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創価学会破折
政教一致問題

▲椅子に座る池田大作(左)と、正座して畏(かしこ)まる草創期の公明党メンバー(『週刊新潮』H15.12.11)=「創価学会・主、公明党・従」という構図を象徴的に示す写真である。表面的には"政教分離"を表明して以降、このような光景が見られることもないのだろう。しかし、精神的にも物理的にも公明党は創価学会就中池田大作に依存していることは今も昔も同じである。

[国民・新会員向け建前]
「庶民の党」「清潔で公正」「世界平和主義」(公明党公式サイト)
創価学会は公明党の支持団体としていく。当然、学会員の政党支持は従来通り自由であり、学会として政党支持について会員の自由意思に干渉するものではない」(池田大作S45.5.3第33回本部総会)
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[会員向け建前]
選挙活動は仏道修行であり、折伏と同じような功徳がある。だから会員が公明党を支持するのは当たり前
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[ホントの本音]
「権力奪取」(池田の権力欲の充足)→池田自身が『身延相承書』で説くところの「国主」または『観心本尊抄』で説くところの「賢王」となって広布を達成する。あるいはその師匠=国師となるという「宗教的権威」の獲得という側面もある。これは、上記会員向け建前とも合致




政教一致の実態

LNK宗教を利用した権力獲得活動

戸田会長指導/S30.3.27『戸田城聖全集』第4巻

開き直りの"政教一致"指導

虚妄だった池田大作氏の「政教分離宣言」/『フォーラム21』H15.7.15

創価・自民の「絆」と政教一致/『前衛』H15.7、H15.8ほか
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民主主義・政党政治の問題
識者の正論

宗教政党と民主主義/広岡裕児=国際ジャーナリスト『フォーラム21』H16.12.1

欧州の宗教政党とは違う「土壌」と選挙スタイル/東大社会科学研究所教授・平島健司『週刊朝日』H20.6.6

公明政権で自由が崩壊!?/専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18
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宗教団体の権力行使
憲法20条(宗教団体の権力行使の禁止)

「政治上の権力行使」について/ジャーナリスト・山田直樹『フフォーラム21』H17.3.1

宗教団体に許される「政治活動」の限界とは?/『フォーラム21』H17.3.1

慶大教授・小林節氏の"公明党合憲論"を批判する/<法蔵>H19.8.26

公教育が創価学会の影響下におかれるのは憲法違反/<森田実の時代を斬る>H18.10.10

義務逃れた権利行使は不公平の極み/『慧妙』H16.8.1

公明党の功罪を厳しく見つめよ/桜井よしこ『週刊新潮』H15.11.20

政教一体でも合憲?/『週刊ポスト』H15.11.28
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宗教法人と税金問題
宗教法人への課税問題/『慧妙』H19.5.1ほか

ならば「創価学会」からもっと徴税せよ/日本大学教授・北野弘久『諸君!』H12.5

世間欺(あざむ)く学会に実態に即した課税を/『慧妙』H16.8.1

創価学会問題への認識の甘さ露呈した「課税問題」訴訟/『フォーラム21』H16.5.1

学会への課税問題/都知事に損害賠償請求/『フォーラム21』H15.3.15






政教一致の実態(抜粋または要約)

◆不当逮捕の裏に有力政治家の影(『慧妙』H20.4.16)
 創価学会員に対する折伏で、いわれなき嫌疑(けんぎ)をかけられ不当に逮捕・勾留されていた2人の婦人講員(前号で既報)は、去る4月8日、ようやく釈放されて自由の身となった。
 そして、内と外で呼応するかのような異体同心の闘いが続く中、突然、厚くおおわれた雲に切れ目が生じたかのごとく、重大な情報が洩(も)れ伝わった。
 「今回の逮捕は、有力な元都議(※情報では実名)が野方警察署へ赴(おもむ)き、立件を依頼したことで実現したものだ――」
 この情報の真偽を確かめるべく、本紙関係者が手を尽くして警視庁筋に当たったところ、まさにそのとおりの話を聞くことができた。これがもし事実だとしたら、まさに憲法20条違反、正法の信行者に対する国家権力を使った弾圧であって、由々しき重大問題である。(記事参照)

◆囁(ささや)かれ始めた池田大作の国会喚問!?(『慧妙』H19.11.1)
10月16日、参議院予算委員会の場に緊迫した空気が流れた。民主党副代表の石井一議員が、自公連立政権と公明党の在り方を質(ただ)し、元公明党議員・福本潤一氏の国会喚問を要求したからだ。(記事参照)

◆「信仰の場」で選挙活動とは(「声」『朝日新聞』H19.6.25)
 今月中旬、創価学会の会館で開かれた地区座談会に誘われて参加し、信じられない光景を見た。座談会には約30人が参加し、終了後もほとんどの人が残った。
 女性幹部が「これから参院選の投票練習をします」といい、投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。1枚には公明党推薦の候補者名を、もう1枚には公明党と書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。「もっとはっきり書いて下さい。」と注意される人もいた。
 読経をし、仏教哲学を学ぶ信仰の場が座談会という。私は友人に頼まれ、福祉や青少年問題の話をするため出席した。年金問題に取り組む公明党の活動PRの紙芝居もあり、「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに今の制度が作られたので責任は菅代表代行にある。」と幹部は説明。1時間半ほどで終わり、投票練習があった。
 税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の選挙活動が行われていることに疑問を持った。そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、私には理解出来なかった。(専門学校非常勤講師・仲田征夫=栃木県西方町62歳)(記事参照)

「墓苑用のいい土地を探して来い」(参議院議員・福本潤一『週刊現代』H19.7.7)
 私が参院議員に当選した当時、四国には創価学会の墓苑はありませんでした。そこで学会幹部から私に、「(墓苑用の)いい土地を探して来い」と、不可思議な指示がおりてきたこともあります。有権者から選ばれた議員が、支持団体のためとはいえ、そんなことまでする必要があるのでしょうか。
 公明党の議員はこのように、創価学会から無理難題を押しつけられます。それに対しての違和感が募り、私はついに離党を決意したのです。

離党表明記者会見で公明党の体質を指弾(『慧妙』H19.7.1)
 6月15日、公明党参議院議員の福本潤一氏が記者会見を開き、党に対し離党届を提出したと発表、「公明党はアンチ・ヒューマニズム」「全体主義的傾向がある」と公明党批判を展開した。
 これに対し公明党は、18日に党の中央規律委員会を開き、福本氏を除名処分に。
 福本氏が離党を申し入れた際、太田昭宏は、
 「公明党議員に離党はない。公明党議員は一生、公明党議員なんだ!」
と言い放って離党届を受理しなかったという。
 また創価学会の方面幹部(副会長)は、
 「公明党議員の使命は何か分かっているのか!?池田先生と創価学会を守ることが公明党議員の使命なんだ。君はその使命を分かっているのか!」
と福本氏に教訓したという。(記事参照)

信者にノルマを課す創価学会選挙(『週刊現代』H19.6.23)
 元学会員が学会選挙の激烈さを告発する。
 「家庭訪問という名目での投票依頼や、期日前投票への連れ出し、夜は公明党候補への投票を呼びかける電話など、本当に寝食を惜しんで選挙活動に従事させられました。ノルマが課せられ、達成できなければ地区幹部から叱責されます。成果が上がれば、学会会館で発表させられることもあります。これが宗教団体のすることでしょうか」

動かぬ証拠(録音データ)がまた1つ流出!(『慧妙』H19.4.16)
―香川の会館での会合内容が流出―
 登壇した副会長の松下某が、
 「大勝利で5・3(5月3日、創価学会記念日)を迎えたい。池田先生にお応えしていただきたい
と檄(げき)を飛ばせば、候補者の広瀬も
 「必ず大勝利をもって池田先生にお応えしてまいります!
と誓約。
 結局、広瀬が県民のために県政で何をするのか、について訴えるのでなく、ただ、ひたすら「池田センセーにお応えするために当選させてほしい!」ということが訴えられる。
 「特に注意していただきたいことは、期日前投票に行く時に、メモとかチラシとか、または『手に書いとったらエエやろ』と手に書いとる人がおりますけど、それも書かないで、一切何も持たないでお願いします。
 それから、候補者の名前をなかなか覚えられないとか、自分の意志をきっちり表示できない方を、無理に期日前(投票)に連れて行くことは避けてください」「投票所内では、絶対、何を聞かれても口をきかない、返事をしない。これも徹底をよろしくお願いします。投票をする建物の中にも入らない。1日に何度も連れ出して目立つようなことはしない。目立たないように工夫(くふう)してください。

 このような「期日前投票」連れ出しテクニックが、学会香川県婦人部長の口から事細かに指導されるのだから、そもそも創価学会とは、宗教団体でありながら本格的に政治活動を行なう教団である、というのが正鵠(せいこく)を射た言い方であろう。(記事参照)

首相が池田に頭を下げて(『週刊現代』H18.11.11)
 安倍晋三首相(52歳)が都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長(78歳)と極秘会談していたことが明るみに出た。
 創価学会関係者によると、会談は9月22日午後2時から東京新宿区・信濃町の創価学会施設で行われた。
 「安倍氏が"常日頃、自民党をご支援いただきありがどうございます。神奈川16区と大阪9区の補欠選挙でもなお一層のご協力をお願いします"と頭を下げると、池田氏は"分かりました"と協力を約束した」(創価学会関係者)
 「この会談後、創価学会は"2つとも取れ!"と会員に大号令をかけ、とくに自民党候補が苦戦していた大阪9区については、自民党候補を全面的に支援した。公明党の北側一雄幹事長もほとんど選挙区に入りっぱなしで陣頭指揮をとりました。そのお陰で評判の悪かった自民党候補の原田憲治氏が当選したのです」(同)(記事参照)

公明党・田端衆院議員“裁判やめろ”と圧力(『しんぶん赤旗』H17.7.18)
―創価大サークル「ぴっかりこ」事件―
創価大学の「圧力」で学内の人形劇団サークル「ぴっかりこ」のOB会が解散に追い込まれ精神的苦痛を受けたとして、OBら22人が創価大学に損害賠償(2千7百万円)を求めている裁判で、公明党衆院議員が原告に「学会の反逆者になってしまう」などとして裁判をやめるよう迫っていたことが原告団の陳述書で明らかになりました。原告は裁判を起こす権利=「訴権」の侵害だと問題にしています。(記事参照)

公明党副大臣、フランスで議員の地位利用(『フォーラム21』H17.1.15)
 公明党参議院議員 高野博師がフランス人学会員と外交官を連れてセクト(有害カルト)被害対策市民団体UNADFI(個人と家族を守る会全国連合)の会長カトリーヌ・ピカール女史を訪問。訪問目的は「創価学会がセクト呼ばわりされているのを見直してほしい」ということにほかならなかった。その一方で、公明党と創価学会は政教分離しており、創価学会は公明党の支持団体にすぎないとさかんに強調していた。
 高野議員は公費での視察の合間に来ている。すべて日本大使館員がお膳立てし、日本大使館員と一緒に来ている。議員という肩書きとともに、これをすべて「一支持団体」の利益、便宜のために使ったのである。
 昭和45年に池田大作会長(当時)みずから政教分離宣言した創価学会は、公費と公的な地位を使って、宣言への違反行為、余計なお節介をする議員・副大臣を即刻断罪すべきである。(記事参照)

政策も選挙も学会の指示(『月刊現代』H16.2)
―沖縄・海上ヘリポート―
 賛成派の中心人物の1人だった県会議員の安里進が語る。
 「自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中さんが自公連携を働きかけたんだろう」
 自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎もこう証言する。
 「あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から『公明批判はするな』という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう」(記事参照)

「政教一致は"妄説"」秋谷会長(『週刊新潮』H15.12.11)
―H15.11.13本部幹部会―
くだらない"政教一致"の妄説などは吹き飛ばし、仏法の"人間主義の視点"から社会改革を目指す"立正安国"の使命を、ともども果していこうではございませんか。

創価学会"売票"作戦(『週刊ポスト』H15.12.5)
 「最後の仕掛けを打った。自民党本部に泣きついて安倍晋三幹事長の応援を頼んだし、学会にも実弾をぶち込んだ。C代議士は選挙資金が尽きたから、私が800万円を立てかえて現金で学会の責任者のもとに持っていった。これで2万〜3万票は上積みされるはずだ」(自民党候補の選対本部長)
 「自民党と民主党の候補が学会票を奪い合い、どちらも『比例は公明党へ』と訴えたり、『聖教新聞』を数百部も定期購読して学会への忠誠心を競い合った選挙区もある」(民主党選対幹部)(記事参照)

取引関係を利用した政教一体の集票活動(『しんぶん赤旗』H15.10.24)
―公明党候補の「支援者名簿」作成をゼネコンに依頼―
創価学会が、総選挙で東京12区から立候補する公明党候補の「支援者名簿」作成をゼネコンに依頼し、提供させていることが本紙入手の内部文書でわかりました。ゼネコンは創価学会を「得意先」としたうえで、自身の下請け企業に従業員の名前を名簿に載せるよう依頼しており、取引関係を利用した政教一体の集票活動が露骨です。(記事参照)

学会と公明党が「ふつうの関係」?(『しんぶん赤旗』H15.8.17)
―資料が語る一体ぶり―
 [画像NO.1]:「連絡事項」とタイトルがついた7月の内部文書=総選挙へ向け7・8月の支持者拡大の活動報告を求める内容で「F報告」「総県内F」「総県外F」などと書かれている。Fとはフレンド(創価学会員外で公明党支持を約束した者)の意味。総県とは創価学会の県段階の組織を示す。
 [画像NO.2]:公明党北海道本部の提案=今年1月、立党精神を体現するために(1)創価学会行事への参加(2)議員勤行会を毎月開催するなどの提案を確認した。勤行会とは創価学会の教義の「お題目」を唱和する会合のこと。(記事参照)

「会館は選挙の拠点」元幹部が証言(『しんぶん赤旗』H15.7.5)
―不動産課税請求訴訟―
原告側証人として出廷した元創価学会幹部は「会館が選挙のたびに公明党支援の拠点として使われていた」として、会館内で公明党の候補者が土下座などをして支持を訴えていたことや、支援活動の集計を会館に報告していたことなどを具体的に証言しました。(中略)一方、被告側証人の堤誠・創価学会副会長は「立候補者が会館を使って、選挙の告示前後に会員にあいさつすることはあるが数回程度」などとのべました。(記事参照)

学会のためなら「平和」も捨てる(『週刊金曜日』H15.6.13)
 昨年12月に2003年度税制改正をめぐり自民、公明両党が対立した際に、保守党が仲介し、その「見返り」として保守党の求めに応じて、与党三党の幹事長が「有事法制成立後に防衛庁の『省』昇格の問題を最優先の課題として取り組む」と文書で確認した経緯がある。
 ここで言う2003年度税制改正の「影のテーマ」こそ宗教法人への課税だったと言われている。つまり、公明党はここでも「宗教法人法改正で自らが課税されるくらいなら、右傾化の道を受け入れる」との自己保身に走ったわけだ(記事参照)

投票動機は「対立候補がフォーラム21を認めている」「池田証人喚問阻止」(『週刊金曜日』H15.6.13)
 「古賀一成さん(※昨年10月27日投票の衆参統一補選での民主党候補)は人柄も温和で新進党にいたこともあったため、ストレートに『荒巻対古賀』の形にすると、学会票の一部が同情票として流れる恐れがあった。そこで『学会対民主党』という構図が作り上げられ、『古賀一成氏の民主党は、学会批判をするフォーラム21(乙骨正生氏が発行人)を認めている。民主党が勝つと、池田大作名誉会長を証人喚問したいフォーラム21を勢いづかせ、証人喚問に一歩近づく』といった遠大な話が発せられたといいます。
 それで九州の学会員が福岡6区にかけつけた。これを学会用語で『交流をかける』というそうですが、彼らが頼りにするのが選挙区内の支持者名簿です。そこには『エフ(F)』と呼ばれる公明党にフレンドリーな有権者や『ダイヤモンド(D)』と呼ばれる大口の集票が期待できる企業がリストアップされています」
 選挙戦の終盤には、普段は見られない人たちの異様な姿が目に入ったと地元の住民は口をそろえる。名簿を手にした学会員らしき一団が戸別訪問を繰り返したり、若いカップルがコンビニの駐車場で「投票される方をお決めですか。まだでしたら荒巻さんをお願いします」と声をかけまくることもあったという。(記事参照)

「大樹の会」(自民の集票マシーン)も「戦慄を憶える」学会選挙(『週刊金曜日』H15.6.13)
 「大樹の組織は、郵政全国組織であって、対外的活動の拠点である。(中略)公明のやり方は『ウマイ』というか、『上手』というか、『ズルイ』というのか、全く善良且つ真面目にやっている市民をバカにするにも程がある。が、これが選挙というのなら我々も見習うべきだ。([画像]
 どうして、こんなうまい具合になるのかな。80万人程の居住者をコントロール出来ることに戦慄を憶える」(「大樹の会」の内部文書H13.11)
 「戦慄を憶える」のは国民の方だ。日本有数の2大集票マシーンが二人三脚を組んでいる事実を、認めざるをえないからだ。政教分離などどこ吹く風で1000万票を目指しているようにみえる公明党・創価学会と、逮捕も恐れぬ郵政利権軍団が競い合うように小泉政権を選挙で支えれば、民意そっちのけの政権運営が半永久的に続いても不思議ではないだろう。(記事参照)

◆選挙の戦いは「立正安国」の実現!?(『聖教新聞』H15.4.5/『フォーラム21』H15.4.15)
秋谷 『立正安国』、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。 和田 それが平和と幸福の王道だ。その意味で、一大平和勢力たる我らの運動の意義は、ますます重い。社会からも、いよいよ注目を集める時代に入っている(『聖教新聞』H15.4.5)
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この首脳座談会の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、日蓮聖人が約750年前の文応元年に鎌倉幕府に上呈した『立正安国論』に置いている。『フォーラム21』H15.4.15)

◆池田は公明党議員の「精神的指導者」(『サンデー毎日』H15.4.13)
公明党国際局長の遠藤乙彦に、あなたにとって池田大作とはと尋ねたら、こんな答えが返ってきたという。「グルとは思っていません。精神的な指導者です。私に関しては、人生に関するどんなことでも相談して教えを受けられる先生です。今日、日本にはたくさん問題があります。世界中どこでもそうですが。21世紀には、池田大作の思想、仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっとよく問題を解決できるようになるでしょう」(記事参照)

◆反共謀略本の正体は政教一体(『しんぶん赤旗』H15.3.6〜H15.3.17)
電話も事務も事務代行会社まかせ。登記上の「本店」は公団賃貸住宅の一室。そんな「出版社」が出版大手も驚く巨費を投じて日本共産党を誹謗(ひぼう)中傷する大々的な広告をうつ――。それがさる3日、名誉棄損と著作権法違反の罪で、日本共産党が告訴・告発した反共謀略本『拉致被害者と日本人妻を返せ 北朝鮮問題と日本共産党の罪』(未来書房刊)=注=の実態です。 謀略本の背後関係――。その焦点は間違いなく公明党と「一体不二」の創価学会です。未来書房の海野(うんの)安雄社長自身が創価学会の活動家変名で「フリーライター」を名乗り、謀略的文筆活動をおこなってきた。本の保管・流通は創価学会直系企業の潮出版が指示していた。本は、池田大作本といっしょに出版取り次ぎに「創価学会関連出版物」として扱われ、各地の創価学会・公明党がまとめ買いをしていた。 この本を通信販売しているホームページでは、「未来書房販売部」として長野県伊那市の住所が記されていました。住所を調べると驚くべきことがわかりました。元公明党の伊那市議だった飯島尚幸氏と同じ住所だったのです。飯島元市議は創価学会機関紙「聖教新聞」の元記者。98年に友人の暴力団組員の公判に出廷。組員の情状をのべたことで批判され市議を辞職した人物です。(記事参照)

◆創価学会の学生告訴 名誉棄損で北海道民医連(『しんぶん赤旗』H15.3.6)
北海道民主医療機関連合会(中井秀紀会長)は3日、民医連加盟の病院で起きた医療事故・事件をわい曲し民医連の名誉を傷つけた文書を配布したとして、創価学会員の学生2人を名誉棄損罪で札幌地方検察庁に告訴・告発しました。文書は、民医連加盟病院の医療事故・事件について、医療をないがしろにして病院挙げて選挙活動しているために起きたかのように意図的に事実をねじ曲げた上で、「この病院の実態について、どう思われますか」などと聞く体裁をとっています。告訴・告発状は、今回の異常な民医連攻撃が「統一地方選挙を前にして公明党が行っているものと軌を一にしている」と指摘。(記事参照)

議員は「支持者あっての議員」だ。支持者が懸命に支援してくれたおかげで、議員になれたんじゃないか。ご恩返しするのが当然だ。(秋谷会長『聖教新聞』H15.2.11/『フォーラム21』H15.3,1)
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国会議員は国民の代表であり、国民の奉仕者である。「支持者(学会)あっての議員」「(学会に)ご恩返しするのが当然」とは、学会=主、公明党=従の実態そのものであり、傲慢な本心の表明である。

◆議員利用してパトカーの護衛(平沢勝栄『諸君!』H15.2)
私自身、岡山県警の本部長当時に、そのような配慮をしたことがあります。池田氏が岡山入りするとき、公明党の議員がやってきて、「名誉会長が岡山に入ってから出るまで、頼むからパトカーの護衛をつけてくれ」と言うのです。本来、パトカーをつけるのは、危害を加えられる恐れがあると警察が判断したときに限られるのですが、公明党の議員からすれば、パトカーをつけられれば、よくやったと池田氏から評価されるわけです。そのとき私は部下と相談して、絶対やっておいたほうがいいですよ、と言われたのでパトカーをつけました。いまから考えると、なぜそうしたのかと言われれば、言い訳のしようもありませんが。(記事参照)

◆創価学会が“住民組織握れ”(『しんぶん赤旗』H15.2.5)
町内会やPTAの役員になろう――創価学会がこんな“運動”を展開しています。名づけて「地域友好」。役員就任のすすめとも言うべき部内文書もあります。 学会がこれに力を入れ出したのは公明党の政権入り(99年)ころから。聖教新聞で民生委員などをつとめる会員を紹介。最近は団地自治会やPTAの役員選挙にいっせいに立候補するという例が各地で目立っています。 学会元職員はこれを「住民の情報はもちろん、選挙では相手陣営の動静を逐一報告する。地域に張りめぐらせた情報集中システムであり、住民組織をこの手に握れという学会の“天下取り”戦略だ」と言います。(記事参照)
※学会では表向き「政教分離」などと言っているが、日常の「信仰活動」がそのまま選挙時の集票成果と現れるような体制が構築されていることが分かる。組織の地域区分が、そのまま選挙区と対応していることも、その一つ。既成政党が問題視するのも当然である。(法蔵)

◆「F取りで功徳」!?(『慧妙』H15.1.16)
学会員にとって、選挙活動は最も重要な信仰活動の1つ。"F1つ取れば、1世帯折伏したのと同じ功徳が"とまで言われ、血眼になってF取りに歩く。しかし、御書のどこをどのように拝せばそのような解釈ができるのか。"御書根本"の学会員に、ぜひ1度聞いてみたいものだ。
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学会員は仏道修行・広宣流布の一環として選挙活動を行っているのである。つまり、公明党の具体的な政治理念や政策、議員の活動に賛同して1票を投じているのでもなければ、集票活動している訳でもないのである。だからこそ、冷戦終結前に安保政策が反対から賛成に転換しても、ほとんど混乱がなかったのである。しかし、これは、民主主義を根幹から否定する態度である。何故なら、議会制民主主義・政党政治は、政党や議員が国益のために政治活動することを期待して、あるいは具体的活動の実績を評価して、国民個々が自由意志で投票することによって成り立つべきものである。それが、「合法的な選挙活動」という装いのもと、政治理念や政策に拘わり無く、宗教的理念心情に基づいて組織的に選挙活動が行われているのであれば、「民主主義の仮面を被った全体主義」というべきである。

◆信心なければ議員失格(『聖教新聞』H14.12.27/『フォーラム21』H15.1.15)
 藤原(関西長) いずれの地域も、公明党の議員や家族が、率先して先頭に立って戦ってもらいたい。党の実績を語り、立派に戦ってもらいたいものだ。
 中尾(関西婦人部長) もう私たちも、その真剣な努力がなければ、誰も応援する気なんか起こらないわ

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こうした論調が目立つようになったのは、そう昔のことではない。とりわけ竹入義勝元公明党委員長がその軌跡を手記にして朝日新聞に連載。池田名誉会長の逆鱗にふれて、竹入バッシングが始まった98年後半ころからである。一般的に候補者の支持者が注文をつける時、これほどきつい表現をするのだろうか。公明党議員は、他党の議員とことなり、「支持者」つまり学会員の前ではまったく頭が上がらない存在である。
 満田 ともあれ、議員は「支持者あっての議員」だ。支持者が懸命に支援してくれたお陰で、議員になれたんじゃないか。
 藤原 その通りだ。支持者のお陰で、学会のお陰で偉くなったくせに信心がなくなり、威張りくさってウソ八百を吐いたり、金をもらったりして、学会に迷惑をかける。そんな連中は、公明党から追い出してもらいたい

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信心がなくては議員失格なのである。

◆首相が会長と極秘会談。解散時期、政策を談合(『毎日新聞』H15.1.14)
首相は平成14年11月21日、東京都内のホテルで、公明党の支持母体・創価学会の秋谷栄之助会長、八尋頼雄副会長と極秘に会談した。公明党・創価学会が望む衆院解散時期をさりげなく打診、秋谷氏は04年夏の衆参同日選には反対の意向を伝える場面があり、首相の配慮をうかがわせた。さらに、首相は公明党の児童手当拡充要求も受け入れた。

◆宗教活動等閑にして選挙活動(『佐賀新聞』H14.2.25)
創価学会会長秋谷栄之助らは、平成13年12月の本部幹部会で「02年は対話拡大の年」との活動方針を打ち出した。学会幹部は「この2年間、国政選挙が続き、応援に力を取られてきた。本来の宗教活動に立ち返りたい」と説明。(記事参照)

◆集票マシーン婦人部の実態(『フォーラム21』H15.3.15)
平成10年参議院選挙の現場から―
学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。(中略)病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。」「正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。」「ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、(中略)電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました。」(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会)(記事参照)
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選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。しかし、その根底にあるのは「学会を、(池田)先生を守る」という精神である。つまり、池田学会にとって、「仏道修行=池田を守る戦い=池田の言いなりに動くこと」なのである。このような考えは当然、民主主義とも本来の大聖人の仏法とも異質のものである。(法蔵)

◆正本堂解体を妨害(『フォーラム21』H15.1.1)
工事を実施する上で、労働災害を防ぐための諸手続があります。そこで富士宮の労働基準監督署を訪れたところ、「作業員をどの旅館に何人ずつ宿泊させているのか」とか、「円融閣をどういう工法で倒すのか」など、労働基準監督署の所管業務と関係ないことについても、根掘り葉掘り聞かれたのです。そこで、「労働基準監督署の業務と関係ないでしょう」と強く抗議すると、最終的に政治的圧力があったことを認めました。 また、大石寺周辺の学会員が防音や振動について、騒音基準を超えているなどとして富士宮市に苦情処理を申し出たため、市役所に赴いたところ、公明党市議が同席して本人より先に文句をつけてくるなどということもありました。(正本堂解体工事の責任者・吉田裕史)

自公連立は「池田名誉会長守るため」(『月刊現代』H16.6)
 「公明」(旧公明党の、地方議員と平成7年の参院選で非改選の参院議員らで構成)の代表を務める都議会議員・藤井富雄さんが、山口組系の暴力団「後藤組」の後藤忠政氏とかつて会談をもったことがあり、その現場を隠し撮りしたビデオがあるとのことで、それを材料に、野中さんは旧公明党を揺さぶってきた(平成8年)。これをきっかけに野中さんは公明・学会との関係を深め、一方公明は自民党に擦り寄るようになっていく。
 自自公による連立(平成11年10月)以降、公明党は一貫して与党の立場を占めてきた。公明党の某元衆院議員の話によれば、冬柴幹事長が「連立はすべて名誉会長を守るためだ」と発言したことがあるとのこと。あらゆることを名誉会長のせいにするのは、政治家としてあまりにも無責任ではなかろうか。(記事参照)

池田側近(公明幹部)と暴力団の「絆」(『月刊現代』H16.2)
―学会守るために政策上の取引―
 小沢一郎の側近、平野貞夫(当時新進党参院議員)が友人の権藤恒夫から「会いたい」という連絡を受げたのは1996年(平成8年)3月6日のことだった。権藤は公明党時代に国対委員長として活躍した新進党の代議士である。
 「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもたい話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが……」
 藤井は創価学会名誉会長・池田大作の側近といわれる東京都議で、後に野中とともに自公連立の牽引車となる人物である。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表をつとめていた。
 その藤井が山口組きっての武闘派として知られる後藤組(本拠・静岡県富士宮市)の組長・後藤忠政と密会している場面を隠し撮りしたビデオテープがあるというのである。
 「脅かされているので妥協したいということなのですか?」(記事参照)

◆公明議員は学会員の部下(日蓮正宗弁護団長 小長井良浩『文藝春秋』H8.2)
細川連立政権の組閣前夜、池田氏は学会員を前に次のようなスピーチを行いました。「すごい時代に入りました、ね! そのうちデージンも何人か出るでしょう。ね、もうじきです。まァ、明日あたりですから。みんな、みなさん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。明日の新聞楽しみに」この発言こそ、学会の政教一致体質を如実に現しています。それにもかかわらず、この人物をあくまで守ろうとする新進党議員はやはり池田氏の部下なのでしょうか。

◆政教一体で宗門攻撃(日蓮正宗弁護団長 小長井良浩『文藝春秋』H8.2)
墓地の経営許可については近隣の同意が必要なのですが、「あそこのお寺の墓地の経営許可には賛成しないでください」と選挙運動よろしくお寺の近所を学会員が戸別訪門するわけです。つまり、経営許可を取っていないからけしからんと言いながら、その違法状態を継続させているのが創価学会なのです。 さらに問題なのは、いったん住民が同意をしてもそれを公明党議員が運動して同意を撤回させている例があります。 また、山口県岩国市の弘法寺の場合は、当時公明党の市議会議員だった反田福三氏が原告の学会員の依頼で、弘法寺の納骨堂経営許可取得の有無の確認をしているという事実があります。 総本山の大石寺に対して起こされた、やはり墓地埋葬法違反に基づく民事訴訟では、現職代議士の近江巳記夫氏が原告に名を連ねています。近江氏は、提訴をした2ヵ月後には、細川内閣の誕生で科学技術庁長官に就任しています。 このような公明党議員の関与は明白な政治による宗教弾圧です。(記事参照)

◆選挙一色だった町田「栄光躍進総会」(『フォーラム21』H15.10.15)
そして3たび、なんとかそういう場で働かせてもらって、1人の市民のために頑張らせてもらいたい。このように決意した次第でございます。また私は公明の議員でございます。私の奥底では、今度の戦いは打倒日顕(日蓮正宗法主)、山友(山崎正友・元創価学会顧問弁護士)、こういった四月会、この人たちに対して鉄槌を加える戦いである。その時に最重点区で大変苦しい戦いではありますが、候補者として戦えることに無上の喜びを感じて、いまやらせていただいております。
 どうか町田のみなさん。大和は超激戦区で苦しんでおりますが、私も必ず4月9日には勝ってご報告をしたいと思います。なんとか皆さん方の力で勝利をさせていただきたく、心からお願い申し上げます。よろしくお願いいたします(公明党の益田はやお県議・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5
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神奈川県議選の戦いは「打倒日顕、山友」そして「四月会」に「鉄槌を加える戦い」なのだという。この一事をもってしても創価学会そして公明党の選挙がいかなるものであるかは歴然(記事参照)

◆矢野・元委員長が政教一致を認める(『フォーラム21』H15.3.1)
元公明党委員長矢野絢也氏は、委員長・衆議院議員を退いた後の平成5年10月号の月刊誌『文藝春秋』に「政界仕掛け人極秘メモ全公開」と題する回顧録を発表した。詳細な記録メモに基づいたこの回顧録は、政界の裏表の動き、創価学会と公明党の関係などが克明に綴られており、文藝春秋読者賞を受賞するなど評判を呼んだ。同記事の中で矢野氏は、「やはり私たちはとかく政教一致というご批判をいただいているが、確かに状況をみてみると、そう言われても致し方ない面はある」などと記し、竹入委員長、矢野書記長といえども学会本部からは「もの」扱いされていたことなどを記していた。また、矢野氏は文中で芦屋市にある関西戸田記念会館を「芦屋の池田先生の自宅」と記載、創価学会の会館等の中に池田氏の専用施設があることを間接的に裏付けたのだった。

「学会、公明党に握られているのが今の日本」秋谷会長(『週刊新潮』H15.12.11)
H3.12.6全国県長会―
日本の中で公明党の占める位置は重要になってきている。今は、キャスティングボートを握る立場になっている。自民党が200何人おろうと、公明党。参議院で全ての重要法案が決まる。そのバックに創価学会がある。日本の命運を決するのは学会、公明党に握られているのが今の日本である。

「池田私邸」を守る「政党条項」(『週刊ポスト』H15.12.5)
あの法律は竹下内閣が消費税を導入するための見返りとしてできた。内容は、国会や在外公館の周辺で右翼などが街宣活動を展開して騒音問題が深刻になっており、規制しようという趣旨だったが、そこに公明党が「政党本部周辺も規制対象に入れてほしい」といってきた。政府はなんとしても消費税法案を成立させなければならなかったから、公明党が消費税の審議再開に応じることとひきかえに要求を飲んだ。(記事参照)

◆教授の論文も自公連立政局がらみで一部削除(『カルトとしての創価学会=池田大作』)
 創価大教育学部の工藤英三教授(体育科教育)が1998年3月末で定年退官となったため、学部の研究機関誌に退官記念の論文を執筆した。いったんはこの機関誌は卒業生ら関係者に配られたにもかかわらず、それが、橋本首相を取り上げた部分が問題であるとして、急遽、回収されたのだいう。
 創価大学では、「創立者」に対する批判ができないのは言うまでもないが、それのみならず、表向きには大学とは直接、関係ないはずの、永田町に関わる話題もうかつに取り上げられないのだ。(記事参照)

学会行事のために選挙日程に干渉(『フォーラム21』H17.8.1)
〈学会幹部〉実は、7月21日に小沢一郎先生と会った。そのとき、12月解散、1月総選挙という意見をいっていた。会長が気にしているのはそのことで、学会の都合もあってなるべく正確に見通したい。
〈平野〉……どんな都合があるのですか。
〈学会幹部〉9月に学会は財務(決算)がある。10月いっぱいはその後始末にかかり、学会の都合をいえば、11月中ごろ解散、12月初旬総選挙が1番いい日程なのです。来年1月総選挙だと、学会の記念行事の準備がありまして、できれば年内にということです(平成元年7月25日 於赤坂プリンスホテル=『公明党・創価学会と日本』)
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衆議院事務局の重鎮兼自民党のブレーンでもあった平野氏は、公明党の議員や創価学会の幹部と頻繁に会い、政局の変遷をにらみながら、的確なアドバイスを与えていたのである。そのさなかの、秋谷栄之助・創価学会会長の指示で平野氏と面会した学会幹部氏は、こんな会話を交わしているのだ。(記事参照)

"政教一致"暴いた大橋論文(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.5)
 公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の『文藝春秋』誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
 大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラブル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
 「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」(公明党議員・権藤恒夫)(記事参照)

◆辞めるのも池田大作の許可必要(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)
86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。






戸田会長指導
―「広布の礎、文化活動」―
(『戸田城聖全集』第4巻270頁〜)

 広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またはこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども、会社の小使といえども、みな御本尊様のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、本門戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下もまた、この御本尊様のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。
 これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない。そこで、この一端として文化部が創設され、文化活動のうちの政治活動が、最初に打ち出されたのです。
 このような文化活動は、私の理想からいうならば、全国で50数人の文化部員が、政治活動に参与しだしたということは、広宣流布の大闘争よりいえば、豆粒のようなものであります。
 ただ、ここに一言ことわっておかなければならないことは、文化部員の闘争は政治のための政治ではないということです。ある人は、そういうものならば、創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、1人が社会党であり、1人は自由党であり、1人は民主党であり、なかには共産党がいても、いっこうにさしつかえないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからです。
 この意味におきましては、このたびは、どうかじゅうぶんに悔いなき闘争ができるようにと、日夜祈っているしだいであります。(S30.3.27 東京・星薬科大学講堂)






開き直りの"政教一致"指導

◆おめでとう、よくやった。勝って勝って。本当にありがとう。見事で、嬉しいね。勝つということは楽しい。嬉しいもんです。勝つための仏法なんです。信心なんです。(略) 広宣流布の1000万の陣列を達成することは、牧口先生、戸田先生の悲願であった。思えば、昭和31年、学会が初めて参議院の選挙の支援に取り組んだ。全国区の得票は90万。90万台。で、今回の得票は、いまだかつてない873万票。凄いことだ。(略)みんな驚いてます。この数にこれからの時代を担っていく未来部、そして、未成年の若き後継者を集めれば、優にもう1000万。従って、1000万の目標は実質的には達成されている(池田大作H15.11.13本部幹部会/『週刊新潮』H15.12.11)
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選挙での得票数が873万票であったことから、「未成年の若き後継者を集めれば、優にもう1000万」と得意の"水増し"をして「広宣流布の1000万の陣列を」「実質的には達成」と結論付けている。要するに選挙の票=折伏数、という考えであることが分かる。すなわち、池田学会にとって選挙の戦いは即折伏行なのである。

◆(昭和45年)1月5日、学会本部でこの年初の総務会が開かれた。
 席上、新たに副会長制の設置が決まり、副会長に、十条潔(後の北条浩4代会長)、森川一正(森田一哉現理事長)、秋月英介(秋谷栄之助現会長)の3人が就任したのである。
 伸一(山本伸一・池田大作氏の登場人物名)が構想してきた、新生・創価学会の機構改革が、いよいよ始まったのだ。(中略)
 さらに、この総務会では、公明党の委員長、書記長は、党務並びに政務に専念するために、学会の幹部としての役職を退くことも決まった。
 公明党の議員については、引き続き、衆参の国会議員、そして、各地方議会の議員と、順次、すべての議員の学会役職との兼務をなくしていく方針であった。
 人事、財政党の面でも、学会と公明党は一線を画し、党が自主性をもって運営していくべきであるというのが、考え抜いた末の、伸一の意見であった。同時にそれは、公明党の意向でもあり、学会としての、未来を見すえたうえでの結論でもあったのである。
(『新・人間革命』=政教分離と副会長制導入に関する記述/『フォーラム21』H15.7.15)
※ここでは、創価学会と公明党の政教分離は、言論出版妨害事件とは別に、池田会長が考え抜いた末の意見だとして記載されている。すでに政教分離宣言から33年が経過し、政教分離宣言の記憶は希薄なものとなってきている。そうした事件の風化を奇貨として、池田氏は創価学会と公明党の政教分離について、歴史改竄を図っているものと思われる。(『フォーラム21』H15.7.15)

「立正安国」、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。(秋谷会長『聖教新聞』H15.4.5/『フォーラム21』H15.4.15)
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この記事の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織を挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、「日蓮仏法の『根本中の根本』」である「立正安国」に置いているのだ。つまり、創価学会の活動の「根本中の根本」の1つが選挙運動なのである。それでも、「学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由」だと言い張るのであれば、"成仏できないけど、それでもいいなら選挙運動しなくてもよい"と言っているようなものである。

◆数日後、母に大きな変化が起きたのです。同室の患者さん2人で、学会、先生の悪口、お葬式に香典を持ち逃げされる等、母の耳に入りました。我慢も限界に達し、どうベッドから降りたのか、にじりよって、大破折。学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。呼吸困難の母にとって、どんなに大変だったことでしょうか。話すこと1時間、安静の母を制止することなく、廊下で看護婦さんも作業しながら聞いていたそうです。勢いづいて病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。 不思議にも、正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。 母の日に送った緑のサマーセーターでドレスアップし、80歳より広布の使命再びとの思いで、82と86歳のおじ夫婦の世話に、たった1人で急遽、長崎へ出発しました。 選挙は勝つよと、ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、お金持ちのおじ宅より、電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
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選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。

●86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝=公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)

<平成5年1月27日本部幹部会での池田発言(北九州市議選、東京都議選を控えて)>
◆連続勝利って言ったってね、千葉負けたじゃねえかよ。連続じゃねえじゃないか。特に目黒と渋谷。ね。1遍だけ万歳言おう。 これはね、あんな奴落ちた方がいいと思ってもいいけど、だけど菩薩行だからよ、慈悲行だから、かわいそうだから、当選させてあげようじゃないかってよ。上手にやんの。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆あの、特に、あれだね。今、あの、車の中でさ、目黒区?1番大変な都議選の、大変なところ。東野秀平か?今度は。秀平、あの秀平じれったいから。ね。どうなる、今度は。当選しちゃうの?だからね、あの、かわいそうだからよ。どうせ立てる人だったらね、どうせやるんだったら、当選させてやろうよ(大拍手)(同)
◆荒川のなに?鈴木カンタ、鈴木貫太郎、元総理大臣?そりゃ、当選させてやろうよ(大拍手)。鈴木さんの次の総理大臣だろ、そりゃー勝ってあげようよ。 2人区だろ、今度は。3人区から2人区になるなんて、福運がないか(笑い)。 貫太郎って名前だけは付けない方がいいよ。 で、小平、北多摩4区。うん、北多摩シク、それで永沢豊晶?47歳。定数3から2、ウン。どうなんだ、なんだ、スチュワーデスのご主人じゃねーかよ。(同)
◆それから新宿、これは藤井富雄、ね。これは最高点な、最高点で当選になったら、藤井富雄は長谷川一夫つってんだよな、(笑い)。それから中野の橋本辰次郎。なんだか、あれだな、自民党かどっかの議員だよ。52歳。お前もね、優しくした方がいいんだよ、みんなに。絶対に叱りつけちゃいけないよ。言葉使いを丁寧に。礼儀正しく、やってごらんよ。(同)
※北九州市議選、東京都議会議員選挙等の勝利を祈念して万歳をするとともに、6月実施の東京都議会議員選挙に立候補する候補の名前を挙げて当選を指示したり、候補をからかう池田氏。ここには政教分離宣言に見られる「母離れ、子離れ」の姿勢は微塵も見られず、むしろ竹入義勝元公明党委員長が平成10年8月〜9月にかけて『朝日新聞』に連載した「政界回顧録」で指摘した創価学会と公明党の関係は従属・支配の「一方的放射線関係」という記述を裏付けるものとなっている。(『フォーラム21』H15.7.15)

<平成5年7月7日本部幹部会での池田発言(衆院選を控えて)>
大したのいないかもしれないけどね、だけどよく監視しながら応援してもらって。55、ゴーゴーでさ。55だから、ゴーゴー、ゴーゴー、全員大勝利と、こういうことで行きましょう。もう淡々とね、余裕で、大したことないよ。「大激戦 楽しく勝ちゆけ 面白く 日本全土を あっと言わせろ」だよ。楽しくやるの。私は世界なんです。世界新党ですから。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆広島1区の斎藤鉄夫。これ宇宙博士。たいへんな有名なんです。日本的に世界的に有名な博士なんです。本当は衆議院なんかもったいなかったな。あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ。大丈夫、広島1区。(同)
◆三重1区。おっこった奴さ。桂三枝。あっ坂口力っていったな。医学博士。桂三枝、桂三枝と呼んでやんなくちゃいけない。そういえば当選すんだよ。んなね、坂口、逆さまの口書いてさ。よせよ、これからいい名前の人を選ぼう(同)
◆宮城1区のバチ(千葉)国男。なんだ、バチ国男。袖が重いんだよ。千葉が重いんだから仕方がない。ナニ、不正退治の桃太郎、そんな顔してないじゃないか。自分を退治した方がいいんじゃないか。(同)
◆東京よ。布施博よ。布施博よ、俳優の。似てるのよ。魚住祐一郎、長いよ、これまた。東京四苦八苦ってね。いつもそれこそ落ちてんだよ。大久保の奴よ。書記長。だらしない書記長で落っこってんだ。女房が全然人気なくて。あいつはおっちょこちょいなんだから。第7位だってんだから、書記長でしょうがねえ。そこに立った魚住かわいそうだよ。(創価)学園、東大、弁護士でね。布施博と書いてもいいようにさ。渋谷、中野、杉並全然燃えないの。火事の後みたい。(同)
◆埼玉1区の福留たびや。福留泰蔵。難しい字だな。福留、福を止めるの。もう少しいい名前をね。池田大作あたりいいかな。(同)
◆神奈川1区。上田勇。これ知らないな、あまり。農水省?ノウスイショウ、ナニヨ?病院いった方がいいよ。衆議院という病院にいった方がいいよ。(同)
※平成5年7月実施の衆院選に公明党は55人の候補を立てた。それを受けて「55、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー」とはしゃぎながら「大勝利」を厳命する池田氏。それにしても広島1区から立候補した斎藤鉄夫氏について「あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ」とか、上田勇候補が農水省出身であることから農水省を脳水症と言って、病院に行った方がいいとからかう。また、坂口現厚生労働大臣をはじめ、候補の名前をおちょくる池田氏の神経は普通のものとは思われない。
 いずれにせよ、これらの池田発言は、昭和45年5月3日に池田氏自身が社会に公約した政教分離や学会員の政党支持の自由の約束が、いかに虚しいものであるかを浮き彫りにしている。
 そして、こうした学会員を選挙活動に駆り立てる発言、会合は、宗教施設として非課税という税法上の優遇措置を受けている創価学会の会館で行われているのである。
 ちなみにこの平成5年の衆院総選挙で、池田氏の_激励_を受けた公明党候補は55人中53人が当選。自民党が過半数を割ったことから、公明党は自民党を割った小沢一郎氏らとともに細川護煕氏を首班とする非自民連立政権を発足させ、公明党から4人の閣僚が誕生した。この細川政権発足の前日である8月8日に行われた本部幹部会の席上、池田氏が、翌日入閣する公明党の閣僚ポストを発表し、「デェジン・デェジン」と大喜び。あわせて「デェジンは皆さんの部下」と発言したことはマスコミ既報のとおり。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、……要所要所を全部ね、学会員で占める(池田大作『聖教新聞』S32.9.6/『週刊新潮』H15.12.11)






「池田発言」に見る政教一致
虚妄だった池田大作氏の「政教分離宣言」
―本部幹部会発言が示す支配構造―
(『フォーラム21』H15.7.15編集)

言論出版妨害事件を契機としてなされた政教分離とはいかなるものだったのか。そして社会的公約である政教分離は履行されたのか。こうした事実を検証するための資料として、以下に、現在、『聖教新聞』に連載中の『新・人間革命』の政教分離に関する部分と、昭和45年5月3日に行われた創価学会の第33回本部総会での池田会長講演の政教分離に関する主要な部分。そして政教分離が履行されていたのかどうかを測る1つのサンプルとして、政教分離を宣言した当の池田氏の、東京都議会議員選挙と衆議院総選挙のあった平成5年1月と7月の本部幹部会での発言の抜粋を紹介する〔( )内は編集部注〕。

【池田会長講演(政教分離宣言)要旨】
昭和45年5月3日に東京・両国の日大講堂で行われた創価学会の第33回本部総会の席上、池田大作会長(当時)は、創価学会と公明党の政教分離を宣言した。この政教分離宣言は、創価学会・公明党が引き起こした言論出版妨害事件に対する厳しい社会的批判を背景になされたものであり、池田会長自身、政教分離宣言の冒頭で、「今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきました」として、創価学会と公明党の政教分離が言論出版妨害事件を契機とするものであることを自認している。

◆今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきましたが、ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。
 私としては、公明党結成のことを発表した昭和39年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発をめざしておきました。
◆もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでもそれに依存するようなことがあっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつもでも自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、1人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 いままでは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあるとみられてもやむをえなかった。それにしても、われわれは、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 われわれは、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第3党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのもとうぜんの理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことはとうぜんであります。これは、特に党幹部からの強い要望もあり、学会でもとうぜんのこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成をいただきたいのであります。
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい。
◆また、学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません。
◆また、選挙にさいしても、公明党は党組織を思いきって確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行っていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来どおり地域ごとの応援はとうぜんしていきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広く募って、確固たる基盤をつくっていただきたいと、公明党に要望したい。また、党がひとり立ちしたことに対し、皆さん方もあたたかく見守っていただき、応援もしていただきたいのであります。
 以上のように、創価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は挙手ねがいます。

※もともと創価学会と公明党は宗教団体と政治団体であり政教分離をめざしていたと、言い訳じみた弁解をしているが、宣言では制度の上で明確に分離することを公約。また、学会員の政党支持の自由についても、「会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません」と、明確に政党支持の自由を約束している。だが、実際には池田氏が先頭に立ち、学会員を宗教活動に名を借りた選挙活動に動員、使役していることを、以下掲載の平成5年の池田発言は示している。



【政教一致の実態】
"政教分離宣言"によって学会と公明党は制度的には分離され、議員と学会の役職との兼務はなくなった。しかし、実態は依然として"学会が主、公明党が従"というものであり、仏道修行、広宣流布の一環として選挙活動が行われてきたのである。

<平成5年1月27日本部幹部会での池田発言(北九州市議選、東京都議選を控えて)>
◆創友会(創価大学OB・OG会)大勝利万歳と……めんどうくせえからよ。それから九州、どこだったっけかな、北九州。茨城、大阪、倉敷、全部。ね、大勝利万歳。
◆連続勝利って言ったってね、千葉負けたじゃねえかよ。連続じゃねえじゃないか。特に目黒と渋谷。ね。1遍だけ万歳言おう。 これはね、あんな奴落ちた方がいいと思ってもいいけど、だけど菩薩行だからよ、慈悲行だから、かわいそうだから、当選させてあげようじゃないかってよ。上手にやんの。
◆あの、特に、あれだね。今、あの、車の中でさ、目黒区?1番大変な都議選の、大変なところ。東野秀平か?今度は。秀平、あの秀平じれったいから。ね。どうなる、今度は。当選しちゃうの?だからね、あの、かわいそうだからよ。どうせ立てる人だったらね、どうせやるんだったら、当選させてやろうよ(大拍手)
◆荒川のなに?鈴木カンタ、鈴木貫太郎、元総理大臣?そりゃ、当選させてやろうよ(大拍手)。鈴木さんの次の総理大臣だろ、そりゃー勝ってあげようよ。 2人区だろ、今度は。3人区から2人区になるなんて、福運がないか(笑い)。 貫太郎って名前だけは付けない方がいいよ。 で、小平、北多摩4区。うん、北多摩シク、それで永沢豊晶?47歳。定数3から2、ウン。どうなんだ、なんだ、スチュワーデスのご主人じゃねーかよ。
◆それから新宿、これは藤井富雄、ね。これは最高点な、最高点で当選になったら、藤井富雄は長谷川一夫つってんだよな、(笑い)。それから中野の橋本辰次郎。なんだか、あれだな、自民党かどっかの議員だよ。52歳。お前もね、優しくした方がいいんだよ、みんなに。絶対に叱りつけちゃいけないよ。言葉使いを丁寧に。礼儀正しく、やってごらんよ。


※北九州市議選、東京都議会議員選挙等の勝利を祈念して万歳をするとともに、6月実施の東京都議会議員選挙に立候補する候補の名前を挙げて当選を指示したり、候補をからかう池田氏。ここには政教分離宣言に見られる「母離れ、子離れ」の姿勢は微塵も見られず、むしろ竹入義勝元公明党委員長が平成10年8月〜9月にかけて『朝日新聞』に連載した「政界回顧録」で指摘した創価学会と公明党の関係は従属・支配の「一方的放射線関係」という記述を裏付けるものとなっている。


<平成5年7月7日本部幹部会での池田発言(衆院選を控えて)>
大したのいないかもしれないけどね、だけどよく監視しながら応援してもらって。55、ゴーゴーでさ。55だから、ゴーゴー、ゴーゴー、全員大勝利と、こういうことで行きましょう。もう淡々とね、余裕で、大したことないよ。「大激戦 楽しく勝ちゆけ 面白く 日本全土を あっと言わせろ」だよ。楽しくやるの。私は世界なんです。世界新党ですから。
◆広島1区の斎藤鉄夫。これ宇宙博士。たいへんな有名なんです。日本的に世界的に有名な博士なんです。本当は衆議院なんかもったいなかったな。あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ。大丈夫、広島1区。
◆三重1区。おっこった奴さ。桂三枝。あっ坂口力っていったな。医学博士。桂三枝、桂三枝と呼んでやんなくちゃいけない。そういえば当選すんだよ。んなね、坂口、逆さまの口書いてさ。よせよ、これからいい名前の人を選ぼう
◆宮城1区のバチ(千葉)国男。なんだ、バチ国男。袖が重いんだよ。千葉が重いんだから仕方がない。ナニ、不正退治の桃太郎、そんな顔してないじゃないか。自分を退治した方がいいんじゃないか。
◆東京よ。布施博よ。布施博よ、俳優の。似てるのよ。魚住祐一郎、長いよ、これまた。東京四苦八苦ってね。いつもそれこそ落ちてんだよ。大久保の奴よ。書記長。だらしない書記長で落っこってんだ。女房が全然人気なくて。あいつはおっちょこちょいなんだから。第7位だってんだから、書記長でしょうがねえ。そこに立った魚住かわいそうだよ。(創価)学園、東大、弁護士でね。布施博と書いてもいいようにさ。渋谷、中野、杉並全然燃えないの。火事の後みたい。
◆埼玉1区の福留たびや。福留泰蔵。難しい字だな。福留、福を止めるの。もう少しいい名前をね。池田大作あたりいいかな。
◆神奈川1区。上田勇。これ知らないな、あまり。農水省?ノウスイショウ、ナニヨ?病院いった方がいいよ。衆議院という病院にいった方がいいよ。
◆大阪6区の佐藤きげし?。しげき(茂樹)だ。刺激を与えればこれは勝てるんでしょ、ね。
◆高知。石田のりと。のりと、神道みたいだな。あっ、のりとし(祝稔)か。石田、創大(創価大学)、そう、大丈夫。


※平成5年7月実施の衆院選に公明党は55人の候補を立てた。それを受けて「55、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー」とはしゃぎながら「大勝利」を厳命する池田氏。それにしても広島1区から立候補した斎藤鉄夫氏について「あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ」とか、上田勇候補が農水省出身であることから農水省を脳水症と言って、病院に行った方がいいとからかう。また、坂口現厚生労働大臣をはじめ、候補の名前をおちょくる池田氏の神経は普通のものとは思われない。
 いずれにせよ、これらの池田発言は、昭和45年5月3日に池田氏自身が社会に公約した政教分離や学会員の政党支持の自由の約束が、いかに虚しいものであるかを浮き彫りにしている。
 そして、こうした学会員を選挙活動に駆り立てる発言、会合は、宗教施設として非課税という税法上の優遇措置を受けている創価学会の会館で行われているのである。
 ちなみにこの平成5年の衆院総選挙で、池田氏の_激励_を受けた公明党候補は55人中53人が当選。自民党が過半数を割ったことから、公明党は自民党を割った小沢一郎氏らとともに細川護煕氏を首班とする非自民連立政権を発足させ、公明党から4人の閣僚が誕生した。この細川政権発足の前日である8月8日に行われた本部幹部会の席上、池田氏が、翌日入閣する公明党の閣僚ポストを発表し、「デェジン・デェジン」と大喜び。あわせて「デェジンは皆さんの部下」と発言したことはマスコミ既報のとおり。



【公然と言論問題の反省を反故】
―『新・人間革命』における政教分離と副会長制導入に関する記述―
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(昭和45年)1月5日、学会本部でこの年初の総務会が開かれた。
 席上、新たに副会長制の設置が決まり、副会長に、十条潔(後の北条浩4代会長)、森川一正(森田一哉現理事長)、秋月英介(秋谷栄之助現会長)の3人が就任したのである。
 伸一(山本伸一・池田大作氏の登場人物名)が構想してきた、新生・創価学会の機構改革が、いよいよ始まったのだ。(中略)
 さらに、この総務会では、公明党の委員長、書記長は、党務並びに政務に専念するために、学会の幹部としての役職を退くことも決まった。
 公明党の議員については、引き続き、衆参の国会議員、そして、各地方議会の議員と、順次、すべての議員の学会役職との兼務をなくしていく方針であった。
 人事、財政党の面でも、学会と公明党は一線を画し、党が自主性をもって運営していくべきであるというのが、考え抜いた末の、伸一の意見であった。同時にそれは、公明党の意向でもあり、学会としての、未来を見すえたうえでの結論でもあったのである
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※ここでは、創価学会と公明党の政教分離は、言論出版妨害事件とは別に、池田会長が考え抜いた末の意見だとして記載されている。すでに政教分離宣言から33年が経過し、政教分離宣言の記憶は希薄なものとなってきている。そうした事件の風化を奇貨として、池田氏は創価学会と公明党の政教分離について、歴史改竄を図っているものと思われる。





創価・自民の「絆」と政教一致(仮題)
―「自民党・創価学会・公明党―その秘められた裏面史」ほか―
(『前衛』H15.7、H15.8ほか)

以下の記述は、自民党と創価学会、自民党と公明党、公明党と創価学会という三者の関係についての記録である。いずれも、佐藤栄作『佐藤栄作日記(1〜6)』朝日新聞社、1997〜1999年(以下『佐藤日記』と略)、竹入義勝「秘話55年体制のはざまで」『朝日新聞』(以下「竹入秘話」と略)、矢野絢也『二重権力・闇の流れ―平成動乱を読む・政界仕掛け人・矢野絢也回想録』文芸春秋、1994年(以下『矢野回想録』と略)など、公刊されたものから採っており、秘密にされてきたわけではない。

1954.11.22
・文化部設置

1955.4
・統一地方選挙で文化部員を中心に創価学会政治連盟として52人が当選し、東京都議、横浜・川崎市議などの地方議員が生まれた。

1956.7
・参院選で3議席を獲得

1959
・参院選で6議席を獲得

1960.5.3
・池田大作、創価学会第3代会長に就任

1961.5.3
・文化部が文化局に格上げされ、局内に政治部設置

1961.11.27
・政治団体・公明政治連盟(公政連)結成。委員長には原島宏治、副委員長に北条浩、書記長に龍年光が選ばれた。


【自民党による創価学会工作の始まり】
<大野伴睦からの池田大作への働きかけ>
最初に自民党から創価学会に働きかけたのは、私(※江藤俊介)の知る限り大野伴睦であり、自公連立の前史は大野と池田大作との関係から始まる。自民党の大野伴睦が池田大作に会おうとするのは、1963年のことであった。

池田大作さんとは、お互いに30歳代そこそこのときに会っているんだ。あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ。・・・・・・この後、池田大作さんが「創価学会の60万票を自民党に入れる」という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦に届けるなんてことがあったんだ。大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ。・・・・・・これで都知事選に自民党は大勝する。このころから僕は保革連立じゃないけれども、まず学会勢力を自民とくっつければ、相当な安定政権ができるなと思い始めてたんだな。(渡辺恒雄・現読売新聞社長/伊藤隆・御厨貴・飯尾潤『渡邊恒雄回顧録』中央公論社、2000年、279〜280頁)
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大野伴睦が池田大作に働きかけようとした動機は、東京都知事選挙での票である。大野との二者会談で頼まれた池田は「創価学会の60万票を自民党に入れる」と一筆書いている。選挙での票ほしさに創価学会への接近を図るという図式は、昔も今も変わっていない

(公政連結成の)直後、総本山大石寺へ池田を含め政治連盟の幹部一同が登山した。参加者は、池田会長、原島、龍、中西治雄、辻武寿、塚本素山ら15人。宿舎の理境坊(創価学会幹部の専用宿舎)2階の部屋で食事の後の話し合いで、気分が高まって、将来の政権をとった時の閣僚名簿を作ろうとなった。2種類の閣僚名簿が作成された。両方とも総理大臣は池田会長、文部大臣は小学校の先生出身の辻と原島がお互い譲り合っていたのが印象に残っている。通産大臣が塚本素山だった。塚本は創価学会の経済顧問的存在だった。(『政権参加を問う(1)』112頁)
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当初から政権参加がめざされていたこと、総理大臣には公政連の役員ではない池田大作創価学会会長が擬せられていたことも注目される。

1964.11.9
・佐藤内閣が発足

1964.11.17
・公明党が結成


<佐藤栄作と池田大作との接触>
(※1964年12月16日)2時すぎ公明党原島[宏治]君の葬儀参列。池田[大作]会長に会ふ(『佐藤日記』207頁)

(※1965年12月17日)(自民党の)賀屋東京都連会長と水道問題で協議。どうしても公明党を引き込む必要があり、小生自身池田会長と会見する様すゝめらる。何れは会見する事となるだらうが、まだその時機でない。選挙法改正の際には会う必要がある様だが、東京都の水道問題でそこまで行く事は早計らしい。相手方(池田)の希望で富士銀の岩佐[凱実]頭取を仲介につかふ事とする。岩佐君に架電して了解を求めた。(『佐藤日記』350頁)
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65年12月、東都知事は都議会に水道料金の大幅アップを提案した。この時、与党の自民党は第2党で過半数を割っていた。議長選挙をめぐる汚職事件で自民党都議17人が逮捕され、その後の刷新都議会選挙で大敗して38議席となり、第1党の座を45議席の社会党に譲っていたからである。賀屋会長の自民党都連は、23議席をもつ第3党の公明党の協力を仰ぐために池田会長との会見を佐藤に求めてきた

(※1966年1月8日)2、3連絡の後、1時半出発して鎌倉へ。所要時間55分。ゴルフの練習をし、池田大作会長と6時半に会ふ。夜食を共にしながら約3時間ばかり話して別れる。公明党との協力関係出来るか(『佐藤日記』366頁)

(※1966年1月10日)東京都問題は公明党との妥協漸(ようや)くなる。岩佐君から池田会長の申し越し連絡あり。早速のきゝめ(『佐藤日記』366頁)
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3日後の13日、都議会本会議は水道料金を平均で35.4%値上げする案を自民党と公明党の賛成で可決する。佐藤・池田会談の「ききめ」であった。都議会での公明党工作が、佐藤から池田に対してなされたこと、その最初の成果が都民を犠牲にする水道料金の値上げであったことは、その後の自公関係を考える上で象徴的だったといえる。

(※1966年2月4日)池田[大作]会長の処へ、岩佐君を介して、まきえの文箱を屈ける。蓋(けだ)し時計の御礼なり(『佐藤日記』366頁)
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2人の関係が親密になっていったことが分かる。池田は「時計」を贈り、その「御礼」に佐藤は「まきえの文箱」を届けているからである。


<美濃部選挙前の工作とその不調>
1967年4月の東京都知事選挙を前に、自民党は候補者選定で混迷していた。もともと東京都連は副知事だった鈴木俊一を推していたが、候補者選考の不手際や選挙運動の進め方などについて自民党執行部と折り合いがつかず、福田赴夫幹事長らの責任を問う声も上がった。当然、佐藤もその裏で動いていた。

(※1967年2月1日)植村[甲午郎]君から公明党の意向として小坂徳三郎を都知事候補にと云ふ。別に異存なし。然(しか)し鈴木[俊一]副知事の方が適任か。賀屋氏に公明党との交渉を頼む(『佐藤日記(3)』28〜29頁)
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この時点で、鈴木副知事の名前が出ていたが、まだ漠然としたものだった。佐藤はできれば公明党との共同推薦にしたいと考えていたようである。そのための工作に忙しく動いている。

(※1967年2月3日)東京都知事候補につき多忙な想いをして幹事長、賀屋、岩佐[凱実]頭取等次々に電話して対公明党対策をする。昨日来公明党独自の候補をたてると云ふので、是非とも協力を得度く種々工作したが、結局失敗。当方結局別々に候補をたてる事とする・・・岩佐-池田[大作]会長、福田-竹入[義勝](公明党委員長)、賀屋-清水[長雄](自民党都議)と面白い組合せで愉快な話合い。結論が同一ではなかったが、対立の情況ではないらしい(『佐藤日記(3)』30頁)
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だが、結局、公明党を取り込もうとした工作は不調に終わった。

(※1967年2月8日)保利茂君は福田君と打合わせの上、池田会長を訪問したがあへず、単に辻[武寿]君等と会った由。学会の態度は不都合。解せぬ点あり(『佐藤日記(3)』32頁)

(※1967年2月16日)夕刻掘田[庄三]君から創価学会池田会長との会見の模様をしらしてくれる。民社の松下候補は社会党も反対。社は美濃部亮吉君をかつぎ出す。然し民社はこれに反対。段々と結論を出す時が近づいた様だ。(『佐藤日記(3)』35頁)

(※1967年2月24日)対公明との関係は誠に微妙。よって池田会長並に竹入委員長に会見を申し込む(『佐藤日記(3)』39頁)

(※1967年2月25日、竹入に会ったところ)意外に強硬。(立正佼成会の)庭野をきれとの話だが、それは出来ない。兎に角注意するで話は終る。今後特に気をつける要あり(『佐藤日記(3)』39〜40頁)
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「庭野」というのは、立正佼成会の庭野日敬会長のことである。自民党の強固な支持団体である立正佼成会と手を切ることが竹入公明党委員長の要求であった。これでは、佐藤は受け入れることはできない。


<防衛二法通過のための協力など>
 1967年 第55特別国会に、政府は、過去2回流れてきた防衛庁設置法および自衛隊法改正案(防衛二法)を、三たび提出してきた。6月9日の趣旨説明を皮切りに6月29日から衆院内閣委員会で審議が始まり、7月6日、自民党単独で強行採決された。これに対して野党各党は態度を硬化させ、7月の審議は全面的にストップする。
 この後、議長の斡旋と4党国対委員長会談を経て国会は正常化され、7月10日の補足質問の後、本会議での採決を経て法案は参院に送られた。参院でも野党は対決姿勢をとったが、一酸化炭索中毒症特別措置法案(CO法案)を取り引き材料に自社両党の妥協がなり、防衛二法改正案は7月20日に成立する。これについても、佐藤は密かに手を回していた

(※1967年7月20日)10時登庁。国会も明1日を残すのみとなったので、最後の勉強を党側に指示する。何よりも防衛二法を通過さす事、その為に(秘書の)大津君を創価学会池田会長に連絡をとらす。会長が幸に引きうけてくれたので一寸安心。又その約束通り議事がとり運ばれた(『佐藤日記(3)』106頁)
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この頃になると、もはや特別の仲介者は必要なく、秘書からの連絡で事が運ぶようになっていた。佐藤と池田の関係がそれだけ親密なものになっていたということが分かる。

(※1968年2月12日)大津君を通じて池田会長へ援助方頼む。返事はいゝが会長も困っておるに違いない。そのうちに何とかなるだらう。社会党が倉石君罷免を強く主張する。理解しかねるとの返事。別途社会党と連絡して見ると、公明党が強いと云ふ。まだ解決の潮時が来てない結果と思ふ(『佐藤日記(3)』233〜234頁)
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「倉石罷免」問題をめぐって、佐藤が池田会長に「援助方」を頼んでいたことが分かる。
 このときにわかに浮上した「倉石罷免」問題というのは、2月6日の閣議後の記者会見で、倉石農相が「現行憲法は他力本願だ。やはり軍艦や大砲がなければダメだ」と述べたことに端を発する。この発言に野党が反発して倉石農相の罷免を求め、2月23日まで16日間も国会は空転した。佐藤首相は事態打開のための水面下での工作を始めるが、それは公明党の竹入委員長に対してではなく、創価学会の池田会長に対してであった。

(※1968年2月14日)日大の古田君は国税庁に手をやく。当方は古田君を介して公明党への働きかけをする。今日の処まだ効果不十分(『佐藤日記(3)』236頁)
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佐藤首相は日大の古田会頭を仲介役にして、公明党への働きかけを行っていたことになる。ここに名前が出てくる日大の古田会頭に対しては、当時、脱税容疑での国税庁による調査が行われていた。

(※1968年2月15日)今日も亦空転。然し公明党に動きあり。竹入君1日記者会見して動きを見せたが、野党につき上げられ又ぐらつく。然し池田会長のリモートコントロールがあるのでどうなるやら。物事は一進一退で解決するものか。夕刻古田君に架電してネジをまく。先生の方にも税で問題を起こしており、その上公明党との折衝で仲々忙しい事(『佐藤日記(3)』236〜237頁)。
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「池田会長のリモートコントロール」という言い方は、本質をついていると同時に大変生々しいものである。



【田中角栄・田中派と公明党との関係】
<田中と竹入が親しくなったのは「女性問題」がきっかけ?>
佐藤と公明党・創価学会との関係は、その後、田中角栄によって受け継がれていく。そのきっかけを作ったのも佐藤であった。

●(※1966年6月22日)田中幹事長を招致して明日の田中、辻(公明党)会談の打含せと注意を喚起しおく(『佐藤日記(2)』445頁/『前衛』H15.7)
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佐藤の名代として、田中を公明党工作の窓口にしようとしていたことがうかがえる。

●(※1966年6月23日)田中幹事長は公明党北条[浩書記長]君と正式に初めて会見。円満に会話が行はれた様子。先づは一安心。引続き1週間以内に再会見の予定(『佐藤日記(2)』446頁/『前衛』H15.7)
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こうして、田中は佐藤の指示によって公明党とのパイプ役になった

1967.1
・総選挙で公明党は25人を当選させ、衆院に進出

1968年に入り、7月の第8回参院選を控え、公明党は国会や地方議会ではとくに「汚職と腐敗の摘発」に力を入れた。そのターゲットにすえられたのは、当時すでに何かと噂の絶えなかった田中角栄である。

●(※田中)元首相と親しくなったのは、国会の質問で貸しを作ったことだった・・・公明党の参院側が、田中さんの国有地払い下げ問題や女性問題を取り上げることになった。68年6月にジャーナリストが仲立ちし、東京紀尾井町の料理屋で話をした。
 田中さんは「女性問題は、責任をとっているので取り上げるのはやめてほしい」と率直に訴えてきた。最初は、よくしゃべる人だなという印象だった。駆け出しの私に誠心誠意、話をするなあと感心した。この会談があって、党の参院幹部に「自民党の中では相当伸びる人だし」ということで女性問題の質問はやめてもらった
(「竹入秘話」『朝日新聞』1998年8月26日付/『前衛』H15.7)
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室生忠によると、自民党田中派と公明党との間に太いパイプができるのは68年以降のことで、「田中の金脈問題と学会の税金問題を取り引き材料にして」(室生忠『創価学会・立正佼成会』)のことだったという。理由は違うが、この時期に田中と公明党との間に、太いパイプができたという点では共通している。そしてこのパイプは、やがて大きな意味を持つことになる。(『前衛』H15.7)


<言論出版妨害事件>
 この事件は、1969年暮れの総選挙のさなかに表面化した。公明党は藤原の『創価学会を斬る』の出版を事前に察知し、その出版を妨害しようとした。大手取次店は配本を断り、新聞が広告を拒否するという事態も起きた。妨害の対象となったのは藤原の著書だけではなく、内藤国夫『公明党の素顔』、植村左内『これが創価学会だ』、福島泰照『創価学会・公明党の破滅』、塚本三郎『公明党を折伏しよう』などにも及んだ。
 竹入の証言によれば、「女性問題」での質問を取り下げてもらうことで、田中は竹入に大きな借りを作った。田中の側がその借りを返そうとしたのが、言論出版妨害事件での介入である。

昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。(『矢野回想録』29頁)
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田中は赤坂の「愛用の料亭」・「千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。
 なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。

野党3党は共同で、池田会長、竹入委員長、田中幹事長らの証人喚問を要求した。池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなった。さらに、池田会長は佐藤にも連絡を取っていた。

69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、「竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」「すまんなあ」「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」こんなやりとりをしたのを思い出す。佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26)


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※言論問題終結にあたり、池田大作は「政教分離」を宣言した。しかし、依然として実態は「政教一致」だった。(法蔵)

<田中角栄と竹入義勝とのつき合い>
言論出版妨害事件を契機に、田中と竹入の間は一段と深まった。「実際は、田中が直接言論妨害をしたわけではなかったが、あえて田中は発言をせず黙し続けた」(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』75頁)からである。

当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれたという(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』75頁)。

このような関係は日中国交正常化問題でも、大きな意味を持った。今度は、言論出版妨害事件で世話になったことが竹入にとって田中に対する負い目となり、その借りを返さなければならなくなったからである。

言論出版妨害問題は田中さんらに対し大きな負い目になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。日中正常化ができたとき、「これで借りがかえせたな」と正木良明政審会長と喜び合ったものだ。日中が終わると、田中さんとは、いっそう「おれ」「おまえ」の間柄になった。田中派の中でも、田中さんに直接ものがいえず、私に「仲介してくれないか」と頼んでくる幹部がいた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」H10.8.26)
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公明党が日中国交正常化問題で田中のエージェントとしての役割を演じたことはよく知られている。それは言論出版妨害事件での借りを返そうという意識によるものであった。こうして、田中は日中国交正常化を果たして歴史に名を残す。

田中派と公明党との間には、選挙での密接な協力関係もあった。これも、言論出版妨害事件での負い目によるものであろう。

その後、「お前やってくれよ」と田中から言われて、私と矢野書記長と長いつきあいが続いた。選挙の時など、「ここお願い。あと一歩だからお願いよ」とか、そういう協力はしょっちゅうやっていた(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』)

選挙になると、よく、全国の候補者リストに、ところどころ赤いアンダーラインを付けたのが送られてきた。「よろしく頼む。越山角栄」と書いてある。応援してくれないかというわけだ。公明党候補のいないところはまだしも、乱暴な要求も飛んできた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26)


<佐藤昭と矢野との関係>
・・・・以前から田中と二階堂さんは、公明党の竹入義勝委員長と矢野書記長の2人としばしば会合を持っていた。 と同時に私は矢野さんと度々お会いする機会があり、親しくさせていただいていた。私の日記の中にも「某書記長と懇談」という形で矢野さんが随分出てくる。余談ながら、田中が病気で倒れた後も、矢野さんにはずいぶん相談にのっていただいた。 「私は中曽根さんとは違いまっせ。田中先生が元気になって、ありがとうと言うてくれるだけで、ええんや」(佐藤昭子『私の田中角栄日記』188頁/『前衛』H15.7)
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田中秘書の佐藤昭(※後に昭子)は、田中に頼まれて矢野公明党書記長とのパイプ役を務めていた。2人の関係は、田中-竹入関係と同様の親密さであった。このような複数のパイプの存在が田中派と公明党との関係の深さを示している。



【政権への接近】
<入閣工作>
「どうだ、内閣に入って、いっしょにやらないか
「条件は変わらない。ひとつは憲法擁護、もう1つは企業献金をやめるということだ」
「企業献金をやめるなんて自民党がまとまらない」
「企業献金をやめる約束をすれば、一気に連立に行くぞ。やめるまで10年くらい余裕をもっていい」
「必要悪だ。企業献金をやめることはできないな」
 1979年10月の総選挙後に自民党の40日抗争が起きた。助けを求めてきた大平正芳首相と、東京・築地の料理屋で、公明党と連立内閣を組むかどうか真剣なやりとりが続いた。大平さんは憲法擁護に反対しなかった。企業献金廃止が最大の問題だった。だが、こっちから思い切って出した10年の猶予付きの助け舟にも動かなかった。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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79年10月7日の総選挙で、自民党は248議席にとどまり、過半数の251を下回った。選挙後、保守系無所属の5議席を追加公認してかろうじて過半数を上回ったものの、安定多数の271には遠く及ばなかった。このとき、大平は公明党の竹入委員長に入閣工作を行っていたのである。

連立の誘いは、このときが初めてではなかった。大平さんが首相になってから、予算修正問題などで苦境に立った時、何回か打診を受けた。すぐ、企業献金問題のやりとりになった。
 「お金で左右される政治ではだめだ。企業献金はひも付きだ。やめないと、自民党は腐っていく。あなたはクリスチャンなんだから、ちゃんとしなくては」と、説得した。もちろん、企業献金廃止を打ち出せば、自民党内で政権維持が難しくなる。だが、それを言い出せる人は、この人しかいないと確信していた。方向性を出してくれるなら、10年の猶予は長すぎるとも思わなかった。この提案にも乗ってこなかったのは、自民党にとって企業献金は生命線と判断したからだろう。
 連立するといっても、政策的には安保・自衛隊が大きな課題だった。当時の公明党は、日米安全保障条約は段階的解消を掲げていたし、自衛隊も違憲性が強く、国土防衛隊への改組を主張していたから、時間をかけて、調整していく必要があった。しかし、ロッキード事件などに表れた自民党の腐敗体質の追放を宣言しさえしてくれたら、手を組んでも良いと考えた。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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大平内閣の発足は、78年12月だった。そのときから「予算修正問題などで苦境に立った時、何回か打診を受けた」というのである。大平内閣は79年度予算案審議の過程で、野党からE2C予算削除要求を出され、結局、予算凍結で収拾した。
 この時、話題になったのが政策課題ごとに中道政党と連携する「パーシャル連合」であった。しかし、実際にはさらに進んで入閣の打診が行われていたわけである。そのネックになったのが企業献金問題、安保・自衛隊の問題だったというのだから、「今は昔」の話である。変わったのは自民党ではなく公明党だったということが、このことからも良く分かる。

「40日抗争」で自民党は真っ二つに割れた。首班指名選挙も、主流派が大平、反主流派が福田を推すことになる。またも、大平から公明党の竹入にSOSが発せられた。

自民党は主流、非主流の対立が激しく、首相指名へ一本化できず、分裂投票になった。その数日前、朝早く電話があった。
 「助けてくれよ。自民党は首相指名で割れる」
 「こちらは、公党だし、何かするにしても、首相指名で助けることはできないよ。何票足りないんだ」
 「今のところ五分五分だ。あと2、3票ほしい」
 「それなら新自由クラブがいるではないか。河野洋平代表に話してみよう」
 河野さんとは親しくしていただいていたので、大平さんへの協力を打診した。2、3日すると、受けるというので、大平さんに電話をした。「これで4票増えるな」「ありがとう」「必ず、ポストを回せよ」「渡す、渡す」といったやりとりをした。このときは、河野さんが入閣するものだとばかり思っていたが、新自由クラブの調整ができずに、結局、文相を大平さんが兼務した。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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野党でありながら、竹入公明党委員長は自民党の一方に協力していたのである。表で対立し、裏で協力する。ヤヌスのような二面性を公明党は持っていたが、「社公合意」がなる80年以降、次第に前者よりも後者の比重が大きくなっていく。


<中曽根政権樹立に当たっての口利き>
1982年秋、中曽根康弘さん(元首相)が突然、1人で議員会館の私の部屋を訪ねてきた。
 「総裁選があれば、後継の総裁になりたいので、田中角栄元首相に取り次いで欲しい」といった。どんな条件か聞くと、「人事などすべて元首相のいう通りやる」という。
 当時、田中さんと中曽根さんの関係はよくなかった。だから、まず二階堂進さん(元自民党副総裁)に電話した。「そりゃあ絶対だめだ。本人が直接頼めばいいではないか」と、田中さんが受け入れるはずがないという。そこで、私が直接電話した。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28)
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やがて、田中は中曽根支持を明らかにするが、その背景には竹入を通じての工作もあった。

中曽根さんは田中さんに脈があるとみるや、今度は東京・紀尾井町の料理屋に私を呼んだ。別の部屋で開いている派閥の会合から抜け出て部屋にやってきたようだった。「やるだけのことはやる」というと、中曽根さんは「なにか要望があるか」と聞いてきた。
 「憲法改正には触れないこと」
 「議論をしてもだめか」
 「議論は結構だが、改正に進むことに反対する」
 「守ります」
 「具体的に踏み出さないことだ」
 「やりません」
 その確認を受けて、田中さんに再三、要請した。そんな側面的な支援が効いたのかどうか、田中派は中曽根さんを支援することになった。総裁選挙は中曽根さんの圧勝だった。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28/『前衛』H15.8)

しかし、こちらはすごく助けてやったつもりでも、中曽根さんにはそれほどの意識はなかったようだ。だから煮え湯を飲まされたような気持ちになったことが、何度かある。驚いたのは、靖国神社の公式参拝。「もう、顔も見たくない」と、これには怒った。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28/『前衛』H15.8)
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こうして、両者の関係は次第に険悪になっていく。この中曽根への反感が、後に竹入や矢野が二階堂擁立工作に深く関わる伏線になるのである。
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「驚いたのは、靖国神社の公式参拝」「これには怒った」とあるが、今では、首相が靖国神社に参拝しても仲良く連立政権に留まっている。(法蔵)


<二階堂擁立工作での暗躍>
 これまで池田喚問を回避してこられたのも、田中氏と竹入氏のコネクションで自民党内と他の野党の学会批判を封じ込めてきたからだ。
 しかし、頼みの田中氏がロッキード事件で逮捕されると、公明党は表向き社公民路線をとって自民党に距離を置く姿勢をみせた。そうした中、田中離れを強める中曽根政権下で竹入氏と佐々木良作・民社党委員長が仕掛けたのが田中派の重鎮、二階堂進・自民党副総裁の首相擁立構想を柱とする自公民連立工作である。(『週刊ポスト』H11.7.9)

1984年秋自民党総裁選で、二階堂進副総裁を擁立しようと工作したことは、野党もかんで自民党総裁を決めようというのだから、歴史的な一大事だった。 9月28日、中国大使館のレセプションの後、二階堂さん、鈴木善幸さん(元首相)と示し合わせて、東京・築地の料理屋へ向かった。鈴木さんが総裁選に二階堂さんを担ぎ、中曽根康弘首相の再選を阻止する構想を示した。福田赴夫さん(元首相)らにも話をし、鈴木派で立候補に必要な推薦人50人は間違いなく用意する、といった。 私は「この問題は政権の問題でもあるから、1人で突っ走るわけにいかない。保留させてほしい」といって別れた。 鈴木さんは首相を辞めて中曽根さんにバトンタッチしたが、中曽根さんから無視されたり、無能だといわんばかりの発言が出たりして、腹に据えかねているようだった。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.29)
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ここでは、9月28日から工作が始まったように書かれているが、実際にはそうではなかった。福田赴夫元首相によれば、「首謀者」の1人である田中派二階堂グループの「田村元氏が世田谷・野沢の私の家にやってきたのは、84(昭和59)年9月12日だった」(福田赴夫『回顧90年』岩波書店、1995年、265頁)という。このとき、田村は福田に、「まだだれにも話していないんですが、二階堂政権を作りたいと思うんです」(同)と切り出している。

兵庫県西宮市で開かれていた創価学会の文化祭に行ったら、池田大作名誉会長から芦屋にある別荘に招かれ、2人きりで話をした。そこで「鈴木さんから二階堂さんを擁立しようという話が来ている。私は乗りたいと思う」と説明した。 名誉会長は「本当にできるかなあ」といったので、「今のところ実現できる気がする」と答えた。それで「ゴー」ということになった。党として本格的に動き出した。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.29)
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ここでも、池田の承認が必要だった。「党として本格的に動き出」すためには、委員長の決断ではなく、池田創価学会名誉会長の許可が必要だというところに、両者の関係が象徴的に示されている。この二階堂擁立工作は、自公連立に向けての大きな契機となった。これ以降、自民党との間の垣根が低くなり、竹入委員長がこの後の大会で「今度は背広を脱いでやる」と発言したように、自民党との連立に向けて本格的な姿勢を示すようになるからである。

 この構想は派閥の代がわりを嫌った田中氏の反対でつぶされたが、それを機に公明党と田中派の関係も田中―竹入ラインから、竹下登氏と竹入氏にかわって公明党委員長に就任した矢野絢也氏に世代交代する。
 そしてこの竹下―矢野ラインで進められたのが、竹下内閣が命運をかけた消費税導入だった。(『週刊ポスト』H11.7.9)


<野中に叩かれ、自民に擦り寄る>
1994
・市川雄一・小沢一郎の主導で新進党結成

1995
・学会は宗教法人法の改正にからんで自民党の集中攻撃を受けて窮地に立った。最も恐れていた池田の証人喚問は辛うじて免れたものの、会長の秋谷栄之助が国会に参考人招致された。

●「そのころには自民党の反転攻勢にたまりかねた学会側が『市川がおっちょこちょいで馬鹿なことをやるから、こんなことになった』と言って彼を非難しはじめたんです。市川というのは頭はいいけど、性格が激しくて危ないところがありますからね。市川らに任せておいたら何が起こるかわからんというので、学会が直々に自民党との手打ちに乗りだした。その相手が一番手強い野中(※広務=元自民党幹事長)さんだったというわけです」(岡本勇=仮名・元学会幹部)
 それにしてもなぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。
 「まあ、理由はいろいろありますが…」
と言いよどんだ後で、岡本が例を挙げたのは学会発行の『聖教グラフ』に関することだった。聖教グラフには、池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真がだびたび掲載された。
 「写真のバックには学会施設にあるルノワールとかマチスとかいった有名画家の高価な絵が写っているんですが、野中さんがそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突き合わせた。その結果、届出のない絵がいろいろあることが分かったというのです。もちろん野中さんは直接そんなことを学会に言ってくるわけではない。何となく耳に入るので、秋谷会長は『野中は怖い、怖い』としきりに漏らすようになったんです」
 後に野中が自公連立政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイブをつくったんですか」と聞いた。すると野中はこう答えた。
 「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」(『月刊現代』H16.2)

1996
・春の住専国会から野中(※広務)らの新進党切り崩し工作が本格化した。平野(※貞夫=当時新進党参院議員)によれば、野中は旧公明党の衆院議員らに「都市部を中選挙区(3人区)に戻して当選しやすいようにするから、公明党を復活させないか」とさかんに働きかけてきたという。(『月刊現代』H16.2)

1997.12.21
・海上基地建設の是非を問う住民投票が名護市で行われた。
●自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中(当時、自民党幹部)さんが自公連携を働きかけたんだろう(賛成派の県議・安里進『月刊現代』H16.2)
●あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から「公明批判はするな」という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう(自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎『月刊現代』H16.2)

1999.7
・自民党との連立与党に参画(閣外)

1999.10
・小渕恵三第2次改造内閣成立(自自公連立政権)



【公明党と創価学会】
<竹入委員長の誕生と交代>
(※1967年2月、委員長就任にあたって)池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます(竹入義勝『毎日新聞』夕刊S42.2.1)
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政党の委員長がどうして宗教団体の会長から「申し渡される」のか、聞かされる方も「面くらって」しまうような話だが、公明党と創価学会との関係ではそれが普通なのである。

政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。学会の副理事長や総務をやってきたが、取りえは元気がよくて活動的だったことぐらいだ。だから、無我夢中で党活動に専念した。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.18)

 ここでまず確認できることは、竹入が政治家になったのも委員長に就任したのも、自らの意思ではなかったということである。どちらも創価学会からの指示だったようである。委員長就任の時には「逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった」という。ここにも、創価学会と公明党との特異な関係が示されている。
 このように公明党委員長への就任は創価学会からの指示によるものであり、それを辞めるのも竹入の一存では不可能であった。「任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ」という「独特の論理」があったからである。

86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。 それまで何度、辞任を言い出したことか。最初は70年の言論出版妨害問題だった。…… 創価学会の世界には独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ」というものだ。 2回目の辞意は、71年9月に党本部前で刺されたとき。3回目は72年総選挙で大惨敗したとき。いずれも「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。 4回目は、創価学会と共産党の協定の時。北条さんから「弟子が反対するなら破門だ」といわれ「やむを得ません」と言ったことがある。… 委員長を辞めたのは86年12月の党大会だが、7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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こうして、竹入委員長は、1986年12月4日の公明党第24回大会で矢野委員長と交代した。竹入委員長が辞意を表明したのは11月20日だったが、委員長辞任はこれよりもずっと早く7月の竹入-池田会談で決まっていたのである。このときも、決めたのは竹入自身ではなく、池田名誉会長であった。


<学会から「一方的に発射される放射線関係」>
よく後継者の育成をしなかったとか批判されたが、私が仮に後継者を指名しても、そうならないのだから仕方ない。委員長を引き受けるときから人事権は学会にあると、明確にされていた。選挙にしても人事にしても、党内はみな学会を向いている。私の同調者になったら干されてしまう。 公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。公明新聞や雑誌『公明』も学会の意向が大きなウエートを占め、部数は学会の意向で決められてしまう。党員数も前年数値を参考に調整して決めていた。 政治家になって学会との調整に8割以上のエネルギーをとられた。公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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人事、財政、組織の全ては、「創価学会に従属していた」というのである。公明党としての自主性や独自の権限はなかったということになる。これで政党といえるのだろうか。また、公明新聞や雑誌の部数も学会の意向で決められ、党員の数まで「前年数値を参考に調整して決めていた」という。全て学会の言うがままだったということになる。

公明党の政治資金報告にみられる党費納入人員は、78年以降の5年間その数がほとんど変化せず、80年から82年にかけては1人の増減もなく、83年に1人増など、どこまで実勢を反映しているか疑問の点もあったが、84年に17万8896人、85年に18万34五六人と、委員長報告と整合性のある数字になっている。(法政大学大原社会問題研究所編・『日本労働年鑑』第57集、1987年版、434頁)
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これが『日本労働年鑑』に記載されている公明党の党員数についての記述である。「どこまで実勢を反映しているか疑問の点もあった」というのはまさにその通りで、全く実勢を反映していなかったのである。84年、85年と「委員長報告と整合性のある数字」になったのは、「前年数値を参考に調整して決め」たからで、実際に党員数が増えたわけではなかった。
 公明党の党員とはいっても末端になれば創価学会員ばかりで、あるのは創価学会の基礎組織にすぎない。政党としての独自の組織があるわけではなく、党員数などは「調整」によってどうにでもなるもので、数字にはほとんど意味がなかった。1人の増減もない「政治資金報告にみられる党費納入人員」は、竹入元委員長の証言を待つまでもなく、公明党の政党組織としてのデタラメぶりを雄弁に物語っていたのである。

ある人物(今も現職の中枢)が「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部の言いなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」。 私が「もの」とは何かと聞くと、「『もの』とは意思を持たないという意味だ。心のない『もの』です」。 竹入委員長と私は「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」と厳しく叱り、その後、2人で2時間ほど懇談。・・・矢野「県長会に秋谷会長出席予定が急に指示があり、出るには及ばずで欠席だとよ。表向きは、体をいたわれという意味だって」 2人「さっきは2人で、彼に厳しく注意したが、秋谷会長も『もの』か」 竹入「学会で人事がありそうで、学会人事と党人事は関係ないと思うが、上がおれに暫く続けろと言っている。それでいいか」 矢野「私に遠慮はいらない。素直に受けて、続けたらいいと思う」(『矢野回想録』23頁〜)
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この会話からは、公明党と議員が「もの」扱いされていたことに対する不満があったこと、この「もの」扱いは創価学会会長にも及んでいたこと、学会の人事との関連で公明党の人事も検討されていたことなどが分かる。
 特に注目されるのは、秋谷会長が、予定していた県長会に「急に指示があり、出るには及ばずで欠席」となったという点、このとき竹入公明党委員長が「上」から「暫く続けろ」と言われている点である。つまり、誰かが創価学会会長に指示を出し、その人物は公明党委員長の上にあるということになる。それは誰なのか。言うまでもなく、池田大作創価学会名誉会長である。
 ということは、この時期、名誉会長の職に退いたとはいえ池田大作は未だ実権を握っており、創価学会と公明党を実質的に動かしていたということになる。放射線が生ずる中枢には、池田名誉会長がいた。そのために、人事や党活動などの面で公明党は自主性を持たず、意思を持たない「もの」扱いへの不満と反発も高まっていたのである。








民主主義・政党政治の問題


識者の正論

●私は、宗教団体や信者が、必要があると判断すれば、政治に関わることは批判されることではないと思っている。それは、信仰を持つ人々の基本的人権である。しかし、宗教団体が組織として政治活動を行なう場合、人間としての常識に基づく前提条件が必要である。人間の歴史は、信仰する人々が善良であっても、宗教団体の指導者の野望で悲劇が繰り返されてきた。私の思いつく前提条件とは次の4つである。
@宗教は人の心に、政治は人の利害に介入する、という特性を持つことを自覚し、謙虚かつ慎重な行動をとること。
A常に権力をチェックし、政治倫理の確立を活動の基本とすること。
B信者に政治選択を強制しないこと。また、公的選挙の候補者と信仰について取り引きをしないこと。
C政治的、政策的主張は、「信者の利益」ではなく、「国民全体の利益」という普遍性を持つこと。
 これらを遵守することが、最低限の政教分離の基準である。
 いまの小泉政権下(※当時)の公明党・創価学会の活動をこの基準で見ると、4条件すべてを冒涜(ぼうとく)している。そもそも彼らには、こういった普遍性を持った発想がなく、いかにして形式論で逃げるかに関心があるようだ。法廷で勝てばよいという態度は、電車の中吊り広告に踊る、仰々しい創価学会関連誌のコピーからもわかる(平野貞夫著『公明党・創価学会と日本』/『慧妙』H19.8.16)

●1人1人が自由な意志をもち、十分かつ正確な材料にもとづいて、自分で判断し安全に確実に表明できること―民主主義の大前提である。(中略)国によって細部で若干の差はあるが、政教分離は、過去の経験から学んだ民主主義の出発点である。政教分離によって過去と決別し、民主主義を確立した。(中略)
 強い信仰を持つことは個人の自由だ。しかし、それを政治の場に持ち込んで唯一の判断材料にしてしまったら、そこにはもはや議論の余地はない。
 政治判断以前の選挙の段階だけであっても、宗教は人間の生活すべてと来世まで支配するのだから、敬虔な信者にとって神父や牧師が推薦するのと隣のオヤジが推薦するのとでは重みが違う。ましてや「Aに投票するのが信仰の証明だ」とか「Bに投票したら地獄に落ちる」などといえば影響力は絶大だ。(中略)
 宗教政党といっても、民主主義を優先する政党と宗教を優先する政党の2種類がある。前者は宗教をイデオロギーとする民主政党であり、後者は民主主義を利用する政教一致政党である。(国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1)

●今や池田大作氏の意向を無視しては、小泉政権は政策を実現できません。例えば自民党が今回の総選挙にあたって作ったマニフェストに、"憲法を改正する""教育基本法を改正する"があります。しかし、選挙後の公明党との政権含意では、この2つの項目は消えています。いやしくも国の最大政党が、最も大きな公約をあっさりと反故にしている。なぜか。それは、池田氏がこれに反対だからですよ。かつて朝日新聞で、彼は"教育基本法の見直しについては拙遠を慎むべきだ"という意見を表明しました。教育勅語の徳目の復権等を時代錯誤だと批判したのです。池田氏のこの意見で自民党の教育改革の姿勢は崩されました。その一方で、彼は韓国を"兄の国"であり、在日韓国人たちに参政権を与えることを主張しています。もちろん、公明党も同じです。この考えには、選挙によって国家がどう運営されていくのか、国益や国籍とはどんなものなのか、という視点が全く欠けている。こうして、池田という指導者に政権与党がいいように左右されているのです。今や小泉政権は、34議席しかない"犬の尻尾"に振り回されているんです。その尻尾の先には、池田大作という、絶対的な神のように崇められている1人の男がいるだけです。これは民主主義国家ではありませんよ(政治評論家・屋山太郎『週刊新潮』H15.12.11)

●自由民主主義の自民党、宗教民主主義の公明党。自由競争の思想と「神仏の前での平等」の思想とでは大分違う。大体「自由と平等」は微妙に食い違う価値観なのだ。極端なことを言えば、公明党が「創価学会の教えを日本国の宗教にする」と考えたらどうだろう。僕の親しい友人にも創価学会の熱心な信者がいる。教えに忠実で幸せな毎日を送っている。結構である。彼は「創価学会の教えが絶対」と考える。宗教とはそういうものだ。「この教えで日本国を統治すべきだ」と考えても不思議ではない。しかし、そうなったら、自民党の「自由」は崩壊するかもしれない。(専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18)
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「自民党の『自由』は崩壊」とは自民党が束縛されるという意味ではない。自民党が政治理念として掲げる「自由民主主義」の崩壊であり、「自由競争の思想」の崩壊である。

政教一体が間違っている理由としてあげられるのは、それによって信者は、政党選択の自由だけではなく、政策論議の自由も、政策選択の自由も失ってしまうからである。宗教的権威が、宗教団体と政党の双方に貫通しているのだから、そこでは、民主的な討論を生む民主主義の基盤が育たない(日隈威徳著『宗教と民主政治』)

●政治が何かの利益団体のために、利益を擁護したり代弁したりする時代は終わりつつある。1つの団体や勢力が政党を支配したり、政党が奉仕したりする関係は、国民が目覚めてきて、あらゆる面で清算される時代になっている(元公明党委員長・竹入義勝『朝日新聞』)
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竹入の回顧録が連載されたのは1999年だが、残念ながら「清算される時代」はきていない。(佐高信『週刊金曜日』H15.10.17)






宗教政党と民主主義(仮題)
―「ブッシュ勝利と日本の危機」より―
(国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1抜粋編集)

【民主主義と政教一致】
 1人1人が自由な意志をもち、十分かつ正確な材料にもとづいて、自分で判断し安全に確実に表明できること―民主主義の大前提である。
 日本国憲法に政教分離が明記されたのは戦前の宗教と政治の一致が生んだ悲劇を繰り返さぬためだった。
 なお、戦前の悲劇というと侵略のことにばかり光があてられるが、危険である。日本が外国を侵略しさえしなければ戦前戦中の再現はないと誤認させるからだ。窮屈な世の中そのものが悲劇なのである。
 フランスで政教分離が法制化されたのは、あらゆる宗教・思想の自由を保障するためだった。
 アメリカの憲法には宗教が政治に介入してはいけないという規定はない。だが、それは、「セクトとは何か」でも書いたように、アメリカの建国者には英国の宗教の迫害、植民地主義的迫害という経験があり、宗教が政治に介入しないという慣例がしっかり根付いていたからである。
 国によって細部で若干の差はあるが、政教分離は、過去の経験から学んだ民主主義の出発点である。
 政教分離によって過去と決別し、民主主義を確立した。

【宗教政党】
 でも、なぜ政教一致がいけないのか?―物事に対して「信じるか信じないか」だけしかなくなってしまうからである。
 強い信仰を持つことは個人の自由だ。しかし、それを政治の場に持ち込んで唯一の判断材料にしてしまったら、そこにはもはや議論の余地はない。
 政治判断以前の選挙の段階だけであっても、宗教は人間の生活すべてと来世まで支配するのだから、敬虔な信者にとって神父や牧師が推薦するのと隣のオヤジが推薦するのとでは重みが違う。ましてや「Aに投票するのが信仰の証明だ」とか「Bに投票したら地獄に落ちる」などといえば影響力は絶大だ。
 「でも、ヨーロッパにも宗教政党があるではないか」と反論されるかもしれない。くわしい説明は別の機会に譲るとして、結論だけいうと、宗教政党といっても、民主主義を優先する政党と宗教を優先する政党の2種類がある。前者は宗教をイデオロギーとする民主政党であり、後者は民主主義を利用する政教一致政党である。

【民主主義の罠】
 大日本帝国でもそうだが従来、不寛容な国教であることが政教一致政治の条件だった。しかし、ブッシュはいまでは、まったくその必要はないということを実証した。
 カギは代議制民主主義である。巨視的に見れば、一部が政権についているだけにすぎない。しかし、選挙さえ切り抜ければ、部分が全体を一定の時間支配できる。
 ブッシュはプロテスタントの60%、カトリックの51%を集めたが、17世紀ぐらいまでだったら、その大部分はブッシュにとって邪宗で、武力や異端裁判などで改宗放逐しなければならなかっただろう。ナチスは民主主義を利用して政権をとったが、それを永続化させるためには民主主義を放棄し、厳しい弾圧をしなければならなかった。
 戦後60年、民主主義はずっと強く逞しいものになった。しかし、まさにそこに落とし穴がある。
 信教の自由によって野党的宗派や論客も大きな恩恵を得ている。だから政権宗派・論客を力づくで潰すのは得策ではない。つかずはなれず目先の利益を守っていくのが良い。いっぽう民主主義だから投票によって変えられるという思いがつねにあるから攻撃はどうしても及び腰になり、多少理不尽でも、つらくてもそのときを待てばいいと消極姿勢を自己正当化してしまう。
 欲求不満は言論の自由が解消してくれる。まさにインターネットなど都合のいい道具である。しかも個人の権利思想の発展のおかげで、政府が規制しなくても勝手に当事者同士が名誉棄損だなんだと潰しあいをしてくれる。(中略)
 戦前の思い出があるために、つい国教型政教一致国家ができない限り民主主義は安泰だと錯覚しがちである。しかしいまや、民主主義、信教の自由を形だけ残したまま暗黒時代は実現できるのである。

【日本が危ない】
 神国日本と王仏冥合は、本来ならば水と油である。ところが、皇国史観を自由主義史観と言い換える連中と平和と人権を守る「大宗教者」ならくっつく。そのとき彼らは「民主主義」を標榜するであろう。
 しかしその「民主主義」は「正しい日本人」が善悪の基準になり、国民は経済思想文化あらゆる面で勝ち組と負け組にわかれ、「生命、自由および幸福の追求」は勝ち組にだけ許される世界である。その中で、国民の象徴たる天皇・皇族は窮屈な檻の中で痛めつけられる。雅子妃の苦悩どころではない。こんどこそ皇室制度は滅びるであろう。






欧州の宗教政党とは違う「土壌」と選挙スタイル
(東大社会科学研究所教授・平島健司『週刊朝日』H20.6.6抜粋)

 多くの国にキリスト教政党があるし、ドイツでは現在、キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル党首が首相になっています。キリスト教政党の多くは実際にはかなり世俗的ですが、人工妊娠中絶に反対するなど、キリスト教の理念に近い政策を取る傾向はあります。ヨーロッパの国民は、ほとんどがキリスト教徒なので、キリスト教政党が違和感なく受け入れられる土壌があります。この点は、新宗教として特定の人々にしか信仰されていない創価学会とは、前提条件が大きく違います
 また、CDUは、教会とのパイプはありますが、選挙運動は独自の下部組織を中心に行います。この点も、創価学会の組織的な応援を受ける公明党とは分けて考える必要

ひらしま・けんじ=1957年生まれ。専門分野は比較政治、ドイツ=ヨーロッパ政治。著書に『EUは国家を超えられるか』(岩波書店)など






公明政権で自由が崩壊!?(仮題)
―「<ここだけの話>アヘンと『脳力』」より―
(専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18抜粋)

 アヘンを見た。上質のアヘン?をタダ同然で手に入れる姿を見た。
 アヘン……この場合、アヘンは自民党にとって公明党(票)である。
 今回の衆院選で、自民党は公明党に助けられた。与党同士だから当然、と言う人もいるだろう。
 しかし、自由民主主義の自民党、宗教民主主義の公明党。自由競争の思想と「神仏の前での平等」の思想とでは大分違う。大体「自由と平等」は微妙に食い違う価値観なのだ。
 極端なことを言えば、公明党が「創価学会の教えを日本国の宗教にする」と考えたらどうだろう。
 僕の親しい友人にも創価学会の熱心な信者がいる。教えに忠実で幸せな毎日を送っている。結構である。
 彼は「創価学会の教えが絶対」と考える。宗教とはそういうものだ。「この教えで日本国を統治すべきだ」と考えても不思議ではない。
 しかし、そうなったら、自民党の「自由」は崩壊するかもしれない。
 それなのに……自民党は公明党票で下駄(げた)を履くことを覚えた。公明党票(=下駄)+自民党票+個人票で楽に当選する。これはアヘンだ。[2003-11-18-13:41]
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 ここで言う「自民党の『自由』」とは、自民党が公明党に束縛されないということではない。自民党が政治理念として掲げる「自由民主主義」であり「自由競争の思想」である。
 「『創価学会の教えを日本国の宗教にする』と考えたらどうだろう」「『この教えで日本国を統治すべきだ』と考えても不思議ではない」オブラートに包んだような表現にはなっているが、敢えて、一般紙が創価学会・公明党による"宗教支配"の可能性に言及した意義は大きいのではないか。しかも、その結果「『自由』は崩壊する」というのであるから、ことは深刻である。
 筆者がこのように考える背景には、以下の<1>〜<6>のようなことが考えられる。学会が本質的に持っている独善的体質と巨大な組織力、これと自公連立、学会による自民党議員支配という新たな要因が、学会・公明党による宗教支配の可能性を一気に現実味を帯びたものにしたといえよう。
<1>かつて学会は、自身の教えを国中に広めた暁には"国立戒壇"(世界中の信徒が礼拝する施設)を建立すると主張していた。礼拝施設を国立にするということは、その宗教を国教にするということである。宗門から破門された学会は、建設すべき戒壇も、戒壇の中に安置すべき本尊も所有していない。しかしながら、池田大作自身が"天下を取る"野望は捨てていないと言われている。
<2>学会は過去に「王仏冥合」といって、仏教理念を政治の世界に反映させようと公言し、創価学会の支配のもとに政治活動を堂々と展開してきた。現在では所謂言論問題の表面化によって社会から糾弾された結果、表面上は「政教分離」をしたことになっているが、実態は相変わらず政教一致である。
<3>学会の独善主義はマスコミ関係者にとって周知の事実。とくに批判者への組織的憎悪は尋常ではなく、言論問題以降も、今なお続いている。
<4>学会による支配の対象は、政界だけではなく法曹界、官僚、教育界など、社会の各層に及び、各界の学会員は組織化され日常的に活動している。
<5>自公連立政権の樹立。
<6>自民党が学会票に依存しており、学会に頭が上がらない自民党