
創価学会破折
日正上人誹謗粉砕

・日正上人御遷化/『慧妙』H16.4.16
・大師号宣下
■大師号宣下
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大正11年、当時の日蓮正宗管長であった総本山第57世日正上人は、日蓮宗(身延派)管長の河合日辰、顕本法華宗管長の本多日生らとともに、日蓮大聖人に「大師号」を「宣下」してもらいたいと、天皇に請願した。そして、その願い出により、日蓮大聖人に対し、「立正大師」という「大師号」が天皇より贈られたのである。
「立正大師」の「宣下書」を天皇より下された大正11年10月13日、日蓮正宗管長の阿部日正上人ほか各派管長は、日蓮宗(身延派)の管長である磯野日筵(筆者注 請願時管長の河合日辰死去)の導師にしたがって勤行をした。
ところが、日蓮正宗の管長が邪宗日蓮宗の管長にしたがって勤行をしても、それが日蓮正宗内でなんら問題にされることもなかったのである。このことは、創価学会出現以前の日蓮正宗においては“富士の清流”などといった意識は、さらさらなかったことを示しているといっても過言ではない(本紙『地涌』第386号詳述)。
このように、立正大師号を天皇から宣下されるにあたって、身延はその中心的役割を担ったのだが、それによって江戸時代以来、身延が日蓮宗各派の盟主であることを印象づけることに成功した。(H4.4.21『地涌』409号)
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大師号を貰うことは、謗法でも何でもありません。勤行をしたといっても、後ろで、合掌もせずに座っていただけです。そもそも一切の交流を拒否していたのでは、他門の史料なども見せてもらえないし、折伏もできないでしょう。日正上人は、このような交流を、むしろ折伏の契機ととらえていたのです。
●日蓮が去ぬる文応元年◇庚太◇申歳に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん、賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし定めて御たづねありていくさの僉義をもいゐあわせ調伏なんども申しつけられぬらんと・をもひしに其の義なかりしかば其の年の末十月に十一通の状をかきて・かたがたへをどろかし申す(『種々御振舞御書』全集909頁)
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大聖人は『立正安国論』による国家諌暁について「現身に大師号もあるべし」と仰せられている。国家より大師号を受けることは、謗法でも何でもない。
尚、大師号宣下は大正11年であり、日正上人の時代である。一方、これより少し前の大正3年には、合同問題が起きている。但し同じ合同問題でも、太平洋戦争中と様子が異なることは、宗門からも積極的に働きかけ、日蓮本仏論を展開し、大御本尊を中心に合同しようとしたのであった。時の御法主日正上人は、法身の舎利たる大御本尊を中心にした合同を考えられていたのである。
●統合という意味の上に寄った時には、必ず宗祖の本意に随うのが精神である。宗祖の誠意というものは何だ、宗祖は外に何も望まない。私が言わないでも聴講生は大抵知っているでしょう。この一閻浮提の本尊を日本国に建てるというのが宗祖の本意だ(第57世日正上人講演『蓮華』S47.6・24頁)
●ところで統合問題ですが、身延派が「日蓮正宗の御本尊中心じゃいやだ」といいだして、逃げてしまった。確か講習会にも講師を出さなかったでしょう。そんなことから講習会も1回切りで取りやめになり、結局、門下大合同を実現しませんでした。それにしても、ここまで、ことが運んだのは日正上人の腹が大きかったわけですね(『日達上人全集』1−5−642頁)
●大正3年頃、日蓮宗統合問題が起こったことがあった。その時、かつて法論に負けた本多が富士へ登山して日正上人の出馬を願った。上人が参加しなければうまく行かないと考えたからである。その時正師は「統合はよい。けれども御本尊はどうするのか」とするどく問い詰めた。そして浅草清島町の統一閣(現在の日蓮宗宗務院のあるところ)で第1回の統一退会講演会を開いた。日正上人は日蓮大聖人の御曼陀羅を中央に掛けて、「日蓮本仏論」を説いた。満堂を圧する大声で実に堂々と説破されたのである。日蓮本仏論が通れば身延の頭が上がらなくなるので、結局はこの問題もつぶれてしまった。如何に剛気なお方であられたかゞ偲ばれるのである(『大白蓮華』S31.1・18頁)
★日正上人は、他門との交流を行い、積極的に折伏されていた。合同問題や大師号問題も、日正上人にとっては、むしろ折伏の契機であったと考えられる。謗法の徒との交流を一切遮断したのでは、自身が謗法に染まる危険はないが、折伏もできない。

■日正上人御遷化
(『慧妙』H16.4.16編集)
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舌ガンで悶死
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●(今夜あたりが危ないとの医者の話に、皆がお側を離れずにいたところ)1時間ばかりおやすみになって目が醒められて、「ああ気持がよかった」とおっしゃった。それから2時間ばかりたって、(大正2年8月)18日の朝7時頃ですが御入滅になりました次第でございます(第66世日達上人・昭和47年6月1日の日正上人第50遠忌の砌のお言葉)
→まったく病による苦痛など感ぜられることなく、穏やかに眠るがごとく御遷化された御様子を明らかにされています。
※これらのお姿は、「仏にも小病小悩あり」という御金言のごとくであり、野崎や西口・多田らのような「早死」「悶絶死」とは、較ぶべくもありません。それを、ただ悪口のための悪口として繰り返すのには、本当に呆れます。
