柴田良保著「自由民權、村松 愛藏とその豫告」(昭和五十九年)(連載2)
その豫言 日本國の滅亡する日
國家神道の廢止と復活の動き
天皇制宗教は一九四五年(昭和二十年)十二月十五日の總司令部の覺書「國家神道・神社神道に對する政府の保證、支援、保全、監督竝に弘布の廢止に關する件」によつて打ちくだかれた。政府はこの神道指令を受けると二週間後に「治安維持法」とともに「宗教團體法」を廢止し、宗教法人令を出した。
さらに翌年一月一日、天皇は詔書を出し、自己の神格性と國體の教義を「架空ナル觀念」として否定した。この、いはゆる天皇の「人間宣言」で、國家神道による、天皇教が最高祭司者である天皇によつて葬り去られ、二月二日、内務省の外局、神祇院の官制や神社關係のすべての法令が廢止されたのである。
これによつて民間の宗教團體として神社本廳が設立され、全國の神社の大半は次第にこれに所屬したが、舊陸、海軍省の第一、第二復員省の管理下にあつた靖國神社は、東亰都に宗教法人の屆け出を行つた。別格官幣社の原則を失つた靖國神社は、天皇教下でつづけられてきた戰死者の合祀も公的な意義を失つた。
同年五月三日、「日本國憲法」が施行された。その第二〇條は「信教の自由は、何人に對しても、これを保障する。いかなる宗教團體も、國から特權を受け、又は政治上の權力を行使してはならない。何人も宗教上の行爲、祝典、儀式又は行事に參加することを強制されない。國及びその機關は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」と定め、第八九條は「公金その他の公の財産は宗教上の組織若しくは團體の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に偏しない慈善、教育若しくは博愛の事業に對し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と規定した。
これによつて伊勢神宮、靖國神社、昭和十四年に内務省によつて一齊に護國神社と改稱させられた舊招魂社は、公的な性格を喪失し、宗教團體法による民間の宗教施設となり、明治維新以來、八十年つづいた天皇制宗教國・大日本帝國は民主主義「日本國」となつたのである。
しかし、極東委員會は日本の將來について、天皇制宗教復活の不安を感じないわけではなかつた。そのために「降伏後の日本にたいする政策」として「極端なる國家主義的軍國主義および反民主主義的組織ならびに諸運動が、宗教の假面のかげにかくれることは許されないことを、日本人はあきらかにしなければならない」と聲明してゐる。
このことは日本に天皇制宗教の復活の動きについて、キリスト教とユダヤ財閥と「フリーメーソン」の三者が結合したXとZが監視の目を光らせてゐる、と考へなければならないのである。
一九四五年(昭和二十)九月十五日、聯合軍總司令部(GHQ)は、皇居の前にそびえる第一生命保險相互會社のビルに移つた。GHQは、終戰聯絡中央事務局をつうぢて日本政府を從屬させ、GHQの各部局が日本政府の各省をはじめ、公共機關や民間團體に權力をふるつた(三省堂刊行「画報・日本近代の歴史」より)。
日本政府は「ポツダム宣言」の受諾に當たつて「天皇の國家統治の大權を變更するとの要求を包含し居らざることの諒解の下に」といふ條件をつけ、これを事實上、聯合國に拒否されながらも、いぜんとして「國體護持」の執念を持ちつづけた。そのために「敗戰」を「終戰」と云ひ、「占領軍」を「進駐軍」とし、「ポツダム宣言」のなか「從屬」といふべき英語を故意に「制限」と誤譯して國民に發表した。(宮城は現在の「皇居」と改稱された)
このやうな日本政府似たいし、GHQの放つた第一彈は天皇のマッカーサー元帥訪問の寫眞の發表であつた。この寫眞はGHQから新聞社に提供され、九月二十九日の新聞「朝日、毎日、讀賣」の第一面に掲載されて、讀者を仰天させた。
いままで「御眞影」として拜してきた天皇が、モーニング姿で軍服を着たマッカーサー元帥と竝んで立つてゐる寫眞だつたからである。長身の、いまの若者の言葉でいへば〃かつこいい〃マッカーサーと、短躯(く)の天皇のモーニング姿が、強烈な印象を國民に與へたことはいふまでもなかつた。
政府はこの寫眞掲載を「不敬」の理由で、新聞の發賣禁止を命じたが、すでに新聞は配布ずみで效果がなかつたばかりでなく、直ちにGHQは發禁の解除を命じ、二十七日付で「新聞および言論の自由についての追加措置」を指令した。それは政府の言論機關にたいする統制權を否認し、諸法律の言論、報道の制限條項を廢止せよといふ命令であつた。
しかし、終戰の歴代内閣は、なお執拗(しつやう)に天皇絶對主權の「國體」護持の執念を持ちつづけ、そのために新憲法制定に自主的な案をつくることができず、つひに、GHQの原案に、わづかの修正を加へて可決、成立を見ることになつたのである。
大久保政男著「フリーメーソンとは何か」に、「ゲーテもマルクスも、ルーズベルトも、チャーチルも、そしてマッカーサーも、フリーメーソンだつた」とあることでもわかるやうに、GHQの日本占領政策が「フリーメーソン」の意圖による「天皇制宗教」の打破撲滅であつたことに、天皇の重臣政府高官はもちろん、一般國民まで氣づくものはなかつた。そのために金森(憲法擔當)大臣が、新憲法によつて、「國體に變革はない」とさへ云つてゐるほどであつた。
一九五一年(昭和二十六)九月八日、サンフランシスコの媾和條約が調印され、翌年五月二日、媾和が發效すると、しだいに天皇制宗教國家復活の動きが表面化してきた。それを本山であるヤスクニを中心に追つてみると左の通りである。
一、同年十月十六日、天皇、皇后、公的性格を失ひ宗教法人法による宗教團體になつた靖國神社を參拜。
一、同年十一月六日、日本遺族厚生聯盟、靖國神社の慰靈行事を國費で支弁することを決議し、政府と國會に要望書を提出。靖國神社國家護持の出發點となる。
翌年三月十六日、立太子禮をひかへた皇太子が靖國神社に參拜、同年十月十八日の春秋例大祭から敕使の參向が復活。
一、一九五三年(昭和二十八)十月、敗戰によつて延期されてゐた伊勢神宮の第五十九囘式年遷宮が行はれ、これを機に神社神道界に復興の氣運が高まり、神社本廳その他によつて國家神道復活が要求される。
一、一九五六年(昭和三十一)二月、衆議院の海外同胞引揚委員會で、靖國神社への國費支出について「靖國神社は宗教でないから國費を支出できる」とする意見と「宗教・神道色を除去する必要がある」とする意見が對立。
一、一九五九年(昭和三十四年)國家施設「千鳥ケ渕戦沒者墓苑」が竣(しゅん)工、戦沒者追悼式が行はれ、天皇、皇后が參拜。
この墓苑は政府と民間團體によつて收輯された戰死者の遺骨で氏名不明、あるいは氏名がわかつても引き取り者のないものの安置所として建立されたものだが、ヤスクニの國家護持勢力の反對を受け、その實現までに六年を要した。同墓苑は無宗教の國家施設であり、宗教團體がそれぞれの儀式によつて禮拜、奉仕することができる。これによつて戦沒者の靈に禮拜する施設が國家施設の「千鳥ケ渕戦沒者墓苑」と宗教法人の靖國神社と二カ所できたことになる。
一、同年四月十日、皇室神道によつて皇太子の結婚式が行はれ、終戰後、天皇家の私事とされてゐた宮中祭祀に公的復權の道をひらゐた。
一、一九六五年(昭和四十)十月、遺族會が、「靖國神社法要綱案」を發表し、政府自民黨に働きかけるとともに、各地方議會の自民、保守系議員議員を動かして數百の地方自治體が靖國神社の國家護持を決議する。
一、一九六六年(昭和四十一)七月、海上自衞隊の將兵百六十人靖國神社に公式參拜、各地の護國神社の祭典に市町村長ら自治體の首長、自衞隊員が參拜し、自衞隊の殉職者を遺族にことわりなく護國神社の祭祀する。
一、一九六七年(昭和四十二)自民黨政府は神話による紀元節を「建國記念の日」として復活した。
一、一九六九年(昭和四十四)四月、自民黨は獨自の「靖國神社法案」をまとめ、第六十一囘國會に提出。同案は宗教法人靖國神社を解散して特殊法人とし、總理大臣の監督下において年二億程度の國費を支出するもので「靖國神社は特定の教義を持ち、信者の教化育成をする等宗教活動をしてはならない」(第五條)と、その宗教性を否定したものであつた。
同法案は八月五日、審議未了で廢案となつた。しかし、自民黨はつづいて四十五年四月の第六十三囘、翌四十六年の第六十五囘、四十七年の第六十八囘國會に提案したが、いづれも審議未了で廢案となつた。
しかし、自民黨は、「靖國神社法」の成立に執念をもやし、四十八年四月二十七日、第七十一囘國會に五囘目の提出を行ひ、内閣委員會に付託されたが會期終了のため繼續審議となつた。そして第七十二囘國會では、内閣委員會は自民黨によつて單獨可決され、五月二十四日、衆議院本會議で自民黨議員のみの贊成で可決され、參議院に送付されたが、六月三日、會期終了とともに廢案となつて現在に及んでゐる。
このやうに靖國神社問題は、戰後、最大の思想對決にまで發展したが、明治政權の構築した「天皇制宗教國」の總本山が靖國神社であつた以上、同神社の國營化は、「天皇制宗教國家」復活とみなくてはならない。從つて靖國神社は國内問題ではない。太平洋戰爭に日本軍に蹂躙(じゅうりん)された中國、東南アジア諸國と、舊聯合國にとつて、靖國神社の國營化による「天皇制宗教國家・日本」の復活は、見逃すことのできない問題であらう。
もちろん、これらの國の政府が日本政府へ抗議を申し入れるやうなことはない。このやうな日本の「天皇制宗教國家復活」に對抗するものは、國際祕密結社「フリーメーソン」である。全世界に六百萬のメンバーを持ち、ユダヤ財閥をバックにし、キリスト教によつて二十億の大衆を動かすことのできる世界最大の結社「フリーメーソン」は、ドイツにナチスの復活を許さないやうに、日本に天皇制宗教の復活は許さないのである。
自民黨の靖國神社國家護持派には、靖國を國際問題としての感覺がない。これでは幕末の尊王攘夷(そんのうぢようい)の浪士となんらことなるところはない、と云はれても仕方がないだらう。
村上重良氏(慶大講師、宗教學專攻)は、月刊「現代の眼」8月號の「國家神道はどこまで復活したか」のなかで
「−本年三月現在で、すでに三十一の縣議會と九百七十三の市町村議會において、天皇、首相らの靖國神社公式參拜を要求する決議が成立し、本年四月の靖國神社の春季例大祭では二十一日首相の參拜につづいて、二十二日には『みんなで靖國神社に參拜する國會議員の會』(竹下登會長)に屬する國會議員二百十六人が集團參拜が行はれた。また、改憲發言を執拗にくりかへしてゐる奧野誠亮法相は、一九八〇年十一月五日、衆議院法務委員會で、公式參拜に關聯して、信教の自由と政教分離を規定した憲法第二〇條の改正に言及した。現職閣僚の第二十條見直し發言も、戰後最初のことであり、國家神道復活のレールが、すでに事實上、敷設され終はつたことを示すものといへやう」と云つてゐる(くはしくは「現代の眼」をご一讀願ひたい)。
この際、國會議員には、日本が獨立するのに當たつて、極東委員會が、日本は「極端なる國家主義的軍國主義および反民主主義的組織ならびに諸運動が、宗教の假面のかげにかくれることは許されないことを知らなくてはならない」といふ聲明を出したことを思ひ起こさなくてはならない。
フリーメーソンと北方領土
昭和五十六年八月十五日の朝日新聞は次のやうな記事を掲載してゐる。
「北方領土解決ずみ」とソ連
・モスクワ十四日=雪山特派員・ソ連共産黨中央委員會は十四日、日本共産黨に對し書翰を送り、北方領土問題について「ソ日關係において未解決の領土問題は存在しない。わが黨は一度も日本が主張してゐる領土の返還を約束したことはない」と從來の主張を繰り返した。同書翰は十四日發行の、「黨生活」誌上で公表されたもの。
日ソ兩共産黨は五月以來、アフガニスタンやポーランド問題などソ連の對外政策を中心とする國際情勢の評價について公開書翰による論爭を續けてゐる。同日發表された書翰は、日本共産黨が六月十五日付書翰で北方領土問題に言及、同問題解決が兩國關係發展の基礎としたことに、反論したものである。
この一段扱ひの小さな記事のなかで、ソ連(共産黨中央委員會)は、「北方領土」問題について
「ソ日關係において未解決の領土問題は存在しない。わが黨は一度も日本が主張してゐる領土の返還を約束したことはない」
と云ひきつてゐる。この自信には、なんらかの國際的な裏付けがなくてはならない。
もともとソ連軍の北方領土占領は、アメリカ、ルーズベルトの戰況誤算から生まれたのである。それは「天皇教」にこりかたまつた日本軍將兵の強烈な戰鬪力による、アメリカ軍の戰死者の激増をみたルーズベルトは、日本本土への上陸、占領には、さらに二十個師團の兵力を増強しなければならないといふマッカーサーの報告を受け、自國軍の犧牲者を増やさないために、米・英・ソ・中の四カ國が上陸占領をすることを考へ、中國軍に九州、英國軍に中國、近畿、ソ連軍に北海道と東北の一部、その他を米國軍が上陸、占領を割り當てした。
ところが、その後の太平洋における日本軍の敗退が急速度に進んだのを見て、トルーマン大統領は聯合三カ國との分割占領の密約を破毀してアメリカ軍の單獨占領に方針を變更した。從つてソ連軍が北方四島を占領したのは、ルーズベルトとの四カ國による日本分割占領の密約を實行したものである(もし、ソ連軍が滿州への進撃をあとまはしにしてゐたら、少なくとも北海道は〃人民共和國日本〃として、ソ連の勢力下にくみ入れてゐただらう)
從つてソ連は「文句があるならアメリカに云つてくれ」と云ひたいところである。戰後、やうやく「北方領土」が問題になつたとき日本政府がアメリカ、イギリス、フランスの三國政府に、クナシリ、エトロフ兩島は、日本が抛棄した千島列島に入つてゐない。從つて兩島は日本固來の領土であるといふ書翰をおくつて同意を求めたが、イギリス、フランス兩國からは返事がなく、アメリカは「ソ連はサンフランシスコ條約に調印してゐないから發言權はない」と云つてきただけであつた。
日本政府が本當に「北方領土」の返還を求めるのなら、この時點に立ちかへつて外交交渉をしなければならない。それをしないで、ただ「北方領土を返せ」と叫んでも解決のつく問題ではない。佐藤、田中、三木、福田、大平と自民黨政權は、いづれも問題の本質を考へずに「北方領土返還運動」を展開したが、それは「ソ連脅威論」をあをつて、軍備擴充の資としたとしたとしか思へない。
鈴木内閣は「北方領土の日」を制定し、自民黨は遊説自動車隊を編成して、幹事長はじめ、幹部が乘つて主要都市を演説してまはつてゐるが、そんなことをやつて、ソ連が返還すると思つてゐるのだらうか?
ここ數年來のソ連政府と共産黨中央委員會の自信ある態度を見ると、ソ連政府は「北方領土」の占有に、國際的な自信を持つたとしか思へない。そこで、わたしはユダヤ人X氏にきいた。
「北方領土占有に、ソ連が自信を持つてきたやうですが、それは〃フリーメーソン〃の承認を得たからではないでせうか」
するとX氏は
「さういふことはあり得ることです。天皇制宗教國家の復活にたいする監視をすることが、ソ連の役割でせうね」
「・・」
「アメリカ軍の本土、沖繩における基地だつて對ソ戰のためばかりではありませんよ。日本の天皇制宗教國家の復活にも備えてゐるのですよ」
「――」
X氏の囘答にわたしは、冷水をあびせかけられたやうな氣がした。さらにX氏は云つた。
「八月十五日前後に、戰時中にフラン・キャプラ監督のつくつた・われらの敵・これが日本だ・といふ記録映画が、どこかのテレビで放映されるでせうこれも、フリーメーソンの對日宣傳攻勢の一つですよ」
と云つた。わたしは八月十五日夜八時のNHKテレビの「日本の記録」を見て愕(がく)然とした。それがまさしくX氏の云ふ「われらの敵・これが日本だ」だつたからである。
米ソ戰爭は果たして起こるか?
舞臺には舞臺裏があつて、そこに作者と演出家がゐるやうに、戰爭にも戰爭裏があつて演出者がゐるはずである。日本の政治家や軍人は明治以來、天皇制宗教にこりかたまつてゐたゐたから、日露戰爭の勝利がロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーのユダヤ財閥三家と、ユダヤ人で米國大統領ルーズベルトの演出であつたことに氣がつかなかつた。その結果が大國ロシアと對等に戰つて勝つたといふ自信になり、朝鮮、滿州、支那、蒙古と大陸に支配權を擴大することを國の基本政策としたことが、最後には太平洋戰爭となつて無慘な敗北を喫したのである。
今年の「防衞白書」はハッキリとソ連を敵にして脅威をあをつてゐるが、日本政府はいつか、ソ連と戰爭をするつもりなのか。日本がソ連と戰ふ日は、米・ソ戰爭がおこつた日である。そこで米・ソ戰爭は果たしておこるのだらうか?
米國の週刊誌「ニューズ・ウヰーク」によれば、すでにソ連は、廣島型原爆の約三十倍の破壞力を持つSS20が沖繩、横須賀、横田、岩國等の米軍基地に目標をきめて裝置されてをり、なほ、毎週二基が歐州と極東に配備されてゐるといふことである(この「ニューズ・ウヰーク」の記事は後でくはしく書く)。
わたしはそんなことより先に、考へなければならないことがある。それは先般のオタワ・サミットで各國首腦の竝んでゐる寫眞を見て
「日本以外の國、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリイ、カナダ!この全部はキリスト教國家だ!」
と思つた政治家が果たして一人でもゐただだらうか?さらに、これらの國が當面の敵としてゐるソビエト・ロシアがキリスト教國であり、それぞれの國の主要な地位をユダヤ人がしめてゐることに氣がつゐた打老化と云ふことである。
(以下、次號につづく)
【白人アーリア民族抵抗運動 二〇〇一年三月號】
ジャネット ランキンに關する特別調査
以下は「一人の、ひときは傑出した白人アーリア民族の女性への讀者の關心を呼び起こすために書かれたものである。二〇世紀の白人アーリア民族の歴史に對する彼女の貢獻は極めて大きく、その素晴らしい勇氣に勝るものはない。」・UWNPM調査研究所
その婦人の名前はジャネット・ランキンである。彼女はユダヤとルーズベルトが目論んだ、アメリカ合衆國の第二次世界大戰への參戰に對して、一九四一年十二月八日、聯邦議會で、ただ一人反對票を投じた議員であつた。この戰爭までは、まづ何よりもユダヤがドイツを撃破し、イスラエル國家創設に向けて全世界を犧牲にするための劇的な序章を準備したかつた故に、無數のアーリア人逹(pan-Aryans)がその命を失つたのである。イスラエル國家とはユダヤ人逹が長年夢見てゐた、非ユダヤ人たちに對する彼らの國際的攻撃の司令部なのである。
英國が、いかなる形においても自國を脅かしたことのない國、ドイツに對して宣戰布告した時、ユダヤは、既に英國を支配してゐた。彼らは一〇〇年以上にわたつて英國を支配してきたのである。ヨーロッパとアメリカのユダヤ人たちの多額の金が合衆國を第二次世界大戰に引き込むために投資された。その中にはルーズベルトと彼の同僚政治家たちへのわいろも含まれてゐた。
チャールス・リンドバーグ、HLメンケン、ロバート・タフト上院議員(ウヰリアムハワード・タフト大統領の息子)その他多數の傑出した白人アメリカ人たちはアメリカをこの戰爭に引き込まうとする、ユダヤとルーズベルトのアヂェンダに公然と反對を表明した。一九三九年に英國が宣戰布告を行つた後、議員政治家たちに支拂はれる「テーブルの下の」資金は、參戰を煽動するユダヤ所有のハリウッド映画谷その他のメディアと合ひまつて、ますます増殖されていつた。
歴史修正主義の本には、あたかもアメリカ國民が第二次世界大戰に參戰して英國のドイツへの攻撃を支援するのを、とても喜んでゐたかのやうに描かれてゐるが、(多くの殘された文書から知り得る)事實は違つてゐる。アメリカ人たちが參戰したのは、國民が望んだわけではなく、ユダヤがもくろんだ戰略やわいろが結果的に政府の諸機關を用ゐて彼らの目的を進めさせたからである。一九五〇年代と六〇年代に黒人たちの大群が、政府の資金の助成を受け、また、嚴格な政府の法律で守られてゐた、アメリカ白人たちの社會に不正に編入されたときも同じ事が起きてゐたのである。さうした、すべてのことにはユダヤのアヂェンダを押し進め、アメリカの白人文明を破壞する意圖が隱されてゐたのである。これら、すべての事はユダヤ人たちによるものである。
眞珠灣(攻撃)の翌日の一九四一年十二月八日、聯邦議會のほとんど全員がユダヤの命令に從はない(強調は原文どほり。)事を恐れてゐた。脅しと結びついたわいろによつて宣戰布告は、ほとんど滿場一致にならうとしてゐた。參戰前の數年間、アメリカでは自國を第二次大戰に無理やり參戰させやうとしてゐるユダヤとルーズベルト(ホワイトハウス内の彼らの代理人)に關する多くの論説や出版物、書物などが出現してゐたが、それらは、すべて忘れ去られてしまつたのである。
ユダヤは人心を把むドラマを提供する術に極めてたけてゐる。彼らはドラマを研究し、演劇や演藝業界を支配してをり、演者が觀衆を操り、支配する、ありとあらゆる手口……いかにして人々を泣かせるか、觀衆の共感を引き出す方法、いかにして彼らを憎ませるか、いかにして暴動を起こさせるか、いかにして彼らに金を出させるか、いかにして人々を驚かせるか、といつたあらゆる手口を心得てゐる。かうした技術は專制的な權力を熱望する、いかなる集團にとつても、とりわけ重要である。そして、さうした權力こそが絶對的に世界ユダヤの目標なのだ。メディア産業がユダヤに大量の金を稼がせてゐること・・彼らの映画、テレビ、ラヂオ、印刷媒體に對する支配によつて彼らが大變な金持ちになつてゐる事は、いづれも事實である。だが、メディア産業に結びつく彼らの八面六臂の活動の、より重要な結果は、おそらく、さうした活動が彼らに遠くから人々を操る方法の詳細な研究や實驗室を提供する點にある。「オズの魔法使ひ」の映画では、カンサス出身の一人の氣まぐれな老人が、巨大な珍妙な仕掛けの機械を作り、それを用ゐて自分を「オズの魔法使ひ」に變身させる。この珍妙な機械は樣々なものを映し出す。巨大な漂やう頭部や五、六倍の大きさの人間、ひどく大きく響きはたる聲、そして「オズの魔法使ひ」の巨大な姿の背後と兩脇にはメラメラと燃え盛る炎が天を焦がす。・この物語全體とその構想は毎度の事であるが、ユダヤ人によつてではなく、白人アーリアンのフランク・バウムによつて作られた。ユダヤは自分逹が作り得なかつたアイデアを價値あるものと認めて、自分逹の金を使つてそれを買ひ取つた。今日では世界の人々はオズの魔法使ひが、ハリウッドの最も有力なユダヤ人の大立て者、ルイス B メイヤーの作品だと思つてゐるが、事實はそれと異なる・・メイヤーはアーリア民族の作品をユダヤの金を使つて買ひ取つたのである。・
アメリカを第二次世界大戰に引き込むためには熟練した演劇(技術)的な努力を必要とした。ユダヤはそのことを心得てゐて、周到に準備したのである。
けれども極めて重要な役どころである一人の演者、アメリカ聯邦議會がシナリオ通りに演ずるのを拒否した。
彼らの黨をだいなしにした議員は細面てのアーリア民族的顏立ちに、彼女の出身地モンタナの有名な「廣い廣い空」の色である極めて深い青色の目を持つ婦人であつた。
彼女の名前はジャネット・ランキンであり、彼女こそ聯邦議會に選出された史上最初の女性(一九一七年)であつた。彼女はモンタナの極めて裕福な家庭に生まれた。(彼女の兄はハーバード大學が、いまだ白人アーリア民族の學校であつた、世紀の變はり目頃に同校に學んだ。)そしてジャネット・ランキンは、それ以外に用ゐる言葉がないほどに秀れてゐた。彼女の意慾、知性、組織する能力、人間性、創造性、何よりも重要な事は、自國民に對する誠實さ、自分が直面する危險や不快さをものにしない態度、さうした彼女の特性は彼女が二〇世紀のアメリカで、そして、おそらくは世界で最も偉大な一人の女性政治家であることを示してゐた。
八八歳の時(一九六八年)ランキンは馬鹿氣た(だが、いつものやうに、ユダヤにとつては、金まうけの種となる)ベトナム戰爭に抗議するため「ジャネット・ランキン旅團」を率ゐてワシントンを行進した。(世界をユダヤにとつて、より利益をもたらすものとし、より、支配しやすくするやうに變へるために、この戰爭でも許し難い數のアーリア民族が命を落とした。)
ジャネット・ランキンは九二年以上の長きにわたつて世界に光を與へ、白人アーリアンの人々のために戰ひ續けた。(一八八〇〜一九七三)
彼女は後世に多くのものを殘した。
ジャネット・ランキンの沒後、生存のために苦鬪を續けてゐる白人アーリア民族に殘された最大の遺産の一つは、おそらくアメリカの各州に設置された一四〇〇以上の聯邦文書館(Federal
depository libraries)で誰でも讀む事が出來る注目すべき文書である。
これらの文書館の一つ一つが、アメリカ聯邦議會議員の活動及び思想を記録するためにアメリカ政府によつて出版される日刊新聞、「議會記録(コングレショナルレコード)のマイクロフィルム化したコピーを所有してゐる。(そして興味のある人々は誰でも利用可能である。)
ジャネット・ランキンは、みづからの聯邦議會議員としての地位を使つてこの「議會記録」に「眞珠灣(攻撃)に關する幾つかの問題」といふ題名の記録を掲載するやう要求する先見の明と非常な勇氣を持つてゐた。この文書は一九四二年十二月八日付の「議會記録」に掲載されてゐる。(「議會記録」付録A4439〜41ページ)開戰のための投票から、ちやうど一年後)
それは、アメリカの資源を第二次世界大戰に送り込み、50萬人に近いアーリア民族を死に追ひやつた、あの非道な聯邦議會の投票の日から一年後に活字にされた。
この三ページの文書において、彼女はルーズベルトと彼の部下たちがアメリカの第二次大戰への參戰を熱望してゐた事、また、アメリカをドイツに敵對させやうと願つてゐた事を疑ひの餘地なく證明した。さらに彼女は、彼らがアメリカを參戰させるために日本を挑發して一つの事件へと誘導し、その後、この一件をアーリア民族の生命及び財産をチャーチルを操るユダヤ人救濟のために投入する事の「云ひわけ」として利用出來ると考へてゐた事を證明した。
「眞珠灣に關する、いくつかの問題」においてランキンは自らの主張を證明する活字化された資料や政府その他で廣く流布された公文書からの引用文を提供してゐる。
かうした、すべての事をランキンは戰爭の病的亢奮が熱病のやうに押しよせてゐた時期に行つたのである。當時、戰爭に反對する者たちには「叛逆罪」のレッテルが貼られて脅かされてゐた。云ふまでもなく、古來、この「罪」につきまとふのは、いつでも生命や財産をなくすことなのである。(了)
(森 通 曉 譯)
前號(一七七號)訂正
誤 ↓ 正
13頁上段5行目 戻さうぢやないかこれから→戻さうぢやないか。これから
13頁上段11行目 委ねられてゐる→委ねられる
13頁下段7行目 進行→信仰
13頁下段後から9行目 内藏→内臟
14頁下段14行目 その次期→その時期
14頁下段後ろから7行目 認す→許す
(以上)
週刊日本新聞 一七八號(13・3・19)
編 集 後 記
編輯主幹 太 田 龍
○ 米國のインターネットホームページ上の情報によれば、
五月二十六日(金)、二十七日(日)、米國カリフォルニア州サンタクララコンベンション・センターに於て講演會。講師は、デーヴィッド・アイク、ジョン・コールマン、レン・ホロヴィッツ、キャシー・オブライエン、その他。
http: //www.conspiracycon.com/posterentorso.jpg
○ 岐阜縣の主婦の讀者からお手紙を頂く。
桃の節句も近づき、しばらく暖かい日が續いたのですが、今日は小雪が散らつゐてゐます。
毎週毎週日本新聞、大變お世話になります。いつも、興味津々な内容ばかりで、有難く讀ませて頂いて居ります。
三上章さんの學説、大變興味深いです。「象ハ鼻ガ長イ」改めて考へてみると、本當に日本語には主語が無いのだと感して了ゐました。日本語には對象と對立すると云ふ意識が全く無いのですね。だいぶ以前のことですが、東博士のワークショップ(平成九年、第二囘)の時にも、詳しく憶へて居ないのですが、「主語のない言葉」「主語のある言葉」と云ふことが話題になりました。
太田先生が『解説・東理論』の中で書いて居られるやうに、東博士の「觀測の理論」は、この日本語の不思議さと同じやうなものでせう。無數の「觀測者」の階層秩序がある。日本語文章の一大特徴である「テニヲハ」は、常にこの階層間の秩序を(無意識のうちに)意識してゐることのあらはれでせう。
私はここで、「生まれてきたもの」と「造られたもの」の違ひを思ひます。日本語の生まれたは英語ではI was bornと受け身に成るのですから。
言葉の問題は、何より大切なことだと思ひます。あの有名な狼少女のアマラとカマラのやうに、言葉が無ければ、人間は獸になつてしまひますが、日本語が亂れれば日本人もをかしくなつてしまふのは當然でせう。日本語が、日本人の腦をつくると言ふことは、大變なことだと思ひます。英語を第二公用語にするなどと、本當に、とんでも無いことです。
日本型文明が自然隨順的なものであるとき、そこから生まれた、その本質である所の日本語もまた、天地自然の法則をあらはしたものなのだと思ひます。
岡 潔先生は、神代調に戻ることが大切だと仰云ひましたが、子ども逹に少しでも、古事記や大祓祝詞など諳誦させたいと思ひます。
『慈悲の心』一月號の掲載された小田切瑞穗論、をこがましいのですが、私も、同じやうなことを考へたことがあります。片時も止まることのできない實相世界――常に條件が變はり、無數の觀測者がある、ある時は結果として得られたものが、次の時には原因になるかも知れない。變轉常なき自然界、生命を西洋科學は決して捕えることは出來ないでせう。 以下略
平成十三年二月二十七日
◯ お手紙をありがたう。
◯ お子さんたちは、しつかり「鼻呼吸」出來て居ますか。
◯ 「健康は『呼吸』で決まる」(西原克成著、實業之日本社、平成十年)を頂き(3月2日)、一讀する。
◯ 「壯快」(平成十三年四月號、百五十八頁以下)にも、「名醫に聞く。東亰大學醫學部口腔外科講師、西原克成。花粉症は口呼吸を鼻呼吸に變へるだけで克服できる」。
◯ このお方の名前は始めて知つたが、三木成夫先生の弟子と云ふ。
◯ 三木先生のことは「相似象」で二十年前から良く承知して居る。
◯ 六十歳前後、定年間近で「講師」、とあるので、醫學界體制主流からは冷遇されて居るのでせう。しかしこの學者は「超大物」、とお見受けしました。
◯ 日本義塾
三月二十二日(木)午後六時半〜九時(六時開場)。
會場 文京シビックセンター四階會議室
講師 太田 龍。
演題 三上 章日本語文法學説の顯彰と繼承。
會費一囘千圓(若干の資料代含む)
◯ 四月二十五日(木)。時間會場など右に同じ。
◯ 繩文研究會(第二囘)
三月二十七日(火)午後六時より。
會場 學士會館三〇七號室。
地下鐵神保町驛下車2分。共立女子大學の向い側。
講師 太田 龍。
演題 「繩文」の正しいとらへ方。
會費 二千圓。
○ 井上ひさしさんが引用して居られるので、大野晉著「係り結びの研究」(岩波書店、平成五年)を入手して一讀する。日本語文法に主語はない、云々と。しかしこの人は、いかにも「アカデミズム」の權威らしく、三上章文法學に、一言も觸れない。
平成十三年三月六日記