなのに、自民党と公明党は、細川内閣当時の椿事件(※)の時と同じように、テレビ朝日側の証人喚問までチラつかせ始めた。
テレビ朝日広報部では、
「現在、当社の上層部が与党サイドと話し合いを持って解決の糸口を見いだそうとしていますが、まだ進展がないようです。今後の報道への影響に心配がないといえば嘘になります」
と、不安を隠さない。そのこと自体、政権与党が証人喚間や放送事業への許認可権を武器にメディアを操作し、言論封殺をはかることに成功しつつあるといえないか。
証人喚問が政争の具に使われることの危険性は当の公明党自身が一番身にしみてわかっているはずだ。だからこそ、公明党=創価学会は「証人喚問」という言葉に敏感に反応する。
※椿事件/93年10月、民間放送連盟の会合でテレビ朝日の椿貞良報道局長が、「総選挙では、非自民連立政権成立の手助けとなるような報道をした」と語ったと報じられた。自民党は発言が放送法に規定された不偏不党、政治的公平に抵触するとして証人喚問を要求し、実現。椿氏は発言を否定したが、テレビ朝日を辞職した。

―読売傘下の『中公』が行き着く果て―
(山田直樹=ジャーナリスト『フォーラム21』H15.9.1)
<激変にみまわれた『中央公論』>
ルーツを辿れば、京都・西本願寺につきあたる。1887年に同寺が創刊した『反省会雑誌』。5年後、それは『反省雑誌』と名称を変更し、さらに7年後『中央公論』へと改題。発行元の反省社が「中央公論社」に改称したのが1914年。この雑誌は、途中、44年には歴史的フレームアップ事件として名高い「横浜事件」に絡んで一時廃刊に追い込まれたものの、敗戦翌年1月から復刊された名実ともに歴史と伝統を持つ月刊誌である。
たとえば、『文藝春秋』の創刊は大正12年。実質、明治生まれの『中央公論』(以下、中公と略)の足元にも及ばない。この雑誌で特筆大書すべきと思われるのが、戦後3大怪事件のうちのひとつ「松川事件」(東北本線松川・金谷川間での列車転覆事件。東芝労組員など共産党員による犯行だとフレームアップされた事件)の真相究明だった。筆者の広津和郎は同誌の53年10月号に「真実は訴える 松川事件・判決迫る」と題する論考を執筆・掲載して以来、この事件の真相発掘に情熱的に取り組んで、世論形成にかかわった。中公は、ある種、採算を度外視して広津に活動の舞台を提供したのである。それは、この事件・裁判だけのために臨時増刊号を2冊も発行した中公の心意気からも垣間見える。まさしく雑誌ジャーナリズムの金字塔と言える快挙だった。
が一方、60年12月号に掲載された小説『風流夢譚』(深沢七郎作)が皇室を侮辱するものだとして右翼の激しい攻撃を受けた。社長の嶋中鵬二氏自宅に右翼少年が押し入って、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを殺害する惨劇を引き起こしたのが61年2月1日。この事件以降、中公が雑誌ジャーナリズムを牽引するような記事を掲載することは2度と訪れなかった。特にこの前後、同社は「週刊公論」という週刊誌も発行していたのだが、その成績も芳しくなく廃刊。以後、同社は全集、新書、文庫中心の出版社として転進を遂げる。
その中央公論社に明治以来の激変が訪れる。読売新聞社による買収だ。『GQ』など、新雑誌の不振や言わずと知れた出版不況があったにせよ、これは衝撃的事態だった。他方、読売にすれば『週刊読売』(現・ヨミウリウイークリー)などの雑誌はあっても、朝日とは比較にならぬ出版部門の弱さをカバーして余りある買い物だった。それらが結局、どこへ向かうか。中公9月号は、それへの「回答」と言えるのかもしれない。
内容への批判は別項に譲るとして、この「『政教分離』を柔軟に考える」なる特集は、雑誌名を「創価公(明党)論」に替えた方がいいほどの“出来ばえ”である。
伏線はあった。宗教法人法改正後、中公は突如、池田大作創価学会名誉会長インタビューを掲載した。聞き手は田原総一朗氏である。
それまでこの法案改正に、直接的な発言をしてこなかった中公の唐突さは否めなかった。
一方の読売新聞社は、着々と手を打ってきた。『週刊読売』での池田氏の連載、「私の世界交友録」(後に単行本化)に始まり、学会機関紙『聖教新聞』の関連会社による印刷――。ドン・渡辺恒雄氏は、明らかに“親創価学会”へと自社メディアの舵を切った。
中公にせよ読売にせよ、池田氏関連の書籍、雑誌インタビュー記事を出せば、確実に売り上げが見込まれる。一方、学会サイドにすれば、伝統、権威、名門、部数などでそれなりの実績あるメディアへの登場は、会員へ「学会・池田氏の社会的認知度」を印象づけられる。とりわけ今回の中公特集は、総裁選、総選挙を控えたこの時期をなぜ選んだのか、中央公論新社、なかんずく読売新聞社の意図を見据える必要がある。
「これは中公の営業対策でしょう。今までの池田本を中央公論に移管するのでは」
と、読売のとある営業関連社員がささやく。先述の『私の世界交友録』に始まり、『世界の指導者と語る』から、直近では『新たなる世紀を拓く』と、立て続けといっていいペースで池田本を出版してきた読売新聞社――。
他方では、こんな企画もやっている。00年11月29日付、朝刊にはこんなタイトルが踊った。
「21世紀に読み継ぐ 4645人感動ベスト10 読者が選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」
これは同年10月9月付の同紙紙面でリストアップした著作の中から、公募に応じた読者アンケートによって決められたものだ。
1位の『アンネの日記』以下、『論語』『夜と霧』『キューリー夫人伝』『旧約聖書』などが続く。
日本の名著では、1位の『日本書紀』『立正安国論』『雪』『人生論ノート』『17条憲法』などがランク入りしている。ところがこの紙面には、事前にはリストアップされていなかった池田氏の著作が、「リスト外」名著として挙げられている。なんとも不可解なアンケートである。
池田氏著作で“名著”とされているのが、『人間革命』『新・人間革命』『法華経の智慧』と3冊ある。これは一体どうしたわけか。読売新聞側は取材したメディアに対して、概略、以下のように説明したという。
「『日本の名著ベスト 10』は、識者が選んだものではなく、公募に応じた4645人が選考。識者が選んだものは、『ベスト 10』ではなく、『識者が選んだ各分野の1位』として掲載している。企画については、10月9日付1面で『21世紀に伝えたいあの1冊』募集の社告とともに、参考リストを掲載。『参考リストの中から選んでください。リストにないものでも結構です』と記してある」
なにやら今年のオールスター戦出場選手選での「ネット投票」を思わせるではないか。要は、読者の方については単純な人気投票だったのだ。付け加えると、識者が選んだ各分野の1位には『人間革命』、『新・人間革命』が入っておらず、道元の『正法眼蔵』はあるが、日蓮の『立正安国論』は入っていない。
創価学会員なら、池田氏の3冊に名著の“評価”をなすのは当然である。読売リストにあった『立正安国論』を見て、それなら池田先生の著作もと、学会員がアンケートに多数応募した結果がこれだったと見るのは穿ちすぎか。
問題はその人気投票数ではなく手法だ。新聞社がしばしば行う世論調査には、さまざまな落とし穴がある。私はその点を小誌に書いた(創刊2号)が、読売が行ったこのアンケート調査は「調査」と称することさえはばかれる、単純な人気投票だ。新聞社は、池田氏の著作を名著で列挙する前に、好きな宗教家、嫌いな宗教家の世論調査を、それこそ厳密に行うべきと思う。
学会員の評価がどうであれ、『人間革命』などの出自に読売は何の疑いも持たぬらしい。これが代筆でなされたことは、多くの脱会者が証言しているのに。しかも池田氏(この小説では山本伸一となっている)称賛ストーリーは、読むものを胸くそ悪くさせること必定。それを「アンケート回答で数が多かった」というような理由で、名著に加える読売新聞社のスタンスが問題なのである。
<読売記者も嘆く「読売」の無節操>
その年の大晦日。読売は再びお節介な企画記事を掲載した。1897年から00年までのベストセラーの年間調査結果である。ここでは、『人間革命』が65年の、『新・人間革命』が98年のベストセラーと記されている。たしかに部数から見ればそうであろう。
800万会員は、こうした著作が出れば買うのだから、そうならない方がおかしい。
「だから」
と、先の読売関係者が続けて、
「この先、中央公論のハードカバーや新書、文庫で、たとえば池田氏の教育論なり宗教論を出版していく露払いのような企画に、今回の中公特集は見えるのです。そのうち『婦人公論』に、池田サンの奥さんが登場することだって十分ありえるんじゃないか」
これまで読売(もちろん渡辺氏の意向だろうが)は、憲法改正試案や個人情報保護法試案などを世に問うてきた。そして、昨年6月9日には「宗教と政治」なる署名記事が掲載された。この記事が象徴的だったのは、公明党の政権参加は「政教分離違反」ではないと断じ、公明党が国民政党に脱皮することと、排他的信仰との兼ね合いで、支持を広げるために妥協することの「距離」を問題視している点だ。記事はこう書いている。
〈宗教、政治、そして政党……のあるべき姿とは何か。共通する問題が民主主義政治の根底にある〉。
これをまさに受ける形で、今回の中公特集が企画されたと思えてならない。タイトルの「『政教分離』を柔軟に考える」以下、読めば読むほど、さらに一歩踏み込んだ、つまり学会・公明党を翼賛するメディアに読売・中央公論は変貌を遂げたといわざるを得ないのである。知人の読売記者がこう吐き捨てた。
「読売がこの調子で、公明党・学会サイドのいうような3人区150選挙区の中選挙区制に制度を換えろと言い出すんじゃないかと……」
秋谷栄之助創価学会会長と渡辺氏の密会は、写真を撮られているにもかかわらず、秋谷氏サイドは否定したいわくつきのものだったが、その後も、神崎代表と渡辺氏が揃って巨人戦を観戦した事実も発覚している。
読売新聞は1000万部に近い発行部数を誇る。聖教新聞は公称、550万部の発行部数。この両者がタッグを組むような事態は、もうそこまで来ているのかもしれない。
山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者を経て、「週刊文春」記者。イトマン事件など経済事件を担当し、今春独立。

(「破邪顕正」『聖教新聞』H15.5.31/『フォーラム21』H15.6.15)
◆悪質な人権侵害を繰り返す『週刊新潮』等のデマ雑誌には、声を大にして「買うな」と叫ぶことが正しい非暴力闘争だ。まさにデマ雑誌こそ、社会の根本を狂わせる一凶だ。ゆえに皆で「買うな!」「読むな!」「店に置くな!」「広告を出させるな!」と、猛然たる世論を興隆させるべきだ。
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ここには、言論の自由に対する配慮は微塵もない。たとえ自らにとって耳の痛い批判的言論であってもこれを認めるのが言論の自由である。自らに批判的な言論の存在を許さないというファッショ的体質が滲み出ている。実は、このような"不買運動"は、今回が初めてではない。過去に『サンケイ新聞』の不買運動を実際にやったことがある。さらには1969年には藤原弘達氏の『創価学会を斬る』について、出版妨害事件を引き起こした。後者については政治問題となり、「今後は2度と、同じ徹を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思います」(池田大作・1970年5月3日「第33回本部総会」)としていたのである。今回の"不買運動"は、言論問題の反省謝罪を反故にした、ということであろう。(<言論問題>参照)

―糾明!米国誌紙による本紙攻撃の真相―
―学会の正宗批判に利用されたNY地元紙―
―本紙記事を改竄して持ち込んだのは学会員!!―
(『慧妙』H14.1.1)
本紙は、212号および213号の「鉄槌」欄で、『聖教新聞』『創価新報』と学会の御用新聞『内外タイムス』が展開した『慧妙』は、米国の同時多発テロは、日蓮正宗を批判するゆえに起こった仏罰だ、と論じている≠ニいう本紙誹謗(ひぼう)が、いかに文意・文脈を無視したデタラメなものであるかを、具体的に反証し破折した。
それを見ていただければわかるように、彼らは、原文にあたれば直(ただ)ちにウソがバレると承知しながらも、平気で文意を改変したり、書いてもいないことを書いてある≠ニして論じ、もって一般国民をも巻き込んで、本紙や日蓮正宗の信用を失墜(しっつい)せしめんと図(はか)ったのである。
その、問題の『聖教新聞』(平成13年11月1日付)には、
「日顕宗は異常なセクト集団<Aメリカの有力紙が厳しく糾弾」という見出しのもと、ニューヨークの地元紙も『慧妙』の記事を取り上げ、日本のセクト・日蓮正宗は最近、歴史上のブッダよりも、あのウサマ・ビンラディンを想起させる、とまで書いている≠ニ述べられていた。
だが、批判者潰(つぶ)しに血道を上げる池田創価学会が「ウサマ・ビンラディン」と並び称されるならいざ知らず、日蓮正宗および本紙が、ニューヨークの地元紙からそのように評されるいわれなど、何1つない。
もし、そういう記述をした一般紙が実在したとしても、『内外タイムス』同様、創価学会の息がかかっていることは、当初から見え見えであった。
本紙は、このたび、その記事が載(の)っているという『クイーンズ・クーリエ』と『フラッシング・タイムス』の2紙を入手するとともに、背景についての情報を集めた。
すると、記事自体が悪質なスリカエである上、最初に週刊誌『クイーンズ・クーリエ』(10月24―30日号)に記事を書いたのは、アダム・ジェイ・ガンブルというフリーのジャーナリストで、これが、現役バリバリの学会員(SGI会員)であることが判明したのである!!
ガンブルは、同誌の署名記事で今回のテロに対する各宗派の対応を論じ、その中で日蓮正宗はビンラディンを想起させる≠ニし、その根拠として、本紙(平成13年10月1日号)の「降魔の剣」欄で引用した日顕上人猊下のお言葉(注・平成13年4月11日のお言葉。近年の日本の世相について言及されたもので、もちろん、テロ事件のことを言われたものではない。別掲参照)を巧みに利用し、
(日蓮正宗は)今回のテロは要するに『正法』を信じない人々への報(むく)いであるというのだ≠ニ結論付けているのである。
何という姑息(こそく)さ、何という悪質さであろうか。
ガンブルがこういう記事を書いたというも、その後の『聖教』『新報』の対応を見れば、もともと学会の意図によるものであったことは見え見えである。
その後に発行された、もう一紙の『フラッシング・タイムス』(フラッシング市の日刊紙)であるが、これも『クイーンズ・クーリエ』と同様に、本紙記事を歪曲(わいきょく)して翻訳し、さらに、この『慧妙』は、妙説寺の機関紙である≠ニして、ニューヨークのフラッシングにある正宗寺院・妙説寺に地元民からの批判が及ぶような構成にしてある(後に、妙説寺からの抗議により妙説寺の機関紙≠ニいうことについては訂正文を掲載)。
ちなみに、この『フラッシング・タイムス』は、『クイーンズ・クーリエ』と同様の論調であり、さらに同じビル内に事務所があることからして、情報源は同一と見て間違いないだろう。
こうした学会の謀略に、事実関係を確認しようとしたのか、アメリカのいくつかの機関が、本紙記事を直接確認しようとした形跡が残っているが、それにしても、ニューヨーク市民がテロ事件にナーバスになっている今、それを利用して日蓮正宗批判を画策した池田創価学会の所業は、けっして許されることではない。
こういうことをする学会こそは、非道で邪悪な宗教団体として、いずれ世界中に認知されることになるであろう。
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『慧妙』(平成13年10月1日号)の1面記事
●『慧妙』(平成13年10月1日号)の1面記事の要旨
日蓮大聖人の御金言には次のように示されている。
邪宗謗法の者が国土に充満して正法正師に法難をこうむらせる時、その国土を守護する諸天善神が怒りをなして、大地震等の天変地夭・大疫病・大不況など多くの大災難が相次ぎ起こってくる。しかし、そうした諸天善神の力用をもってしても、邪宗謗法の者が権力者と結託して、まったくその権勢が揺るがない時には、他の国土の諸天善神の力が発動して、前代未聞の大闘諍(大戦争)がこの国を襲い、数多の人が命をなくして、雨のように地獄に堕ちることになる。=i趣旨)
現在の池田創価学会の姿は、まさに、この邪宗の者が権力者と結託して、正法正師に法難をこうむらせる¢鰍ノ匹敵している(※具体的事実を挙げて検証)。
9月11日に発生した米国の同時多発テロについて、国内のマスコミでは、世界大戦争の危機≠ニか日本も必ず巻き込まれる%凵Xと警鐘を鳴らしている。
これ(同時多発テロ)が、「一閻浮提に起こる」「前代未聞の大闘諍」「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」の兆(きざ)しでないことを祈るばかりだが、大謗法の国土となった日本に、一国総罰の現証は必ず現われる。謗法の学会員は、その諸天の治罰を心から畏れるべきであるし、法華講員はいよいよの折伏をすべきである。
●『慧妙』(平成13年10月1日号)
「降魔の剣」欄で引用した日顕上人猊下お言葉
(不幸な事件が相次ぐ今の世相について)「これは大きく見れば、正しい仏法を無視することにより、様々な邪法がいろいろな毒薬の用きを生じて、そこにおいて多くの人々が苦しんでいるのであり、私どもはその姿を明らかに観ずることができるのであります」(平成13年4月11日)

(『テーミス』H14.12抜粋)
<「新聞の危機」とは何か考える>
・創価学会の池田大作名誉会長の寄稿を、大々的に取り上げるメディアが後を断たない。
・東奥日報では、今年5月10日から14日の朝刊に、池田氏の「日中国交正常化30周年に寄せて」と題する特別寄稿を5回にわたり連載した。初回の10日付1面には、特別寄稿の告知記事も掲載している。これを「唐突な経過と、特定の宗教・政党の取り組みに対する破格の取り扱い」と受け止めた労組側は、連載初日の10日、労務部長に対し、説明を求めた。
・今年9月、労組は「池田創価学会名誉会長寄稿連載について考える」という冊子を作成している。(中略)そこにはこんな一節がある。
「販売部数が伸び悩み、広告収入も落ち込む中で、業界全体が生き残りをかけた戦いの中にある。『危機感を持て』という。新聞にとって最大の危機とは、言論機関として読者の信頼を失うことである。仮に、経営の危機の前にあっても、権力や特定の企業・団体におもねるような紙面作りはしないと私たちは頑なに信じている。今回、その唯一最大の共通理解が揺らいだ場面であった。それこそ『新聞の危機』というものを真剣に考えずにはいられない」
<予想以上に激しい地方紙侵食>
・昨年5月に朝日新聞が「視点」欄で池田氏の教育改革に関する寄稿を載せ、波紋を起こした。
・7月には読売新聞が政治部長による池田氏のインタビューを掲載し、9月には産経新聞が4度にわたり論説副委員長によるインタビューを載せた。
・一連の動きを締めくくるように毎日新聞が大々的にインタビューを掲載したことは、読者の記憶に新しい。 毎日新聞は今年の8月19日にも「発言席」の欄で、「憲法に『環境権』の規定を」という池田氏の署名記事を載せた。だが、米国の創価大学の建設に際し、地元住民や連邦議会等から環境破壊で激しく批判された事実は、黙殺していた。
<テレビもすでに落ちていた!>
・テレビでも例外ではない。ネットワーク系列に属さない、地方の「独立U局」と呼ばれる弱小テレビ局が狙われている。
・こうした新聞やテレビの池田氏の扱い方について、聖教新聞などでは「創価学会の正義」「池田大作氏の正義」を社会全般が理解し始めた証拠だと宣伝している。
・神奈川新聞では、自社の25万部の新聞印刷を大幅に上回る、聖教新聞30万部、公明新聞4万部を印刷しているという。この事実を知れば、神奈川新聞に「熊本で池田大作写真展開催」という、読者を驚かせる珍妙な告知記事が出るのもうなずける。
・東奥日報労組のように、池田氏の寄稿が載るや否や敢然と声を挙げ、経営側に問い質したところが、ほかにある様子はない。経営者や記者の無責任と怯懦が、創価学会の「メディアジャック」をたやすくしている。

―「『創価学会を斬る』」より―
(佐高信『週刊金曜日』H12.6.16)
前号の「論争」欄に、熊本県の農業高校で校長から「『週刊金曜日』は生徒に読ませるのには好ましくない雑誌だから絶対に寄贈は受け入れられない」というクレームがついた話が載っている。
それを読んで、今年の3月13日に、東京都の大田区議会で公明党の区会議員がやった質問(※)を思い出した。
質問というより“焚書坑儒”的要望である。
「『週刊新潮』『週刊文春』『文藝春秋』を全大田区の全図書館から排除してもらいたい」
幸か不幸か、本誌は入っていなかったが、この議員は「週刊誌は人のことを中傷している」とし、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」と訴えた。
「不愉快」の感じ方は人によって違う。私は、公明党のバックの創価学会のドン、池田大作の跋扈こそ不愉快だが、それでも、彼の本を図書館から排除してもらいたい、とは思わない。
しかし、彼らは排除を求める。それは自信のなさを表してもいるが『週刊新潮』の3月30日号によれば、1969年に刊行され、言論出版妨害事件を惹き起こした『創価学会を斬る』(日新報道)の著者、藤原弘達が昨年春に亡くなった時、夜中じゅう、
「おめでとうございます」
という電話が続いた、と妻の充子さんが証言している。
「実は厭がらせは主人が死んでからも続いたんです。出版妨害事件の時は段ボール箱に3箱以上も投書が来ましたし、警察がうちの子どもに警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました。彼らは本当に仏教を信じているんでしょうか……」
充子さんはこうも語っているが、いまから30年以上も前に書かれた『創価学会を斬る』には、こんな予言的指摘もある。
「創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないのか」
そして、藤原はそれをこう憂える。
「もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。
(公明党が)自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多くもっている」
この本はいまも「生きている」と思うが、残念ながら文庫化等はされていない。
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※●区社会教育部長に対してこう質問したのは公明党所属の田口仁氏だ(当然、創価学会員である)。 筆者は本人を直撃したことがあるが、同氏は図書館からこれらの出版物を排除する理由すらまともに答えられなかった。また、同様の質問は他の議会でも公明党議員によって行われていた。(山田直樹『週刊新潮』H15.11.6)

『中外日報』
―今、新たに振り返る「あの頃のこと」―
―たまたま眼にした小さな訃報―
(元創価学会顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.2.1)
【たまたま眼にした小さな訃報】
昨年秋、創価学会との訴訟準備のため、図書館に出かけた折、たまたま眼にした10月18日付『中外日報』に、次のような、小さな訃報(ふほう)記事があるのを見つけました。
「本間昭之助氏、死去。中外日報の元社長で(財)京都仏眼協会前理事長の、本間昭之助氏が8月下旬に死去していたことが、このほど分かった。78才だった。関係者によると、3年ほど前に脳梗塞(のうこうそく)で倒れて以来、療養生活を続けていたが、詳細は近親者・関係者以外には知らされていなかった。山形県生まれ。中外日報社の東京支社長を経て、昭和50年4月に代表取締役社長に就任。平成9年12月に解任されるまで22年間、社長を務めた。」
22年間も社長を務めた人物の訃報を報じるにしては、いかにもよそよそしく素っ気ない扱いであり、そもそも、「8月下旬に死去していたことが、このほど分かった」と、死後2ヵ月も経(た)って、死去の日付すら曖昧(あいまい)な記事を掲載した、というところに、社長を解任されてからの本間氏と「中外日報社」との関係が窺(うかが)われます。
【学会の手先を務めた『中外日報』】
読者の方々の中には、平成3年の創価学会破門に際しての、『中外日報』紙による激しい宗門攻撃、そして、その後も平成9年まで続いた、毎号1面を丸々使っての宗門攻撃、創価学会批判を行なうマスコミやジャーナリスト、あるいは脱会者や反学会勢力に対する、えげつないスキャンダル攻撃を、覚えている方もおられるでしょう。
かくいう私も、創価学会が謀略によって作り出したスキャンダルをもとに、連日のように『中外日報』に攻撃されました。
とくに、平成8年に行なわれた総選挙において、「民主政治を考える会」の"緊急レポート"ビラ5千万枚の配布によって新進党が敗北し(創価学会、元新進党関係者はそう言っています)、それが引き金となって新進党が分裂する、という騒ぎの後は、私は、『中外日報』の最大のターゲットとされました。
このビラの仕掛け人が私であり、「代表世話人の内藤圀夫は、ただ名前を貸しただけで、実際は、山崎が一切を取り仕切ってやったことだ」と思い込んだ創価学会は、私を、日蓮正宗・御法主上人に次ぐ仇敵(きゅうてき)としたのです。そして、創価学会の意を受けた『中外日報』が、怪文書や、私に対し訴訟を起こした女性の「上申書」等を材料に、紙面で攻撃し、そして、これを創価学会が、『聖教新聞』『第三文明』等で「一般紙によれば……」という形で取り上げる、というデッチアゲの方程式が確立しました。
【学会の『中外日報』浸食の"手口"】
そもそも『中外日報』は、真渓涙骨氏が明治30年に『教学報知』の名前で創刊した仏教新聞であり、『中外日報』と改題してからは、我が国唯一といってよい総合的な仏教紙として、存在していました。
その昔は、司馬遼太郎氏が大阪の新聞記者時代に『中外日報』紙に連載した「梟(ふくろう)の城」で、直木賞を受賞するなど、由緒と権威のある仏教紙でした。
戦後、創価学会が出現してからは、仏教界を背景とする新聞として、創価学会に対し批判的な立場を取ってきましたが、昭和49年頃から、『中外日報』の論調が様(さま)変わりしはじめました。次第に、反創価学会色が薄れ、やがて、さりげなく創価の提灯記事が掲載されるようになりました。
じつは、この頃、東京支社長であった本間氏が、経営不振の打開策として、創価学会にすり寄ったのです。
その前から本間氏は、『中外日報』を背景に、各教団の紛争に介入しては、金を出す方に味方し、出さない方を叩くという、いわゆる「宗教ゴロ」に手を染めるようになり、そのことも部数を減らす原因となっていましたが、本間氏の主導で、創価学会をスポンサーとして、経営立て直しを図ったのでした。
この頃、本間氏は、創価学会に入会しています(立場上、秘密にしていましたが、当時、大石寺境内で見かけた人もあります)。
読者の方の中には、昭和50年頃、『中外日報』が、日蓮正宗寺院や有力な幹部に、無料で送られていたことを覚えておられる方も、いらっしやると思います。
学会は、「マスコミを味方に付けるため」「宗内に、他宗の状況を知ってもらうため」等と説明していたようですが、とにかく、無料で多くの寺院や幹部に配られ、そしてその代金は、創価学会が一括して支払っていました。年間2千万円くらいだったでしょうか。
ちょうどこの頃、私は創価学会において、「情報謀略師団」を指揮し、敵対勢力に対する攻撃や、情報収集を行なっていました。
昭和48年頃、当時の創価学会にとって最大の敵であった「新宗連」(新宗教団体連合会)、その主力教団である立正佼成会・PL教団に対する攻撃のため(池田大作は、「言論問題」の時、「新宗連」に非難されたことを根に持っており、その仕返しの意味もあって、私に、攻撃を命じたのです)、当時、「新宗連」理事長が管理していた「社団法人日本宗教放送協会」という休眠中の公益法人に目を付け、これを、元「新宗連」関係者をダミーとして、5百万円で買収しました。
そこへ当時、私の配下であった北林芳典(現・報恩社〈葬儀会社〉社長。怪文書『地涌』の関係者)を、「大山正」という偽名で派遣し、これを編集長にして『宗教評論』という機関紙を発行させ、「新宗連」や立正佼成会、PL教団等に対する、陰険で下劣な攻撃をやらせました。「新宗連」関係の法人が、突然「新宗連」等を攻撃したものですから、相手は面食らいました。
北林は、この時、『中外日報』の本間氏と親しくなり、その、「宗教ゴロ」の片棒を担(かつ)ぐようになりました。北林は、私にこれを、「カムフラージュのため」と言って誤魔化していました。
そのうち、昭和55年になって、私や原島嵩氏が学会に造反し、内部告発を開始すると、北林は、私に対する攻撃の急先鋒となりました。そして、『中外日報』も、創価学会擁護(ようご)の論陣を張りました。
平成3年、日蓮正宗が創価学会を破門すると、『中外日報』は、マスコミの中で唯一、創価学会の肩を持って、宗門攻撃を行ないました。そして、さらに、私や乙骨正生氏、段勲氏、内藤圀夫氏、「四月会」や、自民党の創価学会批判に対し、攻撃を行なったのです。
その記事は明らかに、創価学会の入れ知恵か、あるいは、創価学会のゴーストライターが書いたと見られるものもありました。
創価学会の危急存亡にあたって、本間氏は、『中外日報』の、仏教紙として一般仏教界を基盤としてきた立場をかなぐり捨てて、『聖教新聞』以上に、創価学会の敵対者に攻撃を加え続けました。
仏教界も世間の識者も眉(まゆ)をひそめ、社内からも強い反発がありましたが、創価学会からの支援をバックに、ワンマン体制を敷いていた本間氏は、こうした批判に耳を貸そうともしませんでした。
【更生の端緒は『自由の砦』の特報】
ところが、平成8年9月8日付『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)しました。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)りました。
そうした状況の中、中外日報社で、本間氏に対するクーデターが勃発(ぼっぱつ)したのです。
株主や社員、有力関係者が密(ひそ)かに協議を重ね、その結果、平成9年12月24日に開かれた取締役会で、本間昭之助氏は突然、社長を解任されました。
そして、平成10年3月3日付1面に、「中外日報が変わります」「『不偏不党』の立場を貫く」「真実で公正な報道・論評へ」「恣意(しい)的な紙面作り打ち切り『刷新』」等の大きな見出しで社告を掲載し、
「近年、不幸にして、創刊者涙骨翁の精神に背(そむ)き、『公器』である紙面の一部が歪められてまいりました。(中略)私どもは、昨年12月24日、恣意的な紙面作りを断ち切るために、前社長を解任しました。独立不羈(ふき)の記者魂で蹶(けっき)した私どもの微衷(びちゅう)をお酌み取りいただければ幸いです。この上は、創刊の精神にかえって、『紙面刷新』に取り組みます。(中略)我が真渓涙骨社主の命日である4月14日を起点に、紙面を刷新します」
と宣言したのです。
これ以後、『中外日報』の、創価学会ベッタリの記事は姿を消しました。
創価学会の金に目がくらみ、公器である新聞の紙面を歪めた本間氏は、それっきり、表舞台から姿を消し、消息も聞かれませんでした。
『中外日報』も、完全に本間氏との関係を断った、ということでした。
今回の訃報により、本間氏は3年もの間、不自由な生活をした末、昨年8月に息を引き取ったことが明らかとなりました。そのことを、『中外日報』ですら10月下旬まで知らなかったのです。
こうして、社長を追放してまで創価学会との関係を断ち切った『中外日報』は、宗教紙としての姿を取り戻しましたが、創価学会に骨の髄(ずい〉まで虜(とりこ)になった本間氏の人生の寂しい終焉(しゅうえん)は、いろいろ考えさせられるところがあります。氏の冥福(めいふく)を祈ります。
私は、創価学会との間で多数の訴訟を抱え、しばらく身動きできない状態にありましたが、これを契機に、再び「あの頃のこと」を再開し、今後は、創価学会の極秘内部資料に基づいて、自らの「本仏化」と「創価学会の私物化」「日蓮正宗支配の野望」そして「それが叶(かな)わぬ時は、在家教団としての独立を目指す」という、宗・創間の紛争の原因となった池田大作の本音を明らかにしていくつもりです。
さらに、できれば、昭和55年以後の「正信会との関わり」と紛争の真実を、明かしていきたいと思っています。
[画像]:学会の呪縛が解けた『中外日報』(H10.3.3)=「恣意的な紙面作り断ち切り刷新」の文字が
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◎明治30年 真渓涙骨氏が仏教新聞『教学報知』を創刊。『中外日報』と改題してからは、我が国唯一といってよい総合的な仏教紙として存在
◎ 戦後、創価学会が出現してからは、仏教界を背景とする新聞として、創価学会に対し批判的な立場を取ってきた
◎昭和49年頃
・東京支社長であった本間氏が、経営不振の打開策として、創価学会にすり寄る。
・『中外日報』の論調に反創価学会色が薄れ、やがて、さりげなく創価の提灯記事が掲載されるようになる
・本間氏、創価学会に入会
◎昭和50年4月 本間氏、代表取締役社長に就任
◎平成3〜 創価学会破門に際しての、『中外日報』紙による激しい宗門攻撃、そして、その後も平成9年まで続いた、毎号1面を丸々使っての宗門攻撃、創価学会批判を行なうマスコミやジャーナリスト、あるいは脱会者や反学会勢力に対する、えげつないスキャンダル攻撃。これを創価学会が、『聖教新聞』『第三文明』等で「一般紙によれば……」という形で取り上げる、というデッチアゲの方程式が確立
◎平成8年9月8日 『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)る
◎平成9年12月4日 取締役会で、本間氏が突然、社長を解任される。株主や社員、有力関係者が密(ひそ)かに協議を重ねた結果の「クーデター」
◎平成10年3月3日 『中外日報』1面に、「中外日報が変わります」「『不偏不党』の立場を貫く」「真実で公正な報道・論評へ」「恣意(しい)的な紙面作り打ち切り『刷新』」等の大きな見出しで社告を掲載
●近年、不幸にして、創刊者涙骨翁の精神に背(そむ)き、「公器」である紙面の一部が歪められてまいりました。(中略)私どもは、昨年12月24日、恣意的な紙面作りを断ち切るために、前社長を解任しました。独立不羈(ふき)の記者魂で蹶(けっき)した私どもの微衷(びちゅう)をお酌み取りいただければ幸いです。この上は、創刊の精神にかえって、「紙面刷新」に取り組みます。(中略)我が真渓涙骨社主の命日である4月14日を起点に、紙面を刷新します(『中外日報』H10.3.3)
◎平成19年8月下旬 中外日報の元社長で(財)京都仏眼協会前理事長の本間昭之助氏が死去
◎平成19年10月18日 『中外日報』、本間氏の訃報掲載

『中外日報』は一時期、学会の資金が流入するとともに、学会が同新聞を大量に買い付けていたという事実が、宗門側の新聞によって暴露されたことがあります。このような背景事情があって『中外日報』は、「学会の御用新聞」のごとき報道を繰り返し行ったのです。
つまり、学会の御用新聞が、学会に加担した報道を流していただけのことであり、何の信憑性もないことは明らかです。
そして内外から、その偏った報道姿勢に非難を浴びました。そのため同新聞は、平成10年に、第1面全体を割いて、それまでの学会偏向の報道姿勢を反省し、改める旨を表明しています。↓
[画像]:偏向報道を謝罪する『中外日報』

(『慧妙』H8.9.16編集)
<一般紙も「金のために身を売った」と批判>
●『中外日報』という仏教業界紙がある。明治に始まり、近く創刊百年を迎えようという、由緒のある隔日刊紙である。
ところがこの新聞、2、3年前からおかしくなっている。創価学会の提灯持ち記事がやたらと多くなったのだ。
おかしくなったのは、創価学会が日蓮正宗と対立してからである。正宗の僧侶を悪し様にこきおろす記事が目立つようになった。親しい記者に尋ねると、実は社長が、資金難を逃れるために学会の金に取り込まれてしまったのだという。
記者の中にも、こんなことではいかんと考えている者もいないわけではないが、社長は聞く耳を持たないのだという。(中略)
最近は『聖教新聞』の転載がよく出るが、8月22日には、『週刊新潮』の批判本を出した著者にインタビューした大きな記事が出ている。
なぜ『週刊新潮』の内幕を問題にするのかと言えば、創価学会批判の記事をよく載せるからである。
この批判者(※批判本の著者)によればバックナンバーをすべて取り寄せて「目次を研究」した。その結果、「最初は格調が高かったのですが、だんだん、どうも下半身の問題であるとか、創価学会、あるいは共産党とかいったものを叩くことを方針としているような感じ」が出て来たという。ここで「下半身の問題」を言うのは、近く裁判の始まる、池田大作のレイプ事件を念頭に置いている。
しかし、これは語るに落ちた話で、『中外日報』の記事がおかしいと私が気づいた最初は、連日、正宗僧侶や夫人の「下半身記事」を、これでもかこれでもかと掲載し続けたからである。
マスコミをスーパーとすれば、このような新聞は専門店。個性的で気骨のある専門店メディアの健闘を心から期待する者の1人として、金のために良心を売った「宗教」新聞の存在は、まことにうら寂しい事件ではある。(平成8年9月1日付『産経新聞』コラム・斜断機)
<発行部数の約半分を学会が購入>
一般紙もこれほどの関心を寄せる、創価学会と『中外日報』のただならぬ関係−今般、それを裏付ける内部資料が流出し、本紙もそのコピーを入手した。それは、「注文請書」と印刷された1枚の伝票であった(別掲)。
御覧のように、この伝票は、『中外日報』2400部の1ヵ月あたりの定期購読代金696万円を、月末で締め、翌月末に指定口座に振り込む−という内容。
受注者の欄には「株式会社中外日報東京本社」のゴム印と角印、発注先欄には、印刷文字で「創価学会」と。
書式からいって、伝票そのものは創価学会の専用用紙らしいが、その右肩に「轟局長様」とのメモ書きがあるように、この伝票、中外日報東京本社から京都本社の轟局長宛てに送られたものだという。中外日報東京本社は、創価学会からの受注状況を京都本社へ報告するにあたって、創価学会への「注文請書」の写しを、そのまま送ったということか。
しかも一説によれば、『中外日報』の発行部数は5000部程度だという。つまり創価学会は『中外日報』の発行部数の2分の1近くを買い取ってしまっていることになる。
これによって、創価学会が年間に中外日報社に支払っている購読料は、8352万円にのぼる。
しかも、学会から同社に流れる金は、こうした正規の購読料ばかりではない。聖教新聞社や第三文明社が、『中外日報』に、ほぼ定期的に3段ぶち抜き広告などを掲載しているのだから、その広告料も、莫大な額にのぼるはずだ。
<狡猾な『中外日報』利用法>
平成3年3月4日発行の『微笑』に、日顕上人猊下のゴシップ記事が載った。
”猊下に隠し子が?”と思わせるような見出しの付いたその記事は、女性週刊誌によくありがちな、冗談話をおもしろおかしく脚色しただけの記事であった。
すなわち、猊下と幼なじみだ、という女性が、猊下に対する淡い初恋の思い出なるものを週刊誌記者に語っただけの、じつにたわいもない記事だったのであるが、インタビューの中で、その女性の次女について、”猊下との不義の子であり、妊娠中も土手から飛び降りるなどして流産しようとした”との噂があるが、と記者が問い掛けたのに対し、その女性は、”次女も間違いなく夫の子供”と断言。さらに、
「私、冗談好きだから。それが結果的に、みんなにウソをつくことになったかも知れませんね。血液型を調べれば分かりますよ」と、重ねて全面否定した。
ところが、この記事に基き、後日、『中外日報』(平成3年11月19日・20日号)は次のように報じた。
「この女性は、人妻となったにもかかわらず、信雄(※しんのう・日顕上人御登座前の御名)さんと”焼けぼっくいに火”がついて妊娠し、土手から飛び降りるなどして流産をしようとしている。罪な話である。この”妊娠事件”が本山内で噂となったのであろう。日顕氏の輝ける経歴の中でこのことが紛れのない汚点として残っている。」
「マスコミ紙上(※『微笑』のこと)を賑わしたのが、日顕法主に隠し子がいたという事実。『信雄さんは初恋の人』と法主の幼名で懐かしそうに思い出を語る女性が登場。その告白が真実とすれば、日顕猊下と彼女の間に産まれた子供は、娘さんで現在44歳という。」
こうして、『微笑』に掲載されたたわいもない記事は、『中外日報』の手によって、正反対の趣旨へとネジ曲げられ、無惨な女性スキャンダルに捏造されてしまったのだ。
しかも、この捏造スキャンダルが、さらに脚色され、他のデッチ上げ話も付け加えられて『創価新報』(平成3年12月4日号)紙上に「宗風を汚した日顕法主の暴力と遊蕩・法滅の家系、3代にわたる”かましの血脈”」との、おぞましい見出しの付いた誹謗記事となっていったのだから、呆れて物が言えない。
これが、創価学会による『中外日報』の代表的な活用法の1つである。
これ以外にも創価学会は、一般人がほとんど目にすることがない『地涌』その他の怪文書を、まず『中外日報』紙上に取り上げさせ、さらに、その『中外日報』の記事をネタに、今度は「あるマスコミの報ずるところによれば・・・」等々といって、『創価新報』や『聖教新聞』で大々的なキャンペーンを繰り広げてきた。
つまり、自ら捏造したスキャンダルを、『中外日報』というメディアに取上げさせることで、それがあたかも巷間に報じられた周知の事実であるかのように見せかけ、末端会員や、学会御用達の一部の学者やジャーナリスト達を洗脳し続けてきたのである。
そのウラには、いざとなったら責任の全てを『中外日報』に負わせて”とかげの尻尾きり”をしよう、という薄汚いハラがあることは間違いない。
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◆昭和17年8月12日付けの宗教新聞『中外日報』の記事である。見出しは、大きな活字で、こう出ていた。
「神本仏迹か、仏本神迹かの教義信条問題を公開せん
日蓮正宗の維新断行に護国憂宗の士ら遂に起つ」
笠原の策謀が、このような記事にデッチあげられたのだ。(『人間革命』第6巻82頁)
◆そのとき、森川一正が、笠原の策謀になる『中外日報』の10年前の記事を、ある学会員の先輩のところから入手して、持参したのである。700年祭を前にして、かつての笠原の活動が、いかに悪辣であったかを、この記事は、決定的に証拠づけていたといってよい。笠原を宣揚する記事が、はからずも笠原の罪状を、そのまま語ってしまっている。(『人間革命』第6巻85頁)
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戦時中の『中外日報』は、獅子身中の虫たる宗内僧侶の側に立って「デッチあげ」の記事を掲載していた。そのような新聞に信を置いて、今度は学会自身が宗門誹謗のために「デッチあげ」の記事を利用したのである。

言論問題
(『フォーラム21』ほか)
[画像]:創価学会による言論出版妨害事件が世に知れ渡るきっかけとなった、藤原弘達著『創価学会を斬る』(『慧妙』H20.4.1)
<S44.8末>
・藤原弘達氏(※明治大学法学部教授)が「この日本をどうする」という警世キャンペーンシリーズの第1巻として、『日本教育改造法案』を出版。その車内吊り広告の脇に、次回作『創価学会を斬(き)る』の出版を予告。(『慧妙』H15.7.16)
・これに対して創価学会・公明党は、池田大作会長(当時)の指示のもと、『創価学会を斬る』の出版妨害に着手。
<出版妨害>
●(※昭和)44年8月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から1つの仕事を命じられた。(中略)(北条・秋谷同席で、池田大作は)「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」「藤原君は、彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」池田はいつもこの調子だった(藤原行正=元創価学会渉外局長『池田大作の素顔』H1.4発行112頁/『フォーラム21』H15.7.1)
・S44.8.31 池田の命を受けた藤原行正氏は、、著者の藤原弘達氏宅を訪ねるも、交渉は不調に終わる。(『慧妙』H15.7.16)
・9.4 藤原行正氏は、出版社である日新報道に出版中止を掛け合うが、これも不調。(同上)
・9.14 今度は秋谷栄之助と藤原行正氏が藤原弘達氏と面談。1時間45分に及び交渉するが、やはり不調に終わる(この時の会談の内容は藤原弘達氏によって録音され、後に公表されることとなる)。(同上)
●創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった(竹入義勝=元公明党委員長『朝日新聞』H10.8.26/『慧妙』H15.7.16)
・10.6 田中角栄はまず、藤原弘達氏に架電。(同上)
・10.15 田中角栄、赤坂の料亭に藤原弘達氏を呼び出し交渉。この時、隣の部屋で、交渉の行方に聞き耳を立てている池田大作と竹入氏の姿を、料亭の仲居が目撃。後に『サンケイ新聞』がその事実をスッパ抜く。(同上)
・10.23 田中角栄が再度、藤原弘達氏と面談するが、結局すべて不調に終わる。(同上)
●昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。(矢野絢也=公明党元委員長『矢野回想録』29頁/『前衛』H15.7)
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田中は赤坂の「愛用の料亭」・「千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。(『前衛』H15.7)
●田中氏の仲介も不調に終わると、池田大作は潮出版社や聖教新聞社の社員を動員して書店を回らせ、『創価学会を斬る』を店頭に並べないよう、圧力をかけて回りました。(元創価学会顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.4.1)
●私は、業務命令で書店に行かされました。
たしか全員で19名だったと思います。本が店頭に並ぶ少し前に、各部門から選抜されたメンバーが急遽、集められました。聖教新聞社の広告局、業務局(新聞販売部門)、出版局(書籍販売部門)、潮出版社からも来ていました。場所は聖教旧館の隣にあった業務局が入っていた建物の2階仏間で、私は出版局からの選抜です。責任者は出版総局長だった横松昭、出版局次長だった青柳清が現場の指揮をとっていました。
そこで聞かされたのは、こんな話です。「藤原弘達が『創価学会を斬る』という本を出す。創価学会を批判するとんでもない本だ。書店を回ってそれを押さえろ」。書店での口上も指示されました。「この本を、ここにある棚から中にしまってください。そうしてもらえなければ、『人間革命』などの扱いをしません」。『人間革命』は書店にとって売れ筋の本でしたから、十分圧力になると考えたのでしょう。そして最終的には、「創価学会を敵に回すのか」と。そこまで圧力をかけろといわれたんです。
青柳のもとで書店を地域別に分けて担当する区を決め、行動開始です。青柳が北條さん(浩・後に第4代会長、故人)から「お前が中心でやれ」と命令されたと聞きました。期間は1ヵ月前後だったと記憶しています。(岩崎文彦・昭和43年聖教新聞入社。聖教新聞社出版局、広告局、業務局等を経て、同55年退職。男子部総合ブロック長、壮年部では支部幹部等を務める。/『フォーラム21』H15.7.1)
・同時期、池田大作は、後にリクルート事件で有名になる池田克也(当時は潮出版社勤務)に命じ、大手書籍取次店や大手書店に圧力をかけさせる。(『慧妙』H15.7.16)
・創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員に、藤原弘達氏と日新報道に対して激しい抗議を行わせたため、藤原弘達氏の自宅や日新報道には、「ぶっ殺すぞ」とか「地獄に堕ちる」といった脅迫まがいの電話や手紙が、連日、殺到。抗議の葉書や手紙の量は段ボール箱数箱分にのぼるまでになった。
●それはひどいものでした。(※抗議の葉書、手紙が)やはり段ボール箱で何箱にものぼったんじゃないでしょうか。電話での脅迫もひどいものでしたので、警察がそれとなく藤原弘達氏のお子さんなど家族の警備をしたほどでした。ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。(遠藤留治=日新報道代表取締役『フォーラム21』H15.7.1)
<S44.11上旬>
・『この日本をどうする2 創価学会を斬る』(日新報道出版部刊)出版
第1部、実態―これが創価学会の正体だ
第2部、分析―その病理を衝く
第3部、展望―その危険なる未来
●日本の政党政治、民主主義の前途を考えた場合、なんらかの意味においてこの創価学会・公明党という存在に対する対決を回避しては、日本の議会政治、民主政治はとうてい健全に育たないという強い確信をもったからにほかならない(同書「まえがき」から)
・この本の「まえがき」で藤原氏は、出版にあたって創価学会・公明党から妨害を受けていたことを明らかにした。一部週刊誌も、この「まえがき」を取り上げた。(『前衛』H15.11)
<S44.12.13>
・NHKで放映した総選挙特集番組「2党間討論(公明党-共産党)」で、共産党の松本善明氏が、「創価学会を斬る等の出版物に、創価学会・公明党が出版に圧力、妨害をくわえている」と、発言。受けて、公明党の正木良明氏が、「そんなことはしていない。すべてウソである」と、反論。
<S44.12.17>
・これに怒った藤原氏は、『赤旗』で、田中角栄自民党幹事長が公明党の竹入委員長の依頼で、この本を世に出さないためにさまざまな働きかけをしていたことを暴露。創価学会が組織的に印刷、広告、取次店から小売店まで、圧力をかけたことも明らかになった。
<明らかにされた過去の「言論弾圧」>
・ロシア文学者の草鹿外吉氏ら5氏のよびかけで、12月23日に「言論・出版の自由にかんする懇談会」がひらかれた。この「懇談会」によって、いくつかの具体的事例が明らかになった。
―内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合―
67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に1度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』H15.11)
―元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合―
まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。68年12月には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』H15.11)
―福島泰照著『創価学会・公明党の解明』の場合―
創価学会からの妨害を予想して、秘密裏に出版作業をおこなった。しかし、本ができあがるころから、大手取次店や広告代理店の扱い拒否という事態に直面し、出版が大幅に遅れた。(『前衛』H15.11)
―隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合―
・秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』H15.11)
・隈部大蔵氏は、西日本新聞社の論説委員をしていたころ、「隅田洋」と名乗り『創価学会・公明党の破滅』という学会批判本を執筆した。すると、昭和43年9月11日、隈部氏は、当時公明党の副委員長であった北條浩に呼び出され、以下のように恫喝(どうかつ)された。(『慧妙』H15.7.16)
●隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ(北條浩=総務『もうダメだ!池田大作・創価学会』/『フォーラム21』H16.4.15)
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この後、北條総務・副委員長に恫喝された『創価学会・公明党の破滅』は、結局1冊も書店に置かれず「初版即絶版」となった(『フォーラム21』H16.4.15)
●これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』昭和56年6月号/『フォーラム21』H16.4.15)
―竹中信常著『創価学会』の場合―
著者に創価学会の山崎尚見現副理事長からの電話があった後、ゲラ刷り検閲がおこなわれ、名誉毀損で告訴することもあるとおどされた。
―梶山季之著『小説・創価学会』(女性雑誌に連載)の場合―
梶山氏に抗議の投書が殺到し、雑誌編集長はいやがらせをうけて蒸発するという事態になり、連載を途中でうちきったという。(『前衛』H15.11)
・この他にも、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』『公明党を折伏しよう』等創価学会に気に入らないとみなされた印刷物の著者や出版関係者がいやがらせをうけ、出版が妨害された事例が次つぎと明らかになった。
<S45>
1.5
・公明党の竹入委員長が記者会見で「事実無根の中傷」と開き直った。
●このことについて竹入氏は「放っておいたほうが良いと進言したが、学会側が工作に動き出し、やむを得ず田中氏に頼んだ。あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」と周辺に語っている。(『朝日新聞』H10.9.18/『前衛』H15.7)
1.8
・社会党の江田三郎書記長が国会でとりあげることを表明
1.10
・民社党の佐々木良作書記長が国会でとりあげることを表明
1.11
・TBSテレビで放映されていた対談番組「時事放談」で、政治評論家の細川隆元氏が「公明党はナチスに通ずる、今度はこの席に関係者を呼んで問いただす」と発言し、細川氏と小汀利得氏の対談の席に池田大作を迎える特別企画が組まれた。しかし、池田側は、体調不良で多忙という奇妙な理由で出席を拒否した。
1.25
・『朝日新聞』投書欄が、「言論・出版の自由をめぐって」の特集を組む。特集は「『赤旗』が連日キャンペーン記事をのせたため、一般の新聞報道が立ちおくれたため」とことわって、「市民に強い危機意識"出版妨害"の真相求める声」として5投書が紹介され、公明党の「反論は遠慮する」とのコメントまで掲載。
2.2
・マスコミ関連産業労働組合共闘会議(9万7千人)が総評はじめ各労組に呼びかけ、「出版妨害の真相を聞く会」を開催し、21労組が結集
・言論・出版の自由に関する仏教徒懇談会が結成され、各宗各派120人の仏教徒を前に全日本仏教会や東京仏教連合会の代表があいさつ
2.3
・「公明党・創価学会の妨害に反対する、言論・出版の自由にかんする大集会」には3千人が集まった。全国各地でも、言論・出版の自由を守る懇談会が結成された。
2.18〜
・特別国会では、社会・民社・共産の各党が、竹入委員長、田中幹事長、池田大作の国会喚問を要求したのをはじめ、基本的人権の1つである言論の自由を侵した創価学会・公明党の危険な体質や、当時、国立戒壇の建立を掲げていた創価学会・公明党の政教一致問題等について厳しい追及を加えたのだった。
<自民党にすがって弾圧回避>
●池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなった。さらに、池田会長は佐藤(※栄作首相)にも連絡を取っていた。70年1月30日の『佐藤日記』には、岩佐富士銀行頭取を通じて「藤原弘達問題には干与しな[い]様に」という池田からの伝言が記され、佐藤は「同感」と岩佐に伝えている(『佐藤日記(4)』31頁)。野党などから出された池田喚問要求について佐藤はのらりくらりと対応し、結局これをうやむやにしてしまう。池田の伝言どおり、「干与しない」ように行動したのである。(『前衛』H15.7)
●69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。
創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、「竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。
「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」
「すまんなあ」
「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」
「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」
「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」
こんなやりとりをしたのを思い出す。
佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(竹入義勝=公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26/『前衛』H15.7)
●当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれた(佐藤昭子=田中秘書『私の田中角栄日記』75頁/『前衛』H15.7)
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この言論出版妨害事件を契機に、田中と竹入の間は一段と深まった。(『前衛』H15.7)
<S45.5.3>
◆……今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまで批判に対してあまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さをかき、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。……今後は2度と、同じ徹を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、……これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再確認し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますがいかがでしょうか(池田大作「第33回本部総会」『聖教新聞』S45.5.4/『フォーラム21』H14.12.15)
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まさにその同時期、一方で、山崎正友・同会顧問弁護士をリーダーとする謀略軍団は、同事件で追及の先頭に立っていた日本共産党の宮本顕治委員長宅への電話盗聴の工作に着手していたのである……。
◆また、学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません(池田大作「第33回本部総会」要旨/『フォーラム21』H15.7.15)
―常態化する歴史の偽造―
(本誌編集部『フォーラム21』H18.6.15)
創価学会による歴史偽造は、いまに始まったことではない。69年末から70年にかけての言論出版妨害の問題もそうである。このとき、池田大作氏は70年5月3日の本部総会で「お詫び講演」をした。言論出版妨害を事実として認め、「今後は、2度と、同じ轍を踏んではならぬと猛省したい」とまで述べた。政治・政党との関係については「政教分離でいけばよいと思う」と述べ、共産党への態度にも言及して「我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない」と述べた。
つまり、言論出版妨害への社会的批判を受け入れて、全面謝罪したのである。にもかかわらず、創価学会はいま、あれは学会婦人部が侮辱されたからだとか、信教の自由を守る正義の戦いだったと描いている。
実は、「お詫び講演」の前後、学会内部ではとんでもない事態が進行中だった。
1通の内部文書がある。70年3月4日付の「総合本部長会報告」。学会副理事長らが地方幹部を相手におこなった指導メモである。こんな指導がされていた。
「(言論問題の)本質は広布を阻む第六天の魔である」「公明党・創価学会の悪口を一口でもいったら追かえし、不法侵入として警察へ訴える位にする」
「マルキョウ(丸の中に共の文字。以下同)は槍傷覚悟でやって来る。広布をハバむ魔である。重大な決意をしなければならない」「マルキョウに焦点を合すこと」「マルキョウをつぶす様祈っていこう」
当然のことながら、マルキョウは共産党のことだ。表向きの「お詫び講演」の裏では、こんな態勢がとられていた。そして講演直後の70年5月から7月、その一部が実行されている。宮本宅電話盗聴である。これが創価学会の組織的犯罪であることは、東京高裁の確定判決(88年4月)で明らかになっている。
そしていま、「反共主義をとらない」どころか、選挙では共産党などの候補者や運動員をとり囲んで妨害し『聖教新聞』などでは「日本中が大嫌悪」「デマ・不祥事で総すかん。“時代遅れ“のジリ貧党」と、「文明論」にはほど遠い悪罵をくり返しているのである。
ところで、宮本宅電話盗聴の真相がわかったのは80年。山崎正友・学会元顧問弁護士の告白によってである。その間、創価学会はそんな事実をひた隠しにしたまま、共産党との間で「文明論」を語り、「協定」まで結んでいた。
とはいえ、「協定」の文書は現に存在している。池田氏も直接かかわったこの文書にケチをつけることはできない。それを反故にするには、誰かを“犯人“に仕立て上げざるをえない。――『創価新報』の歴史偽造には、そんな背景事情が透けて見えるようだ。
一方、共産党は盗聴の真相を知らなかったとはいえ、「反共主義はとらない」などという発言を本気で信じていたのだろうか。政党が特定宗教と「協定」することの検討を含め、全面的な総括はまだされていない。
■ソフト化しても続く「仏敵たたき」なぜ (創価学会取材班『AERA』H16.12.13抜粋)
『聖教新聞』の名物コーナーに、学会幹部らによる座談会記事がある。"敵"のスキャンダルをあげつらったり、罵詈雑言を浴びせたり、刺激的な内容になることが多い。(中略)
【「休質」転換どこまで】
11月中旬、国会近くで反学会色の強い集会があった。そこで、共産党議員がこう言った。
「創価学会は巨大な宗教法人であると同時に、今や公明党が政権に入り、単なる1つの団体では済まされなくなった」
そう考えるのは、反学会勢力だけだろうか。学会の立場や影響力が大きく変わったのに"敵"に牙をむき続けていれば、一時的に批判勢力を牽制できたとしても、むしろ、社会に「声なき反感」を広げてしまうかもしれない。
70年の「政教分離」宣言のとき、池田氏は、
《社会に信頼され、親しまれる学会》
とのモットーを掲げ、こう戒めている。
「批判に対してあまりにも神経過敏すぎた体質があり、それが寛容さを欠き、社会と断絶をつくってしまったことを認めなければならない。今後は2度と同じ轍を踏んではならないと猛省したい」
当時、池田氏が指摘した「体質」は転換できたのだろうか。
先の座談会記事をめくってみると、実にさまざまなフレーズを使って"敵"を攻撃していることに目を奪われる。
「薄汚いドブネズミ」「淫獣坊主」「『人問失格』の見本」「支持者をナメた畜生議員「ゴキブリ坊主」「老いぼれたクズ同然の穀潰(ごくつぶ)し」「極悪ペテン師」「袈裟を被った鬼畜」……。
その矛先は、相手の家族にまで及ぶこともある。
「底なしの銭ゲバ女房」「親父譲りの逆上男」……。

(平静丸『前衛』H15.11編集)
<クロをシロと描いて「真実」の名で「書き残す」>
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◆現在、小説が描く時代は、昭和45年―会長就任10周年の5月3日からの新生の旅立ちである。当時の学会は、"言論問題"の嵐の渦中にあった(随筆「新・人間革命」/『聖教新聞』H15.8.8)
◆私には、書かねばならない使命と責任がある。後輩に真実を伝えなければならない(随筆「新・人間革命」/『聖教新聞』H15.8.8)
◆「真実」を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる。真実は、語らなければ残らない。沈黙は闇を増すだけだ。ゆえに私も、書くべきことは全部、書き残す責任がある(随筆「新・人間革命」/『聖教新聞』H15.8.8)
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1970年の「5月3日」とは、創価学会の起こした言論・出版妨害事件について池田氏本人が"猛省"を表明した日であり、創価学全と公明党との分離や「かたくなな反共主義を掲げるものではない」ことなどを国民に約束した日でした。連載小説では、"言論問題"は創価学会を陥れる謀略事件だったかのように描き、表むき「お詫び」しながら、裏で日本共産党への盗聴をおこなったことは隠しとおす、「反共主義を掲げない」など言ったこともないというような展開になっています。クロをシロと描いて居直り、それを「真実」の名で「書き残す」ものといわなければなりません。
<"言論問題"とは何だったか>
1969年11月、藤原弘達著『創価学会を斬る』が出版されました。この本の「まえがき」で藤原氏は、出版にあたって創価学会・公明党から妨害を受けていたこ