創価学会破折
政教一致問題

[国民・新会員向け建前]
「庶民の党」「清潔で公正」「世界平和主義」(公明党公式サイト)
創価学会は公明党の支持団体としていく。当然、学会員の政党支持は従来通り自由であり、学会として政党支持について会員の自由意思に干渉するものではない」(池田大作S45.5.3第33回本部総会)
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[会員向け建前]
選挙活動は仏道修行であり、折伏と同じような功徳がある。だから会員が公明党を支持するのは当たり前
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[ホントの本音]
「権力奪取」(池田の権力欲の充足)→池田自身が『身延相承書』で説くところの「国主」または『観心本尊抄』で説くところの「賢王」となって広布を達成する。あるいはその師匠=国師となるという「宗教的権威」の獲得という側面もある。これは、上記会員向け建前とも合致




政教一致の実態

関連ニュース

LNK宗教を利用した権力獲得活動

学会の駒(こま)としての公明党

戸田会長指導

開き直りの"政教一致"指導

虚妄だった池田大作氏の「政教分離宣言」/『フォーラム21』H15.7.15

創価・自民の「絆」と政教一致/『前衛』H15.7、H15.8ほか
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民主主義・政党政治の問題
識者の正論

宗教政党と民主主義/国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1

欧州の宗教政党とは違う「土壌」と選挙スタイル/東大社会科学研究所教授・平島健司『週刊朝日』H20.6.6

公明政権で自由が崩壊!?/専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18

民主主義を守るために必要な政教分離/元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081109
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宗教団体の権力行使
憲法20条(宗教団体の権力行使の禁止)

金森答弁について/ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.2.15

「政治上の権力行使」について/ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1

宗教団体に許される「政治活動」の限界とは?/『フォーラム21』H17.3.1

慶大教授・小林節氏の"公明党合憲論"を批判する/<法蔵>H19.8.26

公教育が創価学会の影響下におかれるのは憲法違反/<森田実の時代を斬る>H18.10.10

義務逃れた権利行使は不公平の極み/『慧妙』H16.8.1

公明党の功罪を厳しく見つめよ/桜井よしこ『週刊新潮』H15.11.20

政教一体でも合憲?/『週刊ポスト』H15.11.28
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宗教法人と税金問題
宗教法人への課税問題/『慧妙』H19.5.1ほか

ならば「創価学会」からもっと徴税せよ/日本大学教授・北野弘久『諸君!』H12.5

世間欺(あざむ)く学会に実態に即した課税を/『慧妙』H16.8.1

創価学会問題への認識の甘さ露呈した「課税問題」訴訟/『フォーラム21』H16.5.1

学会への課税問題/都知事に損害賠償請求/『フォーラム21』H15.3.15






政教一致の実態(抜粋または要約)


◆公明党の政権参画意欲は「税務調査がきっかけ」(<産経ニュース>H21.7.1)
―元公明党委員長・矢野絢也―
矢野氏は平成3、4両年にわたり、公明党の支持母体である創価学会に税務調査が入った際、学会員による寄付のリストや美術品、池田大作名誉会長の個人所得などの調査には応じられないとする学会側の依頼を踏まえ、税務当局と折衝したことを明かした。そのうえで「これを転機として公明党の政権参画意欲が強まった」と強調した。(記事参照)

◆公明党議員は学会員の家来(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12)
学会内部の会合では、見識のありそうな政策を長々とぶつと、学会の幹部から怒られてしまうときもある。なによりも学会員に響くのは「学会と池田先生をお守りするために命をかけて頑張ります」というフレーズだ。これが公明党候補者のスピーチの基本である。要するに内部では政策よりも信心に訴えるのが公明党候補の鉄則なのだ。こうしたやりかたは、政治が熱狂的な宗教次元にすりかわってしまうことが多い。(記事参照)

◆選挙運動の実情(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12)
候補者発掘からポスターや選挙パンフレットのデザインはもちろん、選挙活動のスケジュール、演説内容まで公明党は学会の言いなり。だから当選した議員は学会員の家来、池田大作名誉会長の奴僕(ぬぼく)として扱われる。(記事参照)

◆ゼネコンから流出した「マル秘 創価学会マニュアル」(『週刊新潮』H20.10.2)
 これぞ政教一致の証拠文書か。そのマニュアルはA4ぺーパー3枚で、"創価学会関連施設を施工する上での注意事項"というのがタイトルだ。
 "選挙の応援(公明党)を依頼される。これも実際には公職選挙法違反であるが、相当な経費がかかる"。
 元創価学会芸術部書記長の古谷博氏はこう解説する。
 「かなり以前から、学会の建設局長などが施工業者に対し、広告を出せとか創価大学の学生を採用しろと内々に注文をつけていました。選挙応援の依頼はもちろん、業者に社員名簿を提出させ、学会幹部が社員宅を公明党支持のお願いにまわることもあったんです。ただ、今回のように証拠が残っているのは珍しい」(記事参照)

◆公明党を離党した2人の元参議院議員が政教一致を斬る!(『慧妙』H20.10.1)
〈福本〉P献金≠ヘ、昔からあったと聞いています。
〈中野〉私たちの頃は、年末の歳費から毎年100万円天引きされるんです。
〈福本〉私は実際に言われましたよ。私自身も「殺しもあるからな」と脅(おど)す言葉を言われたのです。離党した時に。(記事参照)

◆矢野氏が語った学会・公明党の関係(『慧妙』H20.7.1)
去る5月1日に創価学会を脱会し、同12日に学会などを相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている元公明党委員長・矢野絢也氏は、6月13日、野党国会議員有志の招きに応じ、衆議院第1議員会館内で開かれた「矢野絢也さんより話を聞く会」に出席。創価学会を提訴するに至った経緯(けいい)を語り、また参加議員の質問に答えて、いわゆる政教一致問題などについて語った。(記事参照)

◆不当逮捕の裏に有力政治家の影(『慧妙』H20.4.16)
 創価学会員に対する折伏で、いわれなき嫌疑(けんぎ)をかけられ不当に逮捕・勾留されていた2人の婦人講員(前号で既報)は、去る4月8日、ようやく釈放されて自由の身となった。
 そして、内と外で呼応するかのような異体同心の闘いが続く中、突然、厚くおおわれた雲に切れ目が生じたかのごとく、重大な情報が洩(も)れ伝わった。
 「今回の逮捕は、有力な元都議(※情報では実名)が野方警察署へ赴(おもむ)き、立件を依頼したことで実現したものだ――」
 この情報の真偽を確かめるべく、本紙関係者が手を尽くして警視庁筋に当たったところ、まさにそのとおりの話を聞くことができた。これがもし事実だとしたら、まさに憲法20条違反、正法の信行者に対する国家権力を使った弾圧であって、由々しき重大問題である。(記事参照)

◆囁(ささや)かれ始めた池田大作の国会喚問!?(『慧妙』H19.11.1)
10月16日、参議院予算委員会の場に緊迫した空気が流れた。民主党副代表の石井一議員が、自公連立政権と公明党の在り方を質(ただ)し、元公明党議員・福本潤一氏の国会喚問を要求したからだ。(記事参照)

◆「信仰の場」で選挙活動とは(「声」『朝日新聞』H19.6.25)
 今月中旬、創価学会の会館で開かれた地区座談会に誘われて参加し、信じられない光景を見た。座談会には約30人が参加し、終了後もほとんどの人が残った。
 女性幹部が「これから参院選の投票練習をします」といい、投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。1枚には公明党推薦の候補者名を、もう1枚には公明党と書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。「もっとはっきり書いて下さい。」と注意される人もいた。
 読経をし、仏教哲学を学ぶ信仰の場が座談会という。私は友人に頼まれ、福祉や青少年問題の話をするため出席した。年金問題に取り組む公明党の活動PRの紙芝居もあり、「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに今の制度が作られたので責任は菅代表代行にある。」と幹部は説明。1時間半ほどで終わり、投票練習があった。
 税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の選挙活動が行われていることに疑問を持った。そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、私には理解出来なかった。(専門学校非常勤講師・仲田征夫=栃木県西方町62歳)(記事参照)

「墓苑用のいい土地を探して来い」(参議院議員・福本潤一『週刊現代』H19.7.7)
 私が参院議員に当選した当時、四国には創価学会の墓苑はありませんでした。そこで学会幹部から私に、「(墓苑用の)いい土地を探して来い」と、不可思議な指示がおりてきたこともあります。有権者から選ばれた議員が、支持団体のためとはいえ、そんなことまでする必要があるのでしょうか。
 公明党の議員はこのように、創価学会から無理難題を押しつけられます。それに対しての違和感が募り、私はついに離党を決意したのです。

離党表明記者会見で公明党の体質を指弾(『慧妙』H19.7.1)
 6月15日、公明党参議院議員の福本潤一氏が記者会見を開き、党に対し離党届を提出したと発表、「公明党はアンチ・ヒューマニズム」「全体主義的傾向がある」と公明党批判を展開した。
 これに対し公明党は、18日に党の中央規律委員会を開き、福本氏を除名処分に。
 福本氏が離党を申し入れた際、太田昭宏は、
 「公明党議員に離党はない。公明党議員は一生、公明党議員なんだ!」
と言い放って離党届を受理しなかったという。
 また創価学会の方面幹部(副会長)は、
 「公明党議員の使命は何か分かっているのか!?池田先生と創価学会を守ることが公明党議員の使命なんだ。君はその使命を分かっているのか!」
と福本氏に教訓したという。(記事参照)

信者にノルマを課す創価学会選挙(『週刊現代』H19.6.23)
 元学会員が学会選挙の激烈さを告発する。
 「家庭訪問という名目での投票依頼や、期日前投票への連れ出し、夜は公明党候補への投票を呼びかける電話など、本当に寝食を惜しんで選挙活動に従事させられました。ノルマが課せられ、達成できなければ地区幹部から叱責されます。成果が上がれば、学会会館で発表させられることもあります。これが宗教団体のすることでしょうか」

動かぬ証拠(録音データ)がまた1つ流出!(『慧妙』H19.4.16)
―香川の会館での会合内容が流出―
 登壇した副会長の松下某が、
 「大勝利で5・3(5月3日、創価学会記念日)を迎えたい。池田先生にお応えしていただきたい
と檄(げき)を飛ばせば、候補者の広瀬も
 「必ず大勝利をもって池田先生にお応えしてまいります!
と誓約。
 結局、広瀬が県民のために県政で何をするのか、について訴えるのでなく、ただ、ひたすら「池田センセーにお応えするために当選させてほしい!」ということが訴えられる。
 「特に注意していただきたいことは、期日前投票に行く時に、メモとかチラシとか、または『手に書いとったらエエやろ』と手に書いとる人がおりますけど、それも書かないで、一切何も持たないでお願いします。
 それから、候補者の名前をなかなか覚えられないとか、自分の意志をきっちり表示できない方を、無理に期日前(投票)に連れて行くことは避けてください」「投票所内では、絶対、何を聞かれても口をきかない、返事をしない。これも徹底をよろしくお願いします。投票をする建物の中にも入らない。1日に何度も連れ出して目立つようなことはしない。目立たないように工夫(くふう)してください。

 このような「期日前投票」連れ出しテクニックが、学会香川県婦人部長の口から事細かに指導されるのだから、そもそも創価学会とは、宗教団体でありながら本格的に政治活動を行なう教団である、というのが正鵠(せいこく)を射た言い方であろう。(記事参照)

首相が池田に頭を下げて(『週刊現代』H18.11.11)
 安倍晋三首相(52歳)が都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長(78歳)と極秘会談していたことが明るみに出た。
 創価学会関係者によると、会談は9月22日午後2時から東京新宿区・信濃町の創価学会施設で行われた。
 「安倍氏が"常日頃、自民党をご支援いただきありがどうございます。神奈川16区と大阪9区の補欠選挙でもなお一層のご協力をお願いします"と頭を下げると、池田氏は"分かりました"と協力を約束した」(創価学会関係者)
 「この会談後、創価学会は"2つとも取れ!"と会員に大号令をかけ、とくに自民党候補が苦戦していた大阪9区については、自民党候補を全面的に支援した。公明党の北側一雄幹事長もほとんど選挙区に入りっぱなしで陣頭指揮をとりました。そのお陰で評判の悪かった自民党候補の原田憲治氏が当選したのです」(同)(記事参照)

公明党・田端衆院議員“裁判やめろ”と圧力(『しんぶん赤旗』H17.7.18)
―創価大サークル「ぴっかりこ」事件―
創価大学の「圧力」で学内の人形劇団サークル「ぴっかりこ」のOB会が解散に追い込まれ精神的苦痛を受けたとして、OBら22人が創価大学に損害賠償(2千7百万円)を求めている裁判で、公明党衆院議員が原告に「学会の反逆者になってしまう」などとして裁判をやめるよう迫っていたことが原告団の陳述書で明らかになりました。原告は裁判を起こす権利=「訴権」の侵害だと問題にしています。(記事参照)

公明党副大臣、フランスで議員の地位利用(『フォーラム21』H17.1.15)
 公明党参議院議員 高野博師がフランス人学会員と外交官を連れてセクト(有害カルト)被害対策市民団体UNADFI(個人と家族を守る会全国連合)の会長カトリーヌ・ピカール女史を訪問。訪問目的は「創価学会がセクト呼ばわりされているのを見直してほしい」ということにほかならなかった。その一方で、公明党と創価学会は政教分離しており、創価学会は公明党の支持団体にすぎないとさかんに強調していた。
 高野議員は公費での視察の合間に来ている。すべて日本大使館員がお膳立てし、日本大使館員と一緒に来ている。議員という肩書きとともに、これをすべて「一支持団体」の利益、便宜のために使ったのである。
 昭和45年に池田大作会長(当時)みずから政教分離宣言した創価学会は、公費と公的な地位を使って、宣言への違反行為、余計なお節介をする議員・副大臣を即刻断罪すべきである。(記事参照)

政策も選挙も学会の指示(『月刊現代』H16.2)
―沖縄・海上ヘリポート―
 賛成派の中心人物の1人だった県会議員の安里進が語る。
 「自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中さんが自公連携を働きかけたんだろう」
 自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎もこう証言する。
 「あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から『公明批判はするな』という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう」(記事参照)

「政教一致は"妄説"」秋谷会長(『週刊新潮』H15.12.11)
―H15.11.13本部幹部会―
くだらない"政教一致"の妄説などは吹き飛ばし、仏法の"人間主義の視点"から社会改革を目指す"立正安国"の使命を、ともども果していこうではございませんか。

創価学会"売票"作戦(『週刊ポスト』H15.12.5)
 「最後の仕掛けを打った。自民党本部に泣きついて安倍晋三幹事長の応援を頼んだし、学会にも実弾をぶち込んだ。C代議士は選挙資金が尽きたから、私が800万円を立てかえて現金で学会の責任者のもとに持っていった。これで2万〜3万票は上積みされるはずだ」(自民党候補の選対本部長)
 「自民党と民主党の候補が学会票を奪い合い、どちらも『比例は公明党へ』と訴えたり、『聖教新聞』を数百部も定期購読して学会への忠誠心を競い合った選挙区もある」(民主党選対幹部)(記事参照)

取引関係を利用した政教一体の集票活動(『しんぶん赤旗』H15.10.24)
―公明党候補の「支援者名簿」作成をゼネコンに依頼―
創価学会が、総選挙で東京12区から立候補する公明党候補の「支援者名簿」作成をゼネコンに依頼し、提供させていることが本紙入手の内部文書でわかりました。ゼネコンは創価学会を「得意先」としたうえで、自身の下請け企業に従業員の名前を名簿に載せるよう依頼しており、取引関係を利用した政教一体の集票活動が露骨です。(記事参照)

学会と公明党が「ふつうの関係」?(『しんぶん赤旗』H15.8.17)
―資料が語る一体ぶり―
 [画像]:「連絡事項」とタイトルがついた7月の内部文書=総選挙へ向け7・8月の支持者拡大の活動報告を求める内容で「F報告」「総県内F」「総県外F」などと書かれている。Fとはフレンド(創価学会員外で公明党支持を約束した者)の意味。総県とは創価学会の県段階の組織を示す。
 [画像]:公明党北海道本部の提案=今年1月、立党精神を体現するために(1)創価学会行事への参加(2)議員勤行会を毎月開催するなどの提案を確認した。勤行会とは創価学会の教義の「お題目」を唱和する会合のこと。(記事参照)

「会館は選挙の拠点」元幹部が証言(『しんぶん赤旗』H15.7.5)
―不動産課税請求訴訟―
原告側証人として出廷した元創価学会幹部は「会館が選挙のたびに公明党支援の拠点として使われていた」として、会館内で公明党の候補者が土下座などをして支持を訴えていたことや、支援活動の集計を会館に報告していたことなどを具体的に証言しました。(中略)一方、被告側証人の堤誠・創価学会副会長は「立候補者が会館を使って、選挙の告示前後に会員にあいさつすることはあるが数回程度」などとのべました。(記事参照)

学会のためなら「平和」も捨てる(『週刊金曜日』H15.6.13)
 昨年12月に2003年度税制改正をめぐり自民、公明両党が対立した際に、保守党が仲介し、その「見返り」として保守党の求めに応じて、与党三党の幹事長が「有事法制成立後に防衛庁の『省』昇格の問題を最優先の課題として取り組む」と文書で確認した経緯がある。
 ここで言う2003年度税制改正の「影のテーマ」こそ宗教法人への課税だったと言われている。つまり、公明党はここでも「宗教法人法改正で自らが課税されるくらいなら、右傾化の道を受け入れる」との自己保身に走ったわけだ(記事参照)

投票動機は「対立候補がフォーラム21を認めている」「池田証人喚問阻止」(『週刊金曜日』H15.6.13)
 「古賀一成さん(※昨年10月27日投票の衆参統一補選での民主党候補)は人柄も温和で新進党にいたこともあったため、ストレートに『荒巻対古賀』の形にすると、学会票の一部が同情票として流れる恐れがあった。そこで『学会対民主党』という構図が作り上げられ、『古賀一成氏の民主党は、学会批判をするフォーラム21(乙骨正生氏が発行人)を認めている。民主党が勝つと、池田大作名誉会長を証人喚問したいフォーラム21を勢いづかせ、証人喚問に一歩近づく』といった遠大な話が発せられたといいます。
 それで九州の学会員が福岡6区にかけつけた。これを学会用語で『交流をかける』というそうですが、彼らが頼りにするのが選挙区内の支持者名簿です。そこには『エフ(F)』と呼ばれる公明党にフレンドリーな有権者や『ダイヤモンド(D)』と呼ばれる大口の集票が期待できる企業がリストアップされています」
 選挙戦の終盤には、普段は見られない人たちの異様な姿が目に入ったと地元の住民は口をそろえる。名簿を手にした学会員らしき一団が戸別訪問を繰り返したり、若いカップルがコンビニの駐車場で「投票される方をお決めですか。まだでしたら荒巻さんをお願いします」と声をかけまくることもあったという。(記事参照)

「大樹の会」(自民の集票マシーン)も「戦慄を憶える」学会選挙(『週刊金曜日』H15.6.13)
 「大樹の組織は、郵政全国組織であって、対外的活動の拠点である。(中略)公明のやり方は『ウマイ』というか、『上手』というか、『ズルイ』というのか、全く善良且つ真面目にやっている市民をバカにするにも程がある。が、これが選挙というのなら我々も見習うべきだ。([画像]
 どうして、こんなうまい具合になるのかな。80万人程の居住者をコントロール出来ることに戦慄を憶える」(「大樹の会」の内部文書H13.11)
 「戦慄を憶える」のは国民の方だ。日本有数の2大集票マシーンが二人三脚を組んでいる事実を、認めざるをえないからだ。政教分離などどこ吹く風で1000万票を目指しているようにみえる公明党・創価学会と、逮捕も恐れぬ郵政利権軍団が競い合うように小泉政権を選挙で支えれば、民意そっちのけの政権運営が半永久的に続いても不思議ではないだろう。(記事参照)

◆選挙の戦いは「立正安国」の実現!?(『聖教新聞』H15.4.5/『フォーラム21』H15.4.15)
秋谷 『立正安国』、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。 和田 それが平和と幸福の王道だ。その意味で、一大平和勢力たる我らの運動の意義は、ますます重い。社会からも、いよいよ注目を集める時代に入っている(『聖教新聞』H15.4.5)
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この首脳座談会の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、日蓮聖人が約750年前の文応元年に鎌倉幕府に上呈した『立正安国論』に置いている。『フォーラム21』H15.4.15)

◆池田は公明党議員の「精神的指導者」(『サンデー毎日』H15.4.13)
公明党国際局長の遠藤乙彦に、あなたにとって池田大作とはと尋ねたら、こんな答えが返ってきたという。「グルとは思っていません。精神的な指導者です。私に関しては、人生に関するどんなことでも相談して教えを受けられる先生です。今日、日本にはたくさん問題があります。世界中どこでもそうですが。21世紀には、池田大作の思想、仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっとよく問題を解決できるようになるでしょう」(記事参照)

◆反共謀略本の正体は政教一体(『しんぶん赤旗』H15.3.6〜H15.3.17)
電話も事務も事務代行会社まかせ。登記上の「本店」は公団賃貸住宅の一室。そんな「出版社」が出版大手も驚く巨費を投じて日本共産党を誹謗(ひぼう)中傷する大々的な広告をうつ――。それがさる3日、名誉棄損と著作権法違反の罪で、日本共産党が告訴・告発した反共謀略本『拉致被害者と日本人妻を返せ 北朝鮮問題と日本共産党の罪』(未来書房刊)=注=の実態です。 謀略本の背後関係――。その焦点は間違いなく公明党と「一体不二」の創価学会です。未来書房の海野(うんの)安雄社長自身が創価学会の活動家変名で「フリーライター」を名乗り、謀略的文筆活動をおこなってきた。本の保管・流通は創価学会直系企業の潮出版が指示していた。本は、池田大作本といっしょに出版取り次ぎに「創価学会関連出版物」として扱われ、各地の創価学会・公明党がまとめ買いをしていた。 この本を通信販売しているホームページでは、「未来書房販売部」として長野県伊那市の住所が記されていました。住所を調べると驚くべきことがわかりました。元公明党の伊那市議だった飯島尚幸氏と同じ住所だったのです。飯島元市議は創価学会機関紙「聖教新聞」の元記者。98年に友人の暴力団組員の公判に出廷。組員の情状をのべたことで批判され市議を辞職した人物です。(記事参照)

◆創価学会の学生告訴 名誉棄損で北海道民医連(『しんぶん赤旗』H15.3.6)
北海道民主医療機関連合会(中井秀紀会長)は3日、民医連加盟の病院で起きた医療事故・事件をわい曲し民医連の名誉を傷つけた文書を配布したとして、創価学会員の学生2人を名誉棄損罪で札幌地方検察庁に告訴・告発しました。文書は、民医連加盟病院の医療事故・事件について、医療をないがしろにして病院挙げて選挙活動しているために起きたかのように意図的に事実をねじ曲げた上で、「この病院の実態について、どう思われますか」などと聞く体裁をとっています。告訴・告発状は、今回の異常な民医連攻撃が「統一地方選挙を前にして公明党が行っているものと軌を一にしている」と指摘。(記事参照)

議員は「支持者あっての議員」だ。支持者が懸命に支援してくれたおかげで、議員になれたんじゃないか。ご恩返しするのが当然だ。(秋谷会長『聖教新聞』H15.2.11/『フォーラム21』H15.3,1)
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国会議員は国民の代表であり、国民の奉仕者である。「支持者(学会)あっての議員」「(学会に)ご恩返しするのが当然」とは、学会=主、公明党=従の実態そのものであり、傲慢な本心の表明である。

◆議員利用してパトカーの護衛(平沢勝栄『諸君!』H15.2)
私自身、岡山県警の本部長当時に、そのような配慮をしたことがあります。池田氏が岡山入りするとき、公明党の議員がやってきて、「名誉会長が岡山に入ってから出るまで、頼むからパトカーの護衛をつけてくれ」と言うのです。本来、パトカーをつけるのは、危害を加えられる恐れがあると警察が判断したときに限られるのですが、公明党の議員からすれば、パトカーをつけられれば、よくやったと池田氏から評価されるわけです。そのとき私は部下と相談して、絶対やっておいたほうがいいですよ、と言われたのでパトカーをつけました。いまから考えると、なぜそうしたのかと言われれば、言い訳のしようもありませんが。(記事参照)

◆創価学会が“住民組織握れ”(『しんぶん赤旗』H15.2.5)
町内会やPTAの役員になろう――創価学会がこんな“運動”を展開しています。名づけて「地域友好」。役員就任のすすめとも言うべき部内文書もあります。 学会がこれに力を入れ出したのは公明党の政権入り(99年)ころから。聖教新聞で民生委員などをつとめる会員を紹介。最近は団地自治会やPTAの役員選挙にいっせいに立候補するという例が各地で目立っています。 学会元職員はこれを「住民の情報はもちろん、選挙では相手陣営の動静を逐一報告する。地域に張りめぐらせた情報集中システムであり、住民組織をこの手に握れという学会の“天下取り”戦略だ」と言います。(記事参照)
※学会では表向き「政教分離」などと言っているが、日常の「信仰活動」がそのまま選挙時の集票成果と現れるような体制が構築されていることが分かる。組織の地域区分が、そのまま選挙区と対応していることも、その一つ。既成政党が問題視するのも当然である。(法蔵)

◆「F取りで功徳」!?(『慧妙』H15.1.16)
学会員にとって、選挙活動は最も重要な信仰活動の1つ。"F1つ取れば、1世帯折伏したのと同じ功徳が"とまで言われ、血眼になってF取りに歩く。しかし、御書のどこをどのように拝せばそのような解釈ができるのか。"御書根本"の学会員に、ぜひ1度聞いてみたいものだ。
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学会員は仏道修行・広宣流布の一環として選挙活動を行っているのである。つまり、公明党の具体的な政治理念や政策、議員の活動に賛同して1票を投じているのでもなければ、集票活動している訳でもないのである。だからこそ、冷戦終結前に安保政策が反対から賛成に転換しても、ほとんど混乱がなかったのである。しかし、これは、民主主義を根幹から否定する態度である。何故なら、議会制民主主義・政党政治は、政党や議員が国益のために政治活動することを期待して、あるいは具体的活動の実績を評価して、国民個々が自由意志で投票することによって成り立つべきものである。それが、「合法的な選挙活動」という装いのもと、政治理念や政策に拘わり無く、宗教的理念心情に基づいて組織的に選挙活動が行われているのであれば、「民主主義の仮面を被った全体主義」というべきである。

◆信心なければ議員失格(『聖教新聞』H14.12.27/『フォーラム21』H15.1.15)
 藤原(関西長) いずれの地域も、公明党の議員や家族が、率先して先頭に立って戦ってもらいたい。党の実績を語り、立派に戦ってもらいたいものだ。
 中尾(関西婦人部長) もう私たちも、その真剣な努力がなければ、誰も応援する気なんか起こらないわ

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こうした論調が目立つようになったのは、そう昔のことではない。とりわけ竹入義勝元公明党委員長がその軌跡を手記にして朝日新聞に連載。池田名誉会長の逆鱗にふれて、竹入バッシングが始まった98年後半ころからである。一般的に候補者の支持者が注文をつける時、これほどきつい表現をするのだろうか。公明党議員は、他党の議員とことなり、「支持者」つまり学会員の前ではまったく頭が上がらない存在である。
 満田 ともあれ、議員は「支持者あっての議員」だ。支持者が懸命に支援してくれたお陰で、議員になれたんじゃないか。
 藤原 その通りだ。支持者のお陰で、学会のお陰で偉くなったくせに信心がなくなり、威張りくさってウソ八百を吐いたり、金をもらったりして、学会に迷惑をかける。そんな連中は、公明党から追い出してもらいたい

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信心がなくては議員失格なのである。

◆首相が会長と極秘会談。解散時期、政策を談合(『毎日新聞』H15.1.14)
首相は平成14年11月21日、東京都内のホテルで、公明党の支持母体・創価学会の秋谷栄之助会長、八尋頼雄副会長と極秘に会談した。公明党・創価学会が望む衆院解散時期をさりげなく打診、秋谷氏は04年夏の衆参同日選には反対の意向を伝える場面があり、首相の配慮をうかがわせた。さらに、首相は公明党の児童手当拡充要求も受け入れた。

◆宗教活動等閑にして選挙活動(『佐賀新聞』H14.2.25)
創価学会会長秋谷栄之助らは、平成13年12月の本部幹部会で「02年は対話拡大の年」との活動方針を打ち出した。学会幹部は「この2年間、国政選挙が続き、応援に力を取られてきた。本来の宗教活動に立ち返りたい」と説明。(記事参照)

◆集票マシーン婦人部の実態(『フォーラム21』H15.3.15)
平成10年参議院選挙の現場から―
学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。(中略)病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。」「正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。」「ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、(中略)電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました。」(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会)(記事参照)
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選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。しかし、その根底にあるのは「学会を、(池田)先生を守る」という精神である。つまり、池田学会にとって、「仏道修行=池田を守る戦い=池田の言いなりに動くこと」なのである。このような考えは当然、民主主義とも本来の大聖人の仏法とも異質のものである。(法蔵)

◆正本堂解体を妨害(『フォーラム21』H15.1.1)
工事を実施する上で、労働災害を防ぐための諸手続があります。そこで富士宮の労働基準監督署を訪れたところ、「作業員をどの旅館に何人ずつ宿泊させているのか」とか、「円融閣をどういう工法で倒すのか」など、労働基準監督署の所管業務と関係ないことについても、根掘り葉掘り聞かれたのです。そこで、「労働基準監督署の業務と関係ないでしょう」と強く抗議すると、最終的に政治的圧力があったことを認めました。 また、大石寺周辺の学会員が防音や振動について、騒音基準を超えているなどとして富士宮市に苦情処理を申し出たため、市役所に赴いたところ、公明党市議が同席して本人より先に文句をつけてくるなどということもありました。(正本堂解体工事の責任者・吉田裕史)

自公連立は「池田名誉会長守るため」(『月刊現代』H16.6)
 「公明」(旧公明党の、地方議員と平成7年の参院選で非改選の参院議員らで構成)の代表を務める都議会議員・藤井富雄さんが、山口組系の暴力団「後藤組」の後藤忠政氏とかつて会談をもったことがあり、その現場を隠し撮りしたビデオがあるとのことで、それを材料に、野中さんは旧公明党を揺さぶってきた(平成8年)。これをきっかけに野中さんは公明・学会との関係を深め、一方公明は自民党に擦り寄るようになっていく。
 自自公による連立(平成11年10月)以降、公明党は一貫して与党の立場を占めてきた。公明党の某元衆院議員の話によれば、冬柴幹事長が「連立はすべて名誉会長を守るためだ」と発言したことがあるとのこと。あらゆることを名誉会長のせいにするのは、政治家としてあまりにも無責任ではなかろうか。(記事参照)

池田側近(公明幹部)と暴力団の「絆」(『月刊現代』H16.2)
―学会守るために政策上の取引―
 小沢一郎の側近、平野貞夫(当時新進党参院議員)が友人の権藤恒夫から「会いたい」という連絡を受げたのは1996年(平成8年)3月6日のことだった。権藤は公明党時代に国対委員長として活躍した新進党の代議士である。
 「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもたい話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが……」
 藤井は創価学会名誉会長・池田大作の側近といわれる東京都議で、後に野中とともに自公連立の牽引車となる人物である。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表をつとめていた。
 その藤井が山口組きっての武闘派として知られる後藤組(本拠・静岡県富士宮市)の組長・後藤忠政と密会している場面を隠し撮りしたビデオテープがあるというのである。
 「脅かされているので妥協したいということなのですか?」(記事参照)

◆公明議員は学会員の部下(日蓮正宗弁護団長 小長井良浩『文藝春秋』H8.2)
細川連立政権の組閣前夜、池田氏は学会員を前に次のようなスピーチを行いました。「すごい時代に入りました、ね! そのうちデージンも何人か出るでしょう。ね、もうじきです。まァ、明日あたりですから。みんな、みなさん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。明日の新聞楽しみに」この発言こそ、学会の政教一致体質を如実に現しています。それにもかかわらず、この人物をあくまで守ろうとする新進党議員はやはり池田氏の部下なのでしょうか。

◆政教一体で宗門攻撃(日蓮正宗弁護団長 小長井良浩『文藝春秋』H8.2)
墓地の経営許可については近隣の同意が必要なのですが、「あそこのお寺の墓地の経営許可には賛成しないでください」と選挙運動よろしくお寺の近所を学会員が戸別訪門するわけです。つまり、経営許可を取っていないからけしからんと言いながら、その違法状態を継続させているのが創価学会なのです。 さらに問題なのは、いったん住民が同意をしてもそれを公明党議員が運動して同意を撤回させている例があります。 また、山口県岩国市の弘法寺の場合は、当時公明党の市議会議員だった反田福三氏が原告の学会員の依頼で、弘法寺の納骨堂経営許可取得の有無の確認をしているという事実があります。 総本山の大石寺に対して起こされた、やはり墓地埋葬法違反に基づく民事訴訟では、現職代議士の近江巳記夫氏が原告に名を連ねています。近江氏は、提訴をした2ヵ月後には、細川内閣の誕生で科学技術庁長官に就任しています。 このような公明党議員の関与は明白な政治による宗教弾圧です。(記事参照)

◆選挙一色だった町田「栄光躍進総会」(『フォーラム21』H15.10.15)
そして3たび、なんとかそういう場で働かせてもらって、1人の市民のために頑張らせてもらいたい。このように決意した次第でございます。また私は公明の議員でございます。私の奥底では、今度の戦いは打倒日顕(日蓮正宗法主)、山友(山崎正友・元創価学会顧問弁護士)、こういった四月会、この人たちに対して鉄槌を加える戦いである。その時に最重点区で大変苦しい戦いではありますが、候補者として戦えることに無上の喜びを感じて、いまやらせていただいております。
 どうか町田のみなさん。大和は超激戦区で苦しんでおりますが、私も必ず4月9日には勝ってご報告をしたいと思います。なんとか皆さん方の力で勝利をさせていただきたく、心からお願い申し上げます。よろしくお願いいたします(公明党の益田はやお県議・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5
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神奈川県議選の戦いは「打倒日顕、山友」そして「四月会」に「鉄槌を加える戦い」なのだという。この一事をもってしても創価学会そして公明党の選挙がいかなるものであるかは歴然(記事参照)

◆国会で、公明党"裏選対"の資料暴露(『慧妙』H20.11.1)
 次の質問は、平成5年10月28日に行なわれた、衆議院・政治改革に関する調査特別委員会での、武部勤・元自民党幹事長のもの。
 「例えば会館の電話やファクスが選挙専用で使われている。これは、いかにボランティアであっても、かなり膨大(ぼうだい)な負担になると思うんですね。選挙のため、また支援のため会員に作戦や日程の資料が配られる。紙代やコピー代も相当なものだろうと思うのです。
 これはなぜ私がお話しするかというと、ここに細かいこと(※学会から流出した選挙対策資料を紹介)、全部読んだら大変ですよ、これ。(中略)
 私は、このことはまさに裏選対と言って何だろうかな、こう思うのです。したがって、当然この創価学会の建物を、あるいは電話を、コピーを、創価学会の許可なしに個々のボランティアではやれないのではないか。(記事参照)

◆矢野・元委員長が政教一致を認める(『フォーラム21』H15.3.1)
元公明党委員長矢野絢也氏は、委員長・衆議院議員を退いた後の平成5年10月号の月刊誌『文藝春秋』に「政界仕掛け人極秘メモ全公開」と題する回顧録を発表した。詳細な記録メモに基づいたこの回顧録は、政界の裏表の動き、創価学会と公明党の関係などが克明に綴られており、文藝春秋読者賞を受賞するなど評判を呼んだ。同記事の中で矢野氏は、「やはり私たちはとかく政教一致というご批判をいただいているが、確かに状況をみてみると、そう言われても致し方ない面はある」などと記し、竹入委員長、矢野書記長といえども学会本部からは「もの」扱いされていたことなどを記していた。また、矢野氏は文中で芦屋市にある関西戸田記念会館を「芦屋の池田先生の自宅」と記載、創価学会の会館等の中に池田氏の専用施設があることを間接的に裏付けたのだった。

「学会、公明党に握られているのが今の日本」秋谷会長(『週刊新潮』H15.12.11)
H3.12.6全国県長会―
日本の中で公明党の占める位置は重要になってきている。今は、キャスティングボートを握る立場になっている。自民党が200何人おろうと、公明党。参議院で全ての重要法案が決まる。そのバックに創価学会がある。日本の命運を決するのは学会、公明党に握られているのが今の日本である。

「池田私邸」を守る「政党条項」(『週刊ポスト』H15.12.5)
あの法律は竹下内閣が消費税を導入するための見返りとしてできた。内容は、国会や在外公館の周辺で右翼などが街宣活動を展開して騒音問題が深刻になっており、規制しようという趣旨だったが、そこに公明党が「政党本部周辺も規制対象に入れてほしい」といってきた。政府はなんとしても消費税法案を成立させなければならなかったから、公明党が消費税の審議再開に応じることとひきかえに要求を飲んだ。(記事参照)

◆教授の論文も自公連立政局がらみで一部削除(『カルトとしての創価学会=池田大作』)
 創価大教育学部の工藤英三教授(体育科教育)が1998年3月末で定年退官となったため、学部の研究機関誌に退官記念の論文を執筆した。いったんはこの機関誌は卒業生ら関係者に配られたにもかかわらず、それが、橋本首相を取り上げた部分が問題であるとして、急遽、回収されたのだという。
 創価大学では、「創立者」に対する批判ができないのは言うまでもないが、それのみならず、表向きには大学とは直接、関係ないはずの、永田町に関わる話題もうかつに取り上げられないのだ。(記事参照)

学会行事のために選挙日程に干渉(『フォーラム21』H17.8.1)
〈学会幹部〉実は、7月21日に小沢一郎先生と会った。そのとき、12月解散、1月総選挙という意見をいっていた。会長が気にしているのはそのことで、学会の都合もあってなるべく正確に見通したい。
〈平野〉……どんな都合があるのですか。
〈学会幹部〉9月に学会は財務(決算)がある。10月いっぱいはその後始末にかかり、学会の都合をいえば、11月中ごろ解散、12月初旬総選挙が1番いい日程なのです。来年1月総選挙だと、学会の記念行事の準備がありまして、できれば年内にということです(平成元年7月25日 於赤坂プリンスホテル=『公明党・創価学会と日本』)
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衆議院事務局の重鎮兼自民党のブレーンでもあった平野氏は、公明党の議員や創価学会の幹部と頻繁に会い、政局の変遷をにらみながら、的確なアドバイスを与えていたのである。そのさなかの、秋谷栄之助・創価学会会長の指示で平野氏と面会した学会幹部氏は、こんな会話を交わしているのだ。(記事参照)

"政教一致"暴いた大橋論文(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.5)
 公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の『文藝春秋』誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
 大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラブル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
 「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」(公明党議員・権藤恒夫)(記事参照)

◆辞めるのも池田大作の許可必要(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)
86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。

◆信心活動=選挙活動≠セった想い出(善福寺信徒 大渕清子=元・創価学会女子部本部長『慧妙』H21.5.1)
 昭和55年夏の衆・参同時選挙は、1つでさえ大変な国政選挙が2つ重なったために、睡眠を削ってもさばききれないほどの仕事量がありました。
 板橋文化会館の2階では、私達ウグイス嬢に対し、幹部より、本部の意向に基づく指導がありましたが、当時の信心指導のポイントは、広宣流布のために選挙は不可欠の戦いであること∞勝つためには、池田先生の心にギヤを合わせていくことに尽きる≠ニいうものです。
 板橋文化会館の会議室には、候補者のポスターやポスター用の証紙、ポスターを貼り付けるベニヤ板、個人ビラとそれに貼る証紙、チラシ、選挙ハガキ等が各本部別に仕分けられていました。それらの全てが、深夜までかけて手際よく搬送され、区内11ヶ所に設けられた公明党選挙本部に届けられていくのです。(記事参照)






関連ニュース(抜粋または要約)


◆菅氏、法制局長官答弁撤回に反発(<TBS News i>H20.12.24)
 政府が24日の閣議で、政教分離をめぐる内閣法制局長官の国会答弁を撤回する答弁書を決定したことについて、民主党の菅代表代行が「日本の民主主義を揺るがす」と強く反発しています。
 菅氏は「日本の民主主義を揺るがす問題で、衆参の予算委員会で集中的に審議する必要がある」と述べ、年明けの通常国会で「政治と宗教」の問題として取り上げ、公明党を揺さぶる考えです。(24日21:42)(記事参照)

◆「政府見解と誤解」法制局長官の国会答弁を撤回(<産経ニュース>H20.12.24)
 政府は24日の閣議で、政教分離をめぐる宮崎礼壹内閣法制局長官の国会答弁について「誤解を与え、従来の政府見解を変更したと受け取られかねない」として撤回する異例の答弁書を決定した。
 答弁書の閣議決定について、菅氏は24日の記者会見で「創価学会という宗教組織が山口氏らに命じて閣議決定まで左右させている」と非難した。(記事参照)

◆「公明党はカルトの命令下」(<産経ニュース>H20.12.11)
―民主・石井氏が学会批判―
民主党の石井一副代表は11日、東京・丸の内のパレスホテルで講演し、公明党と支持母体の創価学会について、「公明党なんて政党はない。創価学会だ。党の人事から予算まで全部後ろのカルト集団の命令下でやっている」と批判を展開した。また、「自民党は公明党の票で生き延びている。創価学会が政権を振り回してきている。文句を言うのは当たり前だ」と強調した。(記事参照)

◆「池田大作創価学会名誉会長の国会招致を」(<産経ニュース>H20.10.16)
―民主・石井副代表、参院予算委員会で―
民主党の石井一副代表は15日、参院予算委員会での質問で、公明党とその支持母体の創価学会の関係を追及し、「政治と宗教」に関する集中審議の開催を要求した。石井氏は学会トップの池田大作名誉会長と、公明党・学会に批判的な立場をとっている元公明党委員長の竹入義勝、矢野絢也両氏、福本潤一元参院議員の計4人の国会招致を要求した。(記事参照)

◆国会で政教一致§_議が沸騰(『慧妙』H20.10.16)
9月24日に開会した第170回臨時国会――。今国会における与野党間の争点は多岐(たき)にわたるが、民主党・国民新党は、その1つに政治と宗教の問題を掲げ、政府に論戦を挑(いど)んでいる。そのような中、民主党代表代行・菅直人氏が行なった質問によって、大きな波紋が拡がった。(記事参照)

◆「教義実現・政権獲得を目指せば違憲」(『慧妙』H20.11.1)
―参議院・予算委員会―
平成8年4月24日に開かれた参議院・予算委員会において自民党の久世公堯議員が、次のように質問した。
●私ども自民党といたしましては、この前、宗教法人法が可決をされましてからワーキングチームをつくりまして、(略)宗教団体がどこまで政治にかかわり合いを持てるかという議論をやったわけでございます。
 そのだいたいの結果によりますと、政治参加は構わない、しかしながら政治支配というのは憲法に違反をする、憲法に抵触するおそれがある、こういう結論に達したわけでございます。
●憲法解釈というのは、先ほども申しましたように、社会の実態、国民生活の実態、国民と宗教との関わり合い、非常に変わってきております。昭和20年代、30年代と様変わりでございます。また、宗教団体の行なっているところの宗教活動、政治活動、政治運動、これもよく調べて、解釈というものを考えていかなきゃいけないと思うわけでございます。(記事参照)

◆国会で池田専用施設に言及(第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 H7.11.30)
―楢崎泰昌氏―
 実は、創価学会会館には池田専用の施設があるということが盛んに週刊誌で言われていますね。しかし、それは創価学会の施設の中につくられているものなんですが、これは何と創価学会会館の施設以外のところに独立してあるんだそうです。伊東市にある、東海センターという名前がついているんだそうですね。(中略)実は礼拝その他の宗教的な儀式、集会は全然そこで行われたことがない。池田さんが泊まりに行くだけだ、そういう施設なんだというぐあいにこの新聞に書いてあります。
 私は個別の事案を云々するわけではありません。個別の事案を云々しているわけじゃないんですが、そのような状況にあれば当然課税関係が生じるんではないかと思います。(記事参照)

◆自民党が創価・公明の政教一致を追及(『慧妙』H20.11.1)
 次の質問は、平成5年10月28日に行なわれた、衆議院・政治改革に関する調査特別委員会での、武部勤・元自民党幹事長のもの。
 「例えば会館の電話やファクスが選挙専用で使われている。これは、いかにボランティアであっても、かなり膨大(ぼうだい)な負担になると思うんですね。選挙のため、また支援のため会員に作戦や日程の資料が配られる。紙代やコピー代も相当なものだろうと思うのです。
 これはなぜ私がお話しするかというと、ここに細かいこと(※学会から流出した選挙対策資料を紹介)、全部読んだら大変ですよ、これ。(中略)
 私は、このことはまさに裏選対と言って何だろうかな、こう思うのです。したがって、当然この創価学会の建物を、あるいは電話を、コピーを、創価学会の許可なしに個々のボランティアではやれないのではないか。(記事参照)






学会の駒(こま)としての公明党

【公明党の目的は学会を守ること】
●私の在職中(中略)学会にいろいろな問題があった―言論出版妨害事件もあった、共産党との創共協定もあった、会長の女性問題云々という『月刊ペン』事件問題もあった、2度にわたる税調の査察もあった、ルノアールの絵画疑惑もあった、総本山との2回にわたる争いもあった、1億7千万円金庫事件もあった、そういうことの"処理"もしてきた(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●公明党書記長としての私は、創価学会の意を受けて、いろいろな問題を処理してまいりました。あまり言うと"お前はけしからんヤツだ"と叱(しか)られそうですが、あまり大きな声では言えないようなことを私はしてきました
 それは、学会を守らねばならないという大きな目的が当時はあったし、真剣にそう思ってやってきました。
 やった本人が言ったら世話はないと思いますが、今となってはやり過ぎじゃなかったかなと。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●消費税国会の頃、当時、ソ連大使館周辺で街宣活動が盛んに行なわれ、政府でも大使館に対する街頭宣伝の規制をすることになった。それに乗っかる形で国会周辺も、と。それで今度は私の方から、政党本部周辺も規制しようと持ちかけました。それで規制する法律ができました。
 あとは規制の範囲をどうするかですが、それは政令で決まる。そこで、公明党本部を中心に、聖教新聞社のあたりまで測(はか)りまして、そこが入るように。(笑い)
 なぜそういうことをしたかというと、その当時、創価学会本部に対しても、毎日のように街宣車が来て、聞くに堪(た)えないような街宣活動が続いており、「何とかしろ」と言われていたのです。
 そう言われても、当時は宗教施設の周りでの街宣活動を規制する法律がない。そこで政党本部周辺、ということで。
 その後、新進党時代に、「公明」に残った参議院議員が新進党の候補として立候補する、と表明したことがありまして、私は内心"えらいことを言うなあ"と思いました。全て新進党で立候補してしまったら(「公明」の)国会議員がゼロになって、政党本部がなくなる。そうすると(学会本部は)街宣規制の対象外となってしまう。自民党の有力政治家が、私と学会首脳に"そんなことになれば街頭宣伝が派手に行なわれるぞ"という、そうとう強い"ブラフ"があり、それが全ての理由ではありませんが、「公明」の代表であった藤井富雄君が、新進党ではなく、「公明」から(候補者を)出すと表明した。
 それ以外の要因もあったとは思いますが、学会本部への街頭宣伝をさせたくない、と。そのためには政治の論理だけでは動けないと。「公明」の非改選議員は、次の選挙では新進党から出馬しなければならない、当時の代表もそう発言していたのが逆転したのは、じつはそういう背景もあった、ということになるわけでして。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●私の在職中のことではありますが、(学会員や創大出身の)弁護士、司法関係者、公務員、芸能人などの、きちっとした名簿は管理していました。今はもっと整備されているかも知れませんが。(笑い)
 そういう人を"コントロールする"という強い意志は、私の時代にはあまり感じませんでした。しかしその中で、"将来有望だ"とか"信仰に熱心だ"とかいう"ランク付け"は行なわれていました。
 閣僚ポストに関しては、宗教法人創価学会の所管が東京都であった時に都議会が非常に大事であったのと同じように、組織防衛的に重要だと思えるポジションには強い関心を持っている、ということが言えると思います。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●福本氏が離党を申し入れた際、太田昭宏は、
 「公明党議員に離党はない。公明党議員は一生、公明党議員なんだ!」
と言い放って離党届を受理しなかったという。
 また創価学会の方面幹部(副会長)は、
 「公明党議員の使命は何か分かっているのか!?池田先生と創価学会を守ることが公明党議員の使命なんだ。君はその使命を分かっているのか!」
と福本氏に教訓したという。(『慧妙』H19.7.1)



【公明党は総体革命実現のための駒】
選挙時における学会の会館の使用、選挙期間中、常時、非課税の宗教施設が選挙活動の拠点になる、集会所になる、電話を使う、そういったことについて、少なくとも私の時代には、それについての対価を払ったということはございません。(中略)非課税で運営されている宗教団体の施設を24時間態勢で使用し、さらに運動してくれた方々の日当、電話代、会場使用料もかからない(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)
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私の知る限り選挙活動の拠点として実際に活動するのは学会員であるが、ほとんどが公明党員ではない(党員自体が少ないから)。つまり公明党の選挙は、実は学会の選挙なのだ。そうでなければ、単なる"支援団体"が手弁当で組織を挙げてここまで応援しないだろう。

●公明党は、学会員さん以外の党員はほとんどいらっしゃらない。党の推進力は学会員さんになるわけです。で、それも永年錬磨(れんま)された組織運営、それは昭和30年代から磨きに磨かれた、本当に見事なもので、どこのボタンをどう押せばどう動くかと。対立候補へも"的確"な対応を取っていると。(笑い)
 裏選対というのがありまして、これは、じつに見事なくらいに熟練したスタッフが、広宣活動から遊説計画のセッティングまで全てやってくださって、私もたいへんお世話になった1人ですが。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●結局、公明党議員は池田名誉会長と創価学会による「総体革命」(創価学会員による権力支配)の駒でしかないのです(『週刊現代』H19.7.7/『慧妙』H19.11.1)
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表向きは、創価学会は公明党の支援団体だが、実態は学会の活動目的(総体革命=天下取り)のための道具(システム)が公明党なのだ。



【政治家である前に学会員】
<勤行会・本部幹部会・そして池田大作への報告書>
●太田昭宏さんが公明党の代表になってから、より深刻になったのは、学会に毎月報告書を提出しなければならなくなったことと、議員が全員揃(そろ)って党本部で勤行をすることが頻繁になり、しかも、勤行会への参加回数が"評価"の対象にされるようになってしまったことです。
 じつは、創価大学でも今、同様の問題が起きているといいます。長谷川副会長が創価大学の担当になってから、大学職員ばかりでなく教授までが参加しての早朝勤行が常態化していることに、教授陣かち不満の声が盛んに上がっている、ということです。
 さて、「報告書」のことについて、もう少し詳しく話しましょう。
 学会の本部幹部会へは、毎回、30人ほどの公明党の国会議員が参加することになっています。ですから、だいたい3回に1回の割合で"順番"が回ってきます。それは国会の会期中であっても、です。
 そのため議員達は、外部の人間からそれと気付かれないよう、三々五々、八王子などの本部幹部会の会場に入るのです。会場内で座る位置は、写真や同時放送のカメラに絶対写らない位置です。
 本部幹部会終了後には、報告書を書いて提出しなければなりません。そもそも、池田大作が出席した会合に参加した学会幹部は全員、報告書を書く、というルールになっているのです。公明党議員もその例外ではない、ということです。
 池田名誉会長宛(あ)ての報告書は、宛先を空欄にします。それで、どこに上がる報告書かが判(わか)るのです。というのは、原島嵩さんに報告書のコピーを持ち出されたことが教訓になり、池田名誉会長宛ての報告書は、宛先を空欄にするようになったからです。
 ですから、報告書の書き出しは、必然的に「御健康な先生・奥様のもと、本部幹部会に参加させていただいて、ありがとうこざいました」といった具合いになります。しかも、こうした"定型文"が入っているか否かも、チェックの対象になっているのです。
 会合に参加したときには報告書を出すだけでなく、まず秋谷会長のところにあいさつに行き、次に第1庶務(※池田大作の秘書室)にあいさつに行きます。(公明党参議院議員・福本潤一『慧妙』H19.7.1)



【前代未聞―政治家が支援団体に献金!?】
―"上納金""P献金"―
●竹入・矢野時代、池田名誉会長のお誕生日、あるいは創価学会の記念日などにお祝いを持っていこうじゃないかと。あるいは選挙で当選した、そのお礼をしようではないかと。全国会議員の時も、中央執行委員だけの時もありました。それに対して(池田から)「ありがとう」といった連絡をいただいたこともあります。
 これは勘違いされては困るんですが、法律的にどうであるかは別としまして、党としては本当に感謝の気持ちで、純粋に感謝の気持ちで、1人3万・5万・10万と。
 それが学会本部としての収入になっているのか、あるいは、(池田の)個人の収入として、きちっと納税の手続きを取っておられるのか…。学会本部が全て収入として処理されているなら、これは何の問題もないことです。我々は、宗教団体に対するお礼の気持ちでしたことですし。お持ちした時には報告書もちゃんと書いて。それに「ありがとう」とか「○」を、御本人が書いていらっしゃるわけですね。その会計処理については創価学会に聞いてもらうしかしょうがない。こちらとしては気持ちはハッキリしている。個人にお持ちしている気持ちです。こちらの気持ちはハッキリしている。しかし、学会本部の経理として受け入れていれば、これは。こちらの気持ちは「池田先生」だけれども、学会の経理として適正に処理している、ということかも。これは学会に聞いてもらうよりしょうがない。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●参議院議員なら6百万円、衆議院議員なら3百万円。公明党の国会議員は、当選したらこの額を党本部に"上納"しなければなりません。しかも、この"上納金"は、公明党とその支持母体である創価学会に当選させていただいたお礼という意味合いが強い。つまり、"当選御礼金"なのです。(公明党参議院議員・福本潤一『週刊現代』H19.7.7~/『慧妙』H19.11.1)

●私自身は、初当選した'95年に新進党の市川雄一政務会長(当時)から説明を受けました。1年百万円として任期6年の参院議員は6百万円、任期4年の衆院議員は、解散もあるから3百万円ということでした。'01年の2回目の当選時は、秘書を介して指示があり、自ら6百万円を振り込みました。(公明党参議院議員・福本潤一『週刊現代』H19.7.7~/『慧妙』H19.11.1)

●公明党の議員は巨額の財務(学会に対する寄附行為)を行なっている、と思っている方も多いでしょう。私自身もそれ相応のご奉公(※財務と呼ばれる寄附)はいたしました。しかし、公明党議員に必要なのは財務だけではありません。その他にも、1月2日の池田名誉会長の誕生日や、5月3日の「創価学会の日」など、創価学会の記念日には、必ずポケットマネーを出さなければならないのです。私はだいたい毎回、5万円ほど捻出していました。このおカネがいったい何に使用されたのか、いまだにわかりません。
 昨年10月、池田名誉会長が2百個目の名誉学術称号を受賞しました。この際に、公明党では神崎(武法・公明党前代表)さんが率先して「お祝いを贈る」ということになり、私は30万円支払いました。他の公明党議員もみんな出しているはずです。それを"元手"に池田名誉会長を祝う大きな銘板が作られました。2百個の名誉学術称号が刻まれた、2m×4mくらいの巨大なものでした。
 結局、公明党議員は池田名誉会長と創価学会による「総体革命」(創価学会員による権力支配)の駒でしかないのです(『週刊現代』H19.7.7/『慧妙』H19.11.1)



【学会の意向が最優先】
―公明党に「信教の自由」なし―
●昨年1月、福本氏(※潤一=公明党参議院議員)の政策秘書を務めていた馬田泰廣氏が死去。遺族の意向により、葬儀は日蓮正宗で行なうこととなった。
 福本氏としては当然のように、初当選以来、ずっと政策秘書を務めてきてくれた馬田氏に報(むく)いたいとの念から、自分が葬儀委員長を務め、葬儀を立派に執(と)り行なってあげたい、と考えた。
 ところが、馬田氏の葬儀が日蓮正宗で行なわれることを聞きつけた公明党秘書会長から、「葬儀委員長を務めるなどとんでもない!葬儀に参列してもいけない。マスコミに嗅(か)ぎつけられたら大騒ぎになるから、党内への訃報(ふほう)も回覧しないように」と強く申し渡されてしまったのである。
 党首脳部などとも綿密に連携している秘書会長--言い換えるなら"公明党の裏の顔"のような存在から強く言われてしまえば、福本氏としても、不本意ながら従うほかない。福本氏としては、馬田氏の未亡人に電話を入れて事情を説明し、葬儀の前日に馬田氏の自宅に赴(おもむ)いて、読経・唱題するのが精一杯だったという。
 それから3ヶ月が過ぎ、議員の間で次期参院選の公認に関する話が取り交わされるようになった4月、福本氏は、学会の方面幹部から「近々、冬柴から呼び出しがかかるぞ」と教えられた。
 その学会幹部の話によると、学会と公明党との間の協議で決められた比例区の"区割り"は、すでに学会の最高幹部会で発表されており、中国・四国ブロックの候補者名は空白になっていた、というのである。
 その学会幹部の言葉どおり、福本氏は冬柴幹事長(当時)に呼び出された。
 福本氏が冬柴を訪ねていくと、そこには神崎代表(当時)もいた。そして福本氏は、その場で冬柴から「今期は公認しない」と言い渡されたのである。
 福本氏としては3期目を目指すつもりで、年初に地元で行なわれた賀詞交換会に出席し、公認されることを前提に"どうぞよろしく"と挨拶もしている。
 納得のいかない福本氏がその理由を尋ねると、神崎が"馬田氏の葬儀問題"を口にし、冬柴もそれに同調したという。
 これにより福本氏は、"政策秘書の葬儀が日蓮正宗で行なわれたのは、秘書の管理ができていない証拠"という理由で、自分は"管理者責任"を問われたのだ、と認識したのである。
 秘書の葬儀が日蓮正宗で行なわれたことを理由に所属議員の公認を見送る―いくら支援団体である創価学会の手前があろうとも、日本国憲法には「信教の自由」が高らかに謳(うた)われている。そして公明党は、国民の血税から支出される政党助成金を受け取っている「公党」なのだ。
 秘書の葬儀の宗旨にクレームを付け、それを理由に公認候補から外したとしたら、それこそ言語道断。憲法を遵守(じゅんしゅ)すべき公党として許されないことは自明の理である。(『慧妙』H19.7.1)






戸田会長指導


●広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またはこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども、会社の小使といえども、みな御本尊様のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、本門戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下もまた、この御本尊様のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。
 これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない。そこで、この一端として文化部が創設され、文化活動のうちの政治活動が、最初に打ち出されたのです。
 このような文化活動は、私の理想からいうならば、全国で50数人の文化部員が、政治活動に参与しだしたということは、広宣流布の大闘争よりいえば、豆粒のようなものであります。
 ただ、ここに一言ことわっておかなければならないことは、文化部員の闘争は政治のための政治ではないということです。ある人は、そういうものならば、創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、1人が社会党であり、1人は自由党であり、1人は民主党であり、なかには共産党がいても、いっこうにさしつかえないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからです。
 この意味におきましては、このたびは、どうかじゅうぶんに悔いなき闘争ができるようにと、日夜祈っているしだいであります。(S30.3.27 東京・星薬科大学講堂「広布の礎、文化活動」『戸田城聖全集』第4巻270頁〜)

◆衆議院には候補者を立てない(戸田城聖『週刊朝日』S31.7.29/『慧妙』H20.8.16)

◆わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ(戸田城聖『総合』S32.7/『慧妙』H20.8.16)






開き直りの"政教一致"指導


◆おめでとう、よくやった。勝って勝って。本当にありがとう。見事で、嬉しいね。勝つということは楽しい。嬉しいもんです。勝つための仏法なんです。信心なんです。(略) 広宣流布の1000万の陣列を達成することは、牧口先生、戸田先生の悲願であった。思えば、昭和31年、学会が初めて参議院の選挙の支援に取り組んだ。全国区の得票は90万。90万台。で、今回の得票は、いまだかつてない873万票。凄いことだ。(略)みんな驚いてます。この数にこれからの時代を担っていく未来部、そして、未成年の若き後継者を集めれば、優にもう1000万。従って、1000万の目標は実質的には達成されている(池田大作H15.11.13本部幹部会/『週刊新潮』H15.12.11)
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選挙での得票数が873万票であったことから、「未成年の若き後継者を集めれば、優にもう1000万」と得意の"水増し"をして「広宣流布の1000万の陣列を」「実質的には達成」と結論付けている。要するに選挙の票=折伏数、という考えであることが分かる。すなわち、池田学会にとって選挙の戦いは即折伏行なのである。

◆(昭和45年)1月5日、学会本部でこの年初の総務会が開かれた。
 席上、新たに副会長制の設置が決まり、副会長に、十条潔(後の北条浩4代会長)、森川一正(森田一哉現理事長)、秋月英介(秋谷栄之助現会長)の3人が就任したのである。
 伸一(山本伸一・池田大作氏の登場人物名)が構想してきた、新生・創価学会の機構改革が、いよいよ始まったのだ。(中略)
 さらに、この総務会では、公明党の委員長、書記長は、党務並びに政務に専念するために、学会の幹部としての役職を退くことも決まった。
 公明党の議員については、引き続き、衆参の国会議員、そして、各地方議会の議員と、順次、すべての議員の学会役職との兼務をなくしていく方針であった。
 人事、財政党の面でも、学会と公明党は一線を画し、党が自主性をもって運営していくべきであるというのが、考え抜いた末の、伸一の意見であった。同時にそれは、公明党の意向でもあり、学会としての、未来を見すえたうえでの結論でもあったのである。
(『新・人間革命』=政教分離と副会長制導入に関する記述/『フォーラム21』H15.7.15)
※ここでは、創価学会と公明党の政教分離は、言論出版妨害事件とは別に、池田会長が考え抜いた末の意見だとして記載されている。すでに政教分離宣言から33年が経過し、政教分離宣言の記憶は希薄なものとなってきている。そうした事件の風化を奇貨として、池田氏は創価学会と公明党の政教分離について、歴史改竄を図っているものと思われる。(『フォーラム21』H15.7.15)

「立正安国」、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。(秋谷会長『聖教新聞』H15.4.5/『フォーラム21』H15.4.15)
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この記事の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織を挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、「日蓮仏法の『根本中の根本』」である「立正安国」に置いているのだ。つまり、創価学会の活動の「根本中の根本」の1つが選挙運動なのである。それでも、「学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由」だと言い張るのであれば、"成仏できないけど、それでもいいなら選挙運動しなくてもよい"と言っているようなものである。

◆数日後、母に大きな変化が起きたのです。同室の患者さん2人で、学会、先生の悪口、お葬式に香典を持ち逃げされる等、母の耳に入りました。我慢も限界に達し、どうベッドから降りたのか、にじりよって、大破折。学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。呼吸困難の母にとって、どんなに大変だったことでしょうか。話すこと1時間、安静の母を制止することなく、廊下で看護婦さんも作業しながら聞いていたそうです。勢いづいて病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。 不思議にも、正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。 母の日に送った緑のサマーセーターでドレスアップし、80歳より広布の使命再びとの思いで、82と86歳のおじ夫婦の世話に、たった1人で急遽、長崎へ出発しました。 選挙は勝つよと、ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、お金持ちのおじ宅より、電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
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選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。

●86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝=公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)

<平成5年1月27日本部幹部会での池田発言(北九州市議選、東京都議選を控えて)>
◆連続勝利って言ったってね、千葉負けたじゃねえかよ。連続じゃねえじゃないか。特に目黒と渋谷。ね。1遍だけ万歳言おう。 これはね、あんな奴落ちた方がいいと思ってもいいけど、だけど菩薩行だからよ、慈悲行だから、かわいそうだから、当選させてあげようじゃないかってよ。上手にやんの。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆あの、特に、あれだね。今、あの、車の中でさ、目黒区?1番大変な都議選の、大変なところ。東野秀平か?今度は。秀平、あの秀平じれったいから。ね。どうなる、今度は。当選しちゃうの?だからね、あの、かわいそうだからよ。どうせ立てる人だったらね、どうせやるんだったら、当選させてやろうよ(大拍手)(同)
◆荒川のなに?鈴木カンタ、鈴木貫太郎、元総理大臣?そりゃ、当選させてやろうよ(大拍手)。鈴木さんの次の総理大臣だろ、そりゃー勝ってあげようよ。 2人区だろ、今度は。3人区から2人区になるなんて、福運がないか(笑い)。 貫太郎って名前だけは付けない方がいいよ。 で、小平、北多摩4区。うん、北多摩シク、それで永沢豊晶?47歳。定数3から2、ウン。どうなんだ、なんだ、スチュワーデスのご主人じゃねーかよ。(同)
◆それから新宿、これは藤井富雄、ね。これは最高点な、最高点で当選になったら、藤井富雄は長谷川一夫つってんだよな、(笑い)。それから中野の橋本辰次郎。なんだか、あれだな、自民党かどっかの議員だよ。52歳。お前もね、優しくした方がいいんだよ、みんなに。絶対に叱りつけちゃいけないよ。言葉使いを丁寧に。礼儀正しく、やってごらんよ。(同)
※北九州市議選、東京都議会議員選挙等の勝利を祈念して万歳をするとともに、6月実施の東京都議会議員選挙に立候補する候補の名前を挙げて当選を指示したり、候補をからかう池田氏。ここには政教分離宣言に見られる「母離れ、子離れ」の姿勢は微塵も見られず、むしろ竹入義勝元公明党委員長が平成10年8月〜9月にかけて『朝日新聞』に連載した「政界回顧録」で指摘した創価学会と公明党の関係は従属・支配の「一方的放射線関係」という記述を裏付けるものとなっている。(『フォーラム21』H15.7.15)

<平成5年7月7日本部幹部会での池田発言(衆院選を控えて)>
大したのいないかもしれないけどね、だけどよく監視しながら応援してもらって。55、ゴーゴーでさ。55だから、ゴーゴー、ゴーゴー、全員大勝利と、こういうことで行きましょう。もう淡々とね、余裕で、大したことないよ。「大激戦 楽しく勝ちゆけ 面白く 日本全土を あっと言わせろ」だよ。楽しくやるの。私は世界なんです。世界新党ですから。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆広島1区の斎藤鉄夫。これ宇宙博士。たいへんな有名なんです。日本的に世界的に有名な博士なんです。本当は衆議院なんかもったいなかったな。あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ。大丈夫、広島1区。(同)
◆三重1区。おっこった奴さ。桂三枝。あっ坂口力っていったな。医学博士。桂三枝、桂三枝と呼んでやんなくちゃいけない。そういえば当選すんだよ。んなね、坂口、逆さまの口書いてさ。よせよ、これからいい名前の人を選ぼう(同)
◆宮城1区のバチ(千葉)国男。なんだ、バチ国男。袖が重いんだよ。千葉が重いんだから仕方がない。ナニ、不正退治の桃太郎、そんな顔してないじゃないか。自分を退治した方がいいんじゃないか。(同)
◆東京よ。布施博よ。布施博よ、俳優の。似てるのよ。魚住祐一郎、長いよ、これまた。東京四苦八苦ってね。いつもそれこそ落ちてんだよ。大久保の奴よ。書記長。だらしない書記長で落っこってんだ。女房が全然人気なくて。あいつはおっちょこちょいなんだから。第7位だってんだから、書記長でしょうがねえ。そこに立った魚住かわいそうだよ。(創価)学園、東大、弁護士でね。布施博と書いてもいいようにさ。渋谷、中野、杉並全然燃えないの。火事の後みたい。(同)
◆埼玉1区の福留たびや。福留泰蔵。難しい字だな。福留、福を止めるの。もう少しいい名前をね。池田大作あたりいいかな。(同)
◆神奈川1区。上田勇。これ知らないな、あまり。農水省?ノウスイショウ、ナニヨ?病院いった方がいいよ。衆議院という病院にいった方がいいよ。(同)
※平成5年7月実施の衆院選に公明党は55人の候補を立てた。それを受けて「55、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー」とはしゃぎながら「大勝利」を厳命する池田氏。それにしても広島1区から立候補した斎藤鉄夫氏について「あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ」とか、上田勇候補が農水省出身であることから農水省を脳水症と言って、病院に行った方がいいとからかう。また、坂口現厚生労働大臣をはじめ、候補の名前をおちょくる池田氏の神経は普通のものとは思われない。
 いずれにせよ、これらの池田発言は、昭和45年5月3日に池田氏自身が社会に公約した政教分離や学会員の政党支持の自由の約束が、いかに虚しいものであるかを浮き彫りにしている。
 そして、こうした学会員を選挙活動に駆り立てる発言、会合は、宗教施設として非課税という税法上の優遇措置を受けている創価学会の会館で行われているのである。
 ちなみにこの平成5年の衆院総選挙で、池田氏の_激励_を受けた公明党候補は55人中53人が当選。自民党が過半数を割ったことから、公明党は自民党を割った小沢一郎氏らとともに細川護煕氏を首班とする非自民連立政権を発足させ、公明党から4人の閣僚が誕生した。この細川政権発足の前日である8月8日に行われた本部幹部会の席上、池田氏が、翌日入閣する公明党の閣僚ポストを発表し、「デェジン・デェジン」と大喜び。あわせて「デェジンは皆さんの部下」と発言したことはマスコミ既報のとおり。(『フォーラム21』H15.7.15)
◆広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、……要所要所を全部ね、学会員で占める(池田大作『聖教新聞』S32.9.6/『週刊新潮』H15.12.11)






「池田発言」に見る政教一致
虚妄だった池田大作氏の「政教分離宣言」

―本部幹部会発言が示す支配構造―
(『フォーラム21』H15.7.15編集)

言論出版妨害事件を契機としてなされた政教分離とはいかなるものだったのか。そして社会的公約である政教分離は履行されたのか。こうした事実を検証するための資料として、以下に、現在、『聖教新聞』に連載中の『新・人間革命』の政教分離に関する部分と、昭和45年5月3日に行われた創価学会の第33回本部総会での池田会長講演の政教分離に関する主要な部分。そして政教分離が履行されていたのかどうかを測る1つのサンプルとして、政教分離を宣言した当の池田氏の、東京都議会議員選挙と衆議院総選挙のあった平成5年1月と7月の本部幹部会での発言の抜粋を紹介する〔( )内は編集部注〕。

【池田会長講演(政教分離宣言)要旨】
昭和45年5月3日に東京・両国の日大講堂で行われた創価学会の第33回本部総会の席上、池田大作会長(当時)は、創価学会と公明党の政教分離を宣言した。この政教分離宣言は、創価学会・公明党が引き起こした言論出版妨害事件に対する厳しい社会的批判を背景になされたものであり、池田会長自身、政教分離宣言の冒頭で、「今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきました」として、創価学会と公明党の政教分離が言論出版妨害事件を契機とするものであることを自認している。

◆今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきましたが、ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。
 私としては、公明党結成のことを発表した昭和39年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発をめざしておきました。
◆もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでもそれに依存するようなことがあっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつもでも自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、1人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 いままでは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあるとみられてもやむをえなかった。それにしても、われわれは、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 われわれは、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第3党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのもとうぜんの理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことはとうぜんであります。これは、特に党幹部からの強い要望もあり、学会でもとうぜんのこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成をいただきたいのであります。
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい。
◆また、学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません。
◆また、選挙にさいしても、公明党は党組織を思いきって確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行っていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来どおり地域ごとの応援はとうぜんしていきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広く募って、確固たる基盤をつくっていただきたいと、公明党に要望したい。また、党がひとり立ちしたことに対し、皆さん方もあたたかく見守っていただき、応援もしていただきたいのであります。
 以上のように、創価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は挙手ねがいます。

※もともと創価学会と公明党は宗教団体と政治団体であり政教分離をめざしていたと、言い訳じみた弁解をしているが、宣言では制度の上で明確に分離することを公約。また、学会員の政党支持の自由についても、「会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません」と、明確に政党支持の自由を約束している。だが、実際には池田氏が先頭に立ち、学会員を宗教活動に名を借りた選挙活動に動員、使役していることを、以下掲載の平成5年の池田発言は示している。



【政教一致の実態】
"政教分離宣言"によって学会と公明党は制度的には分離され、議員と学会の役職との兼務はなくなった。しかし、実態は依然として"学会が主、公明党が従"というものであり、仏道修行、広宣流布の一環として選挙活動が行われてきたのである。

<平成5年1月27日本部幹部会での池田発言(北九州市議選、東京都議選を控えて)>
◆創友会(創価大学OB・OG会)大勝利万歳と……めんどうくせえからよ。それから九州、どこだったっけかな、北九州。茨城、大阪、倉敷、全部。ね、大勝利万歳。
◆連続勝利って言ったってね、千葉負けたじゃねえかよ。連続じゃねえじゃないか。特に目黒と渋谷。ね。1遍だけ万歳言おう。 これはね、あんな奴落ちた方がいいと思ってもいいけど、だけど菩薩行だからよ、慈悲行だから、かわいそうだから、当選させてあげようじゃないかってよ。上手にやんの。
◆あの、特に、あれだね。今、あの、車の中でさ、目黒区?1番大変な都議選の、大変なところ。東野秀平か?今度は。秀平、あの秀平じれったいから。ね。どうなる、今度は。当選しちゃうの?だからね、あの、かわいそうだからよ。どうせ立てる人だったらね、どうせやるんだったら、当選させてやろうよ(大拍手)
◆荒川のなに?鈴木カンタ、鈴木貫太郎、元総理大臣?そりゃ、当選させてやろうよ(大拍手)。鈴木さんの次の総理大臣だろ、そりゃー勝ってあげようよ。 2人区だろ、今度は。3人区から2人区になるなんて、福運がないか(笑い)。 貫太郎って名前だけは付けない方がいいよ。 で、小平、北多摩4区。うん、北多摩シク、それで永沢豊晶?47歳。定数3から2、ウン。どうなんだ、なんだ、スチュワーデスのご主人じゃねーかよ。
◆それから新宿、これは藤井富雄、ね。これは最高点な、最高点で当選になったら、藤井富雄は長谷川一夫つってんだよな、(笑い)。それから中野の橋本辰次郎。なんだか、あれだな、自民党かどっかの議員だよ。52歳。お前もね、優しくした方がいいんだよ、みんなに。絶対に叱りつけちゃいけないよ。言葉使いを丁寧に。礼儀正しく、やってごらんよ。


※北九州市議選、東京都議会議員選挙等の勝利を祈念して万歳をするとともに、6月実施の東京都議会議員選挙に立候補する候補の名前を挙げて当選を指示したり、候補をからかう池田氏。ここには政教分離宣言に見られる「母離れ、子離れ」の姿勢は微塵も見られず、むしろ竹入義勝元公明党委員長が平成10年8月〜9月にかけて『朝日新聞』に連載した「政界回顧録」で指摘した創価学会と公明党の関係は従属・支配の「一方的放射線関係」という記述を裏付けるものとなっている。


<平成5年7月7日本部幹部会での池田発言(衆院選を控えて)>
大したのいないかもしれないけどね、だけどよく監視しながら応援してもらって。55、ゴーゴーでさ。55だから、ゴーゴー、ゴーゴー、全員大勝利と、こういうことで行きましょう。もう淡々とね、余裕で、大したことないよ。「大激戦 楽しく勝ちゆけ 面白く 日本全土を あっと言わせろ」だよ。楽しくやるの。私は世界なんです。世界新党ですから。
◆広島1区の斎藤鉄夫。これ宇宙博士。たいへんな有名なんです。日本的に世界的に有名な博士なんです。本当は衆議院なんかもったいなかったな。あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ。大丈夫、広島1区。
◆三重1区。おっこった奴さ。桂三枝。あっ坂口力っていったな。医学博士。桂三枝、桂三枝と呼んでやんなくちゃいけない。そういえば当選すんだよ。んなね、坂口、逆さまの口書いてさ。よせよ、これからいい名前の人を選ぼう
◆宮城1区のバチ(千葉)国男。なんだ、バチ国男。袖が重いんだよ。千葉が重いんだから仕方がない。ナニ、不正退治の桃太郎、そんな顔してないじゃないか。自分を退治した方がいいんじゃないか。
◆東京よ。布施博よ。布施博よ、俳優の。似てるのよ。魚住祐一郎、長いよ、これまた。東京四苦八苦ってね。いつもそれこそ落ちてんだよ。大久保の奴よ。書記長。だらしない書記長で落っこってんだ。女房が全然人気なくて。あいつはおっちょこちょいなんだから。第7位だってんだから、書記長でしょうがねえ。そこに立った魚住かわいそうだよ。(創価)学園、東大、弁護士でね。布施博と書いてもいいようにさ。渋谷、中野、杉並全然燃えないの。火事の後みたい。
◆埼玉1区の福留たびや。福留泰蔵。難しい字だな。福留、福を止めるの。もう少しいい名前をね。池田大作あたりいいかな。
◆神奈川1区。上田勇。これ知らないな、あまり。農水省?ノウスイショウ、ナニヨ?病院いった方がいいよ。衆議院という病院にいった方がいいよ。
◆大阪6区の佐藤きげし?。しげき(茂樹)だ。刺激を与えればこれは勝てるんでしょ、ね。
◆高知。石田のりと。のりと、神道みたいだな。あっ、のりとし(祝稔)か。石田、創大(創価大学)、そう、大丈夫。


※平成5年7月実施の衆院選に公明党は55人の候補を立てた。それを受けて「55、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー」とはしゃぎながら「大勝利」を厳命する池田氏。それにしても広島1区から立候補した斎藤鉄夫氏について「あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ」とか、上田勇候補が農水省出身であることから農水省を脳水症と言って、病院に行った方がいいとからかう。また、坂口現厚生労働大臣をはじめ、候補の名前をおちょくる池田氏の神経は普通のものとは思われない。
 いずれにせよ、これらの池田発言は、昭和45年5月3日に池田氏自身が社会に公約した政教分離や学会員の政党支持の自由の約束が、いかに虚しいものであるかを浮き彫りにしている。
 そして、こうした学会員を選挙活動に駆り立てる発言、会合は、宗教施設として非課税という税法上の優遇措置を受けている創価学会の会館で行われているのである。
 ちなみにこの平成5年の衆院総選挙で、池田氏の_激励_を受けた公明党候補は55人中53人が当選。自民党が過半数を割ったことから、公明党は自民党を割った小沢一郎氏らとともに細川護煕氏を首班とする非自民連立政権を発足させ、公明党から4人の閣僚が誕生した。この細川政権発足の前日である8月8日に行われた本部幹部会の席上、池田氏が、翌日入閣する公明党の閣僚ポストを発表し、「デェジン・デェジン」と大喜び。あわせて「デェジンは皆さんの部下」と発言したことはマスコミ既報のとおり。



【公然と言論問題の反省を反故】
―『新・人間革命』における政教分離と副会長制導入に関する記述―
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(昭和45年)1月5日、学会本部でこの年初の総務会が開かれた。
 席上、新たに副会長制の設置が決まり、副会長に、十条潔(後の北条浩4代会長)、森川一正(森田一哉現理事長)、秋月英介(秋谷栄之助現会長)の3人が就任したのである。
 伸一(山本伸一・池田大作氏の登場人物名)が構想してきた、新生・創価学会の機構改革が、いよいよ始まったのだ。(中略)
 さらに、この総務会では、公明党の委員長、書記長は、党務並びに政務に専念するために、学会の幹部としての役職を退くことも決まった。
 公明党の議員については、引き続き、衆参の国会議員、そして、各地方議会の議員と、順次、すべての議員の学会役職との兼務をなくしていく方針であった。
 人事、財政党の面でも、学会と公明党は一線を画し、党が自主性をもって運営していくべきであるというのが、考え抜いた末の、伸一の意見であった。同時にそれは、公明党の意向でもあり、学会としての、未来を見すえたうえでの結論でもあったのである
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※ここでは、創価学会と公明党の政教分離は、言論出版妨害事件とは別に、池田会長が考え抜いた末の意見だとして記載されている。すでに政教分離宣言から33年が経過し、政教分離宣言の記憶は希薄なものとなってきている。そうした事件の風化を奇貨として、池田氏は創価学会と公明党の政教分離について、歴史改竄を図っているものと思われる。





創価・自民の「絆」と政教一致(仮題)

―「自民党・創価学会・公明党―その秘められた裏面史」ほか―
(『前衛』H15.7、H15.8ほか)

以下の記述は、自民党と創価学会、自民党と公明党、公明党と創価学会という三者の関係についての記録である。いずれも、佐藤栄作『佐藤栄作日記(1〜6)』朝日新聞社、1997〜1999年(以下『佐藤日記』と略)、竹入義勝「秘話55年体制のはざまで」『朝日新聞』(以下「竹入秘話」と略)、矢野絢也『二重権力・闇の流れ―平成動乱を読む・政界仕掛け人・矢野絢也回想録』文芸春秋、1994年(以下『矢野回想録』と略)など、公刊されたものから採っており、秘密にされてきたわけではない。

1954.11.22
・文化部設置

1955.4
・統一地方選挙で文化部員を中心に創価学会政治連盟として52人が当選し、東京都議、横浜・川崎市議などの地方議員が生まれた。

1956.7
・参院選で3議席を獲得

1959
・参院選で6議席を獲得

1960.5.3
・池田大作、創価学会第3代会長に就任

1961.5.3
・文化部が文化局に格上げされ、局内に政治部設置

1961.11.27
・政治団体・公明政治連盟(公政連)結成。委員長には原島宏治、副委員長に北条浩、書記長に龍年光が選ばれた。


【自民党による創価学会工作の始まり】
<大野伴睦からの池田大作への働きかけ>
最初に自民党から創価学会に働きかけたのは、私(※江藤俊介)の知る限り大野伴睦であり、自公連立の前史は大野と池田大作との関係から始まる。自民党の大野伴睦が池田大作に会おうとするのは、1963年のことであった。

池田大作さんとは、お互いに30歳代そこそこのときに会っているんだ。あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ。・・・・・・この後、池田大作さんが「創価学会の60万票を自民党に入れる」という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦に届けるなんてことがあったんだ。大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ。・・・・・・これで都知事選に自民党は大勝する。このころから僕は保革連立じゃないけれども、まず学会勢力を自民とくっつければ、相当な安定政権ができるなと思い始めてたんだな。(渡辺恒雄・現読売新聞社長/伊藤隆・御厨貴・飯尾潤『渡邊恒雄回顧録』中央公論社、2000年、279〜280頁)
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大野伴睦が池田大作に働きかけようとした動機は、東京都知事選挙での票である。大野との二者会談で頼まれた池田は「創価学会の60万票を自民党に入れる」と一筆書いている。選挙での票ほしさに創価学会への接近を図るという図式は、昔も今も変わっていない

(公政連結成の)直後、総本山大石寺へ池田を含め政治連盟の幹部一同が登山した。参加者は、池田会長、原島、龍、中西治雄、辻武寿、塚本素山ら15人。宿舎の理境坊(創価学会幹部の専用宿舎)2階の部屋で食事の後の話し合いで、気分が高まって、将来の政権をとった時の閣僚名簿を作ろうとなった。2種類の閣僚名簿が作成された。両方とも総理大臣は池田会長、文部大臣は小学校の先生出身の辻と原島がお互い譲り合っていたのが印象に残っている。通産大臣が塚本素山だった。塚本は創価学会の経済顧問的存在だった。(『政権参加を問う(1)』112頁)
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当初から政権参加がめざされていたこと、総理大臣には公政連の役員ではない池田大作創価学会会長が擬せられていたことも注目される。

1964.11.9
・佐藤内閣が発足

1964.11.17
・公明党が結成


<佐藤栄作と池田大作との接触>
(※1964年12月16日)2時すぎ公明党原島[宏治]君の葬儀参列。池田[大作]会長に会ふ(『佐藤日記』207頁)

(※1965年12月17日)(自民党の)賀屋東京都連会長と水道問題で協議。どうしても公明党を引き込む必要があり、小生自身池田会長と会見する様すゝめらる。何れは会見する事となるだらうが、まだその時機でない。選挙法改正の際には会う必要がある様だが、東京都の水道問題でそこまで行く事は早計らしい。相手方(池田)の希望で富士銀の岩佐[凱実]頭取を仲介につかふ事とする。岩佐君に架電して了解を求めた。(『佐藤日記』350頁)
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65年12月、東都知事は都議会に水道料金の大幅アップを提案した。この時、与党の自民党は第2党で過半数を割っていた。議長選挙をめぐる汚職事件で自民党都議17人が逮捕され、その後の刷新都議会選挙で大敗して38議席となり、第1党の座を45議席の社会党に譲っていたからである。賀屋会長の自民党都連は、23議席をもつ第3党の公明党の協力を仰ぐために池田会長との会見を佐藤に求めてきた

(※1966年1月8日)2、3連絡の後、1時半出発して鎌倉へ。所要時間55分。ゴルフの練習をし、池田大作会長と6時半に会ふ。夜食を共にしながら約3時間ばかり話して別れる。公明党との協力関係出来るか(『佐藤日記』366頁)

(※1966年1月10日)東京都問題は公明党との妥協漸(ようや)くなる。岩佐君から池田会長の申し越し連絡あり。早速のきゝめ(『佐藤日記』366頁)
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3日後の13日、都議会本会議は水道料金を平均で35.4%値上げする案を自民党と公明党の賛成で可決する。佐藤・池田会談の「ききめ」であった。都議会での公明党工作が、佐藤から池田に対してなされたこと、その最初の成果が都民を犠牲にする水道料金の値上げであったことは、その後の自公関係を考える上で象徴的だったといえる。

(※1966年2月4日)池田[大作]会長の処へ、岩佐君を介して、まきえの文箱を屈ける。蓋(けだ)し時計の御礼なり(『佐藤日記』366頁)
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2人の関係が親密になっていったことが分かる。池田は「時計」を贈り、その「御礼」に佐藤は「まきえの文箱」を届けているからである。


<美濃部選挙前の工作とその不調>
1967年4月の東京都知事選挙を前に、自民党は候補者選定で混迷していた。もともと東京都連は副知事だった鈴木俊一を推していたが、候補者選考の不手際や選挙運動の進め方などについて自民党執行部と折り合いがつかず、福田赴夫幹事長らの責任を問う声も上がった。当然、佐藤もその裏で動いていた。

(※1967年2月1日)植村[甲午郎]君から公明党の意向として小坂徳三郎を都知事候補にと云ふ。別に異存なし。然(しか)し鈴木[俊一]副知事の方が適任か。賀屋氏に公明党との交渉を頼む(『佐藤日記(3)』28〜29頁)
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この時点で、鈴木副知事の名前が出ていたが、まだ漠然としたものだった。佐藤はできれば公明党との共同推薦にしたいと考えていたようである。そのための工作に忙しく動いている。

(※1967年2月3日)東京都知事候補につき多忙な想いをして幹事長、賀屋、岩佐[凱実]頭取等次々に電話して対公明党対策をする。昨日来公明党独自の候補をたてると云ふので、是非とも協力を得度く種々工作したが、結局失敗。当方結局別々に候補をたてる事とする・・・岩佐-池田[大作]会長、福田-竹入[義勝](公明党委員長)、賀屋-清水[長雄](自民党都議)と面白い組合せで愉快な話合い。結論が同一ではなかったが、対立の情況ではないらしい(『佐藤日記(3)』30頁)
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だが、結局、公明党を取り込もうとした工作は不調に終わった。

(※1967年2月8日)保利茂君は福田君と打合わせの上、池田会長を訪問したがあへず、単に辻[武寿]君等と会った由。学会の態度は不都合。解せぬ点あり(『佐藤日記(3)』32頁)

(※1967年2月16日)夕刻掘田[庄三]君から創価学会池田会長との会見の模様をしらしてくれる。民社の松下候補は社会党も反対。社は美濃部亮吉君をかつぎ出す。然し民社はこれに反対。段々と結論を出す時が近づいた様だ。(『佐藤日記(3)』35頁)

(※1967年2月24日)対公明との関係は誠に微妙。よって池田会長並に竹入委員長に会見を申し込む(『佐藤日記(3)』39頁)

(※1967年2月25日、竹入に会ったところ)意外に強硬。(立正佼成会の)庭野をきれとの話だが、それは出来ない。兎に角注意するで話は終る。今後特に気をつける要あり(『佐藤日記(3)』39〜40頁)
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「庭野」というのは、立正佼成会の庭野日敬会長のことである。自民党の強固な支持団体である立正佼成会と手を切ることが竹入公明党委員長の要求であった。これでは、佐藤は受け入れることはできない。


<防衛二法通過のための協力など>
 1967年 第55特別国会に、政府は、過去2回流れてきた防衛庁設置法および自衛隊法改正案(防衛二法)を、三たび提出してきた。6月9日の趣旨説明を皮切りに6月29日から衆院内閣委員会で審議が始まり、7月6日、自民党単独で強行採決された。これに対して野党各党は態度を硬化させ、7月の審議は全面的にストップする。
 この後、議長の斡旋と4党国対委員長会談を経て国会は正常化され、7月10日の補足質問の後、本会議での採決を経て法案は参院に送られた。参院でも野党は対決姿勢をとったが、一酸化炭索中毒症特別措置法案(CO法案)を取り引き材料に自社両党の妥協がなり、防衛二法改正案は7月20日に成立する。これについても、佐藤は密かに手を回していた

(※1967年7月20日)10時登庁。国会も明1日を残すのみとなったので、最後の勉強を党側に指示する。何よりも防衛二法を通過さす事、その為に(秘書の)大津君を創価学会池田会長に連絡をとらす。会長が幸に引きうけてくれたので一寸安心。又その約束通り議事がとり運ばれた(『佐藤日記(3)』106頁)
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この頃になると、もはや特別の仲介者は必要なく、秘書からの連絡で事が運ぶようになっていた。佐藤と池田の関係がそれだけ親密なものになっていたということが分かる。

(※1968年2月12日)大津君を通じて池田会長へ援助方頼む。返事はいゝが会長も困っておるに違いない。そのうちに何とかなるだらう。社会党が倉石君罷免を強く主張する。理解しかねるとの返事。別途社会党と連絡して見ると、公明党が強いと云ふ。まだ解決の潮時が来てない結果と思ふ(『佐藤日記(3)』233〜234頁)
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「倉石罷免」問題をめぐって、佐藤が池田会長に「援助方」を頼んでいたことが分かる。
 このときにわかに浮上した「倉石罷免」問題というのは、2月6日の閣議後の記者会見で、倉石農相が「現行憲法は他力本願だ。やはり軍艦や大砲がなければダメだ」と述べたことに端を発する。この発言に野党が反発して倉石農相の罷免を求め、2月23日まで16日間も国会は空転した。佐藤首相は事態打開のための水面下での工作を始めるが、それは公明党の竹入委員長に対してではなく、創価学会の池田会長に対してであった。

(※1968年2月14日)日大の古田君は国税庁に手をやく。当方は古田君を介して公明党への働きかけをする。今日の処まだ効果不十分(『佐藤日記(3)』236頁)
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佐藤首相は日大の古田会頭を仲介役にして、公明党への働きかけを行っていたことになる。ここに名前が出てくる日大の古田会頭に対しては、当時、脱税容疑での国税庁による調査が行われていた。

(※1968年2月15日)今日も亦空転。然し公明党に動きあり。竹入君1日記者会見して動きを見せたが、野党につき上げられ又ぐらつく。然し池田会長のリモートコントロールがあるのでどうなるやら。物事は一進一退で解決するものか。夕刻古田君に架電してネジをまく。先生の方にも税で問題を起こしており、その上公明党との折衝で仲々忙しい事(『佐藤日記(3)』236〜237頁)。
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「池田会長のリモートコントロール」という言い方は、本質をついていると同時に大変生々しいものである。



【田中角栄・田中派と公明党との関係】
<田中と竹入が親しくなったのは「女性問題」がきっかけ?>
佐藤と公明党・創価学会との関係は、その後、田中角栄によって受け継がれていく。そのきっかけを作ったのも佐藤であった。

●(※1966年6月22日)田中幹事長を招致して明日の田中、辻(公明党)会談の打含せと注意を喚起しおく(『佐藤日記(2)』445頁/『前衛』H15.7)
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佐藤の名代として、田中を公明党工作の窓口にしようとしていたことがうかがえる。

●(※1966年6月23日)田中幹事長は公明党北条[浩書記長]君と正式に初めて会見。円満に会話が行はれた様子。先づは一安心。引続き1週間以内に再会見の予定(『佐藤日記(2)』446頁/『前衛』H15.7)
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こうして、田中は佐藤の指示によって公明党とのパイプ役になった

1967.1
・総選挙で公明党は25人を当選させ、衆院に進出

1968年に入り、7月の第8回参院選を控え、公明党は国会や地方議会ではとくに「汚職と腐敗の摘発」に力を入れた。そのターゲットにすえられたのは、当時すでに何かと噂の絶えなかった田中角栄である。

●(※田中)元首相と親しくなったのは、国会の質問で貸しを作ったことだった・・・公明党の参院側が、田中さんの国有地払い下げ問題や女性問題を取り上げることになった。68年6月にジャーナリストが仲立ちし、東京紀尾井町の料理屋で話をした。
 田中さんは「女性問題は、責任をとっているので取り上げるのはやめてほしい」と率直に訴えてきた。最初は、よくしゃべる人だなという印象だった。駆け出しの私に誠心誠意、話をするなあと感心した。この会談があって、党の参院幹部に「自民党の中では相当伸びる人だし」ということで女性問題の質問はやめてもらった
(「竹入秘話」『朝日新聞』1998年8月26日付/『前衛』H15.7)
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室生忠によると、自民党田中派と公明党との間に太いパイプができるのは68年以降のことで、「田中の金脈問題と学会の税金問題を取り引き材料にして」(室生忠『創価学会・立正佼成会』)のことだったという。理由は違うが、この時期に田中と公明党との間に、太いパイプができたという点では共通している。そしてこのパイプは、やがて大きな意味を持つことになる。(『前衛』H15.7)


<言論出版妨害事件>
 この事件は、1969年暮れの総選挙のさなかに表面化した。公明党は藤原の『創価学会を斬る』の出版を事前に察知し、その出版を妨害しようとした。大手取次店は配本を断り、新聞が広告を拒否するという事態も起きた。妨害の対象となったのは藤原の著書だけではなく、内藤国夫『公明党の素顔』、植村左内『これが創価学会だ』、福島泰照『創価学会・公明党の破滅』、塚本三郎『公明党を折伏しよう』などにも及んだ。
 竹入の証言によれば、「女性問題」での質問を取り下げてもらうことで、田中は竹入に大きな借りを作った。田中の側がその借りを返そうとしたのが、言論出版妨害事件での介入である。

昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。(『矢野回想録』29頁)
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田中は赤坂の「愛用の料亭」・「千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。
 なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。

野党3党は共同で、池田会長、竹入委員長、田中幹事長らの証人喚問を要求した。池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなった。さらに、池田会長は佐藤にも連絡を取っていた。

69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、「竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」「すまんなあ」「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」こんなやりとりをしたのを思い出す。佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26)


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※言論問題終結にあたり、池田大作は「政教分離」を宣言した。しかし、依然として実態は「政教一致」だった。(法蔵)

<田中角栄と竹入義勝とのつき合い>
言論出版妨害事件を契機に、田中と竹入の間は一段と深まった。「実際は、田中が直接言論妨害をしたわけではなかったが、あえて田中は発言をせず黙し続けた」(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』75頁)からである。

当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれたという(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』75頁)。

このような関係は日中国交正常化問題でも、大きな意味を持った。今度は、言論出版妨害事件で世話になったことが竹入にとって田中に対する負い目となり、その借りを返さなければならなくなったからである。

言論出版妨害問題は田中さんらに対し大きな負い目になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。日中正常化ができたとき、「これで借りがかえせたな」と正木良明政審会長と喜び合ったものだ。日中が終わると、田中さんとは、いっそう「おれ」「おまえ」の間柄になった。田中派の中でも、田中さんに直接ものがいえず、私に「仲介してくれないか」と頼んでくる幹部がいた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」H10.8.26)
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公明党が日中国交正常化問題で田中のエージェントとしての役割を演じたことはよく知られている。それは言論出版妨害事件での借りを返そうという意識によるものであった。こうして、田中は日中国交正常化を果たして歴史に名を残す。

田中派と公明党との間には、選挙での密接な協力関係もあった。これも、言論出版妨害事件での負い目によるものであろう。

その後、「お前やってくれよ」と田中から言われて、私と矢野書記長と長いつきあいが続いた。選挙の時など、「ここお願い。あと一歩だからお願いよ」とか、そういう協力はしょっちゅうやっていた(佐藤昭子・田中角栄元秘書『私の田中角栄日記』)

選挙になると、よく、全国の候補者リストに、ところどころ赤いアンダーラインを付けたのが送られてきた。「よろしく頼む。越山角栄」と書いてある。応援してくれないかというわけだ。公明党候補のいないところはまだしも、乱暴な要求も飛んできた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26)


<佐藤昭と矢野との関係>
・・・・以前から田中と二階堂さんは、公明党の竹入義勝委員長と矢野書記長の2人としばしば会合を持っていた。 と同時に私は矢野さんと度々お会いする機会があり、親しくさせていただいていた。私の日記の中にも「某書記長と懇談」という形で矢野さんが随分出てくる。余談ながら、田中が病気で倒れた後も、矢野さんにはずいぶん相談にのっていただいた。 「私は中曽根さんとは違いまっせ。田中先生が元気になって、ありがとうと言うてくれるだけで、ええんや」(佐藤昭子『私の田中角栄日記』188頁/『前衛』H15.7)
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田中秘書の佐藤昭(※後に昭子)は、田中に頼まれて矢野公明党書記長とのパイプ役を務めていた。2人の関係は、田中-竹入関係と同様の親密さであった。このような複数のパイプの存在が田中派と公明党との関係の深さを示している。



【政権への接近】
<入閣工作>
「どうだ、内閣に入って、いっしょにやらないか
「条件は変わらない。ひとつは憲法擁護、もう1つは企業献金をやめるということだ」
「企業献金をやめるなんて自民党がまとまらない」
「企業献金をやめる約束をすれば、一気に連立に行くぞ。やめるまで10年くらい余裕をもっていい」
「必要悪だ。企業献金をやめることはできないな」
 1979年10月の総選挙後に自民党の40日抗争が起きた。助けを求めてきた大平正芳首相と、東京・築地の料理屋で、公明党と連立内閣を組むかどうか真剣なやりとりが続いた。大平さんは憲法擁護に反対しなかった。企業献金廃止が最大の問題だった。だが、こっちから思い切って出した10年の猶予付きの助け舟にも動かなかった。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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79年10月7日の総選挙で、自民党は248議席にとどまり、過半数の251を下回った。選挙後、保守系無所属の5議席を追加公認してかろうじて過半数を上回ったものの、安定多数の271には遠く及ばなかった。このとき、大平は公明党の竹入委員長に入閣工作を行っていたのである。

連立の誘いは、このときが初めてではなかった。大平さんが首相になってから、予算修正問題などで苦境に立った時、何回か打診を受けた。すぐ、企業献金問題のやりとりになった。
 「お金で左右される政治ではだめだ。企業献金はひも付きだ。やめないと、自民党は腐っていく。あなたはクリスチャンなんだから、ちゃんとしなくては」と、説得した。もちろん、企業献金廃止を打ち出せば、自民党内で政権維持が難しくなる。だが、それを言い出せる人は、この人しかいないと確信していた。方向性を出してくれるなら、10年の猶予は長すぎるとも思わなかった。この提案にも乗ってこなかったのは、自民党にとって企業献金は生命線と判断したからだろう。
 連立するといっても、政策的には安保・自衛隊が大きな課題だった。当時の公明党は、日米安全保障条約は段階的解消を掲げていたし、自衛隊も違憲性が強く、国土防衛隊への改組を主張していたから、時間をかけて、調整していく必要があった。しかし、ロッキード事件などに表れた自民党の腐敗体質の追放を宣言しさえしてくれたら、手を組んでも良いと考えた。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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大平内閣の発足は、78年12月だった。そのときから「予算修正問題などで苦境に立った時、何回か打診を受けた」というのである。大平内閣は79年度予算案審議の過程で、野党からE2C予算削除要求を出され、結局、予算凍結で収拾した。
 この時、話題になったのが政策課題ごとに中道政党と連携する「パーシャル連合」であった。しかし、実際にはさらに進んで入閣の打診が行われていたわけである。そのネックになったのが企業献金問題、安保・自衛隊の問題だったというのだから、「今は昔」の話である。変わったのは自民党ではなく公明党だったということが、このことからも良く分かる。

「40日抗争」で自民党は真っ二つに割れた。首班指名選挙も、主流派が大平、反主流派が福田を推すことになる。またも、大平から公明党の竹入にSOSが発せられた。

自民党は主流、非主流の対立が激しく、首相指名へ一本化できず、分裂投票になった。その数日前、朝早く電話があった。
 「助けてくれよ。自民党は首相指名で割れる」
 「こちらは、公党だし、何かするにしても、首相指名で助けることはできないよ。何票足りないんだ」
 「今のところ五分五分だ。あと2、3票ほしい」
 「それなら新自由クラブがいるではないか。河野洋平代表に話してみよう」
 河野さんとは親しくしていただいていたので、大平さんへの協力を打診した。2、3日すると、受けるというので、大平さんに電話をした。「これで4票増えるな」「ありがとう」「必ず、ポストを回せよ」「渡す、渡す」といったやりとりをした。このときは、河野さんが入閣するものだとばかり思っていたが、新自由クラブの調整ができずに、結局、文相を大平さんが兼務した。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.27/『前衛』H15.8)
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野党でありながら、竹入公明党委員長は自民党の一方に協力していたのである。表で対立し、裏で協力する。ヤヌスのような二面性を公明党は持っていたが、「社公合意」がなる80年以降、次第に前者よりも後者の比重が大きくなっていく。


<中曽根政権樹立に当たっての口利き>
1982年秋、中曽根康弘さん(元首相)が突然、1人で議員会館の私の部屋を訪ねてきた。
 「総裁選があれば、後継の総裁になりたいので、田中角栄元首相に取り次いで欲しい」といった。どんな条件か聞くと、「人事などすべて元首相のいう通りやる」という。
 当時、田中さんと中曽根さんの関係はよくなかった。だから、まず二階堂進さん(元自民党副総裁)に電話した。「そりゃあ絶対だめだ。本人が直接頼めばいいではないか」と、田中さんが受け入れるはずがないという。そこで、私が直接電話した。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28)
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やがて、田中は中曽根支持を明らかにするが、その背景には竹入を通じての工作もあった。

中曽根さんは田中さんに脈があるとみるや、今度は東京・紀尾井町の料理屋に私を呼んだ。別の部屋で開いている派閥の会合から抜け出て部屋にやってきたようだった。「やるだけのことはやる」というと、中曽根さんは「なにか要望があるか」と聞いてきた。
 「憲法改正には触れないこと」
 「議論をしてもだめか」
 「議論は結構だが、改正に進むことに反対する」
 「守ります」
 「具体的に踏み出さないことだ」
 「やりません」
 その確認を受けて、田中さんに再三、要請した。そんな側面的な支援が効いたのかどうか、田中派は中曽根さんを支援することになった。総裁選挙は中曽根さんの圧勝だった。
(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28/『前衛』H15.8)

しかし、こちらはすごく助けてやったつもりでも、中曽根さんにはそれほどの意識はなかったようだ。だから煮え湯を飲まされたような気持ちになったことが、何度かある。驚いたのは、靖国神社の公式参拝。「もう、顔も見たくない」と、これには怒った。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.28/『前衛』H15.8)
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こうして、両者の関係は次第に険悪になっていく。この中曽根への反感が、後に竹入や矢野が二階堂擁立工作に深く関わる伏線になるのである。
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「驚いたのは、靖国神社の公式参拝」「これには怒った」とあるが、今では、首相が靖国神社に参拝しても仲良く連立政権に留まっている。(法蔵)


<二階堂擁立工作での暗躍>
 これまで池田喚問を回避してこられたのも、田中氏と竹入氏のコネクションで自民党内と他の野党の学会批判を封じ込めてきたからだ。
 しかし、頼みの田中氏がロッキード事件で逮捕されると、公明党は表向き社公民路線をとって自民党に距離を置く姿勢をみせた。そうした中、田中離れを強める中曽根政権下で竹入氏と佐々木良作・民社党委員長が仕掛けたのが田中派の重鎮、二階堂進・自民党副総裁の首相擁立構想を柱とする自公民連立工作である。(『週刊ポスト』H11.7.9)

1984年秋自民党総裁選で、二階堂進副総裁を擁立しようと工作したことは、野党もかんで自民党総裁を決めようというのだから、歴史的な一大事だった。 9月28日、中国大使館のレセプションの後、二階堂さん、鈴木善幸さん(元首相)と示し合わせて、東京・築地の料理屋へ向かった。鈴木さんが総裁選に二階堂さんを担ぎ、中曽根康弘首相の再選を阻止する構想を示した。福田赴夫さん(元首相)らにも話をし、鈴木派で立候補に必要な推薦人50人は間違いなく用意する、といった。 私は「この問題は政権の問題でもあるから、1人で突っ走るわけにいかない。保留させてほしい」といって別れた。 鈴木さんは首相を辞めて中曽根さんにバトンタッチしたが、中曽根さんから無視されたり、無能だといわんばかりの発言が出たりして、腹に据えかねているようだった。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.29)
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ここでは、9月28日から工作が始まったように書かれているが、実際にはそうではなかった。福田赴夫元首相によれば、「首謀者」の1人である田中派二階堂グループの「田村元氏が世田谷・野沢の私の家にやってきたのは、84(昭和59)年9月12日だった」(福田赴夫『回顧90年』岩波書店、1995年、265頁)という。このとき、田村は福田に、「まだだれにも話していないんですが、二階堂政権を作りたいと思うんです」(同)と切り出している。

兵庫県西宮市で開かれていた創価学会の文化祭に行ったら、池田大作名誉会長から芦屋にある別荘に招かれ、2人きりで話をした。そこで「鈴木さんから二階堂さんを擁立しようという話が来ている。私は乗りたいと思う」と説明した。 名誉会長は「本当にできるかなあ」といったので、「今のところ実現できる気がする」と答えた。それで「ゴー」ということになった。党として本格的に動き出した。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.29)
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ここでも、池田の承認が必要だった。「党として本格的に動き出」すためには、委員長の決断ではなく、池田創価学会名誉会長の許可が必要だというところに、両者の関係が象徴的に示されている。この二階堂擁立工作は、自公連立に向けての大きな契機となった。これ以降、自民党との間の垣根が低くなり、竹入委員長がこの後の大会で「今度は背広を脱いでやる」と発言したように、自民党との連立に向けて本格的な姿勢を示すようになるからである。

 この構想は派閥の代がわりを嫌った田中氏の反対でつぶされたが、それを機に公明党と田中派の関係も田中―竹入ラインから、竹下登氏と竹入氏にかわって公明党委員長に就任した矢野絢也氏に世代交代する。
 そしてこの竹下―矢野ラインで進められたのが、竹下内閣が命運をかけた消費税導入だった。(『週刊ポスト』H11.7.9)


<野中に叩かれ、自民に擦り寄る>
1994
・市川雄一・小沢一郎の主導で新進党結成

1995
・学会は宗教法人法の改正にからんで自民党の集中攻撃を受けて窮地に立った。最も恐れていた池田の証人喚問は辛うじて免れたものの、会長の秋谷栄之助が国会に参考人招致された。

●「そのころには自民党の反転攻勢にたまりかねた学会側が『市川がおっちょこちょいで馬鹿なことをやるから、こんなことになった』と言って彼を非難しはじめたんです。市川というのは頭はいいけど、性格が激しくて危ないところがありますからね。市川らに任せておいたら何が起こるかわからんというので、学会が直々に自民党との手打ちに乗りだした。その相手が一番手強い野中(※広務=元自民党幹事長)さんだったというわけです」(岡本勇=仮名・元学会幹部)
 それにしてもなぜ学会はそれほど野中を恐れたのか。
 「まあ、理由はいろいろありますが…」
と言いよどんだ後で、岡本が例を挙げたのは学会発行の『聖教グラフ』に関することだった。聖教グラフには、池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真がだびたび掲載された。
 「写真のバックには学会施設にあるルノワールとかマチスとかいった有名画家の高価な絵が写っているんですが、野中さんがそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突き合わせた。その結果、届出のない絵がいろいろあることが分かったというのです。もちろん野中さんは直接そんなことを学会に言ってくるわけではない。何となく耳に入るので、秋谷会長は『野中は怖い、怖い』としきりに漏らすようになったんです」
 後に野中が自公連立政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイブをつくったんですか」と聞いた。すると野中はこう答えた。
 「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」(『月刊現代』H16.2)

1996
・春の住専国会から野中(※広務)らの新進党切り崩し工作が本格化した。平野(※貞夫=当時新進党参院議員)によれば、野中は旧公明党の衆院議員らに「都市部を中選挙区(3人区)に戻して当選しやすいようにするから、公明党を復活させないか」とさかんに働きかけてきたという。(『月刊現代』H16.2)

1997.12.21
・海上基地建設の是非を問う住民投票が名護市で行われた。
●自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中(当時、自民党幹部)さんが自公連携を働きかけたんだろう(賛成派の県議・安里進『月刊現代』H16.2)
●あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から「公明批判はするな」という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう(自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎『月刊現代』H16.2)

1999.7
・自民党との連立与党に参画(閣外)

1999.10
・小渕恵三第2次改造内閣成立(自自公連立政権)



【公明党と創価学会】
<竹入委員長の誕生と交代>
(※1967年2月、委員長就任にあたって)池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます(竹入義勝『毎日新聞』夕刊S42.2.1)
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政党の委員長がどうして宗教団体の会長から「申し渡される」のか、聞かされる方も「面くらって」しまうような話だが、公明党と創価学会との関係ではそれが普通なのである。

政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。学会の副理事長や総務をやってきたが、取りえは元気がよくて活動的だったことぐらいだ。だから、無我夢中で党活動に専念した。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.18)

 ここでまず確認できることは、竹入が政治家になったのも委員長に就任したのも、自らの意思ではなかったということである。どちらも創価学会からの指示だったようである。委員長就任の時には「逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった」という。ここにも、創価学会と公明党との特異な関係が示されている。
 このように公明党委員長への就任は創価学会からの指示によるものであり、それを辞めるのも竹入の一存では不可能であった。「任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ」という「独特の論理」があったからである。

86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。 それまで何度、辞任を言い出したことか。最初は70年の言論出版妨害問題だった。…… 創価学会の世界には独特の論理がある。「辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜の極みだ」というものだ。 2回目の辞意は、71年9月に党本部前で刺されたとき。3回目は72年総選挙で大惨敗したとき。いずれも「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。 4回目は、創価学会と共産党の協定の時。北条さんから「弟子が反対するなら破門だ」といわれ「やむを得ません」と言ったことがある。… 委員長を辞めたのは86年12月の党大会だが、7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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こうして、竹入委員長は、1986年12月4日の公明党第24回大会で矢野委員長と交代した。竹入委員長が辞意を表明したのは11月20日だったが、委員長辞任はこれよりもずっと早く7月の竹入-池田会談で決まっていたのである。このときも、決めたのは竹入自身ではなく、池田名誉会長であった。


<学会から「一方的に発射される放射線関係」>
よく後継者の育成をしなかったとか批判されたが、私が仮に後継者を指名しても、そうならないのだから仕方ない。委員長を引き受けるときから人事権は学会にあると、明確にされていた。選挙にしても人事にしても、党内はみな学会を向いている。私の同調者になったら干されてしまう。 公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。公明新聞や雑誌『公明』も学会の意向が大きなウエートを占め、部数は学会の意向で決められてしまう。党員数も前年数値を参考に調整して決めていた。 政治家になって学会との調整に8割以上のエネルギーをとられた。公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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人事、財政、組織の全ては、「創価学会に従属していた」というのである。公明党としての自主性や独自の権限はなかったということになる。これで政党といえるのだろうか。また、公明新聞や雑誌の部数も学会の意向で決められ、党員の数まで「前年数値を参考に調整して決めていた」という。全て学会の言うがままだったということになる。

公明党の政治資金報告にみられる党費納入人員は、78年以降の5年間その数がほとんど変化せず、80年から82年にかけては1人の増減もなく、83年に1人増など、どこまで実勢を反映しているか疑問の点もあったが、84年に17万8896人、85年に18万34五六人と、委員長報告と整合性のある数字になっている。(法政大学大原社会問題研究所編・『日本労働年鑑』第57集、1987年版、434頁)
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これが『日本労働年鑑』に記載されている公明党の党員数についての記述である。「どこまで実勢を反映しているか疑問の点もあった」というのはまさにその通りで、全く実勢を反映していなかったのである。84年、85年と「委員長報告と整合性のある数字」になったのは、「前年数値を参考に調整して決め」たからで、実際に党員数が増えたわけではなかった。
 公明党の党員とはいっても末端になれば創価学会員ばかりで、あるのは創価学会の基礎組織にすぎない。政党としての独自の組織があるわけではなく、党員数などは「調整」によってどうにでもなるもので、数字にはほとんど意味がなかった。1人の増減もない「政治資金報告にみられる党費納入人員」は、竹入元委員長の証言を待つまでもなく、公明党の政党組織としてのデタラメぶりを雄弁に物語っていたのである。

ある人物(今も現職の中枢)が「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部の言いなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」。 私が「もの」とは何かと聞くと、「『もの』とは意思を持たないという意味だ。心のない『もの』です」。 竹入委員長と私は「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」と厳しく叱り、その後、2人で2時間ほど懇談。・・・矢野「県長会に秋谷会長出席予定が急に指示があり、出るには及ばずで欠席だとよ。表向きは、体をいたわれという意味だって」 2人「さっきは2人で、彼に厳しく注意したが、秋谷会長も『もの』か」 竹入「学会で人事がありそうで、学会人事と党人事は関係ないと思うが、上がおれに暫く続けろと言っている。それでいいか」 矢野「私に遠慮はいらない。素直に受けて、続けたらいいと思う」(『矢野回想録』23頁〜)
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この会話からは、公明党と議員が「もの」扱いされていたことに対する不満があったこと、この「もの」扱いは創価学会会長にも及んでいたこと、学会の人事との関連で公明党の人事も検討されていたことなどが分かる。
 特に注目されるのは、秋谷会長が、予定していた県長会に「急に指示があり、出るには及ばずで欠席」となったという点、このとき竹入公明党委員長が「上」から「暫く続けろ」と言われている点である。つまり、誰かが創価学会会長に指示を出し、その人物は公明党委員長の上にあるということになる。それは誰なのか。言うまでもなく、池田大作創価学会名誉会長である。
 ということは、この時期、名誉会長の職に退いたとはいえ池田大作は未だ実権を握っており、創価学会と公明党を実質的に動かしていたということになる。放射線が生ずる中枢には、池田名誉会長がいた。そのために、人事や党活動などの面で公明党は自主性を持たず、意思を持たない「もの」扱いへの不満と反発も高まっていたのである。








民主主義・政党政治の問題


識者の正論


直接政治に責任をもたない形で、池田名誉会長が日本の政治を左右しているとすれば、議会制民主主義を危うくしてしまうのではないか。このままでは政治が宗教に乗っ取られかねない。創価学会は与党になって権力の座についてから、確実に変質していっているように思う。これは危険なことではないだろうか。(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12)

●私は、宗教団体や信者が、必要があると判断すれば、政治に関わることは批判されることではないと思っている。それは、信仰を持つ人々の基本的人権である。しかし、宗教団体が組織として政治活動を行なう場合、人間としての常識に基づく前提条件が必要である。人間の歴史は、信仰する人々が善良であっても、宗教団体の指導者の野望で悲劇が繰り返されてきた。私の思いつく前提条件とは次の4つである。
@宗教は人の心に、政治は人の利害に介入する、という特性を持つことを自覚し、謙虚かつ慎重な行動をとること。
A常に権力をチェックし、政治倫理の確立を活動の基本とすること。
B信者に政治選択を強制しないこと。また、公的選挙の候補者と信仰について取り引きをしないこと。
C政治的、政策的主張は、「信者の利益」ではなく、「国民全体の利益」という普遍性を持つこと。
 これらを遵守することが、最低限の政教分離の基準である。
 いまの小泉政権下(※当時)の公明党・創価学会の活動をこの基準で見ると、4条件すべてを冒涜(ぼうとく)している。そもそも彼らには、こういった普遍性を持った発想がなく、いかにして形式論で逃げるかに関心があるようだ。法廷で勝てばよいという態度は、電車の中吊り広告に踊る、仰々しい創価学会関連誌のコピーからもわかる(平野貞夫著『公明党・創価学会と日本』/『慧妙』H19.8.16)

●一人一人が自由な意志をもち、十分かつ正確な材料にもとづいて、自分で判断し安全に確実に表明できること―民主主義の大前提である。(中略)国によって細部で若干の差はあるが、政教分離は、過去の経験から学んだ民主主義の出発点である。政教分離によって過去と決別し、民主主義を確立した。(中略)
 強い信仰を持つことは個人の自由だ。しかし、それを政治の場に持ち込んで唯一の判断材料にしてしまったら、そこにはもはや議論の余地はない。
 政治判断以前の選挙の段階だけであっても、宗教は人間の生活すべてと来世まで支配するのだから、敬虔な信者にとって神父や牧師が推薦するのと隣のオヤジが推薦するのとでは重みが違う。ましてや「Aに投票するのが信仰の証明だ」とか「Bに投票したら地獄に落ちる」などといえば影響力は絶大だ。(中略)
 宗教政党といっても、民主主義を優先する政党と宗教を優先する政党の2種類がある。前者は宗教をイデオロギーとする民主政党であり、後者は民主主義を利用する政教一致政党である。(国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1)

●今や池田大作氏の意向を無視しては、小泉政権は政策を実現できません。例えば自民党が今回の総選挙にあたって作ったマニフェストに、"憲法を改正する""教育基本法を改正する"があります。しかし、選挙後の公明党との政権含意では、この2つの項目は消えています。いやしくも国の最大政党が、最も大きな公約をあっさりと反故にしている。なぜか。それは、池田氏がこれに反対だからですよ。かつて朝日新聞で、彼は"教育基本法の見直しについては拙遠を慎むべきだ"という意見を表明しました。教育勅語の徳目の復権等を時代錯誤だと批判したのです。池田氏のこの意見で自民党の教育改革の姿勢は崩されました。その一方で、彼は韓国を"兄の国"であり、在日韓国人たちに参政権を与えることを主張しています。もちろん、公明党も同じです。この考えには、選挙によって国家がどう運営されていくのか、国益や国籍とはどんなものなのか、という視点が全く欠けている。こうして、池田という指導者に政権与党がいいように左右されているのです。今や小泉政権は、34議席しかない"犬の尻尾"に振り回されているんです。その尻尾の先には、池田大作という、絶対的な神のように崇められている1人の男がいるだけです。これは民主主義国家ではありませんよ(政治評論家・屋山太郎『週刊新潮』H15.12.11)

●自由民主主義の自民党、宗教民主主義の公明党。自由競争の思想と「神仏の前での平等」の思想とでは大分違う。大体「自由と平等」は微妙に食い違う価値観なのだ。極端なことを言えば、公明党が「創価学会の教えを日本国の宗教にする」と考えたらどうだろう。僕の親しい友人にも創価学会の熱心な信者がいる。教えに忠実で幸せな毎日を送っている。結構である。彼は「創価学会の教えが絶対」と考える。宗教とはそういうものだ。「この教えで日本国を統治すべきだ」と考えても不思議ではない。しかし、そうなったら、自民党の「自由」は崩壊するかもしれない。(専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18)
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「自民党の『自由』は崩壊」とは自民党が束縛されるという意味ではない。自民党が政治理念として掲げる「自由民主主義」の崩壊であり、「自由競争の思想」の崩壊である。

●ちなみに、政教分離は、信教の自由を守るために絶対に必要なことはもちろんですが、民主主義を守るためにも必要なのです。わが国の憲法の政教分離の原則は、アメリカ憲法の強い影響を受けて定められたものですが、アメリカの判例法理においてこのことが強調されています。(中略)
 政治的な意見の対立に、宗教的な対立が持ち込まれ、これがからみ合うと、その政治的意見の対立は強烈なものとなり、調整の余地のない固定的な対立となり、民主主義が破壊されるという理論です。興味深い理論です。(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081109)

政教一体が間違っている理由としてあげられるのは、それによって信者は、政党選択の自由だけではなく、政策論議の自由も、政策選択の自由も失ってしまうからである。宗教的権威が、宗教団体と政党の双方に貫通しているのだから、そこでは、民主的な討論を生む民主主義の基盤が育たない(日隈威徳著『宗教と民主政治』)

●政治が何かの利益団体のために、利益を擁護したり代弁したりする時代は終わりつつある。1つの団体や勢力が政党を支配したり、政党が奉仕したりする関係は、国民が目覚めてきて、あらゆる面で清算される時代になっている(元公明党委員長・竹入義勝『朝日新聞』)
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竹入の回顧録が連載されたのは1999年だが、残念ながら「清算される時代」はきていない。(佐高信『週刊金曜日』H15.10.17)






宗教政党と民主主義(仮題)

―「ブッシュ勝利と日本の危機」より―
(国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1抜粋編集)

【民主主義と政教一致】
 1人1人が自由な意志をもち、十分かつ正確な材料にもとづいて、自分で判断し安全に確実に表明できること―民主主義の大前提である。
 日本国憲法に政教分離が明記されたのは戦前の宗教と政治の一致が生んだ悲劇を繰り返さぬためだった。
 なお、戦前の悲劇というと侵略のことにばかり光があてられるが、危険である。日本が外国を侵略しさえしなければ戦前戦中の再現はないと誤認させるからだ。窮屈な世の中そのものが悲劇なのである。
 フランスで政教分離が法制化されたのは、あらゆる宗教・思想の自由を保障するためだった。
 アメリカの憲法には宗教が政治に介入してはいけないという規定はない。だが、それは、「セクトとは何か」でも書いたように、アメリカの建国者には英国の宗教の迫害、植民地主義的迫害という経験があり、宗教が政治に介入しないという慣例がしっかり根付いていたからである。
 国によって細部で若干の差はあるが、政教分離は、過去の経験から学んだ民主主義の出発点である。
 政教分離によって過去と決別し、民主主義を確立した。

【宗教政党】
 でも、なぜ政教一致がいけないのか?―物事に対して「信じるか信じないか」だけしかなくなってしまうからである。
 強い信仰を持つことは個人の自由だ。しかし、それを政治の場に持ち込んで唯一の判断材料にしてしまったら、そこにはもはや議論の余地はない。
 政治判断以前の選挙の段階だけであっても、宗教は人間の生活すべてと来世まで支配するのだから、敬虔な信者にとって神父や牧師が推薦するのと隣のオヤジが推薦するのとでは重みが違う。ましてや「Aに投票するのが信仰の証明だ」とか「Bに投票したら地獄に落ちる」などといえば影響力は絶大だ。
 「でも、ヨーロッパにも宗教政党があるではないか」と反論されるかもしれない。くわしい説明は別の機会に譲るとして、結論だけいうと、宗教政党といっても、民主主義を優先する政党と宗教を優先する政党の2種類がある。前者は宗教をイデオロギーとする民主政党であり、後者は民主主義を利用する政教一致政党である。

【民主主義の罠】
 大日本帝国でもそうだが従来、不寛容な国教であることが政教一致政治の条件だった。しかし、ブッシュはいまでは、まったくその必要はないということを実証した。
 カギは代議制民主主義である。巨視的に見れば、一部が政権についているだけにすぎない。しかし、選挙さえ切り抜ければ、部分が全体を一定の時間支配できる。
 ブッシュはプロテスタントの60%、カトリックの51%を集めたが、17世紀ぐらいまでだったら、その大部分はブッシュにとって邪宗で、武力や異端裁判などで改宗放逐しなければならなかっただろう。ナチスは民主主義を利用して政権をとったが、それを永続化させるためには民主主義を放棄し、厳しい弾圧をしなければならなかった。
 戦後60年、民主主義はずっと強く逞しいものになった。しかし、まさにそこに落とし穴がある。
 信教の自由によって野党的宗派や論客も大きな恩恵を得ている。だから政権宗派・論客を力づくで潰すのは得策ではない。つかずはなれず目先の利益を守っていくのが良い。いっぽう民主主義だから投票によって変えられるという思いがつねにあるから攻撃はどうしても及び腰になり、多少理不尽でも、つらくてもそのときを待てばいいと消極姿勢を自己正当化してしまう。
 欲求不満は言論の自由が解消してくれる。まさにインターネットなど都合のいい道具である。しかも個人の権利思想の発展のおかげで、政府が規制しなくても勝手に当事者同士が名誉棄損だなんだと潰しあいをしてくれる。(中略)
 戦前の思い出があるために、つい国教型政教一致国家ができない限り民主主義は安泰だと錯覚しがちである。しかしいまや、民主主義、信教の自由を形だけ残したまま暗黒時代は実現できるのである。

【日本が危ない】
 神国日本と王仏冥合は、本来ならば水と油である。ところが、皇国史観を自由主義史観と言い換える連中と平和と人権を守る「大宗教者」ならくっつく。そのとき彼らは「民主主義」を標榜するであろう。
 しかしその「民主主義」は「正しい日本人」が善悪の基準になり、国民は経済思想文化あらゆる面で勝ち組と負け組にわかれ、「生命、自由および幸福の追求」は勝ち組にだけ許される世界である。その中で、国民の象徴たる天皇・皇族は窮屈な檻の中で痛めつけられる。雅子妃の苦悩どころではない。こんどこそ皇室制度は滅びるであろう。






欧州の宗教政党とは違う「土壌」と選挙スタイル
(東大社会科学研究所教授・平島健司『週刊朝日』H20.6.6抜粋)

 多くの国にキリスト教政党があるし、ドイツでは現在、キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル党首が首相になっています。キリスト教政党の多くは実際にはかなり世俗的ですが、人工妊娠中絶に反対するなど、キリスト教の理念に近い政策を取る傾向はあります。ヨーロッパの国民は、ほとんどがキリスト教徒なので、キリスト教政党が違和感なく受け入れられる土壌があります。この点は、新宗教として特定の人々にしか信仰されていない創価学会とは、前提条件が大きく違います
 また、CDUは、教会とのパイプはありますが、選挙運動は独自の下部組織を中心に行います。この点も、創価学会の組織的な応援を受ける公明党とは分けて考える必要

ひらしま・けんじ=1957年生まれ。専門分野は比較政治、ドイツ=ヨーロッパ政治。著書に『EUは国家を超えられるか』(岩波書店)など






公明政権で自由が崩壊!?(仮題)

―「<ここだけの話>アヘンと『脳力』」より―
(専門編集委員・牧太郎『毎日新聞ニュース速報』H15.11.18抜粋)

 アヘンを見た。上質のアヘン?をタダ同然で手に入れる姿を見た。
 アヘン……この場合、アヘンは自民党にとって公明党(票)である。
 今回の衆院選で、自民党は公明党に助けられた。与党同士だから当然、と言う人もいるだろう。
 しかし、自由民主主義の自民党、宗教民主主義の公明党。自由競争の思想と「神仏の前での平等」の思想とでは大分違う。大体「自由と平等」は微妙に食い違う価値観なのだ。
 極端なことを言えば、公明党が「創価学会の教えを日本国の宗教にする」と考えたらどうだろう。
 僕の親しい友人にも創価学会の熱心な信者がいる。教えに忠実で幸せな毎日を送っている。結構である。
 彼は「創価学会の教えが絶対」と考える。宗教とはそういうものだ。「この教えで日本国を統治すべきだ」と考えても不思議ではない。
 しかし、そうなったら、自民党の「自由」は崩壊するかもしれない。
 それなのに……自民党は公明党票で下駄(げた)を履くことを覚えた。公明党票(=下駄)+自民党票+個人票で楽に当選する。これはアヘンだ。[2003-11-18-13:41]
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 ここで言う「自民党の『自由』」とは、自民党が公明党に束縛されないということではない。自民党が政治理念として掲げる「自由民主主義」であり「自由競争の思想」である。
 「『創価学会の教えを日本国の宗教にする』と考えたらどうだろう」「『この教えで日本国を統治すべきだ』と考えても不思議ではない」オブラートに包んだような表現にはなっているが、敢えて、一般紙が創価学会・公明党による"宗教支配"の可能性に言及した意義は大きいのではないか。しかも、その結果「『自由』は崩壊する」というのであるから、ことは深刻である。
 筆者がこのように考える背景には、以下の<1>〜<6>のようなことが考えられる。学会が本質的に持っている独善的体質と巨大な組織力、これと自公連立、学会による自民党議員支配という新たな要因が、学会・公明党による宗教支配の可能性を一気に現実味を帯びたものにしたといえよう。
<1>かつて学会は、自身の教えを国中に広めた暁には"国立戒壇"(世界中の信徒が礼拝する施設)を建立すると主張していた。礼拝施設を国立にするということは、その宗教を国教にするということである。宗門から破門された学会は、建設すべき戒壇も、戒壇の中に安置すべき本尊も所有していない。しかしながら、池田大作自身が"天下を取る"野望は捨てていないと言われている。
<2>学会は過去に「王仏冥合」といって、仏教理念を政治の世界に反映させようと公言し、創価学会の支配のもとに政治活動を堂々と展開してきた。現在では所謂言論問題の表面化によって社会から糾弾された結果、表面上は「政教分離」をしたことになっているが、実態は相変わらず政教一致である。
<3>学会の独善主義はマスコミ関係者にとって周知の事実。とくに批判者への組織的憎悪は尋常ではなく、言論問題以降も、今なお続いている。
<4>学会による支配の対象は、政界だけではなく法曹界、官僚、教育界など、社会の各層に及び、各界の学会員は組織化され日常的に活動している。
<5>自公連立政権の樹立。
<6>自民党が学会票に依存しており、学会に頭が上がらない自民党議員が多数存在している。

"学会が政治活動しても憲法違反ではない"あるいはそうかも知れない。しかし国民全体の公僕であるべき公明党議員が学会の手先となって学会批判者の攻撃に加担した例もある。また、学会自体、組織的に反社会的な批判者攻撃をしている。このような独善的反社会的体質をもった学会が政界を牛耳ったときに起る世界がどのようなものであるのか。これは火を見るよりも明らかである。「自由」が「崩壊」してから"憲法違反"だと騒いでも遅いのである。(法蔵)





民主主義を守るために必要な政教分離
(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081109)

 ちなみに、政教分離は、信教の自由を守るために絶対に必要なことはもちろんですが、民主主義を守るためにも必要なのです。わが国の憲法の政教分離の原則は、アメリカ憲法の強い影響を受けて定められたものですが、アメリカの判例法理においてこのことが強調されています。
 政治的意見の相違は、民主政治の建前に即していえば、何が公共の福祉であるかについての意見の対立です。異なる意見といっても、それは、互いに事実をつきつけ、理性に適った議論をつみ重ねることにより、正しい結論に達することが可能ですし、また、妥協も可能です。最後まで意見が対立した場合、多数決によって決することが許される問題です。
 しかし、宗教的信条は、人の内面的確信のみに根拠づけられるものです。宗教的信条はその真否を世俗権力の前において証明する責務を負う必要がありません。言いかえれば、宗教の自由は、証明できないことを信ずる自由なのです。魂の救済に関する宗教的信条は、絶対的に自由であり、また自由であるべきものですが、それは内面的確信ですから、独自固有にして排他的・非妥協的という必然性を持っています。
 政治的な意見の対立に、宗教的な対立が持ち込まれ、これがからみ合うと、その政治的意見の対立は強烈なものとなり、調整の余地のない固定的な対立となり、民主主義が破壊されるという理論です。興味深い理論です。
 具体例をあげます。平成8年の総選挙で自由民主党は、新進党は創価学会党であるという大々的なキャンペーンをはりました。このため、創価学会を宗教的理由によって支持しない、また、嫌悪する人は、新進党の理念や政策を他の政党のそれと比べて支持しないのではなく、創価学会党であることを理由に支持しなかった人が相当ありました。これは、新進党にとって不幸だったというだけではなく、日本の民主主義にとって不幸なことだったと思います。
 しかし、信仰という人間の魂にとって極めて大切な問題である以上、このようなことは避けられないのです。このような事態が起きないように、民主主義を守るためにも、政教の分離がなされなければならないのです。








宗教団体の権力行使


憲法20条(宗教団体の権力行使)

いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない(憲法20条1項後段)




[通説または政府見解]


[通説・政府見解の問題点]
 【「政治上の権力」について】
 【「宗教団体」の範囲】
 【金森答弁「国からの正式な授権」について】
 【宗教団体の政治介入】
 【統治権行使以上の権力支配】
 【公明党による統治権行使の実例】
 【国家が学会に与えた「特権」】


[憲法12条違反の学会・公明党]


[識者の見解]

[通説または政府見解]

・「政治上の権力」とは統治権(立法権、司法権、行政権、課税権、警察権など)のことであり「行使」とは統治権の一部を行使すること

・国から授けられて、正式な意味においての権力を行使してはならないという意味(S21憲法制定議会〈第90帝国議会〉委員会席上での金森徳次郎〈憲法専任〉国務大臣の答弁)

・国家権力に対して、宗教に介入してはならないと規定していると解釈するのが通説です。逆に宗教団体が政治的権力を行使してはならないという解釈ではない。極端な話、公明党が過半数の議席をとり、単独で政権をとったらどうなるのか。この場合も、公明党と創価学会は制度的に別組織ですから、ただちに宗教団体による政治的権力の行使、すなわち違憲とは言えないでしょう。(龍谷大学教授・平野武〈憲法学〉『週刊現代』H19.6.23)

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◆宗教団体が推薦し、または支持した公職の候補者が、公職に就任し、国政を担当したとしても、当該宗教団体と国政を担当する者とは法律的に別個の存在であり、宗教団体が政治上の権力を行使していることにはならず、憲法第20条第1項後段違反の問題は生じない(宮崎内閣法制局長官 於衆議院予算委員会H20.10.8/『慧妙』H20.10.16)

◆「政治上の権力」とは、国または地方公共団体に独占されている統治的権力をいう(宮崎内閣法制局長官 於衆議院予算委員会H20.10.7/『慧妙』H20.10.16)

◆憲法第20条は国家権力に対して、宗教に介入してはならないと規定していると解釈するのが通説です。逆に宗教団体が政治的権力を行使してはならないという解釈ではない。(龍谷大学教授・平野武〈憲法学〉『週刊現代』H19.6.23)

◆これまでの通説では政治上の権力につき、以下のように解釈されてきた。すなわちそれは、国や自治体が独占する統治権だと。その中身は立法権(legislative power)、行政権(executive power)、司法権(judicial power)や課税権、さらに警察権のようなものが統治権の「代行行為」にあたり、その一部を行使することが、「政治上の権力行使」である。(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1)

[統治権]=国土・国民を治める権利(主権)。一般に国家の体内的な最高支配権力を意味し、その最高性の視点から主権(日本国憲法前文・第1条)とも呼ばれる。国家意思である点において国権ともいわれる。さらに領土高権(国家の基礎である一定地域のすべての人や物に及ぶ国家の支配権)・対人高権(領土の内外を問わず、国民に対する国家の属人的な支配権)・自主組織権(国家がその活動組織を自ら法によって定める権利)の3つの性質の権利に分けられる。統治権は主として主権の国内的発動の面において理解され、その発動様式によって政治体制の種別を生ずる。(<たむ・たむページ>WS081009)

◆(憲法20条は)国から授けられて、正式な意味においての(政治上の)権力を行使してはならないという意味の規定(S21憲法制定議会〈第90帝国議会〉委員会席上での金森徳次郎〈憲法専任〉国務大臣の答弁/『フォーラム21』H17.3.1)

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[通説・政府見解の問題点]

<通説・政府見解が容認する政教一致>
・国が宗教団体に権力行使を公的に委任することは違憲だが、宗教団体に支配された政党が選挙を通じて国会を支配して立法権を掌握し、結果として行政権その他の統治権をコントロールすることは合憲である。―通説や政府見解によれば、このような解釈となり、憲法20条は宗教団体による実質的な権力行使自体は禁止していないことになる。

<問題点>
・その場合は、宗教政党が行う個々の具体的な統治権行使が、特定宗教を利するものであるかどうかを一々吟味することによってしか、憲法違反に問えないことになる。
・宗教団体が間接的とはいえ政党を通じて権力を行使していること自体が、国民に不安感を与え、実質的に信教の自由や表現の自由等を侵害していることになるのではないか。

<やるべきこと>
・ここで想起されるのが、ヒトラー率いるナチス党が民主的選挙を通じて議会を支配し、結果として類まれなる独裁国家を作り上げたという歴史的事実である(<「民主的方法」によるナチス独裁への道のり>参照)。我々国民は、このことを肝に銘じ、2度と悪夢を繰り返さないようにしなければならない。そのためには憲法解釈の通説を改めるか、政教分離をより明確にするように憲法を改正をする、そして何よりも選挙で政教一致政党に投票しないことである。

※ナチス党は宗教団体ではないが、自らの信ずることを実現するためには国法をも無視するなど、カルト的体質がある。また、カルトの多くは宗教である。(<巨大カルト教団>参照)



【「政治上の権力」について】
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◆「政治上の権力」とは、国または地方公共団体に独占されている統治的権力をいう(宮崎内閣法制局長官 於衆議院予算委員会H20.10.7/『慧妙』H20.10.16)
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・憲法20条の「政治上の権力」の公定訳=political authority
・憲法前文(「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し……」)の「権威」の公定約=authority
・憲法前文(同上)の「権力」の公定訳=power
・統治権の中身は立法権(legislative power)、行政権(executive power)、司法権(judicial power)や課税権、さらに警察権など。
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 しからばなぜ「政治上の権力」が上記のような訳(political authority)になっているのだろう。想定しうることはただひとつ、政治上の権力と統治権は別個のものである。これはしごく当たり前の定義づけだ。明治憲法下の国家神道でさえ、統治権を行使したことなど無かったのだし、現行憲法がそのような非現実的事態を想定していると、常識的には考えられない。(中略)
 では、ここから何が導き出されるのか。政治上の権力が、即、統治権を指すものではない点は分かる。とすれば統治権以外にも政治上の権力行使が「ある」と解釈できる。それは宗教団体による政治支配そのものだ。(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1)



【「宗教団体」の範囲】
―公明党の権力行使(への関与)は宗教団体の権力行使(への関与)―
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◆宗教団体が推薦し、または支持した公職の候補者が、公職に就任し、国政を担当したとしても、当該宗教団体と国政を担当する者とは法律的に別個の存在であり、宗教団体が政治上の権力を行使していることにはならず、憲法第20条第1項後段違反の問題は生じない(宮崎内閣法制局長官 於衆議院予算委員会H20.10.8/『慧妙』H20.10.16)

◆公明党が過半数の議席をとり、単独で政権をとったらどうなるのか。この場合も、公明党と創価学会は制度的に別組織ですから、ただちに宗教団体による政治的権力の行使、すなわち違憲とは言えないでしょう。(龍谷大学教授・平野武〈憲法学〉『週刊現代』H19.6.23)
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「公明党と創価学会は制度的に別組織ですから」という理由で公明党の政権参画を合憲とするのは、あまりにも形式的皮相的に過ぎよう。こんな意見が通用するならば、宗教団体のいかなる政治的行為も制度上の分離によって合憲となり、宗教と政治を分離しようとする憲法の規定自体がザル法となってしまうではないか。宗教団体の権力行使を憲法が認めていないのであれば、それは制度的形式的な状態ではなく、実質実態を見て合憲違憲を判断すべきであろう。(法蔵)

●個々人の宗教団体構成員が宗教団体と別個に結社したり政党を結成するのは問題ない。ただし、宗教団体が主体となり、さらに団体と政党が事実上(形式上分離されていたとしても実態においての意味)一体であり、人事、組織運営が団体側に掌握されている場合は、宗教の政治への介入に当り、違憲の疑い濃厚。(日大教授・百地章/『フォーラム21』H17.3.1)

宗教団体が政党の代表(の人事)を決めているなら、その政党は宗教団体と同一ということになる(民主党代表代行・菅直人<産経ニュース>WS081009)

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◎よく後継者の育成をしなかったとか批判されたが、私が仮に後継者を指名しても、そうならないのだから仕方ない。委員長を引き受けるときから人事権は学会にあると、明確にされていた。選挙にしても人事にしても、党内はみな学会を向いている。私の同調者になったら干されてしまう。 公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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人事、財政、組織の全ては、「創価学会に従属していた」というのである。公明党としての自主性や独自の権限はなかったということになる。これで政党といえるのだろうか。


◎創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である。ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である。(S40.7.12「新時代の指導原理・王仏冥合(おうぶつみょうごう)」と題する講演『池田会長全集」第1巻/『慧妙』H20.10.16)
◎創価学会を離れて公明党はありえない。もし創価学会を離れた独自の公明党があるとすれば、それは既成政党となんら変わることのない存在であり、政治のための政治に堕(だ)することは必然である。されば、創価学会と公明党は、永久に一体不二の関係で進んでいこうではないか。(同上)
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 創価学会と公明党は同体異名で一体不二――。これが、池田大作が公明党結成当時から公言していたことなのである。
 だが、衆知のように、昭和44年に表面化した、創価学会による言論出版妨害事件を契機に、池田大作は「政教分離」を表明することを余儀なくされた。
 それによって公明党が、本当に池田大作ならびに創価学会から政教分離したのかといえば、さにあらずで、池田大作は「政教分離宣言」の直後から、内部では
◎竹入に、今まで以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか(池田発言 於第34回社長会S45.5.5/『慧妙』H20.10.16)
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と嘯(うそぶ)いていた。

◎(※S42.2、委員長就任にあたって)池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます(竹入義勝『毎日新聞』夕刊S42.2.1)
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政党の委員長がどうして宗教団体の会長から「申し渡される」のか、聞かされる方も「面くらって」しまうような話だが、公明党と創価学会との関係ではそれが普通なのである。

◎86年(S61)に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)

選挙時における学会の会館の使用、選挙期間中、常時、非課税の宗教施設が選挙活動の拠点になる、集会所になる、電話を使う、そういったことについて、少なくとも私の時代には、それについての対価を払ったということはございません。(中略)非課税で運営されている宗教団体の施設を24時間態勢で使用し、さらに運動してくれた方々の日当、電話代、会場使用料もかからない、こういったことが政教一致になるかは、今後議論すべき問題です。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)
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平野氏は「制度的に別組織」だというが、実態は一体であることがよくわかるではないか。(法蔵)

◎スゴイ時代に入りました、ね!そのうちデージンも何人か出るでしょう。まあ明日あたりですから。みんな、皆さん方の部下だからそのつもりで。日本一の創価学会ですよ。明日の新聞楽しみに。まだ言うのは早いんですけどね。これからですよ本当の仕事は。デージンたちがやる(池田大作・細川内閣の組閣前日に長野市で行われた学会本部幹部会H5/『月刊現代』H16.2)
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「デージンも何人か出る」これは単なる予測ではない。そのことは「明日の新聞楽しみに。まだ言うのは早い」という発言に明らかである。単なる支持団体の長が組閣名簿をいち早く手に入れ、名前こそ出していないが大臣が公明党議員から出ることを発表する。学会(池田大作)が公明党を牛耳っている証拠ではないか。

◎こう言うとまた政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変わらないですよ(池田発言H6.9.14『フォーカス』H6.10.5/『慧妙』H20.10.16)
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創価学会本部近くの中華料理店「はくぶん」において開かれた、新聞各社およびNHKの記者達との懇談会の席上(『慧妙』H20.10.16)

ということは、建て前とは裏腹に、創価学会と公明党の実際の関係は、昔から変わっていないのではないか――との疑いがきわめて濃厚となってくる。(『慧妙』H20.10.16)



【金森答弁「国からの正式な授権」について】
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◆「政治上の権力」とは、金森答弁にあるように国から授けられた権力を指します。これは憲法学界の通説でもあり、従来からの定説です(副会長・野崎勲『論座』H8.1/『フォーラム21』H17.3.1)

◆国から授けられて、正式な意味においての権力を行使してはならないという意味(S21憲法制定議会〈第90帝国議会〉委員会席上での金森徳次郎〈憲法専任〉国務大臣の答弁) ------------------------------------------------------------
 そうだとすると、こんな冗談話は成立するのだろうか。
 「国から正式の授権のない政治上の権力行使は許される」
 もしこのパラドックスを真に受けるなら、政教一致政党が政府を意のままにコントロールし、議会を支配することは憲法上、何ら問題はない、となる。どこかの国の宗教政党が、本気でそう考えているか筆者は知らない。(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1)

 「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(憲法20条1項後段)これを普通に読めば、「政治上の権力を行使」する主体は「宗教団体」である。
 20条を国家権力に対する規定だとすれば、宗教団体による政治上の権力行使を、国家は認めてはならない、ということでなければならないが、この場合、「国家」と「宗教団体」は全く別個のものというのが前提である。ところが、創価学会・公明党の場合はどうか。一宗教団体の宗教的使命遂行のために創設された政党が、選挙の結果次第では、権力の中枢を独占する可能性もあるのだ。こうなると実質上「国家」は宗教団体(の教祖)のコントロールを受けることとなるが、制度上形式上は、権力を行使するのは「国」であって、宗教団体ではないのだ。しかし実質的には「国」=創価学会・公明党となるため、わざわざ「正式な意味において」「国から授けら」れなくとも権力を行使できることになる。このような状況を憲法作成者は、想定していなかったのではないか。(法蔵)

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国から正式に授けられた権力行使が憲法違反なら、行政機関が非公式(秘密裏)に宗教団体を利するために動くことも、当然憲法違反ではないか。(法蔵)



【宗教団体の政治介入】
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◆国家権力に対して、宗教に介入してはならないと規定していると解釈するのが通説です。逆に宗教団体が政治的権力を行使してはならないという解釈ではない。(龍谷大学教授・平野武〈憲法学〉『週刊現代』H19.6.23)
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これに対して実に明解な回答を行っているのが、百地章・日大教授だ。百地氏は5つのケースで判断を試みる(以下『政教分離とは何か争点の解明』97年成文堂刊)。

@宗教団体の構成員たる個人の政治活動
A宗教団体による組織的な選挙活動
B宗教団体による政党の結成
C宗教団体ないし宗教団体と事実上一体の政党が議会で多数派を占めたり、キャスティング・ボー-トを掌握、或いは政府を意のままに支配して国政を壟断
D宗教団体による「統治権」の行使


 Dは当然、違憲である。それ以外はどうか、順を追って見ていこう。
 @は問題なし。これは「宗教団体」としての政治活動でなく、国民個人の同活動だから宗教法人法や政教分離とは無関係。
 Aは、一定の活動は保障されているが(利益代表を国会に送るなどという政治参加)、政治介人に当たる場合は疑問。宗教施設をそれに供する場合は、宗教法人法にも抵触する。
 B個々人の宗教団体構成員が宗教団体と別個に結社したり政党を結成するのは問題ない。ただし、宗教団体が主体となり、さらに団体と政党が事実上(形式上分離されていたとしても実態においての意味)一体であり、人事、組織運営が団体側に掌握されている場合は、宗教の政治への介入に当り、違憲の疑い濃厚。
 C憲法違反である。(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1)

●現在の政府見解の基となったのは"金森答弁"(昭和21年の憲法改正議会での金森徳次郎国務大臣の答弁)です。金森大臣は"宗教と政治との根本的分離"、また"絶対的に宗教と政治と云うものを分離したい"と発言している。つまり、宗教と政治の根本的な分離が憲法の大前提となっているわけです。宗教上の権力の行使とは何かという議論に入る以前に、これが政教分離の基本原則なんです。それが今は、全く見逃されてしまっている。実は、当時の憲法改正議会でも宗教団体そのものが布教を目的として政党を結成し、政治を支配するなどといった事態は想定されていなかった。そのため、当時の答弁をそのまま今日の公明党に適用すると現実離れの議論になってしまうのです(日本大学法学部教授・百地章=憲法学/『週刊新潮』H15.12.11)

憲法は、宗教団体による政治への介入を禁止しており、創価学会と事実上一体である公明党が池田名誉会長の意のままに政治活動を行っているのは、政教分離違反の疑いが残ります。『朝日新聞』に載った今回の投稿記事は、各地の会館が日常的に政治活動の拠点にされている創価学会の実態を明らかにしたものですから、政教分離違反の疑いは、ますます濃厚になったともいえるのです(日本大学法学部教授・百地章=憲法学/『週刊新潮』H19.7.12)

●特定の宗教団体と権力が癒着した場合、その宗教団体は他の宗教団体に比べ、優越的な地位を得ます。優越的地位を得た宗教団体は、宗教活動や布教活動において有利な立場にたつことになり、その結果、他の宗教団体の宗教活動や無宗教の人々の自由が侵されることになります。このことは、歴史の教訓として明らかなことです。
 憲法は、信教の自由の保障に万全を期すため、特定の宗教や宗教団体への禁止や弾圧を排除することはもちろんでありますが、権力と特定の宗教や宗教団体が癒着することを禁止したのです。憲法は、法律上や予算上の癒着はもちろん、事実上の癒着もこれを禁止していると解すべきです。要するに、特定の宗教や宗教団体が、優越的な地位に立つことを禁じたのが政教分離の原則なのです。(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081108)

●現在の日本において、ある宗教団体がそのままの形で立法権や行政権を行使することは、クーデタでも起こさない限りできません。(中略)
 しかし、ある宗教団体が実質的に支配する政党が、立法権を行使することはできます。また、議院内閣制のもとでは、議会の多数派は、内閣総理大臣を指名することができ、行政権を事実上支配できます。その多数派の政党が、事実上ある宗教団体に支配されていた場合、憲法上、何の問題もないといえるのでしようか。
 「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」とは、まさに、このような状態を想定し、これを禁止したものと私は考えます。現に、このような学説もあります。(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081108)

●いかなる宗教団体も、ひとつの結社として政治活動をすることは、憲法で保障されています。しかし、一方、いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使することを憲法は禁止しています。問題は、宗教団体の政治活動の憲法上の制約もしくは限界は何かということです。私は、ある宗教団体が実質的に支配する政党(以下、宗教政党といいます)を組織し、国政選挙に候補者をたてて選挙に臨むことは憲法上禁止されていると考えます。
 なぜでしょうか。それは、いかなる政党も、国政選挙に出る以上は、権力獲得を目指すからです。宗教団体が直接であれ、間接であれ、権力を獲得しようという行為こそ、まさに憲法が禁止していることなのです。その宗教政党から何人当選者がでたということは本来関係ありません。ある宗教政党が、政権を単独で獲得するためには、衆議院で過半数以上をとらなければなりません。しかし、連立政権の場合ならば、何も過半数をとる必要はありません。この場合でも、その宗教政党は、国家権力に大きな影響力を行使できます。宗教団体は、宗教政党を介在させることにより、国家権力を直接掌握することもできれば、国家権力に対し大きな影響力を行使することもできます。
 憲法は、宗教団体がこのようにして政治上の権力を事実上支配することを禁止しているのです。ある宗教団体が、国家権力を事実上支配した場合、その宗教団体は優越的な地位を得ます。法律上であれ、事実上であれ、特定の宗教団体がこのような優越的な地位を得ることを防止するために、憲法は政教分離を定めたのです。(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081108)

●憲法学者のいう政教一致では、国家権力から宗教への働きかけだけを問題にしていますが、これでは片側通行です。私は宗教から政治への働きかけも含まれると考えます。すると政教分離を謳う以上、宗教が統治の一端を担うことは許されない。創価学会が公明党という政党を持ち、その公明党から大臣を出して内閣の一部を構成するのは、許されないと思いますね(ジャーナリスト・溝口敦『週刊現代』H19.6.23)

●公明党や学会の諸君が強調しておることは、内閣法制局の見解で、戦中・戦前のことを教訓にして、国家権力が宗教を利用するというのが政教一致であると。おおむねそういう意味の見解です。宗教が政治を利用する、という問題についてはあまり言及しません。
 しかし、私はその見解はいささか時代に合っていないと思います。御存知のとおり、いろいろなテロ活動にしても、世界的に宗教が政治を揺さぶっている。宗教側からの政治への介入、これが政教一致になるのか、ならないのか、もっと議論されるべきだと、私は思っています。(元公明党委員長・矢野絢也「矢野絢也さんより話を聞く会」H20.6.13/『慧妙』H20.7.1)

●憲法20条は「いかなる宗教団体も,国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と規定している。また憲法65条上は「行政権は内閣に属する。」と規定している。「政治上の権力」には当然「行政権」は含まれる。つまり宗教団体は直接行政権を行使する立場には立てない事を意味する。そこで宗教団体が作った政党が内閣にメンバーを送り込んで行政権を行使できるか。オウム真理教のように教祖本人が党首として選挙に出ていればその政党は宗教団体と一体とみなされる。公明党の場合はどうか。議論のあるところだ。(<管直人公式>WS000508)

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そもそも、現行憲法がわざわざ政教分離を規定した理由は、「戦前の宗教と政治の一致が生んだ悲劇を繰り返さぬためだった」(国際ジャーナリスト・広岡裕児『フォーラム21』H16.12.1)はずである。そうであれば、国家から宗教への介入であれ、宗教から政治への介入であれ、結果として事実上、宗教団体が「政治上の権力を行使」する状態は憲法の精神に反するはずである。憲法の精神に反するならば違憲と断ずるべきであろう。(法蔵)



【統治権行使以上の権力支配】
―条文に違反しなくとも政教分離の趣旨に反することは明らか―
 「政治上の権力」が統治権(立法権、行政権、司法権、課税権、警察権など)であるとしても、法治国家では統治権に関わる様々なことがらを法律によって決定できる。だから、立法権を握る者が終局的には「政治上の権力」を有しているといえよう。このことは、主権(日本国憲法前文・第1条)を有する国民が代表を送り最も意思を及ぼすことができるのが立法府であることからも分かることである。
 議院内閣制のもとでは、議会の多数派は、内閣総理大臣を指名することができ、内閣(行政権)を事実上支配できる。その内閣が最高裁判所長官を指名し、最高裁判所判事を任命できるのだ。三権分立とはいっても国会が明らかに優位であり、国会こそが国権の最高機関なのだ。このことからも、議会を支配した者が行政権その他の統治権行使者以上の権力を有することが分かる。
 つまり20条で、正式な意味において宗教団体に政治上の権力を授ける「国」とは、事実上国権の最高機関たる立法府(国会)である。

 創価学会・公明党の最大の問題点は、国権の最高機関に数多くの会員を送り込み、しかも政権与党として行政にも大きな力を持っているところにある。このまま、何かの間違いで公明党の単独政権が誕生すれば、統治権の1つである立法権を掌握され、「国」=創価学会・公明党となってしまい、20条でいう「政治上の権力」(立法権、行政権、司法権、課税権、警察権等)を創価学会・公明党がコントロールすることになる。
 そうなると、宗教団体・創価学会としては、わざわざ「政治上の権力」を「正式な意味において」授けられる必要もない。

 つまり宗教団体・創価学会は、"国から正式な意味において政治上の権力(立法権、行政権、司法権、課税権、警察権等)を授けられてはいない"、という意味では憲法20条に違反していない。しかし、「国」=創価学会・公明党となれば「政治上の権力」をコントロールできることになるし、現状はそのようになりつつある。また、それこそが彼らの目的なのだ(<総体革命>参照)。
 現時点で公明党は、政権与党の一角を占めているに過ぎないが、それでも公明党の意向に沿って警察が動くという事例が報告されている(下記【公明党による統治権行使の実例】)。これは議会が法律や予算を決めるから、統治権の執行者である行政機関として、議会とくに与党に対して弱い立場にあるからだろう。
 宗教団体が国会をコントロールできるとなれば、これは憲法が想定している以上の政教一致であるから、政教分離を求める憲法の精神に反しているというべきである。(法蔵)

●[国民主権とは]=国では,だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし国の仕事が,ひとりで考えてきまるならば,そのひとりが,いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるならば,そのおおぜいが,みないちばんえらいことになります。もし国民ぜんたいの考えできまるならば,国民ぜんたいが,いちばんえらいのです。こんどの憲法は,民主主義の憲法ですから,国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。
 そうすると,国民ぜんたいがいちばんえらいといわなければなりません。国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが,この力が国民ぜんたいにあれば,これを「主権は国民にある」といいます。こんどの憲法は,いま申しまたしたように,民主主義を根本の考えとしていますから,主権はとうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも,また憲法の第1条にも,「主権が国民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が国民にあることを,「主権在民」といいます。あたらしい憲法は主権在民の考えでできていますから,主権在民主義の憲法であるということになるのです。(1947年「新しい憲法のはなし」文部省/<たむ・たむページ>WS081009)

●国会は,国権の最高機関であって,国の唯一(ゆいいつ)の立法機関である。(憲法第41条)


●ある宗教団体が実質的に支配する政党が、立法権を行使することはできます。また、議院内閣制のもとでは、議会の多数派は、内閣総理大臣を指名することができ、行政権を事実上支配できます。その多数派の政党が、事実上ある宗教団体に支配されていた場合、憲法上、何の問題もないといえるのでしようか。
 「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」とは、まさに、このような状態を想定し、これを禁止したものと私は考えます。現に、このような学説もあります。(元自治大臣・白川勝彦<liveral-shirakawa.net>WS081108)



【公明党による統治権行使の実例】
―上記【「宗教団体」の範囲】より、20条違反は明らか―
池田氏が海外を訪問するとき、外務省は国会議員や皇族の方々にするのと同様のVIP待遇をしています。たとえば通常であれば入管で手続きをしなければなりませんが、池田氏はノーチェックです。氏は一私人ですから、その待遇に何ら法的根拠はありませんが、外務省がそのように配慮してきたのです。(平沢勝栄『諸君!』H15.2)

◎池田氏に特別な配慮をしているのは外務省だけではありません。私自身、岡山県警の本部長当時に、そのような配慮をしたことがあります。池田氏が岡山入りするとき、公明党の議員がやってきて、「名誉会長が岡山に入ってから出るまで、頼むからパトカーの護衛をつけてくれ」と言うのです。本来、パトカーをつけるのは危害を加えられる恐れがあると警察が判断したときに限られるのですが、公明党の議員からすれば、パトカーをつけられれば、よくやったと池田氏から評価されるわけです。そのとき私は部下と相談して、絶対やっておいたほうがいいですよ、と言われたのでパトカーをつけました。いまから考えると、なぜそうしたのかと言われれば、言い訳のしようもありませんが。(同上)

警察だって、動かしているのは竹入(※委員長=当時)、井上だよ。竜なんかおどかすだけで味方にならない。竹入の一声だよ(池田 於第13回社長会S43.7.8/『慧妙』H20.10.16)

◎本年3月、創価学会員を折伏したことがキッカケで不当逮捕された婦人法華講員の場合は、公明党の有力者が警察に圧力をかけて逮捕させたものだった、と『週刊新潮』(H20.4.17)が報道している(『慧妙』H20.10.16)

 しかし、これらも"裏"で警察や外務省を動かしたことだから「国から授けられて、正式な意味においての(政治上の)権力を行使」(S21憲法制定議会〈第90帝国議会〉委員会席上での金森徳次郎〈憲法専任〉国務大臣の答弁)ではないという意味で合憲なのか(笑)
 いずれにせよ、国家が特定の宗教団体に「特権」を与えたことにはなるだろう。



【国家が学会に与えた「特権」】
◎あの法律(※S63.12制定の国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律)は竹下内閣が消費税を導入するための見返りとしてできた。内容は、国会や在外公館の周辺で右翼などが街宣活動を展開して騒音問題が深刻になっており、規制しようという趣旨だったが、そこに公明党が「政党本部周辺も規制対象に入れてほしい」といってきた。政府はなんとしても消費税法案を成立させなければならなかったから、公明党が消費税の審議再開に応じることとひきかえに要求を飲んだ。(平野貞夫=民主党参院議員『週刊ポスト』H15.12.5
◎公明党本部と学会本部はJR信濃町駅をはさんで指呼(しこ)の間(かん)にある。政党条項の裏には、党本部を街宣活動の規制対象にすることによって、そのまま学会本部周辺まで警察の警護エリアとして守られるという巧妙な仕組みが秘められていた。(『週刊ポスト』H15.12.5)

・公明党と創価学会は一体である。だから公明党の存在は20条の「宗教団体」に当てはまる。

・国会を支配した団体は統治権を支配下におくことができる。→公明党政権は、事実上、「宗教団体」が「政治上の権力を行使」していることになる。→「国」=「宗教団体」となれば「国からの正式な授権」など無意味。

・現時点でも公明党の画策によって、創価学会に「特権」を与えている。



[憲法12条違反の学会・公明党]
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◆政教分離の原則は、信教の自由を保障するために、すべての宗教に対して国家が中立であるべきことを定めたものだ。決して、宗教者の政治活動を制限するものではない

◆島田(関西総合青年部長) 国際宗教社会学会元会長のドブラーレ博士も「宗教団体が、その信条に基づいて"社会は、このままでよいのか"と問題提起し、政治に影響を与えるのは当然のこと」と述べている。
 西口 哲学のない政治、精神のない政治は所詮、根無し草のようなものだ。深い哲学、宗教をもった政治家の活躍は、もはや時代の要請だ。公明党への期待も大きい。(『聖教新聞』H14.12.27/『フォーラム21』H15.1.15)

◆そもそも、憲法が定める「政教分離」原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。内閣法制局は「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が、国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」(大森内閣法制局長官の国会答弁趣旨=1999年7月15日)としています。
 憲法が規制対象としているのは、「国家権力」の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません。(公明党WS/『慧妙』H16.8.1)
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要するに、創価学会・公明党は、国民に等しく認められている参政権などの権利を盾(たて)に、"宗教法人にも政治活動をする権利があるはずだ。現に、内閣法制局もそれを認めているではないか"と主張しているのだが、しかし、憲法には次のような条文もあることを忘れてはならない。

憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


昨今の創価学会の言動が、「公共の福祉のため」どころか、政治を私(わたくし)しようという意図の元に発せられていることは、疑う余地もない。創価学会の政治への関与は、もはや権利の濫用の域に達している、と言っても、けっして過言ではないのである。(『慧妙』H16.8.1)

 そもそも、憲法20条の政教分離原則とは、国民の信教の自由を保障するために、政治と宗教が互いに介入(かいにゅう)し合うことを禁じた規定である。そして、これによって、政治が特定の宗教に特権を与えたり、財政的援助を与えたり、あるいは特定の宗教が政治権力を行使(こうし)すること等を、厳格に禁止しているのである。
 学会の政教一致°^惑は、まさに、この憲法20条の規定に違反するものとして、叫ばれるようになった批判に他ならない。
 そのことは、学会の支配者・池田大作が様々な場で行なったスピーチに明瞭である。
 池田は、学会の教義について広宣流布(※池田の言う広宣流布とは、日本中を学会員にすること)して天下を取ることが学会の目的であり、その時には自身が日本の最高権力者になる≠ニ説いてきた。そして公明党は、まさに学会の教義を実現するために作った政党である≠ネどと述べてきたのである。
 さらに池田は、連立政権に加わった公明党から複数の大臣が選出された際、
 「すごい時代に入りました。ね!そのうちデェジン(※大臣)も何人か出るでしょう、もうじきです。明日あたり、出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ」(本部幹部会H5.8.8)
と狂喜(きょうき)し、また学会の5代会長・秋谷栄之助は、公明党・創価学会と日本国の関係について
 「日本の中で公明党の占める位置が、まことに重要になってきた。ある意味でいえばキャスティング・ボートを握る立場になり、事実上、自民党が2百数十議席あろうと、最後に参議院の20議席の公明党で全ての重要法案が決まってしまう。現実に今、そういう事態が起こってくる。しかも、そのバックに創価学会がある。日本の命運を決していくのが創価学会・公明党である。創価学会・公明党によって、がっちり握られているのが今の日本である。(略)そう見ると、日本を挙げてその焦点は、全て池田名誉会長のところに集まる時代になってきている」(全国県長会議H3.12)
と演説した。
 これらの学会の主張を見たならば、創価学会=公明党が憲法に規定する政教分離原則を破っているのではないか、との疑惑が生ずるのは、むしろ当たり前である。
 これを、単に「宗教団体が特定の政党を支援している」だけ、などと言うことができようか。(『慧妙』H19.4.16)


[識者の見解]
●いまの自民党は、政策面でも公明党に完全に飲み込まれています。自民党が公明党の言いなりになってしまったのは、公明党の票がなければ衆議院でも参議院でも選挙で勝てなくなってしまったからです。そういう意味では、自民党というのは"仮面"であって、その"中身"は公明党であり、創価学会であるといっていい(中略)自民党が公明党の意のままになっている状況は、政教一致で、違憲の可能性が高い。小泉前総理も安倍総理も池田大作名誉会長のところに意見を聞きに行く。安倍総理は否定しましたけどね。創価学会が日本の権力を握ってしまっている。この現実を有権者の皆さんは知らないといけないんですよ(国民新党代表代行・亀井静香『週刊現代』H19.6.23)

●公明党だけでなく、いまや自民党と創価学会の関係も違憲状態だ(中略)宗教法人法を改正しても創価学会と公明党の関係は解決できない。問題は、自民党が利権を継続するために学会を利用し、逆に学会から悪用されていること。その構造をマスコミは国民に知らせるべきだが、大メディアが汚染されていることに日本の悲劇がある。日本人の良識の回復を待つのみである(前参議院議員で政治評論家・平野貞夫『週刊現代』H19.6.23)

●公明党は誰の名前において票を集めているのでしょうか。創価学会や池田大作氏が存在しなくても、800万人を超える人達が公明党のために動くのでしょうか。私にはそうは思えない。創価学会は公明党を通じて政治上の権力を行使しているとしか思えない。これは明らかに違憲であり、許すべきではありません。もし、それを許すのであれば憲法20条を改正すべきです。日本人がその議論を避けているのが不思議で仕方ありません。そのことを報じないマスコミも不思議です。 誰もが知っているように、創価学会は会員に投票を指示しています。これは今回の選挙における出口調査からも明らかです。今回は81人の自民党候補が、公明党の支持がなければ当選できなかったと言われています。宗教団体の指示を受けて信者が自民党候補に投票したのであれば、直接的に政治上の権力に影響を及ぼしていると言わざるを得ません。しかも、公明党は国の最高決定機関である国会、及び内閣にも参加している。これまで日本の政治で問題にされていたのは過半数の暴挙でしたが、これから問題にされるべきは少数の暴挙なのです。私は現状を放置すれば、日本の民主主義自体が機能しなくなる危険性があると思います(サム・ジェームソン=元ロサンジェルス・タイムス東京支局長/『週刊新潮』H15.12.11)

●これらの憲法上の政教分離の原則(※憲法20条1項後段および憲法89条)に照らして、創価学会と公明党の存在は明らかに違反しているのではないか。公明党を指揮しているのが宗教側トップの池田大作氏であることはまぎれもなく、これは、明白な憲法20条違反であろう。宗教団体の「同体異名」(池田氏)の政党が、政党助成金を受けとるのも、明らかな憲法89条違反だ(尾山太郎『週刊新潮』H12.7.13)

●私ども自民党といたしましては、この前、宗教法人法が可決をされましてからワーキングチームをつくりまして、(略)宗教団体がどこまで政治にかかわり合いを持てるかという議論をやったわけでございます。
 そのだいたいの結果によりますと、政治参加は構わない、しかしながら政治支配というのは憲法に違反をする、憲法に抵触するおそれがある、こういう結論に達したわけでございます。
 政治参加と申しますのは、例えば宗教団体の役員や宗教団体の信者が個人として政治活動を行なったり、あるいは宗教団体が政治団体をつくって政治活動や選挙運動をやっておる、これは政治参加である。
 それに対して、例えば宗教団体の信者が特定候補者の応援のために、選挙期間中ほとんど朝から晩まで宗教団体の施設を専(もっぱ)ら使用する、こういうこととか、あるいは宗教団体が教義を実現する目的を持って政党をつくるとか、あるいは宗教団体が結成した政党によって政権を獲得、樹立するとか、さらには宗教団体の実力者がその結成した政党から選出された議員を国務大臣に推薦(すいせん)するとか、あるいはまた宗教団体と事実上一体の政党が、議会で多数派を占めたりキャスチングボートを握(にぎ)ることによって、政権を意のままにする、こういうのが政治支配であると。政治参加は構わないけれども政治支配は許されない、こういう結論に達したわけでございます(久世公堯=自民党議員 於参議院・予算委員会H8.4.24/『慧妙』H20.11.1)

●憲法解釈というのは、先ほども申しましたように、社会の実態、国民生活の実態、国民と宗教との関わり合い、非常に変わってきております。昭和20年代、30年代と様変わりでございます。また、宗教団体の行なっているところの宗教活動、政治活動、政治運動、これもよく調べて、解釈というものを考えていかなきゃいけないと思うわけでございます(久世公堯=自民党議員 於参議院・予算委員会H8.4.24/『慧妙』H20.11.1)

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●憲法第20条は国家権力に対して、宗教に介入してはならないと規定していると解釈するのが通説です。逆に宗教団体が政治的権力を行使してはならないという解釈ではない。極端な話、公明党が過半数の議席をとり、単独で政権をとったらどうなるのか。この場合も、公明党と創価学会は制度的に別組織ですから、ただちに宗教団体による政治的権力の行使、すなわち違憲とは言えないでしょう。ただし、"政と教"が極めて接近した状態ではありますから、政教一致にならないように国民的監視は不可欠です(龍谷大学教授・平野武〈憲法学〉『週刊現代』H19.6.23)

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◆以前の公明党は宗教的な理念を実現するために政治活動を行うなど違憲の疑いがあったが、近年は制度的に創価学会との分離を行って、その疑いはかなり薄れた。問題は宗教法人に対する非課税が国からの特権にあたるかどうかだが、公明党が政治権力を行使して学会員に対してだけ恩恵を与えていることが証明されなければ、違憲とはいえないのではないか(宗教学者・島田裕巳『週刊現代』H19.6.23)
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 「以前の公明党は宗教的な理念を実現するために政治活動を行う」というが、現在も「立正安国」という宗教的理念を前面に出して活動している。また、選挙活動を広宣流布(布教)の一環として位置付け、集票活動によって宗教的利益(功徳)が得られるとしている。信仰を選挙と結びつけることによって本来会員個人が持つ選挙権を宗教団体が間接的に行使しているという反民主主義的実態は旧態依然である(<総体革命>参照)。
 「公明党が政治権力を行使して学会員に対してだけ恩恵を与えている」証拠はあります(<政党政治の自殺><「池田私邸」守る「政党条項」>など)。しかし、創価学会が公明党を支援する本当の目的は、天下取り(権力獲得)なのですから、学会(員)への具体的な利益誘導はむしろ2次的なものです。宗教団体が国家支配のために政党を作り支援する―こうなると憲法20条でいうところの「国」=「創価学会」になってしまうのですから、「特権」どころではないでしょう。
 宗教法人の非課税問題は、法律が想定した本来の宗教活動以外の活動をしているか否かが問題であって、違憲違法性の判断に際して必ずしも「公明党が政治権力を行使して学会員に対してだけ恩恵を与えている」必要は無い。
 およそ宗教法人が税法上の優遇措置を受けている理由は、信仰によって人々に幸福感をもたらすといった公益性を評価した結果であろう。税金が優遇されているということは、本来払うべき税金の一部を国家によって貰っていることと同じである。であるならば、会館や職員を使って選挙活動している創価学会は税金を貰って政治活動していることになる。
 確かに公明党の政策は一応、公共の福祉を追求しているかに見える。しかし、国民の中には、具体的政策について利害が対立し反対の人も多いのである。平たく言えば、公明党の躍進によって損をする人も出てくる訳である。つまり、税金を使った創価学会の選挙活動によって、まともに税金を払っている他党支持者の利益が侵害されているともいえるのだ。
 多くの国民の利害に反してまで政党を作り支援することが、宗教法人に期待された公益性といえるのか。答えはノーである。であるならば、学会の政治活動は憲法20条でいう「特権」の行使にあたるのではないか。宗教法人が非課税特権を受けること自体は「特権」ではない。その特権を利用して政治活動し、結果として多くの国民の利益を侵害していること(または国家がそれを黙認していること)が「特権」なのである。(法蔵)

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◆宗教団体が政党を持つことも、特定政党への支持表明をすることも許される。宗教団体がそのまま政治団体になるわけではなく、宗教団体がバックアップして一般市民も参加して政党をつくることは思想・信条の自由によって認められている。創価学会、イコール公明党では決してない(自民党衆議院議員・鳩山邦夫『週刊現代』H19.6.23)
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「創価学会、イコール公明党では決してない」これは、あまりにも実態からかけ離れた評価というほかない(<政教一致の実態>参照)。また、非課税特権を持つ宗教法人と非課税特権を持たない団体(宗教団体を含む)を同列に論じることはできないだろう。






金森答弁について(仮題)
(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.2.15抜粋編集)

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この問題(憲法第20条の規定)は、すでに1946年の憲法制定国会において具体的なケースを想定して議論されています。「宗教団体が政党をつくり、政治上の権力を行使する場合には、この規定に該当するのか」という質問に、当時の金森徳次郎国務大臣はどう答えているのかというと、「政治上の権力の行使というのは、宗教団体が政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではない。国から権力を授けられて、正式な意味においての権力を行使してはならないという意味の規定である」と回答している。この政府見解は、これまで修正されたことがありません。すなわち歴代内閣は、政党に対する宗教団体の影響力は「政治上の権力の行使」にはあたりませんよ、政治運動の範囲内ですよ、と解釈しているのです。そして「政治上の権力」とは、金森答弁にあるように国から授けられた権力を指します(副会長・野崎勲『論座』H8.1)
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ここでの問題は、委員が政教一致でどのような質問(国会用語では質疑)が発せられ、憲法専任大臣の金森徳次郎や文部大臣の田中耕太郎(後の最高裁長官。カトリック信者である)がどのような答弁を行ったかだ。

実際の金森答弁を列挙してみよう。まず野崎氏が引用している答弁だが、これは1946年7月16日の衆院委員会上で松沢兼人委員(日本社会党)の質問への返答である。当該やり取りの前段に、松沢-金森の間で見逃せない質疑応答がある。

〈松沢兼人委員(日本社会党)〉寺院や神社関係者が特定の政党に加わり、政治上の権力を行使することは差し支えないか(趣意)
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〈金森徳次郎国務大臣〉宗教団体そのものが政党に加わると云うことがあり得るかどうかは、遽(すみやか)に断言できませぬけれども、政党としてその関係者が政治上の行動をすることを禁止する趣旨ではごさいませんぬ

〈松沢〉カトリック党のようなものが出来て、それが政治上の権力を行使する場合は、(20条1項規定に)該当しないか
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〈金森〉政治上の権力の行使というのは、宗教団体が政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではない。国から権力を授けられて、正式な意味においての権力を行使してはならないという意味の規定である


金森は衆貴委員会等で以下のような発言も行っている。
●(憲法起草に当たっては)理念としては、絶対的に宗教と政治を分離したい(金森国務大臣)
●宗教と政治の根本的分離(金森国務大臣)
●(政治と宗教を)潔癖に2つに切り離したのであります(金森国務大臣)
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田中(耕太郎=文部大臣)答弁も含め、他にも注目すべき答弁、発言は辛抱強く記録に目を通すといくつも存在した。通読すると感じられるのだが、金森発言の背景にはジョン・ロック流の「政教分離論」がある。つまり国家の宗教への介入とともに、広い意味においての「宗教(団体)の政治への介入」をも禁止する考え方である。


 そうなるとますます「政治上の権力行使」が何か、問題となる。さらに憲法20条1項後段にある、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」の名宛人は国家なのか宗教団体なのか、である。野崎氏ら創価学会や公明党側の理屈はこうだ。「国家はいかなる宗教団体にも政治上の権力を行使させてはならない」。
 果たしてそう読めるか。論理的に主語は「宗教団体」であり、それが「政治上の権力を行使してはならない」と解釈するのが極めて自然である。その前提として、2つの例を挙げる。
●如何ナル宗教団体モ国家ヨリ特権ヲ受クルコト無カルヘク又政治上ノ権限ヲ行使スルコトナカルヘシ(マッカーサー草案=第19条1項後段)
●宗教団体ハ政治に干与シ又ハ国ヨリ特権ヲ付与セラルルコトヲ得ス(1946年3月2日の日本側第1案=第18条2項)

これらを勘案すると、そもそも現行憲法成立過程上、宗教団体の政治活動は禁止されていないが、そこには限界がある点。問題意識として「宗教が政治に介入すること」を禁止する意図があった点など、さまざまなファクターが混在していたのである。

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●現在の政府見解の基となったのは"金森答弁"(昭和21年の憲法改正議会での金森徳次郎国務大臣の答弁)です。金森大臣は"宗教と政治との根本的分離"、また"絶対的に宗教と政治と云うものを分離したい"と発言している。つまり、宗教と政治の根本的な分離が憲法の大前提となっているわけです。宗教上の権力の行使とは何かという議論に入る以前に、これが政教分離の基本原則なんです。それが今は、全く見逃されてしまっている。実は、当時の憲法改正議会でも宗教団体そのものが布教を目的として政党を結成し、政治を支配するなどといった事態は想定されていなかった。そのため、当時の答弁をそのまま今日の公明党に適用すると現実離れの議論になってしまうのです(日本大学法学部教授・百地章=憲法学/『週刊新潮』H15.12.11)






「政治上の権力行使」について(仮題)
―『宗教団体に許される「政治活動」の限界とは?』より―
(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1抜粋編集)

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いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない(憲法20条1項後段)
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この規定には、ふたつの意味で曖昧さ、矛盾が存在する。


【金森答弁「国からの正式な授権」】
 故野崎勲・創価学会副会長は、
 「国から授けられて、正式な意味においての権力を行使してはならないという意味の規定」との1946年、憲法制定議会(第90帝国議会)委員会席上での金森徳次郎(憲法専任)国務大臣答弁を引いて、こんなふうに述べる。
 「『政治上の権力」とは、金森答弁にあるように国から授けられた権力を指します。これは憲法学界の通説でもあり、従来からの定説です」と。
 そうだとすると、こんな冗談話は成立するのだろうか。
 「国から正式の授権のない政治上の権力行使は許される」
 もしこのパラドックスを真に受けるなら、政教一致政党が政府を意のままにコントロールし、議会を支配することは憲法上、何ら問題はない、となる。どこかの国の宗教政党が、本気でそう考えているか筆者は知らない。


【「政治上の権力行使」とは何か】
 そしてもうひとつ。政治上の権力が何に該当するかである。筆者のような浅学の者でも、権力の英訳はpowerであるくらいは分かる。ところがこの部分での日本国憲法公定訳はpolitical authorityなのである。この"意訳"には後ほど触れるとして、これまでの通説では政治上の権力につき、以下のように解釈されてきた。すなわちそれは、国や自治体が独占する統治権だと。その中身は立法権(legislative power)、行政権(executive power)、司法権(judicial power)や課税権、さらに警察権のようなものが統治権の「代行行為」にあたり、その一部を行使することが、「政治上の権力行使」である。
 カッコ内に記した公定訳でも明らかなように、権(力)=powerなのである。一方、憲法前文に出てくる「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し……」のくだりにある権威がauthority、権力はpowerと公定訳にはある。
 しからばなぜ「政治上の権力」が上記のような訳になっているのだろう。想定しうることはただひとつ、政治上の権力と統治権は別個のものである。これはしごく当たり前の定義づけだ。明治憲法下の国家神道でさえ、統治権を行使したことなど無かったのだし、現行憲法がそのような非現実的事態を想定していると、常識的には考えられない。だから、宗教団体は統治権を行使してはならないというごくごく常識、つまり取り上げても大した意味のない言辞を野崎氏は弄しているのである(この段でムキになるのは、公明党や創価学会の半ばお家芸である)。

 では、ここから何が導き出されるのか。政治上の権力が、即、統治権を指すものではない点は分かる。とすれば統治権以外にも政治上の権力行使が「ある」と解釈できる。それは宗教団体による政治支配そのものだ。






宗教団体に許される「政治活動」の限界とは?


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〈島田(関西総合青年部長)〉国際宗教社会学会元会長のドブラーレ博士も「宗教団体が、その信条に基づいて"社会は、このままでよいのか"と問題提起し、政治に影響を与えるのは当然のこと」と述べている。
〈西口〉哲学のない政治、精神のない政治は所詮、根無し草のようなものだ。深い哲学、宗教をもった政治家の活躍は、もはや時代の要請だ。公明党への期待も大きい。
(『聖教新聞』H14.12.27/『フォーラム21』H15.1.15)

宗教団体といえども社会的存在なのだから、社会的・政治的にアピールしなくてはならない場合があります。(略)もしそれすら否定されるというなら、逆に宗教団体に入ったばかりに、基本的人権である言論・表現の自由が奪われることになってしまう。宗教団体の信者には、法の下の平等が保障されないことになってしまう(副会長・野崎勲『論座』H8.1/『フォーラム21』H17.3.1)
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【宗教団体の政治活動5つのケース】
(ジャーナリスト・山田直樹『フォーラム21』H17.3.1)
これに対して実に明解な回答を行っているのが、百地章・日大教授だ。百地氏は5つのケースで判断を試みる(以下『政教分離とは何か争点の解明』97年成文堂刊)。

@宗教団体の構成員たる個人の政治活動
A宗教団体による組織的な選挙活動
B宗教団体による政党の結成
C宗教団体ないし宗教団体と事実上一体の政党が議会で多数派を占めたり、キャスティング・ボー-トを掌握、或いは政府を意のままに支配して国政を壟断
D宗教団体による「統治権」の行使

 Dは当然、違憲である。それ以外はどうか、順を追って見ていこう。
 @は問題なし。これは「宗教団体」としての政治活動でなく、国民個人の同活動だから宗教法人法や政教分離とは無関係。
 Aは、一定の活動は保障されているが(利益代表を国会に送るなどという政治参加)、政治介人に当たる場合は疑問。宗教施設をそれに供する場合は、宗教法人法にも抵触する。
 B個々人の宗教団体構成員が宗教団体と別個に結社したり政党を結成するのは問題ない。ただし、宗教団体が主体となり、さらに団体と政党が事実上(形式上分離されていたとしても実態においての意味)一体であり、人事、組織運営が団体側に掌握されている場合は、宗教の政治への介入に当り、違憲の疑い濃厚。
 C憲法違反である。ここでよくある主張は、野崎氏も"雄弁に"語る。以下のようなもので、「それだと宗教法人に限らず、農協も労組も、およそ設立目的に政治活動をうたっていない法人の政治活動は全部無効になってしまう」と。これは見当違いも甚だしい議論であり、現行憲法が財界や農協、労組、遺族会などの政治介入を禁止し、分離を定めているとの、まことに珍妙かつ無謀な理屈である。
 以上のような当然かつ当たり前の議論が、なぜ巻き起こらないか海外のジャーナリストからすれば、不思議で仕方なかろう。野崎氏は96年当時、こんな発言もなさっている。

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〈Q〉創価学会は世俗的な政権は目指さないか
〈副会長・野崎勲〉名誉会長も含め、学会自体が政権をめざしているのではありません
公明党は、政党ですから政権をめざしたと思いますよ。しかしそれは政党の問題であって、学会側のスタンスとは違います(『論座』H8.1)
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果たしてこの言い回しを、どう解釈すればよいのだろう。再度触れておくが、野崎氏の発言は『論座』(朝日新聞社発行)の96年1月号から採録した。司会を中に、氏と対談(バトル?)しているのが佐藤道夫氏(現・民主党参議院議員。元札幌高等検察庁検事長)である。佐藤氏は、こう聞きだしている。

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〈Q〉学会は政権をめざさないというが、政党を支援するからにはその政党が政権党になった場合に、当然なんらかの学会としての要求があるんでしょう。いったい何を要求するのですか
〈野崎〉信教の自由の擁護と平和の維持、それから権力悪のチェックです(『論座』H8.1)
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ちなみにこの発言段階での「政党」とは新進党を指す。ここに記された「要求」を実現すべく、創価学会員は選挙活動にこれ邁進したわけだ。なんともお気の毒な……。





慶大教授・小林節氏の"公明党合憲論"を批判する

(<法蔵>H19.8.26)

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公明党の福本潤一参院議員が離党の意思を表明し、記者会見で公明党は全体主義的であると批判した。今夏の参院議員選挙で公認が得られず引退を余儀なくされたことが不満での行動である。(慶大教授・小林節=憲法学者「公明党参院議員の反乱」/『日本海新聞』H19.6.19以下同)
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この記事は公明党の福本潤一参院議員が離党した件について書かれたもので、題名は「公明党参院議員の反乱」である。



[創価・公明の政治目的]
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公明党は1964年に結成されたが、それ以前に、56年に創価学会として3人の参院議員を当選させて以来国政に参画してきた。同党は、周知のごとくいわば「創価学会政治部」で、それ自体は法的にも政治的にも何らやましいことではない。日本仏教史上の巨星・日蓮の「立正安国」の思想を党是として、政治権力者たちが正しい考え方で行動してこそ、国家の独立と平和が保たれ国民が幸福に暮らすことができるという観点が同党の背景にある
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【学会の都合でコロコロ変わる「党是」】
<政党化>
◆われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院ならびに地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである(池田大作『大白蓮華』S36.6/『慧妙』H17.9.1)
変↓節
・1967年1月29日、総選挙で公明党は25人を当選させ、衆院に進出


<布教のための政界進出>
◆我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。即ち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。(戸田城聖/『週刊ポスト』H15.11.28)
◆大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通らなければならないのが創価学会の選挙なのでございます。(池田大作『大白蓮華』S34.6/『週刊ポスト』H15.11.28)
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広宣流布した暁における大御本尊安置の場所(施設)を「事の戒壇(戒法)」という。この戒壇について当初、学会は「国立」であると主張していた。この「国立戒壇」建立こそが公明党(またはその前身)の最大の目的だったのである。この時点では「『立正安国』の思想を党是」とはしていなかったのである。

◆混乱した日本の政界を浄化するため、学会精神によってはぐくまれた優秀な政治部員を養成し、日本の政治に正しい方向を示していくとともに、本質的な国立戒壇建立という大業の必要性を、政界に理解させようというものである(『聖教新聞』S36.5.6)
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昭和36年には「混乱した日本の政界を浄化するため」という理由付けをしている。しかし、その本音はあくまでも「国立戒壇建立」のためなのである。

・1964年11月、公明党を結成。結党宣言では、「王仏冥合・仏法民主主義」を基本理念に。
変↓節
<言論弾圧の反省と政教分離宣言>
◆学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません(池田大作・第33回本部総会・要旨/『フォーラム21』H15.7.15)
◆また、選挙にさいしても、公明党は党組織を思いきって確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行っていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来どおり地域ごとの応援はとうぜんしていきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広く募って、確固たる基盤をつくっていただきたいと、公明党に要望したい。また、党がひとり立ちしたことに対し、皆さん方もあたたかく見守っていただき、応援もしていただきたいのであります。(池田大作・第33回本部総会・要旨/『フォーラム21』H15.7.15)
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この政教分離宣言は、創価学会・公明党が引き起こした言論出版妨害事件に対する厳しい社会的批判を背景になされたものであり、池田会長自身、政教分離宣言の冒頭で、「今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきました」として、創価学会と公明党の政教分離が言論出版妨害事件を契機とするものであることを自認している。(『フォーラム21』H15.7.15)
変↓節
<反故にされた反省と政教分離>
◆昭和45年の"言論問題"の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。・・・「信教の自由」を侵害する凶暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。ともあれ、・・・断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。・・・正義の信仰を流布して、何が悪いのか!信教の自由ではないか!(随筆「新・人間革命」/『聖教新聞』H13.7.10)
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この告白が創価学会と公明党の本音だとすれば、この集団は、本音をおしかくした巨大な虚言によって、31年にわたって日本の国民と世論をもてあそんできた、ということになります。いったい、この集団は、日本の社会と国民そのものを、何と考えているのか、そのことがあらためて問われるではありませんか。……なかでも、私がとりわけ重要だと思うことは、"自分たちは、どんな無法なことをやってもいっも「仏」、それを批判するものはすべて「仏敵」だ"という究極の独善主義―以前、「邪宗撲滅」を前面に押だししていた時期にむきだしの形で現れ、社会的な批判の的となった独善主義が、この文章のなかに、まるごと復活していることです。……自分たちを批判するものにすべて「仏敵」のレッテルを張り、手段を選ばずその「撲滅」をはかるという組織は、現代の民主主義のもとでは、政治の世界でも、宗教の世界でも、存在の資格を疑われても仕方のないものです(不破哲三『しんぶん赤旗』H13.7.22)


<安保政策>
・1964年11月、公明党を結成。安保条約については発展的解消を主張
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学会の一部門といえる公明政治連盟が発展する形で結成された公明党も、結党宣言では、「王仏冥合・仏法民主主義」を基本理念にしていたが、政教分離宣言を機に「平和と福祉」のソフト路線を前面に掲げた。

・1973年1月、「反自民、反権力」と左カーブ(『朝日新聞』S59.11.13)

・1973年9月、日米安保条約について即時廃棄を主張。
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●(昭和)47年総選挙で敗れ、共産党が進出したあたりから路線は左右に揺らぐ。48年1月、「反自民、反権力」と左カーブ、小選挙区制導入粉砕、美濃部東京都知事支持など社会、共産両党との提携を強化。とくに日米安保条約については、結党時の「発展的解消」から「段階的解消」へ、そして「早期解消」、さらに48年9月、初めて「即時廃棄」に。(『朝日新聞』S59.11.13)
変↓節
・1975年10月、党大会で竹入委員長が「改心した自民党員」を巻き込む形での中道国民戦線の結集を提唱、いわゆる現実路線に軌道修正。さらに、安保の存続を事実上黙認。

・1978年、自衛隊を認知(竹入発言『朝日新聞』S59.11.13)

・1981年、保守との連合を頭に置いた「新しい選択」を掲げ、「安保存続、領域保全に限定した自衛隊合憲」へと政策転換。
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現在から見れば、"安保存続、自衛隊合憲"は政界全体の歴史的流れであったともいえる。しかし、公明党の政策転換は、東西冷戦の解消といった国際社会の動きとは関係なく、ただただ創価学会・公明党の安定と拡大のために(学会・公明の都合で)行われたものである。



【党是は変わっても「総体革命」で一貫】
◆(※当時、参謀であった池田の人となりを紹介して)同君(池田のこと)は常に言う「天下を取ろう」と(『聖教新聞』S27.3.10/『慧妙』H17.11.1)
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まさに、池田が若い頃から抱いてきた野望とは、日本、ひいては世界を向こうに回しての、三国志ばりの"天下取り"構想でした。

◆池田が創価学会第3代会長就任後、「天下取り」を目指し、1961(昭和36)年に公明党の前身である公明政治連盟を結成した直後に、側近が密かに「組閤名簿」を作ったが、そこには「総理大臣・池田大作」の名が記されていた。(『カルトとしての創価学会=池田大作』2頁)

◆(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を結成して(秋谷栄之助『大白蓮華』S39.2/『慧妙』H17.11.1)

◆池田先生が、日本の指導者として立っていただく(北條浩『聖教新聞』S40.7.26)

◆68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん、大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣、田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣、横松。北条さんは警視総監。全部いるよ。(池田大作S43.3.22・第10回社長会/『慧妙』H17.4.1)
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昭和43年3月22日の第10回社長会で、池田は、九州・霧島山麓に68万坪の土地を買収するよう指示(『慧妙』H17.11.1)

◆私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい(池田大作『現代』S45.7/『慧妙』H17.11.1)
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池田にとって、創価学会の存在意義は自身が最高権力者になることであった。

◆創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう(池田大作・第2東京本部最高会議S50.6.10/『慧妙』H17.11.1)
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 「創価王国」とは、池田がよく表向きで言う「仏法民主主義」とか「平和・文化・教育」などとは、およそ無縁の国家体制―すなわち「本当は全体主義は一番理想の形態だ」(S47.6.15・第61回社長会)という池田発言によっても窺われるとおり、ファシズム(全体主義)社会を指向しています。
 この社会においては、かつて創価学会・公明党が引き起こした、言論出版弾圧事件や、替え玉投票事件、盗聴事件、リクルート事件、砂利船舶汚職事件等々を見れば明らかなように、独裁者・池田の名誉と富と権力を守るためなら、暴力や汚職・不正すらも、正義としてまかり通ってしまうでありましよう。
 こうした恐るべき「創価王国」構想こそが、「広宣流布」の美名に隠れて、池田大作が目指してきた野望の"正体"でした。

◆天下をとれることが少し私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな(公明党議員との記念撮影S51.11.16/『慧妙』H17.11.1)

 以上のとおり、公明党の党是や基本政策、学会との位置付けは、学会を取巻く社会状況の変化によって表面上簡単に変わってきました。だから、今の公明党が表向き「『立正安国』の思想を党是」としていたとしても、とても本心だとは思えません。しかし、「総体革命」というキーワードを通して創価学会・公明党の歴史を見たとき、彼らの一貫した目的・本音が明らかとなるのです。その実態は、政党政治の前提となる民主主義とは相反するものなのです。
 尚、補足すれば、『立正安国論』の本来の趣旨は、「立正」すなわち唯一の正しい宗教を国民すべてが信じることによってのみ、「安国」すなわち平和で幸福な社会が実現する、というものです。ですから、公明党が本来の意味で「立正安国」の思想を党是としているのであれば、それ自体、唯一の宗教を流布することを党是としていることになり、その本音を隠していることになります(<『立正安国論』と政治文化活動>参照)。
 そうではなく、あくまでも「政治権力者たちが正しい考え方で行動してこそ、国家の独立と平和が保たれ国民が幸福に暮らすことができるという」世俗的意味だとすれば、日蓮大聖人の御指南に背くものであり、日蓮大聖人を信仰している会員を政治活動に駆り立てるために『立正安国論』を利用していることになります。

また、「『創価学会政治部』で、それ自体は法的にも政治的にも何らやましいことではない」などと言うが、公明党が「創価学会政治部」であれば、公明党への公金支出は創価学会への支出と同じことになる。とすれば現在行われている同党への政党交付金支出は憲法20条で禁止されている「特権」に当たるし、89条違反にもなろう。(資料参照




[全体主義の実態]
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公明党は、その本質が宗教系政党であるために、その組織的意思決定のプロセスが、一見、上命下達的で、全体主義的に見えることは事実である。しかし、その点は、実は自民党と民主党も同じである。つまり、両党とも、まず、すでに十分に権力者である議員たちの投票や話し合いで選ばれた党首が、自由に幹部人事を行い、その任期中は、党の政策や運動方針の決定について党首の強い指導力が認められている。だからこそ、自民党で安倍「暴走」が許され、民主党で小沢「独裁」が許されている。
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 自民党の「暴走」や民主党の「独裁」は、その時々の力関係や議員の思惑等が絡み合って生じたもので、いわば、大なり小なりどこの組織でもありうる。また、党首は「投票や話し合いで選ばれた」のであり、党首決定のプロセスは全体主義とはいえない。だから、党首が全体主義的な行動をとったとしても議員は公然と批判できるし、「投票や話し合い」によって党首を代えることが容易である。
 それに対して公明党は、事実上、党首の決定権は創価学会(池田大作)にある。学会の意向を無視すれば党首といえども簡単にクビになるのであり、福本潤一のような一介の参議院議員をクビにすることなど、朝飯前なのである。

●よく後継者の育成をしなかったとか批判されたが、私が仮に後継者を指名しても、そうならないのだから仕方ない。委員長を引き受けるときから人事権は学会にあると、明確にされていた。選挙にしても人事にしても、党内はみな学会を向いている。私の同調者になったら干されてしまう。
 公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。『公明新聞』や雑誌『公明』も学会の意向が大きなウエートを占め、部数は学会の意向で決められてしまう。党員数も前年数値を参考に調整して決めていた。
 政治家になって学会との調整に8割以上のエネルギーをとられた。公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17)
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人事、財政、組織の全ては、「創価学会に従属していた」というのである。公明党としての自主性や独自の権限はなかったということになる。これで政党といえるのだろうか。また、公明新聞や雑誌の部数も学会の意向で決められ、党員の数まで「前年数値を参考に調整して決めていた」という。全て学会の言うがままだったということになる。


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 公明党も、私の知る限り、議員や幹部が最前線の支持者の声を聞いたうえで、幹部が協議し政策や運動方針が決められている。そしてその際、ほとんど唯一最大の支援組織である創価学会と協議の機会を持つのは当然で、その影響を受けないと言ったらうそになる、と言うよりも同党が結成された意味がなくなってしまう。これも結社の自由である。
 実は、公明党の議員は自分の実力で選挙などしてはいない。それどころか、立候補自体が本人の意思ではなく、支援組織が候補者を発掘して来る。だから、当選させて、党議員として「使って」みて、その上で、どうも党の方針と支援者の思いに合わない言動をする議員だと分かったら候補者を取り替えてしまえる能力が同党の組織にはある。むしろ、この点は「民主的」ではなかろうか。
 だから、縁あって候補に推薦され公明党議員になった者が、党や支援者と意見が合わなくなったにもかかわらず再度の公認を期待することにそもそも無理がある。公認するしないは、憲法で保障された結社の自由の一環として党と支援者の選択の自由である。
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 創価学会が「ほとんど唯一最大の支援組織」であること自体が、公明党が国民政党になれない「ほとんど唯一最大」の理由である。
 「結社の自由」は結構だが、国会議員はあくまでも国民の代表であり、公共の福祉のために活動しているのである(公共の福祉に反しない範囲で支持団体の利益を追求するのである)。また、選挙で公明党に投票したのは学会員だけではないのである。さらに、「結社の自由」といっても宗教法人は他の団体とは違い国から税法上特別に優遇されているのだ(換言すれば、学会の政治活動の一部は国民の税負担に支えられて行われている)。だから、そこには自ずと宗教法人としての節度が求められるはずである。
 そうであれば、党や支持団体を批判したから除名するというのでは、あまりにも独善的で、全体主義的ではないか。この党が表向き国民政党を装いながら、実質は、創価学会(池田大作)の意向ばかりを気にしている"私党"であることを、今回の「公明党参院議員の反乱」は、改めて我々に証明してくれたといえよう。

●公明党は、(※平成17年6月)18日に党の中央規律委員会を開き、福本氏を除名処分に。
 マスコミはこれについて「福本氏が党公認を得られなかったとして離党を表明し、記者会見で公明党を批判したことが、『党の名誉を傷つける行為』に該当すると認定した」(『読売新聞』)と報じた。
 公明党を除名になった国会議員は、「砂利船」や「リクルート」の汚職事件で辞職した議員もいる中、昭和63年に、創価学会との政教一致を批判したことが社会的問題にまでなった大橋敏雄氏に次いで2番目だといわれ、福本氏の言う「全体主義的で、アンチ・ヒューマニズムな政党」とは、具体的に何を指しての発言なのか、福本氏が離党を決意した本当の理由は何かなど、この問題への興味は尽きない。(『慧妙』H19.7.1)




[創価学会と他党支持団体との違いは]
@表向き、政教分離を標榜し"会員の政治活動は自由"だとしながら、実際には、組織的に選挙活動をしている。→一種の詐欺ではないか。
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表向きは"会員の政治活動は自由"だとしながら、実態はそうではない(<政教一致の実態>参照)。このような団体は、他に例がないのではないか。労働組合などの支援団体では、政治活動することが一般的に知られているが、社会的に認知されている。

A「立正安国」の例のように、巧みな教義的洗脳によって"宗教的使命感で選挙活動を自発的にする"ように仕向けられる。
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 これは、宗教的洗脳またはマインドコントロールによって、本来、個人に付与された選挙権を、宗教団体が間接的に行使し、不当に会員の投票に干渉している姿だといえる(<巨大カルト教団>参照)。→投票権侵害
 労働組合などでも、その構成員の意思に反して選挙活動に駆り出される場合もあるかも知れない。しかし、それは人間関係や利害関係等を総合的に判断して本人が自覚して行っているのであるから、洗脳された宗教的信念に基づく活動とは問題の程度が違う。

B個々の政策や政治理念とは無関係に、無批判的に当たり前のように公明党の支援活動が行われている。→これは、前記宗教的洗脳またはマインドコントロールの結果といえる。
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 創価学会が、国民の利益や会員の利益追求のために政策提言をし、政治的行動をすることは自由である。しかし、公明党が安保政策を転換したときや、イラク攻撃を容認したときなど基本政策を転換するようなときでも、ほとんど混乱なく、公明党支援が続けられている(<理念なき御都合主義>参照)。これは何故か。学会員は、公明党の出す政策について自分の頭で考えて共鳴した上で支援しているのではなく、ただただ組織活動の一環として上意下達式に支援しているのである。これが民主的な投票行動といえるのか。選挙は民主主義に基づく政党政治を根底から支えるもので、民意を政治に反映させるための尊い行為である。それが、民主主義とは対極にある全体主義的態様で組織的になされているのだ。
 労働組合では、組合員の地位や生活向上を第一義として政党支援をしている。だから、政治活動の目的がハッキリしている。もし、労働組合が、労働者の利益に反するような政策を進めるようなことがあれば、組合員から大きな批判を浴びるだろう。そこには、良くも悪くも、労働組合を通じて民意の一部が政界に届いているという姿がある。

C一般に、信仰は一生続けるものである。一旦、家族ぐるみで入信すれば、何世代にもわたって行われる場合が多い。ということは、家族ぐるみで創価学会に入会すれば、何世代にもわたって公明党を支援することになる。
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労働組合では、その企業に在籍している期間しか拘束されない。後援団体では家族ぐるみで支援ということもあろうが、それは支援すること自体を目的として、個人の自由意思で活動するのだから問題ない。学会の場合は、信仰と選挙をセットにすることによって、本来個人の自由意思で考え選択すべき投票活動に信仰が何世代にもわたって干渉している。→信仰を利用した"投票干渉"の固定化。

D日常的に組織拡大のための活動をしている。→「布教」の名のもとに選挙活動しているようなもの。
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学会は「折伏」「友好活動」と称して日常的に非学会員と接触し、創価学会を宣伝し入会を勧めている。これは布教活動であるから相手が労働者であろうが実業家であろうが関係ない。ということは、理論上、社会のあらゆる階層に浸透しうる。そして、そのような活動によって入会した人は勿論、布教活動を通して知り合った人も、選挙のときには公明党支持者となる場合が多いのである。創価学会の本質(指導者の本音)が"権力獲得のための政治団体"であったとすれば―宗教団体でありながら、異常なまでに政治に関心をもち、わざわざ政党を作り政権獲得に執着する、そのこと自体がそれを証明しているともいえる―宗教法人であることを隠れ蓑(みの)にして信教の自由と優遇税制を利用して日常的に政治活動(選挙活動)していることになる。このことが、いかなる現行法に抵触するのかは知らないが、少なくとも健全な政治行動とはいえないだろう。


 公明党の基本理念や政策が変わっても、学会員は何事もないように公明党を支援し続ける。これは、創価学会が公明党を支援する本当の目的は何か、という疑問を我々に投げかける。また、学会として政治に関与することを肯定したとしても、わざわざ自前の政党を作る必然性が不明瞭である。
 建前上は「平和」だの「福祉」だのの実現のためだとしているが、そんなお為ごかしの言い訳は最早通用しない。
 この疑問に対して納得できる唯一のキーワードは「総体革命」だ。総体革命とは、学会員が各界に進出し池田大作が国家を支配するための思想である(<総体革命>参照)。創価学会がわざわざ自前の政党を作り、その目的や政治理念、基本政策をしばしば転換させても、ほとんど混乱なく公明党を支援し続ける―この一見無節操な政治行動に納得できる一貫した動機付けを求めるとすれば、"総体革命のために公明党を作り支援している"としか考えられないのである。
 だとすれば、創価学会は、国家支配のために公明党を作り、宗教を利用して会員を扇動し、非民主的な形で会員の投票に干渉している、といえる。

 "解釈改憲"という言葉があるように、憲法でさえ、時代や学者によって解釈が異なる。裁判でも裁判官によって判決が180度異なることがよくある。だから、形式的一般的な見方をすれば、小林氏のいうように「『創価学会政治部』で、それ自体は法的にも政治的にも何らやましいことではない」という見解もありえるのかも知れない。氏が、このように公言するのは、憲法学者としての良心かも知れない。
 しかし、「公明党の『好意的批判者』を自称する」(『週刊朝日』H19.8.17)ほどであるから、わざわざメディアに登場して学会・公明党を擁護する背景には、氏の学会に対する好意的認識が存在するのだろう。
 だがしかし、ハッキリ言って小林氏の学会・公明党に対する認識は表面的形式的に過ぎ、実態とはほど遠い。その実態は、全体主義であり民主主義を根底から覆すものなのである。百歩譲って"宗教団体が政党を作り支援することが合憲"だとしても、創価学会の政治活動の実態は、憲法の精神に反するものなのである。
 小林氏には1日も早く、創価学会・公明党の悪の実態に目覚められ、憲法学者の見地から創価学会・公明党を糾弾するための優れた論理を構築して頂きたいものである。それが国民のためであり学会員のためでもある。






公教育が創価学会の影響下におかれるのは憲法違反(仮題)

―『安倍内閣への徹底批判【5】』より―
(政治評論家・森田実<森田実の時代を斬る>H18.10.10)

 国は宗教教育をしてはならない。国が行う教育は巨大宗教団体・創価学会に支配されてはならない。教育基本法改正への創価学会の関与に関する亀井久興国民新党幹事長の勇気ある質問演説。冬柴国交相は激怒し、自らが権力者であることを隠そうとしなかった。
 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」
 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法第20条)

 いまや「創価学会批判」はわが国の第一級のタブーとなっている。政界においても、マスコミにおいても、創価学会批判を行う者はいない。創価学会批判者はマスコミ界から粛清されてしまった。政界でも、創価学会に睨まれたらオシマイ、という空気がある。ほとんどすべてのマスコミ人が創価学会をおそれている。マスコミは創価学会に支配されているのである。
 選挙とくに小選挙区において公明党候補と戦った民主党候補者は、「2度と公明党候補者と対決する選挙はしたくない」というほど傷ついている。創価学会と戦う者は命がけなのである。創価学会はそれほど強大であり、おそるべき存在になっているのだ。
 国会議員もほとんどが創価学会をおそれている。そんななか、勇気ある政治家が現れた。国民新党の亀井久興幹事長である。
 去る10月5、6日の両日行われた衆議院予算委員会の議論は見応えがあった。とりわけ6日の最後に登場した国民新党の亀井久興幹事長の質問は注目すべきものだった。
 『東京新聞』10月7日朝刊8面の「衆院予算委主なやりとり」は次のように要約している(要約の見出しは「宗教団体の意見反映」)。

《亀井久興氏(国民新党・無所属の会)
 【教育基本法改正】
〈亀井氏〉「愛国心」の表現をめぐり、与党内で難しい調整があったとされる。支持母体の宗教団体「創価学会」の意見が公明党を通じ、反映されているのは見過ごせない
〈冬柴哲三・国交相〉そういうことは全くない。侮辱だ。撤回してほしい。時の政府や権力に迎合する教育が行われるならば阻止しなければならない。》

 私はこのときNHKテレビの国会中継を見ていた。国民新党の亀井久興幹事長の質問は、ほぼ上記の『東京新聞』の要約のとおりである(なお、驚くべきことに、他紙では、亀井久興議員の「創価学会」に関する質問は報道されていない。『東京新聞』だけが真実を伝えている。他の大新聞は「触らぬ神に祟りなし」なのかもしれない)。
 亀井久興議員の発言は正論である。教育基本法の改正が公明党=創価学会の意向で決まるということは、創価学会という巨大宗教団体が日本の教育に関与することである。憲法第20条に照らしてみると、憲法違反の疑いが生ずる。事は重大なことなのである。国民新党の亀井久興議員以外の議員が、この創価学会の公教育への関与という重大な問題を避けているとすると、大いに問題である。
 実は、亀井議員と冬柴国交相のやりとりは、きわめて異常なものだった。冬柴国交相は感情をむき出しにして大声で「侮辱だ。(質問を)撤回せよ」と亀井議員に迫った。
 亀井議員の質問に答えるため答弁席に立った冬柴国交相は、あたかも怒りを抑えるかのように公明党の主張を述べただけで、創価学会のことには触れずに答弁を終えた。ところが、閣僚席にいったん戻ったあと、再び答弁席に立って怒りを爆発させた。亀井議院に向かって「そういうことは全くない。侮辱だ。撤回せよ」と大声を張り上げたのだ。あまりの激しい怒りに予算委員会が一瞬静まりかえった
 これに対し、亀井議員は冷静に「もし事実に間違いがあるなら訂正します」と述べてその場をおさめたが、冬柴国交相の興奮は異様なものだった。あたかも、神聖な創価学会を批判する者は絶対に許さないというような態度だった。

 おそらく、公明党の議員は、創価学会を少しでも批判するものを敵とし、徹底的に反撃する構えで毎日を送っているのであろう。これに自民党議員も同調している。
 民主党も他の野党も(国民新党以外は)創価学会批判は避けている。創価学会をおそれている。亀井久興議員の勇気ある一言は、政界全体が創価学会に従属している姿を、ほんの少しだけ垣間見せたのである。
 それにしても、創価学会のことを一言言われただけで冷静さを失い、烈火のごとく怒り、大臣の座にある者が議員に質問の撤回を求めるというのは、あまりにも異常である。冬柴国交相の傲慢な態度によって、安倍政権の真の実力者が誰であるかが明らかになった。公教育が創価学会の影響下におかれるのは憲法違反である。憲法違反はやめるべきだ。






義務逃れた権利行使は不公平の極み

―学会の実態は"集票・集金組織"―
―学会の本質は紛れもなく「政治団体」―

(『慧妙』H16.8.1)

 「勝ちにけり恐れるものなき創価かな」―7月14日付の『聖教新聞』の1面に大きく掲載された池田大作の「句」である。
 これが、参院選で自民党が惨敗したおかげで、連立政権に対する学会・公明党の影響力が増したことを喜ぶ「句」であることは、いうまでもない。
 だが、宗教法人たる創価学会が政治に関わることについては、憲法第20条の「政教分離原則」への抵触(ていしよく)以外にも、様々な問題点があるのだ。

 7月15日に行なわれた創価学会第40回本部幹部会の席上、会長の秋谷栄之助は次のように発言した。
 「ある新聞は『自民、民主の2大政党と公明党による2+1の時代』の開幕と銘打っていました。まさに、『三国志』の時代に入ったわけです。公明党の使命と責任は、いよいよ重大であります。
 ―このまま自民党の退潮が続き、政権維持が困難になった時には、公明党は、民主党に鞍(くら)替えして新たな連立政権を画策し、その後、自民党が復調したなら、民主党に見切りを付けて再び自民党と連立を組む。いずれにしても、動乱の政治情勢の中で、公明党=創価学会が政権のカギを握り続け、日本を動かしていくのだ―そんな"本音。が伝わってくるような秋谷発言である。
 そして、創価学会は実際に、その集票力を背景に、「(※創価学会の支援を受けた)政治家は信義恩義を忘れるな」と公言するなど、政治への干渉姿勢をどんどん強めてきているのである。
 元創価学会顧問弁護士の山崎正友氏は、創価学会の本質を、その著書『創価学会と水滸会記録』で次のように指摘する。

 「『今日の日本では、経済界も政界も教育界も、組織がガッチリでき上がって、これからのびていく余地は少ない。ところが、宗教界だけは、ちょうど戦国時代のような乱戦状態である。法律でしばる何ものもない。縛(ばく)を解いて虎を野に放ったようなものである。今こそ広宣流布できるチャンスだ。』
 『水滸会記録』には、このような戸田城聖の発言が記録されている。これこそ、創価学会を生み出す根本となった発想であり、創価学会という団体の体質を如実に示す記録である。
 長い間、国家権力に隷属(れいぞく)させられ、押さえつけられた宗教は、戦後新憲法のもとで、途方もない"自由"を与えられた。国家から一切介入されず税金すらかけられない、"治外法権"ともいうべき領域が、突如として我が国の社会に出現したのである。(中略)
 戸田城聖は、この"社会空間"に目をつけたのである。いくつかの教団の失敗を教訓に、"新興宗教"とのあざけりをかわすため、『日蓮正宗』という伝統教団の看板と大義名分を得、実際は、思うがままに活動ができる創価学会をつくりあげていった、その根本目的は、宗教を足場に、"天下盗り"を行なうこと、ただその一点であった。(中略)
 そして、その発想と手法を受け継いだ池田大作は、戸田城聖のような天才的な独創、ひらめきはないが、人並みはずれた権謀術数(けんぼうじゅつすう)と"人間の悪さ"に徹することによって、創価学会に暗い陰湿な体質を加味しつつ、社会の鬼子と呼ぶにふさわしい団体に仕立て上げていったのだ。
 池田大作にとって、日蓮正宗の教義や御本尊が、票操作のための単なる道具でしかなかったことは、『水滸会記録』と、日蓮正宗と絶縁した今日のあり方を見ればよくわかる。
 日蓮正宗から離れた今日、草創期から通じて、変わらずに残っている特質は、"選挙の集票マシーン""金集め組織"ということだけである。
 創価学会は、もともと宗教とは異なった目的のため作られた団体であったが、今、その本性がいっそう明らかになってきたのである。
 創価学会は、始めから『政教分離』の原則を無視することによって得られる有利な立場をめざして、作られているのである。」

 信教の自由を定めた憲法第20条には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とある。
 この条文について、創価学会の在り方はこの規定に抵触する、と批判されるたびに、創価学会・公明党は、
 「そもそも、憲法が定める『政教分離』原則の意味は、憲法が宗教団体の政治活動を禁止しているということではありません。内閣法制局は.『憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が、国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない』(大森内閣法制局長官の国会答弁趣旨=1999年7月15日)としています。
 憲法が規制対象としているのは、『国家権力』の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、なんら憲法違反になりません
」(公明党ホームページ)
と反論してきた。
 要するに、創価学会・公明党は、国民に等しく認められている参政権などの権利を盾(たて)に、"宗教法人にも政治活動をする権利があるはずだ。現に、内閣法制局もそれを認めているではないか"と主張しているのだが、しかし、憲法には次のような条文もあることを忘れてはならない。
 すなわち、憲法はその第12条に、憲法が国民に保障する自由及び権利に対し、
 「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」
と謳(うた)っているのである。
 冒頭に挙げたような昨今の創価学会の言動が、「公共の福祉のため」どころか、政治を私(わたくし)しようという意図の元に発せられていることは、疑う余地もない。創価学会の政治への関与は、もはや権利の濫用の域に達している、と言っても、けっして過言ではないのである。






公明党の功罪を厳しく見つめよ

(桜井よしこ『週刊新潮』H15.11.20抜粋)

 「池田大作さんが日本の天皇になるということですね」
 今回の選挙結果をみてこう語るのは、サム・ジェームソン氏である。氏は長年米紙『ロサンゼルス・タイムズ』の東京支局長を務めた知日派のベテラン記者だ。現在は読売調査研究本部の研究員でもある。(中略)

<自民81人が公明票で当選>
前回の総選挙では公明党は161人の自民党小選挙区候補を支持し、42人が公明党の支持で当選したとされた。今回は支持候補198人で公明党支持による当選者は81人と見られるわけだ。自民党の公明党依存が早いスピードで高まっていると考えなければならないだろう。(中略)

<置き去りにされた憲法20条>
 ジェームソン氏が切り込んできた。
 「なぜ、日本人は憲法20条を置き去りにするのですか。20条は信教の自由を保障し、同時に宗教団体は政治上の権力を行使してはならないと書いているではありませんか。このことを指摘する勇気は、日本人は持ちあわせていないのですか」
 的を射た批判だ。創価学会を好きな人も嫌いな人も、学会が宗教団体として人々の心を支えてきたことは認めるだろう。その意味で学会は、人間の心の救済について他の宗教団体より力を尽くしていることは評価されてよい。しかし、学会が宗教団体の矩を踰(こ)えて政治団体と一体化したかのような現状には、疑問を抱かざるを得ない。自民党が自公連立で事実上公明党化してしまわないためにも、いま、公明党の功罪を、原点に戻って、厳しく見つめよ。






政教一体でも合憲?(仮題)

―「『小泉=池田大作』弾圧政権を監視せよ」より―
(『週刊ポスト』H15.11.28抜粋)

 小渕内閣で自民党と連立を組んだ公明党は、「地域振興券」(※)の配給など、再び利益誘動政策を実現しながら、自民党の中に深く食い込み、政権への野心をたぎらせていく。
 99年10月、公明党の冬柴幹事長からこんな発言が飛び出した。
 「公明党と創価学会が一体だったら憲法が許さないかといえばそうじゃない。私どもは一体ではない。だが、仮に一体であっても憲法はそれを許さないなんていう規定は1つもない。政教分離の政とは政党のことじゃなくて、国家なんだ
 政権党になった公明党の、"もう誰にも政教一致を批判させない"という自信の表われとも聞こえる。
 その意味で、今回の選挙は公明党にとって自民党との一体化の総仕上げだったのかもしれない。

※地域振輿券/65歳以上の住民税非課税の高齢者および15歳未満の子どもを対象に、1人あたり2万円分のクーポン券を支給する制度。自公合意のもと、99年1月から10か月実施された。









宗教法人と税金問題


宗教法人への課税問題


●第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

●第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

●第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

●第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。



【創価学会は政治団体でもある】

【「学会への非課税は隠れた補助金」】

【創価学会の免税特権を剥奪せよ】

【先進国の例】

【「会館の使用は適切」と開き直る学会】
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【創価学会は政治団体でもある】
―会館が選挙運動の実質的な拠点に―

<矢野絢也氏が指摘した創価学会の選挙活動>
◆選挙になると、学会の会館がフル活用されており、選挙対策用事務所として使用される。それに対して、候補者が対価を支払うことはない。
 学会側はそのような使用状況はないと否定しているが、私自身も過去九回の選挙を戦っており、そのたびにお世話になっていたので、何をかいわんや、である。(矢野絢也著『黒い手帖』/『慧妙』H21.6.1)
◆学会員の選挙運動は、次の3段階に分けられている。
 第1段階は「全国交流」。個々の学会員が友人知人、親戚縁者を全国を行脚(あんぎゃ)して訪ね、話し込み、比例区の票固めをする。つまり、遠方から地ならししていく作戦で、電話ではなく、直接訪問が原則になっている。そのためにかかる交通費などの諸経費は、すべて学会員の個人負担である。
 第2段階は「地域交流」。地元の都道府県内の重点選挙区を中心に回る。人脈をたどって戸別訪問するのだ。
 さらに第3段階として「地元交流」がある。「地元交流」はいわゆるご近所を回って、党の候補者への投票を依頼する、最も大切な足元を固める活動だ。
 こうして全国、地域、地元と、3段階の活動を、数回、順ぐりに繰り返す。その結果は、上層部に報告され、状況を把握(はあく)した上層部は、動きが悪いと地元幹部を叱咤(しった)する。(中略)
 こうした選挙活動の拠点になっているのは、全国に大小合わせて1千ヵ所ほどある学会の会館である。
 各都道府県の中心的な会館には、その地域のトップクラスの幹部が集まり、本部から下りてきた活動方針を確認、その後、都道府県内各地の地域ごとの会館に次のクラスの幹部が招集され、方針が伝達されていく。しかし、机上の空論になっては意味がないので、確実に実践されるよう、「連絡、報告、確認」を合い言葉に方針が徹底される仕組みになっている(矢野絢也著『黒い手帖』/『慧妙』H21.6.1)
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こうした活動が、衆参両院、統一地方選、また、東京都議選など統一外の地方議会選挙等で繰り返し行なわれてきた――。(『慧妙』H21.6.1)


<地区座談会で見た"投票練習">
◆今月中旬、創価学会の会館で開かれた地区座談会に誘われて参加し、信じられない光景を見た。座談会には約30人が参加し、終了後もほとんどの人が残った。
 女性幹部が「これから参院選の投票練習をします」といい、投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。1枚には公明党推薦の候補者名を、もう1枚には公明党と書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。「もっとはっきり書いて下さい。」と注意される人もいた。
 読経をし、仏教哲学を学ぶ信仰の場が座談会という。私は友人に頼まれ、福祉や青少年問題の話をするため出席した。年金問題に取り組む公明党の活動PRの紙芝居もあり、「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに今の制度が作られたので責任は菅代表代行にある。」と幹部は説明。1時間半ほどで終わり、投票練習があった。
 税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の選挙活動が行われていることに疑問を持った。そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、私には理解出来なかった。(専門学校非常勤講師・仲田征夫=栃木県西方町62歳「声」『朝日新聞』H19.6.25/<創価学会からの脱会を考える会>
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 投稿者によれば、この座談会が行なわれた場所というのが、栃木県にある創価学会鹿沼南会館という、歴とした学会施設だった、というのだ。
 この会館は、学会でいうところの"県の中心会館"ではない。いわゆる"地域の会館"である。つまり、創価学会は、組織の持つ施設全てを選挙運動のために使っていることが、この投書からも裏付けられたのである。(『慧妙』H19.9.16)


<「合同地区部長会」(H19.3.15)>
今般流出した、香川県の「合同地区部長会」音声データで明らかなように、この学会施設で行なわれた会合は、そのまま選挙の出陣式≠ナ、そこで語られた内容は、選挙活動を即、信仰活動だと信じ切った会員の活動報告や決意表明であり、また、幹部による期日前投票に関する事細かな指示や注意、組織活動に関すること細かな指示であった。加えて、学会幹部も候補者も勝って池田先生に!≠ニ呼びかける。

◆今回の法戦は私自身の人生の大転換を賭(か)けた戦いであります。やるからには中途半端はいかん、何でもさせていただこうと、年頭より自宅を本部拠点に。(某男子部地区副リーダー)
◆支援の戦いに取り組む中、徹底した内部総固めの家庭訪問を行なってまいりました。部員さんの中には不規則な仕事をされている方も多く、何度足を運んでも会えない。私自身悩みに悩み深く祈る中、壮年・婦人部の方の最大のバックアップもいただき、(目標まで)残り3名となり、広瀬候補拡大の戦いをすることができました。必ず1日1日を大切にし、断じて勝利するのだと、さらなる祈りの執念ですべての人を味方に付けてまいります。(同)
◆池田先生は『生死一大事血脈抄講義』のなかで、「願わくば我が弟子等大願を起こせ」を通され、同じ一生であるならば広宣流布のために命を捧げよ、広宣流布の大願は、大聖人直結で、広布大願を受け継いだ初代、2代、3代の師弟の心そのものであります、とご指導されております。
 本日より広瀬圧勝のため、師匠の心を我が心とし、戦う男子部の1人として祈り、動き、全力で戦ってまいります(同)


◆私たちは、県会の投票、市会の投票はできませんが、高松の皆さんと一緒に戦わせていただく喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。また、クレナイゾーンの皆さんには毎週毎週交流のために車で案内をしていただき本当にありがとうございました。(小豆島から駆け付けた某副圏長)
◆小豆島ゾーン、ヨウコウ本部共々、これからが本番だと思って全力で戦ってまいります。私自身も期日前投票に6人の友人と約束ができています(拍手)。高松の勝利は小豆島の勝利、ヨウコウ本部の勝利と決めて、さらにさらに頑張ってまいります(同)


◆(この戦いは)本門の池田門下の初陣であり、本年の3つの大事な戦いの初戦であります。この県会選を断じて圧倒的大勝利で勝ち取り、その勢いで市会選へと戦いを推進してまいりたいと思います。(県長・高橋某)
◆3月26日の2回目の期日前会議を終えると、いよいよ本番に向けて臨戦態勢(りんせんたいせい)となってまいります。(池田)先生が長編詩『広布第一線学会の要(かなめ) 地区部長、地区婦人部長の皆様に最敬礼』の中で示して下さっていますように、地区がすべての戦いの原動力であります。また生命線であります。その意味では全幹部が地区部長、地区婦人部長と一丸となって、毎日闘争で各地区から勝利の旋風を巻き起こしてまいりたいと思います。そして告示の前日、3月29日に、昼・夜と、ここ四国池田文化会館に全活動家が集(つど)い、県会の圧倒的勝利に向けて、広瀬候補とともに総突撃の出陣をしてまいりたいと思います。それ以外は各地区で毎日毎日票を拡大するための現場の知恵で戦いを続けてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。(同)

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高橋某の言う「本年の3つの大事な戦い」とは、1つは統一地方選の前半戦である都道府県知事・道府県議会議員選挙を指し、もう1つは後半戦の区市町村長・区市町村議選を指し、そしてあと1つが、この夏の参院選を指していることは疑う余地がない。そして、その都度、この県議会選挙と同様な「戦い」が繰り広げられ、会館が選挙活動の拠点≠ニして使用されるのである。(以上『慧妙』H19.5.1)


<台東区議選(H19.3.18投開票)>
 統一地方選の前に行なわれた東京・台東区の区議会議員選挙では、学会の会館が公明党候補者の遊説部隊の拠点に使われていたことを示す資料などが流出。
 その資料の中には、学会職員とおぼしき複数の人間が、職員という立場を活用して選挙運動を統括していた、と推認(すいにん)できるものまで混じっていた。つまり、創価学会が職員に割り当てたものとおぼしきメールアドレスが、そのまま選挙運動の連絡用アドレスとして掲載されていたのである。
 また、資料の中には、会館での、出陣式と目される会合の式次第が含まれていた。

◆@勤行A学会歌(威風堂々 指揮:男子部)B各候補者入場Cタスキの儀D各候補挨拶(統監順)E候補者退場FK婦人部長GK区長HI副会長I題目三唱(会館での、出陣式と目される会合の式次第)
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この中の「タスキの儀」とは、1人1人の候補者に、選挙の7つ道具≠フ1つである候補者名が入ったタスキを授ける、ということか――。イスにふんぞり返る池田大作を前に、タスキを掛けた公明党候補者が正座してかしこまる写真が、彷彿(ほうふつ)とするではないか。(以上『慧妙』H19.5.1)

 もちろん、これらの資料は、創価学会が行なってきた選挙活動のごくごく一部の情報が流出しただけに過ぎない。実際にはこれらと同じ活動が、様々な選挙ごとに、全国各地で行なわれているのである。
 そして、それに対して公明党は、何の費用負担もしてこなかった、と矢野氏は言う(参照)のである。
 これらの動かぬ事実について、創価学会はどう説明する気なのか。
 これらの事実について、もし、「政教一致である」との批判を跳(は)ね返せるだけの理があると思っているなら、民主党をはじめとする野党の求めに応じ、否、自ら率先して、矢野元公明党委員長、福本潤一元参議院議員などと共に、原田稔、池田大作が国会に足を運び、そこで矢野氏らと白黒を着けるべきであろう。
 それができないとすれば、創価学会は、自らの活動が政教分離の原則に反する違憲行為だと認めたも同然だ。
 池田大作よ、今こそが対決の時だ!(『慧妙』H21.2.1)

[画像]:選挙となれば、学会の会館は"選対事務所"と"支援者集会場"に早変わりする。それを裏付ける資料が、これまでに数々流出



【「学会への非課税は隠れた補助金」】
―実態に見合った適切な課税を!!―
(『慧妙』H19.5.1)

●憲法20条に「信教の自由」という規定がありますが、その中には宗教と政治の分離の規定が含まれています。
 また憲法89条には、税金の使い方の問題ということで、宗教団体には公金を支出してはいけない、という規定があります。これは、税の面から憲法20条の政教分離原則を担保するための条項です。
 こうした憲法規定に照らし合わせたとき、学会の選挙活動には税法上問題がある、と指摘せざるを得ません。(日本大学法学部名誉教授・北野弘久『慧妙』H19.5.1)
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 北野教授によると、現行税法において、宗教法人が、所定の収益事業収入を除く収入の全てと、本来の用に供する固定資産について非課税とされているのは、宗教は人々の「精神生活の豊かさ」「心の平安の確保」などの点で高度な公共性・公益性を担(にな)うと認められ、また、そうした人々の精神生活の領域には、原則として徴税権力が介入しないこととした方がよいからである、と解(かい)されているという。
 しかし、宗教法人が宗教活動以外の活動――たとえば選挙活動をし、そのために施設を使用したような場合には話は別、と、次のように指摘する。

●アメリカでは、国税庁が宗教団体の活動実態を調べた上で、個別に免税特権を与えるかどうかを決めています。つまり、宗教法人であっても、政治活動や営利事業を行なっている実態があれば、免税特権を剥奪(はくだつ)されます。例えば、牧師が一市民の立場で自分の政治信条に従って活動することは認められますが、教会の牧師という立場で話したことが分かれば、免税特権を剥奪されます。それほど厳格に政教分離が行なわれているのです。
 これに対し日本では、実態がどうあろうと、宗教法人の施設であれば、基本的に課税されない現実がある。
 ただ、固定資産税や都市計画税は、固定資産についての現況課税の租税であり、地方税法408条は、当該物件に対する課税庁の毎年の実地調査を義務付けていますから、たとえ、それが宗教法人の施設であろうと、利用状況を精査した上で、課税・非課税を決めなければならないはずなのです。(日本大学法学部名誉教授・北野弘久『慧妙』H19.5.1)

となれば、今年のように、統一地方選挙から参議院議員選挙まで、その準備期間を含めれば半年以上、会館が選挙のために利用されると推測できる状況では、実地調査がなされて当然、ということになる。この点について北野教授は、

●そういう実態があり、これに対して実地調査が行なわれない、当然ながら課税もされない、ということになれば、それは「適用違憲」ということになります。
 つまり、本来なら課税すべきところを課税しないというのは、税額相当分を宗教法人に補助≠オたことになる。私はこれを「隠れた補助金」と呼んでいますが、これは宗教法人に対する公金の支出を禁じた、憲法14条・20条・89条に抵触することになり、非課税規定を適用すべきでないのに、同非課税規定を適用することは「適用違憲」ということになるのです(日本大学法学部名誉教授・北野弘久『慧妙』H19.5.1)

と語り、さらに、

●こうした状況は、関係自治体の不作為の違法――本来行なうべきことを行なっていない違法な状態――ということになり、関係自治体は即刻、調査に入って、追徴課税すべきですし、もし過去にも同じ状況があったとすれば遡(さかのぼ)って調査し、追徴課税が必要なら、即刻課税するべきなのです。
 もし自治体がこれを行なおうとしないならば、取るべき税金を取らないことになり、公金の管理を怠(おこた)ったことになって、住民監査請求の対象になり得ます。場合によっては住民訴訟の対象にもなるでしょう(日本大学法学部名誉教授・北野弘久『慧妙』H19.5.1)

と指摘する。北野教授はさらに、学会職員等の選挙運動に関しても問題があるという。

●彼らが、学会職員の立場で選挙活動を行なっていたとすれば、これも問題です。専従職員ではなくても、たとえば交通費などを支給されている幹部も同様です。彼らに支給されていた給料や手当の一部は、施設の固定資産税同様「隠れた補助金」に該当する、といえるでしょう。(日本大学法学部名誉教授・北野弘久『慧妙』H19.5.1)



【創価学会の免税特権を剥奪せよ】
―論議すべき政治宗団への処遇問題―

●現行法において、宗教法人が政党活動をし、それに政治資金を出せるということはそのとおりでございましょう。しかし、私はあくまでも、宗教法人が無税の金を収受して、それを政治活動に使うのは適法であるということは税の世界から見ていかがなものであろうかということを感ぜざるを得ないということを申し上げておきたいと思います。(参議院議員・楢崎泰昌/第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会H7.11.30)

 憲法はその第12条に、憲法が国民に保障する自由及び権利に対し、
 「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」
と謳(うた)っているのである。(中略)
 権利の濫用といえば、「宗教法人」として、法の恩恵を十二分に受けている創価学会が政治活動をすること自体、すでに権利を濫用している、ともいえる。
 そもそも「法人」とは、一定の要件を満たした各種団体に対し、「財産権」など、「人」としての権利を認めると同時に、「納税」等の義務を負わせる法律制度である。
 しかるに「宗教法人」は、その公益性から、宗教活動に伴う「布施」等の収入に関しては非課税とされ、また、その法人が営利事業を営んでいる場合でも、その事業収入の27%は宗教活動への「寄付」と見なされ、非課税扱いにされるほか、税率も軽減されている。宗教法人とは、それほど特別扱いされている「法人」なのだ。
 ところが創価学会は、合法的に納税の義務を免れておいて、政治活動という権利だけは、人一倍に行使している。ここに問題があるのは、言うまでもなかろう。
 こう書くと、"法律上、宗教法人は「非課税」とされているのだから、税金を納めていないことを問題視する方がおかしい"と反論する学会員も現われよう。
 だが、その面々にはぜひ、参院選前に問題とされた「年金未納議員」のことを思い出してほしい。「未納議員」の中には、制度上、必ずしも納入しなくてよい時期に納入していなかった者もいたが、世論の趨勢(すうせい)は、「任意加入であろうとなかろうと、収めるべきものを収めた者だけが政治的主張をせよ」というのではなかったか―。
 いずれにしても、政治に積極的に関わろうとする宗教法人に対しては、免税特権を廃止するなどの法的措置を執(と)らなければ、著しく公平性を欠くことは間違いない。(『慧妙』H16.8.1)



【先進国の例】
 96年、たまたま筆者が大蔵省主税局の担当官に質問したところ、彼は色をなして反論した。
 「全世界どこでもとはいわない。少なくとも先進国では一貫して宗教活動に税をかけていない。日本が宗教活動に課税すれば国際問題になる。この点について論議する余地はまったくない」
 だが、実際は違う。国立国会図書館がオウム事件の発生後にまとめた仏、英、独、米の宗教団体法制と税制についてのレポートを見ても、日本のようにいったん宗教法人として認証したが最後、自動的に非課税を続けるような甘い国はないのだ。(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H16.5.1)

<アメリカの場合>
 アメリカの場合、登記簿上宗教法人であっても、例えば教会の牧師が日曜の礼拝時に「ブッシュさんを応援したらどうか」と言った場合、当該教会が「政治活動をした」と認定されかねず、すぐに内国歳入庁(日本における国税庁)などに報告が行く。そして、ことの真偽について徹底的に調査し、実態を判断していく。一市民として牧師個人がいろんなことをやるのはいいが、組織を挙げて選挙運動をやるとか政治献金をするとか、あるいは営利事業を行った場合には宗教団体の枠を超えたことになり税法上の保護を与えない、という制度が出来上がっている。
 公益団体、公益法人等の認定を受けたものであっても、営利事業によるものと認定された収益には普通法人と同じ税率で課税する。公益法人の製品も同じく市場原理に基づき流通する。福永法源の本であろうと池田大作の本であろうと、宗教学の学術書であろうと税率に変わりはない、という論理であって、こちらの方が実態に即した課税方式であるように思われる。立法論的には日本もそうすべきなのではないか。(日本大学教授・北野弘久『諸君!』H12.5)
 アメリカでも法人格の取得と税法上の特典とは別である。課税庁の審査には形式面と実質面の2つがある。形式面の審査では、@教団は設立者から独立した存在になっているか、A教義や礼拝の施設は整備されているか、B日常的に礼拝が行われているか、C宗教団体として活動実績があるか、D教典や戒律を持っているかなどがチェックされる。
 実質面の審査では、@教団は教主などに私物化されていないか、A政治団体化していないか、B営利団体化していないかが要件になる。新設団体に対しては形式面から、既存団体の定期審査は実質面から行われ、ふつう違反が疑われる場合にも警告程度ですますようだが、過去、政治団体化を理由に免税資格を取り消したクリスチャン・エコーズ教団事件などがある。創価学会がアメリカでも日本と同様に政治進出すれば、政治団体化を理由にまちがいなく免税資格を取り消されることになろう。(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H16.5.1)

<フランスの場合>
 新宗教はカトリック、プロテスタント、ユダヤ教とは別扱いされ、結社法の第1章によりほとんどが「届け出社団」になる。「届け出社団」になっても、法と良俗に反する不法な動機、もしくは目的のために設立された社団、また国や共和国政府に対する攻撃を目的とする社団は無効とされる。現にクリシュナ意識国際協会は社会秩序の観点から儀式と集会を禁止されたし、また「届け出社団」になることが直ちに税法上の優遇措置をうけられることにもならない。
 さしずめオウム真理教(アレフ)なら届け出社団になることさえ許されないだろう。創価学会に対してもカルト教団的な疑いを消し去ってはいない。カトリック、プロテスタント、ユダヤ教という伝統教団だけを特別にくくり、仏教系や他の新宗教を別扱いすれば、日本ではたちまち信教の自由違反、宗教差別と大問題になるだろうが、政教分離の国、フランスでさえ国の伝統と事情といった特殊性を堅持しているのだ。(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H16.5.1)

<ドイツの場合>
 ドイツでは宗教団体が法人格を取得しても、州課税庁の免税資格審査に適わなければ税の優遇は受けられない。日本でいうなら、文部科学省が創価学会を宗教法人として認証しても東京都に固定資産税を課税するかしないか、審査権限があることになる。龍年光氏などが提起した前記の裁判では「課税すべし」との判決が出る可能性は十分あるというべきだろう。
 ドイツでの課税、非課税の基準は「租税通則法」で定められ、団体の活動が公益目的に適っているか否かが審査される。「公益目的」とは非営利的に公衆の福祉を追求することである。しかも、たとえ宗教団体の収支に余剰が生じても、それをメンバー間で配分してはならず、またその資金を直接、間接に政党に支出してもならない。資金を銀行などに積み立てることについても、制限を加えている。
 免税の資格審査では法人の所得内容が入念にチェックされる。免税資格を得た後も3年ごとに課税庁に帳簿を提出の上、審査を受けねばならない。過去、カッセル財政裁判所は統一教会に公益性を認めず、法人税の非課税扱いを拒否している。日本の教団の中には「信教の自由の侵害」を言い立てて帳簿の提出さえ拒む例があるが、そういう甘ったれた言い分に対しては、非課税特権を剥奪しなければならない。(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H16.5.1)



【「会館の使用は適切」と開き直る学会】
―ならば、国会の場で白黒をつけよ!!―
(『慧妙』H21.6.16)

 ところが、この問題の元来の当事者である創価学会は、政治・メディアの沈黙をいいことに、"開き直り"ともいえるような主張を展開している。
 それは、6月4日付の『聖教新聞』に掲載された、学会最高幹部による紙上座談会--「学会の会館は『安心の灯台』」との大見出しが打たれたその座談会での、元東京都議・龍年光氏(故人)が起こした裁判に関する、次のやりとりである。
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〈棚野(男子部長)〉一方で裁判所は、学会の支援活動における会館の使用実態について"社会通念に照らして「もっばらその本来の用に供している」といえる"と明確に認めた。
〈杉本(婦人部長)〉要するに"学会の会館は、選挙の時期にも、宗教団体の施設として適切に使用されている"と認定されたわけですね。当然の判決ですよ。
〈金沢(総東京長)〉竜のやつが騒ぎ回った結果、かえって裁判でも、学会の正義が、一いっそう明瞭、明確になった(笑い)。まさに「墓穴」だ(爆笑)。
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 龍年光氏が学会施設の使用実態を証明しきれなかったことをもって、文字どおりの言いたい放題だ。
 だが、学会がこのように胸を張るのであれば、その活動に疑問を呈している矢野絢也氏、元公明党参議院議員の福本潤一氏を国会に招致することに異存はないはずだ。
 というよりも、それによって、公(おおやけ)の場で学会の正当性を証明できるのだから、むしろ自ら積極的に招致を働きかけるべきだろう。
 それにも拘(かか)わらず、参議院の審議における再三の招致要請が未(いま)だに実現していないのは、いったいどういうことなのか。
 創価学会よ、姑息な言い逃(のが)れはたいがいにして、いざ国会の場で白黒をつけよ!






ならば「創価学会」からもっと徴税せよ

−人心を惑わし政を行い、営利を貧る「実体」なき宗教法人に税制優遇措置を与えてはならぬ−
(日本大学教授・北野弘久『諸君!』H12.5抜粋・編集)

私は東京都における最大の不公平税制が未だ放置されたままになっていることを指摘しておきたい。創価学会に対する課税問題である。

<創価学会は「宗教法人」ではない>
―宗教法人の適格性―
そもそも、なぜ税法は宗教法人についてさまざまな税法上の特典を与えているのかといえば、もし当該宗教法人が真実の宗教団体であれば、人々の内心の精神生活の安定や豊かさの確保、という大事な仕事を国家に代わって守る活動を行っているのだから、その活動が高度の公益性を帯びていることになり、したがって様々な税法上の優遇を与える理由がある、といった考えに基づいている。

―学会が宗教法人でない理由―
・創価学会が1991年に日蓮正宗からその信徒団体を破門されたという事実がある以上、いまの創価学会を宗教団体として法的に根拠付けるものがない。日蓮正宗から東京都知事には「破門した」という通知が公式に出されている。1995年12月の宗教法人法改正後、所轄が文部省に移管された後には同じく日蓮正宗から文部大臣に対し「創価学会には宗教団体の実態はない。解散命令手続きをしてほしい」といった文書も出されている。
・厳密にいえば、独自の教義も、ご本尊も、教師も存在しない
創価学会が池田大作氏を中心とした政治権力の奪権闘争を「組織的に」行っている団体だ。より具体的には、集会を開いての選挙活動や票集めを専ら行っていることを指している。
・いわゆる「財務活動」といった形を含めて、各種の営利事業活動を営み、その収益を前記活動の資金としていることも含まれる。
いやがらせが日々、さまざまな人の身に起きている。
・営利企業と同様の、ある意味では営利企業以上に「土地ころがし」を行って、周辺地価の高騰をもたらし人々の生活に大きなデメリットをもたらしている。
・温泉地などに一流ホテル並みの数多くの「研修所」等をつくっている。
・実質的には営利活動と異ならない活発な「宗教活動」を行っている。
・一部幹部が宗教法人の財産を私物化して利用している。
・実質的には半強制的な形で、巨額の「寄金」を当該宗教法人の会員等から収受している。

 これらの行為は断じて本来の宗教的活動ではない。誰の目からも明らかな、組織的な政治団体、営利団体としての活動だ、ということである。
 また、本来その宗教に接することで豊かな精神生活を営んでいるはずの信者に、歪んだ憎しみを抱かせ、時に人として許されない行為を行わせてしまう−。そんな宗教法人は絶対に「真実」の宗教団体としての要件を満たしているわけがない。
 であれば、登記簿上は宗教であっても、宗教団体の実態を持っていない組織に対して、税法上の特恵措置を適用するだけの合理的理由はない
 創価学会は「形式的」にも「内容的」にも宗教団体の実態を備えていない。そのため各種の非課税規定などの適用を受けうるだけの根拠がない。このような組織に非課税規定などを適用することは、学問的に「適用違憲」を構成する(違憲には「法令違憲」と「適用違憲」との2つがあり、宗教団体の実態をもつ組織について一般的に非課税などにすることは違憲ではないが、そのような実態を持たない組織に非課税などの規定を適用することは、具体的に憲法14条、20条、89条等に違反する。このような違憲を「適用違憲」という)。
 したがって、都は現行法のもとでも、創価学会の実態に鑑みて課税を行う義務があり、その義務を怠っている知事は「不作為の違法行為」を行っていることになる。


<創価学会への適正な課税>
―学会施設に適正な固定資産税を―
 では具体的に何をすべきだろうか。
 まず、固定資産税をきちんと課さなければならない。
 土地については宅地並評価を行い、建物についてもきちんとした時価評価を行い固定資産税を課税すべきである(前記・龍氏らの住民監査讃求については都の監査委員が何の調査もせずに却下してしまったので、現在は「宗教団体の実態を持っていない創価学会の固定資産に対して課税しないのは違法である」ことの確認を求めて東京地裁に提訴している)。
 また、それら創価学会の建物内部の施設は償却資産にあたるため、厳密にいえばこちらにも固定資産税をかける必要がある。

―機関紙『聖教新聞』―
 これは宗教法人の収益事業として法人税の申告が行われているようである。しかしその税率が非常に低い。法人税の基本税率は30パーセントなのが22パーセントとなっており、さらに新聞発行によってあげた収益を創価学会本体の公益事業のために寄付した場合ば寄附金控除が行われ、実質的には17.6パーセントにまで下がる。
 しかしこの軽減税率は、憲法20条で禁じている「特権」に該当し、厳密にいえば「かくれた補助金」、一種の「公金支出」にあたるのではないか、と私は考える。ただ、これは創価学会だけの問題ではなく、軽減税率制度自体が宗教法人一般について「法令違憲」である可能性が高い。つまり、他の宗教団体であっても、普通法人の株式会社なみに法人税の通常の税率で税を納めるのが適当なのではないか。現行法上では、この税率はそのまま法人住民税の税額に影響を与えるため、いわば二重の軽減措置になっている。

―株式会社「創価学会」への課税―
 宗教法人としての実態を備えていない団体には、株式会社なみの法人税・住民税、事業税を課せばいい。事業税については、石原新税と同様に外形標準課税方式を導入することも、理論的には十分検討する余地がある。法人税の問題は国税庁の問題であるが、住民税、事業税の問題は自治体の問題である。都知事としては、固定資産税の他に、住民税、事業税等についても検討する必要がある。
 このように創価学会に対する税制優遇をなくしてしまうと、その宗教を奉ずる人々が不利益を被るのではないか、といった批判が出てくるであろう。しかしそれは全くあたらない。形式的にも内容的にも宗教法人でない巨大法人からきちんと税を徴収し、それを、一般市民に還元する。創価学会の信者全体、社会全体への利益還元率は圧倒的に高くなる。
 また、課税する、ということになった時の徴税コストだが、これはほとんどかからない。やることといえば、創価学会に納税通知書を送るだけ。固定資産税についていえば、東京23区内は知事の権限であり、23区外は市町村長の権限。法人住民税と法人事業税は知事でできる。
 創価学会に対する前記の適切な課税−。これは現行法で十分対応しうる施策なのだ。外形標準課税とは違って、都税条例の改正も必要としない。つまり、石原氏が決断すればすぐにでも実行に移すことのでぎる、天下の妙手なのである。


<アメリカの場合>
 アメリカの場合、登記簿上宗教法人であっても、例えば教会の牧師が日曜の礼拝時に「ブッシュさんを応援したらどうか」と言った場合、当該教会が「政治活動をした」と認定されかねず、すぐに内国歳入庁(日本における国税庁)などに報告が行く。そして、ことの真偽について徹底的に調査し、実態を判断していく。一市民として牧師個人がいろんなことをやるのはいいが、組織を挙げて選挙運動をやるとか政治献金をするとか、あるいは営利事業を行った場合には宗教団体の枠を超えたことになり税法上の保護を与えない、という制度が出来上がっている。
 公益団体、公益法人等の認定を受けたものであっても、営利事業によるものと認定された収益には普通法人と同じ税率で課税する。公益法人の製品も同じく市場原理に基づき流通する。福永法源の本であろうと池田大作の本であろうと、宗教学の学術書であろうと税率に変わりはない、という論理であって、こちらの方が実態に即した課税方式であるように思われる。立法論的には日本もそうすべきなのではないか。


<宗教法人法などのさらなる改正を>
 しかし、これだけでは不十分である。創価学会に限らず、不明朗な会計、莫大なる収益事業を営んでいながら、宗教法人としての認証を受けているために国の介入を免れている団体は枚挙にいとまがない。
 この現状を少しでも正すためには、宗教法人法などのさらなる整備が必要となってくる。私は1995年の宗教法人法改正に際し、国会に参考人として呼ばれ、この点を指摘したことがある。
 宗教法人法はオウム真理教事件を踏まえて改正された。新たに義務づけられた収支計算書、財産目録、役員名簿など関係書類の提出によって、各宗教団体の実態をよりしっかりと把握するための改正が行われた。
 これに加えて、さらに次のような改正を行うべきなのではないか。
 まず税制面について。
@現行の法人税における収益事業の範囲を、公益法人等の種類、性格、規模等をふまえて具体的に類型化し、まさに宗教法人の実態にふさわしい収益事業の範囲を具体的に規定する。こうすることで、権力が土足で宗教活動に介入できなくなり、結果として人々の信教の自由を守ることになる。
A収益事業に対する法人税率を普通法人なみに引き上げる。
B宗教法人会計基準を制定し、公認会計士の監査を義務づける。ただし、当分の間、一定規模以上の大宗教法人のみに監査を義務づける。大宗教法人については公認会計士の監査を受けたもののみについて非課税などの税法規定を適用する。監査の結果を開示する。
Cお布施で集めた金銭を政治活動などに使った場合は、その部分を収益事業として課税する。また一定の要件を充足する金融収益を収益事業として課税する。
Dその宗教法人の実態が宗教団体でないとみられる場含には、会社等の普通法人として扱うことを税法で明文化する。

 つぎに、宗教法人法そのものについて。
@宗教法人の「認証」後、1年以内であれば「認証」の取り消しができることになっているが、これを3年とする。3年間じっくりと観察することで、その実態がわかるはずである。
A宗教法人が宗教活動と関係のない営利事業等を行う場合には、当該宗教法人とは別組織で行うことを明文化する。
Bその宗教法人の実態が営利事業団体、政治団体等とみられる場含には、「認証」の取り消し、「解散命令」請求等の事由になることを明文化する。






世間欺(あざむ)く学会に実態に即した課税を

―学会の本質は紛れもなく「政治団体」―
―創価学会の免税特権を剥奪せよ―
―論議すべき政治宗団への処遇問題―

(『慧妙』H16.8.1)

 憲法はその第12条に、憲法が国民に保障する自由及び権利に対し、
 「国民は、これを濫用(らんよう)してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」
と謳(うた)っているのである。(中略)
 権利の濫用といえば、「宗教法人」として、法の恩恵を十二分に受けている創価学会が政治活動をすること自体、すでに権利を濫用している、ともいえる。
 そもそも「法人」とは、一定の要件を満たした各種団体に対し、「財産権」など、「人」としての権利を認めると同時に、「納税」等の義務を負わせる法律制度である。
 しかるに「宗教法人」は、その公益性から、宗教活動に伴う「布施」等の収入に関しては非課税とされ、また、その法人が営利事業を営んでいる場合でも、その事業収入の27%は宗教活動への「寄付」と見なされ、非課税扱いにされるほか、税率も軽減されている。宗教法人とは、それほど特別扱いされている「法人」なのだ。
 ところが創価学会は、合法的に納税の義務を免れておいて、政治活動という権利だけは、人一倍に行使している。ここに問題があるのは、言うまでもなかろう。
 こう書くと、"法律上、宗教法人は「非課税」とされているのだから、税金を納めていないことを問題視する方がおかしい"と反論する学会員も現われよう。
 だが、その面々にはぜひ、参院選前に問題とされた「年金未納議員」のことを思い出してほしい。「未納議員」の中には、制度上、必ずしも納入しなくてよい時期に納入していなかった者もいたが、世論の趨勢(すうせい)は、「任意加入であろうとなかろうと、収めるべきものを収めた者だけが政治的主張をせよ」というのではなかったか―。
 いずれにしても、政治に積極的に関わろうとする宗教法人に対しては、免税特権を廃止するなどの法的措置を執(と)らなければ、著しく公平性を欠くことは間違いない。
 山崎氏は、この宗教法人の政治活動と非課税問題についても、『創価学会と水滸会記録』で、

 「『天下盗り―(創価学会会長なかんずく池田大作が)総理大臣になること』を最高目的とし、そのための戦略を緻密(ちみつ)に描き、それに向かって組織をあげて取り組んでいる創価学会が、なせ"宗教団体"として法人格を与えられ、また、日蓮正宗から破門されて本尊と教義を失った後もそのままでいられるのか、理解に苦しむ。
 我が国の宗教行政の"いいかげんさ""でたらめさ"を示す証拠の代表的な事例が創価学会の"宗教法人格"である。
 "広宣流布"などと、仏教用語でカムフラージュするが、それはあくまで偽装にすぎない。本質は一貫して"天下盗り"のための政治集団であり、無税で金集めをするための手段である。
 一時、税金のがれのため宗教法人を利用したりすることがはやったし、暴力団までもが世を欺(あざむ)くために宗教法人を悪用したこともあったが、宗教を他の目的のための"仮面"や"手段"に使うことは、創価学会がその草分けといえよう。
 今、あらためて、創価学会の宗教法人性が問われなくてはならない。
 なぜなら、"宗教"ということで、税法をはじめ数々の恩典・特権を享受(きょうじゅ)しながら、そこで得た財力や組織力を政治活動に転用するのを許すということは、このような恩典にあずからぬ他の政党や政治家に対して甚(はなは)だ不公平であり、政治の世界で特権を認められていることになるためである。
 もし、自民党にも民主党にも、創価学会と同じように、人々をマインドコントロールし、何の制限もなく金を集めることが認められたら、選挙における創価学会の威力などなくなってしまうに違いない。
 今、この国では、宗教の場で集めた金や組織力を、政治活動に転用することを厳しく制限する立法が必要である」

と指摘する。
 今、議論となっている憲法改正論議で、公明党の立場は「加憲」だという。現在の憲法に欠落している部分を加えていくのだ、という。
 ならば、公明党が真っ先にしなければならないのは、
 「宗教法人法により非課税等の特権を享受している団体は、一切の政治活動をしてはならない
との条文を、憲法20条に加えることだろう。
 また、この重大な問題を、一人でも多くの人々が認識し、学会・公明党の在り方を糺(ただ)すことが、日本の政治にとって必要なことである。






創価学会問題への認識の甘さ露呈した「課税問題」訴訟

(乙骨正生=ジャーナリスト『フォーラム21』H16.5.1編集)

 創価学会問題に関して東京地方裁判所は3月25日、龍年光元公明党都議会幹事長らが原告となって求めた、東京都が都内の複数の創価学会施設に固定資産税等を賦課徴収しなかったことの違法性の確認を求める訴訟で、原告らの請求を斥け、実質的に創価学会の選挙支援活動を是認する判断を示した。
 今日、日本の政治体制は自・公連立体制となっており、創価学会はこの体制を創価学会が日本を動かす「日本の柱」体制と位置づけている。特定の宗教団体が日本の政治を左右する。こうした政治状況が憲法20条規定の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」に抵触することは明白である。
 その自・公連立体制を下支えしているのが、昨年11月の衆院総選挙で公明党比例区873万票を獲得した創価学会の集票力である。その創価学会の選挙支援活動を、今回、東京地裁が実質的に是認したことの意味は重大である。


【原告の主張】
@創価学会は平成3年に日蓮正宗から破門されたことで、宗教法人の構成要件である本尊や教義を喪失するとともに、宗教法人の設立目的にも反した。したがって創価学会は「宗教団体としての実体を有して」いない。
A創価学会は恒常的に政治活動である選挙支援活動を組織的に行っており、「専ら宗教活動に供される」ことで税法上の優遇措置を受けている会館等の宗教施設を選挙支援活動に使用している。また、宗教行事にも使用していない。
Bそれゆえ東京都が都内の創価学会施設に課税しなかったことは違法である。


【被告の主張】
@創価学会に宗教団体・宗教法人としての実体があるかないかを認定するためには、教義・信仰の内容についての判断が不可欠であり、信教の自由の保障を掲げる憲法の要請上、裁判所は教義・信仰の判断に介入することはできないことから、本件訴訟は「法律上の争訟」にあたらない不適法な訴訟である。したがって訴え自体を却下すべき。
A日蓮正宗との関係が創価学会が宗教法人であるための法的な条件ではない。したがって日蓮正宗から破門されたからといって宗教法人性が失われるとの法的根拠はない。宗教上の正統性の争いによって教団が分裂し、それぞれが宗教団体として存続することは宗教史上の通例である。
B創価学会の各会館では各種の宗教活動が行われており、宗教施設としての性格を有している。また創価学会の選挙支援活動は限定的かつ副次的な活動に過ぎず、会館の選挙活動での使用もほとんどない。
Cしたがって原告の請求には根拠がない。

裁判の過程で原告側は、創価学会の選挙マニュアルや指示文書、東京都町田市の創価学会組織の総会ビデオなどを証拠として提出。また創価学会の元幹部活動家を証人に立て、本来、宗教活動に供されるべき会館で政治活動が行われていたことを立証、賦課徴収の懈怠違法の確認を求めた。これに対して被告の東京都側は創価学会の全面的な支援・協力のもと、会館の使用実態を示す台帳や各種の資料、原田稔学会本部事務総長(副理事長)をはじめとする各区の最高幹部を証人に立て、原告らの請求を斥けるよう求めた。ちなみに口頭弁論には毎回、複数の創価学会弁護士が顔を見せていた。


【地裁の判断】
―宗教法人の組織的選挙は問題視―
 こうした経緯を踏まえて示された判決において裁判所は、同訴訟が「法律上の争訟」にあたらないとする被告の主張は斥けたものの、「創価学会が本件で問題となっている平成5年ないし平成12年の間において創価学会が宗教法人として認証された団体であった以上、日蓮正宗との関係がどのようなものであったかにかかわらず、創価学会が非課税規定の適用を受け得ないものであったとはいえない」と判断。また、宗教の分裂と正統性の主張は歴史的に珍しいものではなく、その正統性を裁判所が判断することはできないし、原告らの主張は日蓮正宗の宗教的正統性を前提にしたものであり、その前提は法的判断の対象とならないことから法的主張としてなりたたないとして、「創価学会が宗教団体としての実体を有していない」ことを根拠に、東京都が固定資産税の賦課徴収を怠ったことの違法性の確認を求めた原告の主張を斥けた。
 さらに裁判所は、宗教施設である創価学会の会館が政治活動・選挙支援活動に使用されており、非課税の要件である「宗教法人が専らその本来の用に供」さねばならないとの趣旨に反しているとの原告の主張についても、「日本国憲法に政教分離の原則がうたわれていることによれば、政治と宗教が密接な関係を持つことには慎重にならなければならないところであり、宗教法人が国民に直接影響を与えるような選挙活動を直接かつ組織的に行うことには問題がないわけでもなく、そのような活動を宗教活動の一環と評価することはためらわれるところである」と、一般論として宗教団体が国政の帰趨を左右するような選挙支援活動を行うことには問題があるとの認識を示したものの、現行の創価学会の選挙支援活動の程度が、創価学会が主張するような部分的かつ限定的な範囲にとどまる限りにおいては是認できるとし、創価学会は会館を「専らその本来の用」に供していないから課税しなかったことは違法だとする原告らの主張を斥け、その請求を棄却した。


【木を見て森を見ない判断】
 裁判所は、宗教団体の政治活動について、「日本国憲法に政教分離の原則がうたわれていることによれば、政治と宗教が密接な関係を持つことには慎重にならなければならないところであり、宗教法人が国民に直接影響を与えるような選挙活動を直接かつ組織的に行うことには問題がないわけでもなく、そのような活動を宗教活動の一環と評価することはためらわれるところである」と判示している。
 すなわち憲法の政教分離原則に則るならば、「政治と宗教が密接な関係を持つことには慎重にならなければなら」ず、「宗教法人が国民に直接影響を与えるような選挙活動を直接かつ組織的に行うことには問題がないわけではな(い)」。そしてそのような選挙支援活動を宗教活動の一環と認めることはためらわれるというのである。
 では、創価学会が宗教活動の社会的表象であると位置づける政治活動・選挙支援活動はこの判断に当てはまらないのだろうか。
 昨年11月の総選挙の最大の争点は自・公連立政権の維持VS自・公政権打倒による政権交代だったが、選挙結果が招いたのは、創価学会票による自民党候補の当選=自・公連立政権の維持だった。すなわち創価学会票が政権の帰趨を左右したのである。
 こうした政治状況は、平成11年の自・公連立体制成立以来、一貫して続いており、創価学会の選挙支援活動のもたらす結果は、ダイレクトに「国民に直接影響を与え」ている。にもかかわらず裁判所は、原田稔学会本部事務総長らの証言や書証をもとに創価学会の選挙支援活動は、選挙の告示前後を通じて2ヵ月程度のものであり、かつ会館での支援活動は各種会合での支援の呼びかけや立候補者の幕間挨拶程度であるとして、「創価学会において行われている『支援活動』と称する活動は、原告の主張するような組織的選挙活動という程度には至っていない」「支援活動と称する活動が現在の範囲にとどまる限りにおいては、会館の利用が『専らその本来の用に供する」ものといえないことにはならない」として、現行程度という前提はつくものの創価学会の選挙支援活動を実質的に是認したのだった。
 当然のことながらこうした判断にいたる経緯の中で、裁判所は、原告らが提出した証拠や証人の証言の価値や証拠能力を低く見積もる一方、被告側の証拠ならびに証言の証拠能力は高く評価しているが、この点も問題である。
 例えば本誌の平成15年10月15日号の特集「創価学会の選挙戦―公明党支援活動の構造」でも紹介した東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」についての評価も、浅見茂東京長をはじめとする各幹部や活動家の話のほとんどがすべてが政治活動と選挙支援活動に関する内容で彩られているにも関わらず、次のような評価に止まっている。「原告は、平成7年3月5日の創価学会の町田区栄光躍進総会のビデオテープを提出し、それによれば、翌4月に選挙を控えた公明党選出の神奈川県議会議員が総会の開会前に挨拶をし、また、婦人部や壮年部の活動報告、婦人部長や区長の挨拶、副会長の挨拶の中で、4月に予定された統一地方選挙を念頭においた話がされたり、他地区での過去の選挙の実状の話がされたりしていることは認められるものの、それらの活動報告、挨拶等の中でもその多くは日常の活動、特に総会の直前まで行われていた新聞啓蒙活動についての池田名誉会長の話などに割かれており、会合全体として、弘教活動に関する報告が主であって、選挙に関する話は従たる話題にとどまっていたと認めるのが相当であり、原告のいうように選挙一色の活動であるとは認められない」
 町田の「栄光躍進総会」のビデオテープを見れば、政治活動・選挙支援活動に関する話が主で、新聞啓蒙等の弘教活動に関する話が従であることは一目瞭然であるにもかかわらず、裁判所は弘教活動が主、選挙支援活動に関する話は従に過ぎないと判断する。同様に、原告側と被告側の証人の証言に対する評価も、「(原告側の)陳述書の作成者や証人は、元創価学会員であるものの、そのほとんどが本件で原告が違法を主張する平成5年度ないし平成12年度より前に創価学会を脱会している者であり、その供述は、直接の証拠とはなり得ない」とする一方で、被告側の証人として出廷した創価学会幹部の陳述書や証言は、「概ね一貫しており、時期も特定された具体的なものとなっている」と評価。結果として創価学会の選挙支援活動を是認する結論を導き出している。
 結局のところ裁判所は、創価学会の選挙支援活動が政権の帰趨すら左右するという現実を無視し、原告側の立証が不十分ということで請求を棄却したわけだが、周知のように創価学会は徹底した管理統制システムの下、秘密主義に基づいた組織運営を続けており、創価学会の政教一致体質を立証することは非常に難しい。こうした点を顧慮せず、政教分離の立て前のもと実体はともかくとして形式だけは整えている創価学会の主張を鵜呑みにすれば、憲法が要請する政教分離原則は、実質、空文化する。
 憲法が要請する「政教分離」原則に基づき、宗教と政治の関係に慎重さを求める一方で、政権の帰趨すら左右する力をもった創価学会の選挙支援活動については、これを是認してしまった東京地裁の判決は、靖国問題と並ぶ重大な政教分離問題である創価学会問題に対する日本社会の認識の甘さを象徴するものといえるだろう。






都知事を被告とする損害賠償請求訴訟を提訴

―学会の会館等への課税問題―
(『フォーラム21』H15.3.15抜粋)

 東京都内にある創価学会の会館等に固定資産税等を課税しないのは違法であるとして、その違法・懈怠の確認を求める訴訟(固定資産税賦課徴収違法確認請求訴訟)を東京地裁に提起している、公明党の元都議会幹事長だった龍年光氏、元大田区議桑原春蔵氏ら7人が、2月28日、東京地裁に対して石原慎太郎東京都知事を被告とする総額95万円の損害賠償請求訴訟を提訴した。
 原告らの請求は、本来、東京都が課税すべき創価学会の会館等に対する固定資産税が課税されなかった結果、5年の除斥期間(時効)が経過し、課税権が喪失したことにより発生した損害を、賦課徴収権限をもつ都税事務所長が賠償するよう東京都知事に命令することを求めたもの。
 先述のように原告らは平成12年11月28日東京都の各都税事務所長を相手取り固定資産税賦課徴収違法確認請求訴訟を提訴したが、東京都側が応訴したため、審理中に平成9年分等の課税権が喪失するなどし東京都に損害が発生したため、原告らは本件提訴へと踏み切ったという。






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